2020年4月26日日曜日

熱伝導の話 自粛期間制作日誌その5

3.11、震災の話を少しだけ話す。

僕の実家である鹿児島は、東北から距離はあったものの、連日流れる復興関連の番組に、ついに両親が根を上げるようになった。
震災関連の報道が流れるたび「テレビを消せ!」と怒鳴るのだ。
しばらくテレビから離れるどころか「復興に向けて頑張ろう!」といった言葉すら、あたかもアレルギーでも生じたかのように強く拒否を示した。

こうの史代著「夕凪の街、桜の国」のあとがきにも、著者であるこうの氏が「戦争を怖いだけの昔話にはしたくなかった」と言葉を綴った。
強いストレスに接すると、人間の身体はそれに強く抗う、だけではなく「ストレスを自ずから避けよう」とするのだと、これも脳科学か何かの書籍で目にした。

忘れよう、なかったことにしよう、
そう落とし込むことで、目の前の苦しみから一時的に逃れることができる。
決して「逃げちゃダメだ」といった自発的な行為ではなく、ストレスに耐えきれなくなった身体の拒否反応、防護反応ではないかと自分は考えている。

都内で発令された緊急事態宣言から、早1ヶ月を迎える。

先日、今日と、主催を手がけるゲームマーケット公式のTwitter(@GameMarket_)から「#知ったかゲムマ」「#エアゲムマ」開催のお知らせツイートが流れてきた。
「いろいろ自粛で心も憂鬱 そんなストレスをぶっ飛ばせ!」
そう銘打たれた「架空のゲームマーケットを創作するツイート」は、ゲームマーケット当日を予定した土曜日、多くの出展予定者、来場予定者が「#エアゲムマ」のタグをつけ盛り上がりを見せた。
実際のブース運営や、はたまた、ありもしない空想上の現場など、参加者の一人ひとりが、あたかも青海展示棟の様子を実況するかのように、我も我もと様々なツイートを展開した。

目を逸らしたい現実。
それに真っ正面から顔を上げる行為は嫌が応にも大きな苦痛や絶望を伴うものだ。

それでも、逃げることなく絶望を飲み込み、次へ、次へと前を向く姿勢、時にそれは己が苦痛をさらに伴おうとも、挫けたものに手を差し伸べ、うつむく人間一人一人の手を取るような姿に、僕は見て取れた。


ニーチェもこう語る。
「あなたがたが絶望におちいっていること、そこには多大の敬意を払うべきものがある。なぜなら、あなたがたはあきらめることを学ばなかったのだから」
(「ニーチェ著「ツァラトゥストラはこう言った」第四部 「「ましな人間」について」より)

逃げなかった。
走り出した。

その熱量は、周囲に伝播し、周りを心強くサポートする。

制作の熱を閉ざし、希望を絶やさんとする存在は、いつの時代も、厄災の審判を下す神様でも、恐怖に陥れる悪の大魔王でもなく、すべからく人間自身の行動に帰結するものだ。
しかしながら、逆もまた同じ。
頑張ろうという小さな熱量もまた、相手の心へと強く伝導する。
熱が熱を呼び、ろうそくがたいまつへ、たいまつから照明灯へ、と呼応するかのように、次第に大きな光が灯され、人々の向かうべき道先を照らす。

「正直いまは「前向いて行こうぜ」なんて軽々しく口にできる状況ではなく、本当に生きるか死ぬかだし、精神的なものも含めて病気は増加し、犯罪も増加するだろう。それでもなお、ゲームを作って行かなくてはならないと思う。」
(引用元 ;https://twitter.com/kariyakeiji/status/1253862927662084099?s=21

ゲームマーケット事務局長の刈谷圭司氏は自身のツイートでそう語った。

 僕が目指さんとする制作の根本は、どうやらその辺りに眠っているのではないかと最近は考えるようになった。
 創作を動かすエネルギーとは、泉の如く自然と湧き出るものではなく、周りの創作熱に感化される形で、己が体内に秘められたエネルギーが周りと強く共鳴するかような、そんな形だ。

 だから僕も、何か手を動かそうと決めた。
 絶望に真っ向から立ち向かい、決して逃げることなく、少しずつ歩みを進めよう、そう改めて誓った。


 3月末から続くこの自粛期間日誌も早5週目となった。
 来週末は5月、新緑の季節を迎える。
 見る者を楽しませる草花が役割を終え、種子を育み、若い木々へとバトンをつなぐ時期とされる。
 自分に貢献できることは何か、なんて大それたことなど考えるに及ばない。けれど、僕が今できる全勢力を作品へと傾注できうるならば、小さくとも何かしら周囲を動かせるに違いない。

そんなことを願い、僕は今日もまた4コマに動画にと悪戦苦闘するのだった。





2020年4月19日日曜日

春キャベツの話 自粛期間中の由無し事

コロナ禍の御時世ではあるが、春本番を迎えた今の時期に春キャベツが店頭に並ぶ。
普通のキャベツより数倍も甘く、生でも茹でてもOKのオールマイティ選手だ。

春キャベツが甘い理由を、耳学問ではあるが「厳冬を迎えたから」と知った。
厳しい環境を迎えると、「ジッと耐えられる」よう、キャベツ自ら糖分を生成し、多くのエネルギーを蓄えるのだという。

この1週間も、先週と同様、限られた範囲の中で、自分のできることに傾注し日々を過ごした。
ペンとさいころのろいさんらが主催の「VAGE」にて初のオンラインイベントに参加した。
先週くらいから「毎日ボードゲーム動画クイズ」と称し、パワーポイントやフォトショップ等を駆使した映像クイズの開発、再現に時間を取った。

先週無事に入稿を終えたことだし、この1週間はもっとぐうたらしても良かったのかな、とは思う。

それでも何か手を動かさなければ、落ち着かなかった。

中野kurumari店長のウエノさんと軽くお話をする機会があった。
曰く「少しでも会話のやりとりがあると楽しいですね」
閉じこもる生活の中で一番苦痛なことは、自分にとって何より「外部と直接のやり取りが遮断されること」だった。
巷では「三密」「ソーシャルディスタンス」の言葉が飛び交い、相手との距離を遠ざけて生活するよう叫ばれている。
金銭的なやり取りは元より、何気ない日常の会話すら阻害されることは、こと独りの生活が長い自分にとってもやはり苦痛でしかなかった。

ニンテンドーSwitch「あつまれ!どうぶつの森」も僕のTLでは活況だ。
デザインを遊んだり、珍しい魚を釣り上げたり、といった従来の楽しみ方のほか、株価に相当するかぶのやり取りのほか、オンラインコードを駆使し、他のプレイヤーの村へと遊びに行く、招待する、そんなプレイスタイルを多く目にする。

オンラインゲームのフレンドコードをTwitter上でやり取りするなど、ボードゲームも、直接遊んだプレイ風景や感想をやり取りするスタイルから、インターネットを媒介し遠方の知人同士でワイワイプレイする、といったスタイルも、この3、4月くらいから頻繁に目にするようになった。

僕は、というと、相変わらず「自分にできること、提供できること」を日々考えながら変わらぬ毎日を過ごしている。
毎日制作するボードゲーム動画クイズも、一人黙々と、というより「楽しんでもらえる相手」を目の前に置くことが何よりのモチベーションだ。
そうした意味では、一人孤独に頑張る、なんてカッコいい姿ではなく、やっぱり努力した目線の先には相手の喜ぶ顔がある、ひいては「一人孤独に生きる」なんて、やっぱり自分には難しいのだろうと思う。

コロナが開けた頃、ちょうど暦の上で初夏を迎える。
5/6といえば、約3週間後に控えた昨年のゲームマーケット春2日目に向けてチラシやポスターなど細かな部分の制作を開始した時期であり、ついでに加えると、自分の42歳の誕生日でもある。
ゲームマーケット当日は5月にもかかわらず日中の気温が30度を超える日だった。
米大統領夫人が御台場にいらっしゃるとのことで、都内近隣はゴミ箱が封鎖されるなど厳戒態勢が敷かれていた。
昨年は昨年で、(気候の面とは別に)何かしらの制限があり、そんな中でも「仕方ないね」「こう対策するといいよ」と様々なアイデアが飛び交ったことを思い出す。

冬季に蓄えた養分が、暑い夏を前に、遅咲きで芽吹く頃。
同時に農村では田植えが始まり、苗床で育てられた稲が水田へと植えられていく。
ひとつの結果が生まれ、同時に、そこを起点として、始まりを迎える。
5月が間近に迫ると、僕は未だ暁を覚えぬ頭でそんな言葉を妄想する。

「ともに頑張りましょう」
今はただひたすら「自分のできることをこなす」のみだ。

2020年4月12日日曜日

多くの目を持つ「チカラ」

毎回楽しみに拝聴しているスプーンラジオ(ポッドキャスト)「万屋楽団のそれなりな日々」第84回が先日配信された。

リンク先「万屋楽団のそれなりな日々「第84回 3月のLight and Geekと営業自粛について」の巻」」
https://yorozuyagakudan.com/2020/04/08/podcast084/

今回は特に京都府に店舗を構えるLight & Geek店長を務めるサンジョウバさんの経営手腕が(冒頭のアサトさんのお話も含め)評価される回だったように感じる。

実際に聞いてもらうと早いが、来店者数、新規入会者数、曜日ごとの来店者数や一人当たりの滞在時間、席数に至るまで、3月の集客情報を様々な角度から俯瞰し、売り上げや客層の詳細に分析する回だ。

僕は経営面に関しとんと素人だが、拝聴しながら、サンジョウバさんの持つ「多くの目」が、すごく素敵で、たくましいと感じた。

多くの目を持つことは、持ち前の強さばかりではなく、メンタル面もコントロールすることができる。
ざっくり野球で例えると、ストレート一本で勝負する投手と、様々な球種を使い分ける投手と、で、バッターに対する対応が異なる。投球前に悩む量は前者が、仮に崩れた場合の悩む量は後者が、それぞれ比較的負担が少ないと言える。

多数の視点を持つことは、周りを見る視点であり、ひいては「自分を省みる視点」を持つことにつながる。
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」は孫子の一節からの引用だが、さらに掘り下げると、自分を知ることで余裕が生まれる。余裕が生まれると、適度に相手を牽制しつつ硬い守りに入ることができる。そして生まれた余裕を持って、周りに手を差し伸べることもできる。

戦術の面でも、予備戦力を多く保持する戦法は、特に浮動状況下で真価を発揮する。

(もちろん、ボードゲームや囲碁・将棋・麻雀などを嗜まれる本ブログの読者にはブログにまとめるべくもなく自然と身についた話ではないかと思うが。)

周りに差し伸べたその手は、別の人間がさらに手を伸ばしてくれる。そうして次へ、次へ、と等比級数的に幸せが連鎖し、増幅する。

知識なり、経験なり、とっさの場面で打つことのできる「次の一手」を幾つ引き出しとして控えているか、は、先のアナログゲームならば特に「実力」につながると直感的に理解できる。

ラジオ配信の途中にはこんな言葉も飛び出した。
「みんな(お客さんが)お金を払う気満々で来ている」

緊急事態宣言が為され、多くの方が外出の自粛、行動の制限を余儀なくされた。
悲観する方、逃避する方の一方で「次はこうします」「これから○○します。ご一緒にいかが」と、先へ先へと視点を変え、周りに手を差し伸べる方も数多く目にする機会もあった。
ボードゲーム界隈もボドっていいとも!の翔さんをはじめ、ツイキャスライブ、YouTube配信等で新作の応援をされる方、ペンとサイコロのろいさんが展開する「まいにち共通広場Live!」のTable top simulator等、オンラインでのボードゲームプレイも活況を見せている。

「ダメなら次」の目線を変えるチカラ、手を伸ばすチカラ、
そのためには苦しくツラい状況下の自分を慰め癒し、時に騙し騙し体を動かしながら、キッと顔を前に上げる強さも必要だったはずだ。


暗い話題が飛び交う昨今、こうした「人と人との温かみ」を実感する配信回だった。
僕もそんな「周りを幸せに」する、できる人間に向かうために、もっともっと勉強しよう、読書しよう、と、心に決めた。

2020年4月5日日曜日

動かすこと 


自宅での活動自粛生活も早2週間が経過した。
2週間前の外出以来、自宅から半径300m以上の外出は控えている。
お金の振り込みと軽い買い物、時折外に出て散歩をする程度だ。

自宅にこもってばかりいる環境は、とにかく目の周りの「物」が動かない。
当たり前のことだけれど、意識をして換気や片付けなどを行わない限り、目の前の本や手帳など微動だにするはずがない。
「引きこもりながら読むぞ!」と枕元に積まれた本も、「読むぞ!」と意気込まなければページすらめくることができない。
さながら「冬眠の熊」のように、周りの動向を伺いながら、ひたすら消耗を抑えてジッとする、ここ数日はそんな日々を過ごした。

買い物のため外を出歩くと、木々がそよぎ、風が吹き抜け、親と子どもの他愛もないやりとりが耳に入る。
普段は感じることのできなかった「自然のうつろい」、それを肌で、内蔵で。直に感じとることができた。
「退屈だ」と感じる由縁は、自分にとってどうも「変わり映えのない世界」に身を置くことであり、己に秘めた「変わりたい」の気持ちから大きく乖離しているからだろうか、などとぼんやり考えた。

俗な話ではあるが、ボードゲームの最中に、行動を制限され、動きたくても自由に動けない状況を「苦しい」と表現する。
職場でもプライベートでも「やりたいこと」を咎められ抑えられ、やむなく行動が制限される「苦しみ」と、言葉の他に意味合いも相通ずる。
それは自分の中の「変化したい」の欲求が鬱積し、発憤できない苦しさ、と、無理やりまとめてみた。


SNSでは絶え間なくツイートが流れ、動く。
有用無用問わず様々な情報が、秒単位で変化を遂げながら「動いて」いる。
絶えず流れる情報、動かない動けない自分。
自由のない束縛された苦しさは「退屈」の苦しさとも連動する。
そんな「退屈」ばかりを味わうと、次第に部屋の中で「自分の存在について」と出口のない哲学と格闘する羽目になる。
退屈の誘惑から懸命に逃れつつ「そんな中でもできること」を模索することにした。

小冊子の制作を継続することに決めた。
制作中の漫画、クイズ本等の創作に関し、手を緩めず、少しでも前へと体を動かすことにした。
それでもメンタルとシンクロする僕の諸活動は、ネタに苦しむ日やデザイン、レイアウトに苦しむことも度々あった。
頒布できる場所なんてわからない。
それでも手を動かし、どなたか欲する方のもとへと届ける算段を思いあぐねる時間は、幸せを味わうことができた。
ペンを握り、メモを取りまとめ、頭の中を紙媒体に起こす作業は、何より精神の安寧となり、いつしか「届けたい」の気持ちを上回る「世に生み出したい」が念頭となった。
4コマのレイアウト作業のほか、クロスワード本のPDF化、チラシで使用するクロスワードの手直しなど、気の向くままに手を動かしているうちに、1週間は瞬く間に過ぎ去った。

物理的なものも積極的に動かすことにした。
元来お金がないどころか、小冊子の売り上げの他にまとまった収入のない自分にとって、できる支援などたかが知れた。
それでも周囲の苦しむツイートに心を痛め、目に止まったお店には微額ながら支援・購入を行った。
その際は、できうる限り応援の気持ちも添えることにした。
「ご無理をなさらず」「お体ご自愛ください」
定型文とならないよう、ありのまま気持ちを言葉に乗せ、リプライするよう心がけた。

先週から続く引きこもりの2週間は、そんな「未来への勝手な妄想」に明け暮れていた。
今はまだ先のことなどわからない。そもそも、未来のことなど誰も知る由もない。
だからこそ今は、下へ下へと根を張ることに従事したように思う。

「明けない夜は無い」しかしながら、いつまでも暗闇の続く御時世では、ゴールも補給地点もないマラソンを延々と走らされているようにすら感じる。
それでも僕は、いつか迎えるであろうゴールまで、必死に走り続けようと思う。
自分だけではなく、皆が揃ってゴールのテープを切ることができるよう、無理のない範囲で手を差し伸べようと心に決めた。

そしてまたいつか、みんなで笑いあえるその日まで、日々明るい方向へと道を伸ばして行こうかと思う。

笑われて、笑われて

 5月から心機一転開始した日々の4コマが、今日で150話、2年間ちょっとに及ぶ過去の連載文を含めると794話と、800話も目前となった。 今度の4コマも無事に2巻目の入稿を済ませ、次回イベントで1,2巻も含めた初めての頒布となる。 日々苦しい執筆だった。 心に響くしんみりとした言...