2018年9月1日土曜日

実力差と楽しさとの狭間で…

今年の高校野球決勝、大阪桐蔭対金足農業、蓋を開けると、13−2、と大差をつけられての試合となった。

思うに、高校野球などを見ていると、スポーツの世界ではこうも残酷な勝敗が下ってしまうものかと、はたと気づかされる。

ボードゲーム芸人であり本職は高校野球芸人であるいけだてつや氏らがアピールする「高校野球の世界の輝かしいドラマ」などはあくまで膨大な高校野球の中のごく一部だと、そう自覚しなければ、つい高校野球そのもの、ひいてはスポーツの世界全体を「バラエティ番組」か何かと錯覚してしまう節がある。感動や涙といった「ドラマ性」などはあくまで一端に過ぎない。

本当に「手に汗握る」ドラマチックな試合というものはごく一部であり、その下には数々の、至って普通の試合展開、到底追いつかないほど点差の開いた試合、序盤で勝敗を喫したような試合、逆に序盤であっさり勝負が決まった試合、等々、それらの頂上にドラマ性が秘められた僅かな「上澄み液」が一部残っている、そんな世界なのだ。

語弊が生じないように先に述べておきたい。
ここで記載している内容は、いわゆるテレビや映画に見られるような「最後の最後まで勝負の行方がわからない」的な演出の話題であることを断っておく。
金足農業の試合は確かに感動を呼んだ。それはこのチームの持つバックボーンを視聴者の誰もが知り得ていたからではないだろうか。

確かに、実力差がモノを言う勝負の世界は得てして冷酷なものだ。
腕がモノを言う、ボードゲームの世界で「アブストラクト」と呼ばれる世界では「腕」こそが「力」であり、盤上の采配を振る人間に実力差が生じていれば、当然、盤上の展開もつまらない展開となる、逆も然り、である。


すごろくや祭の話
草場純先生の講演の際、私はたまりかねて質問した
「先生、将棋の世界に「見る将」という言葉がありますが、どうお考えですか」
それに対し師の先生の話は
「あれはプレイしていない。ドラマを求めているのだ」

この回答には数々の意見があるのだろうが、私はその時、ドラマを求めすぎている人々は、プレイ自体に「感動」を求めているのではないか、と受け止めた。
プレイする人間がプレイすることそのものに楽しみを見出す中、それを側から見ている人間、テレビ的な立場での「視聴者(プレイに参加していない第三者)」は、その世界に何かしら「非日常」や「感動」を求めようとしているのではないだろうか、と考えた。

翻って、ボードゲームの話。
ボードゲームの世界でもいわゆる勝負に飽くなき貪欲な勝ちを求める、いわゆる「ガチ勢」と呼ばれる界隈と、勝負など二の次で良く、あくまでその場の雰囲気を楽しもうとする「エンジョイ勢」とが相容れない関係ではないか。とまで叫ばれている。
ガチ勢が跋扈すると視聴的には非常につまらない展開となるだろうし、逆に、エンジョイ勢が跋扈すると視聴者的には面白くなるだろうが、ガチ勢としても、もちろんゲーム的な面白さの側面も損ねてしまうだろうと懸念されている。
その両天びんについて、兼ねてから問題視されてきたのだ。

もちろん私も、何らかの形で結果が排出される「ボードゲーム」という媒体である以上、勝利に関し意識こそすれど、あまりに貪欲に勝ちを狙う、に刮目しすぎるがあまり、本来ボードゲームが持つ「場の雰囲気の楽しさ」を損なっては元も子もない、と考えるに至る。

一方で、バランス調整の施された作品には実力差がついてしかるべきである。あれだけ長年継承された伝統ゲームの麻雀、囲碁、将棋、アブストラクトではない「モノポリー」や「桃鉄」ですら実力差がつけば大差で勝敗が下される世界なのだ。

だからこそ面白くもあるのだが、では互いに実力差が生じる中、運に左右されることなく勝負が伯仲する作品、に行きつくためには、どうすればいいのだろうか。


その問いに関し考えを巡らせていると、実は意外なバラエティー番組に眠っていることに気がついた。
「クイズヘキサゴンⅡ クイズパレード」である。

これに関し、次回更に追求したい

続く

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