数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。
技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。
以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴した。その後にアドバイスされた「承認欲求の塊」も、この「未完成状態で見て見てと叫ぶ姿が滑稽に映ったからだろう。
目に見えるもののノイズが多すぎるから、必要な情報しか入れたくない、という理論は、自分で物事を精査せず、相手に自分好みのツイートを促す(矯正する)ようで、それはそれで使い方としてどうなのかと疑問に思った。ちなみに現在は何も連絡していなければ、相手がどれほどの有名人だろうとも金輪際応援はしないつもりだ。
世に出すことの恥ずかしさは、4コマ連載当初に感じて以来、作品を尻込みすることそのものは無くなった。
「面白くないかな」と自分の中でネタを精査することならままある話だ。
それはクイズの本もそうだった。2冊目の本を出した頃からアドバイス人間の多さに悩まされ、一度はクイズ制作をキッパリと辞めることも宣言したくらいだ。それ以外の道を模索しようと4コマを頑張った副次的な作用はあるが。
そんな発表数も1000話を超えた。数打った鉄砲は未だ当たる気配を見せない。
しかしながら、撃つなと矯正する人間は必要ない。
自分は自分のやり方を信じたい。