2020年4月5日日曜日

動かすこと 


自宅での活動自粛生活も早2週間が経過した。
2週間前の外出以来、自宅から半径300m以上の外出は控えている。
お金の振り込みと軽い買い物、時折外に出て散歩をする程度だ。

自宅にこもってばかりいる環境は、とにかく目の周りの「物」が動かない。
当たり前のことだけれど、意識をして換気や片付けなどを行わない限り、目の前の本や手帳など微動だにするはずがない。
「引きこもりながら読むぞ!」と枕元に積まれた本も、「読むぞ!」と意気込まなければページすらめくることができない。
さながら「冬眠の熊」のように、周りの動向を伺いながら、ひたすら消耗を抑えてジッとする、ここ数日はそんな日々を過ごした。

買い物のため外を出歩くと、木々がそよぎ、風が吹き抜け、親と子どもの他愛もないやりとりが耳に入る。
普段は感じることのできなかった「自然のうつろい」、それを肌で、内蔵で。直に感じとることができた。
「退屈だ」と感じる由縁は、自分にとってどうも「変わり映えのない世界」に身を置くことであり、己に秘めた「変わりたい」の気持ちから大きく乖離しているからだろうか、などとぼんやり考えた。

俗な話ではあるが、ボードゲームの最中に、行動を制限され、動きたくても自由に動けない状況を「苦しい」と表現する。
職場でもプライベートでも「やりたいこと」を咎められ抑えられ、やむなく行動が制限される「苦しみ」と、言葉の他に意味合いも相通ずる。
それは自分の中の「変化したい」の欲求が鬱積し、発憤できない苦しさ、と、無理やりまとめてみた。


SNSでは絶え間なくツイートが流れ、動く。
有用無用問わず様々な情報が、秒単位で変化を遂げながら「動いて」いる。
絶えず流れる情報、動かない動けない自分。
自由のない束縛された苦しさは「退屈」の苦しさとも連動する。
そんな「退屈」ばかりを味わうと、次第に部屋の中で「自分の存在について」と出口のない哲学と格闘する羽目になる。
退屈の誘惑から懸命に逃れつつ「そんな中でもできること」を模索することにした。

小冊子の制作を継続することに決めた。
制作中の漫画、クイズ本等の創作に関し、手を緩めず、少しでも前へと体を動かすことにした。
それでもメンタルとシンクロする僕の諸活動は、ネタに苦しむ日やデザイン、レイアウトに苦しむことも度々あった。
頒布できる場所なんてわからない。
それでも手を動かし、どなたか欲する方のもとへと届ける算段を思いあぐねる時間は、幸せを味わうことができた。
ペンを握り、メモを取りまとめ、頭の中を紙媒体に起こす作業は、何より精神の安寧となり、いつしか「届けたい」の気持ちを上回る「世に生み出したい」が念頭となった。
4コマのレイアウト作業のほか、クロスワード本のPDF化、チラシで使用するクロスワードの手直しなど、気の向くままに手を動かしているうちに、1週間は瞬く間に過ぎ去った。

物理的なものも積極的に動かすことにした。
元来お金がないどころか、小冊子の売り上げの他にまとまった収入のない自分にとって、できる支援などたかが知れた。
それでも周囲の苦しむツイートに心を痛め、目に止まったお店には微額ながら支援・購入を行った。
その際は、できうる限り応援の気持ちも添えることにした。
「ご無理をなさらず」「お体ご自愛ください」
定型文とならないよう、ありのまま気持ちを言葉に乗せ、リプライするよう心がけた。

先週から続く引きこもりの2週間は、そんな「未来への勝手な妄想」に明け暮れていた。
今はまだ先のことなどわからない。そもそも、未来のことなど誰も知る由もない。
だからこそ今は、下へ下へと根を張ることに従事したように思う。

「明けない夜は無い」しかしながら、いつまでも暗闇の続く御時世では、ゴールも補給地点もないマラソンを延々と走らされているようにすら感じる。
それでも僕は、いつか迎えるであろうゴールまで、必死に走り続けようと思う。
自分だけではなく、皆が揃ってゴールのテープを切ることができるよう、無理のない範囲で手を差し伸べようと心に決めた。

そしてまたいつか、みんなで笑いあえるその日まで、日々明るい方向へと道を伸ばして行こうかと思う。

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