2019年9月17日火曜日

学ぶこと、奢らないこと。〜バネスト20周年記念ボードゲーム会に参加して〜

名古屋市北区のゲームストア・バネストが今年で20周年を迎える。
それを記念し、20周年記念ボードゲーム会と銘打たれた大規模なゲーム会が開かれるのだという。

開催の知らせを耳にした私は予定の有無など考えずに申し込みを済ませた。
ゲームマーケット秋に向けての入稿や来週に迫る神戸三宮ボドゲフリマの準備等が差し迫る最中、後先を一切考えることはなかったのだ。まあ、いつもの私である。


バネスト記念ゲーム祭とは、今年で20周年を迎えるゲームストア・バネストを迎えての大規模なゲーム会で、バネストの店舗にほど近い北区役所の講堂を1日貸し切り、混乱を避ける為か入場者を限定した上で、総勢30卓ものゲームが一堂に会する大規模なゲーム会となる模様である。

厳正な抽選の末、15番の固定卓を拝命された私は「この晴れの日に相応しいボードゲームとは何か?」といった難問に、出発の直前まで延々と一人議論を重ねていた。
当日は定番の軽いゲームからテラフォーミングマーズのような重量級ゲーム、さらには、能登ごいた保存会長野支部がごいたを教授する卓や、カルカソンヌ日本選手権出場者と直接対戦できる卓、今話題の国内版マーダーミステリーが体験できる卓なども用意された。
わいわいからじっくりまで、ゴージャスかつ個性あふれるラインナップの中で、果たして自分の特色を活かしせるものは何か、何か…。

取り急ぎ、大勢でもプレイできる作品と、バネスト通販のラインナップでは目にできなかった作品を中心にふるいにかけ、加えて、先日奮発したばかりの本格派早押しクイズ機を持参することにした。


朝8時30分、新幹線は異常なく名古屋駅に到着。

腹ごなしと気合を込めて駅ホームのきしめんを勢いよくすすり、会場となる名古屋市北区役所講堂へと移動した。

会場内はすでにスタッフと思しき面々がテキパキと設営に取り掛かっており、右へ左へと活発な動きを見せていた。
集合時間の30分前に到着した私ではあったが、すでに愛知、滋賀、三重など中部地方を中心に、関東はおろか、福岡や台湾など、国内外を問わずそうそうたる顔ぶれが揃い踏みした。
中心で動くのは「今夜もアナログゲームナイト」メインMCを務め、店長の中野さんとも親交の深い太陽皇子氏だ。

適度に空調の効いた会場の中心では、今回の目玉となるトゥクトゥクウッドマンのタイムアタックが、金の屏風が配されたステージ上では東京・三鷹のボードゲームショップ「テンデイズ」様から提供のあった巨大スライドクエストや巨大ドクターエウレカなどがところ狭しと設置されていた。
いつものイベントの如く、私はちょこまかと設置を始める。
初お目見えとなる早押しスイッチはすこぶる快調で、辺り構わずピンポンと元気な音を上げていた。

簡単なミーティングが行われ、午前10時、開場。
しばらく諸注意が述べられた後、11時、いよいよゲーム会が開始される。

この日の中野店長(以下「中野さん」)は、主役となり盛大に祝われる立場ながら、Tシャツにジーパンという、こちらが拍子抜けするほど至って普段着のままで登場。


私の15番卓はいつものゲームイベント同様、開幕はスローペース。
ぽつんと寂しくカードを切ったり、ボタンを押したりなどの行為も、すでに手慣れたようなものだ。
周囲の卓を見回すと、既に多くの参加者らがワイワイとゲームに興じ、現在も根強い人気のテラフォーミングマーズや、国内未流通のディアボロダイスなど多くの作品が賑わいを見せていた。
特に中野さんらスタープレイヤーと一緒にプレイできる台などは引きも切らず活況で、トゥクトゥクウッドマンのスピードチャレンジでは多くのプレイヤーが悲喜こもごもの声を上げていた。

しばらく問題を読み上げていると、早押しボタンのピンポンという甲高い音に誘われたのか、数名の方が足を止めてくださった。
クイズに興味のある方、自信はないけれどボタンを押してみたかったという方、初めて目にする本格派ヘソ型早押しボタンに興味津々だった方など。
その一方で、久しぶりの問題読みに緊張と喉の調子を整えることをすっかりなおざりにしてしまった私は、ものの開始30分も経たずにガラガラ声を露呈し、周囲にあらぬ醜態を晒す羽目となった。いやはや情けなや。

主賓となる中野さんは、デンと座ったまま悠長に構える、といったそぶりを一切見せず、時間を見つけてはすべてのテーブルをハシゴして周り、参加者の一人ひとりに「いつもありがとうございます!」とお辞儀し、同卓を囲んで回っていた。
中野さんは本当にボードゲームが、そして人が、大好きだったのだろう。

クイズを広げる私の卓にも颯爽と現れるや、難問とおぼしき問題にもサラリと回答してくださった。
20年のバネスト店舗とともに蓄積された豊富な知識量と、休暇の合間をぬっては都内近隣のボードゲームカフェへと足を運ぶ、その飽くなき探究心が育んだ産物だろうと私の中で勝手に解釈した。

中野さんはそんな店内で振る舞ういつもの調子で、嬉々としてボードゲームに興じていた。

決して驕り昂ぶることなく、常に貪欲に、新たな発見を求めているかのような。

中野さんの探究心に潜む「源」って何だろう。

学ぶことは純粋に「楽しい」行為だ。
たとえそれが興味本位で調べたことであっても、次へ次へと知識欲が刺激され、今とは別の物に興味が湧く。
クイズなどを作成していると、ひとつの問題の対象に、あれにも関係する、こっちにも派生する、と、樹形図のように様々な広がりを見せる場面に遭遇する。
しばらくした後に、その対象が膨大となり過ぎたことに気がつくと、目の前にそびえる壁のあまりの高さに、為すすべもなく、しばし足がすくんでしまうだろう。

そんなとき、
「大変だから、やめる」か
「大変だけど、続ける」か

人はその分岐点で大きく二分される。

中野さんはきっと立ち止まらなかったのだ。
高い壁を見つめながらも、地道に、着実に、ゆっくりと歩みを進めたのだ。

さらりと書いてしまったが、そのバックには、体力面、精神面、更には、環境面、資金面、等々、見えない部分での残酷にも程近い決断を迫られたのではないか。

だからこそ「皆さんのおかげで」という中野さんの言葉には一層深みが増すのだ。

周りの方々のご支援を大事にする、しかしながら、その言葉の端々に垣間見える、高い叡智と果てなき強さ、そして何より、現状に甘んじることなく、次へ次へと新たな視点へと駆り立てる、果てなき探究心、そして、野心。


程なくして、全体ゲームが開催された。
ゲームは「KNISTER」、サイコロを用いたポーカー形式のビンゴゲームだ。

サイコロを振る人間はその場で指名され、看板キャラクター「ばねこ」のイラストを手がけた「のんだひろみ」先生や、「おぼえなサイコロ」などを手がけたデザイナー「らなとパパ」のラナちゃんら、名前を挙げるだけでも軽くめまいが生ずるほどの豪華な顔ぶれ(自分除く)が次々に選出される。
その上でトップの成績が80点台という激戦が展開された。私のヘボい点数など言うに及ばず。

続いては中野さんに対する質問コーナーだ。
「きっかけは何ですか」「好きなボードゲーム会は何ですか?」等々さまざまな質問が飛び交い、中野さん独自の知的かつユーモラスな視点でバッサバッサと回答を斬る姿が好印象だった。
そんな中、ひとつだけ中野さんが頑として回答を拒んだ質問があった。
「ネガティブは答えません!」
言葉は続く。
「ネガは3倍増しで、自分に返ってきますから」
それはこれまで自己を「子どもだ」とうそぶいてきた中野さんが、一瞬だけ我々に見せた「オトナとしての姿」だった。

会もたけなわとなり、中野さんが最後の言葉を述べる。

「寿命になったとき、ゲームカルチャーが今以上になっているように、新しい発見があること」

中野さんは20周年を迎えたこの日ですら、決してあぐらをかくことなく、常に変わらぬ姿勢で、参加者である我々からも何かを学び取ろうとしていたのではないか。

私は涙腺の緩みをこらえることができず、言葉を締める中野さんに惜しみなく拍手を送った。


会の終始を通じ、中野さんの言葉には「発見」「楽しんで遊ぶ」といったフレーズが端々から伺えた。
常に新しいものへ、失敗を恐れず、一歩一歩と前進する、アグレッシブで、チャレンジャブルな後ろ姿。
だからこそ、多くの方が魅了され、こうして多くの方々がお祝いに駆けつけたのだ。
「カッコイイ」の言葉だけでは括ることのできない、中野さんがバネスト店舗と共に歩んだ人生観すら垣間見える、終わってみれば、そんなイベントだったように思える。



ワンオペの態勢だったため、トイレ以外に席を開けることなく約8時間もの時間を過ごした私は、会が終わるや否や、へなへなとその場に座り込んでしまった。
カフェインで気を紛らわせようとコーヒーをぐい飲みし、周囲の状況に合わせつつ撤収作業へ取り掛かった。

学ぶこと、奢らないこと。
席上での中野さんの言葉は、ゲームマーケット秋の新刊を手がけている私には特段痛切に感じた。
そのためには、飽くなき探究心と挑戦精神、何より、少し息を整えたときに実感できる、周囲の存在のありがたさではなかっただろうか。

私は疲れた体もそこそこに、ホテルで身体を休めることなく、そのまま次の懇親会へと向かった。
多くの参加者の笑顔が弾んでいた。
それはきっと、今回のイベントで中野さんが我々一人ひとりに返してくださった「感謝の証」だったのかもしれない。

2019年9月7日土曜日

「「なんとなく」じゃダメ!」 根拠を結ぶことで広がる世界

今回は「何かに理由をつける」を今後全ての私の作品に心がける、という話をします。


今年の夏、読書好きを自称する私が、暇を見ては幾度となく読み返した本が「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた(ほぼ日刊イトイ新聞・編)」だった。





任天堂の故・岩田聡社長の言葉をまとめ編集された著書で、あたかもおとぎ話を語るように綴られた珠玉の言葉の一つひとつに、私は涙を抑えきれなかった、そんな本である。

その中に登場する「ある言葉」を紹介したい。

ゲームの中に意味もなく置かれている石ころがある。
「どうしてこれを置いたの?」と訊くと
「なんとなく」とか言うんですけど、
「なんとなく」はいちばんダメなんですよ。
(p.159 「岩田さんの言葉のかけら その5」より)

なんとなく、というふんわりした感覚、フィーリング、よくわからないけれど心地の良い配置、
それらは一まとめに「個人の美的センスに委ねられるもの」と斬り捨てられる問題かもしれない。

しかしながら、私はこの言葉を目にするやいなや、身体中に電流がほとばしるほど強い共感を覚えた。


手前味噌ながら、少しだけ自書のネタバラシをする。

前回頒布した拙著「アナログゲームのなぞなぞブック2」の中で、ページのフッター部、印刷用語では「地」と呼ばれる部分に、小さく「魔女」が飛んでいたことに気がついただろうか。


フッター部分に黒く帯を引くことで、ある程度の視線制動といった効果に加え、ビル群を配置することで全体的な雰囲気の醸成を考慮したものだ。
「夜空に魔女が飛んでいたら…?」というアイデアが思い浮かんだのはしばらくした後。単に飛ばすだけではなく、ページ毎に飛行部分を変えることで著作の中の世界に少しでも没入してもらいたいと考えた。
加えて、自分が今どれくらいのページを読了しているかの目安としても使える。

さらにイメージを発展させ、最終ページにはこんなギミックも用意した。




少々見づらい点ご勘弁を。
ページ数に合わせて、魔女が「39」と口にしているように見えないだろうか。
このページは「あとがき」が感謝の言葉とともに綴られており、このセリフも「39(サンキュー)=thank you!」に掛けたジョークとなっている。


以上の連想ゲームは、仮にフッター部分がランダムに配置されていたならば、おそらくここまで凝りに凝ったギミックへと結びつかなかっただろうと解釈している。


ランダムに配置することは、私の中で「考えをそこで中断(SAVE)すること」を意味する。
どうしてこれがここに?どうして?なぜ?本当に必要?
そんな疑問を自分に突きつけながら日々創作活動を続けていると、次第に他からぬ自分が「いいと思ったからいいんだ!」と自暴自棄になり、果ては、考えること自体を放棄してしまう。
それは性格や環境といった根深い問題ではなく、単に今日の気象が悪かった、や、たまたま今日の機嫌が良くなかった、といった、実に取るに足らない問題であったりもする辺りが少々厄介だったりもする。


何かしらの理由をつけ、小さいながらも根拠をつけると、先に挙げたような「次への創作バトン」が産み出される可能性がある。

自慢話が続き恐縮だが、もう一例、先日名古屋で活躍されるNEZ様から、テラフォーミングマーズの企業カードのような制作カードを作りたいとお誘いがあり、喜び勇んで資料を提供した。

その際に出来上がったカードがこちら。


着目して欲しい部分は星の配置である。







ここも「岩田さん」で読んだ言葉を念頭に「ランダムではなく、何かしら根拠に基づく配置」を考えた。


「サイコロ」の部分から「魔女」の部分まで、上手く繋げると




制作して頂いたNEZ様に敬意を表し、星座のような「NEZ」の文字が浮き上がるギミックとなるよう配置した。


これら創意工夫、カッコつけると「デザイン」の一端となるのだろうか、それらは決して表立って主張する機会が多くはない。
むしろ私の中で、これらデザインの本質は「縁の下の力持ち」のような、周りに気がつかないうちに実は陰で支えていました、といった立ち回りでこそ活きる存在ではないかと考えている。
先日も「直角ではなく敢えて斜め右12度に折り曲げた横断歩道」が話題となったが、目にされた方の中には「何度も通ってはいたが、気がつかなかった」というコメントが数件上がっていた。

決して目立つ事はなく、「言葉では上手く表現できないけれど、なんとなく、いい!」に訴えるもの。
だからこそ、一辺倒ではなく本質まで理解が届き、言うなれば「わかる人だけがわかる」中身の本質の良さに気がつく、そんな「真の理解者」には感謝の言葉でいっぱいだ。

たとえ気がつかなかったとしても、所詮は陰の存在、腐ることなく「そんなもんだ」と割り切り、一部の「心良き理解者」のために、もうひと頑張りできるような。
創作活動のサイクルとは、目の前に提示された見返りに加えて、創作を続ける自分を真から理解していただける方へ「最大級のご奉仕」という意味合いも含まれているのだと、最近はその方向に考えが向く自分だ。

まだまだヒヨッコの自分。これからも岩田さんの「なんとなくは、ダメ!」の考えを創作活動の軸とし、秋の新刊も含めた制作に力を入れたい。
そして稚拙ながらも私の作品を本当に心待ちにされていらっしゃる方々に最大級の御恩返しができますように、こちらも最大限の努力で御恩返しをせねば、と、再度気合いを入れ直したのであった。


2019年8月27日火曜日

出会いは一期一会 ー突発的関西旅行記ー

それは突飛に思いついた旅だった。前準備も何もなく、行ってすぐ帰るという時間計画の他に本当に何も決めてはいない。
事後報告となるが、前準備の至らなさも含め反省する面は多々あるし、そのおかげで「できなかった」「見逃した」ことも非常に多かった。
旅というものは「しおり」があり「準備」があり、きちんとした計画や目的があってこそ真に楽しめるということを実感した。

唯一、定まっていたことがある。
今回の関西遠征は「お礼を伝えに行くこと」
来月21日に開催される「神戸・三宮ボードゲームフリーマーケット」の前に、一度自ら足を運び、関係各所へ御挨拶に伺うことが目的だ。


勢いに任せ、AM7時、駆け込むように新幹線に乗る。





2時間30分ほどで大阪に到着。ここまで本当に勢い一辺倒だったせいか、今ひとつ「大阪に着いた!」という実感がわかない。
関西弁の飛び交う喧騒、うどん屋やジュースバーで賑わう駅ナカ、それらの雰囲気を肌身で感じ取っているうちに、じんわりと「ここが関東ではない別の場所」であることを何となく自覚する。

ともあれ、最初の目的地は兵庫県加古川市に位置する「駒の時間」様だ。



多くの棋士を輩出し、「棋士の街」を看板に掲げる、いわばアナログゲームにもゆかりのある加古川。
こちらでボードゲームプレイスペースを切り盛りするkomaさん、Tokiさんの御二方はいつもと変わらぬ笑顔で私を出迎える。
先日8月17日、ラミィキューブ日本選手権兵庫予選会を兼ねたボードゲームイベント「ひょうごゲームこんべんしょん」が大盛況のうちに幕を閉じるなど、ボードゲームを中心に活動を展開する方々だ。
気さくな人柄で人望も厚く、県内外を問わず多くの愛好者が御二人にお会いしたいと訪れる。



何はともあれ、ボードゲームを広げる。
持参したキャリーケースには、9割がたボードゲームが詰まっていた。

ちょうどお店に、昨年のラミィキューブ全国大会王者の「なな」さんが親子で訪れる。
ななさんはラミィキューブに限らずボードゲームなら何でも興味を持つ女の子で、次から次へと作品を手に取っていた。



ななさん親子を交え「なつめも」をプレイ。

ポッドキャスト「万屋楽団のそれなりな日々」など多数のメディアで取り上げられた、この夏誰もがイチオシする、関西のボードゲームデザイナー宮野華也氏が手がけた作品である。
夏休みの期間内で、各種イベントや宿題をこなし得点を稼ぐゲーム。
イベントの種類やデザイン、候補を取るシステムに挙手制を採用するなど、要所要所で童心に帰ることのできる点が素晴らしく、中量級ながら思わず再プレイをとうずいてしまう中毒性を秘めていた。

加古川に別れを告げ、大阪へと戻る。

以前大阪でもご挨拶できたシオンさん案内の元、夕食は本場大阪の串揚げのお店へ入ることに。
牛肉やオクラなどに加え、こんにゃくやパン、チーズちくわなどの変わり種も豊富に用意されたお店で、時間いっぱいまで揚げ物を堪能した。

食後、心斎橋近くに店舗を構えるボードゲームカフェ「ピエット」様へ。
満席とのお知らせを受け、御挨拶だけ無事に済ませる。
店長のクロさんはこの日も額に汗しながらも笑顔で我々を招き入れ、賑わいをみせる店内をせわしなく動き回っていた。
邪魔にならないよう小冊子を一部寄贈し、次の目的地へと向かった。

谷町四丁目の「ギルド」様へ。
実は先日開催のボードゲームクリエイター交流会等各種イベント以外では足を運んだことがなく、会員証を発行することも今回が初めてとなる。
この日も店長の大阪さんと名物店員のアリサさんはいつもの屈託のない笑顔で、呼ばれたとあらばすぐさま遠方へとルール説明を補足しに飛び回っていた。

ギルド様では私の持参したゲームを一部プレイする。
金沢でも好評を博した「Fish &Ships」
可愛らしいパッケージながら、株ゲームの主軸のみを極限まで抽出した作品。
連続でプレイするたび、とても子ども向けとは思えないほどのアツい駆け引きが堪能できる。

少し遅い時間となったものの、この日の宿に無事たどり着き、疲れた体に最後のムチを入れながらこの日も4コマ漫画を作成した。

翌朝。
流石に年甲斐もなくはしゃぎすぎたからか、全関節にダンベルを吊り下げているかのような、重い、重い身体。
ベッドで横になりながら「ここに行きたい」という妄想は膨らみこそすれど、思惑とは裏腹に一向に身体が追いつかない。
引きずるキャリーケースが、あたかも奴隷の鎖に錯覚する。

エネルギーを補充するべく、阪急梅田駅構内に構えられた「元祖ミックスジュース」のスタンドへと移動する。
牛乳と果物だけのシンプルな味わい。コップのフチギリギリまで注がれた、冷たく飽きのこない飲み物。
「乳アレルギー」「果物アレルギー」そんな言葉は看板に書かれてはいない。
まさに古き良き昭和の風情が漂う、サラリーマン憩いの空間だ。

少し元気を取り戻したところで場所を移動し、本日向かうは一路「和泉府中」へ。
以前からお世話になっている「すがえり」さんのボードゲーム会に急遽参加する。



閑静な住宅地にたたずむデイサービス施設「自由帳」
少し早めに到着し、トランプなどを広げつつ、他の参加者を待つ。

関西に足を運ぶたびにご一緒する山路さん親子とも合流。
先日手に入れたという「となりのトトロ トトロのどんどこゲーム」をプレイする。


ババ抜きの要領で相手のカードや自分のカードをめくり、できる限り多くのどんぐりを集めるこのゲーム。
パッと見はお子さま向けではあったものの、プレイ感覚は中量級ドイツゲームのそれで、相手をかく乱させつつボーナスを得る攻防が終盤まで楽しめる佳作だった。

すがパンの会名物「美味しいパン」も堪能する。
こんがり焼き立ての小麦の香りに添えられたフルーツが芳しく、中のクリームが甘さ控えめで、甘いものが苦手な自分も美味しく食べることができた。

名残惜しくもあったが、別れを告げ、次の場所へ。

ヒカリゲームズ堺様へ。
こちらではネスターゲームズの作品も各種豊富に取り揃えられており、早速店内では「アメーバ」などの作品がプレイされていた。

少し大柄な店長が、お店の傍らで、プレイスペースも兼ねた店内全体を微笑みながら見渡している。

ネスターゲームズ作品の「カバとワニ」、そして偶然目に留まった格安の「通路」を発見し、併せて購入する。

もう少し、といったところで途中激しい夕立に会い、身体がしっぽりと水に濡れてしまう。
這う這うの体で裏中崎の「賽翁」様に到着。
少し前にはボードゲームクリエイターとして活躍中の珠洲ノらめるさんも訪れたという「ボードゲームミニフリマ」が開催中と聞きつけ、御挨拶も兼ねて伺ったのだ。

白熱色の電球で照らされた店内は、これまでと一風異なり、静かな大人の雰囲気が漂う。

濡れた身体で長居するわけにはいくまいと、こちらも軽く店主に御挨拶だけを済ませる。店主自慢のコーヒーは次回神戸・三宮の際に堪能することにしよう。
こちらでは「ヤバいか≒ヤバイカ」を購入することができた。

疲れた体の中であちこち動き回ったからか、空腹を忘れ、さながらゾンビのような風貌でふらふらと移動する私。
慌てて近くのうどん屋へ駆け込み、なんとか帰りの新幹線前に食べ物を堪能することができた。

PM9時04分、新大阪発の新幹線に乗り込んだ私。
風情のある旅、というより、これではまるで弾丸旅行だ。

リクライニングシートを倒し、前々から気になっていた「冷やしあめ」を口にする。
生姜のスパイスが効いた素朴な甘さに、旅の疲れも忘れ、思わず頬が緩む。

今回の旅でも、いろいろな「笑顔」を味わった。
「いかとりにょりとおけいのいかがわしいラジオ」DJのいかさんが以前教えてくださった「大阪には味ではなく、人に会いに来て欲しい」という言葉が頭に浮かぶ。

前回私は「会いたい人に、いつでも会える」そんな時間、空間を目指したい旨の文章を綴った。

<リンク先:番次郎の盤上万歳‼︎「また、会いに行きますー関西プチ旅行記 備忘録ー(2019年6月26日)」https://hibikre.blogspot.com/2019/06/blog-post_26.html

今回の短い旅程を通じ、改めて人と人との出会いは「一期一会」という言葉に集約されることを学んだ。


一期一会
「一生に一度しか会う機会がないような縁」という意味で使用される言葉だ。
一期とは仏教で人の一生を意味し、千利休の弟子、山上宗二が用いたとされ、本来は「人と人との出会いを一生に一度の出会いと心得て、真心を込めて行う」という茶会での心得を教え伝えた言葉とされる。
(慣用句・故事ことわざ&四字熟語使いさばき辞典(東京書籍編集部 編)より引用)

ボードゲームの出会いは一期一会、そんな言葉を界隈では度々耳にするし、自分もさながら自嘲しつつ口にする。
ニュアンスとして「目の前に並べ飾られた作品は迷うだけ損」という意味合いではあるが、きっとカフェ、プレイスペースでの出会いもこうした本来の意味としての「一期一会」という言葉に集約されることだろう。

一度しか会えないかも知れない、そんな気持ちを込め、最大限相手に礼を尽くす。
その中で、自分も含めた全体の場が、最大限楽しめるにはどう立ち振る舞えばよいか。

それは決して「自分を犠牲にする行為」に安易に結びつけてはいけない。
今回の出会いを通じ、自分が大切にしたい相手を通した眼鏡が、自分も「相手にとって掛け替えのない一部の存在」として見えていることを実感した。

ツイート上での苦しみ、つらさを決して口にしない、そう固く誓いながらも、時に自虐的な言動として態度の端々に滲み出てしまった自分を深く内省するうちに、多くの方から「ゆっくり休んで」という言葉をもらったことをぼんやりと思い浮かべた。

帰りの新幹線は新横浜へ到着する。

むせかえるような暑さに終わりを告げたかのように、駅構内をひんやりとした空気が覆っていた。
私ははやる気持ちを冷たいコーヒーで抑えつつ、この日もいつも通り4コマの作成に勤しんだのであった。






2019年8月21日水曜日

小さく、強く、しなやかにー金沢ボードゲームマーケット体験レポー

2019.8.22.2110(加筆修正)



「良いことは先延ばしにせず、なるべく早めに始めよう」

これは最近、僕の中で格言としている言葉だ。時期を失せず、その場で出来ることならば、多少骨になろうとも即座に実行に移す。

とはいえ、そのためにはあらかじめ脳内に蓄積されてあった情報、とりわけそれらは活字や会話等、他者との交流を経て手に入れることができた情報からなる、いわば無意識下の行動ではないかと解釈している。

今回の金沢遠征も、後で思い返すと、OKAZU brand林尚志さんのかつてのインタビュー記事が、何かしら僕の頭の中に引っかかっていたのかもしれない。
林さんは先のインタビューでこう答えている。

(イベントに行くと交通費や出展料などがかかってしまいますが、そこを鑑みても出るべきという判断なのでしょうか?)

正直な話、ペイするかというとしませんね。なので、OKAZU Brandのゲームを色々な方に知ってもらうというところに重きを置いています。
あとは、旅行に行って美味しいものを食べると。
(中略)
特に「来てくれてありがとう」と言ってもらえると嬉しくなりますね


リンク先>ニコボド「【インタビュー】OKAZU brand・林尚志氏(後編:日本のボードゲームシーン、ルールライティングについて(該当部分は「全国のボードゲームイベントについて」より抜粋))」https://nicobodo.com/archives/interview-okazu-brand-3.html


「縁は奇なもの粋なもの」
本当に先人は上手い言葉を残すもの。

かくして、8月18日土曜日、AM9時43分、東京発金沢行きの新幹線に飛び乗った僕は、不安を期待で押し殺すかのように、一路、石川県金沢駅へと向かった。



大きなモニュメントが出迎える金沢駅は、国内外を問わず多くの観光客で賑わいを見せる。
高校野球も地元の星稜ナインが頑張りを見せ、街頭モニターの前では多くの方が足を止め、白球の行方を固唾を飲んで見守っていた。

漁師町金沢はもちろん魚介類、そして金箔工業等も有名だが、僕のおめあてはもっぱらB級グルメである「金沢カレー」だ。

市場の地下に位置する金沢カレーの老舗「チャンピオンカレー」
スパイスの効いたルーは粘性が高くドロリとし、おわん型に盛られたご飯やサクサクのカツとの相性も抜群だった。

お腹もふくれたところで、一路、今回お世話になる「ゲームスペース金沢」様へ足を運ぶ。



ゲームスペース金沢様の運営スタッフ様は、今回お世話になるボードゲームマーケットの主催・運営を主に務める。笑顔が素敵な、とても気さくでフレンドリーな方ばかりだ。
先に開催された北海道ボドゲ博でも、数名の方が様子を確認にいらっしゃるなど、その飽くなき姿勢には心の底から敬服する。

棚の中には数多くの有名ボードゲームが所狭しと並ぶ。
空調の効いた室内では、多くの方がボードゲームに興じていた。
室内をうろつく愛らしい番犬、ならぬ「番猫」は、僕の顔を不思議そうに眺めてはニャアニャアと高い声で鳴き叫んでいた。
とはいえこちらはゲームスペース、私も早速持参したボードゲームを披露する。重いゲームとは一風異なる軽めのゲームに少々不思議な面持ちだったが、取り出した「カルテル」「Fish&Ships」を喜んでもらえたようで僕自身とても満足した。


明日に備え、少し早めに就寝する。
が、もちろん眠れるわけもなく、喉の調子を整えるため、空調を切ったり入れたりを繰り返した。

翌朝。雲ひとつない青空。
眩しいほどの朝日で目が覚める。

気が急いた僕は、早めに荷物を整え、少し早めに現地入りした。中ではスタッフの方が机やイスの搬入の作業に没頭していた。
僕「番次郎書店」ブースに割り当てられたスペースは、力不足にもほどがあるほど大変広いものだった。
長いテーブルは3つ、イスも使おうと思えば5つまで。スペースも後方も含めて広く使用可能、その上、いつでもお手伝い可能というスタッフを2名もつけてくださるなど、まさに“いたせりつくせり”だ。
個人出展ながら、さながら「独り企業ブース」を運営する心地だった。

ふん、と気合を入れ、設営を開始する。
今回金沢では初めてA1版のポスタースタンドを作成・使用した。


1時間足らずで設営は完了。

私のブース運営スタイルは変わらない。
ひたすら声を出し、本を「頒布」する。「売る」のではなく「知ってもらう」
数々の有名ボードゲーム制作ブースが立ち並ぶ中、見慣れない本を頒布する唯一のサークルが僕なのだ。

カウントダウンとともに、本日のボードゲームマーケット、開幕。


気温32度と予想された今日の金沢市。
地下コンコースは天井からの光も差し込み開放感すら感じ、若干の風も吹き抜けるだろうと感じたが、人の熱と幾分高めの湿度に参ることとなり、後半はスタミナ、さながら熱中症との勝負と相成った。

北海道で大活躍した「冷たいおしぼり」は、この日も最後まで大活躍を見せ、来場された方を始め、スタッフや出展者の方、等々、多くの方に喜ばれた。


もともと汗っかきの僕。
吹き出す汗が紙媒体にかからないよう配慮し、時折スタッフから「抑えてください!」と諭されるほどの声を出しながら、僕は積極的にブースのアピールを続けた。
(もっと気楽に、のんびりと行ってもいいはずなのに、ね。)

「世界でここだけ!本屋さんでも売っていない、ボードゲームのクイズになぞなぞの本です!」
金沢の方、そして観光に金沢を訪れた方など、多くの方が足を止め、並べられた小冊子に興味を持ってくださった。
チラシやおしぼりを差し出すと、こわばった表情が瞬時にほころび、本当に嬉しそうな表情で手に取ってくださる。
それら表情の変わる様が嬉しくて、僕は疲れも忘れ、あらん限りの声を出してアピールした。

この日は能登ごいた保存会金沢支部の落成式が執り行われ、全国各地のごいた支部の方々や、東京・品川のごいた喫茶マーブルの方など遠方から多くの方が応援に駆けつけた。
会長の言葉に湧き上がる会場。
僕も誰よりも負けじとばかりに、割れんばかりの拍手で応援した。

15時を回る。すでに体力、気力、ともにレッドゾーンだ。
少し離れたスペースでは地元の星稜高校ナインが、こちらも熱い最中の甲子園で奮闘していた。
持参した梅タブレットを口にしながら、引き続き声を張り上げる僕。
スタッフが配置されているとはいえ、一人でブースを切り盛りすることを前提に進めていた以上、急な路線変更に対処できなかったからだ。人を上手く使うことの難しさを身を以て学ぶ。


16時30分、無事に終了。終わってみれば我がブースは、北海道と同じく上々の売れ行きを見せたのだった。
そして毎度のことながら、僕はここでスタミナゲージを使い果たす。

喉が痛む。
つばを飲み込むと、血液を含んでいるかのような、少し鉄っぽい味がした。
声はもう出ない。
終了後にも業務が残されているとは頭にあるのだが、それでも閉演時間一杯まで、声の続く限り片付けることなく延々とアピールを続けた。

だから、というわけではないが他の魅力的なブースを見て回ることができなかった。ゲームNOWA様では新作の試遊会なども行われていたようだが、あいにく指をくわえて眺めるしかなかった。
目の前には北条投了様の新作やもんじろう様の新作などに興じる参加者の方。
そんな僕を見かねたか、もんじろうブースの居椿氏がわざわざブースに新作「鳥たろう」を持参して頂けた。北条氏は拙著4コマの新作を手にし購入してくださった。
頭の中で何度もひれ伏しながら、僕はブース運営、とりわけワンオペについても今後見直さなきゃ、と考えることにした。


さて、事切れていようとも、会場の撤収を手伝うのは自分より他にいない。
残された体力を必死でかき集め、そそくさと撤収作業に移行する。
今回の金沢に携わった多くの方々が、イスや机をテキパキと、そして笑顔で「お疲れ様でした!」と声を掛け合いながら、最後まで指示の通りに動いて回った。

金沢ボドマのスタッフは会の終始を通じ笑顔が絶えなかった。
そして何より、現場監督がそんなスタッフに的確な指示を出す姿が印象的だった。
有能なスタッフと、それらを司る運営陣。
人を動かすためにはそれ以上の努力が必要だと、これはカーネギーの言葉だっただろうか。
撤収をしながら、ぼんやりと昨日のゲームスペース金沢に蓄積された膨大な量のボードゲームを思い出す。
あれだけの知識と経験、そしてボードゲーム等で培われた「団結心」があるからこそ、本イベントも無事に大きな事故等も起きることなく成功に導くことができたかな、と振り返った。

金沢ボードゲームマーケットは、今回5thを機に一旦お休みします、とアナウンスされた。

喉の奥の小石が外れないよう、僕は慎重にその言葉を飲み込んだ。

本当にお疲れ様でした。

一人ができることは、所詮、小さなことなのかもしれない。
しかしながら、一人が動かせるものの大きさを甘く見てはいけない。
それは結果としての量にとどまらず、その先に繋がるであろう、見えない部分に派生する部分も含めて、だ。
「自分の存在に悩んだら、部屋の中に蚊を一匹入れてごらんなさい」
ハリウッドのとある女優はそんな言葉でうそぶいた。

小さく、弱く、それは決して力づくではなく、しなやかに、和やかに。

金沢ボドマのイベントが投じた一石が、いつか大きな巨岩となり、大きな舞台を動かせる存在となるような。
わずかな時間に凝縮された体験を通じ、スタッフを始め運営に携わった方々、当日立ち上がった能登ごいた保存会金沢支部の方々、そして出展者や来場者を含む全ての方々が一丸となって、言葉の通り「金沢から盛り上げる!」、そんな計り知れない底力をひしひしと感じたのだった。

「再度の開催をいつでも心待ちにしております。」

故郷の両親が独り立ちする我が子を「いつでも帰っておいで」と見送るような、僕はそんな気持ちで暖かく見守ることにした。



翌日はあいにくの雨模様、らしいといえば実に「金沢らしい」天候だ。
たった一滴の雨粒が、疲れの癒えぬ僕の体を冷やしにかかる。
僕はそそくさとアーケードへと移動し、お世話になった方一人ひとりの笑顔をニンマリと思い浮かべつつ駅コンコースに並ぶお土産品を物色することにした。僕にとって、それが本イベントに参加した何よりの報酬なのだ。


(了)

ありがとうございました。





2019年8月17日土曜日

忘れっぽい

私は幼少の頃から忘れっぽい性格だった。
人より二倍三倍勉強しなければ、テストで平均点を取ることすらままならなかった。
部活など、これから控えるイベントなどもすべてそう。当日に向けて何度も予行練習を重ねたところで、やはり本番になると“ポン”と炭酸が弾けたかのように記憶が飛んでしまう。

まず私は相手の顔を覚えることが苦手だ。
Twitterを初めて以来、フォロワー等を通じ多くの方と直接お話しする機会も度々あったけれど、一、二度お会いした程度では「相手の顔を覚える」という牙城を崩すことができない。
「こんにちは」と微笑みかけられても、私の頭には常に大きなハテナマークが浮かぶ姿が見て取れる。
数度会話を交わし、ようやく相手の言葉に垣間見える端々から相手の人となりを想像し、ようやく「ああ、あのアイコンの!」と記憶の糸が鮮明に見えてくる。
要は、かなりの時間を要するのだ。

読書は好きで、人より多少は読んでいると自負するほどだ。
しかしながら、読んだ本の内容をすべからく憶えているかといえばそうでもない。
読後、いざ感想を書き出そうとすると、読後の充足感からか感想がとーんと浮かんでこないこともしばしばだ。
だから読書に限らず、ボードゲームやイベント等などの感想は、なるべく体験直後に綴ることにしている。
その際は写真等で済ますことなく、なるべく自分の言葉でまとめ、散らかった脳内の断片を自分の言葉としてまとめ、選り分け、整理することにしている。


もうひとつ、
相手に親切にしたことも、すぐに忘れてしまう。
先日とある方から「先日は○○のご寄贈ありがとうございました!」と感謝の言葉をかけられたものの、一瞬「本当に自分の寄贈したものなの?」かとたじろいでしまった。
寄贈も寄付も、半日も経てば私の頭の中からはすっぽりと抜け落ちてしまう。
だから感謝の言葉は結構。あとは相手がどうしようと気にも止めません。

私は忘れっぽいのです。

2019年8月10日土曜日

感情は揮発性

感情は揮発性

これは最近、私の中で何度となく反芻している言葉だ。どちらかといえば、格言のようなものに近い。

「楽しい!」と思う気持ちは、なるべくすぐ行動に移すこと。

Twitterなどで「今日が誕生日です」などのツイートを見かけた時には、作業の手を止め、考えられるだけの言葉で飾り、贈ることにしている。
決して「コピペ」はしない。似たような言葉を使おうとも、自分の言葉で、心を込めて綴る。
誕生日メッセージで一人だけ浮いたツイートが並んでいるけれど、もう気にならなくなってしまった。これはもうある種の病気に近い。

応援の形も、気持ちや言葉より、花やプレゼントを贈ることにしている。
「大事なことは気持ち」と突き放す方もいらっしゃるだろうけれど、気持ちや言葉などの「目に見えない」モノよりも、何かしら「目に留まる」形として、相手に伝えることにしている。
迷惑とあらば、反省、学習し、次に活かせばいい。
モノを購入することだって応援の一つだ。
もちろん、直接声援を送ること、声という形にし、直接自分の言葉で発し、相手に届けるスタンスだ。
具体的には、コミックマーケットやゲームマーケット等のイベントで、直接お礼を伝えたのちに作品をお金で払うこと。
これだって一つの「応援の形」であるはずだ。

感情は揮発性
だから思いついた時には、すぐに実行に移す。
悪い気持ちを思いつく“いとま”を与えず、スッと行動に移す。
人はそれを「行動力がある」とも「無鉄砲」とも揶揄する。
おかげで資金も体力もみるみるうちに減る一方だ。
それでも「あの時やらなかった」時の後悔に苛まれることを考えると、本当に微々たるものに過ぎないと考えている。


感情は揮発性
これは反対に、悪い気持ちにも当てはまる。
「イヤだ!」という思いは、しばらく寝かせることにする。
元来のネガティヴ思考だから、たとえ冗談だろうとも、相手から指摘された言葉の一つ一つ、特に悪い感情については、楽しい気分がサッと冷めて気分が急降下してしまう。
そこで一旦「やめやめ!忘れよう!」と、別のことを考える。
そうでもしなければ、悪い思いは募りつのって、自分をより強く深く傷つけてしまう。


また、悪い感情は基本的に強いエネルギーを放つ。
心拍数が上がり、発汗し、声を荒げ、体内のあらゆる循環が活発になるような、そんな錯覚すら憶える。
しかしながら、瞬発的なエネルギーは、それだけ瞬時に収束する。
熱しやすい貴金属が相対して冷めやすいことと同様に、カッと上がった熱量は、時間とともにすぐさま収束へと向かう。
だから私は、感情が荒ぶりそうな時は「ありがとうございました」とその場を切りつつ離れることにしている。
冷えた外の空気を吸い、知らぬ間に熱を帯びた体を「物質的に」冷やすことにする。


とはいえ、あまりにこちらの感情を揺さぶる人間に、長く笑顔でお付き合いするほどのエネルギーは持ち合わせてはいない。


最近ボードゲーム関連で、知人も含めた多くの方と触れ合い、自分の中の気づき、そして成長が、自分の中だけで為し得ることが難しいことを学んだ。
酸いも甘いも嚙み分け、自分の中の現実を受け入れたのち、自分の外の世界と対峙させながら共存・共栄させること。
その中に、自分の居場所、最近の言葉では「自己肯定感の高まる場所」を見つけることができる。
そんな「生物が持つ生存本能に基づく行為」が、どれだけ難しく、そして、大切なことかを身をもって学んだ。

自分の体(資本、資金など)は有限だ。
お金だって、時間だって、限られている。2回行動できるボードゲームは、多くの作品がチート行為として取り上げているほどだ。

だから私は、自分の感情に責任を持って行動したいと思う。
フッと消え、後には何も残らない、そんな揮発性を持つ「感情」だからこそ、過去の自分を受け入れ、大切にし、そして何より、そんな自分を心から受け入れてくれる周囲に畏敬の念を払い、大切に、大切にしようと願う。



8月13日はお盆ですね。




2019年8月4日日曜日

すごろくや祭、ここが良かった!感想

8月3日に浅草・台東館で開催されました「すごろくや祭(やさい)」に参加致しました。
身の回りの都合(と、若干の電車遅延)により、入場は11時40分ごろ。
入場開始時間は11時でしたので幾分遅れての参加でしたが、すでに注目作の「ダニー」は品切れという状態でした。残念。

それでも今回、この「すごろくや祭」、もちろん注目作の先行発売や各サークルの魅力に溢れるイベントなどももちろんそうですが、これまで体験したボードゲーム関連イベントの中でも自分が特に充実したと感じた内容でしたので、どのあたりが良かったのかを上げていきたいと思います。

<準備>
・カタログなし、渡されたものは「名札」と簡単な地図のみ
 今回のイベントは前売り券と若干数の当日券、私は前売り券を店舗で購入致しました。
 店舗で購入する際も、住所、氏名等連絡先の記載が必須となるなどありましたが昨今の事情ですとやむを得ないのかな、と思います。
 加えて、カタログのような冊子がないのです。パンフレットには会場までの経路と簡単なイベントスケジュールが記載されている程度。ブースの配置などはTwitter上にてPDF配布されました。
 この極限まで無駄を排した作りに感動しました。

・名札に「好きなゲーム」「興味のある国」など
 その名札も、名前を記載するだけではなく、出身地や好きなゲーム、果ては「興味のある国」など、そんなことまで聞いてどうするの?といった内容も記載されておりました。
これは当日、語ろーぐなどのイベントで使用されたとのことですが、こうした遊び心、大好きです。


<〜前日>
・主催側による参加サークルとイベントの紹介
  主催側となります「すごろくや公式ツイッター(@sugorokuya)」では、定期的に各サークルと、当日のイベントを紹介するツイートが流れておりました。

・当日券は会場の1時間前に販売
 ツイート上で告知されていた情報のみですが、昨年はかなりの列を形成した当日券も100枚ほどしかなかったとのこと。販売は開場の1時間前、それでもお昼12時の段階で20枚ほどが確保され、午後3時ごろに当日券も無事に完売、と。こちらも大きな混乱は見られなかったように思えます。11時40分に入場した私もスムーズに入ることができました。


当日

<会場内施設>

・空調が快適
 当日はかなりの酷暑となる猛暑日だったようですが、室内はそんなことなどおかまいなし。前売りチケットの枚数から人数もあらかじめ掌握できていたからか、空調はむしろ効きすぎるくらい快適でした。

・飲食OKのイベント、場所
 ボードゲームに大敵とされる水物、具体的にはジュースなどのドリンクも、飲食物が販売されている場所ならばOKで、そのスペースも柵で囲まれておりました
 飲食物にもボードゲームに関するイベントが仕込まれているという徹底ぶりです

・会場マップがいたるところに掲示
 当日の各ブース、マップが掲示してあったことに加え、上から吊るすタイプで各サークルの名前が表示されており、カタログを見ながらウロウロすることなくのんびりと回ることができました
 もちろん運営本部の場所も明確で、失くし物をした時、どこに本部があるのかも一目でわかりました。

・どこでも座れる、万能「どこでもスツール」
 各種イベントを経験する中で、来場側の休憩する場所がない問題にも直面しますが、当日一人一つ手渡される「どこでもスツール」、会場のイス代わりとして、軽くて携行性も高く、何より広めのスペースがあれば広げて腰掛けることが可能という万能ぶりを発揮しておりました。
 


<イベント内容>

・講演あり、トークイベントあり、全体ゲームあり
 すごろくやって何をしているの(大人のハローワーク)、草場純先生のわらべ歌、放課後さいころ倶楽部トークイベント、目撃者たちの夜(ワンナイトマンション)製作者秘話、全体ゲームなど、公演となるスペースでは時間をおいて定期的にイベントが開催されておりました

・コインシステム
 会場内でゲットできる「や祭コイン」、遊ぶとコイン、勝利するとさらにコイン、講演を聞いて、買い物をして、と、遊ぶうちにどんどん貯まることが嬉しかったです。私は日がな一日のんびり遊び、最終的に15枚ほどゲットできました。
 10コインで交換できる謎袋(中身はボードゲームとのこと)などの商品も魅力があったからか、交換レートの高い順に売り切れが続出しておりました。もう少しレートを高くしても良かったかもしれません。


少し時間を置くとまだ挙がる気がします。それくらい楽しく充実したイベントでした。
何より、スタッフ、関係者の方々をはじめ、参加された大勢の方が笑顔でプレイされたこと、初めての方でも老若男女問わず多くの作品の魅力に触れることができましたことなど、大変印象深く残っております。

来年も是非、参加したいです。
今度は楽しみを「提供する側」に回れたらいいな、なんて。


2019年7月28日日曜日

伝わる言葉は時空を超えて ー3巻入稿の御礼に代えてー

先日、晴れて拙著4コマ3巻目となる「きょうもボドびよりさん。」の入稿が無事に終わりました。
予定ですと、次回8/18(日)金沢ボードゲームマーケットを皮切りに、神戸三宮ボドゲフリマ、ゲームマーケット秋の頒布となります。

(自書の宣伝・広報といった意味合いのブログではございませんので、ここでの具体的な内容は極力控えます。気になった方は是非ゲームマーケット公式ブログを(リンク先>>http://urx.red/rfv9)ご確認ください)

クイズ、なぞなぞの制作から一線を画し、ただでさえイラストが上手いとも言えなかった私が、数々の縛りを重ねた中でのスタイルを継続し、応援があるのかないのかわからない中、いよいよ3巻目、累計150本もの漫画を世に産み出すこととなりました。

もう一度記述します。
「イラストが上手くはない」
現に私は、4コマを描こうと決めた半年前など、いわゆる「白ハゲ」キャラを描くことが精一杯だったのです。
それでも「イラストを描けるようになったら、そのうち、漫画が描けるようになったらいいな」という、幼き日の秘めたる思いに手が届くやいなや「ならば自己満足でいいからやってみましょうか」と、頭よりも身体が勝手に動きました。
「絵がもっと上手くなったら…」
「面白いネタが浮かんでから…」
そんな「もっと、もっと」といった一切の理由を塞ぎ込み、見切り発車もいい形で4コマを描き始め、投稿するに至りました。

無鉄砲と呼ばれても仕方がありませんね。

それでも心がけたことが一つだけあります。
「出来うる限り、毎日継続すること」でした。

この4コマは、基本的に「描きため」といった形式を取ってはおりません。
アイデア出しの練習も兼ねた上で、常にその日の夜に考えをまとめ、ネタ出しからラフ(下書き)、ペン入れまで、その日の夜にまとめて作業しております。
最近は加えてツイキャスライブ上にて作業キャスなども行いながら、ペンのお供におしゃべりなども行なっております。(大抵しゃべっている間は筆が止まっています…)
こんな作業態勢ですから、時にアイデアの出ない日もあるわけで、沈んだ気持ちで「今日は更新休みます」と告知する時もあります。ハハハ…(乾笑)

7月28日、4コマ作成から今日で作成からちょうど半年を迎えます。
今見返しますと、第1巻の第1話の顔から火が出るほどのイラストでも、当時の丹念に時間をかけ、丁寧に何度も上から線をなぞっていることが伝わります。
とても上手いとは言えない(今でも上達したとは言えない)ですが、とても大好きな、自分の原点となる4コマです。
たとえ漫画というアナログの媒体が電子書籍と形を変えようとも、筆者の伝えたいメッセージは、筆圧やタッチなどを通じ、言ってしまえば、イラストの上手、下手を超越した形で、読者の肌感覚を通じて伝播するものなのかな、と、考えたりするわけです。
それらのメッセージは、たとえ上達しようとも、タッチが微妙に変わろうとも、見る人が見れば、決して変わることがないものです。
時間をかけた作品には、それだけ、見えない部分の熱量が伝わるもの。
何がどうした部分?と問われましたところで、先にありました「なんとなくそんな気がする」ものですから具体的に明示できないのですが、一巻を見返しながら、作者であります私自身が今もって強く、強くそれらを実感しております。


決して高く評価された作品ではございませんが、これからもぼちぼちと続けていきたいと思います。




そして、ここでどうしても紹介したい方が御二方いらっしゃいます。
2巻目を出す、出さないの天秤がグラグラ揺れた際、その発端となった方です。

4コマの1巻を初めて頒布したゲームマーケット大阪のこと。
制作に大きく時間を取られ、特に大きな宣伝・広報活動もできない中、「20部も頒布できたら万々歳だ」と持ち込みました。
そんな時
「応援してます!5冊ください!」
と、拙著の4コマをまとめて購入された方がいらっしゃいました。

少し前に「300部で普通」なんて意見もありましたが、自分の表現する媒体が自分ではない誰かの手に渡り、お金という形で評価してもらえるという行為は、たとえそれが1部や2部であろうとも、少なくとも私にとって、天に昇るような心地なのです。
私の目からは“とめどなく”涙があふれました。
私はマゾヒスティックな性格に加え、非常に涙もろい性格だったのです(厄介極まりない…)

その手に取っていただいた方こそ、「どどめのボドゲーン」で知られるボードゲーム漫画の著者「どどめ(TwitterID:@dodomeBG)」さん、その方でした。

どどめさんはフリーペーパー「外房ボードゲームニュースvol.1」にて、4コマ漫画の連載も決定されたとのこと。
フリーペーパーはボードゲームカフェ「カラハンダ」様「ボドパや」様、蔦屋書店 茂原店 様、にて配布されております。

もうお一方

私の稚拙な漫画を見るに見かねたのでしょう。
講師を務める漫画の講義に呼んで頂き、漫画の基本のきの字もわからなかった私に一から背景の指導をして頂いた、堀場工房のたちばないさぎ(TwitterID:@isappe21)先生です。

私の漫画をご覧になった方は笑っていらっしゃると思いますが、イラストの基本も掴めなかった私は当然「空間パース?ナニそれ?」というレベル、本当に背景の描き方のコツがつかめず、かといって、独学の中では上手い具合に該当する書籍も見つからず、悪戦苦闘しておりました。
そんな私に聴講の機会を与え、理論から実践まで事細かにご教授頂きましたこと、大変ありがたく思っております。
あれから背景も含めてしっかりとコマの中を描くよう心がけ、無骨ながら遠近感をつかめるようになりました。

知識を一つ持ちますと、視点がガラリと変わるものです。
何気なく眺めていた漫画すら、それら空間、とりわけパースなどの配分を意識するようになり、等分や遠近感などをどうしたらうまく把握できるか、といったことも含めて、考えるようになりました。

先生は今度のゲームマーケット秋、かわいいネコをモチーフとした新作を予定されているとのことです。




2019年7月21日日曜日

「楽しみ」を刺激する側へ 北海道滞在記 その2

前回に引き続き、北海道遠征に関する内容です。

番次郎の盤上万歳!!第111回「そっと、手を取り合って 北海道ボドゲ博1.0備忘録」
https://hibikre.blogspot.com/2019/07/10.html

今回は北海道滞在中の、特に北海道ボドゲ博以外での出会いを中心に綴っていきたいと思う。

7/12 金曜
北海道に足を踏み入れたのは、実は前回冬以来、ではない。
ちょうど3ヶ月前だっただろうか。

「(北海道)ボドゲ博、興味はあるけれど、場所が遠いんだよなぁ」

そんな声を耳にし
「んなことはない!ならば今ここで俺が、パッと行って、パッと帰ってきてやる!」
と、勢いそのままに、翌日本当に札幌入りし、そのまま日帰りしてしまったのだ。
いやはや、勢いとは恐ろしい。


3度目となる札幌のボードゲームカフェ「こにょっと。」様



多くのボードゲーム界隈の著名人が通う有名店は、きむち。店長らをはじめ、明るく知的なスタッフが迎える。
胸に描かれた「インストできます」のTシャツがとても心強い。

待ち合わせの時間まで、自前のボードゲームを広げる。
私は特にトランプなどもプレイするので、41、カシノ、ゴルフ、ポートランド、ドゥピトーなどの作品も積極的に勧めて回る。


途中で通された親子連れと、たまたま遭遇した金沢ボードゲームマーケットスタッフの方々と共に卓を囲む。

小学生ほどの見た目のお子さんは翡翠の商人が大のお気に入りで、何度もプレイをしようと持ちかけた。
この辺りが興味深く、新しい作品を次に、次に、とプレイする私のような人間と違い、面白いと感じた作品を、味わい深く、じっくりと何度もプレイするのだ。
人によってスタイルは様々であることを痛感した。

金沢ボドマのスタッフも大変知的で、多くのボードゲームをプレイされていらっしゃる様子。
熱心だからこそ、それらに甘んずることなく、より多くの作品を求め、何より、どんな作品であろうとも全力でそれらを楽しもうとされる。
そんな姿に心酔し、次回のイベントも是非私の方でご尽力できることがあれば、と約束した。

しばらくして、やすらぎ企画のオヨット氏が来店。
私の中で今一番流行を見せる「ラマ」を同卓頂く。

オヨット氏は今回「三村人狼」という作品で北海道ボドゲ博に初出展されるとのこと。
都合により本番は顔出しできないとのことで、作品を先んじて受け渡してもらった。

トリックテイクに、人狼ならではの特殊効果がこれでもか、と搭載された特殊な作品。
かなりのバランス調整が行われたに違いない。
丁寧にバランスよく綴られたカードには、製作者のそこはかとない熱意や愛情が感じられる。


前回、前々回の北海道でも感じたことだが、時に人は無性に「滑稽さ」を欲しがるのではないか。
言うなれば、曲芸師が揃うサーカス団に光る、道化師役を乞い願う部分だ。

歳を重ねるに従い、あるいは、知力、体力、何かしらの力や自信をつけることで、自然とプライドも身についてしまう。
プライドをかなぐり捨て、何かを皮切りに道化の役を名乗り出ることは、とても、とても勇気のいる行為ではないか。

笑顔で対応するきむち店長、それらを支える大勢のスタッフ、終始笑顔の絶えなかったオヨット氏ら同卓された方々。
理解のある常連とおぼしきお客様が笑顔で支え合うからこそ「こにょっと。」が長く、そして多くの方に愛される存在ではないか。
わずかな滞在の中、笑顔で溢れる店内の雰囲気が、そう物語っていた。

オヨット氏と無事に落ち合った後も、引き続きゲームを広げていると、5時間という時間はあっという間に過ぎた
明日のこともあり、こにょっと。様を離れると、外は大降りの雨。
翌日の天候を気にしながら、足早にホテルへと戻っていった。


ボドゲ博の翌日は、大地氏のお誘いもあり、急遽、小樽市はキンダーリープ様へお邪魔する。

木の手触りと飴色の色合いが味わい深い、メルヘンな世界を切り取ったようなたたずまい。

中に入ると、一面、おもちゃ箱をひっくり返したような世界で溢れ、からくりの人形や見たこともないボードゲームが、所狭しと並べられている。

会を催すクレーブラッドの「はた」社長。
ボードゲームに初めて触れるであろう方にも、丁寧かつ紳士的に、わかりやすい口調で説明を繰り広げる。
店内で買い物をする多くの家族連れが、物珍しげにテーブルへと足を運ぶ。

はた社長は、今回のボドゲ博でも多くの国内作品を委託し、持参された方でもある。
委託を呼びかけた瞬間、即座に集められた作品の数々が、このクレーブラッドが持つ信頼の証を物語る。
搬送が困難とされたワードミノオーガナイザーも、自身の荷物の分量を割いてまで持ち込んだほど、作品への情愛を注ぐ方だ。

キンダーリープ様を後にし、短い滞在時間の北海道を後にする。


今回の北海道旅行を通じ、もっと自分は提供する側としてのセンサーを鋭敏に感じ取らなければならないと、強く感じた。

「楽しみたい」
それは多くの人の根底に眠り、何かの刺激を受けることで覚醒し、さらなる刺激を受け各人の持つ興味関心を呼び起こす。

情報化社会が叫ばれて等しい昨今、街を見回すだけで数多くの情報が、あたかもマリンスノーのようにズンズンと降り積もる。
多くの方が口を開けながら「何か面白いことでも、ないかな」と立ち尽くす中、今回出会ったきむち店長、はた社長をはじめ、ボドゲ博スタッフや出展者の方々、キンダーリープ店長や金沢ボドマスタッフなど多くの方が、ボードゲームという媒体を通じ、コミュニケーションの良さ、勝敗そのものが持つ思考の愉しみなど、ボードゲームを媒介とし、多くの感度を刺激しようと試みていたように感じた。

センサーを刺激する側は、時に道化の役を演じ、その影では尋常と呼べない努力を重ねながらも、相手に対しては汗など見せることなく、あくまで平然と、笑顔で接する。
強く、かしこく、何よりカッコいい。

“ほ ほ 蛍こい こっちの水は甘いぞ”

それはまるで、光り輝く蛍の群れを、そっと呼び寄せるように。

北海道という地で「ボードゲームの楽しさに触れるきっかけを待っていた」多くの方々が、今回の濃密な3日間をきっかけに、水の波紋が広がるが如く、輪を広げ、静かに、その小さな一滴が、北海道の大地に大きく芽吹きますよう。


・・・。

からりとした空気から一転し、未だ梅雨の開けない関東は、むせ返る暑さが漂っていた。

帰ってきた。
さあ、次回は私が、そのきっかけを生み出す手番となるのだ。







 





2019年7月17日水曜日

そっと、手を取り合ってー北海道ボドゲ博1.0備忘録ー

参考:番次郎の盤上万歳 勇気一つをともにして ー北海道遠征記 初日ー 2018年12月10日
https://hibikre.blogspot.com/2018/12/blog-post_10.html


出発にごたごたが続くことなど日常茶飯事だ。
前日の睡眠不足に忘れ物、飛行機の遅延に天候の急変etc,etc…。一流の経済アナリストですら株価の予想にあれだけ苦戦を強いられるのだから、一個人である僕の失敗談、経験談なんて実に些末な出来事に過ぎない。


「好事魔多しと言いまして」
Twitterではおどけて見せたものの、結局のところ、僕の膝は終始ガタガタと震えたまま、昨年冬以来となる新千歳空港へと着陸した。





北海道ボドゲ博1.0
「ボドゲで北海道を熱くしようぜ!」
そう銘打たれた今回のイベントは、小樽市を中心に活動を繰り広げるサイコロキネシス様を中心とした個人と有志の集いによる、北海道全体を盛り上げることを目的としたボードゲームの展示・頒布会である。

直前に募集したサークルは、深夜に募集をかけたにも拘らず翌朝には36ものブースが翌朝で締め切られるなどの人気と期待を寄せられていた。
OKAZU brand、TUKAPON、Cygnusなど、国内外でもその名を馳せる有名サークルが次々に名乗りをあげる、そんな中に一人、名もなき私のような出展者が、事もあろうにボードゲームのイベントでボードゲームを販売しないという特殊なサークルがひょっこり混じるなど、当の本人ですら知る由もない。
微力ながらも何か一体となって盛り上げることはできないかと、喜び勇んで参加フォームのボタンを押したのだ。

申し込んだまでは良かったが、肝心の頒布作品まで頭が回らない。
なにせ当の本人は、5月開催のゲームマーケット春で己の全精力を使い果たし、次のイベントどころか次回作の展望すらままならない状況だったのだ。

新作はないけれど、何かしらの形で応援できるものを、

そんな「せめてもの」といった想いから、面白半分にチラシを作り、来場者用のおしぼりを持参することにした。

おしぼりの調整は前日まで続く。
紙媒体が中心のイベント。こと、水回りのものは避ける必要がある。
そこで信頼あるColemanの保冷バッグを急遽買い揃え、駅の近くに有料で氷を調達できるスーパーを確認したのち、氷を詰める作業に専念した。

明日の道内、天候は曇りのち雨、危惧されていた炎天下もなく、道内全域は涼しくなる見通しとの予報。
そんな中、ゲームマーケット秋〜盤祭1st.〜から続く(ある意味余計な)施しに「私が余計な手を加える必要など無かったのでは?」といったジンクスすら頭をもたげた。

期待度とともに高まる、不安と緊張
何度か出展したはずの僕ですら、昨夜は眠ることに苦戦したくらいだ。運営する側のスタッフの気苦労は計り知れない。

午前11時30分
テレビ塔の2階ではオレンジの法被をまとったスタッフの面々が、広々とした会場を所狭しと動き回っていた。
「よろしくお願いします!」
会場一面に響くような声で挨拶をする僕。
「うるさい!」という返事を一瞥し、僕はひとり、設営を開始する。

長い距離を旅し、津軽海峡を越えた我が子(小冊子)。
丁寧に、大切に、この手で包み込みよう、そっと卓上に配置する。

準備完了。
そのほかのサークルも今や遅しとそろい踏みしている。
サイコロキネシス代表の室田様が、直接おにぎりを配って回る。
地元のコンビニエンスストア「セイコーマート」で購入したばかりの、大きいサイズのおにぎりだ。


時間ができたので、パンフレットに軽く目を通す。
「北海道ボドゲ事情2019」と題し、北海道全域のボードゲーム関連スポットが丁寧に綴られている。
これらパンフレットやスタッフの動きなどをひとつ取り上げても、本イベントがボードゲームに初めて触れる方やイベントそのものに初めて足を運ばれる方も含めた多くの愛好者を対象としたもので、それらに対し、十分すぎるとも言える配慮と、最後までそつのない心配りがなされたものであるという一片が伺えた。

応えなきゃ。

とはいえ、当方は番次郎「書店」と屋号を打つものの、基本私のサークルは、執筆から広報、販売促進から総務、丁稚に至るまですべて私一人が受け持っている。
「劇団ひとり」さながらのユニットだ。

隣のブースでは、道内のサークルである「のんたソ」様こと紅葉クレープ率いる北情報大森川研究所の方々、少し離れた場所では総帥率いるゲームカフェぶんぶん様、ClaGla様とタッグを組むTUKAPON様ら有名サークルが一堂に会し、各々連携を取りながら作業を分担している。
目の前では、こちらもゲームマーケット春に多くの方からの反響を寄せたNatrium lamp Games様、くじらだま様、アソビ・ツクース様、角刈書店様らが合同企画と称しイベントを立てているとのこと。

売るのも呼ぶのも、何から何まで孤独の作業となる私は、無駄にセコセコと体を動かすことで気持ちを払拭した。

しばらくすると、道内で活動される自称えぞのなぞの木工人、こと、「くらいみなる」様が、面白いものを見せてくださった。



聞けば、明治時代に作成された(という前提の)早押しボタンの復刻だという。
見た目だけではなく、強く叩くことでバン、バン!と甲高い音が鳴り響く。
細部の時代背景まで練り込まれた各種作品に「これぞ紳士の嗜み」のようなものを垣間見た。

午後13時、開場30分前。
頃合いを見計らった上で、事前に用意したおしぼりを配布する。
暑いさなかの待機中に汗でも拭いて涼んでもらおうと、こちらが勝手に用意したものだ。本イベント全体を取り仕切る室田さんは快くOKを出してくださった。
13時に配布を開始したおしぼりはみるみるうちにストックから消え、13時20分の段階で実に194個、200個近くのおしぼりを配布し終えるに至った。
13時25分、「待機列が200人を超えました!」とのアナウンスが入る。
改めて本イベントが、多くの人の期待を集められたのかが伝わった。

応えなきゃ。

義務感に似た思いを胸に、僕は再度ふん!と強めに息を吐く。


午後1時30分
カウントダウンのアナウンスとともに、開幕!

私のブースは開幕直後は静かなすべり出し。
早押しボタンの物珍しさと、徐々にトーンの高くなる売り声、
それらに呼応するかのように、来場者の目線は徐々に、ゆっくりと、こちらに興味を注いがれる。
謎解きに興味を持ってくださる方
クイズが大好きな方
ツイッターの4コマをずっと応援されていた方
ネットワーク上では伝わりにくい、直接お会いできるイベントからこそ届けられる「応援してます!」の声は、どんなイベントでもじんわりと胸に残るものだ。

昨日ハッスルしすぎた声の調子など構うことなく、僕は声帯がつぶれるんじゃないかと自覚するほどあらん限りの声を出し、本を頒布し、無我夢中になって問題を読み続けた。
だから、というわけではないが、会場内の細部状況を事細かに観察する余裕など到底持ち合わせてはいなかった。
目の前にいらっしゃる方々に一冊でも小冊子を届けたい、その一心にすぎなかったのだ。


4時間という時間は、怒涛のように過ぎ去って行った。

「終了でーす!」
会場内にアナウンスが流れる最中も、僕は枯れた声をなんとか絞り出し、ひたすら問題を「叫んで」いた。

目の前があたかも摩周湖の霧の如く、白く、ぼんやりと照り映える。

来場者は終始絶えることなく、閉園の時間まで、多くの方が購入に、試遊にと足を止めてくださった。

ふうと息をつき、後方に用意されたイスに腰を下ろす。
気がつけば上半身はエプロンまで汗にまみれ、スプレータイプの喉のクスリは半分もの量が消費されていた。

いつもならここで開放感とともに「やりきった!」という気持ちも芽生えるはずなのだが、あまりに疲労が重なったからか、うまく笑顔が作れない。

そそくさと梱包作業を開始し、テレビ塔を後にする。
夕方の北海道は相変わらず曇天で、時折小雨の様相を見せていた。
からりとした風が吹き抜け、汗にまみれた体からスッと体温を奪い去る。
聞くところでは、イベント開催中、札幌市内に大きな天候の崩れは無かったとか。
ついに天候にまで支えられるイベントへと成長したのか、と、ひとりうそぶきながら、僕は足早にホテルへと向かった。


公式発表によると、当日の来場者は674名と発表された。

https://twitter.com/Psykorokinesis/status/1150186457857814528

個人が行ったアンケートでは800人以上を予想する方が全体の3割を占めるなど、多くの方から注目を集めた今回のイベント。
それだけに、会の終了後からネット上でも多くの意見が飛び交っている。
多くの期待や次回に向けての要望など、すべてに目を通したわけではないが、ブースの内外問わず様々な意見が見受けられる。

僕は今回、小冊子を「頒布」に、足を運んだ。
敢えて販売(販売:売りさばくこと(広辞苑より))ではなく頒布(頒布:広くゆきわたるようようにわかち配ること(同))と使い分けた。
言うなれば「こうした楽しみ方もありますよ」と声を掛けて回ったに過ぎない。

改めて、今回配布されたカタログをパラパラと眺める。
印刷費に場所代、会場の維持費等も加えた金額を、わずかな入場料に抑えられたことは本当に頭の下がる思いだ。
ゲームマーケット大阪からチラシを配布して周り、地道とも言える活動でスタッフは道内外を回っていた。
それらに追随する形で、ある人は「#ボドゲ博ミシュラン」「#飯テロまでがボドゲ博」といったハッシュタグを用いタイムラインを賑わせた。
ある人は今回に向けての新作を用意された。
ある人は当日限定のおまけやゲーム、限定グッズなども用意された。
スタッフの熱に共鳴するかのように、多くの出展者が「俺も」「私も」と自ら手を挙げたのだ。

みな一様に「こうすると楽しいよ」といった気持ちがあったように思う。

それは決して「してあげた」といった傲慢な気持ちではなく
「今も楽しいけれど、これがあると、これをこうすると、ほら、もっと楽しくなる」
そんな提案が数多く取り上げられたように感じ取れた。

あたかも、何でも子どもの言うことを聞き入れあれこれ手を回すのではなく、そっと手を引き「こっちへ行こう」と、楽しい方向へと誘ってくれる親であるかのような。

北海道ボドゲ博の今後が、まさに北海道らしい、広大で、父性溢れるイベントとして、今後もあり続けますよう。
その一端に、僕のような単独のブースでも何かしらの一端が担えたならば、これにも勝る喜びはないのである。

2019年7月6日土曜日

否定の気持ちを応援へ ー茂原で出会った女の子の話ー

先日日曜、千葉県茂原市の蔦屋書店茂原店で開催された「蔦屋でボドゲーン!初夏のボードゲーム祭!」というイベントに(遠方でありながら)飛び入りで参加し、あまつさえボランティアまで申し込むに至った。


天候こそ荒模様だったものの会場は活気にあふれ、私の担当する子ども連れのブースは終始人の絶えない人気ブースとなった。

その中で出会った、一人の女の子の話。

どんなゲームでもニコニコと笑いながら楽しむ少し年頃のその女の子は、私の手にしていた「エスカレーション」というカードゲームをしげしげと眺めていた。

この「エスカレーション」、相手よりも多い数を場に出し、出せなくなったら、または出したくなかったら引き取る、引き取った枚数だけマイナス、と、とてもシンプルだが、一つ特殊なルールがあり、例えば「2」のカードを3枚一度に出すことで「6」として場に出すことができるのだ。

簡単なかけ算を要するため、ことお子さんとプレイする際は、ゲーム開始前に「かけ算は出来る?」と尋ねることが多い。関係の有無は定かではないが対象年齢も「10歳から」と表示されている。

女の子があまりに興味深く眺めていたので、いつものように「かけ算できる?」と尋ねる私。
「うーん、九九はできなーい。たし算なら」そう答える女の子。
まあ物は試しと思い、早速プレイすることに。

しかしながら、プレイ中は1戦目から白熱。かけ算ができないことなど何のその、女の子はたし算を駆使し、3の3枚出し(9の値に相当)や、13の2枚出し(26の値に相当)など、大人の私がたじろぐほど巧みにカードを切ってくる。

1戦目こそ辛くも勝利を収めた私だったが、2戦目、3戦目は完全にコツをつかんだ彼女が終始ペースを独占し、4戦目は手札も含め1枚もカードを引き取らない完全勝利を収めるなど、終盤からは彼女の圧勝に終わった。
「もっとやる!もっと!もっと!」
次へ次へとせがむ彼女の顔は嬉しさに満ち溢れていた。


「キミすごいねー!計算できないって話してたのに、すごく上手いじゃない!」
私が手放しに褒め称えると、彼女の口から、フッと、こんな言葉がこぼれた。
「私、ずっと学校でいじめられてたの。だから学校で勉強してないの」

聞くと、彼女は小さい頃から聞くに絶えないほどの醜いイジメに遭い、現在は別の施設に通っているのだという。
現在は小学4年相当のクラスに通う傍、算数の勉強が大の苦手だと屈託のない笑顔で話していた。

そうか、と私は声をかけ、またエスカレーションを広げようとしたところで、彼女の保護者らしきおばあちゃんに連れられ、女の子はその場を去って行った。

「大丈夫だ!心配ない!」の言葉をかけることのできなかった私は、取り残されたエスカレーションをそそくさと片付け、別のテーブルの支援へと回った。


「(お前には)絶対にできない!」
「無理無理!他にやってる人がいるから」
何かを始めようとして声を上げると、多くの方向からそんな助言にも似た言葉を浴びせられる。
本当に受ける。(受けた。)たくさん受ける。(受けた。)
あたかもこちらのやる気を削ぐかのように、ダメだ無理だ真実はこうだ現実を見ろだと言葉を並べる。
それが新規に開拓することであるならば、なおのことである。

でも、ちょっと待って。
それって「自分ができない、自分がやりたくない理由」を、こちらに押し付けているだけじゃない?

目の前に種子を渡され、育てられるか否かは、渡された側の問題だ。
周りの人間が一緒になって、種子の成長を阻害することこそ「やってはいけない」行為であるはずだ。


だから私はそれら否定の言葉を「応援しています!頑張ってください!」の気持ちに変え、時にそれらを贈り物や金銭(支援)という「形」に変えて、送るよう心がけている。


全ての挑戦者に、祝福があらんことを。

2019年6月26日水曜日

また、会いに行きます ー関西プチ旅行記 備忘録ー

久しぶりの高速バスに浮かれていた僕を諭すかのように、ツイート上にはつらつらと注意喚起のリプライが並べられた。
スリッパ、耳栓、アイマスク、本、首枕、メンターム…などの快適睡眠グッズをぎゅうぎゅうに詰め、僕は22時30分発ユニバーサルスタジオジャパン行きの高速バスに乗り込んだ。

今回の旅は「日曜日に大阪のボードゲーム ショップGuild様で開催される「クリエイター交流会」に参加すること。
とは言いつつも、要は1ヶ月ほど遅れた「ゲームマーケット慰安旅行」のようなものだ。








22日土曜日、朝7時40分 大阪駅バスターミナル到着。
前日に目にした天気予報がフェイクだったかのような、早朝から汗ばむ天候に見舞われる。

目に止まったうどん屋へ入り腹ごしらえ。

朝食うどんセット400円也。
暖かく、柔らかく、甘いおあげの乗った、関西のうどん。
この後、この関西のうどんの美味しさに魅了され、2泊3日の行程で4食ものうどんを口にする。
思えば前回の名古屋といい、僕は旅に出る毎に、ご当地の麺ばかりを食べている気がする。

電車を乗り継ぎ、一路、兵庫県加古川へ。
前回のゲームマーケット大阪でもお世話になった「駒の時間」のkomaさん、Tokiさんにお礼へ伺うことが目的だ。

ペイントスペースで初めてのペイントに挑戦する。
前日に「塗らない駒を脳内で補完する楽しみ」といったネタで4コマを描いた僕、多少のためらいもあるにはあったが、愛着のある駒を塗る時間は心が無になるからか、ひたすらフィギアの塗装に没頭する。


出来上がり。
集中力の持続しない僕は細やかな部分がうまくいかない。
それでもKoma様のサポートもあり、一方(写真右)はとても見栄えのするフィギュアが完成した。

数名のお客様が来店されたので、手持ちのゲームを広げる。
ここでもワードスナイパーやぎゅうぎゅうゴースト、台湾スナックバーなどの、パーティ向けでワイワイ楽しめる作品が好評を博した。

KomaさんもTokiさんも、ラミィキューブ全国大会等が差し迫る多忙な中で「駒の時間」を運営し、さらには私のような客人を温かくもてなしていただいた。
地方紙やネットニュースなどメディア各社で紹介されるなど、今やその名は関東はおろか全国各地へと轟くほどである。

出し惜しみすることなく紹介された国内外のボードゲームには、必ずお二方の笑顔が付加される。
「ボードゲームってコミュニケーションなんだなぁ」と、しばし感慨にふけったひと時であった。

夕刻となり、名残惜しくもお店を後にする。
慌てて飛び出したような旅路、この日の宿をなんとか姫路で見つけることができた僕は、疲れも相まってすぐさま深い眠りに落ちてしまった。


翌朝
案の定寝坊を決めた僕は、大阪へ向かう快速になんとか飛び乗り、一路大阪へ。
G20開催を控えた関西近隣は、コインロッカーや自販機備え付けのゴミ箱にも「使用禁止」の札が貼られるなど厳戒態勢が敷かれていた。

13時から始まるギルド様の交流会前に、少しだけ店舗を回ることにした。

昭和町のデザート*スプーン様へ。
前回大阪の際も少しお邪魔したこのお店では、有名クイズ王も度々足を運ぶなど、クイズに関するイベントが定期的に行われている。

店長の加藤さんと、しばしの間、自分たちでできること、これから望むこと、などを話し合った。

「頑張る人には、何かしらの報酬があって然るべし」
そう願ってやまない(言うなれば、幼い考え方を持つ)僕は、終始「僕のような人間でも何か応援できることはないか。」「単純に「お金」というと嫌う方もいらっしゃるけれど、お金で元気になるならば、それはきっと有用な使い方かもしれない」などと考えあぐねた。

時間を惜しみつつ、もう一軒、日本橋のキウイゲームズ様へ。

所狭しと並べられたボードゲームと、隣接されたプレイスペースにしばし圧倒される。
こちらでは現在となっては入手困難となった海外版の支離滅裂を購入。


ギリギリの時間の中、谷町四丁目のボードゲームショップ「ギルド」様へと向かう。


関西近隣の有名ボードゲームデザイナーが一堂に会した本イベント。
全体を取り仕切る「いかラジ」のいかさん、妄想ゲームズのHIROさんら、その他にも関西を代表するボードゲームクリエイターの面々が揃い踏みしている。

あまりの豪華顔ぶれに、そもそも「ボードゲームなど作ってもいない」僕は気後れしてしまう。
そんな一人うろたえる僕をよそに、会は予定通りに進行される。


まずは各グループに分かれ、イラストからボードゲームを制作するグループワークを体験する。

僕のチームの課題は、白と黒が明確化された独特のイラストが特徴的な作品。
イラストから連想を広げ、ゲームの内容を膨らませるという試みは、難しいかとおもいきや意外と進み始めると意外と良い方向に進み、時間いっぱいまで白熱した論議が展開される。
最終的に「カゲロウ Kage-Row」など、それらしきタイトルまで名付けられた。

各グループの発表へ。
協力ゲームあり、正体隠匿あり、メルヘンから学園モノまで、アートの世界をうまく表現した作品が次々に並ぶ。
とてもこの短時間で考えられたとは思えないほどのクオリティの高さに、一堂が驚愕する。
クリエイトする側も、やっぱりボードゲームで遊ぶことが好きなのだ、と、好きでなければできないのだ、と、改めて考えたのだった。

その後はフリータイムへ。
ウッドバーニング作家のノスゲム氏が手がけた作品は一際目を引く。


特徴的だったのは、すでに各製作者が完成品に近い「モック」を持参していたことだ。
各ルールやアートワークがあらかた煮詰まり、最終的なテストプレイの段階にまで仕上げた作品を持ち寄っていた。
その上、どの作品も面白さや魅力が様々で、次回ゲームマーケット秋での頒布を目指しているとはいうものの、もっと早い段階での製品化も可能ではないかなどと画策した。
何より、次回秋の展望など何も手についていなかった私は、肩身の狭い思いをしつつひたすらコーヒーを煽っていた。


夕食後、全体ゲームへ
「数字でダービー!!」と称される全体ゲームが披露される。
ルールはいたって簡単で、数を記載すればそのまま得点が獲得されるが、最小獲得ポイントと11以上の差が開いたプレイヤーは全てドボンとなる。
少し調べたところ「マネージャガ」というタイトルで、すごろくや著「大人が楽しむ紙ペンゲーム」や、メビウス25周年ゲーム大会などでも披露されたゲームのようだ
<リンク先:マネージャガ>
http://fuwa.o.oo7.jp/game/party/manager/maneJAGA.htm

大きければ良い、でもなく、また小さければ稼げない、などのジレンマを味わいながら、何度もドボンを喰らってしまった我々(万屋楽団サンジョウバさん、いかが屋おたまさん)のチームは見事にブービーを獲得したのだった。

大変好評を博したこのイベント。会の最後をいかさんの言葉が締める。
「次回も行っていいですか?」
大きな歓声が上がる。僕も思わず誰よりも大きな声で賛同の声を上げた。


20時、ギルド様を後にする。

この日はゲームNOWAのかぶけんこと「かぶきけんいち」さんがご自宅に招いてくださるとのことで、お言葉に甘えることにする。

途中のつけ麺屋「いろは」で、カレーつけ麺をいただく。
本当に関西では粉物ばかり口にしている印象がある。

ご自宅で、かぶけんさんの次回作をテストプレイしたり、今後のイベントについて話をしたり、など、夜更けまで時間を共有した。


翌朝。
かぶけんさんとの話が尽きない中、兵庫県のボードゲームのお店「シャッツィ」様へお邪魔する。





こちらにお邪魔するのは2年ぶり二度目だ。

<リンク先 番次郎の盤上万歳!! 2017年 2017年7月 関西を旅して気づいた「ボードゲームを形成するもの」とは。>
http://hibikre.blogspot.com/2017/07/blog-post_17.html

2年前とほぼ変わらぬ閑静な佇まい、しかしながらラインナップはいつ見ていても飽きの来ないラインナップ。
清潔感あふれる店内を、店長のキャロル様と、看板犬のジーニーちゃんが愛想よく出迎える。
知的でユーモアのある方とのおしゃべりは本当に尽きない。つい時間を忘れて話し込んでしまった。



「ブレーキングアウェイ」などのボードゲームを購入し、次の目的地へ
心斎橋の「ビー玉と空」様で開催されている「モノ・アイ展」へ。

こちらでは「ダブルナイン」などのイラストを手がける「プラネ」先生が呼びかけた、単眼のキャラクターを中心とした作品の展示展だ。

店主のゆうろさん自身も、実は昼夢堂のflat氏と親交があり、ボードゲームにも大変興味を示されていた。

ならばと思い、手持ちの「ワードスナイパーイマジン」をプレゼントする。
小さなパッケージの裏に、簡単なルールが4コマで掲載され、あまつさえ動画のQRコードが付記されている点などデザイン、システムのユーザーアビリティの高さに着目されていた。
デザイン、アートを手がけられる(同人誌なども執筆されているとのこと)方はそうした細やかな点にも着目するのか、としばし感服した。


帰る時間を気にしつつ、八尾のINST様でもう一ゲームだけ遊ぶことにする。

入口で身支度をを整えていると、こちらの顔を覚えていたらしき店長のてっちさんは、笑顔で中に招き入れてくださった。
偶然遭遇したかぶけんさんらも交え、クイズやトランプなどを少しだけプレイする。
温かい雰囲気が迎える店内は、しばし時間を忘れる。


21時、大阪バスターミナル出発。

帰りのバスの中、僕はまたいつもの旅情にひたっているかと思いきや、気持ちは軽く、明るく、不思議と笑顔を浮かべていた。

「次にまた会えますから」
思えば今回の道中で、多くの方にそう話しかけていたように感じる。

次があることの安心感。
それは同時に「今際の別れ」ではないことの安心感でもある。

次にまた会える
その確証があるならば、その時にまた、伝えきれなかったこと、できなかったことを、共有すればいい。
だからここでは、楽しいことを最大限でなくてもいい。腹八分目で満足できたらいい。お腹が空いた頃に、また会いに行けたらいい。

僕自身は、遅くとも次回9月、三宮で開催されるボードゲームフリーマーケットに、(たとえ出展側として申請できなくとも)参加を考えている。
だから出会いは「これっきり」ではない。必ず「次」がある。
次があるからこそ、お互いの気持ちに、ふんわりとした余裕が生まれるのだ。

「会いたい人に、いつでも会える。」
ゲームカフェ、定期ゲーム会、ひいてはゲームマーケット等も含めた各地のイベントが、「そこに行けば、会いたい人に、いつでも会える」
そんな場所となれたならば嬉しい。

多分、そこでも僕は変わらず、ボードゲームのクイズを読んでいるのでしょうけれど、ね。


帰りの旅路で、誰とも言わずそう約束しながら、バスは一路、横浜のバスターミナルへと向かった。

喧騒の街闇を、静かにバスが走り去っていった。









2019年6月15日土曜日

考えるって面白い!〜私の目指す「名脇役」の存在〜

私の中の傑作ボードゲーム「あてっこついたて」が、この春「ATEKKO(アテッコ)」というタイトルでリメイクされた。
豪華なコンポーネントにユーモラスなデザイン、これらが3000円を下回る価格で比較的容易に入手できることは本当に嬉しい。

この「ATEKKO」という作品、最初に断っておくと、やはり「一緒に遊ぶ面々で」面白さは少し左右される。
単に勝利しようとするならば、まずお題に対し難解な解答を書くこと(自分に自分の解答は回ってこない)、「パン」というテーマなら「明太子フランス」や「乾パン」、「寿司ネタ」なら「とびっこ」や「うなぎ」あたりだろうか。
そして質問も「ひらがな3文字ですか?」「赤いですか?」といった、言うなれば調書を取る形で徐々に絞り込めば、意外と目指すべき推理の方向性が見えてくる。
しかるに、このゲームの面白さは左にあらず。
単純明快なお題+ひとひねり加えたお題を提供し、回答結果で概略がおぼろげにつかめるような「面白い質問」がひねり出せたならば、俄然その場は盛り上がる。
「そのパンは食べることで主食となりますか?」「回転寿司では安い方の皿に乗っていますか?」
「質問力、問われます」この作品のリードコピーが意味するところを、私はそう捉えている。

同じくゲームマーケット春に、リゴレからワードスナイパーの新作「イマジン」が登場した。
「想像力」をテーマとする本作は、お題となる内容も「10分でできること」「東京ドームより広い場所」などの、知識とは一線を画した「イメージ」で回答する作品に仕上がっている。
基本のルールは早い者勝ちであるので、勝敗を意識するならば語彙量の豊富なプレイヤーが跋扈する印象がある、
かと思いきや、こちらも初めての方とプレイする際に、思わず周囲も「深イイ」を連発するほどの名回答が続出する。
「「や」のつく「燃えるもの」→「野望!」
「「け」のつく「生きていく上で必要なもの」→「経験!」
etc…。


私は自分の好きな作品を、自分だけではなく周囲に布教したいと考える少々「お節介焼き」な人間だ。
その為には「私自身がバイプレイヤー(名脇役)となること」が何よりも大切ではないか、という結論に至った。

上記に挙げた作品に限らず、すべてのボードゲームにおいて、私はさほど勝敗を意識してはいない。
強いて挙げるならば「その場の盛り上がり」を強く意識している。
こう記述すると一部から「勝敗があってこそのボードゲームではないか」と反論が上がるかもしれない。
一家言加える前に聞いてほしい。
私は考えることが大好きだ。
何か周りに面白いことはないか、自分で何か面白いことはできないか、そんなことばかり考えながら日々を過ごしている。

拙著「Analog Game GAME アナログゲームのなぞなぞブック」や「ボードゲームクイズ」を執筆した際、常に念頭に置いた言葉がある。


拙著「AnalogGameGAME」あとがきより


「考えるって、面白い」

慌ただしく過ぎる日々の生活で、ふと立ち止まり周囲を見渡すと、実は日常にひっそりと潜んでいた、よくよく考えると不可解なもの、出来事、現象。
空気は透明なのに何故空の色は青いのか、鏡が何故左右反対に見えるのか、お風呂に入ると何故気持ち良いのか、等々。考え始めるとそれこそキリがない。
そんな疑問の数々を、何故そのまま放置してしまったのか。
それはおそらく我々現代人が、生きることで必死となり、あるいは忙しさにかまけ、無意識の中でそれら疑問を背景と同化させ「考えてしまうと余計な労力となるから」と、敢えて我が視界の見えざる位置へと遠ざけてしまったからではないだろうか。

「考えるって、面白い」
スタピー、と聞けば「スタートプレイヤー」の略を思い浮かべ、スリーブをかける、といえばカードを保護するフィルムを装着させる姿が安易に想像できる。
今でこそ「ボードゲームで遊んでいる人なら知ってて当然」とされる言葉ひとつ取っても、ふと立ち止まって考えると、やはり側から見ると少し不思議な用語が飛び交っていることに気づかされる。
スリーブの語源は、洋服の腕を包んだり隠したりする部分を意味する言葉で日本語の「袖」に該当する。袖のない衣装をノースリーブ(no  sleeve、ちなみに和製英語) というが正にそれだ。「包む、隠す」という意味合いから、カードを保護する「スリーブ」の意味に派生したと考えられる。
ボードゲームであれ、クイズであれ、さらには勉強と呼ばれる諸活動ひとつひとつを取り上げても、先のような「発見」ができることに私は至上の喜びを感じ、ボードゲームプレイ中もその辺りを意識つつ、決して相手を過度に盛り立てることなくプレイするよう心がけている。

このブログでも何度か綴ったが、ボードゲームは一人ではプレイできない。
だからこそ、一緒に卓を囲む相手には「面白かった!」と感じて欲しい。
だから私は、強すぎず弱すぎず「一緒に遊んで面白い人」になること。
その為には「この人と遊ぶと、何か面白い発見がある!」と感じてもらえるような、そんなプレイヤーを目指す。
それが次にご一緒する際の見えない引き金となり、ひいては私が抜けた後でも、それら作品に興味を持つ発端となった先の「ボードゲームの面白さ」に繋がるのではないか。
その一端を私との卓で発掘できたならば、これに勝る喜びはない。

その為にも、私自身がエンターテイメントを一から学び、どんな方からも「また遊んでください!」と乞い乞われるような、私はそんなバイプレイヤーを目指し、日々研鑽していきたいと思っている。

ボードゲームって、考えるって、面白いよ!

2019年6月8日土曜日

自分の姿を探すためー名古屋の旅で考えた由無し事ー

ボードゲーム会に持ち込む作品は、自分の遊びたいものばかりをチョイスするのではなく、現在の流行や、滞在時間、会全体でプレイされている作品を事前に予習した上で、全体の流れから勘案し、厳選して持ち込むようにしている。
本当に遊びたい作品はまた別の機会に、と。
たとえ個人的には絶賛する作品であっても、周囲の状況を鑑み、やむなくリストから外される、
そんな作品も多い。

そんなことを考えるうちに、いつの頃からか、私はボードゲーム会に「自作のボードゲームクイズ」と「早押しボタン」を持ち込むことをやめていた。



先日、名古屋へと足を運んだ。
ゲームマーケットの締め切りに追われ、制作中はなかなかご挨拶のできなかった方へ、小冊子を届けに上がることが主たる目的だ。

諸所のトラブルに見舞われながら、無事に名古屋へと到着。
今回のゲームマーケットで素敵なビーズのペンダントを作成していただいた「あいこん屋」の「たま様」と合流する。

ボードゲームは始めたばかり、でも、ゲームマーケット自体には関心があるらしく、気になる作品を伺ったところ、幻影探偵団、CMYK!などの話題作を答えてくれた。

たま様と合流し、その足でゲームストア・バネストへと向かう。

店長の中野さんはこの日もTシャツ姿で動き回っており、所狭しと並べられた国内外のボードゲームに囲まれた空間で、中野さんの活気ある声が飛び交っていた。
「宝の山ですね」と語るたま様だったが、おそらく興味のない方からすれば「おもちゃの延長線上」にしか映らないことだろう。
宝の山や、中野店長に差す後光などが見える由縁も、ひとえにその人が持つ知性と興味とが織り成せる技だ。

しばらくすると、ポッドキャスト「今夜もアナログゲームナイト」メインMCの太陽皇子、アシスタントのプーさんらが来店される。
御二方ともバネストには大変親交のある方々だ。

ポッドキャスト内では、特に皇子の巧みなインタビューが印象に強く、その際の何かコツのようなものをお聞きしたかったのだ。
皇子曰く、事前に台本を用意し、聞いて欲しいこと、ここはカットするところ、などを綿密に調整するとのこと。
自分の聞きたい事項を、その場の思いつきでポンポンと投げかけるようでは、それはインタビューではなく「尋問」になってしまう。
「相手への気遣い・心遣い」、それこそが皇子の番組が多くのリスナーに長く親しまれる所以なのかなと感じとれた。

たま様と別れ、皇子が主催するボードゲーム会「アナログゲームギークバー」へと向かう。

会場となるピアノバー「アドリアーノ」は、平日夜の時間帯ながら県内外を問わず多くの参加者が集い、各々が「ボードゲームが好き」、「遊ぶこと、ともに卓を囲むことが何よりも好物」というベクトルに沿う形でひしめき合った。

各テーブルに分かれ、私は前々から興味のあった「モザイク」という作品をプレイする。
タイル生産で有名な岐阜県多治見市のボードゲーム製作者が、地元のタイルを活かした作品を、という願いで作成された作品だ。




(写真はモザイク・クオも含めた4人対戦)

囲碁とパズルを合わせたような、実力勝負の中で意図せず爆発的な連鎖が発生し、都度、逆転劇が繰り広げられる。
特に今回はチーム戦ということもあり、自分だけではなく、相手への絶妙なパスワークも必要とされる。
見た目の鮮やかさと造形美からは想像もつかないほどの不思議な作品に、思わず魅了された。

第二部
好きな作品を、ということだったので、恥ずかしながらも自作のクイズセットを取り出す。
愛好される方、ボタンを押してみたかったという方数名で、クイズの卓が催されることに。

ゲームマーケット以来の問題読みで幾らかの失敗はあったものの、無事に収集がつき、自分の満足する形でゲームを終えることができた。
その場を取り払うかのように次の作品へと移行する。
やはりいざという時に自分の作品を大手を振って紹介するほどの、今風の言葉で「高い自己肯定感」なんて、とても湧くものではない。


名古屋の旅を終えた私は、帰りの新幹線に揺られつつ、またいつもの作業へと移行することにした。
前回のブログで「休みを入れる」と綴った舌の根も乾かぬうちに、この体たらくぶりである。

暗闇だけが過ぎ去る車窓をぼんやり眺めつつ、自分が「読まれるかどうかもわからない小冊子」をどうしてここまで制作してきたのか、その理由について、改めて考えることにした。

大枚をはたいて出展し、制作を続ける意味ってなんだ?
自分が好きだから、という曖昧な動機でも、儲かるから、といった目に見える動機でも、そのどちらでもない。

おそらく自分の中の根源は、もっともーっと単純で
「制作しました」→「読みました」
そんなコールアンドレスポンスを受け取ることができたからこそ、ここまで心身ともに継続できたのではないか。
頑張っただけではなく、その証として、少なからず反応がある。
良かれ悪かれ、何かしらの反応があるからこそ、反省が生まれ、また次へのモチベーションが醸成される。制作し、当日にそれなりの売上を見せ、ハイ次、だなんて、それは何だかすごくもったいない気がするのだ。
綺麗事かもしれないけれど、私の中でゲームマーケットはあくまで区切りの一つであり、当日いらっしゃらなかった方、入手を逃した方などに向け、広報活動はこれから先も続くものと考えている。

だからこそ、応援していただいた方、自分が応援したい方に、自分の表現しうる現時点での最高傑作を、自らの足でお届けにあがりたい。
そこで上がったレスポンス、感想やアンケートの評価といった目に見えるもの、もしくは、直接お会いした際にかけられる何気ない「いつも読んでます」の一言が、実は自分にとって恐ろしいほどのモチベーションに繋がっていたのではないか。
今はそんな気持ちで溢れている。


次は2週間後の大阪。「いかが屋」様が主催する「クリエイターズ交流会」、それが終わると、7月の北海道ボドゲ博まで一直線だ。
交流会の中では、主催者の意向で「肩書き」を作るように宿題が課せられている。
何でも良い、自分を表す何かしらの文言をつけるように、とのことだ。

私の肩書きって、なんだっけ。
「ボードゲームのクイズ制作」
少し前までの自分ならば、自他ともに認めるそんな肩書きがつけられたかと思う。
制作をガラリと転換させた昨年末から数え、早半年が経過した。
ブログを出版し、なぞなぞを作り、あまつさえ4コマ漫画を描くなど、クイズ以外にもあれこれそれと手を出した自分の姿は、少なくとも半年前の自分は想像すらできなかったに違いない。

有り体な例え話だが、「目」は常に正面を向くように造られている。
鏡でも使わない限り、自分で自分の姿を目視することはできない。
自分の姿を確認するためには、己を向く他者の目が必要となり、それらは何かしらの交流を通じることでのみ培われるのだ。

だから私は、ボードゲームと同じく、相手との対話を何よりも大切にしたいと思うし、それこそ応援してくださる方に対しては、居丈高になることなく、できうる限りのおもてなしを持って返したい。
先に挙げた「コールアンドレスポンス」の土壌を、自ら動きやすい形で整えるのだ。

そして生まれる「対話」を通じ、今の自分が、何を見て、何を考え、相手に何を提供でき、そして相手から何を受け取れるのか。
それらをすくいあげ、こし取り、バラバラとなった破片をパズルのようにつなげる中で、うっすらと垣間見える「自分の姿」。

それこそが作品を綴る中で、自分が最も大切にしたかったことだったのか、そして、これまで小冊子を綴ることができたモチベーションの最たる所以だったのかな、と、今回の名古屋の旅を終える中で、そう結論づけた。


バネストでは9月14日(土)に20周年記念ゲーム会が開催される予定だ。
私もいつか何かしらの形で、バネスト様を表現する役割の一端が担えたら、と、心から願う。











2019年5月31日金曜日

タネを蒔く、タネを蒔く〜ゲームマーケット2019春 奮戦記〜

ボードゲームの祭典で、ボードゲームを頒布しないサークルが、ついにこの春で3年目を迎えることとなった。
代表作は「Board Game Quiz」という、言うなれば、ボードゲームのクイズばかりを集めた小冊子。
これまでにバカ売れしたかと言われるとそうでもなく、愛されているかと言われると、そう上手い言葉でもない。
ブースの中で、孤独に、大声で叫びながら、時折クイズを読み、西へ東へと頒布を続ける。
3年目となった春も、このスタイルを変えてはいない。
今回春のゲームマーケットでは、特に「繋がり」を強く実感できたことが印象的だった。今回はそれをテーマとし綴っていきたい。長くなりますことをあらかじめご承知置き願います。



前日となる金曜日、僕は地下鉄「馬喰町」駅改札で、関西からの来客を待っていた。
「いかとりにょりとおけいのいかがわしいラジオ」MCのいか氏、りにょり氏、おけい氏の御三方、グループSNEの酢豚氏ら4名だ。
長旅の疲れも見せず、笑顔でこちらに向かう4人とは裏腹に、普段はスピーカー越しでのお付き合いのない大物ゲストの面々に、めまいがするほどうろたえる僕。

駅から徒歩10分ほど離れた場所に位置する「たいこ茶屋」へと向かう。
つたない記憶を頼りに先導し、ポッドキャストで耳にするいつものトーンを耳にしながら、ここ数日続く関東の真夏並みの暑さと明日に控えた会場内の様子などについてワイワイと話をした。
お刺身が食べ放題というこの居酒屋で、マグロやサーモン、穴子の佃煮など、銘々が山盛りの海鮮を頬張る中、この後も特に前日会になど呼ばれず、隙間の時間があれば細々とした作業を挟み込む私は、周囲の明るい表情とは対照的に、実は少しうつむき加減だった。
「横のつながりを大切にせなな」
いか氏が見かねたのか、明るい表情で僕の肩を叩く。

手持ちの小冊子をカバンにあるだけ関西の面々に押し付け、見送りを終えた僕は足早に家路へと急いだ。
明後日が本番だというのに、ブース設営の事前予行どころか、当日掲示するポスターの作成すらままならない。
制作に没頭するあまり、前々日まで「本番は、まあ、何とかなるだろう」といった悪い開き直りばかりが先行した。3年目になろうというのに、あいも変わらず学習しない僕。

ビタミン剤がわりのオロナミンCをぐい飲みし、敷き布やポスター、早押しボタンといった積載物をそそくさと準備する。
雑用を片付けるうちに、前夜という時間はあまりにも一瞬で過ぎ去っていった。


土曜日、
この日の僕は一般来場者として、主に購入や挨拶回りなどに当てる日を予定した。
あらかじめ作成した自作の買い物・ご挨拶マップは、前回秋に比べ赤ペンの密度が若干薄い。
とはいえ、注目作は今春も目白押しで、手当たり次第に購入を決めていくと予算がいくらあろうとも足りるはずがない。
第一、僕は3月に開催されたゲームマーケット大阪でも「それなりの量の」買い物を済ませている。
ニックネーム、FILLIT、ワードミノ、天才画家ボンといった現在も人気の続く話題作はその際に入手しており、仮にその合計を例年通りとして総額に含めてしまうと
…考えただけで背筋が冷える。

AM8時30分ごろに会場待機列へ加わる。
会場の中はひんやりと冷房が入り、この日の気温が30度を超える、と予想された外の気候とはまるで別世界のように感じた。
周囲を見渡すと、以前のように集団で何かを遊びながら待機するグループは少なめのようで、スマホにおしゃべりに、またはこの場でカタログを広げるというような静かに過ごされる方がちらほら見受けられた。
「サークルカットなんて誰も見ないから」と腐ることなく、この時間の有意義な宣伝媒体として積極的に情報提供できるよう、今後も工夫を凝らせたらと思う。


AM10時、拍手とともに開場。
あらかじめ形成された列から順番に、人が滝のように飲まれていく。
多少の焦りはあったものの、羽田から眺める限り、人の波はスペースのさらに奥へ、奥へと流れ、僕が狙いをつけていた一般ブースに限って言うならば、この時間の待機列であろうとも、数個しか製作していない限定品を無事に購入することができるほどだった。

ここから少し、僕なりの意見を述べる。
ゲームマーケットは面白いボードゲームを安価で購入できることばかりが目的、では無い。
これまで、SNSと作品越しに制作状況を応援していた製作者の方々が、今まさに眼前にそびえ立つことの嬉しさは、僕にとって商品を手にすること以上に多くの感情が刺激される。
ブース越しに、製作者一人一人の笑顔が輝いている。
説明をしながら、試遊をしながら、ともにプレイを続けながら、眩しい光の粒が周囲をまとっている。
製作者の方々は、皆、この日のためにギリギリまで努力を続けていらっしゃったのだろう。
その笑顔あふれるブースに、あたかも菜の花に集う蝶々の如く、多くの人が惹かれ、吸引されていくのだ。


買い物もそこそこに、今度は挨拶を周る。
電飾が迎える大きな企業ブースより、ここでしか出会う機会のない一般ブースの方が、個人的な滞在時間は長かったように思える。
効きすぎるほどの空調にまくった袖を戻しながら、愛想の良いブースではついつい長居し、僕は昼食も忘れ、日頃Twitter上でしかご挨拶のできなかったブースを転々とハシゴして回った。


ある程度の買い物とご挨拶回りを済ませた僕は、事前に約束した「ゲームNOWA」ブースのお手伝いへと向かうことにした。
「なにわのクニツィア」こと、かぶきけんいちさんがご挨拶に回る間、ブースにて物販の代役を務めるという大役を仰せつかったのだ。

この日も「特製ダイスタワー」や「宇宙(そら)逃げろ 第2版」など目玉となる商品は午前中であらかた完売し、残すはテーブルに数台だけが残された新作「ワードミノ」と、予約品の受け渡しのみという状況だった。
昼前であろうとも、人気作を求めて客足は絶えない。ワードミノの山は瞬く間に崩れていく。
予約品を手渡す間も、かぶけんさんにご挨拶を、と、多くの方がブースに訪れ、その都度「(力不足で)申し訳ございません…」と深々頭を下げる僕。
その脇では試遊の方も絶賛稼働中で、7文字以上完成となるチャレンジも「あしかがたかうじ(8文字)」を完成させる猛者が現れたほどの人気ぶりを博した。
ブースの傍らできびきびと動く、同じくゲームNOWAの「かえで」さんの手を借りながら、つたない支援を終える。
ゲームマーケットに限った話ではないが、今後無理なくブースを運営するにあたり、今後ワンオペレーションの体制では多くの面で限界が生じる、と痛感した。

1日目が終わり、購入品で膨れ上がったトートバッグを抱えつつ会場を後にする。
明日が本番だというのに、荷物の重さと外の熱で、体の中から外から、すでに疲労が隠しきれない僕。
帰り際のコンビニで肉系統の冷凍食品を買い込み、明日の準備もそこそこに、心配を押し殺すかのように無理やり布団に潜り込んだ。当然、眠気が訪れるはずもなかった。



二日目の朝。
この日も気温は30度を超えると予報が上がる。
昨夜の疲れを残したまま、多からぬ睡眠を確保できた僕は、当日の荷物ではちきれんばかりのキャリーケースを担ぎながら、一路、りんかい線に乗り込んだ。
前日も体感したことではあるが、朝の時間帯は公式のアナウンスで懸念されたほど携帯の電波は悪くはなく、少なくとも準備中の時間帯は室内中心部でも十分に電波を拾うことができた。
おそらく人がまばらのこの環境下でのテスト運転ならば、電波や空調といった話は設計者の設計通りだったに違いない。
まさに机上の空論、事件は会議室で云々、といった「お台場らしい」言葉が思わず口をつつく。

そそくさと荷物を探していると、隣のブースであるEJIN研究所のEJINさんが先に到着しており、きょろきょろする僕に段ボールの場所を教えてくれた。
今回、前回大阪の石膏粉末様、など、僕自身が大きな声を上げる、周囲からすれば実に「はた迷惑な」ブースだけに、周囲の方々の暖かい御理解を頂戴できることが何よりの支えだ。

設営中にいかラジのいかさんが現れ、助っ人として急遽ブースをお手伝いしてくださるという。
今回、フォロワー諸氏にも内密としていた当ブースの「隠し球」だ。
大物助っ人の登場に僕は深々と頭を下げ、当日は試遊台の問題読みをお任せすることにした。

AM10時、二日目の拍手が湧く。
ブースの中から人の流れを観察する。
初日と同様、せきを切ったように多くの人が向かう先は、隣のAフロア、企業ブースだ。
走らないでください!というスタッフの声がしきりに飛び交う。

昨日も似たような状況だった、そういかさんは話す。
並ぶ人数の大小はあれど、当初の目的(それは主に購入だろうと考える)は企業が販売するゲームマーケット先行販売品や、海外で話題となった作品の限定販売などの目玉商品だったのだろう。

程なく、隣のEJIN研究所に長蛇の列が形成される。
「いらっしゃいませ〜!」の声が空振りすると予感した僕は、声を止め、しばらくその列の成り行きをぼんやりと眺めていた。
列の流れは、完売報告の上がる10時30分ごろまで続いていたかと思う。

僕のブースは、極めていつも通り。
長打ができることもなく、予約された方々がパラパラと訪れる。
昨日お手伝いをしたゲームNOWAのブースで、購入を求める方が引きも切らず訪れる状況を目の当たりにしていただけに、少しだけ心がチクリとした。
そんな小さなトゲは、売り込みの声を張りあげることでごまかすことにし、いつも以上に大きく声を張る。
「ボタンを押していきませんカァー!」
空振り、めげることなく、再度声を張り上げる。
「タネを蒔いたからな。あの人はまた戻ってくる」
いかさんは気落ちした僕の表情を悟ったのか、そんな言葉を時折かけてくれた。
早押しボタンに、クイズ、なぞなぞ、4コマといった小冊子…。
…ボードゲームを目当てに来場された方からすればおおよそ見当もつかないブースに映ったかもしれない。
テーブルに積み上がっているものは紛れもなくクイズやなぞなぞの「本」ばかりである。

だから僕は「笑顔」を大切にした。
今でも自分の作品を眺めると、我が子のかわいさにニヤケ顔が抑えられない。
今回の新作3作品は、どの作品も2ヶ月前の大阪の時点では、完成どころか、他でもない自分自身が「できるはずがない!」と匙を投げかけた作品ばかりだった。
笑ってブースに立ち、笑顔で商品を説明し、「楽しんでくださいね!」と言葉を添えて商品を手渡す。
ゲームマーケットを何よりも楽しみに来場された方へ、僕からもその楽しさの欠片を届けることが、ひとえにこのブースに課せられた使命のように感じたからだ。

喉が枯れる。水が欲しいけれど、自販機はブースを隔てた屋外に位置する上に、トイレも少し離れた場所にある。
「のどぬーる」をのどに吹き付け、わずかな水分で喉をうるおす。
疲れていたかもしれないが、脳内に広がるランナーズハイのような心地から、残り3時間くらいならこのテンションを維持できるかな…できるよな!と半ば脅迫めいた言葉で自分を奮い立たせた。

当ブースは、終始大きな列形成がなかったものの、後半はコンスタントに人が集まった。
早押しボタンの効果は大きく、いかさんの読み上げる問題に多くの方が足を止め、脇で思わず「正解っ!その通りっ!」と声を上げる僕が、少しオーバーとも思えるくらい相手を褒め称えた。
「クイズって、面白い!」
その声を耳にするたびに、僕はえも言われぬ快感に陥った。


17時、拍手とともに閉幕。

…走りきった。

閉会の拍手とともに、目の前にグワワッと襲いかかる疲労感。
結果は、良くもなく悪くもなく「いつも通り」頒布数の増減に変動はなく、本当に「とんとん」の結果に終わった。良い言い方をするなら、興味を持った方にはすべからく手に取っていただけのだ。

確かに今回、制作活動一辺倒だったがゆえに、大きく宣伝・広報と言った諸活動に時間を割くことができなかった。
しかしながら「前回も買いました」「楽しみにしてました」といった声を聞くことができた。
それら声の一つ一つが、そのままの形でエネルギーとなり、その逆に、こちらから相手へと声を届けることができる。らせんのごとくどこまでも続く、僕が「幸せの連鎖」と呼んでいる、ゲームマーケットの醍醐味のひとつだ。
そして前回大阪でも実感した「人と人との繋がり」
今回も「助けに回ります」「何かあったら声をかけてください」といった力強い声援を立ち寄ったブースの先々で頂戴し、その都度、涙がちょちょ切れた。
「横のつながりを大切にせなな」
そうだそうだ、もっとつながりを意識しなくては。
そう考えを巡らせた。


感慨にむせぶ間も無く、僕は最後の空元気を放出させ、荷造りと、感謝の言葉を伝えに回った。
お台場はとっぷりと日が落ち、観覧車のイルミネーションがひときわ眩しく目に飛び込んだ。
古いスマートフォンは残り20%ほどの充電を残していた。これが家路に着くまでの最後になるのかな、と、僕は面影のなくなったテーブルの写真に「ご来場ありがとうございました」の言葉を添えてツイートを流した。

「早く、早く、何かを作りたい…」
はやる気持ちを抑えながら、僕は頭の中で予定した「打ち上げ焼肉」も「ご苦労さんビール」も全て返上し、たぎる創作意欲を熱いままペン先にぶつけようと、帰宅するなり、また4コマ、そして感想ツイートのまとめ作業へと取り掛かった。
とはいえ、体は実に正直なもの。
寄る年並と日頃からの疲労には敵わず、作業途中から始まった万屋楽団様のツイキャスライブ中に、スタイラスペンを握ったまま寝入ってしまったのだった。
MCサンジョウバさんの「寝てください」の声がかすかに耳に残っていた。


一夜明け
布団の中で昨日のことを振り返る。
バカ売れした訳でもなく、かと言って、大きく売れ残った訳ではなく、本当の本当に、いつも通りの売れ行き。
印象的だったことは、前にも拙著のクイズ本を購入された方が、再びリメイクのクイズ本を手に取ってくださったこと。
そして、バラではなく、新刊をまとめて購入された方が多かったこと。
実感はないけれど、これが「信頼を買ってくださる」という一つの形なのかもしれない。

そこで、屋号を変えることにした。
「番次郎書店」と命名したその経緯は、このブースが書店のような近所の商店街のように、街中に欠かすことのできない存在となるような、そんな意味合いも込められている。
この看板を汚さないためにも、さらに良い作品を、さらに面白い書籍を、これからも手がけていけたらと思う。
「ゲームマーケットに行くと、いつでも本を売っている」
番次郎書店が会場の片隅で、来場者の方にそんな言葉で気にかけてもらえる、それくらいちっぽけな存在でありたいと願う。

今回のゲームマーケットで、ひとつ心残りだったことがある。
今回も「同朋の友」を見つけられなかったことだ。
ボードゲームでクイズの本を作る、語り合える、そんな「同朋の友」を見つけきれなかったことだけが心残りだ。
ボードゲームをテーマにしたクイズ本に関して、ゆっくりと語り合えるような仲間を、次回秋以降も探し回ろうと思う。


ネット上では早速多くの議論が飛び交い、次のゲームマーケットに向け、カタツムリのごとくゆっくりと動き出している。

一方で僕は?というと。

今何がしたい?と問われたならば、「旅がしたい」と答えるだろうか。
昨年4月に現在の地に引っ越し、そのまま制作に没頭し、長らく休むタイミングを掴み損ねたまま、あれよあれよと今に至ったからだ。
時間の隙間があるとすぐに作業を入れてしまう、典型的なブラック気質の僕。
名古屋に、関西に、福岡に、長崎に、東北に、沖縄に、北海道に…etc、お世話になった方一人一人へ、転々とご挨拶をする旅。
そこで蒔いた新たな種が、芽を出し、花を咲かせ、タンポポの綿毛のように、風に乗り、また見知らぬ地の誰かの元で、小さな若葉を芽吹かせるのだろうか。

そんなことをぼんやりと考えるうちに、僕はその日のゲーム会の時間を気にかけながら、うとうとと二度目の眠りに落ちたのだった。



<了>
ご視聴ありがとうございました。

2019年5月18日土曜日

作品はアウトプットで磨かれる〜4コマ漫画制作日誌〜

今回のゲームマーケット春は、本当に広報らしい広報活動もそっちのけで制作の方に勤しんだので、せめて自分のブログの中だけでも宣伝させてください。

なぞなぞの本、クイズの本、とともに、もう一冊、わたしのブースの片隅を賑わす本がある。

「きょうもボドびより。」と称された4コマ漫画は、制作者である私の「イラストが描けるなら、漫画も描けるのでは?」といった今考えると本当に各所から馬鹿だなと笑われそうな試みから派生した作品だ。




言うは易く行うは難し、何はともあれ、思うがままにペンを走らせ、ツイッターに公開してみると、意外に多くの暖かいコメントが寄せられた。

寄せられたコメントで調子に乗った私は、その後も毎日1本、ただでさえ時間のない小冊子制作の合間を縫って書き綴り、ゲームマーケット大阪で第1巻を頒布するに至った。





兼ねてからの夢、と周囲には漏らしていたが、実を言うと、描いた本人すら、夢にだに想像できなかった代物だ。
なにせこの私、半年前など、イラストなんてろくに描けなかった人間だ。それが形はどうあれ、漫画の本を出すことができたのだ。

まさに自分の趣味全開で出した本にも関わらず、手に取ったり、購入してくださったりなどの神様はいらっしゃったのだ。
千葉県のボードゲームカフェ「カラハンダ」様では店内用に設置しましたとツイートが上がり、喜び勇んでお礼に参ったこともあったくらいだ。


空想を形に変えることを、人は見くびることもあるだろう。
「それくらい(やろうと思えば)誰でもできる」
そんな言葉が、時折添えられる。

余談だが、学生時代に古文を勉強したときのこと。
「同じ日本語だからなんとかなるよね」
といった声をあげ、同級生の中にはハナから古文の勉強から目を背ける者もいた。
そんな学生ほど、「なつかし」という言葉の意味を問う問題に、ついつい「童心に帰る」を(いわば、制作者が「こっちに引っかかってほしい」と誘導する巧妙な選択肢)選んでおり、国語教師のニンマリする表情を試験の都度、目の当たりにしていた。ちなみに正解は「心惹かれる様」である。

閑話休題、思ってた、考えるにとどまっていた、なんて、正直私はさほど大きく評価してはいない。
考える、その次のステップは、何かに書き出す、そして披露し、修正を繰り返し、頒布する、
作品はそうしてアウトプットを繰り返し、自分の目ではない多くの視点からの意見を浴び、洗練され、磨かれ、成長を重ねていくものだ。

その際のステップは決して欣一化されたものでは、ない!

考える、と、公開する、この似て非なる二つの間に、どれだけ大きな段差があることかを、意外と多くの人間が「見誤っている」
たとえ目測を誤ろうとも、それら上がるにつれて段差の大きくなる障壁に、くじけることなく真っ向から立ち向かい、時に厳しい現実や辛辣な意見を浴びながらも、めげることなく不屈の精神で立ち上がり、また次の段へと這い上がる姿。
それは誰の目から見ても立派な姿ではないだろうか。


私の1巻は、たしかにゲームマーケット前、大きな反響もなく、当日は細々と頒布するにとどまり、その後も厳しい言葉を浴びる一方だった。
それゆえに、掛け替えのない「楽しみにしてました!」「面白かったです!」といった声援が、自分にとってひときわ印象に残るようにもなったのだ。


結果、私はくじけなかった。
喉元過ぎたる熱さとやらで、翌日から早速4コマを描いた、描き続けた。



そしてこの春、質・量ともにボリュームを増した2巻を完成させることができた。
あれからイラストも少しずつ勉強し、表紙画像も我ながら見違えるほど飛躍できたものかと自負している。


ボードゲーム知識ゼロでもなんとなく読めるボードゲームの漫画です。
よろしくお願いします。
(テレビ東京「勇者ああああ」のキャッチコピーっぽく)


4コマは現在も引き続き連載中で、5月18日、連載100話目を迎える予定となる。







2019年5月12日日曜日

ゲームマーケットは浄化を促す場

新しいことはそれ自体が魅力的だ。
新しいボードゲーム、新しいルール、新感覚、新機軸…
新しい、新鮮、というものは、その言葉だけで魅力的だ。

ボードゲームに限った話ではなく、新社会人、新番組、新成人、等々、新しいものそれ自体が多くの人を魅了する。
新しいものは、すでに在るものに対して、違う風を取り入れてくれる。
これまでに多少の食傷を感じていた人にとって、新しいものは、期待感も含めて何よりも貴重な存在だ。

古いものは、それ自体が魅力的だ。
昔から存在するボードゲーム、古来より伝わる伝統遊戯、すでに一般語となったルール…
古き良きものは多くの人を魅了する。

ボードゲームに限った話ではなく、看板役者、御意見番、生き字引、等々、いつもの存在は「そこに在る」だけですでに魅力的だ。
古き良きものは、組織に抜群の安定感をもたらす。
多少雰囲気が乱れようとも、最終的には絶対エースとなる存在がなんとかしてくれるであろうと、皆が期待を寄せる。
それだけで尊敬に値されるのだ。


対象となる二つを記述した。
どちらが悪いとも、どちらかに顔を向けろとも、そんな極端な話ではない。
強いて挙げるならば、その「両方」だ。
「老害!老害!」と新しい意見ばかりを追いかける自覚があるならば、古き良き作品に目を向ける必要があり、「昔は良かった」と古き良きものに固執していると自覚があるならば、最近話題の作品の傾向に目をやるものと考えている。

とある老舗のラーメン屋の店主が話す。
長年同じ味を継続させるためには、客に「変わらぬ味」と気付かせないよう、微妙に味を変化させているのだと聞く。
長年同じ味を続けると、客の方から「(味が)変わった」と意見されるそうだ。
時代の趨勢とともに、グラデーションのように微妙に変化する客層を柔軟に捉え、その都度、自分の在り方を変化させる、
それは商売に限らず、地球上の生物が厳しい時代を生き抜くために学んだ、ある種の処世術とも言えるのではないか。


翻って、ボードゲームの話。

ボードゲームを(決まったお店で)買う、(いつものカフェで)遊ぶ、ばかりでは、やはり自分の中の「情報」がどうしても偏ってしまう。
そこで、五感をフルに使い、ボードゲームを最大限に楽しむ日が1年に1度でもあれば、自分の中の凝り固まった筋肉が解きほぐされることだろう。


ゲームマーケットが2週間後に控えている。
日本最大規模を誇る、ボードゲームの祭典だ。

開催スタッフの方は「体験しに来てください」と口にする。
その真意を察するに、買うだけでは物足りない、目で、耳で、肌で、(時には)味や鼻など、五感で体感し、自分の中の「ボードゲーム」の感覚を自浄するための場ではないかと考えた。

日本最大級だけに、会場内にはそれこそ多くの参加者が集う。
有名芸能人、漫画家、プロ棋士、アイドル、ポッドキャスター、ユーチューバー、もちろん、製作者、イラストレーター、有名ブロガー、ボードゲーム会主催者、カフェ運営者、ツイート上で見かける大勢の方々、等々、自分より数多くのボードゲームに触れているであろうそんな方々と、ご挨拶でき、時に試遊台を囲み、ともにボードゲームについて語ることのできる、そんな稀有な体験イベントが他にあるだろうか。


そして何より、私は二日目となる日曜、ブースの人間として提供する側に立つ。
前回大阪でもそうだったように、私のコンセプトは「一体になって楽しむ」ことである。
売ること、買うこと、それ自体は後回しでもいいから、せっかくいらっしゃった方々と一緒に「遊んでもらう」「体験してもらう」そして何よりも「楽しんでもらう」ことを主軸に置き、立ち寄った方々が笑顔で立ち去っていただけるような、そんな運営を組み立てようかと考えている。


ゲームマーケットに来場された方が「あれだけ疲れたのに、早く帰ってボドゲしたい」と感じたならば、それは会場内できちんと浄化された証ではないか。今風の言葉で「デトックス」とも言うのだろうか。

私も何かをつかんでもらえるよう、これからの短い間に、一つでも面白いトリガーをこれから用意しなくては、ね。

2019年5月7日火曜日

気楽に頑張ります-41歳の抱負に代えて-

ボードゲームのクイズの本を作り、3年目となる今年。

勢いに任せ、2冊の本を出した。前後編に分け、1000問の問題を上・下巻に分けて収録した。
12月のゲームマーケット秋を終え、次回春、当時5月の開催まで制作は実質3か月弱。
昨年も締め切りギリギリまで問題の制作に明け暮れ、苦心しつつ何とか無事に続編を一冊作り上げることができた。

環境がガラリと変わり、記録的な酷暑にもめげず、その年のゲームマーケット秋、レイアウトを大きく変えた一冊を無事に頒布することができた。

同時並行して、翌年3月のゲームマーケット大阪に初出展の申し込みも済ませ、翌年開催されるゲームマーケット春の前に、何か作品を出すことはできないか、と、ぼんやり考えることにした。

秋が終わり、神戸、北海道、と小冊子を広報に上がる中、次回作への構想がぼんやりと浮かび、ノートにメモをまとめるうちに、空想が現実味を帯びてきた。

年末年始を返上し、まさかと思った新刊を、頒布することができた。
しかも漫画本も含め、2冊も。

それが3月中旬の話。
次回春まで制作時間は、残り1ヶ月半。

しかしながら、それでも小冊子の入稿を先日無事に終えることができた。
漫画本、なぞなぞ本、クイズ本
リメイクとはいえ、3冊同時刊行だ。



これが私、番次郎ブース出展の簡単な振り返りだ。

3年目となる今年、令和元年、年も41を迎えた。
これからは目もかすみ、肩が、腰が凝り固まり、歯や髪が抜け落ち、老化も急加速するのだろう。
いつまでも若くはない、ということだ。

それでも周囲のボードゲーム製作者の方に限らず、歳を重ねるに従い、良質な作品をどんどん提供される方が大勢いらっしゃる。
いつまでも歳のせいだと言い訳ばかりしてはいけない。


進むこと。歩き続けること。
無理をせず、できる範囲で「歩き続ける」うちに、見えない筋肉がついてくる。
「遊んでいるうちに自然と強くなる」
それはボードゲームを遊んでいる方ならば自ずと理解してもらえるのではないだろうか。


春先になると、時折、硬いアスファルトを突き破り花を咲かせるタンポポを道端で見かける。
強い力ではなく、弱い力で、何度も何度も押し上げるからこそ、織りなせるのだ。

北海道ボドゲ博の出展を決めた際、数名の方から
「有名サークルが名乗りを上げてくれました!」
と、私の名前を取り上げてくださった。
私自身、そんな自覚もなく、無論作品自体が爆発的に売れたわけでもない。
とはいえ、向こうはお世辞でもないそぶりだ。
確かにそこには「幾らかの知名度」が、私の知覚しない箇所で存在していたのだろう。
それは作品自体の知名度云々ではなく、何かしら「継続すること」で成し得られたものではないかと考える。

「継続できること」の強みとは何だろう。
ひとつに、それは「安心感」ではないだろうか。

ブランド力、という言葉にも置換できるこの言葉は、いわば「このサークルの、この人の作品ならば間違いなく面白い」と多くの方からの「信頼」で形成されている。
有名作の続編、有名ジャンルの一括り、好きなジャンル、等々、十人十色で形作られるそれらの「安心感」は、作品に多少の「ブレ」が生じようとも、根強く残ってくれるものなのだ。

もちろん我々人間はそれら「安心感という名の信頼」が、作品の度合いどころか、何気ない一言で、いとも簡単に崩れることも重々承知している。

だからこそ、大切にしたい。

私が制作に傾注した1年で欠けていた物、それは周囲に対する配慮、心配りだったのではないか。
「良い作品を作ることが、何よりの恩返しだ」
そう信じて疑わず、自分を犠牲にし、これまで作品を磨き上げてきたのだ。


令和元年 5月6日、41となる誕生日を迎え、その考え方を改めようと思う。


余裕を持つこと。

それはデザイン・レイアウトを学ぶうちに身につけた「余白」の持つ力だ。

これまでの小冊子は物量で圧倒し、いわば威圧的な雰囲気を醸していたのではないか、と反省する。
今回春の作品ではデザイン・レイアウトを一新させ、デザイン全体に「余白」を意識した。

そして何より、身を粉にして相手に尽くす姿勢から、こちらにも幾許かの余力が生まれるような予算設定を考慮した。

次はないかもしれない、では、先に挙げたような「安心感」は得られないと考え、「もう無いかもしれない」の不安を煽ってまで購入するべき作品作りでは無く、いつまでも続き、次回作も請い願われるような、そんな作品を私自身も作りたい。
そのためには、やはり中身を読んでもらいたい。中身で評価されたい。
レイアウトも含め、余裕を持って作品作りが提供できるような、そんな制作環境を整えたい。


41になり、前回、私のブースのコンセプトを「初めての人が立ち寄るギルド的なブース」とした。
そんなルイーダの酒場的な、世界樹の迷宮では金鹿の酒場のような、そんな立ち位置で、この一年は頑張りたいと思います。


こんなブースで、こんな人間ですが、よろしければ気楽にお付き合いくださいませ。



2019年4月20日土曜日

インプットとアウトプット

漫画家あやめゴン太先生のツイートにあった何気ない言葉だったと思う。

「なんでこんなに本があるの? それはね、本が好きだからだよ」

好きだから、必然的に、その総量は多くなる。
当たり前のようで、意外とそうでもないことがあることに気がついた。

ボードゲームが好きで、好きが興じて、ブース設営3年目となる今年、またも「3冊の新刊を出します」などと無謀なチャレンジを行う自分。
読みたい本はたまり、遊びたいボードゲームも積み重なり、できるか否かの気持ちばかりが焦る中、刻々と時間ばかりが過ぎていく。
周囲のテストプレイ会などのツイートを横目に、名門大学受験に匹敵する程のデスクワークが続く自分。
「好きなことって、何?」という錯覚に苛まれそうになると、邪気を払うかのようにかぶりを振って、また前を向く。
この頃はそんな生活を送っている。

量がその人を支える。
ボードゲームが好きだから、その人には、それだけのボードゲームの量的な数もあれば、または知識なり経験なりといった知的財産のようなものも存在する。
本が好きだから、本をたくさん所持しているし、必然的に、本をたくさん読んでいる。
TRPGのステータス振りのように、ある人はこの値が少なく、ある人はこの値が多い、それらを鑑みた上で、パーティ内での性格や役割が形成される。

逆も然り。
少なければ、やはり、何もできない。
手にする物量が少なければ、できる範囲もそれだけ限られるだろうし、また、インプットする量が少ないならば、絶対的な経験値を持つ人間に圧倒されてしまうだろう。

「好き」が持つ特徴の一つに、インプット、つまり内面に取り入れられるがゆえに、なかなか自分では見えにくい点ある。
自分で「**が好きです!」が見えにくい、自覚しづらい、自覚できるまで時間を要するのでははないか。

インプット、体内に取り入れることとは、自分の中に多くの「コト」「モノ」を「取り入れる」ことにある。
取り入れてしまうということは、体内で消化され、自分の中のパーツとして形成され、細胞の一つとして体内に組成される。
自分の中のひとつとなるのだ。
自分の中のパーツとなったものは、自分ではなかなかその利便性に気がつきにくい。
「人間は腕が二本あり、指を自在に動かせる」を、日頃から幸せだと感じている人は少ないのではないか。

では逆に「アウトプット」はどうか。
アウトプット、他人に向けて「主張」することで、自分の存在を他に「アピール」することができる。
「自分はこうなのです」「自分という生き物はここにおり、こんな形をして、これが好き、嫌いなのです」
常日頃から発信する言葉や言動などで、周囲の人間に「アウトプット」することで、自分の存在を「インプット」する役割を果たしている。
「ああ、他に比べて、自分はこうだったのか」「やっぱり私は**が好きだったのか」
アウトプットすることで、自分の「好き」を主張することで、改めて強く認識できるのだ。

好きなことを主張することは、深呼吸することに似ている。
窓を開けたら空気は「逃げ」たのちに新鮮な空気が「入る」
苦しくなったら、まずは呼吸を「吐く」
吐くだけ吐いたら、少しづつ「吸う」
他人ごととは言えないが、好きであることの回答を積極的に仰ぐのではなく、ゆっくり、無理せず、自分のできる範囲内で吸収すれば、自ずと自分の行なった回答はやってくる。
言うなれば、苦しみながら呼吸を行うことはない。
回答に無理をして急を寄こそうとするから「無理」が生じる。
それでもやはり、インプットする時点では見えにくい点を他人の目線で評価される嬉しさや喜びには到底かなわないのですけれどね。


ゲームマーケット春2019開催まで残すところ1ヶ月あまりとなった。
多くの製作者が大詰めを迎え、積極的に広報活動を行い、自分の作品をアピールしている。
「見てください!遊んでいってください!」
私個人として、ゲームマーケットはモノを売り買いする場、という目的は二の次、3、4、5の次ぐらいだ。
モノを買う立場として、それら製作者の方々の「好き」を全身に享受する場として
一方で、モノを売る立場として、私の「好き」を全身全霊でアピールする場として
臨む所存だ。

だから、今は必死でアウトプットを続けるしか、ない。
自分の中に蓄積された「好き」の総量をあらん限りに放出させ、小冊子にしたため、エナジーみなぎる小冊子として上手く昇華できるよう、最善の努力を行うより、他はない。
それが何よりのアウトプットであり、ひいては自分の「ボードゲームが好きなのです!」をアピールできる一番の方法ではないだろうか。


そんなことを考えながら、今回もまた多くの製作者様からたくさんの刺激を受けるために5月25.26日とビッグサイトにお邪魔したいと思います。
私は日曜L02ブースの片隅で、ひっそりと本を売りつつ、ボードゲームのクイズを読んでいることに致します。

よろしくお願い致します。



2019年4月14日日曜日

楽しむために勝つ、とは。

最近は作業のお供にポッドキャストやツイキャスライブ等を拝聴することが多い。
その中で感じたことを話題として提供したいと思う。

先日のおしゃべりサニバ第148回で「好きすぎて上手くなり、相手がいなくなった」という内容の話題で盛り上がっていた。

将棋や囲碁など、競技人口が多い遊戯ならば、上を見上げるとキリが無い分、好きなだけ成長でき、好きなだけ身の丈に応じた相手が存在する。

しかるに、好きなボードゲームとなると話は別だ。
いくら好きなゲームであろうとも、同じゲームに付き合うならともかく、強くなりすぎた相手にむざむざ負け戦を挑むような相手と、再び一緒に遊びたいと思うような、強靭な精神の持ち主など極めて稀だろう。

何度か引用したトイバーの言葉「またあなたと一緒に遊びたい、そんなプレイをしましょう」
そんな言葉が一瞬頭をよぎる。


が、それも杞憂であることに気づいた。


少し前に、こんな漫画を描いた


本当に上手いプレイヤーとは、どういったプレイスタイルを取るのか。


それは「勝って楽しい」ではない。
「楽しむために勝つ」だ。

以前オセロ有段者の方とオセロでお手合わせをする機会に恵まれた。
序盤はこちらが圧制だった。
にも関わらず、終盤からあれよあれよと駒を返され、気がつけば盤面は相手の駒だらけ。見るも無残な形での完敗を喫したのだった。

「オセロでは、序盤なんて関係ないですからね」

盤面の毛バタがハゲてうっすら木目が見えるほど、何度も何度も使い込まれたであろうオセロの盤面を、私はジッと凝視しながら、その方のお話しを伺った。
丁寧に、笑顔を交え、一手、一手と解説してくださる。

「ここでこっちを置きたくなるでしょ?実は隣のこっちに置くとですね、ほら!実はここで互角になってたんですよー!」


プロの技量とは、数かぎりない選択肢の中から最適解を見つけ出せる、ばかりではない。むしろ「AかBか、究極の選択」といった二択、三択の盤面を何度も何度も展開するうちに、そこから最適解ばかりを巧みに選択できるプレイヤー、それこそが私の思う「プロ」ではないかと考えた。


余談だが二択もバカにはできない。有名な話に、0,1mmの紙を何回折り曲げると富士山と同じ高さになるか、といった数学の問題がある。
答えはたったの(?)24回。
細部計算は省略するが、2×2…×2を続けると、24回折ることで、折り紙程度の厚さだろうとも富士山の高さに到達できる、という計算上の話である。

閑話休題
オセロの盤面では一人30手、最初の定石はあるかもしれないが、常に二択と考えても、その数は5億通りに及ぶ。

オセロに限らず、ボードゲームや囲碁、将棋の上手い方は、その中で「いま自分や相手が一番楽しめる方法とは何か」を常に模索し、相手がどう考え、どうしてここでこんな手を打ったのか、といった全体まで俯瞰できる余裕と余力があるからこそ、なのだろう。


同じeスポーツつながりで「ぷよぷよ」なども、自分の状況だけでなく、次に落ちてくる駒や、相手の状況を即座に判断する技量が、上級者ともなると要求される。

それらを踏まえた上での感想戦は、同じレベルの相手より、やはり上級者とのやりとりの方が面白い。
自分では「なんとなく」と思って打った手が、実はもう少し冷静に考えて別の手、往々にしてそれらは二択に絞った際に最後まで迷った挙句、最後に切り捨てた方の手だったりするが、の方が妙手だったりする。
その「気づき」があるから面白い。楽しい。
単に自慢話を聞かされたり、自分のダメさ加減を言及されるだけの感想戦なんて、勉強目的でない限り、つまらないではないか。

それは感想戦も含めた「一局全体」が、自分、相手、相互に楽しいからであり、自分だけではなく「お互いが楽しむために」ゲームが存在するからではないか。
そして上級者ともなると、その辺りの楽しさ(勝敗に左右されない、あくまで楽しむための、という意味合いで)を熟知しているのではないか。


先に挙げた言葉を裏返して解釈すると、「ボードゲームはやはり一人では遊べない」のである。
ポッドキャストの中でも話題に上がったが、勝ってばかりでは、やはりツマラナイ。退屈だ。
古典では退屈を「徒然(つれづれ)」と呼び、物悲しい、という意味と同義で使用される。
だからつい自分の自慢に走りがちとなる。
何気なく口に出た言葉が自慢に捕らえられ、その自画自賛が過ぎると、やはりつまらないどころか、神経を逆なでする恐れもある。
「あの人と(あのゲームで遊ぶと)どうせ負けるだろうし」「負けた挙句、自慢話聞かされるんじゃあな」
悪循環を断ち切るには、やはり「相手を思うプレイ」が必要とされる。
いくら人工知能が世界を跋扈しようとも、対人で繰り広げられる「会話のやり取り」や「思いもよらない妙手と、時に悪手も見せる奇想天外な展開との隣り合わせ」が混在する対局こそ、人工知能が到達できない、それこそアナログゲームが真の強みを見せる「人と人とのつながり」ではないか。


考えてみれば、美味しい料理が食べたい時は、自力で作る他に、腕の立つ料理人のいるレストランに向かえば、良い思いをすることもできるだろう。
美味しいレストランでは、その手腕をいかんなく発揮するシェフが腕によりをふるってあなたにディナーを提供する。
飾る言葉もいらず、一言「美味しかったです」があれば、それだけで相手も喜んでくれるに違いない。


「会話は知性のご馳走である」
最近読んだジョン・トッド著「自分を鍛える」からの引用である。
上手くなることで離れるには、といった問題の根底には、やはり当人の「勝って楽しい」が先行するからではないか。(もちろん競技・スポーツの「厳しさ」が持つ側面を「勝てなくても楽しむには」といった問題に展開させるとまた別だが)
それらを踏まえ、私の思うプロとは、相手に気づきと楽しさがもたらす「知性のご馳走を提供する一流シェフ」のような存在であり、いわばそれは「楽しむために勝つ」ことが念頭にあるプレイヤーのことを指すのではないかな、と思い、自分の目指すべき道もどうやらその辺りに眠っていることを再確認したのであった。




2019年4月7日日曜日

ふりだしに、戻りました。ー根本を見直すことで見えてきた世界の話ー

先日、POO松本先生というデザイン関連の先生の元、私の小冊子をビシバシと指導される機会に恵まれた。
約8時間余にわたる猛抗議は、時折涙ぐんでしまうほどで、強さの中に情熱のある指導であり、メモ代わりにと用意したノートはほとんどのページで黒ずんでしまった。

その中の一つを紹介したい。

ページを開けるなり、先生の口から出た言葉は
「で、これは誰に向けての本なの?」

もちろん、小冊子を作るからには自分なりにテーマを定めてはいたが、それではあまりに「漠然と」しすぎている、と指摘された。

「若者?初心者?子供?お年寄り?その辺りがブレてない?」

根本も根本、スタート地点の問題である。
私の小冊子が抱えていた問題は、主軸となる「骨組み」、大黒柱そのものがすでに揺らいでいた、というわけである。
言うなれば、この時点で「指導を受けるフィールドにすら上がっていない」とも言える。

あ、イタタタ。

クラウゼウィッツの戦略の本や、孫子の戦略の本やら、ビジネスでも活用できるだろうとあれこれ戦略の本を読み漁ったから、おぼろげにわかる。
「全方向同時打撃」なんて構えていたら、あっという間に兵站組織が瓦解してしまう。
敵が企図する目的をしっかりと見定め、時に応じて刻々と変化する戦況をよく観察し、我に乗じる敵の弱点とする方向に、あらん限りの火力を指向する、
そんな戦闘の基本・基礎すら“わかっていなかった”のだ。

闇雲に頑張ることで、なんとなく「許された」気になっていなかったか、自分。

指導を受けながら、心の中の重い塊がズシン、ズシンとのし掛かり、その上からさらに厳しく飛び交う、細かなデザイン面での指導…。

辛さ、厳しさに耐え忍びながら、その日の夜、もう一度、乱雑に書き留めたノートを見返す。
デザイン云々の話ではない。
これまでの自分が残してきた、雑さ、荒さ、その他諸々の「甘さ」が、やはりわかるかたにはお見通しだったのだ。
恥ずかしさのあまり、次回作成の本など頒布するにおこがましい思いもした。
体調のせいだと言い聞かせ、早めに就寝し、1日だけ気持ちを寝かせることにした。


翌朝、
乱雑な文字のノートはそのまま。
頭の中だけは余計な雑味が少し抜けたのか、幾分カラになったような、すがすがしい気分。

パソコンに向かい、昨日の事項を一つ一つ修正する。
構造を一からやり直す作業に深いため息が溢れる。手が止まり、なかなかキーボードが進まない。


先生は5月に新刊を出すことを「馬鹿か!死ぬぞ!」と応じた上で「よし、死ね!」と承諾してくださった。
頑張ることしか取り柄のない自分が、また一からスタートする、その期限は実に1ヶ月を切ってしまった。
材料はあるが、時間も体力も、まして余分な資金もない、
そんな中で本当にできるか否か。今回も大勝負を強いられることとなった。
毎回毎回、本当に私は馬鹿だと思う。

無理だ、と思ったらそこで糸が切れてしまう。
だから、コツコツと続けるしかない。
一歩一歩、と歩き続けているうちに、ゴールも見えてくるだろう。
今はまだ、見えない先のことなど考えず、目の前のハードルだけを、一つ一つ、着実にこなしていく、それだけだ。


まずは「主軸」ターゲット層を見直す作業から取り掛かった。


一つ、皆さんに約束したいことがある。
それは、作品を頒布する中で、それらの質を確実に上回ることだ。
決して過去作の「焼き回し」などといったことはしない、したくない。


そのためにまず、問題数の選別を行うことにした。
これまでの小冊子では「数の多さ」を何かしらの武器にしていた気がする。
どなたかが(小冊子の件ではないけれど)話していた。
「あまり多すぎても、見やしませんよ」
だから、問題数を半分ほど一気に減らす作業を行うことにした。
いわば果物の摘果のような作業だ。
問題数が減る代わりに、一問一問のクオリティが高く、甘い、どの問題も自信を持ってオススメできるラインナップを揃えることができる。

そして、ターゲットをさらに絞ることにした。
言うなれば、これまで「老若男女、どなたでも楽しめます!」と、ぼんやりした表現で濁したターゲット層を、ギュッと絞ることにした。
「初めての方がボードゲーム知識を蓄えられる一冊」
初めての方が読むことで、ボードゲーム・アナログゲームの知識をそれなりに身に付けることができる一冊、と、銘打つことにした。
これはアナログゲームのなぞなぞ本2巻や4コマの2巻も同様のコンセプトだ。


「いらっしゃい、ここは初めての方が装備を整えるお店だよ」
そんな基本コンセプトで、番次郎ブースは、ゲームマーケット春、そして北海道、と、挑むことに決めた。


そして、大事なことをもう一つ。

ゲームマーケット春が終わったら、少し間を取り、作品をじっくり練りたいと思う。
有り体に言えば、北海道ボドゲ博に向けての新刊は、今は出す予定はない、です。ごめんなさい。

これも先の「クオリティ維持」の話につながる。
今回の大阪新刊、自分なりにIllustratorもインデザインも勉強し、小手先の技を駆使し、さらなるパワーアップを図ったつもりだった。
が、やはり先生の目はごまかせなかった。
「大阪新刊、突貫工事で作ったろ。前の(BoardGameQuiz本)方よりも、クオリティが落ちてるぞ。」

だから、というわけではないが、もっとインプットしたい。もっと気持ちに余裕を持ち、小冊子制作以外にももっと色々な面で、多くのことを学びたい。ポッドキャストも作りたいし、本もたくさん読みたい。買ってから遊んでいないボードゲームだって山のようにある。
ボードゲームが持つ「楽しむ」ことの根本を忘れることのないよう、しっかりと土台を踏み固めたい。何よりもまず、求職のあても探さなくちゃね。



原点に立ち返り、言うなれば、スタートに戻ることで、改めてその根本を見直すことができ、その先でようやく見えてきた、自己の現実と、行く先の未来。
今回の講義で学んだ新たな視点をもとに、自分の持つ可能性、そして「一人だからできること」そして「表現するからこそ、見えてくること」決して良いことばかりではなく、キツく、つらい言葉の中から、磨かれる自分。
艱難汝を玉にす、と、自分に言い聞かせながら、とは言いつつ、時折お茶でも入れながら、余裕を持たせつつ、この先も「ボドゲクイズのひと」として、そしてこれからは「初心者の館のオヤジ」としても、その両面で頑張りますとも。



このブログも区切りがよく100件目を迎えることができました。
他の方とは違い、ボードゲームの紹介もなく、日々、感じたことを、長々と綴るだけのブログとなりますが、今後もゆるく続けていきたいと思います。
よろしくお願い致します。



学ぶこと、奢らないこと。〜バネスト20周年記念ボードゲーム会に参加して〜

名古屋市北区のゲームストア・バネストが今年で20周年を迎える。 それを記念し、20周年記念ボードゲーム会と銘打たれた大規模なゲーム会が開かれるのだという。 開催の知らせを耳にした私は予定の有無など考えずに申し込みを済ませた。 ゲームマーケット秋に向けての入稿や来週に迫る神...