2019年3月30日土曜日

「お金」という形の応援の話

お金に関する文章も絡めるので、その辺りを気にされる方はご了承ください。

思うところがあり、先日は連日、遠くに赴いた。

北海道へ、茂原へ、新宿へ、と、思い立ったが吉日とばかりに、なけなしの財布をはたいて、行くあても特に決めず、ふらりと旅に出た。

北海道ではかねてより応援していたハンドクラフト作家様の作品をまとめて購入、その後は札幌のゲームカフェ 「こにょっと。」様にて北海道ボドゲ博のお礼もかねてご挨拶し、店内で少しだけボードゲームを遊んだ。
申し訳程度にラーメンをすすり、その日の便で帰るという暴挙に躍り出た。

舌の根も乾かないうちに、その翌々日、千葉県は茂原市へと赴き、私の初漫画作品を展示してくださったというボードゲームカフェ「カラハンタ」様へご挨拶に伺った。
帰宅時間の関係で1時間も遊ぶことができなかったものの、笑顔が素敵で知的な店長、ユーモラスで美味しいコーヒーを淹れてくださった店員さん、また、平日夜にも関わらず集まった周りの方と、しばし大変楽しい時間を過ごすことができた。

その翌日は、新宿北口にほど近いBoard Gay.m Bar秘密基地様にお邪魔し、この日で卒業される、漫画「ゆるゆるボドゲバカ」を執筆された「きりんなべ」先生を送るが如く(とはいえ、全く湿っぽいものとはならず、単にボードゲームで遊ぶだけの会となってしまったが)花を届けにお邪魔した。


流石に連日の無理な移動が祟ったのか、翌日は身体がオーバーヒートし、布団から抜け出られなくなってしまったこと、周囲の方には本当にご心配をおかけ致しました。


遠出したいと思った理由は、意外と単純な話で、
「応援しています」の声を、直接相手に届けるためだ。

「遠方から応援しています」
「なかなかお会いできませんが、いつも見ています!」

いつの頃からか、私はそんな「遠方から」「またいつか」といった隠れみので、相手に贈り届ける応援の選択肢を、自ら潰していたのではなかったか。

もちろん現在の私は、求職中でお金もなければ、締め切り間近で時間すら無く、自己の身分を顧みず、悠長に「応援」などと言っていられる立場ではないことは重々承知だ。

それでも、最近になり「時間とお金の揮発性」を痛感する場面が多々あった。

お金とは何か
経済関連の本を読めば教科書的に「お金とは信用券」と記載がなされている。

Aさんが一万円札の紙っぺらをBさんに渡し、Bさんは一万円相当の商品をAさんに手渡す、
これはAさんとBさんとの間に相互信頼がなされている事で成り立つ行為である。
言うなれば、Bさんは商品を手放す代わりに、1万円の文字が記された紙っぺらという「信用券」を得られたのだ。

ごくごく簡単に話すと、経済とはそういう話に繋がる。興味を持たれた方はその手の関係書籍を読み漁るといいだろう。

「お金は血液だ」
これは私のフォロワー様の受け売りであり、その出典はまた別のアニメと伺っている。
だから、滞留させることなく、代謝を良くし、血行を促進させることで、循環はさらに良くなる。
先の話と強引に結びつけるならば、せっかく持ち前の信頼があるならば、出し惜しみせず、どんどん人前に披露することで、その循環がより良くなる、という話へと発展させることができる。
「金が金を呼ぶ」という(私個人も全く実感は沸かないが)話は、どうやらこの理論が出展らしい。


閑話休題。
だからこそ、自分の好きなもの、応援したいものには、積極的に応援・投資したいと考えるようになったのだ。
それは単に「声だけの「頑張れ」」ではなく、「形として残るもの」有り体に言えば「信頼という形としてイメージできるもの(≒もの、サービス、人によっては、お金、金券等)」として」届けたい。

本来ならば手渡しで、相手に対し本当に喜んでもらえるような物を届けたい気持ちだが、それができそうにないならば、せめて普段から「買って応援」「気持ちを形に込めて応援」したい。
生産中止のあおりを受けたのか、駆け込み需要で空となった食品や音楽CDの棚を眺めながら、ふと、そう考えるようになった。

普段からの応援の声は、応援する声も、される側の声も、どちらとも耳に入りにくい。
届ける側としても、普段の恩恵を伝える行為を苦手とする人は、本当に多い。
身の回りの方に「ありがとう」と伝える行為が、人によってどれほど難しいか、は、高天原制作「ホメロー」という作品をプレイすれば体験できると思うが、女性を目の前にして「いつも綺麗ですね」といった言葉がスッと口にできる男性はそう多くないのではないか。

そして、かねてより応援の声を上げてくださる方は本当に貴重だ。
嫌な声、ネガティヴな意見に負けそうになると、そんな応援の声など耳に入りにくくなる。
これは脳の作用が「ポジティヴな情報よりネガティヴな情報の方が(あくまで生存する上での必要情報として)ランク上方に位置付けるから」だと、ジャレド・ダイアモンド氏の著書で目にしたことがある。

先日のブログでも、アンケート結果に関して話題を取り上げたが、結果に一喜一憂することなく、常日頃から楽しみにされる方のバックには、さらに数百人のファンが控えている、と、これはあくまで私の体験談に過ぎないが、その見えない方々の声援に応えるべく、これからも作品作りを頑張りたい。


その応援する「声を上げて応援してくださる貴重な中の一人」に、私の名前がひょっこり混じっていると、嬉しい。


そんなことを考えながら、先ほど「●月▲日、祝!店舗●周年!」というボードゲームショップを聞きつけ、軽いタッチでフラワーギフトの注文ボタンを押した。






2019年3月23日土曜日

「普通」という評価の読み取り方ーBoardGameSelectionの反省を踏まえてー

今さら、の話かもしれないが、先般開催された「Board Game Selection」の拙著の選評について研究したい。

今回の私がエントリーした作品「Board Game Quiz NEXTAREA」



こちらはボードゲームではなく「書籍」である。
「ボードゲームを題材とした、クイズの本」だ。

私はこの本を「書籍という扱いがエントリーできないならば、そちら(店舗)に全て寄贈致します」という主旨の言葉を添えて主催側に提出した。
関係各位、本当にご迷惑をお掛け致しました。


さて、この会ではエントリーした作品全てに対し、プレイアンケートが届くことになっている。
実際にプレイされた方からの忌憚のない意見があるという、蓋を開けるまで恐怖そのものであったアンケートである。
蓋を開けると、どれもが好意的な意見ばかり。中には大変熱のこもったメッセージも添えられ、創作意欲が俄然湧いてきた。
アンケートやご意見を寄せられた方に深く感謝申し上げます。
次回以降、興味のあるサークル様も是非エントリーされてみてはいかがだろう。


さて、私個人の話。
エントリーした著作について、その評価は「5段階評価の「普通」」が大多数を占めた。


なぜ「普通」という評価が多かったのか。


私の著作は、「ドリル」と称される他のクイズ関連書籍に比べ、自分なりに、ではあるがデザインを工夫し、また、問題文も敢えて「競技クイズ」の書式・定型から外し、比較的「読んで楽しいクイズ」を目指した。

細部こだわりの一端は、当ブログ「番次郎の盤上万歳!!「評価数ゼロのデザイン秘話ー小冊子に隠されたデザインのあれこれー」」を参照してほしい
http://hibikre.blogspot.com/2018/12/blog-post_15.html



しかしながら、それでも多くの方が「普通」と下した、逆を返せば、「大変良い」「大変悪い」といった評価も少なく、「普通」だけに集中して票が集まる結果となった。

それは「可もなく不可もなし」「微妙」「一般的」などと短絡的に捉えてはいけないのではないか。

私の作品は「遊びました」などの報告ツイートを(私自身が)一件も確認できないままプレイ期間を終えた。(もしもツイートされた方がいらっしゃったらごめんなさい)
その時は気落ちもしたが、後日、直接関西各店舗にお邪魔した際「拝読しました」「面白かったです」といった感想を、ご覧になったであろう店員各位やお客様から直接伺うことができた。

社交辞令だったかもしれないが、それはそれとして、「面白かった」という言葉を素直に受けることにした。
ならば「面白かったけれど、普通」
この評価をどう受け止めるべきか。

推察するに、他のクイズはおろかボードゲーム関連書籍がノミネートされなかった以上(当然といえば当然だが)、「比較対象がない、評価のしようがない」、言うなれば「優劣の判別がつけ難い」という意味合いの「普通」といった評価も混じってはいなかっただろうか。

Board Game Seledtionでは、大賞も含めた受賞も用意されていた。
その特性上、何らかの形で「優劣」を決めなければならない。

それら優劣の尺度は個人に委ねられる。
評価基準、すなわち「大賞の選考基準となる尺度」
こればかりは、選考する個人の尺度、すなわち「経験値」「他との差異」に委ねられるより他にない。

私の作品をその視点で眺めると、答えは一目瞭然だ。
「比較する対象」が無い以上、「目の前にある他の作品を「何らかの尺度(ものさし)を用いて基準」とする」より他に評価のしようがない。

どれだけスパイシーで美味しい料理であろうとも、それが「甘い味覚を絶対基準に持つ世界」では、すべての尺度が「甘さ」や「個人的な味覚」といった数値化の難しいものとなり、刺激的、という新たな軸が審査員の評価に値されるまでかなりの苦戦を強いられるだろう。
それは仕方のない話であり、誰それが悪者という話ではない。

別件だが、所変われば品変わる、という言葉もあるように、無言でカードを出すという新機軸が話題となったW.ウォルシュ作「ザ・マインド」も、ドイツ年間ゲーム大賞2018ノミネートまで上がりつつアズールにその座を委ねたが、2019年のフランス年間ゲーム大賞では見事に大賞を獲得している。

<参照 Table Games in the World記事>
https://www.tgiw.info/2019/02/asdor2019.html



ゲームマーケットの新作に限らず「新機軸」「新感覚」を謳う作品・商品は巷でも数多く目にする。
人は新たな刺激を求め、常に「新感覚」「従来にない新たな試み」に挑戦したくなる、実にアグレッシヴな生き物だ。

そんな中、「新感覚ゆえの「評価に値されない」苦しみ」は、目の当たりにされなければわからないだろうか。
もちろんそれらは積極的な広報活動や、宣伝媒体を通じた各種活動等で補備、回避できうるものと考える。


今回の貴重な機会を通じ、目を通してくださった方々に幾ばくかの「物差し」を作ることができたのではないか。
ならば次は、己がその尺度を超える作品を制作すれば良い。

私は次回、ゲームマーケット春に「NEXTAREA R」と称し、リメイク作を制作する。
各種デザイン本を監修されたPOO松本先生からみっちりと指導を受け、必ずや自己の作品を私自身が凌駕するよう、全力をもって作品制作に臨む所存だ。

そして、次は「アナログゲームのなぞなぞ本」だ。




こちらも「アナログゲームをテーマにしたなぞなぞ・謎解き」というテーマで、ゲームマーケット大阪にて頒布し、多くの方に手に取っていただいた。
直接私自身が受けた反応は上々で「脳の普段使わない部分を使っている!」「面白い!」などの意見を伺っている。

こちらも問題作成に苦心しつつ、鋭意制作中だ。進捗は現在まで53/100、だろうか。

新規開拓は難しい。そして、その評価は、やっぱり届きにくい。
面白さが確証されていない作品に、現実問題、人は身銭を切ってはくれない。
現実的な支えも含めた応援、すなわち「私はあなたの声を聞いてますよ」といった生の声が聞こえなければ、いわば壁に向かって一人語りをするようなもので、やはりモチベーションの維持は難しい。

だからこそ、地道に種を蒔き続けるしか、ない。
面白さを知ってもらうことに、貪欲になるよう、努力するしかない。

今は愚直に、コツコツと、不器用な自分には、種を植えることしかできないから。
それは創作に限らず、人との縁や勉強等も含めた多くの面で、あらゆるつながりを持つことに他ならない。


この頑張りが、いつか実を結びますよう。



2019年3月16日土曜日

道は開けた、のかな?ー新刊の決意表明に代えてー

指摘があって気づいたのだが、気がつけばゲームマーケットの遠征から早1週間が経過した。

怒涛のような遠征、相応するかのような時の流れ。

少し時間も経過した頃だろうと思うので、私の新刊の行ったことを反省も含めて紹介したい。

新刊は2冊。
「アナログゲームのなぞなぞブック」
そして、おっとり刀で作成した4コマ漫画
「きょうもボドびより。」

いずれも自分の中で「実験的な本」となった。

前回のクイズ本「NEXTAREA」は、ドリルとも揶揄される既存のクイズ小冊子からの脱却がテーマだった。
クイズを趣味とされる方がいらっしゃるならば、是非その「問題集」をご覧になるといい。
初めての方が読むには少し読みづらい。勉強を前提としているから、当然といえば当然ではあるが。
だから私の次回作は、デザインを一新させ、読みやすく、かつ、知識というよりむしろ「面白い問題」を用意した。
わかる人にはわかるだろうが、一般のクイズ問題集とはその構文がガラリと違う。

しかしながら、それでも私の本は厳しい批判を浴びた。
連日のように届く問題の不備、指摘、さらには「クイズとして使えないものばかり」「こんなのクイズとは言わない!」などのツイートを直接受け、平身低頭の立場で振る舞う私。
頑張りに見合う評価など届くはずもなく。
12月、私の精神状態はすでに限界値に達した。

では、どうする?
上級者も初めての方も、フラットの立場で考えられる、そんな問題が、本当にできないだろうか。

そこで行き着いた先が「なぞなぞ」だった。
なぞなぞならば、子どもでも大人でも楽しめる、むしろ童心を忘れた大人だからこそ、なぞなぞの面白さ、奥深さがより理解できるのではないか。
しかるに「一般のなぞなぞ」の本など、本屋に行けば普通に入手できる。
ならば、私自身がここ数ヶ月で集中的に勉強した「アナログゲーム」かつ「初めての方でも楽しめる視点」を兼ね備えた、いわば「みんなが楽しめる、アナログゲームの、なぞなぞ」
そんな本が、本当にできないだろうか。

言うは易く行うは難し
なぞなぞ作成は実に困難を極め、なんどもなんども挫折した。


そして、4コマだ。
元々は自分のイラストの勉強のために、何気なくツイート上で始めたもの。
「イラストが描ける人なら、漫画だって描けるでしょ?」
半年前の「イラストなど描けなかった頃の」自分が、後になって愚かだったと気づく。
考えたらすぐにわかる話。漫画とイラストは作業が別だ。
素人でも「簡単にできるものではないこと」などすぐにわかりそうなもの。

面倒?できない?
ならば、やろう!

ボードゲームを題材にした漫画はこれまでも多くの作品がツイート上で展開され、その何れもが美麗なキャラクターで展開される。
稚拙なイラストの私など、どうひいき目で見ても見劣りしてしまう。

それでも、逃げたくはなかった。
今の自分にやれること、できることは、どんな批判を浴びようと、頑張ると決めたのだ。

視点を変えることにした。
・4コマで起承転結をまとめること
・紹介マンガではなく、わからない作品でもそれなりに楽しめること
・できうる限り毎日継続すること

少し高めの目標を掲げたが、外見がダメなら中身で勝負するしかない。
漫画は一日1本が限界。一作品(4コマ)を作るために、ネタ出しも含めて制作に2、3時間かかることもザラだ。

目の前に「夢」という名のニンジンをぶら下げ、ひたすら馬車馬のように走る、走る。寝食を忘れ、制作に没頭する私に、SNS上の方々は温かい声で心配してくれた。本当に申し訳ございません。

完成・脱稿。
数週間後、無事に到着。

産みの苦しみ、というが、出来上がった本を前に私はしばし言葉を失った。
とめどなく溢れる涙。
誹謗中傷の声など、今回に限ってはどうだっていい。
ものの数ヶ月前、私自身が「この世に出ること自体が奇跡」と実感した2冊が、現実として目の前に包まれているのだ。



「不可能が可能に」
名前はかっこいいだろうが、そのための努力量は計り知れない。
なにせ、道無き道を、不安を抱えながら進むのだ。
恐怖、不安、挫折、。。。多くの障害と格闘し、抜けた先のトンネルもまた山あり、谷ありが待っている。

需要と供給で世界は成り立つ、だから「意味のない本を作るなど、時間の浪費だ」
そんな言葉もあるだろう。
しかしながら、それも新規開拓する人間なら、幾度となく背に受けるセリフだ。
世界中を見渡しても、ボードゲームのクイズならまだしも「なぞなぞ」という「ニッチにニッチを二乗させた本」を作るなど、正気の沙汰ではない。
事実、買い手としても想像できる代物ではなかったらしく、前評判どころか「楽しみです♪」といった類のツイートすら見かけることはなかった。

ゲームマーケット当日。
売れ行きはざっと全体の2/3。
裏を返せば、行き届いて欲しい方には、全員行き届いた、ということ。在庫だとは考えていない。どんな形であれ、私の産んだ大切な我が子なのだ。

そして、もう2ヶ月もすれば、すぐにゲームマーケット春がやってくる。

今回の新刊は、実に3冊を予定している。




リメイク・続編とはいえ、3冊のリリースなど、かなりの強行スケジュールとなるだろう。

有言実行、辛いのは覚悟の上。
やるだけやります。
体力の続く限り、全力で頑張りますとも。

しばらくまた苦痛に満ちたツイートが続くかと思いますが、お許しください。



2019年3月14日木曜日

会話の楽しさと時間とを ー関西遠征記 三日目ー

関西遠征記 

初日「笑顔と涙の前日イベント」http://hibikre.blogspot.com/2019/03/blog-post_12.html

二日目「出る杭は打たれ、伸びる」http://hibikre.blogspot.com/2019/03/blog-post_13.html


三日目、3月11日

ゲームマーケットから一夜が明け、空は幾分青空が見える。
アルコールに縁のない生活の私、久しぶりのお酒で数年ぶりの二日酔い。
今回の遠征で三度もラムネ菓子のお世話となる。


今日は先に開催されたBoard Game Selectionでお世話になったカフェ様に、時間の限りご挨拶に伺う予定を組んだ。

朝食をそこそこに、まずは昭和町の「デザート*スプーン」様へと向かう。
月曜は定休日だが、ゲームマーケット後ということで臨時に開業しているとのこと。


住宅街にたたずむ「デザート*スプーン」様。
敷居をまたぐと、国内外を問わず多くの人気作品が所狭しと並ぶ。
店長の加藤さんはクイズ会やごいた会、囲碁会など、各種のイベントにも積極的だ。

「結局はやりとり、なんですよね。ボードゲームもクイズも」

二人で話す中、飛び交う言葉に混じる「コミュニケーション」という言葉は、土曜から続く私の関西遠征で何度も登場したフレーズだ。

批判を覚悟の上で話すと、私はクイズが好きではあれど、いわゆる「競技クイズ」と呼ばれる世界からは一線を引いている。
私の中のクイズは「知識比べ」だ。
「私はこんなことも知っています!」など、これまで脳にインプットされた知識の引き出しを競う、それがクイズだと考えている。

前回秋に頒布した拙著「Board Game Quiz NEXTAREA」
競技クイズをなさるであろう方々から頒布するたびに「パラレルだ!(訳:問題の構文がおかしいため文章が推測できない、解答に疑義がある等、出題するに際し何らかの欠陥がある問題を意味するらしい)」と批判を浴びた。

私の考えは競技クイズを嗜む方々とは若干異なる。
クイズがスポーツではなくコミュニケーションである以上、どんな問題であろうとも「出題側の自由」である。
言うなれば、会話のやりとりの延長に過ぎない。

「スポーツではなくコミュニケーション」とは?
前々日の「ボードゲームシンポジウム」の際、草場純先生がスポーツと遊びの違いを明確に語った。

「スポーツは勝敗があり、ルールも厳格に定められている。遊びは、楽しむもの」

自分なりに解釈すると、格闘技の世界では相手に対する攻撃は認められているが、それは定められた範疇において、時間、場所等を厳格にすることで成り立っている。
だから、ビール瓶などの凶器を持ち込む行為は基本的に厳禁だ。
しかしながら、街で暴漢にあったとき「凶器は反則だ!」と犯人側に要求できるだろうか。


加藤さんと対話するうちに、私は改めて認識した。

ボードゲーム製作も、クイズの世界も、プレイする環境の中において、何人もの「人」が介在し、人間同士のコミニケーションがあるからこそ、円滑に成り立つ世界なのだと。

だから互いが相手を尊重してあげなければならない。
我も我も、とワガママばかりを主張していてはどこかにしがらみが生じてしまう。
誰かが誰かに我慢を強いられる、そうした関係はどこかに歪みやねじれのようなものが生じてしまう。
そういった関係が長く続くとは思えない。

一期一会の人生とはいえ、もっと人間関係は、気楽に、楽しく、お互いを尊重しながら、共存していかなければ続くものではない。

「ナンバーワンよりオンリーワン」が声高に叫ばれ、自己顕示欲と呼ばれる自分たちが「偉い」と主張し合う、俗な言葉では「マウント取り合戦」に発展してしまってはならないのだ。

ゲームマーケットの中には「お客様の世界が存在しない」と言われる。
全てが顧客であり、すべての顧客がフラットな立場であるからこそ成り立つ世界である、と。

製作者も同じ
「制作側の苦労や意見ばかりを通してばかりで「仕方ないだろ!」とプレイされる相手に我慢を無理強いさせるようでは、現状はどうあれ、その後のスタイルが成り立っていかないことだろうと加藤さんとの対話で結論づけた。

もっと気楽に楽しく共生できる世界を考えなければ
もちろんそれらに無理が生じてしまうようでは何の意味もなさない。

制作側として、制作に没頭するではなく、関わる全ての方々により居心地の良い環境とは何か。
制作する立場として、お互いが幸せへと進む展望を考えなくては。


お互いに話し込むうちに時間となり、予定を大幅に上回りデザートスプーンを後にする。
雨はいよいよ強くなったがそのまま傘を刺すことなく次の駅へと向かう。
目的地はINST様。
こちらはボードゲームセレクションの主催でもある店長のてっちさんにご挨拶するためだ。

到着
中のお客さんらと私の手持ちのゲームを広げる。
おさかなこいし、トランプ、センコウハナビシ、などをプレイしながら、ボードゲームは「質」よりむしろ、その時々での会話や表情、ノンバーバルなコミュニケーションがあってこそ濃密な時間を過ごせるものと実感した。

周りがムッとしていてはゲームの面白さもわからない上に、相手のコミニケーションのやり方すら見失ってしまう。
昨今流行の兆しを見せる会話禁止型のゲーム(例えばザ・マインド、マジックメイズなど)でも、会話が禁止された後には、その後の開放感が生まれ、解放後には周囲に笑みが溢れる。
先日「謎解きは形容詞の後で事件簿」の作品を手がけた万屋楽団のサンジョウバ様ともお話した際も、やはりプレイ後の感想戦が楽しいゲームとなるよう制作に気をつけたと伺う。

会話は楽しい。
ときにそれは、多額のお金を払う飲み会でも、SNS等に長い時間を消費してでも、求める軸は「会話の楽しさ」に根付く。


INST様を出て、乗り慣れない鉄道に悪戦苦闘しながら、今回の遠征でどうしてもお邪魔したかった兵庫県加古川のボードゲームプレイスペース「駒の時間(とき)」様へと向かう。

駅を降り、歩いて20分ぐらいだろうか。細い路地を曲がった先に見える建物。
無事に到着。

入るなり家庭的な雰囲気のお二人が迎える。
名物のトキさん、コマさん。
お二方ともゲームマーケット後のお疲れである最中も、常に笑顔を絶やさない。

店内には細やかで色鮮やかなフィギュアやペイントの道具が並び、ボードゲームが好きだということが歴の浅い私にも肌身で伝わる。

暖かい二人。
ゆるく流れる御二人の温かみの中、つい私は気持ちを許し、辛かったこれまでの心情を吐露してしまった。

お聞き苦しい身の上話にもかかわらず、笑顔でそれを聞いてくださったお二人。
家庭的で人情味のある「関西らしい」雰囲気に、つい甘えてしまい話し込んでしまう。

お店を運営する長い幾数年の中、笑いもあれば、涙もあったことだろう。
長い年月の中、わずか3年という私のボードゲーム暦の中では想像できないほど、数多くの世界を目の当たりにし、綴られてきたのだ。
この人生の、この「駒の時間」の中で、多くの人と、ボードゲームと共に歩んできた、重みのある空間。
お二人の顔には彫りの深い笑みがこぼれていた。

コマさんの携帯が鳴る。
私のことを聞きつけた「めとろ」氏が急遽駆けつけるというではないか。
この暖かさ、情熱も、関西と言う土壌が産み出したものだろうか。つくづく頭が上がらない。

「好きな人と、好きな時間を共に過ごす」
それは当たり前のようで、実に贅沢なことなのだ。

アラフォーと呼ばれる歳になり、年齢の大切さ、健康の重要性をひしひしと感じるようになった。
それらも相まって、歳を重ねるにつれ「好きな人と過ごせる時間」が、大枚をはたいてでも価値のあるものに思えるようになったのだ。
今回の遠征で学んだ「合わない(相性が悪い)相手」は、無言で、自然と人が去る。
ボードゲームは一人で遊ぶものではない。先に挙げた、楽しい会話や、相手とのやりとりがあってこそ、面白さが増すツールだ。
まして初めての相手であろうとも、作品次第では、個人が取り持つプライベートスペースのかなり奥まった部分まで立ち入ることもあるだろう。
「また一緒に遊びたいと思える相手」
カタンの作者、クラウス・トイバーの言葉が、深く心をえぐる。



帰りの新幹線に揺られながら、旅の中のわびしさ、そして「また会える」は「いつでも会えるとは限らない」の裏返しである、と、そんな焦燥感すら感じさせてくれた。

また来ます、いつか必ず来ます
言葉にならない気持ちを、窓ガラス越しに投げかける。

悲しい気持ちを抑えるべく、私は駅弁を2つほど買い込み、飲み込むようにお腹に詰め込んだ。
満腹感が寂しさ、悲しさを少しでも紛らわしてくれることを願い、お茶を口にし、しばし目を閉じた。


嵐のような関西の三日間が、ぐるぐると脳内を駆け巡る。
嬉しさ、楽しさ、そして、哀しさ、辛さ、
それらをスタンドのミックスジュースのごとく綯い交ぜにし、新幹線はものの2時間と立たずに私を元の自宅へと運んだ。

また新たな生活が始まる。

孤独な一日、ひとりの作業。
その後ろには、何十人、何百人、いや、陰で見えない何万人、何百万人もの後ろ盾があることも、今回の遠征で学んだ収穫の一つだ。

人が人を支え、そして、支えられて、今がある。

そんな人生哲学を教えてくれた関西の方々に、心から感謝致します。


「ボードゲームはコミニケーション」
ともすればさらりと流される言葉の中に、どれほど多くの意味合いが含まれているだろうか。
今回お会いした方々の屈託のない笑顔を思い浮かべ、私はやはり「いい人と良い時間を過ごすことができるならば、それがボードゲームが内包する素晴らしさのひとつかな」と、ぼんやりした頭で考えた。


風邪をひくことのないよう、厚めの毛布を頭からかぶりながら。

(了)

ありがとうございました

2019年3月13日水曜日

出る杭は打たれ、伸びるー私の関西遠征記 二日目ー

AM3:55
いつものように眠れぬ朝。

昨日までは「夢」だった。
今日を境に「現実」へと変わる。
だから、期待も不安もない交ぜに、緊張するのだろう。自然と目も覚めるもの。

少ない携帯のバッテリーを頼りにインテックス大阪へと向かう。
この日もやはり朝からポツポツと雨がぱらつく、あいにくの天候。

朝7時半、すでに多くのお客様が列を成しており、名古屋でもお世話になった山路さん親子ら、関西ではその名を知らぬ有名人がすでに揃い踏みしている。

スーツケースにパンパンに詰め込んだ荷物には、相変わらず修正用のテープを同梱させた。
いつになっても、新刊の誤植・誤表記は無くならない。見れば見るだけ「アラ」が出てくる。
カバンに詰めた数だけの不安を抱えながら、午前8時、設営開始の時刻である。

前回の北海道ボドゲ博0.5にて、全体の流れ、動きなどが概ね頭の中で形になっていたからか、次はこう、次、次、と積極的に動くこと、これも一つの成長なのかもしれない。



全体の設営はものの30分で終了。
告知ツイートを流し、修正版を用意する。

ふと、会場アナウンスにて
「会場まで残り10分となりました、出展者の方は〜〜」

時計を確認するとAM8:50
即座に訂正のアナウンスが入る。

高揚し気の緩んだ脳内に「ピリッ」とした刺激が走る。
油断してはならない。
いつでも対処できるよう、常に態勢を整えるべし、と、自分に言い聞かせる。

AM10:00、(真の)開場。
私個人のブースは、客足はスローペース。
当然だ。何せ「ボードゲームになぞなぞ」というチャレンジャブルな本である。中身を確認することなく「面白さ」を体感できるはずがない。

衣装も何振り構わずコスプレなどをやってみた。
かっこいいなんて言葉は度外視。
「まあなんとかなるさ」会場内に流れる独特の雰囲気に自分から溶け込んでみることにした。

ゲームマーケットはお祭りと称される。
考えるに、お祭りにいか焼きやりんご飴を求めて向かうお客さんは少ないはずだ。
お祭りの目当ては、神輿であり、盆踊りであり、花火といった「全体の雰囲気」を楽しむ場だ。
そこには何か「儲け」といったものではなく、来場者も含めた全体・全員で雰囲気を盛り上げるもの。
私個人の作品ならば、楽しみにしてくださった方全員に無料で配布することもやぶさかではない。
しかしながら、次の作品を輩出するためには印刷代も含めた若干の黒字を出さなければ続かない。
無料頒布こそできないものの、価格は原価ギリギリで考慮した。

会場当初、多くのお客さんが流れる中、私のブースの出足はそう多くはない。
時折手に取ってくださった方が、中身を見て購入し「帰って読みます!」と声をかけてくださる。
この流れは、今まで私個人が経験した各種イベントと同様だ。

大阪はどうだったか。
声を上げれば立ち止まってくれる。
見た目も鮮やかな早押しボタンにも目を止めてくれる。
ボタンを押し、ガチャを回し、面白そうな見た目の作品に興味を示してくれる。

ワンオペ、ブースに一人の態勢という厳しさも味わった。
大きな問題として、休憩時間がないこと。
トイレ、買い物、飲み物等の補充、ご挨拶回り・・・
人の力を思い知らされた。
もちろん今回「人手が欲しいなら」と手を上げてくださった方がいらっしゃった。
その方のご厚意に甘え、1時間だけブースを任せることができたこと、この場を借りて感謝致します。
人を集める行為も、企業・一般問わず、まずは人徳があってこそ。
良い雰囲気のブースには、主催に相応の人徳があるから成り立つのだと学び取った。

さて、私自身の作品の話をしたい。
ブース運営の醍醐味は「相手とのやりとり」だ。
先に挙げたように、面白そうなものに興味を示してくれる大阪の方。

「本をください」
「500円です。割り箸はおつけしますか?」
「え?!」

突如、なんら関係のないような割り箸という言葉にキョトンとする相手。大成功!
今回の割り箸は「おてもと(手元で使う割り箸の意味)」と「(本を)お手元にどうぞ」をかけたシャレだったのだ。
こうした冗談も笑ってくれる関西ならではの雰囲気が大好きだ。

何度か話したかもしれないが、ゲームマーケットは一人一人の力でお祭りを盛り上げてこそのイベントである。
だから何よりも自分が率先してゲームマーケットを楽しもうと決めた。
たとえ自己満足であろうとも、一番楽しんだ人物が何より私自身でありたい。
だから、楽しむための努力は惜しまない。
ボードゲームを売らず、カッコ良くもなく、カリスマ性も人気も何もない単に歳をとっただけの自分であろうとも、何かしらの形でこのお祭りを盛り上げることくらいなら、できるはずだ。


人の波は途絶えることを知らず、交代の時間いっぱいまでブースにつきっきりの状態だった。
短い時間で予約していた作品を回収に回る。ブースに人が不在で買い物のタイミングを逃した作品は、やむなく諦めて次へ、次へ、と回った。
ツイッターを開くと軒並み完売の報告が並ぶ。
ワードミノ、one card of the dead、メイドマフィア、じっくりミレー、サワロー、ヤバイかヤバイカ、きいろいろ、等々、事前の人気作、話題作は軒並み1時間と経たずに完売だった様子。
今回も広報・告知の重要性を痛感する。

告知こそ少なかったものの、私のブースに訪れた方も多かった。
有名ブロガーでありボ育てvol.3にも大きく関わった「さと」様はお子様連れで賑やかに来場。
初心者を自称しながら、その優しさと大胆さで多くの方から愛される「すがエリ」様。
先日の放送でも多くの作品を紹介された知識・人徳に溢れる「ボドっていいとも!」MCの翔さん。
遠方の九州からも有名ツイッタラーの「とりま」様や「大chan」様など、日頃SNSでお見かけする方が多く、こちらが平身低頭になるばかり。

購入を諦めた作品もいくつかあったが、その都度、助けてくださったのも、やはり「人」だった。
「きっとブースでつきっきりだと思って、持ってきたんです」
そう言って予約した作品をわざわざ私のブースまで届けてくださった、かぶけんさん、ピリオドゲームズ様、本当にありがとうございました。

終了時間まで客足が途絶えることもなく、撤収の時間も差し迫ったため、16時30分からいそいそと片付けを始める。
声を張り上げ、ボタンを用意し、それでも笑顔で許して頂いた隣の石膏粉末工房様にはご迷惑をおかけ致しました。

17時、終了の拍手が鳴る。
急いで段ボールを梱包し、外へと向かう。

冷たい雨。
普段は傘をささない私も、たまらずコートのフードを頭にかぶる。

「いかが屋」主催の打ち上げパーティにその足で向かう。
すでに多くの方が華やいだ声で盛り上がりを見せる。前日会とは雰囲気が変わり、反省会を行う方、楽しくお酒を酌み交わす方、早速購入したばかりのゲームで遊ぶ方など、政策云々の枠を取り払った賑やかな会となった。

私は、というと、完売とまでは行かずとも多くの作品が手元から去り、また初の4コマ漫画も手元にはほぼ残らないほどの人気を博し、印刷代も無事に回収できるほどの売り上げを確認した。
口にするのは勝利の美酒だ。末期の水とならなくて良かった。


酒は憂いの玉箒(たまははき)
悲しい気分の時は、お酒の力を借りてでも「笑い」を生み出す
大人になればそんなある意味「力技」も必要となるのかな。

この日の夜も大阪に滞在すると決めたため、いつもより多くのお酒を口にする。

また明日から
そんな気分も、まずはアルコールに溶かし、一夜だけでもゆっくり楽しむことに決めた。



酔いの回った頭で、自分のできること、求められることって、なんだろうと考えた。

SNSという言葉だけのコミュニケーションでは、多くの情報の一部しか伝えることができない。
それゆえ、こちらの思惑とは違う形で情報が流れることも多分にあるだろう。
だからものを売る際は、直接内容を伝え、説明し、相手に満足してもらいたい。
だからこその「対面販売」だ。

委託だろうが通販だろうが、そこには何かしらの「人」が存在する以上、より良いものへと吸収するべきものは「人徳」なのだ。
人と人との温かさといった甘い部分だけではなく、現実社会につきものの「冷たさ」をも甘受しつつ、それらを混濁併せ呑んでこそ、人徳が形成されるのだ。

とはいえ、「冷たさ」ばかりを恐れて周囲に溶け混んでばかりいては、平均点以上を取ることは難しいだろう。

だからこそ、もっと秀でた存在になりたい。

それは決して無茶・無謀といったことではなく、未だ眠っているであろう「独自のアイデア」を織り成し、世に生み出せるものでありたい。

勉強しなくては。
さらに多くのことを学び、変換し、作品にアウトプットしなくては。

その為には、多少「出る杭」として、打たれることも覚悟しなければならない。
打たれたと自覚できたならば、逆に「自分は出る杭」である証拠とも言えるではないか。


シーツにくるまりながら、当日の写真が一枚もなかったことを反省し、明日、店舗にご挨拶として回る分の小冊子を横目で確認し、眠りに落ちた。

つくづく今回の遠征では、ラムネ菓子の底力を痛感することになる。

(3日目に続く)http://hibikre.blogspot.com/2019/03/blog-post_14.html



2019年3月12日火曜日

笑顔と涙の前日イベント 〜私の関西遠征記 初日〜

3月10日は前々から雨の予報と聞いていた。
私は急に思い立ち、1週間前くらいからだろうか、ジップロックを大量に購入することにした。
紙製の作品を取り扱う即売会、作品を購入された方が万が一雨にぬれる心配のないよう、一つ一つ作品を個装したのだ。
アメニティーもつけ、無事に荷物は送付。いつにも増して準備は万端。
体の震えは武者震いか、コーヒーの飲み過ぎか。
いずれにせよ、数日前から緊張が止まらない状態のまま、土曜の朝を迎えた。




3月9日AM09時33分
ホームでは若者の関西弁が早速飛び交っている。
街並みではなく、会話を通じて感じる「異郷の地」
飲みかけのお茶を一気に飲み干し、私は重い荷物をもろともせず、急ぎ足で改札ホームへと向かう。

カッコつけてはみたものの、根っから方向音痴の私は、結局待ち合わせに10分ほど遅刻することとなった。
相手はかねてからお世話になった方であり、尊敬する人の一人でもある「いかとりにょりとおけいのいかがわしいラジオ」MC「いか」氏(以下「いかさん」と呼称)だ。
いかさんがブースを務める「いかが屋」は今回の新作「これっくらいのお弁当箱」も多くの方からの予約が殺到する人気ぶりと伺う。


土地勘のない私をレミングのように誘導するいかさんは、駅近くの「マクド」へと案内する。
お茶を飲みながら、今回の制作での苦労話が、つい溢れてしまう。
私の小冊子はデザインからイラスト、問題作成に至るまで全て私一人の作業だ。
一人とはいえ、手伝うよ、と手を上げた方がいないわけではない。
私は人にものを頼む行為が元来苦手なのだ。
理由は多々あれど、今回の作業もまた「無茶な」進行で進めていった。
血を吐くほどの努力、といった言葉があるが、幸い、血は吐いてはいない。
ただし、血の目やには出てしまった。


寝るに寝られず、寝ても覚めても、ずっと作業、作業。
頑張っても完成が見えない、顧客が手に取る、求めるであろう作品は、きっと「プロの手による、見た目も鮮やかな、かつゲーム性も高く、お値段もリーズナブルな作品」
・・・勝ち目がない。

だから、頑張るしかない。
一矢報いるための「何か」に秀でなければ、見てもらう事すら出来ない。

恐怖を拭い去るには、動くしかない。

いつしかそう自分に鞭を打ち続け、キツくなったらランニングをし、モチベーションが下がったならば冬場でも水風呂に入る、そんな毎日。

「みんな心配しとったんよー」
いかさんは私の話を終始笑顔で聞いていた。


コーヒーを飲み干し、次に向かった先は「ラーメン来来亭」
いかさん推薦の、味よし、ボリューム良し、関西一円では大変有名なチェーン店と伺う。




味玉ラーメンに(なぜか)アジフライ定食
このボリュームで1000円を切るお値段。
ラーメンといえば以前ツイート上で「じゃりン子チエ」の漫画を目にしたことがあった。
「落ち込むとな、元気がなくなる。元気がなくなれば食えなくなくなる!」
うろ覚えだが、そんな内容だったと記憶している。
だからおなかいっぱい食べられることは、元気のバロメーターと自分の中で解釈している。

漫画も、食事も、人情味のある、暖かい味。
私の中では粉物よりも「大阪らしさ」を強く感じる味だ。

普段一日1〜2食しか受け付けない私だったが、あっという間に平らげてしまった。

いかさんと駅ホームで別れ、次なる目的地「高槻現代劇場」へと向かう。
ボードゲーム界隈の著名人が集う「ボードゲームシンポジウム」の会場である。これだけの講師が集うイベントは関東でも滅多に開催されるものではない。
今回のテーマは「キッズゲーム分野への挑戦」
兼ねてから興味のあるテーマだったこともあり、私は盤祭1stでパンフレットを頂戴したその直後に予約を入れるほど待ちわびていたのだ。


会場入口がわからずウロウロする私に声をかけてくださったのは、兵庫県加古川のプレイスペース「駒の時間(とき)」のコマさんだ。

コマさんらと合流し数名で入場口を探し館の内外を行き来しつつも、なんとか会場受付に到着。


最初の講師は「すごろくや」店主の丸田康司氏。
テーマは「キッズゲームの現状」

講師はまずキッズゲームとは何か、といった観点から話す。
「ややこしいゲームを楽しめる人から「ややこしさが足りないゲームをキッズ向け」と呼んではいないか」
核心をつく言葉に思わず同調する。

ボードゲームは「大人にとって「子供も遊んでくれるし、自分も楽しい」稀有なツール」と話す講師。
だからこそ「大人も一緒になって遊んで欲しい」と言葉を加える。

「おもちゃを与えることで、子供だけで遊んでもらい、自分は自分だけの時間を確保…」
かつてのファミコン(ファミリーコンピューター)が流行に上がった背景はそんな親の思惑があったのではないかと指摘する方もいる。
だから、というわけではないだろうが、昨今の任天堂ハードのCMは「老若男女、家族で一緒に楽しむ姿」が画面に登場するよう見受けられる。
「家族同士の交流として」
もっと気軽に、気さくに、片意地張らず「ゲーム」だからと、もっと気楽に構えてもいいのではないか
聴講しながら思わずメモを取る手に力が入った。


分会の時間は、草場先生の話を聴講する。


伝統ゲームの中に垣間見える、アナログゲームの根幹とは。
「青山墓地」「丘の上の黒猫」など、民間伝承に根付く遊びを紹介し、実際に会場内で全員と遊んでみる
「恥ずかしさがあっては負けだ!」
何となくそんな義務感に追われた私は照れを隠すが如く人一倍大きな声で歌い、笑い、表情を豊かに楽しむことにした。
同会場の方々、本当にお騒がせ致しました。

講義に戻り、その中で「民族ゲームは遊びの中でいじめを疑似体験させる」ことが自然とできている、と話された。

これは私も少し前に似たことを思うことがあり、ツイート上で意見を伺った。

「ウソをつく大人になって欲しくないから(正体隠匿のような)ウソをつく作品はちょっと…」
という方にお会いしましたが、むしろそうしたシチュエーションを踏まえた上で「疑う、ウソを見破る考え方」こそ身につけておくべきなのかな、とふと考えたりしました
(原文ママ)

オーストラリアにも「キャッチ&キス」と呼ばれる、鬼役が子ども役を追いかけ、捕まると鬼からキスされる鬼ごっこがあるという。
細部は不明だが、こちらも先の話に登場する「捕まることへのペナルティが怖くて本気で逃げる」考え方に根付いたものではないか、と勝手に解釈した(鬼役になりたいか云々は別として)

言われてみれば、海外のキッズゲームにも鬼役に「幽霊」のコマを充てた作品が多い(これは私見です)が、これも幽霊に捕まることでの「ペナルティ」「捕まりたくない」何より「鬼(幽霊)にはなりたくない!」の意識を自然と芽生えさせることも一端にあるのではないか、と考えた。

ディスカッションも気になったが、どうしてもこの日にご挨拶したい場所があったため、途中で離脱し、谷町4丁目「ボードゲームショップ ギルド」様へと向かう。

先日の事前放送も元気な姿を見せた「ボドっていいとも!」の翔さん、ゲームマーケット秋でも多くの方から好評を博した「斯くして我は独裁者になれり」クリエイティブAHCのあまおち総統、カワサキファクトリー広報のyas-o様、先般のBoardGameSeledtionでも堂々の店舗賞を獲得された陽炎ゲームズのAkito様、最新作「ワードミノ」を満を辞して持参する「なにわのクニツィア」ことかぶけんさんら、有名ボードゲーム製作者様が大勢集う。

ボードゲームを制作していないため、とても肩身の狭い私。

笑顔で対応して頂いた「Guild」の大阪様は、今回の新作「Guildのおもちゃ箱」ゲームシステムを担当されている。
愛嬌のあるイラストを手がけたのは、その隣で笑顔を振りまくアリサ様だ。

数多くの作品に埋もれた私の書籍。
心なしか自信のような塊がスーッと消え失せる。

悲しんでばかりはいられない。

雨空の中、電車の遅延情報を後で知ると、次なる「前日会」へと足を運ぶ。

こちらでは兼ねてからご挨拶したかった主催の「川崎」様が笑顔で迎える。
きっと主催の人望・人徳だろう。こちらも普段「雲の上」のようなゲーム製作者・ポッドキャスター、人気ブロガーらが揃い踏みしていた。

おちょこ一杯にも満たないスパークリングワインで早速酔いが回った私は、多くの方が華やいだ声で話をする中、やはりポツンと浮いてしまった。

仕方がない。有名人でも、有名作を手がけたわけでもなんでもない、単なる「ボードゲーム好き」な一般人に過ぎないのだ。
翌日はボードゲームに関する本を売る、それだけの話。

川崎さんは普段の厳しいツイートからは想像できないほど、気さくで、明るく応対された姿が印象的だった。
会の終始を通じ、傍に話す相手がいらっしゃったように見えた。

笑顔は人を集める
聞きかじった言葉ではあるが、逆も然り「渋い顔は、人を寄せ付けない」
常に人が集まる川崎さん、いかさん、「ほらボド!」momi氏らとは真逆の私。
次回参加するまでに「笑顔」を振りまく練習をこなさなくては。


翌日の本番を控え、今日一日をベッドで横になりつつ振り返る。

いかさんとの数多くのやり取りの中に「好きな人間との時間」という言葉があった。

アラフォーを過ぎた私、先に挙げた人間関係のつらさ、痛みからか、苦手とする人間と無理してつきあい、好意を持った人間にほとほと騙され、搾取されることが、つい先日まであったのだ。
SNSでの「人間関係疲れ」も含め、孤独な中の作品制作、どんな意見であろうとも「神の啓示」と思いありがたく頂戴する、という世間の風潮に、隠しきれぬほどの疲れを感じた頃でもあった。
「生きている時間のリソースは有限」
「好きな人と付き合うだけで、それは十分」

嫌いな人間の意見に無理して迎合するよりも、自分に好意を寄せる方からの意見を汲み取り、自分のできることを模索し、反映させる。
今の私はその考え方に俄然「やる気」を見い出せるタイプだと感じる。

感じる、というのは「見い出した経験がある」といったプラスの視点ではなく「嫌いな人間の「お前はダメだ」という意見」を聞くなり、途端に「モチベーション」が急降下する性格からである。言うなれば「消去法」だ。
バイタリティ溢れる製作者様ならば
「多くの意見をください。むしろ、悪い意見をどんどんください!」
そうして多くの言葉を自分の中で精査し、より多くの意見を取り入れ作品に昇華できるのだろう。

精神状態が極度に低い私に、同じ芸当は、多分できない。
体がパンクしてしまう。
悪い意見を必要以上に吸収し、果ては人格批判とまで捉えてしまうだろう。

かといって、良い意見ばかりを取り入れ批判的な意見を排除してばかりでは「王様」のような体制となる恐れがある。

その折衷って、やっぱり難しい。

先のシンポジウムの中に「誰でも面白いゲームは存在しない」「これは逆も然りで、面白くないゲームは存在しない、誰かが必ず「面白み」を見出してくれる」

私の書籍に至っては、結局当日まで「面白そう!」といった前評判のツイートが上がることはなかった。
当然だ。誰も「ボードゲームで、なぞなぞ?」と聞き、掛け値無しに「面白いはずだ!」と太鼓判を押せる人物など、自分でもいないはずだと自覚する。

全てがマイナス発信の中、結局一日を通じ「笑顔」の重要性に苛まれながら、自分に一番足りない視点を突っつかれた前日。
笑顔で作業する、といった先の川崎さんを始め、シンポジウムでお会いできた「ンヌ」様や、Guildでお会いできた店長大阪様、アリサ様、ボードゲーム製作者様、前日会でお会いできた「さと」様、ら、私以外全ての方が、人見知りの激しい私にも屈託のない笑顔で振る舞ってくださった姿に、真面目で冗談の言葉も出ない私自身の勉強不足、特に対人関係の勉強不足を痛感し、ベッドの中で、悔し涙が溢れた。
翌日に控えた本番を前に、作り笑いすら作ることができず、その日は結局泣きつかれたまま眠りに落ちた。

昼過ぎから続く雨は、個室の窓ガラスを強く、強く打ち付けていた。

(二日目に続く)http://hibikre.blogspot.com/2019/03/blog-post_13.html




2019年3月8日金曜日

ゲームマーケットは「刺激」を受ける場

今日、この文体を執筆している時点で本番までいよいよ二日前となったゲームマーケット大阪。
製作者は準備も広報活動も佳境を迎え、前日会、体験会など、前日近くまで実に活気に溢れる週末となる。

ゲームマーケットはどんな場所?
「面白いゲームに出会える場所」「新作ボードゲームを安価で購入できる場所」「普段交流できない方と久方ぶりに出会う場所」など、その捉え方は十人十色だ。


私自身の話、最近では、ゲームマーケットに「刺激」を求めて参加するのかな、と考えるようになった。

高いカタログ代を払い、決して安くはないボードゲームを、なぜああも購入に上がる強いエネルギーが湧くのだろう。

それは、人がそれだけ「刺激」を求めるからではないか。

一度会場内に足を踏み入れると、中は実に活気に満ち溢れている。
言わずもがな、ゲームマーケットはブースの内外を問わず、国内外のボードゲームファンが一同に介する場である。
有名ボードゲームデザイナーや著名人をはじめ、有名ボードゲームショップ店員、有名ポッドキャストMC、有名ブロガー、有名ボードゲーム漫画家・作家、有名ツイッタラー、有名ユーチューバー、等々、普段はSNS上でしかその名前を知り合えない方々に遭遇するかもしれない千載一遇のチャンスなのだ。

そして、自分の好きな作品の制作サークルに直接お礼を伝える場でもある。
ツイート上の「いいね」「RT」だけではなく、直接お金をやりとりし、「ありがとうございます」「いつも楽しく遊んでいます!」その声を届ける絶好の機会こそ、このゲームマーケット会場なのだ。

作品をやりとりし、製作者から直接お話を伺い、それら意識しなくとも、周囲に存在する多くのボードゲームファンがやりとりする場面を目の当たりにする、そんな環境下の中において、脳内では知らず知らずのうちに強く「刺激」を受けることだろう。


ファンは製作者と出会うことで、作品へのさらなる愛を「刺激」され
製作者はファンと出会うことで、作品へのさらなるモチベーションを「刺激」される。
刺激は相互作用で高揚し、個々人のモチベーションをさらなる高次元へと誘う。
作品への愛情が増したファンは更なるボードゲームへの楽しみ、面白みが増えることだろうし
ファンや作品への愛情やモチベーションが増した製作者は、今作や次回作への展望を垣間見ることができる。


それらは決して、ショップや通販等でものを買うことでは代替できない、大変貴重な体験なのだ。

制作ブースの立場として、「私の創作物を買って!」とは決して言わない。
ゲームマーケットには「遊びに」「体験に」、ちょうど帰宅途中にフラッとコンビニに寄るような感覚で、気軽に足を運んでほしい。
そして帰る間際「早く帰ってボードゲームで遊びたい!」といった気分に苛まれたならば、それはこちらが意図する「刺激」を大いに受けた証拠なのだ。



2019年3月2日土曜日

対人戦と云ふは優しさと見付けたり

ツイキャスライブでいかラジのいか氏のコラボに上がった際の話題だ。
「カタンの上級者は、相手を蹴落とすような交渉ごとはしない」

この件に関し、以前、モノポリーの日本選手権上位者と対戦した方も「あの方と交渉する時に、なぜか(相手ではなく)こちらが有利となるような交渉を持ちかけてくる」とお聞きした。
いかさんの話の中にも、カタンのプレイヤーにモノポリーのプレイヤーが存在すると話されていたことからも頷ける話だ。
上位者ともなると、周囲の状況に常に気を配り、相手が何を求め、自分にできることは何か、その中の最善手は何か、といったありとあらゆる選択肢の枝葉を伸ばすのだろう。

落ち物パズルに似ている。
手弁当で何連鎖と作成することが対戦において必ず強みとなるわけではない。
上位者同士の対戦では、急所となる場面で妨害となる連鎖、まとめ消しなどを発動させ、相手の狙いを狂わせる。
「勝つためには、高い点を取ることではない、相手より1点でも多い点数を取れば良い」
これはプロボウラーの方からも似たような話を聞いた覚えがある。
ボウリングのトーナメントでは、単にピンを倒すだけではなく、オイルの塗り具合やコンディション、さらには、相手のフレームのオイルを剥がすような投球をわざとしかけるといった面もあるのだとか。
「勝負の醍醐味はそこにある」
と記憶している。

カタンの話に戻る。
かくいう私も、実は先ほどのツイキャスライブ後に自己の苦い経験を思い出した。
カタン、しばらく遠ざかっていたけれど、そういえばこんな経験をした身である。
早速その日の日課4コマのネタに仕立て上げた。


なぜ上級者は強引な交渉をしないのか。
それは「そうした交渉ごとを一度でも持ちかけたプレイヤーは、その後、他のプレイヤーに警戒されてしまうから」であるといかさんは話す。

カタンの制作者クラウス・トイバーの言葉にも
「またあなたと遊びたい、そんなプレイをしましょう」
察するに、トイバー自身も勝ち方にこだわるが故に楽しさをないがしろにするプレイヤーへの警鐘を促したのだろう。

ボードゲームに限った話ではない。
連珠の福井6段とお手合わせした際も、こちらがなすすべなくコテンパンに、ではなく、もう一手でこちらが勝利となる寸前でスルリと相手が勝ちを持っていった、それが何戦も続いた、といった印象だ。
連珠だけではなく、オセロの名人の方とお会いした際もそうだった。
明らかに序盤こちらの色ばかりで埋め尽くされた盤面が、相手の一手で総入れ替えされるが如く盤面が入れ替わったのだ。
「オセロにおいて、序盤なんて関係ないからね」
そんな言葉を、手ほどきをいただいた日本オセロ連盟の方から頂戴した。

ドイツゲームを含む、アナログゲーム本来の魅力とは「何かしらの形でもう一度相手と遊びたくなる状況を(さも自然の如く)生み出せる」にあるのではないか。

一つの考えとして、聞いてほしい。
ボードゲームはテレビのゲームとは違い一人で遊べるものではない。ともにプレイする人間が必要で、盤面の世界をともに冒険する、感動を享受する「仲間」が必要である。
それらは単純に「NPC」といったコンピュータやオートマカードなどの存在に置き換えられる存在ではない。

なぜか。
それは相手を通じる行為が、ひいては「自己の意志を確認する行為」へと結びつくからである。

ボードゲームとは、相手との意思疎通を通じ、自分の思考過程を盤面に投影させ、意思を明確化する遊びだと考える。
それらを周囲に確認、同意させ、うまく周囲と調和を図りつつ、勝利を目指す。

難しく表現したが、要は、盤面で流れる時間の中に、それら目に見えない「心の交流」が、わずかな時間の中でプレイヤー相互にやり取りされているのである。

意思と意思とをぶつからせつつ、時に衝突し、しかしながらその根本は面白さに置き、結果という形で勝敗を目指す、
だからこそ、同じ戦略、戦法が存在せず、同じ相手だろうと、時間単位で戦い方が大きく変化を遂げる。
相手も変われば、それに応じ、自分の思考も変わる。
アナログゲーム本来の楽しみはどうやらその「相手と接触を図ることで、盤面が常に変化し、都度、思考することを要求される」辺りに存在し、表面的な「コンポーネントの豪華さ」や「ゲームシステムの妙」はそれらを引き立てる存在ではないか、と、考えた。

元々、家族でプレイすることを前提とするドイツ製のボードゲームの中には、「メンシュ(邦題:イライラしないで)」https://shop.neu-icarus.com/items/13244217   のような、相手への妨害をよしとするルールの双六が多数存在する。
細部はまた別の機会に考察するとして、これらの作品がドイツ国内で長年愛された背景には、「相手に対し何かしらの接触を行うことこそが、ボードゲームならではならではの醍醐味」とされたからではないか、と勝手に妄想する。

以前、とある方が(運の要素を排除した作品の総称、という意味合いでの)アブストラクトの魅力について、こんな言葉を述べた。
「相手がどう迫ってくるかが人それぞれで、それに対して、自分がどう攻めるかを考えることが楽しい」
これも、樹形図やフローチャートで計算されたコンピュータとの思考合戦ではなく、空気を隔てた向こうに生の人間がいる、という前提だからこそ為し得る味わいなのだろう。
これが仮にCPUだったならば、人間は「攻略する」ことに重きを置くに違いない。
その日の体調や思考、こちらが仕掛ける会話や、何気ない仕草等、一手で大きく変化する盤面、対人戦の面白さを通じ、やはり「自己の姿を投影」させている。

俗な話ではあるが、人間の目は前を向くように付けられており、自分の姿を自分で確認できない構造となっている。
相手を通じることでしか、自分の人となりを確認できない、とも取れる。

これらを踏まえた上で、冒頭の「カタン上位者が相手に有利となる交渉をわざと仕掛ける」行為について考えると、実に納得ができる。
「良い行為には良い行為が返ってくる」
因果横暴、いい人には、いい人間が集まる。逆も然りで、悪い人間には、相応の目を持った人間が、それなりの数だけ集うものだ。悪いツイートだって、バズればフォロワーの数”だけ”は増やせることに通じる。
だからこそ、相手に優しく接することで、優しさの行為は連鎖し、ひいては、自分の行為が良い方向へと広がりを見せるからなのだろう。



長々と述べてしまったが、今回の結論を端的に表すならば、たったの一言で済む。

「性格の悪い人間と遊ぶ名作は皆駄作だが、気の合う人間とならばジャンケンだって面白い」





学ぶこと、奢らないこと。〜バネスト20周年記念ボードゲーム会に参加して〜

名古屋市北区のゲームストア・バネストが今年で20周年を迎える。 それを記念し、20周年記念ボードゲーム会と銘打たれた大規模なゲーム会が開かれるのだという。 開催の知らせを耳にした私は予定の有無など考えずに申し込みを済ませた。 ゲームマーケット秋に向けての入稿や来週に迫る神...