番次郎の盤上万歳!!: なんとなく、なんとなく(井上順♪)

2017年9月9日土曜日

なんとなく、なんとなく(井上順♪)

トリックテイキングについて、以前、トランプ屋のキャンペーン応募も兼ねて、勉強したことがある。

(参考:MFTTは現代のアテナ神だ(番次郎の盤上万歳!!より)
https://hibikre.blogspot.jp/2017/07/blog-post_93.html


かなり食わず嫌いしていた箇所、偏見を持っていた箇所もあり、改めて勉強の必要性があることを確認した。

そんなある日

いつものゲームショップからのメールに目を通していたところ、だいぶ前、いや、ボードゲーム初期の段階から遊んでいた「12Days of Chrystmas」というゲームの発売を知った。
詳細を見ると、このゲーム、「トリックテイキング」と記載があるではないか。

あの頃、ごきぶりポーカーすら初見だった頃、右も左も分からないまま、面白半分にゲームに触っていた頃の話だ。
インストをされた方は、そんな私に「トリテ」といった関連の用語を一切使用しなかったはずだ。
そして、私は何戦か勝利を収めることができたはずだ。

トリテ、できたじゃん。
そして、楽しかったじゃん。

最近のケースだと「派遣戦隊マモルンジャー」がまさにそうだった。
プレイ中、脳内には「手札を繰り出す感覚と戦隊ヒーロー特有のテーマソング」が絶妙に絡み合い、あたかもそれがテレビ番組のワンシーンを彷彿とさせるような錯覚に陥った。
少なくとも「トリテで遊んでいる」といった感覚にはならなかったはずだ。

製作者の意図していることではないだろうか。実際にゲームマーケットの紹介欄を覗いても「トリックテイク」という言葉が登場しないことに驚く。

http://gamemarket.jp/game/派遣戦隊マモルンジャー/

他の分野で考えてみたい。

時折ボードゲームの界隈で議論の的となる「カタンは重ゲーか否か」の問題だ。

時間に焦点を置けば重ゲーになるだろうし、ルールに比重をおけばそこまで重い印象を受けないだろうか。

私自身の意見を述べるならば、「それを「重い」とは思わなかった」であり、いわば個人の尺度に起因する問題ではないか。

先ほど「ボ育て。」vol.2を拝見した。
色々なボードゲームを親子でプレイされる姿に、微笑ましくもたくましく写り、私の目には子供達の成長する姿が目に映るようで時折涙が溢れた。
子供達はきっと「それが普通」だと、「ボードゲームが電子媒体と異なる、独特の世界観が構築されており、空気があり、人があり、会話があり、社会がある」それをあくまで体で感じつつプレイされているに違いない。
きっとそれは(今はわからないだろうけれど)大きく枝葉の成長した頃、自ずと知覚できることではないだろうか。
最も、私がここで敢えて述べるでもなく、今回の書籍に携わった方々全員がそれらを自覚されていることだと認識している。


「自覚しないまま」

こう表現することを嫌う方は一定数存在する。
なんでも手元に置いておく安心感、手元にないと不安になる感覚、引越しの荷物を洗いざらい処分した瞬間、あれこれと焦燥感にかられる、あの感覚だ。

マイナスではなく、良い方向に向けて考える。

ドラえもんの回の中で、ドラミちゃんの出す道具に、のび太の宿題を面白いクイズやパズルに変換するライトがあった。
のび太は宿題の自覚がないまま、スイスイと問題を解いていった。

必要なことは、これなのではないか。

一時期(少しブームは去ったか)ツイッター上では「素人の質問に対し、育てたい人、同志を増やしたい人、突き落として様子を見る人」に区分するネタツイートが流行した。
それらをぼんやり眺めながら、これら初めての方に対し本当に必要な情報とは何か、を考えたならば、「本場の味はこれだ」と、頑なにボードゲームの本質をガンガンと押し出すでも、「同志を増やそうと躍起になり自分の趣味を全面に押し出そうとする」でも、「獅子の子落としが如く、わざと突き落としてやる気を確かめる」でも、そのいずれでもないだろう、と考えた。

本当に必要とするならば、むしろ「生活スタイルに根ざした中でのそれとない形」であり、それは普段のスタイルを極力大きく変化させるものではない形にするべきではないだろうか。

変化させることは常に大きなエネルギーを孕んでいる。
歳を重ねるごとに、それらに対する抵抗が生じ、なかなか踏み切れない事実がある。

ならば「いつの間にか侵食していた」「気づかないうちにそうしていた」から始めるスタイルが普及としては最も妥当な手段であり、各種媒体を通じ「これがいいです」とギャンギャン騒ぐよりもよっぽど効果があるとみて良いのではないか。
記憶が定かではないが、三国志の世界でも、似たような手段の戦略があっただろうか。

今回、少々まとまりのない話題となってしまった。
無理やりまとめると、「大変」という言葉は「大きく変わる」と表記する。
北風と太陽の寓話だって、北風の直接攻撃よりも、太陽の間接攻撃に軍配が上がった話は有名だ。
直接ではなく間接的に、それとなく訴える手法に、我々はもっと目を向けるべきではないだろうか。
そこに、何かしらの活路を見出せる気がしてならない。



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