番次郎の盤上万歳!!: 見て、聞いて、会話して、わかるアナログゲームの本質とは

2017年10月14日土曜日

見て、聞いて、会話して、わかるアナログゲームの本質とは

かなり昔、今調べたところ、2004年の出来事だから13年も前のこと。
文化庁メディア芸術祭の授賞式を見学する機会があった。
一般参加者として各部門賞のインタビューを拝聴できると聞き、喜び勇んで席に飛びついたのだ。
その時の受賞作の1つに、任天堂の「まわるメイドインワリオ」が登場した。

インタビュー冒頭に、当時流れたCMが放映される。



今となってはすっかりおなじみとなったこのスタイルも、先駆的存在はこのメイドインワリオシリーズとなる、といった話で展開される。
「ゲームだけではなく、遊んでいる姿も楽しい、それを知ってもらいたかった」

この「まわる〜」は、これまでの携帯ゲーム機としては珍しく、本体を傾けると、それに連動して内部の画面やキャラクターも動くといったシステムを採用している。
実際に動画を見てもらえば一目瞭然だが、その所作が実に滑稽でならない。

最近「ようがくじ不二の会」様から購入した「けん玉カード」の影響を受け、自分の中にけん玉熱が再燃している。
大皿、小皿、中皿、剣、の順番に玉を運ぶ、いわゆる「世界一周」すら今の腕っぷしではままならないが、それでも一度剣に刺さった時はえも言われぬ快感を覚えるため、暇を見つけてはコツコツと続けている。

動画を漁ると、けん玉の名手と呼ばれる方をはじめとし、けん玉に最近ハマったというノンスタイルの石田明さんらのけん玉動画などが多数アップロードされている。
いずれも「初心者です」とは私目線では言い難いほど卓抜した腕前を披露している。


ボードゲームで「楽しい」と思う瞬間、それはあくまで私見となるが、脳が感じた「面白い」を、視覚というフィルターを通じ、単に確認しているに過ぎないのではないか、と思うことがある。

ちょうど、痛みを感じた時、傷口の悲惨さを実際に視認したのち、改めて脳が「これは痛いんだぞ!」とワンクッション置いてから信号を送り出すような。
「あの人が楽しんでいる、笑っている。あ、このゲームは面白いゲームなんだ」
「なにやらあの人はうつむいたままだな。きっとこのゲームは大手を振って「つまらない」と言っても構わないだろう」
1つの作品が、仲間次第で、面白くもつまらなくも、どちらにも舵を切ることのできる、その最たる理由はここにあるのではないだろうか。

ノンバーバルコミュニケーションという言葉はようやく一般化した。
言葉だけでは伝えたい気持ちの7%しか伝えられない、という。
顔の表情だけで55%、声質などで38%、この2つで93%の割合を占めることとなる。


少し話はそれるが、今年の夏の名古屋ファミリーゲームフェスティバルでの出来事。
連珠の体験ブースにて、少し遊んでみたいと思い、その講師を待っていたところ、現れたのは、なんと今話題の「にゃんこならべ」でお馴染み「福井暢宏六段」だった。
恐れ老いとは思いながらも、せっかくの機会と思い、お手合わせ願ったのだ。
1つ1つの手に淀みないことは私が申すまでもなく、特に印象に残った出来事として、その「音」だ。
一手一手を「ピシリ」と、実に心地よい音を立てて打たれるのだ。
調べてみると、将棋や囲碁盤などの足の造形はクチナシを表しており、「クチナシ=他人の対極に口無し」をかけており、黙して打て、の隠喩が込められているとのこと。
一方で、将棋の駒に限って言うと、高級素材のカヤの木などは、ピシッと高い音がなるよう細やかな工夫が駒に施されているという。
中国伝承の琉球将棋「象棋(チュンジー)」も、対局中はかなり大きな音を響かせることが特徴とされる。
ごいたのアプリなどにも、カードを強く場に放出するエフェクトがかけられているなどを見ても、やはり何らかの形で、相手の聴覚に訴える手法は、古来から伝承されてきたものだろう。
そしてそれは、我が国らしい「直接相手に伝えることなく、間接的なメッセージとして」訴えかける手法」としての美を追求する形で、今もなお受け継がれているものと実感している。

先日の「ワンナイトマンション体験会」でも、私は大人気なく人一倍騒いでしまい、挙句、同時収録の音声マイクが私の声を拾うという軽いハプニングにも見舞われた。
誰よりも楽しく、はしゃぎ、それを周りに、美しさとは違う形で訴える、
それは今、何かと「見た目の華やかさ」や「メディア等の露出」といった見た目の情報量、直接的資格に訴える手段ばかりが「すばらしい、良い作品」ともてはやされる傾向に軽く疑問符を投じる意味合いもある。
見目麗しいゲーム制作ばかりにとらわれ、その先にある「ゲームは人」の基本原理を、おざなりにしてはいないか、ちょうど私はそれに立ち返る時期にあるのではないか、と考えたのだ。

「ボードゲームの何に魅力を感じる?」
それは私にとって、ボードやダイスを介した「人」と対峙し、「人」を囲み、「人」をあじわっている、その時間にあるのではないだろうか。
それはまるで、家族団らんの時間に、美味しい食卓を囲む雰囲気に似ている。
美味しい食事を囲めば、会話が生まれ、笑顔が生まれる。それこそ、料理の味なんて二の次でもいい。
私にとって、どんなに高級感あふれるゲームであっても、どんなに美麗な作品であっても、一緒に楽しくプレイできる、そんな人が一人いるだけで、いちどきに卓が華やかになる、暖かな空間が育まれる、それが作品にとって何よりのスパイスではないだろうか。

僕はそんな人物でありたいと願うのだ。

視覚にとらわれず、耳で、言葉を発して、五感をフルに使って、体感することの楽しみ、面白み、
それこそがまさに伝統としてのアナログゲームの良さであり、それらを用いた「人」を介してのコミュニケーションがあるからこそ、アナログゲームはデジタルゲームと一線を画すことのできる領域にあるのではないだろうか。

気の合う仲間とテーブルを共にするたび、いつも私の脳裏に浮かぶ。
「人を作るのは、やっぱり、人なんだなぁ」




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