2020年6月21日日曜日

神様のゲーム オンラインイベントに向けての僕の考え


 来週27日(土)、28日(日)は「ゲームマーケットライブ」と称された、オンラインを通じたボードゲームのイベントが開催される。
 各ブースは動画配信やライブ配信を通じたイベントを持ち込みで企画し、また主催となるブースでは各イベントも開催されるとのこと。来場者は好きなブースをまわり、動画配信やライブイベントに参加するなどを体験することができる。
 これまで有志の間で開催されたオンラインイベントの延長線上にあるものと、僕は勝手に認識している。
 
 情勢としては、先日首相が「経済活動レベルの引き上げ」を発表、県をまたいでの移動自粛が解除された。
 街の活気も、満員電車や商店街の賑わいなど、緩やかな上がり方を見せた。
 とはいえ、特効薬やワクチンなど、いまだ安心できる中とは断言できない昨今。今後はオンライン上でのこうした取り組みも活況を見せるのだろう。

 御多分にもれず、当「番次郎書店」も、オンライン上で立ち寄った方が楽しめるよう早速動画を作成し、当日、立ち寄った方と楽しめるよう当日配信用のクイズまで用意した。

 先日、ある方から
「リアルでできないから仕方なくオンラインで……じゃなくて、オンラインだからこそできる遊び方を開発したいですよね」
 そんな言葉を受け、ハッと我を振り返った。

 ボードゲームの楽しさはやはり対面同士のやり取りだ。
 単にゲームに興じるだけではなく、会話を五感で体感し、相手とのノンバーバルな面を含めたやり取り、カードを、チップを、実際に手に取り、触感として味わうことのできる重厚なひと時…。
 個々人が開催するクローズ会の場や、再開されたボードゲームカフェ・プレイスペースの場を通じ、改めて「直接のやり取りを通じたアナログゲームの楽しさ」を再確認された方も多かったのではないか。
 それらを踏まえた上での「オンラインイベント」は、(大変失礼を承知で)日常の食卓に非常食を提供するような味気なさすら感じるかもしれない。

 でも、不思議と僕に落胆する気持ちは生まれず、むしろ「近未来的だ!」と好意的に捉える側の方に立った。
 何ができる?ツイキャスライブ?YouTube LIVE?動画配信ならば、立ち寄った方と一緒に遊べる、楽しめる、そんな企画が用意できないかな、etc…。

 メンタルヘルス関連の書籍に登場する例え話で「コップの水を半分だけ飲み、残ったグラスを見て「もう半分しかない」「まだ半分あるか」のどちらを考えるか」とある。
 物事を悲観的に見るか、楽観的に見るか、の例だったかと思う。
 
 制限された状況の中、思うような行動ができず、もどかしい、苦しい…今回の自粛期間を通じ、誰しもが経験した「ツラい気持ち」だ。
 そんな中、僕は心の中で「ゲームだ!」と開き直ることにした。
 「これはゲームだ。自分は神様が与えたこのゲームを、最大限楽しみ、クリアに導かなければならない」
 そんな妄想を全開にし、あらゆる出来事を「これはゲーム!」と置き換えることにした。
 ゲームだから、楽しまなければ自分が一番損をする。
 ゲームだから、ルールには絶対で、ルールに抗うことなく行動しなければならない。
 ゲームだから、どこかに楽しむ要素があるはずだ。
 ゲームだから、どこかにクリアのカギとなるアイテムが存在するはず。
etc、etc…。

 ウイルスの脅威が抑えられる近未来は、「これまでの日常に帰る」ではなく、「ウイルス対策を万全に、という前提の中での新たな未来」のはずだ。
 だから考えの軸を「過去」に置いては足元から崩壊してしまう。
 立脚点を「今」に置き、今できること、できないことをしっかり見定め、できることを少しずつこなしながら、未来の自分へと軸を移そう…。

 僕は「今、何がないか」よりも「今、何があるか」を考えられるような、自粛期間が開けたこれからも、そんな視点で物事を見ていくつもりだ。
 
 番次郎書店ではオンラインの場でも、変わることなく、クイズに4コマに、皆さんが「いかに楽しめるか」を追求できるブースでありたいと願う。


 「白鯨」などの作品を手がけた作家ハーマン・メルヴィルの言葉を紹介し、今回の締めの言葉とする。
「不遇はナイフのようなものだ。
 刃をつかめば手を切るが
 取っ手をつかめば役に立つ」

2020年6月13日土曜日

クイズのドリルは作りません! 次回秋のイベントに向けて

東京都の休業要請もステップ3へと緩和され、少しずつ回復の兆しも見えてきたのかな、と感じる昨今。
国内のボードゲームイベントも、部分的にではあるけれど8月静岡アナログゲーム祭りの開催が告知されるなど、明るい方向へと向かうことを思わせる便りも届く。
先日は11月14・15日のゲームマーケット2020秋も告知され、これから当番次郎書店ブースも、目前に迫ったイベントに向け全力を傾注することとなる。

ゲームマーケット秋の新刊に関して、当サークルの新刊は未だ構想中で、「まずはクイズの本を作る」と漠然とした目標だけを掲げつつ、色々な案を考えている。

ただ、ひとつ、「残念ながらご期待に添えません」とし、見送った案がある。

それは「ボードゲーム等のクイズだけを綴った小冊子」言うなれば、参考書の一問一答集にあるような、ドリル形式で問題が淡々と綴られた本だ。

このテーマは当サークルを運営する中で最も需要の声があり、現在も少なからず期待が寄せられている。
それでも自分の心の中では「確率は0ではないけれど、優先順位はかなり下の方」だ。依頼されたならば少しだけ作るかな、に留まっている。
                      (こうした形のクイズ本は作らないかも、の見本)

この案、実は昨年大阪のイベント出展の際から頭にはあった。

昨年ゲームマーケット2019大阪では「ボードゲームのなぞなぞブック」と題し、ボードゲームにまつわる各種のなぞなぞ、謎解きを掲載した本を頒布した。
それはこれまで「クイズ小冊子」ばかりを制作・頒布し、周囲も「次回もまたクイズの本かな?」と視線を向ける中での頒布だった。いわば自分にとって大きな挑戦となるものだった。
結果、さほど大きな売れ行きこそなかったものの、何か手応えをつかんだ自分は、それから続くゲームマーケット2019春で4コマの新刊、なぞなぞ本の2巻、これまで発表したクイズ本のまとめ+αを刊行、さらにその年のゲームマーケット2019秋には「PLAYBAQ2019」と題しクイズで振り返る2019年史を、翌ゲームマーケット2020大阪(未開催)では「クロスワード本」さらにはゲームマーケット2020春(こちらも未開催)に向け「エッセイ集」などの作品を作成するに至った。

クイズ単体を並べた本の制作は、昨年春を最後にきっぱりと決別することにしたのだ。

その理由はいくつかあるが、大きくは2つだ。

一つは、あくまで自分の観測する範囲ではあるけれど「ボードゲームの知識を通じたクイズの面白さ」がある程度広まったことが確認できたからだ。

ボードゲームのクイズ本を独自で作成された方、YouTubeやTwitter等SNSを通じオリジナルのクイズを配信された方、先日は有名クイズサークル「Quiz Knock」が「10問でマスター ボードゲームQ」と題したボードゲームにまつわるクイズを公開し(リンク先>https://quizknock.com/10mas-boardgame)、ボードゲーム界隈の著名人も多数挑戦するなど盛り上がりを見せた。

他に、観測できる範囲だけを取り上げても、全国各地のボードゲームカフェ・プレイスペースにて「ボードゲームのジャンルに特化したクイズイベント」の開催を見かけるようになった。

「ならば尚更需要があるのでは?」と意見も頂戴したが、仮に「私が新作クイズ小冊子を頒布します!」と声をあげてしまうと、先に登場した「他の製作者の方」が手を止めてしまうかもしれない。
 クイズは問題ありき、問題を作成される方ありきの世界。せっかく芽生えた「クイズ製作の芽」を、僕が意図せず摘んでしまうことは願ってはいない。
(とはいえ、これまで肩書きで得したことなど何もありませんが…)

もう一つが「挑戦したい気持ち」だ。

自己啓発本を読むと「自分にしかできないことをさらに尖らせ洗練させることが個性につながる」といった文言を見かける。
けれど、僕の考えは少し異なる。
自分が今できることをさらに追求する行為そのものよりも、今は「自分のできないことにどんどん挑戦し、可動域をより広げる行為」の方に興味が惹かれている。

4コマの執筆も稚拙ながら1年以上を迎えるも、未だ人気神絵師や売れっ子イラストレーターなんて世界からは程遠い。
それでも、簡単なポンチ絵程度ならばひょいっと描けるようになった。
クイズだけではなく「謎解き」「なぞなぞ」などを勉強・試行錯誤するうちに、知識一辺倒のクイズだけではなく、右脳や論理等を駆使したクイズも数問作れるようになり、ひいては、クイズそのものを苦手とされる方に向けてのアピールも多少なりともできるようになった。
次回8月の新刊は「クイズレシピ」と称し、あらゆる場面で活用できる各種クイズの「作り方を紹介する本」を頒布予定だ。

インタビュー等含めた雑談で、時折「次の作品はありますか?」と問われるたびに、僕は「自分の今できることではなく、自分ができないことに挑戦したいです」と答えている。
それは紛れもなく本心で、できないことがあるとつい手を出したくなる、ダメなら後回し、手応えがあればさらに挑戦、と、これはもう自分の意固地な性格を表しているのかもしれない。

補足すると、あくまで「小冊子」という形でのクイズ本は、よほどのことがない限り製作しない、という話だ。
僕は今もイベントがあるたびに、求められてもいないクイズを数問用意したり、動画を含めたヴィジュアルクイズ、音声クイズなど今も懲りずに制作・探究を続けている。何かのきっかけがあれば出題する気満々だ。目標は「3分間ひたすらクイズを読み上げるタイムレース」だ。

だからこそ「できること」ではなく「やってみたいこと」に焦点を絞り、次回イベントに向けてまた新しい本の作成に着手したいと思う。

さて、5ヶ月後に迫った秋に向けて、何を作りましょうか。



2020年6月7日日曜日

踏み出す一歩と「失敗」 僕が叱責を避ける理由

少々暗い話から綴ることを了承願いたい。

 僕の人生はこれまで本当に「怒られてばかり」だった。
 親に、先生に、クラスメートに、上司に、部下に、と、範囲は多岐に及ぶ。試験問題を間違えては、書類をミスしては、道順を間違えては、etc…失敗し反省する以上に「相手から」キツく叱責された。何かを行動するに従い、必ずと言っていいほど周りから「迷惑をかけた」とガミガミ怒られる、その繰り返しだった。
 いつからか僕は、怒られる最中に「どうして僕は怒られているのか」「失敗し悲しいのは、怒っている「そちら側」ではなく「僕自身」だというのに」ばかりを考えるようになった。

 失敗することは確かに周囲への迷惑を伴う。
 周囲への未配慮は広範囲に及び、時として、次への足掛かりを大きく削られるほどのダメージに膨らむ場合もある。
 周りへの配慮が足りず、自分以外の「誰か」も気分を害されることがあるだろう。

 それでも僕は「自分以上に相手を叱責する側の気持ち」に寄り添うことがどうしてもできなかった。
 良きにせよ悪きにせよ、行動した結果、その身で学んだ何かしらの結果が生まれたのであれば、それで十分ではないか。

 叱責といえば、昨年くらいから、僕が一人で好きに振る舞う「番次郎書店」の運営方針を変えることにした。
 そのモットーは「打席に立てる幸せ」だ。
 ボードゲームに触れた当初の気持ちを、出展側に立つなんて想像すらできなかった時の、あの「ブースの向こうの相手が神様に見えた」あの時の感動を忘れないようにしよう、そう心に誓った。
 それと同時に「同じことを惰性で繰り返す」行為は極力取り払うことにした。
 もっと具体的には
「出展する際は、必ず何かしらの新刊・グッズを用意しよう」
「最新刊が常に最高傑作となれるよう、全身全霊をかけて創作に取り組もう」
 そんな「挑戦心」溢れる気持ちで各種イベントへと参加し、本を用意し、チラシを作り、暑い日には冷たいおしぼりなどを配って回った。
 成果はどうあれ、結果、こうして現在まで諸活動を続けることができた。

 できなかったこと、至らなかったことなど、イベントの時々で反省するべき材料はたくさん産まれる。助言も、時に厳しい意見をも、いただくことも多かった。
 けれど、何より今の制作環境は「失敗を直接叱責する相手が存在しない」、それだけで本当に幸せに感じるのだ。

 どうして僕がこうまで「叱責」を避けるのか。
 それは叱責の目的が「相手の気持ちを沈ませる」ことにも派生するからだ。

 「反省を促す」と大義名分を打ち立て、これがダメあれはこうしろなど「相手のことを思う」があまりの各種アドバイスが、次第に「自分の主義主張を相手に通したい」ややもすれば「相手の反省する絵姿を確認したい(=気持ちを沈ませる)」ことへとすり替わる場面がまれに生じうるからだ。
 そうなると、せっかくのアドバイスも「言霊を用いての操作」へとすり替わる。
 作家の京極夏彦先生も著書「地獄の楽しみ方 17歳の特別教室」の中で「言霊は、心以外には効きませんが、心にだけは効くんですよ」と語っている。

 
 挫かれ、沈んだままの精神では本当に何も生まれない。
 落ち込んだ気持ちの相手に必要な助言は、的を射たアドバイスではなく「まずは浮上できるまでの休息」だ。
 執拗に(時に自分から)ダメージを受けた結果、そこでバタリと倒れてしまったままでは、次に向けて反省、挑戦する行為そのものを躊躇することに繋がってしまう。

 挑戦、すなわち「次の一歩を踏み出す」ことで、そこから新たな「選択」が生まれる。
 このまま進むも、別の道を探求するも、まずは「挑戦」の種を育むことに傾注しなければならない。

 何がとはいえないけれど、今週、僕は叱責されてもしょうがないほど無茶な行為をしでかした。
 それでも周囲は笑って受け答えし、僕も笑顔を作りながら「次はこうしよう」「次はもっとこうしたい」と前向きな気持ちで反省することができた。
 叱責され、萎縮しなかった、それだけでこうも軽く自分の気持ちや反省を受け入れられることに心底幸せを感じながら、僕はまた小冊子の執筆作業へと向かうことにした。
 
 まとまりのない気持ちを解きほぐすことは難しいけれど、この失敗から生まれた新たな息吹が、次にお会いできた時、また一周り大きく成長できた姿として認められますよう、これからも小さな当ブースを温かく見守っていただけたら嬉しいです。

笑われて、笑われて

 5月から心機一転開始した日々の4コマが、今日で150話、2年間ちょっとに及ぶ過去の連載文を含めると794話と、800話も目前となった。 今度の4コマも無事に2巻目の入稿を済ませ、次回イベントで1,2巻も含めた初めての頒布となる。 日々苦しい執筆だった。 心に響くしんみりとした言...