番次郎の盤上万歳!!: ディクシットが教えてくれる、ボードゲームの持つ仮想空間としての楽しみ

2017年6月5日月曜日

ディクシットが教えてくれる、ボードゲームの持つ仮想空間としての楽しみ

ディクシットが好きなのです。
初めて買った大箱のボードゲームがディクシットだったし、初めてのボードゲームオープン会で遊んだゲーム、しかも自分の持ち込みで、あまつさえ慣れない口調でインストまで披露したという、そんな記念に記念を重ねたボードゲームがディクシット、なのです。記念の部分は女子っぽく「アニバーサリー」と読んでください。

ゲーム自体、私はそんなに強くもありません。

美的センスも、そんなに良くはありません。

このゲームの良さを語る際、皆さんは「イラストの美麗さ」に触れることではないかと思います。

確かに、イラストを担当されたマリーキャドアさんをはじめとするプロのイラストレーターを見ておりますと、ボードゲームの枠を超えた、何か一枚のカードを繰り出す中で、あたかも博物館に鎮座しているような、あの日のネロ少年がカーテンを剥ぎ取ってでも見たかったというルーベンスの絵画を、お金を払わずに選別できているような、実に贅沢な、今風の言葉で「セレブリティ」な錯覚に陥る、そんなゲームであることは言うに及びません。

私の好きなボードゲーム系ポッドキャスト「ひよっこボードゲーム」の第一回放送分でも「ディクシット」の話題に触れておりました。
やはり「親プレイヤーを語り部と称する」などの雰囲気の重要性に触れ、かつ、インストの容易さについても触れていたことを覚えています。

こんな話があります。

私の好きなデジタルゲームの一つに「カルドセプト」があります。
ゲームの面白さ、バランス、音楽、コンピューターのほどよい難易度等もさることながら、やはりカードに秘められたイラストの美麗さと解説の詳しさに触れないわけにはいきません。

当時ファイナルファンタジーやドラクエ7、セガサターンではグランディアといった有名RPGが隆盛を誇っていた時代だったと記憶しております。
そんな中、突如として現れた異色のゲーム故、当初は手に取られる方も少なかった記憶もあります。
カードゲームをモチーフにしたゲームは当時も色々あったのです。
サクラ大戦でおなじみレッドカンパニーのアルカナストライクスですとか、ゲームボーイのカードヒーローもまだ現役だったはずです。
そんな折、突如として現れた極めて硬派なゲームがこのカルドセプトでした。マジックザギャザリングどころか、未だカードダスで遊ばれていた時代の話です。
そこでもカードのイラストレーターには加藤尚之先生をはじめとするイラストレーターの豪華顔ぶれが揃い踏みしておりました。
いえ、正確には、当時は名前こそ知らなかったものの、ゲームのイラストに此処までこだわったゲームが存在したのか、といった衝撃が当時の私の全身に走ったのです。
だって、CGもポリゴンも真新しい時代に、油絵のイラストを使用するゲームですよ?しかも可愛らしいドットもあり。

カルドセプトを語り始めますと夜明けまで語ってしまう危険性がありますので一旦留めておくと致しまして、要は「雰囲気」って実に大切な要素だな、と思うわけなのです。

ゲームをインストする際、私はなるべく簡単なストーリーを加えるようにしています。
例えば猫とネズミの大レースにしても
「ネズミたちは夢のチーズ王国に向けて出発しようとしていますが、それを聞きつけたイジワル猫さんがネズミさんたちを食べようと追っかけてきます。
皆さんはイジワル猫さんに追いつかれないように、ネズミさんたちをチーズの王国に進めてあげてくださいね」
といった具合です。すると、ゲームをプレイされる方が全員その世界の「住人」となることができるのです。

放課後さいころ倶楽部の中で、とあるキャラクターが、勝負を意識して、後方にいるネズミを見捨てる行動をとりますが、確かに、このゲームで勝ちを意識しますと、そういった行動に出てしまうきらいがあります。
致し方ありません。
でも、これが「ゲームの住人となって行動した場合」はどうでしょう。可愛い我が子を見捨てること、本当にできますか?

ボードゲームのボードを広げた瞬間、私の頭の中では仮想空間が広がります。
村の人生ではあたかもそこが自分の村の住人であるかのような、Q-JETですと近未来のレースゲームに本格的に参加しているかのような。
ディクシットを紐解きますと、おとぎ話の住人となり、語り部の紡ぐ世界へと導かれる、と、説明書には省略されておりましたが、どうやらそういった世界があるようですね。


故、飯野賢治氏はリアルサウンドの第2作目の遺作「霧のオルゴール」の宣伝文句の中において
「どんな美しい風景より、どんな綺麗なお姫さまより、その人の頭の中に流れる川が一番美しいものだと思っています」と語っています。
ディクシットは手札に加え、全員が一つのお題目に対し様々な種類のイラストカードを出すゲームが故、私の脳内の物語は幾十にも展開がなされています。
もちろん親である語り部が提示している回答はあるのですが、それとは別の、いわば「パラレルワールド」が私の中には確かに存在し、もしくは四次元世界のような、別の方が提示した「あ、そういう「水」もあるんだぁ」といった全く違う道を示される面白さ、加えて「寄り道もそれはそれで楽し」といったある種の哲学に浸る楽しさをも内在しているという、ディクシットの良さはそれら何重にも重ねられたパラレルワールドの中で、あたかも自分が紡ぐ「物語の心地よさ」に酔いしれる、そんな小悪魔のような魅力を秘めているのではないかと思うのです。

勝者が決まり、何処からか聞こえるゲームを終えた際の「あー終わったー!」という安堵の声と同時に、私は現実世界へと引き戻されるわけなのですが、その独特の心地よい疲労感は何事にも代えがたいものがあります。
ディクシット、ひいてはボードゲームそのものの魅力とはどうやらその辺りに隠されているのかな、と私は勘ぐったりしております。

パッケージにあります「一枚の絵は千の言葉に値する」その看板に偽りはなかった、と。
今度の拡張「レベレイション」(新世界)も後で購入することに致しましょうか。


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