2018年7月28日土曜日

インストは気楽に、気さくに、の話

睡眠剤の代わりに、固い風俗の話を持ち出したいと思う。

ジャレド・ダイアモンド著「昨日までの世界(下)」によると、かつて人は、固定された言語というものを多数持ち合わせていたという。本文中では筆者が実際にニューギニアの部族を訪れた際の話、その部族の中の20人のうち、最も少なかった男性で15の言語を話すことができた。最も少ない数の男性でも5つの言語と答えた。
もちろんこの数は、いわゆる「同一言語による方言」などではなく、すべて異なる言語だったという。
バイリンガルが持て囃される先進国に比し、ニューギニアの部族は5カ国語が話せる、というわけである。

西原理恵子著「毎日かあさん」内でも、同著者が、カンボジアで物を売る少年の、多数の言語を流暢に話す姿に感動した、と語るコマが登場する。無論、この少年は日本語でもオモチャを売ろうと話しかける。


紀元前の人類は、多くの部族の言語を翻訳し、意思疎通を図ったきたのだという。もちろん当時、紙や筆記具などの伝達手段はなく、労苦を呈して言語を後世に伝える、といった非生産的な行動を起こす人類も少なかったらしく、それらの痕跡も見つかりにくいとされ、また、それら言語の約95%は紀元前1200年までに完全に姿を消したとされる。
伝達手段はもっぱら口伝、もしくは耳学問に依るもので、生きるため、周囲に貢献し、社会の一員としての立場を形成するために必要不可欠な能力の一部だったと推測される。


今回話題にしたいのは「インスト(ゲーム冒頭の説明)の問題」である。

たびたび上がる「わかりやすいインストとは」といった話題に、私は心の中のわだかまりが抜けきれなかった。
私自身、こんな経験がある。
初めて購入したボードゲームを、初めて参加する、とあるボードゲーム会に持参した際の話だ。
私『このゲームで遊びませんか』
某A「ああ、じゃあ(持ち主が)インストして」
そんな決まりなど何も聞いておらず、手探りのまま説明を開始すると
某B「あの、これ、勝利条件は?」
某C「ちょっといい?このチップ、何に使うの?」
某D「ん?今の取説書いてる?」
挙句
某E「あー、もういいからやろうぜ」
某F「やればわかるでしょ」

・・・

ツイッター上には「わかりやすいインスト」の極意がいくつも掲載され、最も効率の良い方法が日々更新されている。
何故、教え伝える側が、こうも悩み苦しまなければならぬのか、と側から見て思えるほど、説明書に創意工夫を凝らし、サマリーをこしらえ、説明動画を作成し、中には有志でボードゲームカフェに集まり「インスト会」を開催するなど、情報を共有、技術の向上に勤しんでいる。

昔の取扱説明書はどうだったのか。
それこそ、説明書は「読まれないもの」だった。
説明書は読まずに使い、必要の都度、押し入れから引っ張り出して使うもの、と相場が決まっていた。

それらの固定観念がある人にとって、この「取説を読む」という概念はどうも受け入れ難いようなのだ。

何故か。

それは、説明書を「言語によるコミュニケーションだけで処理しようとする道具」と捉えているからではないか、と考えた。
先に挙げたように、本来、人類は数種類もの言語を取り入れた上で、その時々の民族に応じた言語を使い分けることができる生き物だ。
しかし、お互いに共通化された言語を一つしか持ち合わせていない以上、一つの言語による意思疎通だけではやはり限界が生じ、言葉による微妙なニュアンス、感情の微妙な揺らぎ、見たこと、感じたことを噛み砕いて相手に伝える術に関し、やはり何かしらの「限界」が生じる。
使い所は別だが、これが俗に「語彙力(の低下)」と呼ばれる状態なのだろう。

言葉を駆使すれば100%想いが伝わる、という前提は難しい。
それはボードゲームやインストでわざわざ学ばなくとも「資料を配布されただけで理解した気になる」という実体験で、私自身、何度も憂き目に遭っている。
「「話せばわかる」なんて大ウソ!」これはかのベストセラー「バカの壁」のキャッチコピーだ。

そもそも取扱説明書とは、何も見えない洞窟のような場所に、たいまつ(懐中電灯)の如く光明を指し示し、宝のありかを教え、敵やトラップなど注意を喚起し、無事にプレイヤーを出口まで導くために読むだけの存在に過ぎない。
勇敢な戦士は、読まずに進む事だってできるだろうし、パパッと自分が目指すべき要点だけ把握する賢者も存在するだろうし、一方で、一言一句読み込まなければ一歩たりとも進めない臆病な(堅実な)勇者だっている事だろう。

それと同じで、伝え聞く相手も、全ての言語を平坦で聞いているわけではない。
相手によって、当然、耳で拾い集める言語にも違いが生じて然りである。
落ち込んだ相手には「ダメです」という言葉だけが突き刺さるだろうし
勝利を意識する人間には「このコマは追加で3進みます」という言葉が印象に残るだろうし
ついさっきスイーツを口にした人間は「ケーキ屋さんのカードは全員から2コインもらえます」といった言葉が残るだろうかと勝手に推測する。

ボードゲームの世界にも、ちょうど先日の「ドイツ年間ゲーム大賞」に「The Mind」という一風変わった作品がノミネートされた事は記憶に新しい。
プレイヤーは一切の会話、相談等を許されず、ひたすら場に昇順となるよう手持ちのカードを出す、それだけのゲームだ。
必要となるのは「場の雰囲気」だけ。顔の表情や、ノック、咳払いといった周囲への合図等一切の合図が許されない。
それでも、慣れてきた頃には、自然とLevel 6(各自手札6枚)がこなせるようになるあたりの調整が面白い。
前年度も、ゲーム途中で一切の会話が禁止される「マジックメイズ」がノミネートされるなど、昨今は会話によるコミュニケーションをしごく当然とされたボードゲームの世界にもノンバーバルとしての可能性も開拓されつつあるのかもしれない。


一般的な「メラビアンの法則」も、言語情報:非言語情報=1:9と称される。
実測値は多少変化するだろうが、ここにも太古の祖先が築き上げたDNAに基づく「言葉では伝えきれないからニュアンス(視覚や聴覚といった言語以外の残り9割)で学び取ろう」といった意識が、脳内で働くからではないかと推測される。


「習うより慣れろ」
日本には昔から先人の知恵に基づくことわざが確かに存在するではないか。


ここまで読むと
「じゃあ、今まで俺が頑張ったインスト技術って、空回りだったのか?」となるだろう。

ただし、
「教える側の熱意」は、如実に伝わる。

教えたい、伝えたい、その強い情熱は、聞く側にもダイレクトに響いてくる。
口頭ではなく「体から」発するメッセージ、苦難して絞り出した、自分なりの言葉の数々、中には無骨で、決してスマートではなく、まとまりもない表現で、額に汗しながら伝えようとされる方もいらっしゃるだろう。

しかるに、聴く側にとって、そういった説明の方が逆に印象に残り、説明の理解度とは別の「わかった、じゃあやろう!」といった意識が芽生え、その場の雰囲気が一層盛り上がる。
いうなれば、インストを媒介とし、ゲームの起爆剤たらしめる存在となるのだ。

私の考える「良いインスト」の帰結するところは、きっとこの「起爆剤」のような存在であり、「聞けばたちどころにゲームができるようになる」といった完全性など二の次で良いのではないか、と考えるに至ったのだ。


この意見には多くの反論があるかと思う。
特に、ここまで一生懸命にインスト技術を向上された方や、それら技術があってこそ、と考える方ならばなおさらだ。

無論、神の如く御尽力された方々は別格に位置する、とし、ここでは「あまりにインストに完全性を求めると、誰もが忌避する存在と化してしまう件」を危惧している旨、承知されたい。
買ったはいいけれど、結局説明役はたらい回しに、だなんて、せっかく楽しく遊ぶために生み出されたゲームが不憫でならない。

もっと、気楽に、気さくに、楽しくやろうよ、インスト。

横浜中華街に構えるボードゲームショップ「リゴレ」では「インストありがとう運動」が行われている。
インストを行った相手に感謝の意味を込め「ありがとう」の言葉を述べる、という運動だとか。
これら運動がなくとも、同卓したプレイヤー全員が「ありがとう」の気持ちを共有できるような、そんなボードゲーム会だと、ゲームも雰囲気も、数倍、数十倍、楽しくなるのではないか。

私が「ボードゲームはコミュニケーション」と考える所以は、どうやらその辺りに眠っているような気がするのだ。







2018年7月21日土曜日

「結果はついてくる」という話

先日、有名ポッドキャスト「いかとりにょりとおけいの、いかがわしいラジオ」MC「いか@いかラジ」様にお招きされ、図らずもコラボキャスを行う僥倖に恵まれた。
キャスそのものは私自身のオーバーペースをいかさんがなだめ押さえつつ進行し、次第にペースが掴めたのか、終盤になり落ち着きを取り戻し、インタビューとしてワイワイ楽しく話せるキャスとなり、私自身、非常に楽しく過ごすことができた。

その中での一コマ

私はさほど自慢話をする方ではない。私の一人語りは、このブログの中でだけ、雄弁に語られている、それで十分だからだ。
それでも、ついいかさんの巧みなトークについ本音がポロリとこぼれてしまう。

私「ゲームの面白さって、やればやるほど上手くなることだと思うんですよ」
いかさん「ほぅ…」
私「だから、初めての方より、3、4回プレイしたことがある人の方がやっぱりゲームが上手くなる、これはしょうがない、それがゲームの面白さだし、本当に面白いゲームってその辺りを突いていると思っているんです」

……

考えてみれば実に当たり前の話で、例えば「坊主めくり」のような、山札を順番にめくり、坊主が出たら回収、といった遊びを延々と行うとなると、次第に「飽き」が生じる。
耳学問で恐縮だが、脳の学習能力は非常に高く、一度学んだ行為に関し、「いかに脳を働かせずに作業を続けるか」もしくは「次にこの行為を更に発展させるにはどうするべきか」を、瞬時に判断するのだそう。

成長と停滞の、分岐点は、まさに「そこ」にある、とも言える。

もちろん、どちらが常に正しい、というわけでもないことは自明だ。
疲労しているときは極力脳を休める選択を取らなければ、誤った行動に走るだろうし、逆に少し身体に余裕があるならば、積極果敢にチャレンジしてみるのも良いだろう。


こんな言葉があったので引用する。

いろいろとうまく回っていることについて、
「どうしてうまく行ってるんでしょうね」と、
人々はよく考えたり質問したりしています。
その答えのほとんどは、同じになります。

「人がよろこぶことをやっているからじゃない?」

なんとまぁ、単純なことでしょう。
逆に考えたら、さらにわかりやすいかもしれない。
「どうしてうまくいかないんでしょうか?」

「人がよろこばないことをやっていないかな?」

(糸井重里著「思えば、孤独は美しい。」より)

「結果はついてくる」
こちらも実に使い古された言葉だが、よくよく真理を考えてみると、結果は本当にペットの如く、主人に忠実に後をついてくるのだ。
悪態をつけば、悪態がついてくる
良い行いをすれば、良い行いが返ってくる
「情けは人の為ならず(人に情けをかけることは、巡り巡って自分の為になる、という意味の格言)とは言い得て妙で、今目の前の人間が悪態をついていたとしても(SNS界隈でたまに見かける)それは自ら手を下すまでもなく、その人の元に「返還」されるのだ。
言うなれば「わざわざ自分が制裁を下すまでもない」それどころか「皆が制裁を下す行為は、オーバーキル、行き過ぎなのだ。

ただ傍観すればいい。

反対に、相手の良い行いには、自分の元にもなついてくるよう、どんどんエサを与えてあげるといい。
褒める、という行為がまさにそれだ。
言葉にするのが照れ臭いなら、写真を撮りアップロードしたり、影で口伝えしたりなど、行うといい。

「褒める」行為が難しい理由の一つに、感情ではなく「意識」のひとつだから、と耳にした。

喜怒哀楽から間を置いた、己の感情を相手に「●●してもらえたから嬉しい」などの感情とは別の行為には、やはり慣れない人にとって、ある程度の訓練を必要とするかもしれない。

私は語彙力が〜云々で昨今はごまかす方もいらっしゃるが、昔のオタクは、自らのあふれる想いを「自分の知識」を放出することで表現した。
「私はあなたのことをこれだけ知っているのです」の熱量で、とうとうと語り尽くした。あれはオタクなりの誉め言葉だったと記憶している。(相手が迷惑だったかどうかはさておき)

何故「自分自身の言葉で伝えなければならない」のか
伝えることの重要性について、しばしば棚上げにしてしまいがちだが、これに関しスピノザ著「エチカ」第三部 定理五七に以下の記述がある。

「いかなる個人の感情でも、他の個人の感情とは決して一致しない。」

要は「感じ方は人それぞれだから、自分の思った言葉で、思うように表現して!」と述べている文言である。
そもそも、褒め言葉なんて、同じ言葉を何度貰ったところで、よほどのことがない限り嬉しいものではないか。


すでに酷暑と名高い7月が終盤を迎え、暦の上では大暑を迎えようとし、夏はさらに加速化する。
本日も桑名七盤勝負東京大会、もうしばらくするとゲームマーケット出展者発表にゲームマーケット大賞1次通過の発表、8月にはボードゲーム王選手権、中野ボードゲームフリーマーケット、9月に入ると、お邪魔者世界選手権日本大会、まだまだ国内のボードゲーム熱は製作者、競技者含め(もちろんドイツ年間ゲーム大賞の発表等もある為、購買層も含む)各種イベントが目白押しであり、熱戦冷めやらぬ、といったところだろうか。

私もそんな刻々と流れる慌ただしい日々に押しつぶされることのないよう「結果にコミットする」某CMの如く、できることから始めたい、できれば目の前のモニター越しの人だけでも幸せにできたら、と願う、そんな夏の日。AM8:58。



2018年7月15日日曜日

熱と量との三宮ボドゲフリマ体験記

思い立ったら即行動

聞こえはいいけれど、その重い腰を上げるためには、数多くのしがらみが発生する。
それは僕の中で大抵「時間とともに増幅されるもの」と相場が決まっており、ならば答えは単純で、やられる前にやる、面倒だと思う前に、即座に行動に移す、と、最近は自分でも驚くほど突飛な行動を繰り広げている。

今回の三宮ボードゲームフリーマーケット(以下「三宮フリマ」)にしろ、時の大阪震災が発生した際、何か自分にできることはないか、といった正義感の塊だけであれこれと動き回ったに過ぎない。

気がつけば、翌日にホテルパックの往復チケットを予約し、「フリーマーケットはお得に買い物ができるから」と支離滅裂な思考で嫁の説得に成功、まんまと軍資金をせしめてきたのだった。

7月14日土曜日、当日は朝からむせ返るほどの晴天に恵まれる。
台風一過の猛暑日となるらしく、会場内もスタッフの方がしきりに熱中症予防を声高に訴えていた。
12時10分に到着した際は、すでに3、40人ほどの列が形成されており、中には関東でもその名が知られた有名人もちらほら。
事前に告知された待機場所は日陰のない駐車場地域、12時以前の列形成を厳に禁止されていたが、この炎天下での長時間の待機列は何をしなくとも体力を消耗する。熱中症患者も発生しただろう。途中スタッフが「所詮趣味だからな!」と警告したが、仰る通り、フリマとはいえ所詮は買い物に過ぎないイベント、体調を崩しては元も子もないのだ。

大きな混乱等もなく、13時開場
木造の会場内は強目の空調が聞いており、中に入ると外とのギャップで汗が引くほどだった。
今回の三宮フリマ、突拍子もなく馳せ参じた私にとって、特段これと言った目当ての買い物は数点ほどで、かぶきけんいち氏が手がけたゲームNOWA新作「宇宙(そら)逃げろ」、高天原イラストレーター「ぺけ」先生の手がけられた絵手紙、その他、関西でなければ入手できない作品があれば、と考えていた。有り体に言えば「中古作品」は(自分にとって)二の次、くらいに考えていた。

会場直後はやはり中古ブースが人気を博し、特に今回の売り出し作品を事前にSNS上で流すなど告知されていたブースには、黒山の人だかりができていた。
待機中は、事前に配布された会場マップを手掛かりに、周囲で補足するような形で、SNSを駆使して情報を収集していた。
ウェブ上にそれら出品リストや写真等が掲載されていたブースは、やはり当初から人気の様子だった。当然といえば当然か。

人混み、と言えど各区画の通路は間を隔てており、通行そのものに支障はなく、遠征の都合上スーツケース持参での参加となったが、嫌な顔をされることもなく、また、大きな荷物でごった返すといったような混乱は見受けられなかったのではないか。

荷物といえば、今回、有料で授乳室を使用できるとあり、ベビーカーを持参される家族づれも散見されたが、それに関する特に大きな注意事項等もなく、周りの配慮が聞いたイベントであったと後になっても実感できる。

会場の大きさは、体感として、関東の同イベントとしては「東京ボードゲームコレクション」が開催された会場、浅草の台東館に近似しているだろうか。

目当ての数点の買い物を無事に済ませ、残っているだろう中古ボードゲームを物色することにする。
和訳なし、といった作品はこうも値が下がるのか、といった具合に、名の知れた多くの作品が3割、4割引といった破格の値段で売り渡されていく。

見所はそれだけではない。

先に挙げた「ゲームマーケット東京会場には滅多に出展されない、関西地区限定のボードゲーム」や「この夏初めて販売される作品」などの作品を入手できる絶好の機会なのだ。
人気ポッドキャスト「いかとりにょりのいかがわしいラジオ」の出展「いかが屋」からは、先のゲームマーケット大阪でも好評を博した新作「花咲ヵポン」を頒布
関東でもその名を轟かす歌人「なべとびすこ」先生らが出展する「鍋ラボ」からは「行けたらいくわ太郎」「漢々楽々」
Lーtilesの復刻等で近年益々注目を集める「難波のクニツィア」こと「かぶきけんいち」氏率いるゲームNOWAからはダイスを使用した協力ゲーム「宇宙(そら)逃げろ」
もはや言わずと知れた作品「サザンクロスゲームズ」からは最新作「Age of Promote -大人脈時代-」
関西でその名を知らぬものはいないとされる前田部長のブース「ファミーリエ」には、巨大なコリドールなどの大型ボードゲームが、行き交う親子連れの視線を釘付けにしていた。
ゲームマーケット春には毎回出展を見送っている「北のレーザー職人」の看板ことCygnusブースでは、各種ボードゲームサプライ品の他、ツイッター上で話題となったレーザー加工品の展示、また浴衣姿の女性が威勢良く声を上げながらチラシを配布する姿が見受けられた。
兵庫県尼崎市の人気店「シャッツィ」は御夫婦でMeeplingブースを担当、今回を機にこのMeeplingは一旦グッズの販売を休止するとの告知があり、多くのファンがハンカチやイヤリングなどのグッズを買い求めていった。同ブースでは人気の連想ゲーム「CATS」も格安で販売があり、店主の人柄等も含め多くの方が足を止めていた。

他にも、直接参加したわけではなかったが、
DDTブースではハズレなしのくじに長蛇の列ができていた。
14時過ぎに開始されたオークションには、巨大キングドミノや筒型のTHE GAMEなど見慣れないボードゲームが数多く並び、マイク越しにはかなり高い額が飛び交う様子が想像できた。

一旦休憩し、3階の有料休憩スペースでしばし休憩を取る。
もちろん1階自販機前にも、ベンチ付きの休憩スペースがいくつか並んではいた。
しかし、この有料スペースがとても強く印象に残っていたので書き記しておきたい。
100人規模の人数を収容できるほどの広さを持つ会議室は、入退場自由、テーブルと椅子も用意されているので、購入したボードゲーム等をその場で遊ぶことができる。少し強目の空調も効いており、涼みにくるだけでも元が取れた。また中に常駐するスタッフの方は時折ボードゲームのインストを手伝うなど周囲に配慮されていらっしゃった。
昼過ぎに参加した際は、親子連れは下の階、すぐにプレイしたい層はこちら、と使用する層が分断されていたように感じる。これはスペースを3階としたことも多少影響したのかも知れない。

17時となり、予想以上の出費と、スーツケースの限界値を超えた荷物に悲鳴を上げながら、当夜予約を入れた先のホテルへと向かう。 

シャワーを浴び、ベッドで横になりつつ、膨れ上がった荷物を横目に、今日のことを色々と考える。
ゲームマーケット東京とは一味違う、コンパクトながらも、人の良さ、全体の雰囲気の明るさ、何より、要所要所で各ブースや運営スタッフ等一つひとつから「楽しんでほしい」を肌身で感じるような、言うなれば「底力」のような圧倒的パワーを体感することができた。

一般参加として、こうも「途中で帰るのはとても惜しい」と感じたイベントは珍しかったのではないだろうか。
まだ何かある、隠し持っている、と、秘めたるパワーの所以を奥へ奥へと探求するような、インカの黄金で味わった、恐怖心と探究心が入り乱れたあの心境だ。

眠気に押されつつ、購入した歌集「ふるさとと呼ぶには騒がし過ぎる」(なべとびすこ著)をパラパラとめくると、こんな歌が綴られていた

「絶望」の子音を変えたら「鉄道」になるから行ける Let’s go future.

今回の僕の旅は、まさにこの一首に集約されるのかな、と、まどろみながら考えたのだった。







2018年7月13日金曜日

失敗も亦楽しからずや 未経験だからこそ見えてくる世界の話

最近の私は、自分の中で苦手とする分野にも積極果敢にチャレンジするよう心がけている。

毎月末に開催されているパズルの月例会「パズいち」にも参加し、多くの有名パズル作家様やスピードキュービスト、主催のパズル作家Kohfuh_Satou氏に手ほどきを受けながら、参加のたびに教えを請う状況だ。
(次回開催は7/29(日)、詳細>>http://kofth.com/projects/pz1/

別の話になるが、7月12日(木)、大井町はゲーム喫茶天岩庵様で開催された「天岩庵大喜利ナイト」に、大喜利なんて初心者ながら無謀にも飛び込み、結果、手慣れた方々の面白く気の利いた回答を尻目にただ笑い声をあげるだけの道服人形と化したものの、熟練の方々はどこに回答の焦点を絞り、笑いの空気、流れを自分のペースに持っていくか、といったことまで計算している、ことなどを勉強することができた。

先日の日曜も、全く未知の分野であった「ハンドメイドジャパンフェス 」に参加したり、また最近ではイラストの練習も下手なりに続け、そこそこの「イイね」を貰うなど、自分なりに満足する日々を送っている。



最近描いたイラストなど(※模写です)


未体験の世界
そこはとてもキラキラとしている。

自分が思うように動けない、身じろぎひとつできず、ただ、周りの動く様を呆然と眺めるだけの世界
一矢報いようとひたすらもがき続けるが、成果として、手に取るものは何も得られず、言わば「ボウズ」のままトボトボと帰路につくといった、そんなことも、まま、ある。


それが今、とても面白い。
齢四十にして知る、成長の楽しみ。

何故、自分は「成長の楽しみ」を、これまで知ることがなかったのか。
答えは単純だ。
「失敗は許されない」と、呪いをかけられてきたからだ。

親が、先生が、上司が、親族が、
自分の中のプライドが、資金が、環境が、etc…
いつしか「失敗は悪だ」と刷り込んできたからに過ぎない。

何故か。
失敗すれば、ふりだしに戻る。
この正に「ボードゲームらしい」表現を、言葉じりだけ捉え、本当に「最初の労力からやり直し」と捉え、あたかも「経験はしていないけれど、イメージ的に無駄だと思えるからやめときな」といった立ち位置で物事を俯瞰してしまうからだ。

もちろん主語は「私」ではなく「私を管理する「誰か」」の目線である。

この「私ではない誰か」が「あなたが失敗をすると私にまで余計なエネルギーを消耗する」と勝手に思い込むことで、いつしか「失敗はダメ」、「失敗するとあなた(当事者である私)が不利益を被る「はず」だ」と置換され、しまいには脳内で「これだけ不利益な情報を教えてあげるのだからありがたく思え」と、順を追うごとに意味合いが変化していくこととなる。

私も自戒しているが、この「お節介焼き」の性分とは、「相手にマイナスを引き取らせたくない」という行き過ぎた思いがこじれてしまったもので、言うなれば「病気の類」に近い。
お節介焼きにかぎった話ではなく、反抗期を迎えた親子の会話にも
「あなたのためを思って…」
「私のためなら静かにしてよ!」
といったやり取りを、しばしば耳にする。

失敗は悪なのか。
マシュー・サイド著「失敗の科学」には、こう記載がある。

「失敗は、予想を超えて起こる。世界は複雑で、全てを理解することは不可能に等しい。だから失敗は「道しるべ」となり我々の意識や行動や戦略をどう更新していけばいいのかを教えてくれる。」

本来、人類は「失敗する」という経験によって、最大の経験値を得られる絶好の機会を得てきた。
数多く失敗を重ねたからこそ、選択肢を削除でき、一つひとつ、正しい回答を導き出し、その都度、正解への足掛かりとなる数多くの知見を得て歩んだのだ。

具体的な数値上の話だけではない。
失敗することは、他人より何より、自己のプライドを一番傷つける行為だ。
失敗し、未開の地で何もできない、憤りともどかしさ
そこで一生懸命にもがき、苦しみ、再び元の高さまで這い上がる
その時に身についた、精神的な筋肉こそ、私は改めて評価に値すべきと考えている。

つい先日「マンハッタン」というボードゲームが復刻され、プレイする機会に恵まれた。
先んじて話してしまうと、この作品、勝利するコツとしては、多くの場所に低階層のビルを数多く散開させることらしい。
しかし、マンハッタンという作風から抱くイメージと、ライバル同士が競い合い、その都度積み上がっていくそれらビルの見た目から、競争意識が働き、知らぬ間に高層のビルが構築されていく。

マイペースで、周囲と競う機会すらなく、苦手とする分野を一人コツコツと開拓することの難しさ、苦しさ、
それらは自分の中の精神面との戦いとも言えるだろう。
得意分野で相手に勝ち誇りたい、得意分野ならば、活動する際、幾分、身体面での安寧を得ることもできるだろう。
プライドなり、金銭面なり、脳内で発生する自分なりのアルゴリズムなり、「当人が持つ独自の勝利の方程式」により、身体が得られる数多くの安心感は計り知れない。

だからこそ
未経験は多大に「もがく」ことでエネルギーを消費し、未経験は常人以上の失敗を経験することで、数多くの学びを得ることができるのだ。


何より、
それら未経験者を「大丈夫だ」「問題ない」と受け入れることのできる土壌があってこそ、これら成長の過程が成り立つ世界なのだ、と。
肥沃な土壌があり、環境が整ってこそ、植物はすくすくと成長し、大きな果実を実らせる。人はそこに村を作り、家畜を放ち、文明を為す。
繁栄も滅亡も、人類の思惑次第で、これまでの歴史もそう変貌を遂げてきた。


失敗の許される、未経験者を笑って受け入れる
ボードゲームが今後一般に溶け込むか否かについて、時折議論の的になるが、ボードゲーム自体の面白さより、むしろ求められるべきは、そんな「初めての人に向けられた環境育成」ではないか、と私は考えている。



井上純一著「中国嫁日記(一)」より








2018年7月8日日曜日

僕と顧客と、時々、悟り ハンドメイドジャパンフェス2018 体験レポ

7月7日、東京ビッグサイトにて「ハンドメイドジャパンフェス」が開催された。
https://hmj-fes.jp

私の目的は、ゲームマーケット にも出展された「Kino.Q」ブースの「紙神経衰弱 拡張版」購入だったが、そういえばゲームマーケット以外でこの会場に足を運んだことなど、興味本位で東京ゲームショーに参加して以来実に十数年ぶりだった為、勉強も兼ねてお邪魔してみる事にした。

今回、レポートの形式をあれこれ模索しつつ記載してみたのだが、如何せん「出展者としての視点」が抜けきれず、ゲームマーケットと対比してしまう点、記載してしまう点が多分に生じ、幾度となく書き直すという憂き目にあった。

そこで今回は「良かった点、悪かった点」といった批評は右に置き、あくまで私自身が身をもって体験した「気づいた点」を時系列で列挙する事にした

<事前情報〜前日>

・前売りチケット購入制、当日に購入することもできるが、前売り券を購入する事で、購入価格や列の並び順まで大きく変化する。事前購入が断然お得なシステムとなっている。
チケットは主要コンビニでも購入可能。

・各出展者の情報もチケット制なのでネットによる情報で一元化。公式ブログに各ブースのページがジャンルごと区分され、また個人ごとにページが割り当てられている。

全体のページ

出展者のページは形式に当てはめて記載する方式
説明の足りない箇所や公式オンライン通販ページへもリンクが貼れるようだ


<当日>

会場は11時、来場者は公式ページだと毎年5万人という。
少し余裕を持って9時30頃に到着したが、前には50〜60人ほど
テーマがハンドメイドだけに、若い女性、高齢者も含めた家族連れが多かったが、待機列にはやはり若い方(小学生含む)が多かった印象
しばらく待機していると、列が動き出した。
前述の通り、チケット事前購入組と、当日購入組とで、列が分断されるようだ。
その後ははっきりと観察できたわけではないが、開演まで当日購入組の最前列がこちら側(チケット事前購入組)に合流する流れにはならなかったのではないか。

スタッフはイヤフォンマイクにてすべて状況を逐一報告されており、時折、厳しい言葉も飛び交っていた。
「横断歩道で列止めるな!」
「そこで列止めて!」
もちろん物腰は柔らかく、いわゆる「怒号」とまではいかない、やんわりとした、周囲に配慮した口調で、周囲に気を配っていたことが伝わる。
待機列は最後尾が見えなくなる位置まで達したが、待機した場所は屋外ではなく終始屋内であり、幾分過ごしやすかった。

列待機中にカタログが配布される。
カタログには会場マップ、出展者一覧、主要イベント等の一覧が白黒ページでまとめて記載してあるのみ。
主催者の言葉や協賛企業の広告ページは無く、それらは卓上のテーブルに別に添えられていた。


11時開場。
前方に待機していたこともあり前方待機組の動きを観察していたが、特に「開幕ダッシュ」といった動きがあるわけでもなく、ゆっくりとした開場。
そのはず。開場はモギリのお兄さんがチケットの半券をちぎってから入場するシステムだったからだ。
当初の目的であるKino.Qブースにて、目的の「紙神経衰弱 拡張」「メジャーハンカチ」を無事に購入。

他のブースを、勉強も兼ねて観察する。

ハンドメイドだから多少止むを得ない部分もあるのだろうが、名札のついていない商品が見られ、興味を持って手に取りたいけれど、値段がついていないために躊躇することが多々あった。
逆を返せば、値札のついている商品はそれだけで安心感があった。
購入する際の(自分の中の)目安となるため、一度通り過ぎても、再度気にかかり戻ってくる可能性も多分にあるのだ。

そして、止まっているものより「動くもの」に目を奪われた。
染め物、縫い物、体験イベント等、なんらかの形で「ブースの中が動いている」と、それだけで興味を引くことがわかった。
お会計をしている動作だけでも「あ、動いている」と、そちらの方に目が行く。
動く、という言葉をもっと大きく見つめると、空気の動き、声の動き、光の動き、等々、いろいろ捉えることができるだろうか。

数店のブースを回り、購入した先のブースではやはり「会話」が楽しかった。
会話といっても世間話などではなく「綺麗ですね」「美しいですね」「ありがとうございます」「大切にします」といった簡単な言葉のキャッチボールだ。
それだけで心が弾む。通販で購入するより、フェイストゥフェイスで購入することの喜びは、上手く言えないけれどこの辺にあるのではないだろうか。

総じて、この物販のやり取りは、どちらかといえば「フリーマーケット」でのやりとりに近いと感じた。


会場を見て回り、「便利だ」と思ったものをいくつか紹介したい。

会場マップがあちこちに掲載されていた

自分の現在位置とともに、各ブースが色とジャンルにより区分され、このポスターが会場のあちこちに掲示されてあった。
このMAP、いちいちカタログを広げることなく現在地を知ることができ、大変役に立った。


スタッフによるレンタル備品の貸し出し
ラックや台車といったブースに必要なグッズを有償で貸し出してくれる。

入口の様子
チラシ置き場にはそれらを入れるナイロン製のナップザックを無料配布している。
もちろんこちらを利用して買い物をされる方が非常に多く、必然的にナップザックを必要とされる方のほとんどがチラシを手に取っていらっしゃるようだった。

また、会場後すぐにスタッフの方が
「アンケートしていただいた方にもれなくトートバッグを差し上げます!」
と叫ばれていた。アンケートのお礼にトートバッグ、しかも開場直後、ここまで工夫すればアンケートの回収率も高くなるのではなかろうか。


2時間ほど回ったのち、会場を後にした。

派手な装飾もなく、派手に宣伝等があるわけでもなく
しかし来場者数は年々増加傾向にあるのだという。
購入先の、あるブースの方とお話した際にも、こんな言葉が飛び出した
「お客さんのような、興味のない方にこそ知ってほしいイベントですから」

今回、私はブログにて、あくまで「時系列」「体験した出来事」を列挙したに過ぎない。
本イベントになぜこれほどまで多くの方が参加され、多くの方が魅了されているのか。

経験を得ることで、学びを経ることで、いつか自分にも悟る瞬間が訪れるのだろうか。

本イベントは7月8日(日)11時〜19時まで、東京ビッグサイト東7・8ホールにて開催される

作品はアウトプットで磨かれる〜4コマ漫画制作日誌〜

今回のゲームマーケット春は、本当に広報らしい広報活動もそっちのけで制作の方に勤しんだので、せめて自分のブログの中だけでも宣伝させてください。 なぞなぞの本、クイズの本、とともに、もう一冊、わたしのブースの片隅を賑わす本がある。 「きょうもボドびより。」と称された4コ...