2021年6月18日金曜日

相手を通じて自分を「見る」

 6月18日(金)


お金をあまり気にせず、感染症対策を入念に、今日もご挨拶に回ることにした。

4コマを描き上げたあとで、あまやどり様、コロコロ堂様にご挨拶に回った。

両店のお店で、あいも変わらず問題作成のために1人ひたすら説明書などを読みふけった。


作業に集中していると、周りの声、特にSNS周りの情報が遮断される。

後になって「40代男性1人の相席はさせない」なんてつまらないツイートが話題となっていたことに気がつく。

余裕がなくなれば、そんなことも考えてしまうのかもしれない。

コロコロ堂のお店の方としばしお話し、この時間の大切さ、お互いの余裕のなさ、などを話した。


手を動かすその先にある、自分でも見えない世界。

それはいつかの瀬戸口みづき先生が漫画に収めたように、周りから指摘を受けることで、自分として成し得ていくものかもしれない。


自分のことは自分ではわからない。

それは性格のことでも、業績のことでも、そうだと言える。


サークルとして活動する以上、人から見られていることを意識しなければ。


今日は帰宅後、サクッと問題作成に移った。

力を抜いたからか、20問ほどの問題をあっさり2時間ほどで作成できた。

それでも手癖で作った問題が多数なので、これからさらにオリジナリティを広げなくては。

それは何より自分を見る周りからの目線で訴えられる事項だ。


頑張るしかないのかと自分に言い聞かせ、また明日も少しずつ動こうかと思う。

緊急事態宣言も解除・緩和された国の真意は、ウイルスによる感染の脅威か、はてまて、苦しみの声を上げる世論の声を汲み取ったのか。

真意は定かではないが、自分もきちんと地に足を付けて明日も頑張れるようゆっくり休もうと思う。

2021年6月17日木曜日

休むという「怖さ」

 


6月17日


昨日くらいから頻繁に見るツイートに「休憩をすることで能力は上がる」という論文のツイートが発表になった。


筋肉の超回復の理論で、同意する意見も多く、論文全文を読んだわけではないが、その根拠もたしかなもののようだ。


日記も、4コマも、そしてノスゲムさんのキャスでも、周りからもう少し休むよう促されている私。


純粋に「たるむのが怖い」のだと思う。


元プロボクサーの渡嘉敷勝男さんが減量に苦しんだ頃、コップ一杯の焼酎を飲むよう指導されたそうだ。

アルコールの力を借りて体温を上げ、代謝を促進し、その後の練習に繋げるというコーチからのアドバイスだったという。

渋々飲んだ渡嘉敷さんは「世界で一番不味い酒だった」と語ったそうだ。


休むと筋肉がつく、その理論はわかる。今の体育会系の部活動も、積極的に休息をとるトレーニングを組み込んでいるし、私の記憶では米軍のトレーニングにも「休むこと」をワークサイクルに組み入れていたはずだ。


そこまでわかりながらも、手を止めることは純粋に「怖い」


この1日で周りからは確実に差が開く。だらだらしている自分、堕落した自分を、休みが明けた途端にキッと気持ちを切り替えることが、果たしてできるだろうかという不安。怠惰に負けてその後の業務に支障が出るのではないかという漠然とした不安。


真面目という言葉の真意が「小心者」「英断できない」という経験則だ。


作業をすることで得られる安心感は、まさしくブラック企業で悪い効率の中深夜まで残業するそれだ。周りからは努力賞としか言葉を受けない。


それでもなお、前に進もうと思う。


休むときはいずれ体が悲鳴を上げて勝手に休むだろう、と、甘く見積もっているからだ。


前のめりで倒れてやるさ。


ハードボイルドながら、割と本気でそんなことを考える1日だった。


気の弱さから今日は表立って外出ができなかった。明日こそはと誓う。

2021年6月16日水曜日

笑顔が戻ると

 6月16日


お金を使うことはある種の投資だという。


そう考えると、私は投資家として失敗しているのかもしれない。


4コマを描き終え、催促されたことを受けて浅草の喫茶あかねでコーヒーを頂戴する。

平日お昼の時間は至って静かで、店長と話をしながらコーヒーを堪能した。

ここでも「人柄ですよね」という話でまとまった。


夕方からはキャス配信を立て続けに聞く。

ボドラボDDTのちむ店長はこの度の支援に笑顔が戻っていた。

「笑顔でよかった」など暖かいコメントが並ぶ。

私も

「ツラさ苦しさを表情に出さないことが美徳とされる社会の中、声を上げることの大切さを学びました」

と返した。(文章一部書き足しています)


苦しい状況だったのか、と声をあげることは今の時勢としてとても大切な事項だ。

苦しさを隠して突然倒れては、周りも迷惑なのだろう。もっともこれは私のような管理者目線のセリフだ。


偉そうに語ってはいけないが、苦しさをひた隠しにする私も胸が痛む思いがした。

占いによると今日は絶好調らしかったが、そんなことばかり考えるうちに、絶好調のぜの字も感じられなかった。


お金に余裕はない。武士は食わねど高楊枝、の気持ちで、自分に向けての投資分を今日も自分以外の相手に回す。

正しいのかはわからない。

それでも周りの笑顔には変え難い。


問題作成は難航しつつ、何とか進んだような。

少しずつ進めましょうか。


笑顔が戻ると気持ちも前を向く、そんなことを考える1日だった。

2021年6月15日火曜日

捨てる神あれば

 6月15日


捨てることができず今に至る。

目の前にうず高く積まれたボードゲームの山も、そのうちそのうちと言いながら未だ手をつけないままだ。


断捨離とは、むやみやたらにものを処分することではない。

無駄だと思ったものを分別して処分し、空いた箇所に新たなものを吹き込む、といった流れだ。


動かないものを動かすことで、部屋の中の対流を促す、これは経済活動もそうだ。


今日は久しぶりにボードゲームカフェにお邪魔し、お客さんの頃合いを見計らい、博学のスイクン店長に問題をチャレンジしてもらった。


読みながら、出題しながら、問題のアラが発見できる一連の流れ、加えて、しばらく倹約生活が続いたからか、ボードゲームカフェの千円が多く感じるようにも感じた。

これも全て、暗く溜まった空気を循環させるための一呼吸と割り切ることにした。


大きなきっかけがなければ動かない、ではなく、小さなきっかけを元に大きなきっかけを掴む、と、自分の中で考えることにした。


些細なことがきっかけで、思いも寄らない道へと進む、これは我が国でも「牛に轢かれて善光寺参り」という諺がある通りだ。



献血もそうだ。最初は本当に金券(当時は五百円の図書券)がもらえるという下心丸出しの参加だった。しばらく時間を空けたのちに再開し、今回で92回目を済ませることができた。


捨てることが上手い人、すなわち、過去のやり方や経験に固執しないことこそ、次の大きなステップを踏み出せるのだろう。

自分の作品も未だクイズの本という領域から抜け出せないままではあるので、とても耳が痛い話だ。


血漿を抜き、少しだるさを感じた体には、数日もすれば新たな血液が生成されるのだろう。


もっと大胆に、色々と手放せたら、気持ちも方向も変わるのかもしれない。


明日もまた4コマに問題に、手放しつつ頑張ろうと思う。

2021年6月14日月曜日

派生する期待

 6月14日

ドイツ年間ゲーム大賞キッズ部門賞に、ブルーノ・カタラ作「ドラゴミノ」が選出された。


というニュースなのに、それを気にされる方は本当に少ない。


以前クルマリのuenoさんと「今年の年間ゲーム賞(ノミネート作のこと)、まったくチェックしてないわー」という話題で盛り上がった。

日本語化されている作品で比較的名前を聞く作品は「ミクロマクロ:クライムシティ」で、バネストの中野さんも一押しだった。次にパレオ、ファンタジーレルムズ、が続くだろうか。

それら作品をプレイされた方、そして自分の頭で感想を綴られた方は、本当に、本当にごく一部ではないかと思う。

今回のドラゴミノが、過去の同賞に輝いた「キングドミノ」のキッズ版だと認識される方はさらにさらに絞られる。


だからこそ問題に最適、とも言えるけれど、要は「そこまで情報を知ることの意味」を、つい考えてしまった。


作業中に流していた万屋楽団さんのツイキャスライブで、お二人から「どこに行こうとしているのか」をつぶやかれた。


本心を話すと、私もこの先がどうなるのかわからない。


そんなものだと思っている。


ほんの数年前、ワトソンという、あらゆる知識を組みこんだコンピュータをアメリカのクイズ王と対決させる企画が大々的に行われ、並み居るクイズ王を相手に優勝してしまった。


その報を聞き、私も第一印象は「すごいことなのかもしれない、けれど、それをどうするの?」と疑問が拭えなかった。


それらを解説したNHKサイエンスZEROでは、医療など人間の考える領域を発展させた考えのできるコンピュータの存在などを学んだ。その数年後に富嶽が登場、現在は多くのシミュレーションで活躍する身近な存在だ。


AができたらAのみにあらず、そこに派生するBやCの生まれる楽しみ。


それは努力して手に入れることのできた、大きなオマケのようなもので、私もそれを密かに期待しつつ、毎日の作業を行なっている。


漫画を描くことで、漫画に落とし込めるなりの考え方も身につくかもしれない。

どこかから別の依頼を受けた際、4コマでまとめる能力と画力が発揮されるかもしれない。

全ては未知数だ。


どうなるかはわからないし、それで食っていけるのか、と問われると言葉に詰まる。

それでも、前に進んだ先には、思いも寄らなかった偶然の出会いがあるかもしれない。


そう期待しながら、明日もまた頑張ろうと思う

明日は久しぶりに献血に向かう。

2021年6月13日日曜日

忍耐の種を蒔く

 6月13日


小学校の頃に読んだ「吉四六とんち話」だったはず。

ある日吉四六さんが隣の家との境に囲いを立て始めた。奇妙に思った奥さんが何をしているのかと尋ねたら「隣の家の夫婦ゲンカが移るといけないから垣根を立てている」と話す。

奥さんは笑って「ケンカなんぞ移るものか」と返すと吉四六さんは「いいや、移るものだ」と返す。

終いにはお互い道具を持ち出して今まさに大ゲンカが始まるかといったところで吉四六さんが言う

「ほら見てみろ、ケンカは移るじゃないか」


ツイート上をずっと眺めていると、悪い話題も当然目に入る。

意見したことに対し思うような返信が届かなかった場合、不安に駆られ、ストレスにも感じる。

詳しい話は省略するが、いわゆるSNS疲れと呼ばれる一つの形だろうか。


そんな時は心の中にサッとカーテンを下ろし、自分で避けるよう務めている。

本来は苦しい意見も体内に取り入れながらアップデートすることこそ大切だとは思うが、毒となる言葉はやはり毒であり、これはどんなお布施にも感謝の気持ちを返したお釈迦様でも、悪い言葉だけは蓋をして返さなかった話もあったことを思い出す。


制作は変わらず苦しい。

4コマもクイズも、なかなかネタの思い浮かばない中、脳の片隅に残った欠片を集めてネタへと昇華している。

見えない部分の苦労は、ことSNS周りにエンターテイメントが年中広がる今の時勢、伝わりにくいことなど承知の上だ。


だからこそ、自分だけでも「喜びの種」を蒔こうと思う。


4コマもクイズも、双方に通じる考えは「数秒でも楽しんでもらえる時間」を提供することだ。


笑うでもいい、興奮するでもいい、疲れた時の清涼剤とも、知識の栄養補給でも何でも構わないから、せめて数秒くらいは悪い考えの移らない時間を取って欲しい、が私の創作のコンセプトだ。


そのためにも、創作だけではなく、自ら発する苦い言葉は、なるべく心の中にしまうことにしよう。

問題提起はせず、自分の考えのままを、できる限りユーモラスに伝えよう。


最近のTwitterではそんなことを心がけている。


「君の心の庭に忍耐の種を植えよ

 その根は苦くとも、その実は甘い」

ジェーン・オースティン(イギリスの絵本作家)


2021年6月12日土曜日

海を見に行く

 6月12日


作れども作れども一向にノルマの減らないクイズ作成、と、並行して綴っている4コマ制作。どちらもその日の朝に考えをまとめ、編集するスタイルを取っている。

当日にまとめる理由は単純で、メモにもまとまらないほどアイデアが出ないからだ。朝ふっとしたきっかけでネタをまとめて、お昼前後に更新できたことは毎度毎度本当に奇跡である。


評判はどうあれ、更新することそのものに、毎日続けること自体に意味があると考えている。

ダメなら次、次、と回せば良い、基本はそんなスタイルだ。


にしても、


以前読んだ技術書「カタルシスプラン」では「相手に伝えること」を特に重要視した。

伝わらなければ評価すら手にできない

それは重々承知している。


毎度更新することで、多少の評価が得られる4コマと、一方で内容柄、秘密裏に制作するクイズ集、その両天秤にお昼はタガが外れてしまい、しばし無気力となってしまった。


こんなとき、真水を浴びに行くことをだいぶ前に勧められた。


山梨に住んでいた頃は、近傍の山中湖によくぼーっとしにいったもの。

横浜は浜というくらいなので基本は海岸沿いの街なのだが、砂浜そのものは電車にしばらく乗車した金沢八景に向かう必要があった。もう一方は鎌倉だ。


外に出ることそのものが億劫だったため、出発したのは14時30分を回った頃だ。到着したのは15時30分、しばらくの間、砂浜を散歩し、リラクゼーション音楽ではない生の潮騒の音を耳にする。


幸福論のアランや詩人の谷川俊太郎は、気分転換に海に行ったという。


寄せては返す波。

周りはビーチバレーの集団や潮干狩りを楽しむ子ども連れ、日光浴を楽しむ外国人観光客などさまざまだった。


大海と対峙する時間は、何か高尚なことなど思い浮かぶはずもなく、しばらくザザーンという自然の音に耳を傾けていた。

ぼーっとする時間、やはり頭の中は飽和していたのだろうか、頭がじんわりと痺れる感覚に陥った。

小一時間ほど堪能し、のんびりと散歩を兼ねて帰宅する。


問題のノルマは一向に埋まらなかったが、少しずつ前進できたことで自分を褒めることにする。

創作作業は長期戦だ。短期戦の勢いでスタミナを使い切ってはいけないのだ。


ツイートをひらけば心に悪い感情を起こすセンシティブなツイートも多い。

私が愚痴や悲鳴を口にすることで、それら火に油を注ぐ形になりかねない。

所詮オッサンの愚痴など誰も手を差し伸べてはくれないのだ。


それなりに考えをまとめ、その日暮らし、行き当たりばったりの創作活動がまた明日も続く。


見えない未来の不安を、今を頑張ることで切り開く、といえば多少カッコがつくかも知れない。

明日もまた同様に、体を壊さないよう頑張ろう。

リピートするが、創作は長期戦なのだ。

2021年6月11日金曜日

思えば遠くへ来たもんだ

 6月11日


今日の4コマも評判が良く(いいね50超え)更新後、かたときもスマホから目が離せなかった。これがいわゆる「いいね」の弊害だと実感する。

応援は欲しい、けれど、それにつきっきりになると、自分の作りたい作品が曇ってしまう、は、前回も気をつけた事項だ。

「ボードゲームのクイズを作っています」と大手を振って自己紹介してはいるけれど、今ひとつ伝わった実感もないし、「クイズ?何それ」がやっぱり印象に残るのではないかと思う。


今月と先月で約500問ほどの問題を作り、少しだけ当時の「なんでも作れそう」の勘が戻ってき始める。


500問、

思えば遠くへ来たものだ。

過去の自分の作品から、自分自身で実感できるほど、かなり遠くの方へ歩いてしまったようだ。


もちろんいい顔ばかりではない。リスペクトの気持ちを持たなければ、私の活動などすぐに破綻してしまう。


次の手、次の手、をどんどん考慮しなければ、一本でやっていくには私の力はあまりに頼りない。


夏の暑さに力つき、あれよあれよと時間は過ぎる。

土日は混み合うと考え、明日も外出を控えようと思う。


問題は作ってはボツに、4コマも今日はいくつかネタを生み出した中の作品だ。

そうやって自分の中のフィルターでろ過しながら、作品を磨き上げること。


それが私なりの個性なのだと思う。


不安は尽きない。

でも、今は走るときだ。


周りで応援される方のためにも、今は体に気をつけて走ろうと思う。


2021年6月10日木曜日

ぼんやりした頭の中で

 6月10日

パソコンのモニターの前に座り、何をするわけでもなくTwitterを眺めたり音楽を聴いたりといった時間が長くなった。

頭に入らないところを見ると、脳が、体が、少し疲労している様子だ。


ここ数日の夏日に加え、現在まで一円にもならないブログや4コマ、クイズ制作といった作業(作業と呼ぶのもおこがましいが適当な言葉も見つからないので)に明け暮れた。


思いを文章に、そして、行動に移すことは本当に難しく、やるぞと決めて手を動かさなければ一向に始まらない。


適当な箇所で見切りをつけ、休み休み最後まで片付け、疲労し、また休み、毎日がそのくりかえし。


問題も改めて整理し、29問というノルマを自分に課した。

問題ももっと精査し、さらにレベルの高い作品を目指さなければ。


4コマも、ここ数日は比較的反応もよく、今回のネタは40いいねを超えた。


自分の作品が世に出て、それなりの評価をもらう、その繰り返しが中毒となっているかもしれない。


フリートを開けば話し相手も増えるだろうが、おしゃべりに使うようなネタも時間もない。

一問でも多くの問題ができるよう、作品として形になるよう、遠方からの声を頼りに、今は頑張る時期だ。


もうあと十日ほどで緊急事態宣言も明けるという予報だ。


15日には献血の予約も入れた。


自分を磨くこと、陰で頑張ることで、見てもらえることがある、と、今は信じて頑張るしかない。


もっとかっこいい言葉を綴りたいが、ぼんやりした頭ではこれが精一杯だ。

2021年6月9日水曜日

コミティア136参加備忘録

 6月6日日曜朝、参加するか否か前日まで本当に迷った「コミティア136(自主制作漫画誌展示即売会、以下「コミティア」)」へ向かうことを決めた。

会場は東京ビッグサイト青海展示棟。

一昨年の秋にはボードゲームのイベント「ゲームマーケット」も開催された場所でもある。


細部コミティア136公式URL

https://www.comitia.co.jp/html/136.html


参加を決めた一番の理由は、普段出展側として参加する自分が、こうした情勢下、参加者の側として、どこに向かい、どこに目が行き、どう感じたか、などを、肌身を持って感じ取りたかったからだ。


本ブログは私個人の備忘録として綴る記事となる。読者の方で仮に参考になる部分があれば幸いである。



当日の出展側として参加された方のツイートを見かける。

本情勢下でどういった人の入りとなるか、どれだけの売れ行きが見込まれるか、全く予想はつかめなったと話す。

緊急事態宣言の只中、つい先日は同じコミティアの地方イベント、北海道コミティア14が中止となったばかりだ。

その辺りも、昨年秋、そして今年の大阪、春とゲームマーケットを経験した自分の肌感覚に似ている気がした。


来たる当日朝。

天候はあいにくの雨。開場は11時1

10時を少し回る時間に最寄りの東京テレポート駅に到着した私。りんかい線の乗車率は体感で7割ほど。座ろうと思えば詰めて座席に座れる、といえば想像できるだろうか。


コミティアの入場方法は、事前に「ティアズマガジン」と呼ばれるカタログを事前に購入するシステムだ。(税込1300円、当日の2週間前となる5月23日に発売)こちらのカタログの購入数で、当日の入場者数を把握し、当日の入場制限を含めた人数の管理を行うとのこと。


当日販売も多少あったようだが、当日販売は長蛇の列ができることを鑑み、事前に購入することにした。


カタログ付属のチケットに名前と連絡先を記載、入口でリストバンドと交換する形である。耐水性があり、汗で崩れたりといった心配はなさそうだ。


入場の数を掌握する目的もあるため、会場内でリストバンドを外すことは厳禁とある。


検温は異常なし。

「検温OK」と表記されたピンクのリストバンドを身につけ、いざ外の待機列へ。

案内された待機列では、すでに多くの参加者が4列を守り並んでいた。



雨模様ということもあり、皆が傘をさして列に並ぶ。


コミックマーケットでは「周りの迷惑になる」という理由で、たとえ雨でも傘はささないことがエチケットとされたが(レインコート等はOK)、他人との傘がかからない距離間隔は、いわゆる「密」を避けるという意味でも良かったのかもしれない。「ちょうど傘の間隔を空けてお並びください」とスタッフからのアナウンスもあったほどだ。


待機列同士のわいわいと話し合う姿も見えない。それだけ周りも感染症対策に留意した上での参加ということなのだろう。


一旦動き出した待機列は、そのままの流れで入場口へ。

長く見えた待機列ではあったが、入場できた時間は11時15分ごろだった。


さて、参加自体を当日に決めたこともあり、事前の情報は、カタログにざっと目を通し、欲しい作品を2、3見繕った程度での参加だ。

カタログはサークルカットもそうだが、各サークルのおすすめやインタビュー記事など読み物として十分楽しんだ。


序盤から各サークルの元へスムーズに廻り、目当ての小冊子を物色する。幸い長蛇の列に並ぶことはなく、目的の買い物自体はものの15分ほどで終えた。


参加者でごった返し通路は歩くことすら難しい、といった以前のコミックマーケットとは雰囲気も大きく異なり、出展ブースの数も少なめで通路も大きく開いた分、通路は歩きやすく、周りのサークルがどういった作品を出品しているかを遠目でも確認することができた。



会場内をぶらぶら探索することにする。

幸い、コミティアは各サークルが「ジャンルごと」に位置どりされているため(「島」とも呼ぶらしい)カタログ付属の地図があれば、「欲しい作品のジャンル」がわかるようになっている。


地図を頼りに各ジャンルの作品を見て回る。私の目当ては主に「評論」「デザイン」などだ。

地図を片手にうろうろする自分が、以前ゲームマーケットの出展テーブルから眺めた来場者の姿に投影されたようだった。


事前にどんな作品が出品されるかといった事前の情報収集を怠った私にとって、サークル出展者の情報はスマートフォンでもカタログでもなく「各ブースのポスター」だった。


 大きなポスターに、今回イベントの出展作品が大きく掲示されているサークルは、うろうろする私にとって何よりも目を引いた。

 特に、今回各サークルが「頒布したい!」と強調された作品が一枚ドーンと描かれたポスターは特にインパクトが大きかった。

 以前自分も失敗したが、ついあれもこれもと「メニュー表」のようにレイアウトしてしまう。それはテーブル上のお品書きリストの役割で良いのかもしれない。

 また、こうしたイベントに不慣れな自分にとって、自分の現在地を掌握できる「現在のサークル番号」が合わせて記載されているポスター、お品書きにはつい目が止まった。


 応援するサークルの方へ、出発前のスーパーで調達した麦茶を手渡す。

 これも「青海展示棟はトイレも自販機も離れているので頻繁に通えない」ことを見越した自分の経験則に基づく。喜んでもらえてこちらも嬉しかった。こうした出展者・参加者相互のやりとりができるのも、オフラインならではの楽しみ方だ。



 仮設とはいえ青海展示棟はそれなりに広く、ぐるっと一周を歩くだけでも相当な距離となる。

 逆に考えると、全体をぐるりと2周し観察できるほどの余裕を持つことができたとも言える。


その後、買い逃しはないか全体をもう一周散策し、2時間ほどで会場を後にした。


 人手は少なかったとはいえ人の熱を甘く考えていた私は、帰りの電車では汗びっしょりのままとなった。



帰りながら今回気がついたことをおさらいする。


1 ポスター、掲示物のインパクトは重要


  後ろのポスターや、大きくサークルロゴ・キャラクターの描かれたテーブルクロス等で興味を惹かれた作品は、次にもう一周しようと決めた際のきっかけとなった。

 これも先にあげた「全体を眺める余裕」から生まれたものだろうと推測する。

 あれこれと細々描かれたものより、大きくドンと「今回の売り」を掲示するインパクトは、本当に大事だと実感できた。


2 整頓されたテーブルは重要


 作品をテーブルにポンと配置された作品より、クロスを引いたり、見本誌を用意したりといった配慮のなされたブース運営の大切さを改めて実感した。


 大手出版社のブースは作品も綺麗に整頓されていたので、自分もじっくり研究した。


 目を引く彩色のお品書きや簡潔にまとめられたお品書きリストは、それだけでも「作品への愛情」を受け取ることができた。

 細かい配慮だが、いざ購入する段階で背中を押す重要な要素だと実感できた。

 また自分が本を出すサークルということもあり、各出版社が無料で配布する「色彩事典」や「紙質の見本」などは大変勉強になった。

 次に立ち寄る際も、決して派手さはなくとも「テーブルが整頓された」サークルの方へと自然と足が向いた。


3 イベント外での活動も重要


 帰り際のタイムラインでは「会場内で頒布した作品は、BOOTH(個人通販)や委託店舗を利用し通販を行う」旨の流れをちらほら見かけた。


 会場では余裕を持って購入できた作品も、後日通販に並ぶや否や即座に完売となる作品もTwitterのタイムライン上で数多く目にした。


 こうした頒布の経路をいくつか持つことも本情勢下でのイベントにおける一つの特徴なのだろう。

 

 ツイートを検索すると、やはり「当日参加したかった!」などのツイートが数多く並ぶ。個人的な都合のほか、業務的な都合での参加を見合わせた方も大勢いらっしゃった。

 

 それゆえ、事前の告知を含めた広報や、多岐にわたる販促手段を確保することも、しばらくは頭においての活動となる、と改めて実感した。


 販促活動以外に、運営本部も「#エアコミティア」をつけ、SNSを通じたイベントで盛り上げようと努力された。

 こうした運営サイドの努力も、ゲームマーケットライブ中継「ゲムマライブ」に通じる気がした。


振り返って


「宇崎ちゃんは遊びたい」作者「丈」氏のツイートを引用する


それはもうひどいスランプに陥ってなに描いても全部駄目で先週丸ごと無駄にしてしまってて生きる気力すら見失いかけてたんだけど一か八か昨日コミティア行ってみたらちょっと復活してきた

同人イベント会場の空気でしか得られない栄養は確かにある

(引用元:https://twitter.com/syokumutaiman/status/1401753820774895618?s=20


 以前も私は「なぜそうまでリスクを冒してまでゲームマーケットに参加するのか」を自分に問うた。


 出展側となった際にそれは実感できた事項だが、参加者の方から受け取るエネルギーは本当に多い。

・自分の作品を目当てに購入してくれる方

・サークル名だけは頭にあり、当日新刊がないかご挨拶してくださった方

・作品は知らなかったが、説明をして作品を購入された方

等々、次への大きなモチベーションを受け取ることができた。


 逆の立場となった場合はどうだっただろう?

 

 参加者の側に立ち、改めて参加する側からも、出展者の熱意あふれる作品の数々を手にできた。

・読者としての感想を直接伝えることができた

・制作者から直接手渡されたときの制作者の笑顔を伺うことができた

・思いも寄らない箇所から自分の好きな作品、興味の湧いた作品を、制作者を通じ発見することができた

 作品の一つ一つから溢れんばかりの熱量を、綴られた文章やイラストなどを通じ、本当に多く受け取ることができた。


 資金に限度があり、また事前の予習不足も災いし、欲しいと思った全ての作品を手にすることができず、帰宅後に歯噛みする思いもした。

 購入するだけのイベントに留まらず、参加者、出展者、運営スタッフ相互が「安全安心を第一として、より一層界隈を盛り上げよう」と、長期間かけて制作された出展各作品は、今回参加者の側としてより多く購入できた作品の包みとともに、しばらく自分の中の一番のモチベーションとなる。

 先の引用元の「同人イベントの空気でしか得られない栄養」を自分なりに解釈すると、だいたいそんなところだ。  

 そんな目に見えない栄養こそ、創作を続ける自分にとって一番の収穫だと学んだのである。


笑いながら進もう

 


6月9日

昨日から続く夏日で身体も疲労に達した。

朝は久しぶりのランニングだったが、案の定、体も心臓も鈍っており、異常なほど心臓がバクバク言った。少し間違うと倒れるかもしれない。


4コマも何とか更新できた。

二日前に自分としてはかなり良い反応を頂戴できたので、それに引きずられないよう注意を払った。

Twitterでバズることの弊害は、脳が、体が、バズった時の状況を学習してしまうことだ。

作りたい作品から「バズるための作品」へ

シフトチェンジすると、本当に自分の描きたい作品が曇ってしまう。

適度に、ほどほどに、何より、創作の根幹を「自分の表現したいもの」に据えること。

簡単なようで、反応の数を気にしてしまう私にとっては、やっぱり難しい。


週末は天気が荒れるとはいえ、この暑さに夕方からは冷房を入れてしまった。

体温の上昇はそれだけで疲労を伴う、これも以前サロマ湖のウルトラマラソンで学んだことだ。

それだけ人間の体は繊細にできている証左だろう。


支援先のお店や個人の明るいツイートが目立つ。

自分も周りに支援できるほどの余裕はないが、それでも周りの笑顔を見ることは、自分もそのお裾分けを頂戴するようでとても気分が良い。

もっと資金が潤沢ならば、お店を貸し切ってボードゲームクイズイベントを大々的に行うのであるが、これも致し方なし。まずは自分の境遇から。


頑張る頑張ると何度も口にしながら、今はとにかくできるところまで。

問題の精査もここまで順調。明日もまた問題の制作が続く。

誰かが待つ、その日を夢見て、笑いながら明日も進むしかないのかなと思う。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...