番次郎の盤上万歳!!: 継続って難しい、の話

2018年3月18日日曜日

継続って難しい、の話

先般、人気ポッドキャスト「ほらボド!」が配信200回を迎えた。
祝福のツイートが多数寄せられ、アクセス数は過去最高を更新したという。
今回は、以前私のブログにも記事として掲載した(http://hibikre.blogspot.jp/2017/10/blog-post_20.html)が、改めて「継続すること」の意義について考えてみたいと思う。

ツイート上で毎日1問、ボードゲームクイズを出題している。
毎朝、出勤時に「#今日のTBQ」と題し、該当ツイートに表示する。
昨年12月から開始したこの習慣は、3月18日現在で87問目、3月末を持って、実に100問目を迎える。
毎日、たったの1問。
だから、ツイート上にこれまで目立った反響はない。
がしかし、これは決して「Bot」のような、登録してある問題をランダムで出題するといったものではなく、その日の私の気分で考えているものだ。
ひな祭りにはひな祭りに準じた問題を、バレンタインにはチョコレートにまつわる問題を出題したりもした。

Botに任せるのではなく「自分で毎日考える」
それには純然たる理由がある。
この「1日1問」を自分に課した動機が「自己鍛錬の一環」に依るものだからだ。
これまでボードゲームのクイズといった日陰なジャンルに目を向けてもらえることなどなく、少しでも興味を持ってもらえるよう、影の努力をする。
そのためには、何度も目に止まるよう街かどで配布されるチラシのような形で注目される、ツイート上で「バズった」ような注目のされ方も手段としては考えられるだろう。
しかし、今回の「1日1問」は、それらを取り払い、自己錬成に重点を置くこととした。
「毎日一問、必ず自力で問題を作る」
ツラくても、ネタがなくても、決して作り置きせず、その場で考える。
だからこそ常に新鮮な問題を提供することができ、また、自己の錬成による自信と力がつくのだ、と信じて。



ランニングに似ている。
「走るぞ!」と決めたら、無理なく走ることのできるメニューを考えなければ、すぐに挫折してしまう。
普段走り慣れていない人が、走る前段階から「早朝、毎日10km!」などのメニューを組み立ててしまうと、「今日は昨日頑張ったから」「今日は雨が降っているから」などと自分に言い訳をつけてサボってしまう、いわゆる「三日坊主」の憂き目に遭いかねない。

何故か。
それは努力の成果が実るために、しばらく時間を要することもその一因なのだ。
努力が成果として目に見えた実感として感じ取るまでには、しばらく時間を要する。
走っている最中は、ランニングの素晴らしさについて知る由もない。
息が上がり、体は重くなり、つらさだけが先行し、脳内でひたすらモチベーションの維持に奔走する、自分を騙し騙し、走り続け、自分が納得するまで力を出し切る。
走りきったあと、一息ついて体を休め、回復の期間を経たのちに、恐ろしいほど身についた筋肉の量を実感する。
あいにく、その実感する期間は、あくまで私の実感としては、少なくとも1ヶ月、ちゃんとした成果としては3ヶ月ほど時間を要するだろう。
「頑張ること」「頑張ればその場で成果が出ること」
そんな目立つばかりの努力ばかりに目を向けがちで、それまでのモチベーションを維持するといった(ある意味地味な)努力については、どうも目を背けがちではないだろうか。
無論、ランニングに限った話ではない。勉強だって何だって、できる人間は常日頃から努力を怠っていない。
「どうしてそんなに勉強できるの?」
それは、あなたが「無理だ!」と突き放し放棄した作業を、延々延々と繰り返していたからなのである。


では、肝心の「モチベーションの維持」に関しての話に移る。

継続するコツは、継続を続けている人ならば皆が知っている。
「無理をしないこと」
「労力を最小限に抑えること」
「頑張らないこと」
これに尽きる。頑張ってあれもこれも、と頑張りすぎると、先に挙げたように、次に向けて期待されるハードルも高くなるだろうし、そのために背負う労力、エネルギーもねずみ算式で増えて行く。
適度に休憩や遊びの部分があるからこそ、長く続く。
機械だって、車のハンドルだって、みんなそう。

また、脳は大きな変化に対しエネルギーを消耗する生物と聞いた。
いわゆる「老害」と呼ばれる問題は、この「年配者が新しい慣習を受け入れることができず、自分だけのしきたりだけで物事を取り仕切ろうと考えること」による錯誤から生じると聞く。
それは、脳が老化するに従い、新しい物事を学習する能力が衰えるからだという。
脳の老化に伴う現象なので、実年齢に比例することなく、若年層であっても、俗に脳年齢の高いとされる人は、総じてこのような傾向にあるとのことである。


明日を憂い、食料を備蓄する。
しかるに、あくまで耳学問ではあるが、保存食の缶詰の大半が「不味く」作られている理由の俗説には「美味しいとつい食べてしまうから」「不味く作り、その状況下でも口にせざるを得ない、それが保存食の意義だから」と知った。
確かに、各国の軍隊のレーションなどを見ると、甘くべとついた、カロリー計算しかなされていないような糧食の数々が目につく。

継続する場合もそうだ。
備蓄してしまうと、備蓄したものには何らかの「カビ」のようなものが生えてしまい、最悪、お蔵入りのまま処分する形となる。
だから日々継続するためには、毎日同じメニューをただこなすのではなく、その日の特性などを勘案した話題提供などを必要とされるのである。


「この春、自分自身を変えたい」
そう考えている方へ。
毎日少しずつ、何かを継続されてはどうだろう。
好きなことでいい。簡単なことで結構。
ただし、雨が降っても、雪が降っても、毎日毎日、できることが条件だ。
「簡単なことじゃないか」周りはそう馬鹿にするかもしれない。ひょっとすると、自分自身すら「ナメてかかっている」ことだろうかと思う。
継続の強さ、計り知れない難しさとは一体何か。
総じて、中国の老子が提唱する「道」の精神とは何か、弱い力で毎日継続することがいかに難しいのか、それらを体感できただけでも収穫だと考えている。


継続することを愛し、その愚直に戦い続ける姿が多くの国民の心を打った、往年の名プロレスラー、ジャイアント馬場こと故・馬場正平氏の名言がふとよぎる。

アナウンサー「(5000試合達成のインタビューにて)次の目標は6000試合ですか?」
「5000の次は、5001」

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