2019年5月12日日曜日

ゲームマーケットは浄化を促す場

新しいことはそれ自体が魅力的だ。
新しいボードゲーム、新しいルール、新感覚、新機軸…
新しい、新鮮、というものは、その言葉だけで魅力的だ。

ボードゲームに限った話ではなく、新社会人、新番組、新成人、等々、新しいものそれ自体が多くの人を魅了する。
新しいものは、すでに在るものに対して、違う風を取り入れてくれる。
これまでに多少の食傷を感じていた人にとって、新しいものは、期待感も含めて何よりも貴重な存在だ。

古いものは、それ自体が魅力的だ。
昔から存在するボードゲーム、古来より伝わる伝統遊戯、すでに一般語となったルール…
古き良きものは多くの人を魅了する。

ボードゲームに限った話ではなく、看板役者、御意見番、生き字引、等々、いつもの存在は「そこに在る」だけですでに魅力的だ。
古き良きものは、組織に抜群の安定感をもたらす。
多少雰囲気が乱れようとも、最終的には絶対エースとなる存在がなんとかしてくれるであろうと、皆が期待を寄せる。
それだけで尊敬に値されるのだ。


対象となる二つを記述した。
どちらが悪いとも、どちらかに顔を向けろとも、そんな極端な話ではない。
強いて挙げるならば、その「両方」だ。
「老害!老害!」と新しい意見ばかりを追いかける自覚があるならば、古き良き作品に目を向ける必要があり、「昔は良かった」と古き良きものに固執していると自覚があるならば、最近話題の作品の傾向に目をやるものと考えている。

とある老舗のラーメン屋の店主が話す。
長年同じ味を継続させるためには、客に「変わらぬ味」と気付かせないよう、微妙に味を変化させているのだと聞く。
長年同じ味を続けると、客の方から「(味が)変わった」と意見されるそうだ。
時代の趨勢とともに、グラデーションのように微妙に変化する客層を柔軟に捉え、その都度、自分の在り方を変化させる、
それは商売に限らず、地球上の生物が厳しい時代を生き抜くために学んだ、ある種の処世術とも言えるのではないか。


翻って、ボードゲームの話。

ボードゲームを(決まったお店で)買う、(いつものカフェで)遊ぶ、ばかりでは、やはり自分の中の「情報」がどうしても偏ってしまう。
そこで、五感をフルに使い、ボードゲームを最大限に楽しむ日が1年に1度でもあれば、自分の中の凝り固まった筋肉が解きほぐされることだろう。


ゲームマーケットが2週間後に控えている。
日本最大規模を誇る、ボードゲームの祭典だ。

開催スタッフの方は「体験しに来てください」と口にする。
その真意を察するに、買うだけでは物足りない、目で、耳で、肌で、(時には)味や鼻など、五感で体感し、自分の中の「ボードゲーム」の感覚を自浄するための場ではないかと考えた。

日本最大級だけに、会場内にはそれこそ多くの参加者が集う。
有名芸能人、漫画家、プロ棋士、アイドル、ポッドキャスター、ユーチューバー、もちろん、製作者、イラストレーター、有名ブロガー、ボードゲーム会主催者、カフェ運営者、ツイート上で見かける大勢の方々、等々、自分より数多くのボードゲームに触れているであろうそんな方々と、ご挨拶でき、時に試遊台を囲み、ともにボードゲームについて語ることのできる、そんな稀有な体験イベントが他にあるだろうか。


そして何より、私は二日目となる日曜、ブースの人間として提供する側に立つ。
前回大阪でもそうだったように、私のコンセプトは「一体になって楽しむ」ことである。
売ること、買うこと、それ自体は後回しでもいいから、せっかくいらっしゃった方々と一緒に「遊んでもらう」「体験してもらう」そして何よりも「楽しんでもらう」ことを主軸に置き、立ち寄った方々が笑顔で立ち去っていただけるような、そんな運営を組み立てようかと考えている。


ゲームマーケットに来場された方が「あれだけ疲れたのに、早く帰ってボドゲしたい」と感じたならば、それは会場内できちんと浄化された証ではないか。今風の言葉で「デトックス」とも言うのだろうか。

私も何かをつかんでもらえるよう、これからの短い間に、一つでも面白いトリガーをこれから用意しなくては、ね。

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