番次郎の盤上万歳!!: 孤独を受け入れる、とは

2018年1月22日月曜日

孤独を受け入れる、とは

先日、某ゲーム会にお邪魔したときの話。

ゲーム会は稚拙ながら、私のクイズも披露することができ、また、主催者様の厚い人望に多くの方が集い、会場は多くの方で賑わった。

その帰り道での話。


語弊が生じないよう、あらかじめ断っておきたい。

ゲーム会は、毎回とても充実した時間を過ごしてもらっている。
主催者の方々、本当に感謝しております。

ただ、帰途につく途中、何か寂寥じみた思いに、毎回苛まれる。

単なる寂しさに集約されるものではなく、「ゲーム会で自分の立ち位置は」「何ができて、何ができなかったのか」といった反省事項を、頭の中でぐわんぐわんと巡らせるうちに、どうも思考がマイナスへ、マイナスへと導かれてしまうのだ。

孤独に加え、疲労、倦怠感、都市部から地方へと移る環境の変化等々、要因は多々考えられる。

しかし、この「どうしようもない寂しさ」の存在があまりに凶悪で、時には「行くんじゃなかった」といった後悔の念に苛まれることもしばしばだ。

この件を共感してもらいたくツイートしたところ、「主催者に失礼だ!」と、お叱りの返答を戴く羽目になった。

しかるに、この「寂寥感」の正体とは、一体なんだろう。
本当に私だけが感じ得るものだろうか。


先日、ゲームマーケットのアンケート結果が一部公示された。
希望されるブースには個別に結果を送付してくれるとあったので、興味半分で、私もデータ送付を依頼した。


翌日送られてきた結果は、実に惨憺たるものだった。
ため息が出るほどの低評価と投票率に、送付どころか出展そのものを後悔した次第だった。

この結果に対し

時間をあけて、冷静に分析する考え方
ダメージをダメージとして蓄積し、それらすら内なるエネルギーとして昇華する考え方
気分を切り替えて、逃避に走る考え方

様々あると思う。

私は元来、気持ちを切り替える諸動作が苦手で、一度受けたダメージはかなり後々まで引く性格の持ち主だ。
低評価を受け入れることは容易だったが、それから先の思考に結びつかない。

おそらくこれも「マイナス評価」ゆえに私に待ち構えた何らかの処遇だろうと思う。
負の感情とは裏腹に、「良い評価」が頭に入ってこない。
「これだけ周囲に悪影響を与えた報いだ」
そう誰かの祈りが私に厄災と言った形で通じたのだろうと、ぼんやり考えを巡らせた。

この「行き場のない悩み」に関し、考えが一転したのは、糸井重里著「思えば、孤独は美しい。」に出会ってからだった。
一文を引用し紹介したい。

「ラジオ番組の司会者が
「孤独を感じることは?」と質問した。
とても軽やかに谷川俊太郎さんは答えた。
「孤独は前提でしょう」
夜を見ながら、風呂にでも入ろうか」
(「思えば、孤独は美しい」糸井重里著より)



孤独の存在を、誰でもない、一人であることの意味を
改めて受け入れる、その大きさ、辛さ
そして、「だからこそ感じ取ることのできる、人の温かさ」
孤独の存在を前提に置くことで、見えてくる世界

周囲を見渡せば、SNSに代表される「存在確認ツール」が数多く存在する。
ツイッターや、その前の携帯電話、ポケットベル、それらの前でも、人は手紙や伝書媒体等の手段を駆使し、ありとあらゆる方法で「目に見えない誰かの存在」を感じ取ろうとした。

それは「人は、一人より二人、三人、五人、十人、百人、千人、多ければ多いほど、それがその人のステータスに直結する」とされてきたからではないだろうか。

出どころを失念したが、人はお金を得た次の段階で権力に対する欲求に目覚めると言われる。
「権力者願望」は「金を稼ぎたい」よりむしろ「大勢の人間を指先一つで操ることのできる欲求」への羨望があるからだと容易に推測できる。

小難しく考えなくとも、重い荷物を運ぶのに、筋骨たくましい人間一人と、成人男性5、6人ならば、ほぼ同等か、それ以上の力を発揮してくれる。
会社役員で10人単位の人間に指示をする立場の管理者があれだけ居丈高な態度を取るのも
、それだけの力を保持していると考えれば自明の理だろうか。

閑話休題
今回の件に関し、この「孤独」の概念を取り入れると、若干強引ではあるが、私なりのベクトルに載せることができる。

ゲーム会では、多くの参加者に信頼される(少なくとも私の目ではそう映る)主催者の方に対し、荷物を持って帰る孤独な私を、つい対比してしまったのだろう。


アンケートに関しても、一人で作成した小冊子だからこそ、マイナス評価の数が大きく出たことに対する「数の攻撃」に圧倒されてしまったのだろう。

もっと、プラスに考えなくてはならない。

「出会いを大切に」と言われるように、
孤独があるからこそ、何かしらの欲求や渇望を呼ぶのかもしれない。

それらは決して忌避するものではなく、むしろ受け入れること、自覚することで、ほかのだれかの共感を呼び、新たなエネルギーが生まれるものだろう。

だから、今度は、大手を振って、笑顔で帰りたいと思う。
もっと素直に受け入れることにしよう
もっと太陽の方向を見よう
もっと「だれかの存在」に敏感になろう

花や木が、多くの栄養分を吸い上げて一本の立派な植物をなし得るように
その根っこには、目に見えない多くの生き物の存在がある。
孤独を受け入れるとは、一人であることを前提として、まず、背中にある多くの人間の存在を受け入れることにあるのではないだろうか。
ゲーム会で出会った、主催者をはじめとした、同卓された方、同部屋の方、「袖すり合うも他生の縁」の如く、何でもない一言で運命なぞ大きく変化する、その「なんでもない他者の存在」「そこで改めて実感できる、自分という孤独の存在」を、改めて自覚しようではないか。

アンケートも然り
マイナスだけではなく、それらを含めた、多くの方の存在に、「ありがとう」の感謝を述べることから、まず始めたいと思う。

孤独の存在を受け入れ、そこにある、多くの存在を知る
なんだかパラドクスのようだが、一人があるからこその、二人があり、三人、五人、十人、百人と、幾何級数的に存在の数は増えていくのだろう。



そして、さなぎが蝶へと生まれ変わるように、孤独を育み、醸造し、そこから成長した者こそ、さらに大空へと羽ばたけるのだ。


今はただ、そう信じて、孤独に、コツコツと、作品づくりに励みたいと思う。

「ひとりじゃ、生きられない」
そんな制作ブース様の名前を、今、ふと思い出した。

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