2019年7月6日土曜日

否定の気持ちを応援へ ー茂原で出会った女の子の話ー

先日日曜、千葉県茂原市の蔦屋書店茂原店で開催された「蔦屋でボドゲーン!初夏のボードゲーム祭!」というイベントに(遠方でありながら)飛び入りで参加し、あまつさえボランティアまで申し込むに至った。


天候こそ荒模様だったものの会場は活気にあふれ、私の担当する子ども連れのブースは終始人の絶えない人気ブースとなった。

その中で出会った、一人の女の子の話。

どんなゲームでもニコニコと笑いながら楽しむ少し年頃のその女の子は、私の手にしていた「エスカレーション」というカードゲームをしげしげと眺めていた。

この「エスカレーション」、相手よりも多い数を場に出し、出せなくなったら、または出したくなかったら引き取る、引き取った枚数だけマイナス、と、とてもシンプルだが、一つ特殊なルールがあり、例えば「2」のカードを3枚一度に出すことで「6」として場に出すことができるのだ。

簡単なかけ算を要するため、ことお子さんとプレイする際は、ゲーム開始前に「かけ算は出来る?」と尋ねることが多い。関係の有無は定かではないが対象年齢も「10歳から」と表示されている。

女の子があまりに興味深く眺めていたので、いつものように「かけ算できる?」と尋ねる私。
「うーん、九九はできなーい。たし算なら」そう答える女の子。
まあ物は試しと思い、早速プレイすることに。

しかしながら、プレイ中は1戦目から白熱。かけ算ができないことなど何のその、女の子はたし算を駆使し、3の3枚出し(9の値に相当)や、13の2枚出し(26の値に相当)など、大人の私がたじろぐほど巧みにカードを切ってくる。

1戦目こそ辛くも勝利を収めた私だったが、2戦目、3戦目は完全にコツをつかんだ彼女が終始ペースを独占し、4戦目は手札も含め1枚もカードを引き取らない完全勝利を収めるなど、終盤からは彼女の圧勝に終わった。
「もっとやる!もっと!もっと!」
次へ次へとせがむ彼女の顔は嬉しさに満ち溢れていた。


「キミすごいねー!計算できないって話してたのに、すごく上手いじゃない!」
私が手放しに褒め称えると、彼女の口から、フッと、こんな言葉がこぼれた。
「私、ずっと学校でいじめられてたの。だから学校で勉強してないの」

聞くと、彼女は小さい頃から聞くに絶えないほどの醜いイジメに遭い、現在は別の施設に通っているのだという。
現在は小学4年相当のクラスに通う傍、算数の勉強が大の苦手だと屈託のない笑顔で話していた。

そうか、と私は声をかけ、またエスカレーションを広げようとしたところで、彼女の保護者らしきおばあちゃんに連れられ、女の子はその場を去って行った。

「大丈夫だ!心配ない!」の言葉をかけることのできなかった私は、取り残されたエスカレーションをそそくさと片付け、別のテーブルの支援へと回った。


「(お前には)絶対にできない!」
「無理無理!他にやってる人がいるから」
何かを始めようとして声を上げると、多くの方向からそんな助言にも似た言葉を浴びせられる。
本当に受ける。(受けた。)たくさん受ける。(受けた。)
あたかもこちらのやる気を削ぐかのように、ダメだ無理だ真実はこうだ現実を見ろだと言葉を並べる。
それが新規に開拓することであるならば、なおのことである。

でも、ちょっと待って。
それって「自分ができない、自分がやりたくない理由」を、こちらに押し付けているだけじゃない?

目の前に種子を渡され、育てられるか否かは、渡された側の問題だ。
周りの人間が一緒になって、種子の成長を阻害することこそ「やってはいけない」行為であるはずだ。


だから私はそれら否定の言葉を「応援しています!頑張ってください!」の気持ちに変え、時にそれらを贈り物や金銭(支援)という「形」に変えて、送るよう心がけている。


全ての挑戦者に、祝福があらんことを。

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