2017年12月24日日曜日

若者たちを歌う日々(ぼくのゲームマーケット奮戦記その2)

前回(その1)までのあらすじはこちら(リンク先)



ボードゲームにクイズ、である。

前回も少し触れたが、この取り合わせ、理解のある方に恵まれない。

何処に持参しても敬遠され、クイズそのものを疎まれる傾向にある。

せっかく購入した早押しボタンはすでに埃をかぶった状態だ。

クイズ制作には自信を持っていただけに、夏の時点で、諦めの念が濃厚だった。

払拭してくれたのは、今年7月の大阪旅行だった。

AEG夏の陣」と称される大阪堺市のAEG様にて(詳細はリンク先参照)、私は今回のクイズを少しだけ披露する機会に恵まれた。

結果、大変盛り上がると同時に、参加された総統様や主催者様もクイズをいたく気に入ってくださった。

クイズそのものに魅力は秘められている、その事実に間違いはなかったのだ。

この遠征をきっかけに、私はこれまでうつむき気味だった自信を上向きに軌道修正することができた。
堺で活躍されるAEG様(@aveeuro )には感謝の言葉しかない。

とはいえ、クイズ、しかもボードゲームに特化したものを書籍として頒布するには、超えるべき課題はいくつも存在する。
そのひとつに「ボードゲームの意識改革」がある

ボードゲームを選ぶ際、あなたが選別する基準は何だろうか。
「プレイ人数」、「年代・世代」、「プレイ時間」、人によっては「重さ、軽さ」「テーマ」「作者」だったりするだろうか。

常々疑問だった。
万人に愛されるべき作品を作るならば、万人に手に取ってもらえるよう、それら「選別の基準」を取り払う必要があるのではないか。
「大人向け」「子ども向け」ではなく「大人も子供も一緒に楽しめる」「プレイ人数も2人から何人でも対応可能」といった具合だ。
個々に対応した作品は数あれど、それら全てを具有した作品は、これまでなかった、実現できなかったのではないだろうか。

クイズなら、それができる。

クイズなら、
人数も、一人から何人でも、最大何万人でも対応できる。
出題次第で、子供から大人まで、初めての方からベテランの方までフラットな立ち位置で可能だ。
1問10秒で決着をつけることもできるし、何時間でも延々と続けることができる。
実力はあくまで知識に頼るところが大きいが、クイズは「時の運」も必要。まぐれ当たりでも正解できるあたり「運の要素」が絶妙にからみあう。
早押し機があればより楽しめるが、問題さえあれば、挙手や口頭でもできる。つまり「道具もいらない」
何より、誰よりも先にわかった瞬間、正解できた時の快感は、他のボードゲームに引けを取らない。

ぼくならできる。
クイズなら、それができる。

してみせる。


求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 (新約聖書: マタイ7章7節)

この時点で8月はすでに終わり。タイムリミットは11月中旬。
残された時間は、わずか2ヶ月と2週間。

やるしかない
乾いた言葉で自分を鼓舞する。
背中にはザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」が流れていた。

(つづく)

2017年12月19日火曜日

氷壁にピッケルを打ちながら(僕のゲームマーケット奮戦記 その1)

ゲームマーケットに関する、私の奮戦記です。
ただ、かなり長くなると判断致しましたので、少しずつ、更新したいと思います。
ごゆっくりお楽しみ下さい。



序章


元々、クイズを作ることが好きだった。
それ自体は自己完結で収めておけばいいだけの話。
ツイッターに「できました!ボードゲームのクイズです!」と取り上げても「難しい」「できない」の意見ばかり。
そもそもこの時「クイズとボードゲーム」の相性に、誰もが敬遠していたかもしれない。
2016年冬、私はそれでもクイズを作っていた。

ゲームマーケット春が終わり、手元に数多くの新作ゲームが並ぶ。


小冊子にしたいという思いはこのころから湧いたものだったと思う。
そう、漠然と、なんとなく。

背中を押してくださったのも、ゲームマーケットに長年携わった出展ブースの方だった。
「2次が空いてるよ。出てみたら?」
「クイズなんて、誰もまだ手をつけてないんだし、やってみたら」
クイズの本を頒布したい、それは私自身たっての思いだった。
しかし、今一歩踏み出せないそれら最大の要因は、先述の通り「誰も反応しないこと」に尽きる。
配っても配っても、誰も手に取ってくれない。
ゲーム会で「クイズをしましょう!」と持ちかけても、誰も反応してくれない。
クイズに対するなんらかの壁、認識の乖離、
出版するにあたり、私が挑まなければならない相手は、そんな大きな障壁だと、当時は気づくよしもなかった。

ともあれ、出展そのものは流水のごとく決まっていった。
「応援するよ」
「頑張って」
そんな励ましの言葉をもらいながら、いつしか私は、買う側の立場から一転し、売る側の立場へと変貌を遂げる。
本当にこの業界の方々は暖かだ。


8〜9月

何も考えていない、では余りにもお粗末だ。ことを起す以上、作戦を練るのは軍事としても、ビジネスとしても当たり前の算段であり、何かしらの戦略を組み立てなければ、それらは単なる「フリマの延長上」に過ぎない。
軍事史を紐解くと、主要指揮官の下には、副指揮官を筆頭に、広報担当、情報担当、作戦参謀、補給担当、の四役が控えているのだという。
まずは8〜9月までに行なった活動を、それら4項目を軸にあげていきたと思う。

広報活動

広報活動、何はともあれ、宣伝活動から足場を固めていかなければならない。根拠はないけれど、知ってもらわないことには始まらない、という漠然とした私のイメージだ。
取り掛かりは、目に見える広報活動、まずは「サークルカット」だろう。
このサークルカット、提出を求められる日時が9月半ば。実際にカタログが発行されるのはそれから2ヶ月後となる。
購入者層は当然カタログを読みながら「今回の目玉は何かな〜?」などと考えつつ思慮することだと思う。
しかし、ゲーム制作者にとって、9月の半ばにゲームの概案が出来上がっているケースは、よほどのことでない限りこんなんではないだろうか。
学校の勉強だって、2ヶ月前の履修要綱を前倒しにされると皆が慌ててしまうことだろう。
とはいえ、何も情報が記載されていないまま「新作あります」「お楽しみに!」だけが掲示されたサークルカットでは、広報としても何ら意味をなさない。
ゲームマーケット春を見ていても、やはり待機列で並びながら、蛍光ペンを片手に当日チェックする客層は多く散見された。
現時点で判明している情報を、出し惜しみすることなく、さらにもう一工夫欲しい。

デザインの本を読み漁る。
私のブースはI-006、TRPGなど、書籍のブースが並ぶ列だ。
傾向として、この物販のサークルカットは、かなり画力が高く、アニメ調のイラストが所狭しと並ぶ印象が強い。
書籍としてはクトゥルフ神話、または根強い人気のボードゲーム雑誌には、可愛くて胸の大きな女性が数多く登場する。
それらに対抗するためには
「空白を利用する」
そして
「メッセージを残す」
この二点に留意し、私はサークルカットを数パターン用意した。
「一答にかけろ」
「こたえにおいでよ」
「きみに、解けるかな?」
ボツになったメッセージを拾い集める。ニアピンはあるが、ホールインワンに届かない。
そんな中、クイズを作りながら、ふと、こんな考えが頭をよぎった。
「本を売りたいの?」
いや、違う。
私が売りたいのは、クイズを通じた「コミュニケーションツール」だ。
それは書籍の名を冠した、ある種の「ボードゲーム」と呼ばれる代物であってしかるべきだ。

私の中でそんな想いが、夏の日の入道雲のように、ムクムクと湧き上がる。

「読むボードゲーム、あります。」
サークルカットの文言は、そんな経緯で割とあっさり決まった。



情報活動

ネットのアンケートクイズは、得てして、高難度のクイズの正解率が高く、それらはクイズ製作者を錯覚させる。
わかる人しか選択肢を押さない、その事実に気がつくまでに、私はしばらく時間を要した。
つまり、全体の母数を知るための指標とはならないのだ。
宛になどならないし、してはいけない。
要するに、世間一般が「フリードマン・フリーゼのイメージカラーは緑色」だと知っているわけではないのだ。
ちなみに、この問題のTwitterアンケートでの正解率は実に80%を超えている。

怖い。
クイズ製作者は常に恐怖と戦っている。
問題に正解されると、あたかも人格を否定されているように思える。思えてしまう。
ゆえに、自ずと挑発的とも思えるような高難度の問題を作成するきらいが生じうるのだ。

問題作成に関しては、ある程度、メンタルの整った状態で作成できる環境があれば最高だ。
ひとまず、現段階では無理だろう。その理由は推して知るべし。



内容の充実

三番目の作戦参謀、これは内容の更なる充実に関する記述をあげていけば良いだろうか。

そもそも、この「ボードゲームクイズ」という存在は、別に真新しい、私が先駆的存在というわけでもない。
ネット界隈には数あまたのボードゲームというジャンルの問題が存在する。
関西老舗のゲームカフェ「デザートスプーン」では「ボドQ」と称するアンケート形式の問題を不定期に実施していた。(現在は停止中)
また茨城近隣を拠点に活動する「すぎ」氏は「コンポーネントクイズ」と称し、カードやコンポーネントの写真を示した上で「わかった」「わからない」といった形式のクイズを披露、今年のゲームマーケット春には書籍も出版されている。

そんな中、私は純粋に「クイズ」しかも「クイズの部分に特化した」作品を作り上げることに、何の需要があるのだろうか。

そんな折、「ボードゲーム王決定戦」の知らせが届く。
聞くと、この予選種目の中に「ボードゲームクイズ」があるというではないか。
願ってもない特需!
私はこの機会を逃すまいとし、零細時間をほぼ全てクイズの作成に取り付けた。朝も晩も、食事中も、寝る前も、片時もボードゲームのクイズ作成に明け暮れた。
「できました!クイズの予選にどうぞ!」
元々、BOTの為にと用意していた400問に、大幅な問題を再構築し、さらに、新たな問題を加えた620問を、ネットワーク上で一般公開した。

1ヶ月後、ダウンロード数を確認したところ、総数、実に1件。その1件も、私が外出先でプリントアウトに使用した際のカウントであった。
見たくはないけれど、これが現実だと痛感した。

では、なぜ私は今回、苦渋を舐めることとなったのか。
広報、情報、そしてこの後の補給活動の連携がなされていないからではないか。
どれだけ兵が強かろうと、幕僚が弱い組織はそのあたりから瓦解するのである。
問題作成、取り分け、手に取ってもらえるような、兵力の増強、魅力度を上げる施策、
こちらに関しては、一旦8月の段階では特出した何かを行なったわけではない。
むしろ、日々、クイズを更新し、毎日の実を太くすることに傾注したことだろう。
その代わり、1日もクイズを枯らすことなく、つらい時も悲しい時も、疲れている時も、必ずクイズには着手した。
やって見たら分かると思う。毎日行うことの大変さは、本当に毎日続けている人でなければわからない。
クイズは続けた。「DL1件」のメッセージを目に焼き付け、ただひたすら、続けた。
いわば「臥薪嘗胆」の心意気だ。いや、ここは「ごまめの歯ぎしり」が適切なのか。



補給活動

補給活動も忘れてはならない大事な行動だ。
給与を含む金銭的な面に加え、日程等スケジュール調整、感冒等体調管理、食事等栄養面の管理など、正常な状態を維持するためにはどうしても頭に入れておく必要がある。
これらを一人でこなさなければならない。
となると、やはりこのボードゲーム制作は、数人で役割を手分けして、できればきちんと役割を分担して行なった方が幾分軽減できる。

しかし、ここまで来てしまったのだ。退路を立たれた以上、後戻りはできないのだ。

とにかく一番大変だったことは、今後にも影響を及ぼすのだが「メンタルの維持・管理」であった。プライベートでも職業上でも、ネット上でもオフラインでも、何かにつけて人間と対峙しなければならない以上、この問題には正面切って向かい合う必要が生じる。
メンタル面でキツイ環境下では圧倒的不利だ。
体力的にどうにかなる、と自負できるならばそれで押し通せば良い。
これもやはり一人の力ではどうにかなる問題ではない。改めて今回の作品が出来上がったことは、ひとえに周囲の方々に拠る所が大きいと感謝するのである。


つづく

2017年12月4日月曜日

画力ゼロでもゲームはできる(僕のゲーム制作日誌)

「作品が良ければどんな作品でも売れる」
「ゲームなんて外見より中身が大事」
一顧客に過ぎなかった頃の私は、偉ぶって、そう大口を叩いていたと猛省する。
だから今回の小冊子「BoardGameQuiz」(以下「クイズ本」)も、当初は身内に配布するもの、自分だけが知るべきであるもの、という意味合いで作成に取り掛かった。

10月当初、原稿の第一案を刷り上げてみる。




硬く、読みづらい。良くも悪くも「教本」のようなものが出来上がった。文字を追うだけで睡魔が襲ってくる。

製作に携わった妻にも見せるが、元来、勉強を苦手とする妻のこと。最初の2、3ページを開いたっきり、見向きもしない。
「売ろうとする気、あるの?」
「まあ、身内に配るだけなら、これでも」

他愛もない返事でのらりくらりと避ける私に、現実に目を向けるよう差し戻してくれた方が、ネット界隈で多くのフォロワーを持つ「翔」さんとの出会いだった。
聞けば、今度ネット配信のラジオを立ち上げることになり、企画を募集しているとのことである。
興味のある話に、私もすぐに飛びつき、後日、ネット配信によるクイズ中継と、私自身初の広報活動を行うに至った。

その後も数回にわたり翔さん、ぎゅんぶく屋さん、大塚健吾さん、天岩庵さん、ゲームカフェぶんぶんさんなど多くの方との出会いを通じる中、ふと、こんな会話がどこかから飛び出した。
「今回のクイズ本、何部くらい発行します?」
「ええっと、身内に配るだけなので、50部ずつかな、と」
「50?!少なくとも100(部)は刷らないと!」

突然飛び出した「100部」という言葉に、私は少々たじろいでしまった。
妻から聞かされたコミケ(コミックマーケット)の世界では、100部も頒布するブースともなると、中堅クラスと呼ばれるのだとか。
初参加の、しかも、ボードゲームとは一線を画する媒体が、いきなり100部とは、我ながらおこがましいにもほどがある。
数日の間悩み、妻に打ち明ける。
「今回、ちょっと冒険して、100部頒布したいと思う」
「わかった、じゃ、ちょっと今の絵じゃ、ダメよ。ちゃんとしなきゃ」

そうだ。ちょうどここから、自己完結の世界から、提供するための立場へと変わったのだ。
とは言っても、私の画力など、いわゆる「白ハゲ」キャラを描くことで精一杯。今からみっちりイラストの勉強に時間を割くことも、安直に「いらすとや」から引っ張ってくることも、今になって考えたら可能だったかもしれない。
が、出来うるならば、それら考慮する時間を削ってでも、問題の精査に充当したい。
時間との兼ね合いで頭を抱える中、「悩んだら本屋に行け」を信条とする私は、行きつけの大型書店を何件もはしごし、手当たり次第に関係書籍を読み漁った。
その結果、どうやら解決の糸口は「洗練されたデザイン」にあるのではないかという結論に至った。

前置きが長くなったが、こうして私の小冊子は「デザインの一新」という形で大改造を行うこととなる。無論、匠となるのは私自身の手で。


1 更生

まずは本文全体の修正だ。
全体としてメモを羅列したに過ぎない為、この文面だけでは書類どころか下読みの原稿とも思える文面だ。
見せる工夫が必要であるし、何より、現状のままでは解答欄から目的の回答を拾う作業も困難を要する。
そこで

1 段組み

段を2段に区分することで、これまで余分だったスペースを切り詰めることができ、かつ、全体的にスマートな文面となった。
クイズという特性上、問題の文章を個別に、かつ、限られた中で文章をまとめる必要があった為、非常に頭を抱えた問題であったが、この段組みを行うことで多くの文字数を打ち込むことが可能となり、全体的な読みやすさ等大きな前進となった。

2 表示方法

次は「文章の重要度に応じる表示順序」だ。重要だからといって闇雲に大文字やアンダーラインを引くだけでは、皆がしゃしゃり出てくるだけで却って見づらくなってしまう。
その辺り、過剰な演出ばかりのバラエティ番組を想像してもらえたらわかっていただけるだろうか。
メッセージにも、順序、そして、謙遜が必要なのだ。

また、囲みやアイコン化に特化したパッケージはボードゲーム界隈でもよく見かける。
そこまでデザインにこだわる手腕はないが、丸や四角の中に文字を収め、アイコン表示する、というアイデアは、各種のデザイン書籍にテクニックとして収められていた。
囲み文字などの工夫は、特に白黒ベースの本文デザインに特に効果を発揮した。

こうして各ページ、出来上がったものを、ツイッター上に公開する。




反応は上々。見違えるように視認性も向上し、また、これまでの余白もスッキリし、文字も綺麗にまとまり、かつ、多くの文字が収められるという優れものとなった。


2 フォント

 文字フォントの問題が今回の私のクイズ本に大きな影響を与えたといっても過言ではない。
 当初、ネット上のアドバイスのまま、本文の文字フォントを「小塚フォント」で入力していた。小説などでは一般的なフォントだという。
しかし、こちらを使用すると、文字の行間や字間にかなりの隙間ができてしまう。可読性を引き換えに、大きな文書スペースが犠牲となる。
設定次第でなんとかなるとは思ったが、ここで詳細な設定をいじると、後に他の部分に影響を及ぼすことになるのではないか。各種設定は最小限に抑えたい。

ならば大胆にフォントを変えるべきではないか。

フォントを変えるだけでも、印象をガラリと変えることが可能だ。

(游ゴシック体、游明朝体で比較)

この図を見ても、上のゴシックと下の明朝体とで、受けるイメージが変わってくることがニュアンスでわかるかと思う。
読み手に温和な印象を与えるゴシック体とは対称的に、知的な印象を与えるならば明朝体、といった使い分けも可能だ。

そこで、本文以下、主要フォントを游書体に大きく変更した。
すると、これまで収納できなかった行間にちょうどいい隙間が生まれ、視認性もこちらで納得できるだけのものを確保することができた。

上々だ。

この決断を下したのは、実に入稿3週間前。上記の収納に併せ、本文の文字数と格闘していた頃の話だった。実に英断だったと思う。

本文だけではない。
表紙の問題も片付けなければならない。

先に示した通り、表紙のデザインは、単に目についたフリーフォントを読み込ませたに過ぎない。
装飾を抑え、かつ、視認性を高める工夫を。もちろん先に挙げた、順序等の工夫も併せて。
それを同時並行で叶えられるフォントを、何度も試行錯誤する。

一度、二度、再度、再々々々度
結果、現在の表紙に至るまで七度目のマイナーチェンジを繰り返すこととなる。



こうして私なりにデザインを取り入れた小冊子が完成した。
実に、入稿直前、4日前の出来事だ。







ゲームマーケット当日、ダンボールから生まれた我が子と初対面した時、私は口元から溢れる笑みが抑えきれなかった。
この時点で心配が確証に変わった。
「目に留まれば売れる」
それくらい、キャッチーな見た目の小冊子が、今まさに産声をあげたのだ。


結果、予定していた分は午後1時前に完売となり、予約キャンセル分も含め午後4時には全ての小冊子を売り切ってしまった。



デザインを意識すると、昨今では「インスタ映え」「萌え」などの言葉が付加するように思慮する。
しかるに、本来、デザインには見た目だけではなく「機能性」が内在する。洗練されたデザインには一眼に泊まるだけの魅力や購買意欲を掻き立てるだけの魅力と、製作者が真に訴えたい主張をアピールするだけの強い訴求力を併せ持つものだ。

それらが両立するためには、幾分の技術力が確かに必要だろう。

とはいえ、意識すれば、周囲に映る多くの広告、看板、チラシなどの随所に、それらは反映されている。目の前のボードゲーム一つとっても多くのアイデアで成り立っている。
アートやデザインを意識する作品は、やはりゲームデザインも細部に至るまで洗練された作品が多い。
それは、デザインの世界が「継ぎ足し継ぎ足し」といった中に生まれるのではなく「継ぎ足す中で余分なものを削ぎ落とし、また継ぎ足す」中で洗練されるものだからではないだろうか。
そしてそれらは、技術力とは別の、「意識を向ける」いわば自己意識の変化で解決できるのだ。

表題に戻る。
安易にイラストを発注していたら、この事実に気がつかなかったのかもしれない。
「画力がなくとも、作品はできるし、それなりに売れる」
今回、あくまで私の中の見解では、そう結論づけるだけの材料が整った。

プロの見識では鼻で笑われる内容だろうが、ごまめの歯ぎしりだと思ってお目こぼし願いたい。

学ぶこと、奢らないこと。〜バネスト20周年記念ボードゲーム会に参加して〜

名古屋市北区のゲームストア・バネストが今年で20周年を迎える。 それを記念し、20周年記念ボードゲーム会と銘打たれた大規模なゲーム会が開かれるのだという。 開催の知らせを耳にした私は予定の有無など考えずに申し込みを済ませた。 ゲームマーケット秋に向けての入稿や来週に迫る神...