番次郎の盤上万歳!!: 失敗も亦楽しからずや 未経験だからこそ見えてくる世界の話

2018年7月13日金曜日

失敗も亦楽しからずや 未経験だからこそ見えてくる世界の話

最近の私は、自分の中で苦手とする分野にも積極果敢にチャレンジするよう心がけている。

毎月末に開催されているパズルの月例会「パズいち」にも参加し、多くの有名パズル作家様やスピードキュービスト、主催のパズル作家Kohfuh_Satou氏に手ほどきを受けながら、参加のたびに教えを請う状況だ。
(次回開催は7/29(日)、詳細>>http://kofth.com/projects/pz1/

別の話になるが、7月12日(木)、大井町はゲーム喫茶天岩庵様で開催された「天岩庵大喜利ナイト」に、大喜利なんて初心者ながら無謀にも飛び込み、結果、手慣れた方々の面白く気の利いた回答を尻目にただ笑い声をあげるだけの道服人形と化したものの、熟練の方々はどこに回答の焦点を絞り、笑いの空気、流れを自分のペースに持っていくか、といったことまで計算している、ことなどを勉強することができた。

先日の日曜も、全く未知の分野であった「ハンドメイドジャパンフェス 」に参加したり、また最近ではイラストの練習も下手なりに続け、そこそこの「イイね」を貰うなど、自分なりに満足する日々を送っている。



最近描いたイラストなど(※模写です)


未体験の世界
そこはとてもキラキラとしている。

自分が思うように動けない、身じろぎひとつできず、ただ、周りの動く様を呆然と眺めるだけの世界
一矢報いようとひたすらもがき続けるが、成果として、手に取るものは何も得られず、言わば「ボウズ」のままトボトボと帰路につくといった、そんなことも、まま、ある。


それが今、とても面白い。
齢四十にして知る、成長の楽しみ。

何故、自分は「成長の楽しみ」を、これまで知ることがなかったのか。
答えは単純だ。
「失敗は許されない」と、呪いをかけられてきたからだ。

親が、先生が、上司が、親族が、
自分の中のプライドが、資金が、環境が、etc…
いつしか「失敗は悪だ」と刷り込んできたからに過ぎない。

何故か。
失敗すれば、ふりだしに戻る。
この正に「ボードゲームらしい」表現を、言葉じりだけ捉え、本当に「最初の労力からやり直し」と捉え、あたかも「経験はしていないけれど、イメージ的に無駄だと思えるからやめときな」といった立ち位置で物事を俯瞰してしまうからだ。

もちろん主語は「私」ではなく「私を管理する「誰か」」の目線である。

この「私ではない誰か」が「あなたが失敗をすると私にまで余計なエネルギーを消耗する」と勝手に思い込むことで、いつしか「失敗はダメ」、「失敗するとあなた(当事者である私)が不利益を被る「はず」だ」と置換され、しまいには脳内で「これだけ不利益な情報を教えてあげるのだからありがたく思え」と、順を追うごとに意味合いが変化していくこととなる。

私も自戒しているが、この「お節介焼き」の性分とは、「相手にマイナスを引き取らせたくない」という行き過ぎた思いがこじれてしまったもので、言うなれば「病気の類」に近い。
お節介焼きにかぎった話ではなく、反抗期を迎えた親子の会話にも
「あなたのためを思って…」
「私のためなら静かにしてよ!」
といったやり取りを、しばしば耳にする。

失敗は悪なのか。
マシュー・サイド著「失敗の科学」には、こう記載がある。

「失敗は、予想を超えて起こる。世界は複雑で、全てを理解することは不可能に等しい。だから失敗は「道しるべ」となり我々の意識や行動や戦略をどう更新していけばいいのかを教えてくれる。」

本来、人類は「失敗する」という経験によって、最大の経験値を得られる絶好の機会を得てきた。
数多く失敗を重ねたからこそ、選択肢を削除でき、一つひとつ、正しい回答を導き出し、その都度、正解への足掛かりとなる数多くの知見を得て歩んだのだ。

具体的な数値上の話だけではない。
失敗することは、他人より何より、自己のプライドを一番傷つける行為だ。
失敗し、未開の地で何もできない、憤りともどかしさ
そこで一生懸命にもがき、苦しみ、再び元の高さまで這い上がる
その時に身についた、精神的な筋肉こそ、私は改めて評価に値すべきと考えている。

つい先日「マンハッタン」というボードゲームが復刻され、プレイする機会に恵まれた。
先んじて話してしまうと、この作品、勝利するコツとしては、多くの場所に低階層のビルを数多く散開させることらしい。
しかし、マンハッタンという作風から抱くイメージと、ライバル同士が競い合い、その都度積み上がっていくそれらビルの見た目から、競争意識が働き、知らぬ間に高層のビルが構築されていく。

マイペースで、周囲と競う機会すらなく、苦手とする分野を一人コツコツと開拓することの難しさ、苦しさ、
それらは自分の中の精神面との戦いとも言えるだろう。
得意分野で相手に勝ち誇りたい、得意分野ならば、活動する際、幾分、身体面での安寧を得ることもできるだろう。
プライドなり、金銭面なり、脳内で発生する自分なりのアルゴリズムなり、「当人が持つ独自の勝利の方程式」により、身体が得られる数多くの安心感は計り知れない。

だからこそ
未経験は多大に「もがく」ことでエネルギーを消費し、未経験は常人以上の失敗を経験することで、数多くの学びを得ることができるのだ。


何より、
それら未経験者を「大丈夫だ」「問題ない」と受け入れることのできる土壌があってこそ、これら成長の過程が成り立つ世界なのだ、と。
肥沃な土壌があり、環境が整ってこそ、植物はすくすくと成長し、大きな果実を実らせる。人はそこに村を作り、家畜を放ち、文明を為す。
繁栄も滅亡も、人類の思惑次第で、これまでの歴史もそう変貌を遂げてきた。


失敗の許される、未経験者を笑って受け入れる
ボードゲームが今後一般に溶け込むか否かについて、時折議論の的になるが、ボードゲーム自体の面白さより、むしろ求められるべきは、そんな「初めての人に向けられた環境育成」ではないか、と私は考えている。



井上純一著「中国嫁日記(一)」より








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