番次郎の盤上万歳!!: ボードゲームクイズを400問ほど作成して気づいたこと

2017年7月9日日曜日

ボードゲームクイズを400問ほど作成して気づいたこと

手前味噌ながら、このほど、当方でせっせと作成していたボードゲームクイズBOTの登録問題数が400問を突破した。


元々、ゴールデンウィーク頃に100問ほど作成したクイズの使い道がなく、BOTでもどうかと某フォロワーさんから勧められたことがきっかけで始め、最初のストックが50問、その場で50問を足して合計100問を実験的に運用、暇を見つけては問題のストックを更新していくことにした。それ以来2ヶ月余りで、実に400問を作成するに至るのだ。
手持ちのメモなど、問題の予備などを含めると、もう50問ほどストックがあると言えるかもしれない。

勿論、全てが順調だったわけではない。
BOT相手だから好き放題言えたのだろうか。
問題ミスをとことん責められたこともある。
問題の悪口など日常茶飯事だったこともある。
つい先日も出題ミスを修正したばかりであり、己の力不足、勉強不足を実感するとともに、問題作家と呼ばれる方々の苦労が伺い知れる。

とは言いつつも、400問ほど作成し、自分なりに分かってきたことがある。

それは単純に「ボードゲームの奥深さ」や「多面的な物の見方」といった表面的なものに留まらない。いくつか書き出してみたいと思う。

まず、ゲームの細かな部分に目が行くようになった。
普段ならまず見逃してしまうような部分も、なんとなく頭に入れておくことで「そういえばこのキャラクター、あのゲームにも登場していたような・・・」と振り返り、問題作成の材料にすることができるようになった。
それはゲーム内の細やかな演出面、さりげない小ネタ、こだわり、気遣いの面などにも派生する。
これらを発見するたびに「この作成者は本当にゲームを愛されているんだなぁ」と実感するのだ。
同じく、わからない言葉、意味のあやふやな言葉を即座に調べる癖がつくようになり、今ではスマホに飽き足らず、簡便なドイツ語の辞書が挿入された電子辞書を携帯するようになった。


また、ボードゲームを買うきっかけができたことも自分にとっては大きい。
これまで、何かと話題のボドゲ、最新のボドゲばかりを追ってばかりいたが、カルカソンヌやローゼンケーニッヒなど、それらの時代を象徴する古典的な名作がなぜ時代を超えて遊ばれているのか、に目を向けていなかったことに気がつき、不朽の名作と呼ばれる作品も積極的に購入、プレイするようになった。
えてしてこれらの作品は中古価格が安価な場合もあり(その逆でプレミア価格がついている場合も往々にしてあり)入手の楽しみ、ショップをのんびり回る楽しみが増えたこと、ボードゲームそのものに対する関心が一層高まったことを改めて自覚する。

古典的作品群をプレイすることで、それらがなぜ現代まで人気であり続けてきたのか、の意味も自ずと理解でき、また、昨今の話題作もなんらかの形で影響を受けていることがわかるようになるとボードゲームの世界が一層奥深くなり、今では「ああ、あの作品の流れを組むゲームね」と頭の中でそれらの源流が何であるのかを大方想像できるようになった。

そして、おそらくこれが一番大きなことではないだろうか、悩める者の気持ちが理解できるようになった。

問題を解くことは簡単だ。10秒もあれば誰だってできる。上記の通り、少し辻褄が合わなければ文句だって好きに言える。
しかし、問題を作成する側に立ってみたらどうだろう。
取材をし、情報を仕入れ、それだけではなく、問題文を工夫し、趣向を凝らし、少しでも面白おかしく、解く側にとっても楽しい問題作成を心がけなければ、すぐに離れていってしまう。

常々思う。問題なんて、難しくしようと思えば簡単にできる。自分だけが知り得た知識をそのままポイと問題文に放り込めば、問題なんてすぐに作成できるのだ。
でも、そんな問題、作成者の自慢話を聞いているようで実にうんざりするものだ。
「ドイツ年間ゲーム大賞を受賞した作品を第1回から順に全て答えなさい」
なんて問題、本当に解いてみたいと思うだろうか?
そこから少し掘り下げ、
「ドイツの主なゲーム賞であるドイツ年間ゲーム大賞、ドイツゲーム賞、アラカルトカードゲーム賞を全て獲得、ドイツボードゲーム界史上初の3冠を達成し一躍話題となった、デッキ構築型ゲームといえば何でしょう?」
と手を加えることにより、少しは融和できるのではないだろうか。
(答:ドミニオン)

そして、ふと、考えた。
悩み多き人、悩み苦しむ人とは、いわばこれら問題作成者の立場にあるのではないか。
普段回答者側として、受け身として生活している分にはさほど気にならない点も、問題を作成する観点となると話が変わり、考え、悩み、苦しむ。そして、回答者側から指摘を受ける。
問題を作成すれば、いかに問題を作成することが難しいかを実感できるだろう。
それほど悩み苦しむ人間は考えている、困難に立ち向かっていると言えるのではないだろうか。
上手く表現できないけれど、フランクルの夜と霧や洪自誠の菜根譚にも提示されている「困難が己を鍛え上げ、強くする」といった言葉を改めて実感するのだ。


少し話を戻す。
私はボードゲームが好きで、しかも、クイズが好きだった。
たまたまそれらを組み合わせて、趣味としているに過ぎない。
周囲を見渡しても(検索をかけても)同じ趣味を持たんとする方が見当たらない(探し方が足りないだけなのかもしれないが)

独り勝ちとも言えるだろうし、一方で、誰も相手をする人がいない、とも言える。


リデル=ハートの提唱する経営戦略に「最小抵抗線を利用せよ」という記述がある。
これは軍事的側面に当てはめるとわかりやすく、相手が頑強に守っている陣地ではなく、警戒陣地の薄い抵抗線(陣地線)に狙いを定めると、敵(ライバル)が手薄であるどころか、自陣の消耗を極限に抑えることもできるというのだ。

経営の話がしたいのではなく、これを一読されている方へ、是非、オンリーワンを目指して欲しいと願うのだ。
ボードゲームに限らず、専門的分野に焦点を絞り我が道を志すには、今からだと難しいかもしれない。それはすでに先駆者が存在するからであり、あまつさえ自分をはるかに超えた知恵者など社会を見渡せばそれこそ数限りなく存在するからだ。

しかし、貴方には他の方にはできない秘められた能力が眠っている。
それを発掘すればいい。

例えば、パズルが好きでパズル作家として頑張りたい、というだけならば私もさすがに考えてしまう。
プラスアルファの何かはないだろうか。
マラソンができるなら「マラソンができるパズル作家」文武両道、信頼できそう。
料理が得意なら「料理もできるパズル作家」新しいレシピができそう。
子どもがいるなら「子育て奮闘中のパズル作家」優しい目線のパズルも期待できそう。
何か一つ要素を加えるだけで、可能性は無限に生まれるのだ。

ともすれば、その中には自分も見えていない金鉱脈が眠っているかもしれない。
それらを切り口として新たな世界の展望が見えてくるかもしれない。
わからなければ、周囲の人間に尋ねたらいい。
友人でも、親でも、先生でも、上司でも、奥さんでも、子供でも、何なら、ツイッターのフォロワーでもいいはずだ。君の持つ大勢のフォロワーは、君の少しのわがままために使っても許されるはずだ。

夢や希望を語るにはもう遅い、なんて斜に構えず、
できることを見つけてみてはどうだろうか。
それは貴方の中に、必ず眠っている。
そしてそれらは大抵、失敗や苦しさの中にこそ、今まで自分が無駄だと感じていたものの中にこそ、案外眠っているものだと思うのだ。

この文章を一読されている全ての方に、幸多からんことを。

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