2021年11月1日月曜日

笑われて、笑われて

 5月から心機一転開始した日々の4コマが、今日で150話、2年間ちょっとに及ぶ過去の連載文を含めると794話と、800話も目前となった。


今度の4コマも無事に2巻目の入稿を済ませ、次回イベントで1,2巻も含めた初めての頒布となる。


日々苦しい執筆だった。


心に響くしんみりとした言葉も、淡い恋愛のドキドキもない、すべて「お笑い」の漫画だからだろう、応援の言葉も少なく、それどころか「毎日更新だと応援しづらい」なんて言葉をもらった。当然、周りの華やかな漫画に比べ、いいねの数もそんなに多くはない。


ただ、自分は他よりも大変なことをしている、大変な縛りを入れている、と言い聞かせ、誰よりも頑張っている、と言い聞かせるより他にない。


一人作業はとにかく大変で、作業中、とりわけ創作作品に熱を上げすぎるあまり、自分自身の存在が見えなくなってしまう。

何をしているのか、もっと楽できないか、周りは次に進んでいるのに、なぜ自分は。

そんなうちなる声を嫌が応にも対峙しなければならない。


そんな声にもめげず、発表に漕ぎ着けると、次は外からの声だ。


先のブログにもあげた「批評家」から、こうだああだ俺はこう思うよく勉強しろなどとありがたい忠告を受ける。


「いいねはつけないけれど応援してます」という言葉にだって、何度となく苦しめられた。


それでもめげずに更新できること、そして「定番の展開」から逸脱すること、

それらを含めた今回の150話目の更新だ。


Twitterを眺めると、今日も本職の漫画家や神絵師の描くプロの作品が、(時にいやらしいものも含む)今日も暇を明かすことなく並ぶ。

並べられる私の4コマ。

誰からも褒められず、誰からも賞賛されず、それでもきっと私は明日もネタが続く限り「描き続ける」と決めた。


笑われて笑われて、強くなる

それは幼い頃にお坊さんから聞いたお説教の言葉だっただろうか。


私はまた明日も笑われる。

笑われるような漫画を描き、笑われるくらい地道な努力をする。


明日こそは自分自身の笑いの種が芽吹くよう、ひたすら笑われ、頑張るのみだ。

2021年10月30日土曜日

制作者に幸あれ! ゲームマーケット2021秋開催への雑感

練習のつもりで久方ぶりに手をつけた文章は、やはりミドル世代独特の「情感じみた」文体となってしまったことを先んじて謝っておきたい。

ひと段落ついた気持ちを綴った言葉の羅列は、なるべく読みやすく推敲したつもりだが、ところどころ目に余る箇所もあることだろう。気軽に流してもらえると助かる。



「作業に手をつけた瞬間から物事の半分は終わっている」と言われる。

困難な作業とは、一旦取り掛かったところで「すでに半分終わっている」

出展はたしかギリシャの哲学者か、現代心理学でも証明のあった言葉だったと記憶している。


登山やマラソンなど体を使うものに置き換えるとイメージしやすいだろうか。

スタート地点に立ち、一歩目を踏み出した瞬間に、レースの半分が終わる、いやむしろ、大会に応募した瞬間、当日に向けた体つくりの始まる、あの絵も言われぬ「気持ちのたかぶり」だ。


制作だけではなく、オンラインを含めた広報活動、長く続けるための体調の管理、そして出展に向けた当日までの準備、諸々含め、事前の準備は大変だろうが、それでも「恐れて」しまっては、「恐れ」の思うツボ、とも言える。


手を動かすことの大切さは、この2年間に及ぶ緊急事態宣言下、自粛生活下でイヤというほど思い知らされた。


コロナウイルスは確かに悪い相手だ。

しかしながら、あまりに「悪い相手」の姿形を作りすぎる、自分の都合すら「悪い相手のせい」に標準が向いてしまう。


厳しいこと、辛いこと、どうにもならないこと、など

それらをすべて「自己都合の悪い相手」に向けることで、たしかに精神衛生は保てるかもしれない。がしかし、それは反面、「苦しみの根本」を曇らせた眼鏡で見る恐れもある。


そしてもうひとつ、これも何かで聞きかじった知識だが、どうやら人間の脳は「やらなかった」判断を「自分はやった」と解釈して記憶すると聞いた。


よく「◯◯に参加します!」「◯◯を作りました!出します!」というツイートに、応援ではなく、引用RTで延々と「自分のやらない理由」をつづる人を見かけるのも、経験として「やっていない」はずのことを「すでにやり終えた」と誤認してしまうからではないかと考える。


先に挙げた「目の前の作業」も、手をつける前の不安をいかに払拭するか、から考えなければ、ずぶずぶと頭が「やらない理由」を考え始める。

面倒だから、時間がないから、応援の相手もいないから、加えて今回のウイルスだ。やらない理由なんてごまんとある。

そうしてやらない理由を考え始めるうちに、以後、「やらなかったこと」が自分の経験として、糧となり、軸となる。



「動こう!」

この2年間、無意識に自分はそう考えていたのではないかと振り返る。


創作者にとって不遇な状況の中、それでも手を動かし、創作を続けたサークルが、11月20、21日、ゲームマーケットというイベントで一堂に会する。


内面、外面の厳しい声もあったことだろう。それにもめげず、きちんと作品に仕上げ、同じ「販売する」というフィールドに立つサークルは、それだけで奇跡であり、それだけでもゴールに値するのではないか。



ゲームマーケットなどのイベントを「人に会いたいから」という理由で参加される方も、きっとそんな想いを胸にされているに違いない。


だからこそ自分は、笑顔で、そして、この情勢下で本当に苦しみうめきつつ、それでも手を動かし続けた結晶のようなものを届けにあがりたいと思う。


すべての制作者に、幸多からんことを。

2021年7月12日月曜日

目に見えない精神の話

 7月12日(月)


レイアウトに少しずつ手をかけることにした。

ノートに書いて、パソコンの画面に落とし、画面を調整する繰り返しだ。目に見える形にすると、抜けた部分が見えてくる。


その中で気がついたことがある。


世界樹の迷宮という私の好きなRPGがある。


その隠しダンジョンの話だ。通常のラスボスを倒すと現れる、難しさの髄を極めたダンジョンだ。制作者からの挑戦状とも受け取れる。


全5階層、最初は経路も長く敵も強いダンジョンだが、次第に落とし穴や全面ダメージ床なども襲いかかる。


そこで気がついた。

真のラスボスが眠る30階層は一本道である。実質、その一歩手前となる29階層がダンジョンの最難関となると言える。


その29階層は、ダメージ床でも、強豪ぞろいの敵でもない。

「ワープ地獄」の階層だ。


詳細は省くが、この29階層を「己が記憶を疑い絶望に叫んだ者達」と呼ぶ。

その一階手前が「流れ出る自身の血に気付き驚いた広場」だ。


何が言いたいかというと、体のダメージは回復アイテムや元々の体力も相まって対処法が確立されている。

一方で、冒険者を待ち受ける最大の難所が、自分の立ち位置がわからない、自分がどこを歩いているのか、進んでいるのか、戻っているのかすらわからない絶望の淵、つまり「精神的な疲労」だ。


見えない己の精神状態と対峙し、自分を信じ進むことが、どれだけ難しいことか。

先の29階も、ゲームだからマッピングなどの攻略ができるものの、実際の自分に照らし合わせるとどうだろう。


徒然草にも「体の汗は目に見える。心の汗は見えない」といった言葉が綴られていた。

一人で作業をこなすうちに、そんな心の悲鳴、疲労に注意を払いつつ、実は「まだ疲労が目に見えない」と甘くみてはいないだろうか。


もちろん制作の遅れ、他の制作者が美麗な作品で多くのツイートの反響を得ていることも、自分のそれに拍車をかけているのかもしれない。


戦うのは自分自身、信じるものは己のみ、哭きの龍はよく言ったものだ。


倒れるまで今日は頑張った。デザインもやめ時が見つからず、朝から晩までこの時間までずっと作業に従事した。

残業したからえらい、というツイートを横目に、黙々と頑張ることは、確かに美徳かもしれないが、それは心の衛生状態としてどうなのだろう?


あれこれ綴りたくなるのも、悲しい気分の時だからこそ。人は悲しいと詩人になるのだ。


明日はこの頑張りが多少報われますよう

七月は最高の運気だったことを今ふと思い出した。


2021年7月9日金曜日

身を削る

 7月9日(金)

ここ数日気を許して本を買ったりした。

本屋で一目惚れした本、前々から買い続けたシリーズ本など、様々だったが、改めて気づいた。

「本にお金を出すことをためらっている自分」だ。


現在の生活は無収入、今も生活に困窮する毎日だ。

そうなると優先順位はどうしても「食べ物」になってしまう。遊ぶこと、衣装など着飾るものはどうしても後回しになってしまう。


そんな中、食費を削って本を買った。

預貯金にどれくらい余裕があるかをどんぶりで勘定し、クレジットで購入した。


政治の話をしたくはないが、政府が酒や音楽フェスなどを槍玉に上げ、自粛自粛と強制を迫る今の状況は、それだけ食べるものにも困った今の状況を国民に知らしめるためなのだろうと勘ぐったりした。

(もちろん経済を立て直す手段として「困っているときにさらに苦しめる」が悪手であることは重々承知の上で、だ。)


どうしても学習・芸術の分野の出費に躊躇する、

それだけ以前アホのようにボードゲームや本を「自己投資」と称して購入し続けた自分の心境にも変化が生じたのかもしれない。


それでも今日は相変わらず猫カフェにボードゲームを寄贈したり、募金箱に募金したりなど、身を削る思いで過ごした。三食ご飯と味噌汁の生活はもうだいぶ慣れた。


未来はどうなるか本当にわからない。

ただ、変に昂ったプライドが、キックスターターやクラウドファンディングまで手を出すことを躊躇する。


作品は無理のない範囲で

それでも次が本当に最後となるかもしれない。


そんな葛藤と戦いながら、また制作に打ち込むのだった。

制作に集中する時間だけは無料だ。


2021年7月5日月曜日

記憶力

 7月5日(月)


4コマ、動画作成の勉強、雨は上がり、いつものむせ返る室内の作業。

手をいくら動かしても、感触どころか周りの反応すら少ない状況だ。今が一番辛い時期だと言い聞かせ、夜も休まず頑張る。


はたと気がついたが、イベントに出展するようになり、ちょうど今年で5年目を迎える。

2017年に初出展し、以来欠かすことなくゲームマーケットに出展できた。

2020年という感染症只中の年にも、盤祭、ゲームマーケット秋、静岡アナログゲーム祭り、北海道ボドゲ博、と出展したのは、実は私だけのようである。


周囲からは「自慢するな、説教するな、昔話するな」の声ばかりが聞こえるため、表立って自慢することは控えている。

偉人の言葉の「孤独に頑張る」の言葉だけを信じ、腹を立てたらとにかく外に出歩くことにした。それでも治らなければ、ウィルキンソンの炭酸を入れる。


先日の日記にもしたためたが、目立ってナンボの界隈で、目立つと叩かれ、バカにされる、そんな中、どうして4年半以上も頑張れたのか。

私にもわからない。だからこそ、綱渡りのようにイベントを進めているわけである。


わからないことは、裏を返せば、周りの意見に頼ることなく、自分の意思で判断してきたことになる。


ひたすら力技で体にムチを打ち、動かない頭や体を無理に動かしてきた。

コスパだの効率だのと、周りの声を聞かずにやってきた。


ただひとつ「なまじっか聞き齧った知識で、経済だの効率だの正論じみた発言を振り回す人間」には決してなりたくはなかった。


結果だけを見て「俺ならこうする」を浴びせる(悲しいことに私の年上でそんな態度に出る方もいらっしゃる)ことは、断じて自分のなりたい姿ではなかった。


今日は疲労も相まってうまく考えがまとまらないけれど、今の苦しい最中でも応援してくれる方を(面と向かって「応援してます』と、今、声をかけてくれる方のこと)ちゃんと脳内に焼き付けておきたいと思う。


2021年7月4日日曜日

環境の整備

 7月4日

雨降りの中、今日は4コマのネタに苦しみ、結局おまけ漫画としてのちほど描き進めることにした。数えたらツイート連載後15話でノルマ達成となる。表紙やおまけページもたくさん描かなければならない。のんびりする時間はそう多くはない。


研究、そして実践

「結果より過程が大事」と人は言うが、それは結果を出せた人の言葉だと、高校野球の監督の言葉で思い出した。

私がどれだけ遠吠えを吐こうとも、結果が出ていなければ遠い空へと消えてしまう。

2017年に初出展以来、今年で実際にかれこれ4年以上も、ひたすらボードゲームのクイズを追い続ける私。石の上の三年はとうに過ぎ、何か結果を出せたかといえば言葉に窮する。


先程の言葉が掲載された本には、他にももう一つ言葉がある。


「結果が出るまで我慢できた人を天才と呼ぶ」


クラスの一軍が他愛もないダジャレでちやほやされる中、陰で活動する私のような人間はさらに捻ったネタを出そうとも評価されることは少ない。


それも結果という名前の肩書きがないからだろうと少し拗ねてみる。

ラーメン発見伝の店主がそれに似た言葉を述べていただろうか。


肩書きは出せと言われて出せるものではない。結果を誰かが評価することで得られる、信頼に基づくステータスだ。


今は耐える時。もちろん、そう長い間耐えられるほどの体力も気力もない。


できることといえば、環境を整えることぐらいだ。


だから付き合う相手も、心ない言葉を平気で口にする相手とは、どれだけ物々しい肩書きを持とうとも距離を置くことにした。

現実でも、SNSでも。


整えられた環境がそう長く続くとは思えない。

だから、今をとにかく生きる、今の考えを今残すこと。


まだまだ頑張れと言い聞かせ、明日も4コマが更新できるよう祈る。

2021年7月3日土曜日

手の鳴る方へ

 7月2日

梅雨だから、というわけではないが、全国的、しかも局地的には熱海と平塚に大規模土砂災害が発生する1日。

ツイートを眺めると情報過多で参ってしまうが、今日はとにかく4コマに熱が入った。ポーズ集を眺めながらひたすら納得いくまで模写を続け、結局この日は4時間余りを費やした。

長く描いたから反応も比例する、というわけでもなく、そう多くの反応もなく、雨とともにうなだれる午後。「応援します!」の声を真芯に受けているが、今日いいねをつけなかった方は本当に応援しているのか疑問だ。


欲しかった本も結局この日は見つからず、改めて通販で取り寄せる。

先日通販で本を購入されたフォロワー様から感謝と感想の言葉が届き、それまでの気持ちが一転して和らぐ。応援の声とはそんなマイナスをプラスに転換させる働きがあるのだ。制作に立つからこそ味わえる、そんな人間社会の裏と表。いかに気にせず、プラスに評価を持っていくか。

それはきっと人間社会を営む上でも大切なことではないかと思う。


帰宅後、ろくにご飯も口にせず、先日覚えたばかりのアフターエフェクトを駆使し動画制作に移行する。

こちらも苦心した割にそう大きな反応もなかったが、いつも応援される方が引用RTで励ましてくださった。

この一言を次へのモチベーションに繋げられるか。

「評価の数」は気にしない、とは断言しづらい。

多くの作品が多くの方の目に触れることは、それだけでやっぱり嬉しいものだ。


しかるに、それだけをモチベーションの材料としてしまうと、今日の自分のような「手間をかけたのだから応援してよ!」と応援を強制しかねない。応援の次は決まって「じゃあ買ってくれるの?」の強制が始まるものだ。


それを前職では「幸せレベルが下がった」と揶揄したことを思い出す。


気持ちや環境が低下しているときは、どんな些細な喜びだろうと、その感度が大いに増すものだ。


小さなありがとうを万倍に受け取ることのできる、それは言葉の上で「レベルが下がった」かもしれないが、感性に軸を据えると、すごく人間として暖かく、成熟された心の持ち主にしかできないのではないか。


自分を慰めるようにそんなことを思う。


明日もまた雨の中4コマに問題作成に、最近覚えたアフターエフェクトの練習に勤しむのだろう。

周りはテストプレイも含めた華やかなツイートばかりだ。

グッと奥歯をかみながら、自分は自分の道を、応援される方の手の鳴る方へ、進もうかと思う。


2021年7月2日金曜日

到達点とこの先の話

 7月2日

特に理由もなかったが、せっかくの記念ということで七夕の日に献血の予約を入れた。

今日は4コマの更新がTwitterトータルでちょうど700話となる節目の回。

おまけ漫画に各所で描いたおまけ漫画などを含めるともう少しあるだろうか。それだけの数ものネタを、いろいろな制限(ブラックや下ネタにしない、よく聞くボドゲあるあるはそのまま使わない、続編を描かない、茶化したり馬鹿にしたり誹謗中傷したりしない、等々)がある中、本当にここまで到達できたことが奇跡に近い。


雨降りの中、出かけるわけにも行かず、この日も結局アフターエフェクトの勉強を済ませる。

700ページもの教材に何とか一通り目を通し、一応の使い方が机上の空論で学んだということだ。あとは実地を積み重ねて、手で覚えようかと思う。

実際に動かしてみるも、カードがペラペラ動く仕草もままならない。

以前イラストをPhotoshopやIllustratorで仕上げる時も同じような感覚だった。「これならパワーポイントの方が俄然早い!」と思えるほどだった。それがIllustratorで約3ヶ月かかっただろうか。

プレミアプロも一通りの動かし方がわかるまで約1ヶ月、だから今アフターエフェクトが使えないのも似たようなものと捉えている。


無事に使えるようになれば、イラストも、文章も、映像編集も、キャラクター設定も、すべて自前で用意できるようになる。


それは実はすごいことなのかもしれない。

もちろん作品として世に生み出してからの話、今は皮算用にすぎないし、当然仕事の話も来ない。


少しずつ少しずつ、自分の外堀をできることで埋め合わせるように、手を動かし、本を読み、少ないながらちゃんと支えてくれる応援の声を裏切らないよう、また明日も頑張るだけだ。


今は体だけは整えて休むことにする。遊んで笑うのは、当面先でいい。

2021年7月1日木曜日

言葉を出すこと

 7月1日


なんだかんだ、休み休み、7月もブログを続けることにした。

「製作者のブログはすぐに終わる」なんてイメージを持たれたことが腑に落ちなかったからだ。


制作のことを綴ると、今日も4コマを描き、問題の手直しやアイコンの作成、アフターエフェクトの勉強を進めた。

昨夜遅くに申し込んだボドゲフリマの申し込みを改めて見直す。大阪往復三万くらいなら何とか捻出できるだろうか。

ご挨拶したい箇所はたくさんあるのだ。


キャスを再開しないのか、と、聞かれることがある。

言いたいことをグッと堪えるうちに、表面だけは何とか取り繕うことができたようだ。


素の自分は、もっとぐじゃぐじゃで醜い言葉が腹から生まれる人間だ。不平不満だって多くある。


それを感じた上で、どうするか、を振る舞うのが、大人だと思っている。


思いの丈を即座に口にすることは誰でもできる。

不平を感じた上で一歩だけあとに引き、どうするかを考えることを頭に置いている。


ツイートという、思いの丈を即座に文章にできる行為は、ブログやキャスの文化とは違い、リアルタイムのライブ感はあれど、思いも寄らない言葉が飛び出すものだ。

それは本音の言葉とは違う、まして、個性を生み出す言葉でもないだろう。


慎重に、そして、自分のなりたい姿の言葉を出すよう、それはメイプル超合金の数レーサーさんも「言葉遣いは最高の化粧」という言葉で表現している。


良い言葉だけを自分にかけて、また頑張ることにしよう。


7月が始まる。1ヶ月前から大きく前進した自分となりますよう。

2021年6月30日水曜日

大博打

 6月30日

上手く筆も乗らないが、流石に3日開けると筆の進みも鈍るため、何でもいいから書くことにした。


雨が降っていたこともあり、今日の夜の神社のお参りは避けることにした。

来月から運気が上がることを期待しつつ(占い師による)今日も何とか4コマを仕上げ、引き続きクイズやらアフターエフェクトの勉強に取り掛かることにした。

頭の中でできることを手に出力することはやっぱり難しい。机上の空論とはよくいったもので、脳内の動きを手にシンクロさせるための修行が必要なのだと実感した。


今日の0時、大阪のボドゲフリマが開催される。

売れるかなんてわからない、けれど、何もしないより!と体が動くことも事実。

やってみたいと思う。このまま秋までじっと創作を続けるのもダメな話だ。

何より、私の運気は7、8月でピークとなるらしいからだ。


売れない本をちまちま売っているだけでも。それはそれで伝説になるではないか。


大阪にも会いたい方は多くいらっしゃる。


資金はない。ギャンブルは苦手だが大博打に打って出たいと思う。

もしも出展できるのであれば、4コマの新刊を届けたいと思う。

2021年6月27日日曜日

横目に

 6月27日(日)


少しずつ街も活気を取り戻しつつあると感じる今日。もちろん日々進化を遂げるウイルスの猛威は未だ衰えず、またも政府が緊急事態宣言を発令する旨の報道も流れたほどだ。次あたりは「特別緊急事態宣言」なんて名前になるかもしれない。


創作は相変わらず。そこそこの反応の4コマに、問題作成を少しずつ。最近はアフターエフェクトの勉強を再開し、アタック25でお馴染みの飛行機雲クイズの作り方(マスクのかけ方)を独学で少しずつ学んだ。


前に経済の本で「生産するだけでは経済は発展しない。消費がなければならない」という言葉を目にした。


ひたすら作り続けても、買い手がつかなければそもそもの創作が追いつかない。

利益もそうだが、自分の好きなものばかりの創作だと、「相手と気持ちが通じた時の気持ち」をおざなりにしてしまう気がするのだ。


承認欲求、ともいうのだろうか。


雨が降りそうで降らない微妙な天候の中、冷蔵庫のプリンを食べてしまったからか、夕ご飯はそうお腹には入らなかった。


ツイートではゴスロリボドゲ会や各所のゲーム会など華やかなボードゲームレポートが並ぶ。


グッと耐えながら、明日もまた作業に没頭しようかと思う。


努力が報われるという言葉を最後まで貫けるよう、倒れるまで頑張るつもりだ。

笑われて、笑われて

 5月から心機一転開始した日々の4コマが、今日で150話、2年間ちょっとに及ぶ過去の連載文を含めると794話と、800話も目前となった。 今度の4コマも無事に2巻目の入稿を済ませ、次回イベントで1,2巻も含めた初めての頒布となる。 日々苦しい執筆だった。 心に響くしんみりとした言...