2021年7月3日土曜日

手の鳴る方へ

 7月2日

梅雨だから、というわけではないが、全国的、しかも局地的には熱海と平塚に大規模土砂災害が発生する1日。

ツイートを眺めると情報過多で参ってしまうが、今日はとにかく4コマに熱が入った。ポーズ集を眺めながらひたすら納得いくまで模写を続け、結局この日は4時間余りを費やした。

長く描いたから反応も比例する、というわけでもなく、そう多くの反応もなく、雨とともにうなだれる午後。「応援します!」の声を真芯に受けているが、今日いいねをつけなかった方は本当に応援しているのか疑問だ。


欲しかった本も結局この日は見つからず、改めて通販で取り寄せる。

先日通販で本を購入されたフォロワー様から感謝と感想の言葉が届き、それまでの気持ちが一転して和らぐ。応援の声とはそんなマイナスをプラスに転換させる働きがあるのだ。制作に立つからこそ味わえる、そんな人間社会の裏と表。いかに気にせず、プラスに評価を持っていくか。

それはきっと人間社会を営む上でも大切なことではないかと思う。


帰宅後、ろくにご飯も口にせず、先日覚えたばかりのアフターエフェクトを駆使し動画制作に移行する。

こちらも苦心した割にそう大きな反応もなかったが、いつも応援される方が引用RTで励ましてくださった。

この一言を次へのモチベーションに繋げられるか。

「評価の数」は気にしない、とは断言しづらい。

多くの作品が多くの方の目に触れることは、それだけでやっぱり嬉しいものだ。


しかるに、それだけをモチベーションの材料としてしまうと、今日の自分のような「手間をかけたのだから応援してよ!」と応援を強制しかねない。応援の次は決まって「じゃあ買ってくれるの?」の強制が始まるものだ。


それを前職では「幸せレベルが下がった」と揶揄したことを思い出す。


気持ちや環境が低下しているときは、どんな些細な喜びだろうと、その感度が大いに増すものだ。


小さなありがとうを万倍に受け取ることのできる、それは言葉の上で「レベルが下がった」かもしれないが、感性に軸を据えると、すごく人間として暖かく、成熟された心の持ち主にしかできないのではないか。


自分を慰めるようにそんなことを思う。


明日もまた雨の中4コマに問題作成に、最近覚えたアフターエフェクトの練習に勤しむのだろう。

周りはテストプレイも含めた華やかなツイートばかりだ。

グッと奥歯をかみながら、自分は自分の道を、応援される方の手の鳴る方へ、進もうかと思う。


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