番次郎の盤上万歳!!: 真剣にやんちゃできる場がある幸せ(私のゲムマ参戦記その1)

2017年9月24日日曜日

真剣にやんちゃできる場がある幸せ(私のゲムマ参戦記その1)

(9月25日 加筆・修正致しました)


このブログをご覧になられている方はすでにご承知おきのこととは存じますが、当方、稚拙ながらゲームマーケット秋にて「番次郎」ブースの出典を行います。宜しくお願いいたします。

サークルカットを作り、



宣伝のためのブログを書き




もちろん作品に余念無く、日々、修正、校正、問題入れ替えに奔走される毎日だ。

楽しいことだから辛くはない、といったセリフは、正直、ウソになる。

睡眠は削られ、遊びたいはずのボードゲームは放置したまま、疲れて帰宅しても、まずはツイッターをチェックし、ブログを更新する作業。

つまり、毎日が「ボードゲーム制作」中心の生活へと切り替わったのだ。

あたかも「この世に誕生した我が子を育てている」ような感覚だ。

育児の経験こそないのだが、手塩にかけた作品が誰よりも「かわいい」と感じる、この親バカに通じる気持ちを、一丁前に味わっている。
だから、つらいという気持ちを超えた「面白い!楽しい!」が、今は先行している。

制作を通じて知り得たこと、それはさわりを知った現段階だけでも本当に数あまたあるけれど、一つを挙げるならば「制作に携わる方全員が全力でぶつかっている」ことだ。

9月に入り、ゲームマーケットの2次募集も一段落し、ツイッター上では製作者同士の情報交換が行われている。私も含めた初出展者同士、何を準備するか、どこに依頼するか、ゲームシステムは、いつまでに、何を?といった大小様々なテーマがTLでは活況を見せている。
それに対し、見捨てるでも、突き放すでもなく、暖かく迎え入れてくれる諸先輩の方々、本当にありがたく思う。育成の基盤が整っていることを、常々実感する。

先ほど子育てを例に挙げたが、子供だって、のびのびと育つ環境があるからこそ、自らの失敗を体得でき、親としての立場も、そこから学び、相互に成長することができる。
まさに「子を持って知る親のありがたさ」というが、逆も然り。「子を持って知る子のありがたみ」とも言えるだろう。
(最も、この文言はルソーのエミールからの出典であるが)

ここで仮に「もういい!俺は抜けた!」と発言する方がいらっしゃったならば?

全体の雰囲気が緩み、ここまでの緊張感、意気込み、ムード、etc、etc…それら独特の「見えない糸」が瞬時にしてぷっつりと切れてしまう。

「やろうよ!」「頑張ろうよ!」
周りの盛り立てがあってこそ、つながりがあるからこそ、これら少し無理、無茶な生活を強いられながら、それでも制作に没頭できる基盤が整っていると実感できる。


硬い内容となったので話を戻す。
私がボードゲームの好きな理由の一つに「全力で立ち向かうことのできる点」が挙げられる。

ボードを広げるその世界は、老若男女、分け隔てなく、多少の実力差があるとはいえ、ほぼ実力の拮抗する空間が広がる。
だから、というわけではないが、私は運の要素が絡む作品も「それも天命だから」と預けられるという理由で好んで遊ぶし、運で左右されるが故、勝敗に対し、全力で向かい、盛大に負けることも多々ある。

それは、そこに全力で向かうフィールドが整っているからだ。

スポーツの世界でも、いや、趣味の世界なら何にでも、全力で動き回ることのできる環境が整っている、それはなんと幸せなことではないだろうか。
仮想通貨としてのお金と、ルールと称したわずかばかりの社会秩序さえ守っていれば、基本、何をしても許される世界だ。
勝ち負けが存在し、そこに向かうよう道が示され、そこにいる全員が、全力でそこに立ち向かう。
否定する人間も、嘲笑する人間も、そこにはいない。

いつの頃からか、この「全力になる」ことに何らか躊躇を覚え、時折テレビに映る高校野球や人生の流儀などの映像を目にするたび、情熱を傾けることに対する憧れの情念が浮かんでは、それに対する熱量の差異と、多忙な業務に追われる日常を振り返り、時間と疲労でそれらがやむなく自分の中で却下される、
日常の中で、ふと、立ち止まった時に気づく一抹の悲しさに、どことなく「やり切れない思い」を抱き、かぶりを振って「そうではない」と己に言い聞かせ、また、目の前の日常に戻る…

私を含め、そんな大人は、意外と多いのではないだろうか。

ボードゲームに大人がハマる理由とは、その「子供ながらにやんちゃできる幸せ」を好きな時に好きなだけ体験できることにあるのではないだろうか。

話題をもう一つだけ。

子供と類似性があるならば、当然子供だって成長する。多かれ少なかれ、親から離れたくなる時期もある。成長期、と呼ばれるものだ。
ボードゲームと正面切って遊んでいたら、中には「自分でも作成したい」という気持ちが芽生えてくる人も、何人かはいることだろう。

製作者の中には、何ヶ月も前から、それこそ、早い人で、前回のゲームマーケットが終わった頃から、次回の制作に取り掛かる方もいらっしゃると聞く。

正直な話、ボードゲームで遊んでいるうちは、その制作における細部の苦労など中身まで知ることはできなかった。
作る楽しみ、そこに何を見出すのか、まで、遊んでいる立場では見えてこなかったからだ。
面白みを求める、何に?
純粋に利潤の話?自己の評価?もっと深く掘り下げて、セルフ・ディスクレパンシー理論や、承認欲求といった心理学や哲学の話?


ぼんやりとそんなことを考えていると、NORTHGAMEブースのノスゲムさんがこんな言葉をツイートされた。

「出展するあの高揚感!会場の一体感!出展者同士のお仲間感!中毒性あるのですよー」

まだ実感こそ湧かないが、出展者サイドの気持ちは、この言葉に集約するのではないだろうか。

まだ私は制作途上。
楽しみは今後も増え続けるのだろうか。
それは今後、私の中の「真剣に、全力で向き合う」「本気でやんちゃをする」ことで生み出されるものだと信じ、これからあと2ヶ月ちょっと、さらなる制作の向上に努めと思う。


あたかも杜氏の世界を覗いているようだ。磨けば磨くほど洗練され、上質の日本酒が出来上がるのだから。


0 件のコメント:

コメントを投稿