2018年5月20日日曜日

目に見えるものを感じよ 目に見えぬものを感じよ

(5月20日1945更新)

シンプル イズ ベスト、という言葉がある。

先日発表されたディアシュピール主催「制服コンテスト」
http://www.dear-spiele.com/dearspiele_con01/
最優秀賞、優秀賞を含む受賞された作品はいずれも、派手すぎず、主張しすぎないという点で、私の目にはいずれの作品も好印象に映った。

有名ゲームカフェの制服だから、アンティークな店内に合わせた、もっと派手めの衣装に評価が下るのかな、とも思ったが、割合シンプルなデザインが高く評価されていたようだ。

シンプルに行き着くまでの、工程に関する話題について、今回はテーマにしたいと思う。

シンプルなデザインは、そこに向かうまでの道筋に、バイパスのような行程が設けられていたわけではない。
何度も何度も、高く険しい峠を行き来し、何時間もかけてようやくたどり着いた先こそ、実はバイパスを使えばものの30分でたどり着くといった、それこそまさに「洗練された」デザインだ、と個人的には考えている。

「腑に落ちない」
そう考えるのも無理からぬ話だ。


果樹園ではもうすぐ「摘果」の作業が最盛期を迎える。
美味しい果実を実らせるためには、余剰となる果実を、実入りとなる前に摘み取っておく大事な作業だ。

制作も、イメージとしては、それに通じる箇所がある。

付け足すだけでは、足すだけでは、過剰となる。

だから、何度も付け足した後は、余分な部分を削ぎ落とし、核となる部分を残し、より一層洗練させる必要がある。

稚拙な経験ながらも、ボードゲームを少し多く購入し、その中で多くの作品を拝見する機会があった。

ゲームの作品をいくつか目にし、限られた枠の中で事細かにキャラクターの効果を示すべく、製作者は様々な苦労を重ねてきた。
文字を埋める作業一つとっても、フォントやポイント数、背景や文字色、効果をアイコンにするなど、果ては「要らない効能は一箇所にまとめる」といった各種工夫を行うなど、その労苦は計り知れない。
あるいは、特殊効果や、特別な人物、拡張ルールに拡張パック、ヴァリアント、等々
一つの要素を加えることにより、全体のバランスが大きく変化し、それにより、再度ゲームバランスの再構築を余儀なくされたことだろう。
ルール全体の「抜け」も考えなければならなかっただろうと思う。
それらを時折気にしつつ、プレイすることも、まま、あった。


先日、主に堀場工房のイラストを担当されていることでも知られる漫画家のたちばないさぎ先生が、自身の作業風景をツイートされたので引用したい。

https://twitter.com/isappe21/status/994883229126660096

記事内で「デフォルメ」と表現されていらっしゃるように、一度リアルな頭身を製作した上で、必要のない部分、省略できる部分を極力排除し、全ての線に無駄をなくした作品が、あのような形となったと思慮する。

なべとびすこ先生の短歌を読んでいると感じる「短歌」の世界も、三十一文字の言葉のどれもが洗練され、語るべき自身の溢れる思いの丈を、あれだけの言葉に凝縮したのだと、その削ぎ落とすセンスにただただ脱帽する。

洗練を重ねることで、自らの主張、「自分の真に伝えたいメッセージ」を明確化することができ、果ては余計に波及した効果を冷静に対処するといった効果を持つ。
正しく洗練された作品は、見た目もスッキリとしてデザイン的にもスマートだ。

製作者サイドには、都度、それらの真贋を確かめる能力が求められる。

何が必要で、何が不必要な情報なのか
SNSで頻繁に流れる必要以上の情報に、踊らされてはいないか


つい先日も「余計な部分も記載しなければわからない」といった内容のツイートが界隈を賑わせた。
思いつくだけの内容を記載しておくことは、ある意味、いたちごっこに近い。
「***はできません」
「***はしないでください」
これを専門用語では「ネガリスト」と表現する。
ダメだダメだ、と体裁上に記載することで、「じゃあ***しなければOKなんだ」と受け手が取り得る条文の記載要領だという。
制限を加える文言を先に明示することで、受け手はかえって制限なく行動できるという、表現方法の一つだ。
余談だが、反対に「***ができます」を多用した文言だと、受け手に「じゃあ、それ以外の手段、方法は原則禁止か」と縛りを持たせる文言となる。「ポジリスト(ポジティヴリスト)と呼ばれる。
必要、不必要な場面はTPOに応じるため、それらを事細かに一つ一つ数え上げていっては際限がなくなるため、これらの表現は法律の世界などでよく用いられている。


閑話休題
ピカソのゲルニカでも、この「余分な部分をそぎ落とす」場面があったことを思い出す。
学生時代、両親と興味本位で見たピカソの作品に「えー、こんな落書きみたいな絵でお金がもらえるんだったら、私も画家になろうかしら!」と母親がごちていた。
ご覧になられたことのない方は、彼の若かりし頃の作品をご覧になるといいだろう。
あの一連の作品も、一度「山の最高峰を登頂した上で」行き着いた彼なりの哲学なのだ。


過程を評価せず、結果ばかり、出来上がったものばかりがもてはやされ、そこに行き着くまでの、努力などといったステータスは、評価されにくい時代にある。
売れるためには、ツイッターでバズらせ、製作過程をSNSで都度報告させよ、といった具体的、数値的なアドバイスを送る方もいらっしゃる。

私の考えは少し異なる。
出来上がった作品の細部に、それら努力の結晶は如実に現れるもので、見る人が見れば、その違いは歴然なのだ、という前提だ。

年始のテレビでは恒例となった「格付けチェック」のようなもので、一見して気がつきにくい製作者のこだわる細やかなメッセージ、味わい、じっくりと時間をかけて熟成させたアイディア等、それらは熟練のプレイヤーに「見えない形」となって届くはずなのだ。

「こだわりました!見てください!どうかよろしくお願いします!」
もっと告知をしろ、アピールしろ、と、前職の時代は上司に何度も指摘を受けた。
言わなければ解らない、伝わらない。
だからもっと言葉で、態度で示せ。
嫌なら嫌だ、そうはっきり物申せ…。

そうではない。
今ならはっきりと、上司に、そう進言できる。

洗練された作品の、過程を踏まえた味わいを、心眼に映ずるまでの気づきを得るには、相当量の経験と熟練、など、実はそれほど必要としない。

日頃我々が脳に蓄えている情報量は非常に多く、実際に見たり、感じ取ったりなど五感をフルに活用し、それを潜在意識という大脳のフォルダに膨大な量の記憶として蓄積されているのだ。
その中から、即座に使用できる、必要最小限の情報量のみを「海馬」の部分に一時保管する。
必要な能力は「常に周囲に対し興味関心を持ち続ける、観察眼」であり、それらを販売する側が触媒として刺激することもできるだろうが、私はむしろ購入されたお客様一人一人が「発見する」楽しみを持たせてあげたい、と願う。
興味を持ってくださった方々は、箱を開けた瞬間から、作品に向けての目線が一方通行となる。
淡い恋愛のように、細部に目を注ぎ、疑問を持ち、観察を続け、些細な変化を見逃さず、細やかな違いであっても、すれ違った瞬間「ん、何だか今日はオシャレだね」「実はネイルを普段とちょっとだけ変えただけなんです」と声をかわすような、

いわばユーザーに対し声高にあれこれとアピールすることより、むしろ「言葉ではうまく表現できないけれど、なんとなくイイ!」を、手に取ってくださった皆様一人ひとりの感性に訴えること、
創作作品に求められる能力とは、そのことだったのではないだろうか。


ゲームマーケット春の作品をプレイする中、あくまで私の知見の上で、「これは多くの苦労が伺えるな」「このデザインに行き着くまで、紆余曲折あったのだろう」「何度もテストプレイされた形跡があるな」といった情景が目に浮かび、説明書を片手に目が潤んでしまう場面が多々あった。
制作に携わった方々の多大なる苦労と汗がにじむ作品を、これからも大切にプレイすることで貢献していきたい。
そして、それら制作に携わる努力の汗と涙の一片を、少なからず汲み取れるようになったことが、自分にとって何よりもうれしい。


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