番次郎の盤上万歳!!: 子どもたちの意識と空間の話〜私の信州ボードゲームフリマスタッフ体験記〜

2017年10月30日月曜日

子どもたちの意識と空間の話〜私の信州ボードゲームフリマスタッフ体験記〜

信州ボードゲームフリーマーケット

10月29日に行われるこのイベント、1ヶ月前から注目していたのは私だけではなかったはずだ。
ゲームマーケット前に少しでも買い控えしておきたいこの時期に、フリーマーケットで格安でボードゲームが手に入る、というだけでもありがたいというのに、有名ポッドキャスト「ほらボド!」のmomi氏や「今夜もアナログゲームナイト」の太陽皇子らスタッフも参戦されるというではないか。
その上、出展ブースも数多く、中にはゲームマーケット出展を見送られたために、今回のイベントを逃してしまうと、しばらく当該ブースの作品が入手困難となるのではないか、と危惧する作品もちらほら。
何より、能登ごいた保存会松本支部といえば、言わずと知れた、この度のごいた大会優勝の成績を誇る団体。ごいたに関しては看板を掲げる場所である。

言うなれば、トップアスリート勢揃いの世界陸上、といったところだろうか。

指折り数えつつ、軍資金なり当日の服装なり、準備を整えていると、ふとこんなツイートが目に飛び込んできた。

「当日のスタッフを募集しています」

せっかくのイベント、どうせ参加するならば、スタッフとして参加した方が、俄然面白いに決まっている。
私はツイートの内容もロクに確認することなく「スタッフ参加って、まだ間に合うのかな」といったツイートを流した。

実はこの募集、とうの昔、9月頭に募集自体が締め切られており、ツイッターの機能で昔のツイートが掘り起こされただけだったようだ。
たまたまツイートで流れたことをきっかけに、あれよあれよと事が運び、私はつい1週間前くらいから、お客の立場から一転、スタッフとして動くこととなった。

当日朝、なんとか台風の影響を受けつつも、天気は小康状態、

大きなスーツケースでは足りずに衣装ケースに買い物袋まで下げ、朝5時、一路長野県塩尻市へと向かった。

朝9時塩尻えんぱーく開場。
えんぱーくとは図書館と併設された会議施設。早朝から自習に訪れる学生で溢れる場所。おのずと言葉は抑え気味となる。

雨脚はこのころから強くなり、来場者数を少し気にかけていたが、それは杞憂に終わった。
フリーマーケットが大きく掲げられている本イベントではあるが、連珠、ポーカー、ごいた、モノポリーといったアナログゲーム全般の体験卓を広げている点が特徴だ。
館内は基本的に飲食も自由であり、美味しいコーヒーを提供するブースも並んでいた。


私の担当した親子ゲームブースは終始客足の途絶えることのない盛況ぶりを見せ、会場前「機を見てご挨拶に伺います」と回った私の言葉は見事に空振りに終わってしまった。
思えば、このところボードゲームクイズの小冊子に明け暮れており、ボードゲーム会はおろか、ボードゲームの説明自体久しぶりの体験だった。
慣れていないと、これほどまでエネルギーを消耗する行為だったとは。

終盤から言葉もしどろもどろとなり、子どもたちのパワーに押され気味となってしまったことは、大いに反省するべきだろう。

その中で、いくつか自分の中で分析できたことがあるので、備忘録としてとどめておきたい。

1 ボードゲームの普及について

持ち込んだゲームに関し、特に有名なものに関しては「これ知ってるー」「持ってるー」という声が上がった。
アナログゲームのイベントゆえ、親御さんもそれらに寛容なことであるといった認識はあったが、まさか宝石の煌めきを指差して「僕これ強いんだよ!お姉ちゃんに教わった」と自慢する小学1年生がいらっしゃったことは、正直驚いた。

特に「ブロックス」「ナンジャモンジャ」「ヒューゴ」などの、比較的安価かつ一般量販店でも入手可能な作品に関しては、幼稚園や保育園等でも遊具の一環として活用されているようで、それらで遊んでいる、説明もできる、というお子さんの声も多かった印象がある。

だから、かもしれないが、真新しいボードゲームに食いつきが良く、事前に主催者から「入手可能な作品をなるべく勧めるように。せっかく遊んだからには、入手できるようにしたいから」という意見を元に、なるべく一般量販店でも入手可能な作品、とりわけ、ゲームマーケット等でも入手が困難な作品は避けるよう心がけたのだが、子どもたちの興味を引いた作品は見た目の可愛い、見たこともない作品へ向けられていた印象がある。
具体的には「ひつじ算(鍋野企画)」や「みかんdeキャッと!(堀場工房)」のウケが良かった。

2 関連グッズも侮ってはいけない
 
加えて、今回ポーカーチップやプレイマットも、今回きちんとしたものを用意した。その辺りに興味を示す子も多く、ポーカーチップ(ハナヤマのプライムポーカーチップ)をしげしげと眺める子ども、ひらすらプレイマットを撫で回す子どもなど、こだわるところを、やはりきちんと見ているのだと実感した。

3 子どもたちの意識の変化

子どもは正直だ。ゲームがつまらなくなると「別のにしてー」と即座に、かつ声高に訴える。
負けが込んでいる時、説明が長い時、展開が退屈になった時、等々。
「これよりDSの方が面白いよ」とわざわざ叫ぶ子どももいらっしゃった。
確かに、計算も駒を動かす動作も、片付けなどの一連の所作も全て自分が行わなければならないアナログゲームの世界において、なんでもボタンを押すことで一切の動作を済ますことができ、その上、年齢に応じた愛嬌のあるキャラクターが待ち構えるデジタルゲームの世界は、子どもに限らず、全ての年齢層にとって魅力的に聞こえるはずだ。

そういった道に対し、あえて「こっちも面白いよ」と声をかけることはしなかった。
魅力を広げることが目的の軸から外れてしまう点、大変申し訳ないが、それらに多大なエネルギーを浪費するより、アナログゲームに興味を持ち始めた子どもに、もっと色々な作品があることを知ってもらった方が有益で、展望が開けると考えたからだ。

冷たい言い方になるかもしれないが、デジタルが良いならデジタルの道に進めばいい。
もしもデジタルの道を頓挫し、少しでもアナログゲームの道に興味を持ち始めた、その時に初めて魅力を存分に語ってあげたいと思う。

「ほぼ日手帳、今日の一言(10月30日付)」に、こんな言葉があったので紹介したい。

「自分はこうだから、みんなもこうなってね」というんじゃなくて、
「自分はこうで、みんなは違うけれど、まぁ、それもあるんじゃない?」
というふうに思えるかどうかが、すごく大きい違うなのかなと思います。
いまの時代、それが足りない気がして

「吉本ばななさんが「本当の大人になるために。」の中で」


そうこうしているうちに、時計の針は4時を回り、閉館の時間を迎えることと相まった。
名残惜しそうに「ねことねずみ」のパッケージを眺める子どもたち。

走りきった。限界値を超えて、走りきったのだ。

ふぅと息を吐くと、脳内で放出されたであろうドーパミンが一度に抜け、私の身体を疲労が襲う。
近くのソファにへばりつき、ぐったりとする。開演から、トイレに一度立ったきり、何も口にしていないことに、今さら気がついた。
うつむいているわけにはいかない。最後の気力を振り絞り、撤収の作業へと向かう。

大勢の人でごった返したであろう会場は、気がつけば、元の図書館・会議室としての顔を取り戻しつつあった。
いそいそと荷造りを始めている福井六段のテーブルに駆け寄り、にゃんこならべだけは首尾よくゲットすることができた。それだけでも御の字と言えるだろう。

スタッフが集まっている。
主催者を始め、各物販、体験ブースの担当者、ポッドキャスト収録のために名古屋から駆けつけたアナログゲームナイトのスタッフ、少しでも貢献を、という気持ちで出店に臨んだというほらボド!のmomi氏、疲れているであろうに笑顔どころか周囲の冗談にもリアクション込みで受け答えするいず嬢、松本ごいた会の緑色のはっぴを身にまとった監査官氏は終始会場を上へ下へと駆け回っており、感謝の言葉すらかけるタイミングを失してしまった。

皆、汗が輝いていた。
きっと、客として参加していたならば、出会えなかったであろう光景だ。思わず、胸がジンとアツくなった。

終礼が始まる。
大きなダンボール数箱はあっただろうかという中古ボードゲームはほぼ完売、空になった衣装ケースだけがうずたかく積まれていた。
momiさん、ノスゲムさんのブースも閉会を待たずして完売という成果。ごいたやバックギャモン、ポーカーなどの体験卓も大勢の人で賑わっていたと話す。

皇子がマイクを差し出す。番組冒頭のタイトルコールを収録するようだ。
「今夜も」
「アナログゲームナイト!」
誰よりも一番大きく、あたかもそれは雄叫びのような大声をあげたのは、何より私ではなかっただろうか。

皆が会場を後にし二次会の会場へと向かう。
とばりを落とした会議室は、静寂がこだまし、打ち付ける雨の音がこちらにまで聞こえるかのようだ。
私は打ち上げの列に続きたい気持ちを抑え、雨の中、家路を急ぐべく、車を走らせた。


無償ボランティアの問題が、ツイッター界隈に限らず、昨今話題となっている。
人間、生きていく上で、やはり金銭的な報酬があれば、俄然やる気が出るものだ。
やりがいだけでは人は動かない、そうバッサリ言い切る人だっている。

報酬、その言葉を、どう捉えるか。
金銭がなければ、確かに腹は膨れない。ボードゲームだって、目に見える報酬があるからこそ、勝利点を通じた勝ち筋を見いだすことができるわけだし、カタンなどの交渉ごとだって、徳や人情があるというだけで世界大会を乗り越えられるほど世の中は甘くはない。

しかし、金銭を通じた「自己肯定感」があれば、生きていくことはできないだろうか。

他者貢献、しかしそれは「自己満足の塊」にすぎなくたって構わない。

「笑いの文化人講座」(ホットカプセル出版)の、とある投稿に
「いつもクラスの掃除を頑張っているTくんに、どうしてどこまで頑張るのか尋ねたら、
「俺がこの世を変えてみせるという大きな勘違いじゃ」と返ってきた」
というネタがあったことを、ふと思い出した。
それに、なんとなく似た心境だ。
この大いなる自己肯定感、「自分がここにいてもいい、むしろ、ここに自分がいるからこそ、この組織が成り立っている」という、それは大いなる勘違いだっていい、それら居場所の探求こそ、ボランティアの真の定義ではないだろうか。


全体の輪の中に「自分がいてもいい」そして他人がそれを許容してくれる世界
それをアルフレッド・アドラーは「他者貢献」という言葉で表現した。

そんなことをボンヤリ思い浮かべながら、私は家路に着くやいなやドッと疲労に襲われ、祝杯をあげる用意もそのままに、床についたのだった。

お声がけくださった監査官様をはじめ、信州ボードゲームフリーマーケット主催者様、スタッフの皆様、各出展ブースの方々、そしてお足元の悪い中、来場されました皆様に、心から感謝致します。











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