2019年2月23日土曜日

「脱・初心者」宣言します

先日、横浜のボードゲームショップ「リゴレ」様にて、第2回目となる「ボードゲームにわか会」が開催された。
この会の参加者はボードゲームに不慣れな方ばかり、そんな方でも楽しめるよう、ルールも優しく、ギスギスしない作品を主催の石田さんが厳選したのだという。

「不慣れな方」いわゆる「初心者」ということになるが、この参加条件は「本当に初心者の方」とされたため、「いつまでも初めての気持ちを忘れないために(自称)初心者を貫く」私のような人間はことごとく参加を見送られたと聞いた。
(事実、私も参加を見送られた人間の一人だ)

ボードゲームに限らず、初めての方の中に「実は凄腕でした」が混じることで雰囲気が変わることは容易に想像できる。
初めての方ばかりを集めて草野球チームを作ろうとメンバーを募ったところ、元野球選手が参加を表明した。当初は嬉しかったが、その後、自分の練習はこうだ、効率よく行うにはこうだ、と、都度、口を挟まれるようになり思い描いた雰囲気とは異なった、といった話はよくある話だ。

何やかや、ボードゲームのことを知り、2年余り、所持数は3桁の私。
「ボードゲーム初心者」を自称するには、確かに「おまいう(お前がいうな、的なニュアンスで使用される言葉)」と突っ込まれるだろう。
逆の立場になって考えると、確かに自分より多くを知る方とのセッションは、大きな学びを得る機会であると同時に、自己の浅学を否応なく認識することとなるため、精神的な疲労の度合いも大きい。

ならば「これどうなんですか?」「さすが、よく知ってらっしゃる!」なんて頼りにされるかもしれない初心者中心のサークルに、ベテラン勢がひょっこりと混じりたくなる気持ちも理解できる。
もちろん「自分はベテランです!」などと宣言すると、人によっては「いきり立ったようなニュアンスの発言」として捉えられ、図らずも「その程度でベテラン?」「俺はもっと凄い」などの言葉が返ってくる可能性だってある。
「いつまでも初心者でいたい」
自分の中の漠然とした決意の中には、そんな、ある意味内向的な一面もあったのではないかと邪推する。


少し話題を変える。
先ほどから登場する「初心者」という言葉を、一時期ではあるが、その私自身が忌避して口にしなかったのである。

「初心」という言葉を広辞苑で引くと(用例略)

【初心(しょしん)】
1、学問・芸術の学びはじめであること。また、その人。初学。
2、仏道に入ったばかりであること。また、その人。
3、まだ物事になれないこと。世慣れしないこと。うぶ、未熟。
4、はじめに思い立った心、初一念「ーにかえる」

と、何か私の中で「上の立場の人間が、下から上がる人間を見ている」ような意味合いで捉える節を感じたのだ。

「ボードゲームは初めての方もベテランの方でもフラットに楽しめるもの」
そんな幻想に近い思いをいまだに描く私にとって、「相手にかける言葉がマウントを取られかねないのではないか」として、口にすることを取りやめたのだ。

お気づきかどうかは定かではないが、私の小冊子「BoardGameQuiz」シリーズでも「初心者」や「初級編」といった言葉を使用せず「ビギナー」「CASUAL」などの言葉に置き換えている。




(参照1:既刊「BoardGameQuiz NEXTAREA」より。)


しかるに、先日のこちらのイベントや、私自身の「考えずぎ」によることを踏まえ、今度の新刊では「初心」「初級」という言葉を積極的に使うようにした






(参照2:新刊「AnalogGameGAME」より)


あくまで自分の話ではあるが「初心者」という言葉を使う場面とは、先に挙げたような「自嘲する意味合い」も込められている場面ではないかと判断した。
「ヘッヘッヘすみません。実はアッシ、玄人なんでやんす」
表向きは初心者に見せかけて、その実、ベテランだったといった登場人物が、自己を卑下する際に使用する言葉、それが「初学」「初心」などの言葉ではないかと考えたのだ。

「新刊に取り入れた」とは、この「初心」という言葉の強みを活かす狙いがある。
志の高い人間でなければ、明らかに手負いするベテラン勢に自ら飛び込むような真似をするリスクは最小限度にとどめたい。
しかしながら、それらを回避する術も持ち合わせていない。
とはいえ、世界の危機を救う勇者でもあるまいし、ガチガチとしたものではなく、できうるならば、それすらも楽しくワイワイできるものにしたい。

そんな方に向け「こちらなら安心です」をそれとなく指し示し、うまく誘導する必要があるのではないか、そんな「先に走った人間として行うべきものではないか」といった義務感のようなものが湧いたのだ。


先日、初めて足を運ぶボードゲームBarに向かう際も、恥ずかしながら大変緊張する思いだった。
向かった先の新宿のBoardGay.mBar秘密基地様では、そんな私をも暖かく受け入れ、楽しくお話し、ボードゲームを行うことができ大変嬉しい思いをした。この場を借りて感謝申し述べる。
何年経とうとも、いくつの作品で遊んでいようとも、未開の地へと向かう勇者はいつだって「初心者」なのだ。
この「未開の地へと向かう緊張、恐れ」とは、大げさな話をすると、大航海時代に新たな土地を見つけるべく出航した人間の気持ちに似ているのではないか。
リスクを負うかもしれない、現状のままで満足することに、誰も異論を唱えないはず。
それでも、新たな場所へ向かうという希望と野心。
そんな方々を「初心者」という言葉で嘲るのではなく、これからは同胞となるであろう我々の世界へと目線を向けてくれたことに心から敬意を示すような、私は今後、そんな「脱・初心者」の一人でありたいと願い、ここに宣言する。


2019年2月21日木曜日

創作落語「カタンカタン」

先日勢いで作りました、古典落語「寿限無」をベースとしましたパロディの創作落語です。
アラが目立ちますが、お目こぼしください。



月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり、とは有名な松尾芭蕉の「奥の細道ーの冒頭でございますが、月日の流れというものは早いもの、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」なんてなことを申しまして、ボードゲームの制作者ともなりますと、この時期は、喫緊に控えました大阪のイベントや、5月に控えます東京のイベントなどに向けまして、新作のテストプレイや説明書の印刷などで大忙しとなる季節でございます。

「こんちわー、ご隠居いますかい」
「はいはい、おや、誰かと思ったらはっつぁんじゃないか」
「どうもご隠居。今日はね、ちょいとお願いがあって参りやした」
「ほう、 お前さんがアタシに頼みなんて珍しいね。なんだい?」

 ご隠居が聞きますと、はっつぁんは神妙な面持ちでこう言います。

「実はですね、ウチの長屋、今度ボードゲームを作っちまったんです」
「おや! 自作ボードゲームかい?」
「そうでやす」
「おや、そうかい。どちらのお宅だい」
「へぇ、アッシんところなんです」
「……何だよ自分のところかい。自分のところでボードゲームを作っておきながら『ボードゲーム作っちまった』なんて言い方があるかい。しかしまぁ、オメデタイこったね。そうかい、そういやあとしばらくすれば大阪でもイベントが、ついぞ5月の東京も2次募集が始まったなんてな噂も聞くが、良かったじゃないか」
「へぇ、ありがとーございやす。実は明日が『入稿日』でね、早くしねぇと、ヤのつく人が追ってくるらしいんでやす」
「そいつは物騒な話だねぇ、どこの印刷所だい?」
「隣町の印刷所なんですが、締め切りはとっくのとうに過ぎてるから、今日中に持って来なけりゃ、極道の人が入稿をどうとか」
「……そりゃ『極道入稿』てぇんだよ。あーあ印刷所の人ら、今頃カンカンに怒っとるぞ!」
「あーそれそれ、極道入稿だ。それでカカァと話をしてたんです、名前を付けなきゃいけないってんでね」
「お前さんは今になって、名前もつけとらんってぇのか。」
「ええ、何せ制作はカカァに丸投げだったんでね」
「情けない旦那だよアンタは」
「そんでカカァが、お前さん何もしないんだから、名前くらい付けとくれってんですが、アッシは学がねぇし、さてどうしようかと思ってましたら、カカァがね『じゃぁ横丁のご隠居さん、あの人は物知りでお調子者だから、聞けば何でも教えてくれる、アンタ、ウマイこと煽てて頼んできて』と、こう言うんだ。だからね、ウチのボードゲームに名前付けちゃくれやせんか、頼みますよご隠居」
「はっつぁんよ、その目玉をかっぽじってよーく見るんだ。お前さんは今『誰と』話をしてるんだ?」
「あ、ご隠居だ! カカァも言ってました。当人の前で言っちゃいけねぇって」
「まあいいわい、お前さんの顔に免じて許してやらぁな。でも何かい、名前を付けるってことぁ、アタシがボードゲームの名付け親になるって事だよ。構わないのかい?」
「もちろんでやす」
「そうかい、じゃぁ喜んで付けさせて貰いますかね」
「今度のイベントで喜んでもらえるような、めでてぇ名前なら何でもいいんだ。
 いやね、出来上がる前ぇは、バカ売れして欲しい、世界中で遊んで欲しいなんて思いもありましたが、完成直前のものを見るとンなことどうでもよくなっちまって。へへ、これが親心ってヤツですかね。親ってのは妙なモンだね。とにかくまぁ、買ってくれたお客さんが喜んでくれりゃぁそれでいいと思いましてね。何かそういう名前をお願いしやすよ」
 「ほう、喜んでもらえるような名前な。それじゃどうだろうな。昔からよく『笑う門には福来たる』なんて事を言う。『ボドゲで遊んで笑お!』なんてのはどうだい」
「お、なるほどねー。うん、結構には違いありませんけどね、あっしはテレビなんてなものを見る性分じゃございませんが、どことなく声優業界の方からお叱りの声が届きそうで。他のはありませんかね」
「声優業界の方がこんな会話を聞いているだとは思うまいがね……、まぁいいや、お前さんの気持ちも分からないわけじゃぁない。
 じゃぁどうだろう、実は先日、黄色い潜水艦の中で色々とボードゲームを見せてもらったことがあるわけじゃが、どうだろう、その中で見てきたものをいくつか教えるから、その中からお前さんが気にいったものをそっちで選別して名付けるってのはどうじゃ?」
「お願いいたしやす」
「そうさなぁ、一番人気があったのはカタンだったかのう」
「は、カタンとはなんでやんしょ」
「カタンも知らんのかお前さんは。カタンというのは相手と交渉して資源を獲得し、無人島を開拓するゲームでな、聞くところでは「無人島を開拓する」と「お客さんを買いたくする」がかかって縁起がいいとされとるんじゃ」
「開拓と買いたく……おおそれは素晴らしい、まさに今度の作品にぴったりな名前だ。で、他にどんなものがありやしたか」
「他には、カードゲームもあったかのう、ニムトと呼ばれるゲームじゃ。」
「ニムト、へぇ、そいつぁどんなカードゲームですか」
「ニムトも知らずにボードゲームを作るとはお前さんもたまげたね。牛のカードを引き取らないだけの簡単なルールでな、今度のイベントにぴったりじゃろ」
「流石でございますご隠居。他には何がありますか
「チャオチャオもあったかのう。嘘をつくことも生きていく上で必要という意味じゃからのぅ。昨今は何かと正体隠匿系と呼ばれるジャンルも流行だから、注目されること間違いないぞ。
「チャオチャオ、嘘をつくとエンマ様に舌を入れられそうですが、それも良いですな」
「閻魔さまをインランにしたらバチが当たるぞ!舌は抜かれるんだ」
「他にどんなものがありましたか」
「ラミィキューブもあったかのう」
「ラミィキューブですか。それはどんなものなんですか」
「こちらはイスラエルのゲームじゃが、つい先日、日本人が世界チャンピオンにもなった上に、それよりも強い7歳の女の子が、加古川のボードゲームカフェにいるというもっぱらの評判じゃ」
「おおそいつは縁起がいい!他にどんなものがありますか」
「そうだなぁブロックスなんかどうか」
「ブロックスとはなんですか」
「4人でできるパズルのようなゲームでな、ルール自体も1分で覚えられるから大人も子供もわいわい遊ぶことができるぞ。普通のブロックスの他に、携帯できるブロックスミニや、立体型のブロック3Dなんていうのもあったかのう」
「おおお、それは家族で楽しめそうですな。他にどんなものがあるんでやんしょ」
「子供向けのジャンルなんてどうじゃ。ナンジャモンジャなんてな」
「な、なんじゃもんじゃですか?」
「変な洒落なんぞいらんよ。これは妖精のカードに名前をつけるゲームでな、こちらも大人でも子供でもできる人気のゲームなんじゃもんじゃ」
「ご隠居、言葉がうつってますよ」
「やかましいわい」
「子供でもできる名前は大変ありがたいですな。他にどんなものがありますでしょ」
「スティッキーというのは」
「スティッキーとはこれまたスてっキーな名前」
「シャレはやめなって」
「スティッキーとはどんなゲームですか」
「棒を取るゲームじゃ。これなら3、4歳の子供でもできて楽しいぞ」
「他にどんなものがありますか」
「まだ聞くのかい?そうさなぁ、ブラフはどうじゃ」
「ブラフですか、それはどういったゲームですか」
「嘘をつくゲームでな、これも6人くらいで楽しむことができるんじゃ」
「ブラフでございますか。他にどんなものがあるんですか」
「まだ聞いてくるのかい?お前さんみたいなのを「濡れ落ち葉」ってんだよ。はいてもはいてもへばりついてくるんじゃからの、おお、落ち葉といえばアグリコラというものもあったな」
「アグリコラとはどういうものですか」
「農場を経営ゲームじゃ、国内自給率の低いこの日本、農家のことを日本人が知っておくことは必要じゃろ」
「ほおほおそれは大変すばらしい。他にはどんなものが」
「コリドールというのはどうじゃ」
「コリドールですか。そいつはどういうゲームでやんしょ」
「これはシンプルな2人専用のフランスのゲームでな、言ってしまえば将棋の仲間みたいなもんさ。沖縄にこれを普及させようと頑張っているかたもいらっしゃるそうじゃ」
「それは素晴らしい。他にどういうものがありますか」
「まだ必要なのかい?実はな、今までの中には協力ゲームが足りておらかったんじゃ。パンデミックはどうだ」
「パンデミックですか、どういったゲームでございますか」
「世界中の細菌感染から協力して世界を救うゲームじゃ。スケールが多くてかっこいいじゃろ。中には、パンデミックレガシーなんてな一度しかプレイできないシリーズもヒットしておる」
「パンデミックにパンデミックレガシーでございますか、他にどんなものがあるんでしょ」
「ラブレターはどうか」
「ラブレター、アッシは小中高とボッチで過ごしやしたんで、とんと縁のない名前でやんすね」
「お前さんの古傷なんてなどうだっていいよ。何を隠そうこのラブレターはな、国内のイベントから誕生した作品でな、今や世界中で認められている有名作品であるぞ。日本の作品を名前につけるのはとても縁起が良いんじゃあるまいか」
「なるほど、それはすばらしい。他にどんなものがあるんでしょ」
「お前さんもしつこいねぇ、じゃあこれが最後だ。勉強ができる要素があると教育界からの視点も集まると思うがどうかね。ローゼンケーニッヒはどうじゃ」
「ローゼンケーニッヒはどういうゲームですか」
「ローゼンケーニッヒとはかつてのイギリスで本当にあった薔薇戦争を題材にした2人ゲームでな、これを遊ぶことで歴史も勉強ができるんじゃ、どうじゃ、何か参考になったか?」
「ほうほう、つまり、カタンカタン、ニムトにチャオチャオ、ラミィキューブのブロックス、ブロックミニにブロックス3D、ナンジャモンジャのスティッキー、ブラフ、ブラフ、ブラフのアグリコラ、アグリコラのコリドール、コリドールのパンデミックのパンデミックレガシーのラブレターのローゼンケーニッヒ、と、こういうわけでございますねご隠居」
「うむ、適当に使うが良い」
「わかりやしたご隠居、恩にきます。おいら足し算引き算がからっきし弱いんで、いっそのこと、このめでてえ名前、全部入れることにいたしやす。ありがとうさん!」
「おいおいお前さん、全部入れるなんざ正気かい?!おーい!…行っちまったよあのバカ」

とまあ紆余曲折あったわけですが、この作品も世に誕生し、その類いまれなるネーミングからか一躍話題となり、お店で委託販売されるようになります。

「すみませーん!カタンカタンニムトにチャオチャオラミィキューブのブロックスブロックミニにブロックス3Dナンジャモンジャのスティッキーブラフブラフブラフのアグリコラアグリコラのコリドールコリドールのパンデミックのパンデミックレガシーのラブレターのローゼンケーニッヒ、ください」
 
「ありがとうございます、お客様が探しております
カタンカタンニムトにチャオチャオラミィキューブのブロックスブロックミニにブロックス3Dナンジャモンジャのスティッキーブラフブラフブラフのアグリコラアグリコラのコリドールコリドールのパンデミックのパンデミックレガシーのラブレターのローゼンケーニッヒ、は、現在在庫を切らしております。少々お待ちください。他店在庫のツイートを確認します」
「えーと在庫情報、カタンカタンニムトにチャオチャ…あ、文字数いっぱいになっちまったよ…しょうがないな。制作側にアポ取ってみるか」

「すみません。そちらの「カタンカタンニムトにチャオチャオラミィキューブのブロックスブロックミニにブロックス3Dナンジャモンジャのスティッキーブラフブラフブラフのアグリコラアグリコラのコリドールコリドールのパンデミックのパンデミックレガシーのラブレターのローゼンケーニッヒ、現在在庫が切れておりますが、追加発注は可能ですか?」
「え、なんですって?ウチのカタンカタンニムトにチャオチャオラミィキューブのブロックスブロックミニにブロックス3Dナンジャモンジャのスティッキーブラフブラフブラフのアグリコラアグリコラのコリドールコリドールのパンデミックのパンデミックレガシーのラブレターのローゼンケーニッヒ、が、追加発注だって!?」
「ちょっとお前さん聞いたかい? ウチのカタンカタンニムトにチャオチャオラミィキューブのブロックスブロックミニにブロックス3Dナンジャモンジャのスティッキーブラフブラフブラフのアグリコラアグリコラのコリドールコリドールのパンデミックのパンデミックレガシーのラブレターのローゼンケーニッヒ、が、在庫切れにつき追加発注だってさ」
「何! ウチのカタンカタンニムトにチャオチャオラミィキューブのブロックスブロックミニにブロックス3Dナンジャモンジャのスティッキーブラフブラフブラフブラフ」
「ブラフは三回!」
「おお、そうだそうだ、ブラフブラフブラフのアグリコラアグリコラのコリドールコリドールのパンデミックのパンデミックレガシーのラブレターのローゼンケーニッヒが!?どれ、ちょいとひとっ走り行って、オレがその空っぽの棚を見てきてやる!」
ドタドタドタ…………
「って何だい、在庫はちゃんとあるじゃねぇか店員さん」
「はい、あんまり名前が長いから、中古が出回っちまった」

お後がよろしいようで

2019年2月16日土曜日

お祭りと熱量の話

駄文を書くことにしたい。

気合が足りない時、水風呂に入る。
真冬の最中、気温が一桁の時であろうとも、さっと入り、サッと出る。
冷えた体を温めようとするのか、血流が良くなり、かえって体は温まる。

水浴びではなく、水風呂だ。水に浸かる。
シャワーなどの冷水では、流石に耐えきれない。
常に躍動する水と、動きの緩やかな水とでは、同じ水温だろうとも、奪われる体温は段違いとなる。
冷水だけではなく、温水でもそう。
ぬるめかな、と感じたお湯も、かくはんさせながら入ると、思った以上に熱を感じてしまう。

詳しい話はサイエンスの先生に預けるとして、ここでは心理の面でアプローチを続ける。

ゲームマーケットが近づいている。大阪の本番まで、残すはあと1ヶ月弱となり、出展されるブースの広報活動もこれから活発となる頃だ。
制作も佳境を迎え、カタログを手に、新しい作品は何かをあれこれと巡らす、これも楽しみ方の一つだ。

私の好きなサークルは「熱のある」サークルだ。

それは、どんな作品であろうとも、自分の作品をこよなく愛するような、そんなサークル様だ。

そして、そんなブースからは見えざる「熱量」を感じる。

先に挙げたように、同じ水であろうとも、絶え間なく流動する水と、停滞を続ける水たまりとでは、自己の体から奪われる熱量が俄然違ってくる。

単に新作・旧作、人気作や広報等といったものではなく、言葉ではうまく表現できないアナログ的な「熱量」を、散策することが好きなのだ。

切羽詰った何か、といった鬼気迫るものでも、自社の作品に絶対の自信を誇るが故の優越感のようなものでも、どちらでもなく、「この作品の魅力を現段階で120%引き出せる人間は、他ならぬ私です!」といったオーラが体の隅々から溢れる人間にこそ、興味を惹かれ、そんな方の作品ならば迷わず購入したいと思う。
それらは中々ツイート上の写真や公式ブログ等では掴みきれない、対面販売ならではの効果とも言える。

ゲームマーケットを「祭り」と例えられる方もいらっしゃる。
私はこの表現が大好きで、祭りならば、各ブースの出展者はさほど大きな利潤を得ることなく、いわば「お祭り全体を盛り上げる意味合いで」参加される(と、少なくとも私はそう考えている)」わけであり、りんご飴を目当てにお祭りへと行かないことと同様に、一般入場者の立場となったならば「買いに来る」が第一義ではなく「そんなお祭りの雰囲気を楽しむ」いわば「ゲームを楽しむ」「買うのはついで」として、ゲームマーケットを楽しむことなのか、と考えている。

熱のあるサークルは、いわば神輿の男衆のようなもので、エイサーエイサーと掛け声の大きな人間に人の目が集中するかのごとく、その作品に注目が集まる。
その人間の人となりなど、少なくとも会場全体では気にとめることなどしない。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」
お祭りの中では、お祭りを一番楽しんだ人間にこそ神が宿るとされるのだ。

だから私は、今回のゲームマーケット大阪、そして、5月の春、と、誰よりも「楽しむ」ことを主眼に置くこととする。

私の中でのゲームマーケットは、誰よりも「楽しむこと」
楽しむ中で、私の中の「ボードゲーム好き」さらには「ボードゲームのクイズが好き」の気持ちが現れること、他の方の熱を帯び、さらに私の中の熱量が高まること。
etc, etc...。

参加者側としても、出展者側としても、誰よりも楽しめるような、そんな工夫をするべく、これから準備を重ねていきたいと思っている。



2019年2月9日土曜日

深呼吸とアウトプットの話

お疲れのようですね。
肩の力を抜いてリラックス
大きく深呼吸。

深呼吸をテーマに考えることがあった。

先日から昼に「いかとりにょりとおけいのいかがわしいラジオ」DJいか氏のツイキャスライブを拝聴し、時折コラボに入る機会に恵まれた。
その際、いか氏の豊富な経験に圧倒されつつ、何より相手側のいか氏が「経験値だけでは計り知れない、嬉しさを表現する魅力」を秘めていることに気がついた。
いか氏は私に忠告する。
「ボードゲームは楽しむものだ」

この3ヶ月、さらに遡れば、昨年からずっと、ボードゲームの「クイズ書籍」制作に没頭するあまり、ボードゲーム本来が持つ「みんなと楽しむ」一面をないがしろにしてはいなかったか。
昨年の夏、ボードゲーム王選手権で予選敗退の苦渋を味わい、その際もこのブログにて「楽しめなかったことが敗因だ」と猛省するそばから、この体たらくだ。

ボードゲームサークル「万屋楽団」のサンジョウバ氏とお話した際も、こんなエピソードがあった。
「ボードゲーム制作者の集まりで、最初に全員でゲームするんですよ。するとみんなが打ち解けるようになるんです」

この言葉に、私は痛く感銘を受けた。

振り返れば実に当たり前の話で、ボードゲームは誰とでも楽しめる、と、それはボードゲームを数十作も所持される方が一様に口を揃える言葉、のはず。
しかるに、これまで自分は、各種職場内外のビジネス、プライベート等の席上はおろか、近隣で参加した各種ボードゲーム会やボードゲーム関連のイベント等においても、それらが積極的に活用できていただろうか、と内省する。

ボードゲームの楽しみ方、それは先の講演の席で草場純先生も「人により多くの楽しみ方がある」と話された。
その言葉に甘んずるわけではないが、ボードゲームが本来得意とする「ほかの方、特に初めてお会いする方とも分け隔てなく打ち解けることができる」という一面をないがしろにし、自分にとって都合良く、言うなれば、自己のやり方に(半ば強引に)顔を向けようとする、
それで本当に良かったのだろうか。


深呼吸。
大きく吐いて、吸う

思うにこの「深呼吸」という動作は、「呼吸」「呼んで(息を吐いて)吸う」と表記する。
耳学問で恐縮だが正しい深呼吸も「まず肺の中の汚れた空気を一旦外に押し出し、新鮮な空気を体内に取り入れる」動作だという。
吸って吐くのが深呼吸、ではない。ということか。

ボードゲームを楽しもうと躍起になるあまり、購入することばかりに精を出し、面白さを自分の中だけに内包したままの状態こそ、まさしく先の「間違った深呼吸」そのものと言える。
そうなるからこそ、先のサンジョウバ氏との会話に登場した「ボードゲームでアイスブレイク」という「基本基礎」を、つい置き去りにしてしまったのではないか。


まずは自分の中の概念を一旦「アウトプット」し、アウトプットする中で、次第に必要にかられた部分を都度「インプット」する。
効率の順番として、私は逆進していたのだ。

先日から開催中のPOO松本氏による「デザイン講義」を受講中にも、その事実をふと思い起こさせる場面に遭遇した。

「自分好みのデザインを模倣、コピーすることは間違いなのか、成長につながらないのか」
この問いに対し、氏はこう答えた
「自分の個性を探る、見つけるためにもまずは一度模倣してみよう。絶対に完コピできないから安心」

自分の気持ち、想いを表現する為には、
まず「創作したいという気持ち」を持つこと(息を吐く)

周囲の書籍から、自分がやりたい方法を見つける(息を吸う)

多くの作品から模倣し、自分の言葉で表現する(息を吐く)

作品の良いところを取り入れる(息を吸う)

それらを周りに披露する(吐く)

評価を受ける(吸う)

フローチャートで表すと、これまで「成長する」という数値化の難しい行為が自分の中だけでも可視化でき、自分の中の「暗中模索」が続くこれまでの制作過程に、一筋の光明が差した心境だ。

この循環が滞ってしまうと、進行する大元が揺らいでしまい、先の「ボードゲーム本来の持ち味」が頭から抜けてしまいかねず、最悪、脇道に逸れたまま我が道を進む憂き目となる。

呼吸する、すなわち「適度のインプット、アウトプット」で、循環を良くする。
体内の循環を良くすることで、悪い空気が体外に排出されるとともに、次第に自己の許容量を超えるほどの実力も知らぬ間に身につくのだろう。

焦ることはない。
今できることを一つづつこなせば良い。

ゲームマーケット大阪、私は「ボードゲームのなぞなぞ本」を頒布する。
思い返せば3ヶ月前の12月、「こんなこといいな、できたらいいな」という他愛もない気持ちのアウトプットから芽吹いた本である。
書籍を買い込み、問題を作り続け、デザインにも目を向け、イラストも描き、アイコンを作り、果ては、さしもの評価のない4コマ漫画まで毎日執筆するようになった。

小さな吐息が、大きな呼吸へと様変わりした、と、カッコ良く言えばそうなるだろうか。

少々体に鞭を打ちながら制作を続けたが、その「夢の実現」までいよいよ完成間近。
本番の3月10日まで、残すところ約1ヶ月を切った。
カタログや手引きなども届き、今後は各制作者による広報、情報戦も幕を開けることとなる。

私は、私なりのやり方で、焦って息を吸う、すなわち周囲の情報に翻弄されることなく、己が身でできることをひとつひとつ「アウトプット(表現)」し、その都度必要な情報を脳内にインプット(仕入れ)ていくことにしたい。


とはいえ、まずはゆっくりと、深呼吸、そう、アランの幸福論でも讃えられた「お腹に新鮮な空気を送り込み、精神をリラックスさせる」という本来の意味合いで、ゆ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っくりと、進行できたらと思う。

2019年2月1日金曜日

笑顔のゲームが好きなのだ〜ニュアンスで表現した諸々の話〜

新刊の話で恐縮だが、今回の表紙には、少々「こだわり」を表現した。

これまで頒布した拙著Board Game Quiz、こちらは「不要なものを極力排除しよう」と進めていった。
その一つが「難易度の表示」だ。
「この問題の難しさは五段階の3~4」など、クイズ番組風に表現することもやぶさかではなかった。
しかしながら、クイズ本としての面白みを前面に押し出すと同時に「読み物としての面白み」をも削ることとなる。
できれば多くの方、とりわけ、クイズに抵抗のある方にも手にとって欲しい
そんな思いから、明確な難易度の表示を避けることにした。

その代わり、ニュアンスで伝える「曖昧な表現」により「この問題は難しい」を表現することにした。
いくつかの技法を駆使したが、そのうちの一つが「色彩による区分」だ。




上巻の表紙は薄い青。軽く、明るい。
幼さ、青空、晴天、等を生起させる。



一方で下巻は暗く重い紫。
重厚さ、博識、額のある、等が連想されるのではないか。

もちろんニュアンスはあくまで「補助」に過ぎず、きちんと「難易度中~高」といった明確な表記で補完すべきだった点、反省する。

秋の新刊NEXTAREAでは、さらに一歩踏み込み、登場人物に「妖艶な女性」を登場させ、クイズそのものの「不可思議な世界観」を表現することにした。


試行錯誤の末、ギリシャ神話の「エキドナ」をモチーフとし、ページの随所にキャラクターを配置させることとした。


そして今回、ゲームマーケット大阪の新刊、である。

クイズ本来の「知識同士の真剣勝負」から一転し「柔軟な思考が問われる」どちらかといえば「楽しさを前面に押し出す本」をニュアンスとして押し出す必要性に駆られた


ならば表紙の主軸はどうだ、キャラクターも一新するべきではないか。

ウンウンと唸りながら試行錯誤を重ね、ようやく表紙が完成した。


前作のエキドナを踏襲、頭身を下げ、より親しみやすさを高める配置とした。
ちなみにキャラクター名は「パンドラ様」と名付けている。

表紙全体のイメージは「おもちゃ箱」
ボードゲームの箱に詰まった「ワクワク、ドキドキ」、そんな楽しさを持つ本です!と表現しているつもりだ。

そして、パンドラ様は「笑顔」を描くことにした。

前回描いた「妖美な女性」とは一転し、笑顔で元気いっぱいの女性、その上、イエローが主体のまさに「パワフルさ」が全面に現れた本。
「難しそうとか考えないで、一緒に遊ぼうよ!」
今回のなぞなぞ本で最も主張したかったそんなメッセージを、あくまで文字ではなく「ニュアンスだけで」表現できたのではないか、と。考えているが、どうだろう。

以前も話題にあげた「ノンバーバルコミュニケーション」。人間は文字だけ、会話だけでは全体の55%しか内容を伝えきれない、相手の表情や言葉遣い、態度等視覚、聴覚等の情報で判断する、という。
ならば最も重要なことは「文字はあくまで補助手段」ではないかと考え、画面全体から伝わる「楽しさ、面白さ」をいかに表現するか、を主軸に、色彩や「おもちゃ箱から連想されるもの」を表現することにした。
帯の部分でニュアンスの補完ができたのではないかと考えている。


そして何より
改めて自分は「笑顔の生まれるボードゲームが好き」だと気がついた。

真剣なゲーム、面白いゲーム、笑える馬鹿なゲーム、重厚さが売りのゲームetc…
そんな中で自分が心惹かれる作品は「笑顔を育む作品」だったことに、改めて気がついたのだ。

プレイ中であれ、その後であれ、同卓を組まれた方相互で笑顔の生まれるゲームがプレイできる時間こそまさに至福に感じ、言うなれば、自分が行き着く作品の果てはその辺りに潜んでいるのかと画策するのである。







作品はアウトプットで磨かれる〜4コマ漫画制作日誌〜

今回のゲームマーケット春は、本当に広報らしい広報活動もそっちのけで制作の方に勤しんだので、せめて自分のブログの中だけでも宣伝させてください。 なぞなぞの本、クイズの本、とともに、もう一冊、わたしのブースの片隅を賑わす本がある。 「きょうもボドびより。」と称された4コ...