2021年11月1日月曜日

笑われて、笑われて

 5月から心機一転開始した日々の4コマが、今日で150話、2年間ちょっとに及ぶ過去の連載文を含めると794話と、800話も目前となった。


今度の4コマも無事に2巻目の入稿を済ませ、次回イベントで1,2巻も含めた初めての頒布となる。


日々苦しい執筆だった。


心に響くしんみりとした言葉も、淡い恋愛のドキドキもない、すべて「お笑い」の漫画だからだろう、応援の言葉も少なく、それどころか「毎日更新だと応援しづらい」なんて言葉をもらった。当然、周りの華やかな漫画に比べ、いいねの数もそんなに多くはない。


ただ、自分は他よりも大変なことをしている、大変な縛りを入れている、と言い聞かせ、誰よりも頑張っている、と言い聞かせるより他にない。


一人作業はとにかく大変で、作業中、とりわけ創作作品に熱を上げすぎるあまり、自分自身の存在が見えなくなってしまう。

何をしているのか、もっと楽できないか、周りは次に進んでいるのに、なぜ自分は。

そんなうちなる声を嫌が応にも対峙しなければならない。


そんな声にもめげず、発表に漕ぎ着けると、次は外からの声だ。


先のブログにもあげた「批評家」から、こうだああだ俺はこう思うよく勉強しろなどとありがたい忠告を受ける。


「いいねはつけないけれど応援してます」という言葉にだって、何度となく苦しめられた。


それでもめげずに更新できること、そして「定番の展開」から逸脱すること、

それらを含めた今回の150話目の更新だ。


Twitterを眺めると、今日も本職の漫画家や神絵師の描くプロの作品が、(時にいやらしいものも含む)今日も暇を明かすことなく並ぶ。

並べられる私の4コマ。

誰からも褒められず、誰からも賞賛されず、それでもきっと私は明日もネタが続く限り「描き続ける」と決めた。


笑われて笑われて、強くなる

それは幼い頃にお坊さんから聞いたお説教の言葉だっただろうか。


私はまた明日も笑われる。

笑われるような漫画を描き、笑われるくらい地道な努力をする。


明日こそは自分自身の笑いの種が芽吹くよう、ひたすら笑われ、頑張るのみだ。

2021年10月30日土曜日

制作者に幸あれ! ゲームマーケット2021秋開催への雑感

練習のつもりで久方ぶりに手をつけた文章は、やはりミドル世代独特の「情感じみた」文体となってしまったことを先んじて謝っておきたい。

ひと段落ついた気持ちを綴った言葉の羅列は、なるべく読みやすく推敲したつもりだが、ところどころ目に余る箇所もあることだろう。気軽に流してもらえると助かる。



「作業に手をつけた瞬間から物事の半分は終わっている」と言われる。

困難な作業とは、一旦取り掛かったところで「すでに半分終わっている」

出展はたしかギリシャの哲学者か、現代心理学でも証明のあった言葉だったと記憶している。


登山やマラソンなど体を使うものに置き換えるとイメージしやすいだろうか。

スタート地点に立ち、一歩目を踏み出した瞬間に、レースの半分が終わる、いやむしろ、大会に応募した瞬間、当日に向けた体つくりの始まる、あの絵も言われぬ「気持ちのたかぶり」だ。


制作だけではなく、オンラインを含めた広報活動、長く続けるための体調の管理、そして出展に向けた当日までの準備、諸々含め、事前の準備は大変だろうが、それでも「恐れて」しまっては、「恐れ」の思うツボ、とも言える。


手を動かすことの大切さは、この2年間に及ぶ緊急事態宣言下、自粛生活下でイヤというほど思い知らされた。


コロナウイルスは確かに悪い相手だ。

しかしながら、あまりに「悪い相手」の姿形を作りすぎる、自分の都合すら「悪い相手のせい」に標準が向いてしまう。


厳しいこと、辛いこと、どうにもならないこと、など

それらをすべて「自己都合の悪い相手」に向けることで、たしかに精神衛生は保てるかもしれない。がしかし、それは反面、「苦しみの根本」を曇らせた眼鏡で見る恐れもある。


そしてもうひとつ、これも何かで聞きかじった知識だが、どうやら人間の脳は「やらなかった」判断を「自分はやった」と解釈して記憶すると聞いた。


よく「◯◯に参加します!」「◯◯を作りました!出します!」というツイートに、応援ではなく、引用RTで延々と「自分のやらない理由」をつづる人を見かけるのも、経験として「やっていない」はずのことを「すでにやり終えた」と誤認してしまうからではないかと考える。


先に挙げた「目の前の作業」も、手をつける前の不安をいかに払拭するか、から考えなければ、ずぶずぶと頭が「やらない理由」を考え始める。

面倒だから、時間がないから、応援の相手もいないから、加えて今回のウイルスだ。やらない理由なんてごまんとある。

そうしてやらない理由を考え始めるうちに、以後、「やらなかったこと」が自分の経験として、糧となり、軸となる。



「動こう!」

この2年間、無意識に自分はそう考えていたのではないかと振り返る。


創作者にとって不遇な状況の中、それでも手を動かし、創作を続けたサークルが、11月20、21日、ゲームマーケットというイベントで一堂に会する。


内面、外面の厳しい声もあったことだろう。それにもめげず、きちんと作品に仕上げ、同じ「販売する」というフィールドに立つサークルは、それだけで奇跡であり、それだけでもゴールに値するのではないか。



ゲームマーケットなどのイベントを「人に会いたいから」という理由で参加される方も、きっとそんな想いを胸にされているに違いない。


だからこそ自分は、笑顔で、そして、この情勢下で本当に苦しみうめきつつ、それでも手を動かし続けた結晶のようなものを届けにあがりたいと思う。


すべての制作者に、幸多からんことを。

2021年7月12日月曜日

目に見えない精神の話

 7月12日(月)


レイアウトに少しずつ手をかけることにした。

ノートに書いて、パソコンの画面に落とし、画面を調整する繰り返しだ。目に見える形にすると、抜けた部分が見えてくる。


その中で気がついたことがある。


世界樹の迷宮という私の好きなRPGがある。


その隠しダンジョンの話だ。通常のラスボスを倒すと現れる、難しさの髄を極めたダンジョンだ。制作者からの挑戦状とも受け取れる。


全5階層、最初は経路も長く敵も強いダンジョンだが、次第に落とし穴や全面ダメージ床なども襲いかかる。


そこで気がついた。

真のラスボスが眠る30階層は一本道である。実質、その一歩手前となる29階層がダンジョンの最難関となると言える。


その29階層は、ダメージ床でも、強豪ぞろいの敵でもない。

「ワープ地獄」の階層だ。


詳細は省くが、この29階層を「己が記憶を疑い絶望に叫んだ者達」と呼ぶ。

その一階手前が「流れ出る自身の血に気付き驚いた広場」だ。


何が言いたいかというと、体のダメージは回復アイテムや元々の体力も相まって対処法が確立されている。

一方で、冒険者を待ち受ける最大の難所が、自分の立ち位置がわからない、自分がどこを歩いているのか、進んでいるのか、戻っているのかすらわからない絶望の淵、つまり「精神的な疲労」だ。


見えない己の精神状態と対峙し、自分を信じ進むことが、どれだけ難しいことか。

先の29階も、ゲームだからマッピングなどの攻略ができるものの、実際の自分に照らし合わせるとどうだろう。


徒然草にも「体の汗は目に見える。心の汗は見えない」といった言葉が綴られていた。

一人で作業をこなすうちに、そんな心の悲鳴、疲労に注意を払いつつ、実は「まだ疲労が目に見えない」と甘くみてはいないだろうか。


もちろん制作の遅れ、他の制作者が美麗な作品で多くのツイートの反響を得ていることも、自分のそれに拍車をかけているのかもしれない。


戦うのは自分自身、信じるものは己のみ、哭きの龍はよく言ったものだ。


倒れるまで今日は頑張った。デザインもやめ時が見つからず、朝から晩までこの時間までずっと作業に従事した。

残業したからえらい、というツイートを横目に、黙々と頑張ることは、確かに美徳かもしれないが、それは心の衛生状態としてどうなのだろう?


あれこれ綴りたくなるのも、悲しい気分の時だからこそ。人は悲しいと詩人になるのだ。


明日はこの頑張りが多少報われますよう

七月は最高の運気だったことを今ふと思い出した。


2021年7月9日金曜日

身を削る

 7月9日(金)

ここ数日気を許して本を買ったりした。

本屋で一目惚れした本、前々から買い続けたシリーズ本など、様々だったが、改めて気づいた。

「本にお金を出すことをためらっている自分」だ。


現在の生活は無収入、今も生活に困窮する毎日だ。

そうなると優先順位はどうしても「食べ物」になってしまう。遊ぶこと、衣装など着飾るものはどうしても後回しになってしまう。


そんな中、食費を削って本を買った。

預貯金にどれくらい余裕があるかをどんぶりで勘定し、クレジットで購入した。


政治の話をしたくはないが、政府が酒や音楽フェスなどを槍玉に上げ、自粛自粛と強制を迫る今の状況は、それだけ食べるものにも困った今の状況を国民に知らしめるためなのだろうと勘ぐったりした。

(もちろん経済を立て直す手段として「困っているときにさらに苦しめる」が悪手であることは重々承知の上で、だ。)


どうしても学習・芸術の分野の出費に躊躇する、

それだけ以前アホのようにボードゲームや本を「自己投資」と称して購入し続けた自分の心境にも変化が生じたのかもしれない。


それでも今日は相変わらず猫カフェにボードゲームを寄贈したり、募金箱に募金したりなど、身を削る思いで過ごした。三食ご飯と味噌汁の生活はもうだいぶ慣れた。


未来はどうなるか本当にわからない。

ただ、変に昂ったプライドが、キックスターターやクラウドファンディングまで手を出すことを躊躇する。


作品は無理のない範囲で

それでも次が本当に最後となるかもしれない。


そんな葛藤と戦いながら、また制作に打ち込むのだった。

制作に集中する時間だけは無料だ。


2021年7月5日月曜日

記憶力

 7月5日(月)


4コマ、動画作成の勉強、雨は上がり、いつものむせ返る室内の作業。

手をいくら動かしても、感触どころか周りの反応すら少ない状況だ。今が一番辛い時期だと言い聞かせ、夜も休まず頑張る。


はたと気がついたが、イベントに出展するようになり、ちょうど今年で5年目を迎える。

2017年に初出展し、以来欠かすことなくゲームマーケットに出展できた。

2020年という感染症只中の年にも、盤祭、ゲームマーケット秋、静岡アナログゲーム祭り、北海道ボドゲ博、と出展したのは、実は私だけのようである。


周囲からは「自慢するな、説教するな、昔話するな」の声ばかりが聞こえるため、表立って自慢することは控えている。

偉人の言葉の「孤独に頑張る」の言葉だけを信じ、腹を立てたらとにかく外に出歩くことにした。それでも治らなければ、ウィルキンソンの炭酸を入れる。


先日の日記にもしたためたが、目立ってナンボの界隈で、目立つと叩かれ、バカにされる、そんな中、どうして4年半以上も頑張れたのか。

私にもわからない。だからこそ、綱渡りのようにイベントを進めているわけである。


わからないことは、裏を返せば、周りの意見に頼ることなく、自分の意思で判断してきたことになる。


ひたすら力技で体にムチを打ち、動かない頭や体を無理に動かしてきた。

コスパだの効率だのと、周りの声を聞かずにやってきた。


ただひとつ「なまじっか聞き齧った知識で、経済だの効率だの正論じみた発言を振り回す人間」には決してなりたくはなかった。


結果だけを見て「俺ならこうする」を浴びせる(悲しいことに私の年上でそんな態度に出る方もいらっしゃる)ことは、断じて自分のなりたい姿ではなかった。


今日は疲労も相まってうまく考えがまとまらないけれど、今の苦しい最中でも応援してくれる方を(面と向かって「応援してます』と、今、声をかけてくれる方のこと)ちゃんと脳内に焼き付けておきたいと思う。


2021年7月4日日曜日

環境の整備

 7月4日

雨降りの中、今日は4コマのネタに苦しみ、結局おまけ漫画としてのちほど描き進めることにした。数えたらツイート連載後15話でノルマ達成となる。表紙やおまけページもたくさん描かなければならない。のんびりする時間はそう多くはない。


研究、そして実践

「結果より過程が大事」と人は言うが、それは結果を出せた人の言葉だと、高校野球の監督の言葉で思い出した。

私がどれだけ遠吠えを吐こうとも、結果が出ていなければ遠い空へと消えてしまう。

2017年に初出展以来、今年で実際にかれこれ4年以上も、ひたすらボードゲームのクイズを追い続ける私。石の上の三年はとうに過ぎ、何か結果を出せたかといえば言葉に窮する。


先程の言葉が掲載された本には、他にももう一つ言葉がある。


「結果が出るまで我慢できた人を天才と呼ぶ」


クラスの一軍が他愛もないダジャレでちやほやされる中、陰で活動する私のような人間はさらに捻ったネタを出そうとも評価されることは少ない。


それも結果という名前の肩書きがないからだろうと少し拗ねてみる。

ラーメン発見伝の店主がそれに似た言葉を述べていただろうか。


肩書きは出せと言われて出せるものではない。結果を誰かが評価することで得られる、信頼に基づくステータスだ。


今は耐える時。もちろん、そう長い間耐えられるほどの体力も気力もない。


できることといえば、環境を整えることぐらいだ。


だから付き合う相手も、心ない言葉を平気で口にする相手とは、どれだけ物々しい肩書きを持とうとも距離を置くことにした。

現実でも、SNSでも。


整えられた環境がそう長く続くとは思えない。

だから、今をとにかく生きる、今の考えを今残すこと。


まだまだ頑張れと言い聞かせ、明日も4コマが更新できるよう祈る。

2021年7月3日土曜日

手の鳴る方へ

 7月2日

梅雨だから、というわけではないが、全国的、しかも局地的には熱海と平塚に大規模土砂災害が発生する1日。

ツイートを眺めると情報過多で参ってしまうが、今日はとにかく4コマに熱が入った。ポーズ集を眺めながらひたすら納得いくまで模写を続け、結局この日は4時間余りを費やした。

長く描いたから反応も比例する、というわけでもなく、そう多くの反応もなく、雨とともにうなだれる午後。「応援します!」の声を真芯に受けているが、今日いいねをつけなかった方は本当に応援しているのか疑問だ。


欲しかった本も結局この日は見つからず、改めて通販で取り寄せる。

先日通販で本を購入されたフォロワー様から感謝と感想の言葉が届き、それまでの気持ちが一転して和らぐ。応援の声とはそんなマイナスをプラスに転換させる働きがあるのだ。制作に立つからこそ味わえる、そんな人間社会の裏と表。いかに気にせず、プラスに評価を持っていくか。

それはきっと人間社会を営む上でも大切なことではないかと思う。


帰宅後、ろくにご飯も口にせず、先日覚えたばかりのアフターエフェクトを駆使し動画制作に移行する。

こちらも苦心した割にそう大きな反応もなかったが、いつも応援される方が引用RTで励ましてくださった。

この一言を次へのモチベーションに繋げられるか。

「評価の数」は気にしない、とは断言しづらい。

多くの作品が多くの方の目に触れることは、それだけでやっぱり嬉しいものだ。


しかるに、それだけをモチベーションの材料としてしまうと、今日の自分のような「手間をかけたのだから応援してよ!」と応援を強制しかねない。応援の次は決まって「じゃあ買ってくれるの?」の強制が始まるものだ。


それを前職では「幸せレベルが下がった」と揶揄したことを思い出す。


気持ちや環境が低下しているときは、どんな些細な喜びだろうと、その感度が大いに増すものだ。


小さなありがとうを万倍に受け取ることのできる、それは言葉の上で「レベルが下がった」かもしれないが、感性に軸を据えると、すごく人間として暖かく、成熟された心の持ち主にしかできないのではないか。


自分を慰めるようにそんなことを思う。


明日もまた雨の中4コマに問題作成に、最近覚えたアフターエフェクトの練習に勤しむのだろう。

周りはテストプレイも含めた華やかなツイートばかりだ。

グッと奥歯をかみながら、自分は自分の道を、応援される方の手の鳴る方へ、進もうかと思う。


2021年7月2日金曜日

到達点とこの先の話

 7月2日

特に理由もなかったが、せっかくの記念ということで七夕の日に献血の予約を入れた。

今日は4コマの更新がTwitterトータルでちょうど700話となる節目の回。

おまけ漫画に各所で描いたおまけ漫画などを含めるともう少しあるだろうか。それだけの数ものネタを、いろいろな制限(ブラックや下ネタにしない、よく聞くボドゲあるあるはそのまま使わない、続編を描かない、茶化したり馬鹿にしたり誹謗中傷したりしない、等々)がある中、本当にここまで到達できたことが奇跡に近い。


雨降りの中、出かけるわけにも行かず、この日も結局アフターエフェクトの勉強を済ませる。

700ページもの教材に何とか一通り目を通し、一応の使い方が机上の空論で学んだということだ。あとは実地を積み重ねて、手で覚えようかと思う。

実際に動かしてみるも、カードがペラペラ動く仕草もままならない。

以前イラストをPhotoshopやIllustratorで仕上げる時も同じような感覚だった。「これならパワーポイントの方が俄然早い!」と思えるほどだった。それがIllustratorで約3ヶ月かかっただろうか。

プレミアプロも一通りの動かし方がわかるまで約1ヶ月、だから今アフターエフェクトが使えないのも似たようなものと捉えている。


無事に使えるようになれば、イラストも、文章も、映像編集も、キャラクター設定も、すべて自前で用意できるようになる。


それは実はすごいことなのかもしれない。

もちろん作品として世に生み出してからの話、今は皮算用にすぎないし、当然仕事の話も来ない。


少しずつ少しずつ、自分の外堀をできることで埋め合わせるように、手を動かし、本を読み、少ないながらちゃんと支えてくれる応援の声を裏切らないよう、また明日も頑張るだけだ。


今は体だけは整えて休むことにする。遊んで笑うのは、当面先でいい。

2021年7月1日木曜日

言葉を出すこと

 7月1日


なんだかんだ、休み休み、7月もブログを続けることにした。

「製作者のブログはすぐに終わる」なんてイメージを持たれたことが腑に落ちなかったからだ。


制作のことを綴ると、今日も4コマを描き、問題の手直しやアイコンの作成、アフターエフェクトの勉強を進めた。

昨夜遅くに申し込んだボドゲフリマの申し込みを改めて見直す。大阪往復三万くらいなら何とか捻出できるだろうか。

ご挨拶したい箇所はたくさんあるのだ。


キャスを再開しないのか、と、聞かれることがある。

言いたいことをグッと堪えるうちに、表面だけは何とか取り繕うことができたようだ。


素の自分は、もっとぐじゃぐじゃで醜い言葉が腹から生まれる人間だ。不平不満だって多くある。


それを感じた上で、どうするか、を振る舞うのが、大人だと思っている。


思いの丈を即座に口にすることは誰でもできる。

不平を感じた上で一歩だけあとに引き、どうするかを考えることを頭に置いている。


ツイートという、思いの丈を即座に文章にできる行為は、ブログやキャスの文化とは違い、リアルタイムのライブ感はあれど、思いも寄らない言葉が飛び出すものだ。

それは本音の言葉とは違う、まして、個性を生み出す言葉でもないだろう。


慎重に、そして、自分のなりたい姿の言葉を出すよう、それはメイプル超合金の数レーサーさんも「言葉遣いは最高の化粧」という言葉で表現している。


良い言葉だけを自分にかけて、また頑張ることにしよう。


7月が始まる。1ヶ月前から大きく前進した自分となりますよう。

2021年6月30日水曜日

大博打

 6月30日

上手く筆も乗らないが、流石に3日開けると筆の進みも鈍るため、何でもいいから書くことにした。


雨が降っていたこともあり、今日の夜の神社のお参りは避けることにした。

来月から運気が上がることを期待しつつ(占い師による)今日も何とか4コマを仕上げ、引き続きクイズやらアフターエフェクトの勉強に取り掛かることにした。

頭の中でできることを手に出力することはやっぱり難しい。机上の空論とはよくいったもので、脳内の動きを手にシンクロさせるための修行が必要なのだと実感した。


今日の0時、大阪のボドゲフリマが開催される。

売れるかなんてわからない、けれど、何もしないより!と体が動くことも事実。

やってみたいと思う。このまま秋までじっと創作を続けるのもダメな話だ。

何より、私の運気は7、8月でピークとなるらしいからだ。


売れない本をちまちま売っているだけでも。それはそれで伝説になるではないか。


大阪にも会いたい方は多くいらっしゃる。


資金はない。ギャンブルは苦手だが大博打に打って出たいと思う。

もしも出展できるのであれば、4コマの新刊を届けたいと思う。

2021年6月27日日曜日

横目に

 6月27日(日)


少しずつ街も活気を取り戻しつつあると感じる今日。もちろん日々進化を遂げるウイルスの猛威は未だ衰えず、またも政府が緊急事態宣言を発令する旨の報道も流れたほどだ。次あたりは「特別緊急事態宣言」なんて名前になるかもしれない。


創作は相変わらず。そこそこの反応の4コマに、問題作成を少しずつ。最近はアフターエフェクトの勉強を再開し、アタック25でお馴染みの飛行機雲クイズの作り方(マスクのかけ方)を独学で少しずつ学んだ。


前に経済の本で「生産するだけでは経済は発展しない。消費がなければならない」という言葉を目にした。


ひたすら作り続けても、買い手がつかなければそもそもの創作が追いつかない。

利益もそうだが、自分の好きなものばかりの創作だと、「相手と気持ちが通じた時の気持ち」をおざなりにしてしまう気がするのだ。


承認欲求、ともいうのだろうか。


雨が降りそうで降らない微妙な天候の中、冷蔵庫のプリンを食べてしまったからか、夕ご飯はそうお腹には入らなかった。


ツイートではゴスロリボドゲ会や各所のゲーム会など華やかなボードゲームレポートが並ぶ。


グッと耐えながら、明日もまた作業に没頭しようかと思う。


努力が報われるという言葉を最後まで貫けるよう、倒れるまで頑張るつもりだ。

2021年6月26日土曜日

できるところから

 6月26日(土曜)


4コマはこの日もネタに苦しみ、書き上げた時は14時を回ろうとしていた。

朝はランニングするようになったが、しばらく空いた時間とともに体は忠実に反応する。喉はすぐに上がり、足は否応なく重くなる。気持ち良いのかどうかはわからないが存分に汗はかく。


横浜駅でボブジテンを調達する。人混みはすでにいつも通り、まん延防止法案などどこ吹く風か。こうした動きも見越しての判断だったのかもしれない。政治の話は避けるが、国内の情勢柄、こうするより仕方のなかったのかもしれない。


アフターエフェクトの勉強、問題の作成、と、夜になるにつれて頭は冴え、色々と問題を片付ける。


台風が上陸すると聞き、明日はまた脳を絞られるのかと思うと気が重くなる。

そんな中、できることに手をつけることの大切さを実感する1日だった。


夏目漱石の本だったと思う。

「やる気が起こらなければ、横に倒したものを立てることすらできない」といったニュアンスの言葉を思い出す。


忙しい忙しいと口にすることは、それだけで忙しさが軽減されるようで私は控えるよう心がけている。

代わりに、何か少しでも片付けること。

多くのことを行うには、まず目の前の作業を片付けなければならない。これもゲーテか誰かの言葉だったかと思う。


やりたいことなんて誰しも多いはず。退屈は敵であり、怖さでもあるからだ。

体はできることに対してきちんと反応する。脳と体を一致させることは昨日の話のように本当に難しい。


アフターエフェクトで学んだことを、早速次のクイズへと繋げなくては。


焦らずやろう。時間はないけれど、少しでも片付けることで、目指すべき道へと進むはずだ。


そう信じて明日もまたいつもの作業に従事する。

2021年6月25日金曜日

眼高手低

 6月25日(金)


外に出たい衝動に駆られたが、この日も家の中でひたすら作業に従事した。

アフターエフェクトを久しぶりにいじる。手持ちのファイルを読みながら実践して手を動かすも、頭(理論)と実践がつながらない。

眼高手低、という四字熟語がある。

知識ばかり入れてしまい批評ばかりしていては、手を動かすときに全く役に立たないという意味の言葉だ。

批評も含めた知識を正しく入れなければ、知識は時として相手を傷つけてしまう。

筋肉が相手を傷つけるものではないように、知識もきちんと抑えて使わなければ相手の毒となってしまう。

心技体の一心一体がまさにそれだ。


勉強、勉強、そして実践。

私の中にどうしても「お金になることはプロとして通じるもの」という道が通っているため、仕事が自分の成長につながることに素直にイコールが結びつかない。

肩書きや実績が身につくという意味で捉えるとまた違うのかもしれない。


1人作業は苦しい。それは他と通じる世界に欠けているからだと思う。

腹心を知る友人がいるいないとで、世の中の過ごし方は大きく変わる。

私は身内の人間にことごとく騙される(最近はVtuberにすら騙され問題をタダで計上するに至った)悪い意味での人の良さを発揮してしまったが、それゆえか人もそう集まらない。

逆に、周りに悪い方へと矛を突きつけ、周りから総批判をもらうような人間でも、75日過ぎれば何とやら、けろりとした顔でツイートを始めている。


その辺りを追求するとまた悪い方へと論が及ぶが、走り続ける最中では靴の中の小石が気にならないのと同じで、今は振り切って走る時だと思う。


今度の土曜から月曜にかけて占いでは多少運気が上がる星周りとのこと。土日の人混みは感染症も含めて少し尻込みするが、台風さえ上陸しなければ外の空気を吸ってこようかと思う。


2021年6月24日木曜日

喜び勇んで

 6月24日


今日も朝のうちは出ることなど想定していなかった、家にこもって勉強する1日と決め込んだのだが、どうしても外に出たくなる性分、今日も中野近辺へとお邪魔することにした。


kurumariへ行くと、久遠さんが楽しそうにボードゲームをプレイされていたので、購入したばかりのドキッと!アイスをプレイする。

ルールが簡素化され、スートはブルーベリーが増え、コンパクトながら一層戦略的になった印象だ。


コーヒーだけ頂戴し、今日もテンビリオンポイント様へお邪魔し、早押し機を渡し退散する。

オシャレなバーでは、今日も店長のヒガさんが所狭しと動いていた。

ボードゲームのクイズイベントがあるといえば、協力したくなるのが人情というもの。

これまでVtuberに軽くあしらわれ、イベントでもダメを出され、そんなこんなで5年ほど問題を創作した身として肩身の狭い思いを続けたが、オンラインの環境なども踏まえて少し楽しみたいという方が増えたのだろうか。


環境はある、今はとにかく問題がない。

だから僕はひたすら問題を量産する。


数をとにかく作らなくてはならない。

6月も終わろうとしているので、そろそろもうあと100問くらいは量産しなければならない。


頑張れ、と自分にハッパをかけるのも、今のところ自分だけが一歩先を進んだことが、ボードゲームの4コマ然り、クイズ然り、の世界なのだ。


目に見えないことを「理解しろ!」と強制はできないので、日の目を見るまでひたすら影で頑張るしかないのである。


縁の下の力持ちは、英雄譚として称えられない限り、何ら褒めてももらえないのだ。


きつい言葉を使うのは控えるが、そのためには、クイズだけではなく、多くの分野の勉強も必要だ。笑いや感動、怖さや喜び、美味しさや不味さといった、あらゆる箇所のステータスを学ばなければならない。


問題を読むだけで済む世界ではない。それは自分も思う。


明日もまた、今度こそ家の中に引きこもりつつ、創作に打ち込もうと思う。

応援する声は少なからずある。

裏切るわけにはいかないのだ。

2021年6月23日水曜日

意思疎通、だ

 6月23日(水)


銃・病原体・鉄、だったかと思う。もともと人類は何十ヵ国語を介して相手とのコミュニケーションを取った、という記述である。


それだけ、言葉による交流は難しい、通じにくい、という意味として捉えた。ノンバーバルコミュニケーションの例を出すまでもなく、話せばわかる、は大ウソ、という養老孟司著「バカの壁」の帯の言葉を思い出す。


今日はテンビリオンポイント様へ伺った。

先日のラジオ生配信の際、早押し機が不調となった旨を掌握したからだ。

お節介とは思いながら、自宅で眠っていた年季のある早押しボタンを献上に上がった。


ヒガ店長とお会いし、お店の早押し機を交換、これで最大15人早押しも可能という、ボードゲームカフェでは最大人数の早押しが可能なお店となった。

お礼は特に受け取らず、そそくさと退散した。


二軒目は、自宅の近くであるにもかかわらず、どうにも足が遠のいていた横浜はらうんどとりっぷ様へ。


知性あふれる店長の流石のラインナップは、見聞きだけできていたカルカソンヌスターウォーズエディションや、ペッパーのドイツ版など珍しいラインナップが揃っていた。


Twitter上のイメージと違い、店長は気さくで笑顔溢れる方だった。話しかけると、何でも飛び出す知識の山に、その知性の一端が垣間見えた。


横浜のギャングスターミーティングの会場ということで、himeさんともお会いし、ついあれこれと表には出せない話を出してしまった。

油断するとつい愚痴が走ってしまう。気をつけなくては。


himeさんから、お疲れのようだと指摘を受け、確かにこの脳のぼんやりした疲労は、単なるマスクの過呼吸ではないなと察知した。


お店を出たのが19時過ぎだったこともあり、近傍の外食店に寄ることは控えた。


お金のこともひっかかったからかもしれない。

お金は使わなければ増えない、とはいうものの、仮にゲームマーケットが開催された際、本当にこれが最後となるお金が動くこととなる。

それまでは辛抱の一言だ。夜は卵かけご飯で済ませることにした。


頭がぼんやりする感覚は続くので、早めに日課を処理して、今日は早めに休むことにする。

苦しいことが成功への第一歩、なんてことを語った名言集をぼんやり眺めながら、空腹を睡眠で納めることにした。


明日もまた頑張る。

作業をする中では、お金の出費は抑えることができるからだ。


自分の好きなことを続けておいて、さらにお金までもらおうとは無視のいい話かもしれない。

文句を言われても反論はできない。


もうしばらくだけ、自分の好きに生きてみようと思う。

ダメなら世間が勝手に動かしてくれると、楽観的に考えて、今はとにかく休息を取るターンとする。

2021年6月22日火曜日

退路を絶って

 



6月22日(火)


今日は少し込み入った話となります。



4コマ執筆後、ゲームマーケット秋の通知が届いたので、ザッと変更事項を確認したのち即座に応募した。


出展価格や開催期間など、大きく変更された次回内容に、出展者の多くが躊躇する中、割とあっさり踏み切ることにした。事もあろうに両日だ。


一冊800円のクイズ本など、記録に残るほどの数を売り切らなければ儲けなど出るはずがない。


それでも一歩踏み出す時の足の軽さは、遠い昔に読んだダイの大冒険の氷炎将軍フレイザードの行動を元にしている。


ためらわず踏み出したのち、問題は走りながら考える、とは、課長島耕作にもあった言葉だと思う。


まずは進むこと、それだけで相手からリードを奪える。

時の理はそれだけ戦略で大きく作用するのだ。即断即決を求められる管理職には必須の要件だ。


もちろん決定したからといって問題が解決するはずもない。

これから大きなお金をどこかから工面しなければならない。


近所の神社にお参りに行く。


「やりたいことに全精力を注ぎ込み、反面、少しでもメンタルを乱すような相手とは相応の距離を取る、そんな今の自分の行動スタイルは間違っているかもしれない。事実、私自身には相談相手すらいない。スペースなど立ち上げようなら1人孤独に喋ることとなるだろう。


それでも進むことにした。

もう一つの理由が、本当にこの秋の出展が最後になるかもしれないからだ。


目に見えるヒット作も生み出せない中、ボードゲームの問題作りにかけた5年間は本当にあっという間だった。

そんな中、少しずつではあるが、ボードゲームに関するクイズのツイートやクイズの動画は増え、ボードゲームカフェで開催されるクイズ会などもちらほら見え始めた。


私の存在など、潤沢にお金を費やして動画コンテンツを量産する組織とは対称的に、お金は日に日に目減りし、大きな創作イベントすら限られてしまう有様だ。加えて年齢は40を超えたハゲのおっさんにすぎない。


だから自分は、この出展で大きな変化がなければ、潔くボードゲームから撤退して別の道を見出そう。

冗談ではなく本気でそう考えている。


休め休めと言われても、ここまで後に引けない戦いの中、のんびり休む時間すら惜しいのである。


焦りかもしれない。


それでもこの秋が最後の創作だと自分の心の退路を断ち、体にムチを打ちつつ、また明日も頑張ろうと思う。


問題のノルマはさらに増えたが、時間の猶予はある。じっくり腰を据えて頑張りたい。

2021年6月21日月曜日

茨の道

 6月21日(月)

朝から体力気力が布団に吸収され、朝のうちにお休みの旨をツイートした。

体調は至って健康だが、土日に動きすぎたからか、心身の重さには耐えられなかった。


ほぼ一日中、横になって過ごす。

時折ツイートが悪い話題で溢れかえるのをぼんやり眺めていた。

明日また頑張りましょうかと誓う。


何をしなくてもお腹は空くし、1日がなくなると創作の時間も減る。

のんびりしてはいられないが、メンタルの不調はそれだけで視界に映る界隈の話題も曇った眼鏡で見えてしまう。

これからは気分も上げていかなくては。


とにかく、今度の創作に全力を傾注しなくては。

「いつも通り」でもダメで、その先にある「成果を残すこと」を踏まえなければならない。

それは創作だけではなく、多くの方の信頼や芸術といった名前を残す作業となる。

知識がそれに代替できると思っていたのだが、人は目に見えないステータスを本当に汲み取ってはもらえない。

「伝達が大事」とは、先の芸術本で何度も語られている話題だ。


こんな創作スタイルだから、おそらく周りのペースや手段からは大きく外れている。当然、理解される方も少ないだろう。

独自の世界を甘い世界と捉える人はその辺りの「茨の道」が視界に入っていない。

頼ろうにも頼る相手もなく、その一方で、ブルーオーシャンだの一人勝ちだのと欲を張っているように受け取られる。


周りのギスギスした社会情勢に話題も及ぶかもしれないが、ここでは控えるとして、それでも笑顔を見せて、また明日も「そうなったらいいな」という自分を見せつつ頑張ろうと思う。


誰にも真似できない、むしろ真似してついて行こうとしない、そんな茨の道を、また明日も進もうかと思う。






2021年6月20日日曜日

自信を取り戻せた日

 6月20日

マスクをつけての長時間外出はやはり過呼吸に陥るからか、帰宅後の疲労感もかなりのものである。これに夏場は高温となるのだから、今年一年を乗り切れるか不安である。


昨日は4コマ後に思い立ち、千葉県は成田のPLAY!2号店様にご挨拶に伺った。


親交のある千葉県の有名ボードゲーマーでひしめく店内は、新旧問わず流石のラインナップで締められていた。

店長ご夫婦もとても明るく、以前茂原のTSUTAYAでお会いした旨を伝えるとすぐに打ち解けた。卓を囲む面々には、どどめのボドゲーンでおなじみのどどめさんもいらっしゃった。


本当にご挨拶だけを済ませ、帰宅する。

ついでに3ターンで終わるゲームをようやくゲットする。


翌日も疲れは取れず、結局約束の時間まで横になりながら疲労の回復を図った。

感染症を心配したが、熱もなく、何よりセブンの固めプリンが美味しくいただけるのだから何ら心配することもなかった。


神楽坂のテンビリオンポイント様へ


店長のヒガさんは以前神保町のアソビカフェに勤めた名物店長。DJもデザインもインストもこなす敏腕店長だ。


手持ちのクイズ本を無事にお渡しでき、まずは安心する。


クイズ本を手渡す際、早押しボタンを購入された旨を聞きつけ、ならばと問題を作成することにした。

ボツ問題をまとめるつもりが、あれもこれもと入れ込むうちに、結局全て新問題ばかりの収録となった。


何よりも驚いたのは自分だ。

少し前までうんうんと苦しんだ問題作成が、他の方のためだったとはいえ、2時間ほどで30問ほどの問題を工面できたのだから。


良い具合に力が抜けたからだろうと思う。

ほんと、もう私に問題作成は無理だと諦めかけた頃だった。有名クイズYouTuberが蹂躙すれば、私の代わりなどいくらでもいると感じた頃だった。


まだまだ力は残っているようだ。そして人よりも、少し前に進んでいるようだ。


問題をさらに磨き、これからもうしばらく前を走ることができるよう、自分の道を走るしかないのかな。

2021年6月18日金曜日

相手を通じて自分を「見る」

 6月18日(金)


お金をあまり気にせず、感染症対策を入念に、今日もご挨拶に回ることにした。

4コマを描き上げたあとで、あまやどり様、コロコロ堂様にご挨拶に回った。

両店のお店で、あいも変わらず問題作成のために1人ひたすら説明書などを読みふけった。


作業に集中していると、周りの声、特にSNS周りの情報が遮断される。

後になって「40代男性1人の相席はさせない」なんてつまらないツイートが話題となっていたことに気がつく。

余裕がなくなれば、そんなことも考えてしまうのかもしれない。

コロコロ堂のお店の方としばしお話し、この時間の大切さ、お互いの余裕のなさ、などを話した。


手を動かすその先にある、自分でも見えない世界。

それはいつかの瀬戸口みづき先生が漫画に収めたように、周りから指摘を受けることで、自分として成し得ていくものかもしれない。


自分のことは自分ではわからない。

それは性格のことでも、業績のことでも、そうだと言える。


サークルとして活動する以上、人から見られていることを意識しなければ。


今日は帰宅後、サクッと問題作成に移った。

力を抜いたからか、20問ほどの問題をあっさり2時間ほどで作成できた。

それでも手癖で作った問題が多数なので、これからさらにオリジナリティを広げなくては。

それは何より自分を見る周りからの目線で訴えられる事項だ。


頑張るしかないのかと自分に言い聞かせ、また明日も少しずつ動こうかと思う。

緊急事態宣言も解除・緩和された国の真意は、ウイルスによる感染の脅威か、はてまて、苦しみの声を上げる世論の声を汲み取ったのか。

真意は定かではないが、自分もきちんと地に足を付けて明日も頑張れるようゆっくり休もうと思う。

2021年6月17日木曜日

休むという「怖さ」

 


6月17日


昨日くらいから頻繁に見るツイートに「休憩をすることで能力は上がる」という論文のツイートが発表になった。


筋肉の超回復の理論で、同意する意見も多く、論文全文を読んだわけではないが、その根拠もたしかなもののようだ。


日記も、4コマも、そしてノスゲムさんのキャスでも、周りからもう少し休むよう促されている私。


純粋に「たるむのが怖い」のだと思う。


元プロボクサーの渡嘉敷勝男さんが減量に苦しんだ頃、コップ一杯の焼酎を飲むよう指導されたそうだ。

アルコールの力を借りて体温を上げ、代謝を促進し、その後の練習に繋げるというコーチからのアドバイスだったという。

渋々飲んだ渡嘉敷さんは「世界で一番不味い酒だった」と語ったそうだ。


休むと筋肉がつく、その理論はわかる。今の体育会系の部活動も、積極的に休息をとるトレーニングを組み込んでいるし、私の記憶では米軍のトレーニングにも「休むこと」をワークサイクルに組み入れていたはずだ。


そこまでわかりながらも、手を止めることは純粋に「怖い」


この1日で周りからは確実に差が開く。だらだらしている自分、堕落した自分を、休みが明けた途端にキッと気持ちを切り替えることが、果たしてできるだろうかという不安。怠惰に負けてその後の業務に支障が出るのではないかという漠然とした不安。


真面目という言葉の真意が「小心者」「英断できない」という経験則だ。


作業をすることで得られる安心感は、まさしくブラック企業で悪い効率の中深夜まで残業するそれだ。周りからは努力賞としか言葉を受けない。


それでもなお、前に進もうと思う。


休むときはいずれ体が悲鳴を上げて勝手に休むだろう、と、甘く見積もっているからだ。


前のめりで倒れてやるさ。


ハードボイルドながら、割と本気でそんなことを考える1日だった。


気の弱さから今日は表立って外出ができなかった。明日こそはと誓う。

2021年6月16日水曜日

笑顔が戻ると

 6月16日


お金を使うことはある種の投資だという。


そう考えると、私は投資家として失敗しているのかもしれない。


4コマを描き終え、催促されたことを受けて浅草の喫茶あかねでコーヒーを頂戴する。

平日お昼の時間は至って静かで、店長と話をしながらコーヒーを堪能した。

ここでも「人柄ですよね」という話でまとまった。


夕方からはキャス配信を立て続けに聞く。

ボドラボDDTのちむ店長はこの度の支援に笑顔が戻っていた。

「笑顔でよかった」など暖かいコメントが並ぶ。

私も

「ツラさ苦しさを表情に出さないことが美徳とされる社会の中、声を上げることの大切さを学びました」

と返した。(文章一部書き足しています)


苦しい状況だったのか、と声をあげることは今の時勢としてとても大切な事項だ。

苦しさを隠して突然倒れては、周りも迷惑なのだろう。もっともこれは私のような管理者目線のセリフだ。


偉そうに語ってはいけないが、苦しさをひた隠しにする私も胸が痛む思いがした。

占いによると今日は絶好調らしかったが、そんなことばかり考えるうちに、絶好調のぜの字も感じられなかった。


お金に余裕はない。武士は食わねど高楊枝、の気持ちで、自分に向けての投資分を今日も自分以外の相手に回す。

正しいのかはわからない。

それでも周りの笑顔には変え難い。


問題作成は難航しつつ、何とか進んだような。

少しずつ進めましょうか。


笑顔が戻ると気持ちも前を向く、そんなことを考える1日だった。

2021年6月15日火曜日

捨てる神あれば

 6月15日


捨てることができず今に至る。

目の前にうず高く積まれたボードゲームの山も、そのうちそのうちと言いながら未だ手をつけないままだ。


断捨離とは、むやみやたらにものを処分することではない。

無駄だと思ったものを分別して処分し、空いた箇所に新たなものを吹き込む、といった流れだ。


動かないものを動かすことで、部屋の中の対流を促す、これは経済活動もそうだ。


今日は久しぶりにボードゲームカフェにお邪魔し、お客さんの頃合いを見計らい、博学のスイクン店長に問題をチャレンジしてもらった。


読みながら、出題しながら、問題のアラが発見できる一連の流れ、加えて、しばらく倹約生活が続いたからか、ボードゲームカフェの千円が多く感じるようにも感じた。

これも全て、暗く溜まった空気を循環させるための一呼吸と割り切ることにした。


大きなきっかけがなければ動かない、ではなく、小さなきっかけを元に大きなきっかけを掴む、と、自分の中で考えることにした。


些細なことがきっかけで、思いも寄らない道へと進む、これは我が国でも「牛に轢かれて善光寺参り」という諺がある通りだ。



献血もそうだ。最初は本当に金券(当時は五百円の図書券)がもらえるという下心丸出しの参加だった。しばらく時間を空けたのちに再開し、今回で92回目を済ませることができた。


捨てることが上手い人、すなわち、過去のやり方や経験に固執しないことこそ、次の大きなステップを踏み出せるのだろう。

自分の作品も未だクイズの本という領域から抜け出せないままではあるので、とても耳が痛い話だ。


血漿を抜き、少しだるさを感じた体には、数日もすれば新たな血液が生成されるのだろう。


もっと大胆に、色々と手放せたら、気持ちも方向も変わるのかもしれない。


明日もまた4コマに問題に、手放しつつ頑張ろうと思う。

2021年6月14日月曜日

派生する期待

 6月14日

ドイツ年間ゲーム大賞キッズ部門賞に、ブルーノ・カタラ作「ドラゴミノ」が選出された。


というニュースなのに、それを気にされる方は本当に少ない。


以前クルマリのuenoさんと「今年の年間ゲーム賞(ノミネート作のこと)、まったくチェックしてないわー」という話題で盛り上がった。

日本語化されている作品で比較的名前を聞く作品は「ミクロマクロ:クライムシティ」で、バネストの中野さんも一押しだった。次にパレオ、ファンタジーレルムズ、が続くだろうか。

それら作品をプレイされた方、そして自分の頭で感想を綴られた方は、本当に、本当にごく一部ではないかと思う。

今回のドラゴミノが、過去の同賞に輝いた「キングドミノ」のキッズ版だと認識される方はさらにさらに絞られる。


だからこそ問題に最適、とも言えるけれど、要は「そこまで情報を知ることの意味」を、つい考えてしまった。


作業中に流していた万屋楽団さんのツイキャスライブで、お二人から「どこに行こうとしているのか」をつぶやかれた。


本心を話すと、私もこの先がどうなるのかわからない。


そんなものだと思っている。


ほんの数年前、ワトソンという、あらゆる知識を組みこんだコンピュータをアメリカのクイズ王と対決させる企画が大々的に行われ、並み居るクイズ王を相手に優勝してしまった。


その報を聞き、私も第一印象は「すごいことなのかもしれない、けれど、それをどうするの?」と疑問が拭えなかった。


それらを解説したNHKサイエンスZEROでは、医療など人間の考える領域を発展させた考えのできるコンピュータの存在などを学んだ。その数年後に富嶽が登場、現在は多くのシミュレーションで活躍する身近な存在だ。


AができたらAのみにあらず、そこに派生するBやCの生まれる楽しみ。


それは努力して手に入れることのできた、大きなオマケのようなもので、私もそれを密かに期待しつつ、毎日の作業を行なっている。


漫画を描くことで、漫画に落とし込めるなりの考え方も身につくかもしれない。

どこかから別の依頼を受けた際、4コマでまとめる能力と画力が発揮されるかもしれない。

全ては未知数だ。


どうなるかはわからないし、それで食っていけるのか、と問われると言葉に詰まる。

それでも、前に進んだ先には、思いも寄らなかった偶然の出会いがあるかもしれない。


そう期待しながら、明日もまた頑張ろうと思う

明日は久しぶりに献血に向かう。

2021年6月13日日曜日

忍耐の種を蒔く

 6月13日


小学校の頃に読んだ「吉四六とんち話」だったはず。

ある日吉四六さんが隣の家との境に囲いを立て始めた。奇妙に思った奥さんが何をしているのかと尋ねたら「隣の家の夫婦ゲンカが移るといけないから垣根を立てている」と話す。

奥さんは笑って「ケンカなんぞ移るものか」と返すと吉四六さんは「いいや、移るものだ」と返す。

終いにはお互い道具を持ち出して今まさに大ゲンカが始まるかといったところで吉四六さんが言う

「ほら見てみろ、ケンカは移るじゃないか」


ツイート上をずっと眺めていると、悪い話題も当然目に入る。

意見したことに対し思うような返信が届かなかった場合、不安に駆られ、ストレスにも感じる。

詳しい話は省略するが、いわゆるSNS疲れと呼ばれる一つの形だろうか。


そんな時は心の中にサッとカーテンを下ろし、自分で避けるよう務めている。

本来は苦しい意見も体内に取り入れながらアップデートすることこそ大切だとは思うが、毒となる言葉はやはり毒であり、これはどんなお布施にも感謝の気持ちを返したお釈迦様でも、悪い言葉だけは蓋をして返さなかった話もあったことを思い出す。


制作は変わらず苦しい。

4コマもクイズも、なかなかネタの思い浮かばない中、脳の片隅に残った欠片を集めてネタへと昇華している。

見えない部分の苦労は、ことSNS周りにエンターテイメントが年中広がる今の時勢、伝わりにくいことなど承知の上だ。


だからこそ、自分だけでも「喜びの種」を蒔こうと思う。


4コマもクイズも、双方に通じる考えは「数秒でも楽しんでもらえる時間」を提供することだ。


笑うでもいい、興奮するでもいい、疲れた時の清涼剤とも、知識の栄養補給でも何でも構わないから、せめて数秒くらいは悪い考えの移らない時間を取って欲しい、が私の創作のコンセプトだ。


そのためにも、創作だけではなく、自ら発する苦い言葉は、なるべく心の中にしまうことにしよう。

問題提起はせず、自分の考えのままを、できる限りユーモラスに伝えよう。


最近のTwitterではそんなことを心がけている。


「君の心の庭に忍耐の種を植えよ

 その根は苦くとも、その実は甘い」

ジェーン・オースティン(イギリスの絵本作家)


2021年6月12日土曜日

海を見に行く

 6月12日


作れども作れども一向にノルマの減らないクイズ作成、と、並行して綴っている4コマ制作。どちらもその日の朝に考えをまとめ、編集するスタイルを取っている。

当日にまとめる理由は単純で、メモにもまとまらないほどアイデアが出ないからだ。朝ふっとしたきっかけでネタをまとめて、お昼前後に更新できたことは毎度毎度本当に奇跡である。


評判はどうあれ、更新することそのものに、毎日続けること自体に意味があると考えている。

ダメなら次、次、と回せば良い、基本はそんなスタイルだ。


にしても、


以前読んだ技術書「カタルシスプラン」では「相手に伝えること」を特に重要視した。

伝わらなければ評価すら手にできない

それは重々承知している。


毎度更新することで、多少の評価が得られる4コマと、一方で内容柄、秘密裏に制作するクイズ集、その両天秤にお昼はタガが外れてしまい、しばし無気力となってしまった。


こんなとき、真水を浴びに行くことをだいぶ前に勧められた。


山梨に住んでいた頃は、近傍の山中湖によくぼーっとしにいったもの。

横浜は浜というくらいなので基本は海岸沿いの街なのだが、砂浜そのものは電車にしばらく乗車した金沢八景に向かう必要があった。もう一方は鎌倉だ。


外に出ることそのものが億劫だったため、出発したのは14時30分を回った頃だ。到着したのは15時30分、しばらくの間、砂浜を散歩し、リラクゼーション音楽ではない生の潮騒の音を耳にする。


幸福論のアランや詩人の谷川俊太郎は、気分転換に海に行ったという。


寄せては返す波。

周りはビーチバレーの集団や潮干狩りを楽しむ子ども連れ、日光浴を楽しむ外国人観光客などさまざまだった。


大海と対峙する時間は、何か高尚なことなど思い浮かぶはずもなく、しばらくザザーンという自然の音に耳を傾けていた。

ぼーっとする時間、やはり頭の中は飽和していたのだろうか、頭がじんわりと痺れる感覚に陥った。

小一時間ほど堪能し、のんびりと散歩を兼ねて帰宅する。


問題のノルマは一向に埋まらなかったが、少しずつ前進できたことで自分を褒めることにする。

創作作業は長期戦だ。短期戦の勢いでスタミナを使い切ってはいけないのだ。


ツイートをひらけば心に悪い感情を起こすセンシティブなツイートも多い。

私が愚痴や悲鳴を口にすることで、それら火に油を注ぐ形になりかねない。

所詮オッサンの愚痴など誰も手を差し伸べてはくれないのだ。


それなりに考えをまとめ、その日暮らし、行き当たりばったりの創作活動がまた明日も続く。


見えない未来の不安を、今を頑張ることで切り開く、といえば多少カッコがつくかも知れない。

明日もまた同様に、体を壊さないよう頑張ろう。

リピートするが、創作は長期戦なのだ。

2021年6月11日金曜日

思えば遠くへ来たもんだ

 6月11日


今日の4コマも評判が良く(いいね50超え)更新後、かたときもスマホから目が離せなかった。これがいわゆる「いいね」の弊害だと実感する。

応援は欲しい、けれど、それにつきっきりになると、自分の作りたい作品が曇ってしまう、は、前回も気をつけた事項だ。

「ボードゲームのクイズを作っています」と大手を振って自己紹介してはいるけれど、今ひとつ伝わった実感もないし、「クイズ?何それ」がやっぱり印象に残るのではないかと思う。


今月と先月で約500問ほどの問題を作り、少しだけ当時の「なんでも作れそう」の勘が戻ってき始める。


500問、

思えば遠くへ来たものだ。

過去の自分の作品から、自分自身で実感できるほど、かなり遠くの方へ歩いてしまったようだ。


もちろんいい顔ばかりではない。リスペクトの気持ちを持たなければ、私の活動などすぐに破綻してしまう。


次の手、次の手、をどんどん考慮しなければ、一本でやっていくには私の力はあまりに頼りない。


夏の暑さに力つき、あれよあれよと時間は過ぎる。

土日は混み合うと考え、明日も外出を控えようと思う。


問題は作ってはボツに、4コマも今日はいくつかネタを生み出した中の作品だ。

そうやって自分の中のフィルターでろ過しながら、作品を磨き上げること。


それが私なりの個性なのだと思う。


不安は尽きない。

でも、今は走るときだ。


周りで応援される方のためにも、今は体に気をつけて走ろうと思う。


2021年6月10日木曜日

ぼんやりした頭の中で

 6月10日

パソコンのモニターの前に座り、何をするわけでもなくTwitterを眺めたり音楽を聴いたりといった時間が長くなった。

頭に入らないところを見ると、脳が、体が、少し疲労している様子だ。


ここ数日の夏日に加え、現在まで一円にもならないブログや4コマ、クイズ制作といった作業(作業と呼ぶのもおこがましいが適当な言葉も見つからないので)に明け暮れた。


思いを文章に、そして、行動に移すことは本当に難しく、やるぞと決めて手を動かさなければ一向に始まらない。


適当な箇所で見切りをつけ、休み休み最後まで片付け、疲労し、また休み、毎日がそのくりかえし。


問題も改めて整理し、29問というノルマを自分に課した。

問題ももっと精査し、さらにレベルの高い作品を目指さなければ。


4コマも、ここ数日は比較的反応もよく、今回のネタは40いいねを超えた。


自分の作品が世に出て、それなりの評価をもらう、その繰り返しが中毒となっているかもしれない。


フリートを開けば話し相手も増えるだろうが、おしゃべりに使うようなネタも時間もない。

一問でも多くの問題ができるよう、作品として形になるよう、遠方からの声を頼りに、今は頑張る時期だ。


もうあと十日ほどで緊急事態宣言も明けるという予報だ。


15日には献血の予約も入れた。


自分を磨くこと、陰で頑張ることで、見てもらえることがある、と、今は信じて頑張るしかない。


もっとかっこいい言葉を綴りたいが、ぼんやりした頭ではこれが精一杯だ。

2021年6月9日水曜日

コミティア136参加備忘録

 6月6日日曜朝、参加するか否か前日まで本当に迷った「コミティア136(自主制作漫画誌展示即売会、以下「コミティア」)」へ向かうことを決めた。

会場は東京ビッグサイト青海展示棟。

一昨年の秋にはボードゲームのイベント「ゲームマーケット」も開催された場所でもある。


細部コミティア136公式URL

https://www.comitia.co.jp/html/136.html


参加を決めた一番の理由は、普段出展側として参加する自分が、こうした情勢下、参加者の側として、どこに向かい、どこに目が行き、どう感じたか、などを、肌身を持って感じ取りたかったからだ。


本ブログは私個人の備忘録として綴る記事となる。読者の方で仮に参考になる部分があれば幸いである。



当日の出展側として参加された方のツイートを見かける。

本情勢下でどういった人の入りとなるか、どれだけの売れ行きが見込まれるか、全く予想はつかめなったと話す。

緊急事態宣言の只中、つい先日は同じコミティアの地方イベント、北海道コミティア14が中止となったばかりだ。

その辺りも、昨年秋、そして今年の大阪、春とゲームマーケットを経験した自分の肌感覚に似ている気がした。


来たる当日朝。

天候はあいにくの雨。開場は11時1

10時を少し回る時間に最寄りの東京テレポート駅に到着した私。りんかい線の乗車率は体感で7割ほど。座ろうと思えば詰めて座席に座れる、といえば想像できるだろうか。


コミティアの入場方法は、事前に「ティアズマガジン」と呼ばれるカタログを事前に購入するシステムだ。(税込1300円、当日の2週間前となる5月23日に発売)こちらのカタログの購入数で、当日の入場者数を把握し、当日の入場制限を含めた人数の管理を行うとのこと。


当日販売も多少あったようだが、当日販売は長蛇の列ができることを鑑み、事前に購入することにした。


カタログ付属のチケットに名前と連絡先を記載、入口でリストバンドと交換する形である。耐水性があり、汗で崩れたりといった心配はなさそうだ。


入場の数を掌握する目的もあるため、会場内でリストバンドを外すことは厳禁とある。


検温は異常なし。

「検温OK」と表記されたピンクのリストバンドを身につけ、いざ外の待機列へ。

案内された待機列では、すでに多くの参加者が4列を守り並んでいた。



雨模様ということもあり、皆が傘をさして列に並ぶ。


コミックマーケットでは「周りの迷惑になる」という理由で、たとえ雨でも傘はささないことがエチケットとされたが(レインコート等はOK)、他人との傘がかからない距離間隔は、いわゆる「密」を避けるという意味でも良かったのかもしれない。「ちょうど傘の間隔を空けてお並びください」とスタッフからのアナウンスもあったほどだ。


待機列同士のわいわいと話し合う姿も見えない。それだけ周りも感染症対策に留意した上での参加ということなのだろう。


一旦動き出した待機列は、そのままの流れで入場口へ。

長く見えた待機列ではあったが、入場できた時間は11時15分ごろだった。


さて、参加自体を当日に決めたこともあり、事前の情報は、カタログにざっと目を通し、欲しい作品を2、3見繕った程度での参加だ。

カタログはサークルカットもそうだが、各サークルのおすすめやインタビュー記事など読み物として十分楽しんだ。


序盤から各サークルの元へスムーズに廻り、目当ての小冊子を物色する。幸い長蛇の列に並ぶことはなく、目的の買い物自体はものの15分ほどで終えた。


参加者でごった返し通路は歩くことすら難しい、といった以前のコミックマーケットとは雰囲気も大きく異なり、出展ブースの数も少なめで通路も大きく開いた分、通路は歩きやすく、周りのサークルがどういった作品を出品しているかを遠目でも確認することができた。



会場内をぶらぶら探索することにする。

幸い、コミティアは各サークルが「ジャンルごと」に位置どりされているため(「島」とも呼ぶらしい)カタログ付属の地図があれば、「欲しい作品のジャンル」がわかるようになっている。


地図を頼りに各ジャンルの作品を見て回る。私の目当ては主に「評論」「デザイン」などだ。

地図を片手にうろうろする自分が、以前ゲームマーケットの出展テーブルから眺めた来場者の姿に投影されたようだった。


事前にどんな作品が出品されるかといった事前の情報収集を怠った私にとって、サークル出展者の情報はスマートフォンでもカタログでもなく「各ブースのポスター」だった。


 大きなポスターに、今回イベントの出展作品が大きく掲示されているサークルは、うろうろする私にとって何よりも目を引いた。

 特に、今回各サークルが「頒布したい!」と強調された作品が一枚ドーンと描かれたポスターは特にインパクトが大きかった。

 以前自分も失敗したが、ついあれもこれもと「メニュー表」のようにレイアウトしてしまう。それはテーブル上のお品書きリストの役割で良いのかもしれない。

 また、こうしたイベントに不慣れな自分にとって、自分の現在地を掌握できる「現在のサークル番号」が合わせて記載されているポスター、お品書きにはつい目が止まった。


 応援するサークルの方へ、出発前のスーパーで調達した麦茶を手渡す。

 これも「青海展示棟はトイレも自販機も離れているので頻繁に通えない」ことを見越した自分の経験則に基づく。喜んでもらえてこちらも嬉しかった。こうした出展者・参加者相互のやりとりができるのも、オフラインならではの楽しみ方だ。



 仮設とはいえ青海展示棟はそれなりに広く、ぐるっと一周を歩くだけでも相当な距離となる。

 逆に考えると、全体をぐるりと2周し観察できるほどの余裕を持つことができたとも言える。


その後、買い逃しはないか全体をもう一周散策し、2時間ほどで会場を後にした。


 人手は少なかったとはいえ人の熱を甘く考えていた私は、帰りの電車では汗びっしょりのままとなった。



帰りながら今回気がついたことをおさらいする。


1 ポスター、掲示物のインパクトは重要


  後ろのポスターや、大きくサークルロゴ・キャラクターの描かれたテーブルクロス等で興味を惹かれた作品は、次にもう一周しようと決めた際のきっかけとなった。

 これも先にあげた「全体を眺める余裕」から生まれたものだろうと推測する。

 あれこれと細々描かれたものより、大きくドンと「今回の売り」を掲示するインパクトは、本当に大事だと実感できた。


2 整頓されたテーブルは重要


 作品をテーブルにポンと配置された作品より、クロスを引いたり、見本誌を用意したりといった配慮のなされたブース運営の大切さを改めて実感した。


 大手出版社のブースは作品も綺麗に整頓されていたので、自分もじっくり研究した。


 目を引く彩色のお品書きや簡潔にまとめられたお品書きリストは、それだけでも「作品への愛情」を受け取ることができた。

 細かい配慮だが、いざ購入する段階で背中を押す重要な要素だと実感できた。

 また自分が本を出すサークルということもあり、各出版社が無料で配布する「色彩事典」や「紙質の見本」などは大変勉強になった。

 次に立ち寄る際も、決して派手さはなくとも「テーブルが整頓された」サークルの方へと自然と足が向いた。


3 イベント外での活動も重要


 帰り際のタイムラインでは「会場内で頒布した作品は、BOOTH(個人通販)や委託店舗を利用し通販を行う」旨の流れをちらほら見かけた。


 会場では余裕を持って購入できた作品も、後日通販に並ぶや否や即座に完売となる作品もTwitterのタイムライン上で数多く目にした。


 こうした頒布の経路をいくつか持つことも本情勢下でのイベントにおける一つの特徴なのだろう。

 

 ツイートを検索すると、やはり「当日参加したかった!」などのツイートが数多く並ぶ。個人的な都合のほか、業務的な都合での参加を見合わせた方も大勢いらっしゃった。

 

 それゆえ、事前の告知を含めた広報や、多岐にわたる販促手段を確保することも、しばらくは頭においての活動となる、と改めて実感した。


 販促活動以外に、運営本部も「#エアコミティア」をつけ、SNSを通じたイベントで盛り上げようと努力された。

 こうした運営サイドの努力も、ゲームマーケットライブ中継「ゲムマライブ」に通じる気がした。


振り返って


「宇崎ちゃんは遊びたい」作者「丈」氏のツイートを引用する


それはもうひどいスランプに陥ってなに描いても全部駄目で先週丸ごと無駄にしてしまってて生きる気力すら見失いかけてたんだけど一か八か昨日コミティア行ってみたらちょっと復活してきた

同人イベント会場の空気でしか得られない栄養は確かにある

(引用元:https://twitter.com/syokumutaiman/status/1401753820774895618?s=20


 以前も私は「なぜそうまでリスクを冒してまでゲームマーケットに参加するのか」を自分に問うた。


 出展側となった際にそれは実感できた事項だが、参加者の方から受け取るエネルギーは本当に多い。

・自分の作品を目当てに購入してくれる方

・サークル名だけは頭にあり、当日新刊がないかご挨拶してくださった方

・作品は知らなかったが、説明をして作品を購入された方

等々、次への大きなモチベーションを受け取ることができた。


 逆の立場となった場合はどうだっただろう?

 

 参加者の側に立ち、改めて参加する側からも、出展者の熱意あふれる作品の数々を手にできた。

・読者としての感想を直接伝えることができた

・制作者から直接手渡されたときの制作者の笑顔を伺うことができた

・思いも寄らない箇所から自分の好きな作品、興味の湧いた作品を、制作者を通じ発見することができた

 作品の一つ一つから溢れんばかりの熱量を、綴られた文章やイラストなどを通じ、本当に多く受け取ることができた。


 資金に限度があり、また事前の予習不足も災いし、欲しいと思った全ての作品を手にすることができず、帰宅後に歯噛みする思いもした。

 購入するだけのイベントに留まらず、参加者、出展者、運営スタッフ相互が「安全安心を第一として、より一層界隈を盛り上げよう」と、長期間かけて制作された出展各作品は、今回参加者の側としてより多く購入できた作品の包みとともに、しばらく自分の中の一番のモチベーションとなる。

 先の引用元の「同人イベントの空気でしか得られない栄養」を自分なりに解釈すると、だいたいそんなところだ。  

 そんな目に見えない栄養こそ、創作を続ける自分にとって一番の収穫だと学んだのである。


笑いながら進もう

 


6月9日

昨日から続く夏日で身体も疲労に達した。

朝は久しぶりのランニングだったが、案の定、体も心臓も鈍っており、異常なほど心臓がバクバク言った。少し間違うと倒れるかもしれない。


4コマも何とか更新できた。

二日前に自分としてはかなり良い反応を頂戴できたので、それに引きずられないよう注意を払った。

Twitterでバズることの弊害は、脳が、体が、バズった時の状況を学習してしまうことだ。

作りたい作品から「バズるための作品」へ

シフトチェンジすると、本当に自分の描きたい作品が曇ってしまう。

適度に、ほどほどに、何より、創作の根幹を「自分の表現したいもの」に据えること。

簡単なようで、反応の数を気にしてしまう私にとっては、やっぱり難しい。


週末は天気が荒れるとはいえ、この暑さに夕方からは冷房を入れてしまった。

体温の上昇はそれだけで疲労を伴う、これも以前サロマ湖のウルトラマラソンで学んだことだ。

それだけ人間の体は繊細にできている証左だろう。


支援先のお店や個人の明るいツイートが目立つ。

自分も周りに支援できるほどの余裕はないが、それでも周りの笑顔を見ることは、自分もそのお裾分けを頂戴するようでとても気分が良い。

もっと資金が潤沢ならば、お店を貸し切ってボードゲームクイズイベントを大々的に行うのであるが、これも致し方なし。まずは自分の境遇から。


頑張る頑張ると何度も口にしながら、今はとにかくできるところまで。

問題の精査もここまで順調。明日もまた問題の制作が続く。

誰かが待つ、その日を夢見て、笑いながら明日も進むしかないのかなと思う。

2021年6月8日火曜日

外と向かい合う

 6月8日

朝からいつもの4コマ、夏日と聞いて慌ててこたつ布団を干し、クイズ本の制作、と、いつものように過ぎた1日。


イラストの練習にと、1500フォロワーを記念したイラストを描く。塗りの作業はいつもの4コマと違い、フィギアを塗装するような「無の境地」に浸れるため、集中はできるものの、その後の疲労感はいつも以上だ。


お金はないが、近所の業務用スーパーで枝豆を買い、てふや食堂さんのえだまめ料理を作ってみる。

ふさごと茹でることを知り、これも水っぽくならないための工夫なのかと思いながら、何とか完成。一人暮らしの自炊にしては良くできたほうだ。何よりツイートを通じ、改めててふやさんにお礼を伝えられたことが嬉しかった。


フォロワーもそう、料理もそう。悩むこと、できないことは本当に多い。ただでさえ手持ちのお金もない自分にとって、作品を外に発信し、それなりの反応がもらえることが何よりも嬉しいのだ。


コミティアで購入した「カタルシスプラン」にも、デザインアドバイス本にも、やはり一人ではなく周りに発信することの重要性が書かれていた。


インドかどこかアジア圏だったかと記憶するが、日本の教育と違い、他人に迷惑はかけるもの、他人を受け入れることが重要だ、と、これは浅学ながらアドラーの哲学にも通じるのではないか。


自分のできること、と、周りから期待されることは本当に違う。

本当に辛く苦しい、そんな中、それでも自分の中を出しながら、外と通じた時、自分の生きがいが生まれるのだろう。


貯金の目減りを気にしつつ、お金がなくてご支援できないことの苦しさと、それでも何かできないか、と、外と通じよう通じようと懸命にもがく自分。


三十度を超える夏日となった今日。

何もなくとも日は暮れ、また日はのぼる。

少しでも前へ、前へと前進することしか、今の自分には見えてこない。


応援の声はどこか遠くにあるはずだ。

今はただ、その期待に答えられるよう、彫刻品のように作品を磨くのみである。

2021年6月7日月曜日

気持ちの起伏の疲労感

6月7日


昨夜の疲労は思った以上に体に残り、今日は朝の遅い時間までぐったり横になった。

イベント明けの朝は、出展側でなくとも気を張ってしまうのだろう。

ぼんやりする頭の中、何とか4コマのネタを捻り出し、急いでペンを走らせた。それでも更新した時間は13時半ごろだった。


遅い時間ではあったが、思いのほか評判が良く、前作4コマで成し得られなかった「50いいね以上」を獲得することができた。


とはいえ、執筆の環境はさほど良くはない。電車でヨドバシまで出かけ、ペーパーライクフィルムを調達する。


クイズの制作、レイアウトの試行錯誤、そんないつもの日常でまたたく間にすぎる1日。


周りを見ると「月収5万円のどん底(から成り上がったサラリーマン云々)」「今月は月収2万円の貧乏漫画家」などの言葉が並ぶ。

「言ってくれるじゃないの」と思いつつぼんやりと眺める。

今日のおかずも半額の弁当だ。


運勢は最悪のバツマークだったらしい今日の一日。

気持ちの浮き沈みが大きいと、それだけで体を酷使するものだ。


嬉しい気持ちでも人は鬱になると聞く。


脳に過剰な疲労、とりわけストレスと呼ばれるもの、は、相手へ余計に負荷をかけてしまう。

人気の作品はその辺りを上手くコントロールできるものだろう。私の目指す作品とは何となく正反対のようだ。


嬉しいお知らせが並ぶタイムラインをよそに、誰が読むともしれないクイズをひたすら作る。

昨日お渡しした本は、あいも変わらず一般の人からすれば不可解な文字列の並ぶボードゲームのクイズ本だ。

提出したことを今になって後悔しつつ、明日を迎える。

Podcastを聴く元気もないので、このまま横になることにしよう。

気持ちの起伏は、本当に疲労を伴うものだ。と、前職で上司と交わしたやりとりをぼんやりと思い出す。


2021年6月6日日曜日

人と会う、って、面白い!

 6月6日

コミティアに行くことに決めた。前日夜、ようやく決心がついた。

当日まで参加することをひた隠しにした理由がそれだ。緊急事態宣言ただ中の今、良かれ悪かれこうした集まりに参加することはそれだけで周囲の目線を奪う。

 羨望の眼差しならいざ知らず、付き合いもない人から買い物などを持ちかけられるのは勘弁だ。

 それでも参加を決意した一番の理由が、参加する側として、イベントに熟練したスタッフの一連の動きを観察したかったからだ。


 詳細はまた別に綴るとして、当日は小雨模様。それでも冷たい雨にさらされながら1時間ほど長い橋を往復で歩かされたゲームマーケット2019秋に比べたら雲泥の差である。人間、慣れとはいささか恐ろしい。


 室内はブースの間隔が広くとられ、各種感染症対策は万全に行われていた。

 何より、普段のコミックマーケットとは人数も減少したであろうが、スムーズで快適、人の少なさは室内の空調がきちんと効いたことが何よりの証明だった。

 

 それでも長く歩き通しでは疲労も溜まる。


 所定の買い物を簡単に済ませ、次は深川のいっぷく様へ。


 雨が本降りとなり、室内でコーヒーを頂戴する。

 店員の刀さんといっぷくのこの先が良かったことを伝え、将棋のインストラクターを務めるという彼女に、店内のボードゲームをいくつか紹介する。

 

 ドメモ、ガイスター、FILLIT、ノイ、等々、お子さんを相手に教える先生だということで、お子さんでも楽しめる名作を紹介した。

 

 元々アレックス・ランドルフは日本国内で将棋の段を所有し、その知見を生かして名作ガイスターやツィクストを制作されたと聞く。


 だから、というわけでもないと思うが、将棋有段者の腕前はさすがなもので、一度ルールを飲み込むとすぐさまこちらの意を汲むかのようにひょいひょいと手筋を読み込んでくる。

 負けました、と深々と頭を下げる僕。


 久しぶりに人と話し、簡単に交流し、オンラインでは体験できない「人の良さ」を改めて実感した。


 楽しい人と楽しく話す時間は、単純に飽きることがない。

 

 それは楽しさを共有する場や時間が刻々とうつろうからだろう。


 次に会う時は、僕も成長して来ます。


 イベントでもいっぷくでも、離れた後はそんな思いが胸に去来しながら、いつもの変わらない自宅へと戻る。


 自宅は変化しないが、手を動かすことで、前へと進み、状況も攪拌され、作品はさらなる進化を遂げる。


 そう信じることで、自分も、そして相手も、お互いがお互いに成長できるはずだ。


 ネガティブな気持ちではなく、少しでも前へ、前へ。


 今月6月いっぱいでいつものいっぷくは終わり、新生「いっぷく」が誕生する。

 夏のコミックマーケットも無くなった今、次回のコミティアは9月だという。


 先のことはわからないけれど、次に会う時、自分もまた成長していますよう。

 それが次に出会えるであろう相手への感謝の気持ちなのだ。

2021年6月5日土曜日

できることの、1ミリ先へ

6月5日

ふと思い立ち、問題制作の修行を行うことにした。

与えられたお題に対して即興で問題を作成する、

少し前にもそんな修行を敢行し、無事に終えることができたという安心からだ。


今回はさらに範囲を狭め「ボードゲームのタイトル」とした。

1日募った結果、悪戦苦闘しつつ、何とか18問を完走することができた。


4コマも並行して描く。

もう少し無理をすればオンラインのクイズ会にも参加できたであろうが、時間と体に余裕はなかった。


「やりたいことは、できることの1ミリ先」

秋元康か誰かのそんな言葉を思い出す。


だから、自分のできる(もしくは「できると思っていること」)を少し、ほんの少しだけ背伸びしてやってみる。


無理はする、でも、決して「無茶」はしない。

その境目を動くように、頑張ることだ。


今日も何となく問題を作り本を読み、と過ごすうちにあっという間に1日が過ぎた。

動かない生活からゴミは生まれないらしく、今日のゴミ出しは買い物袋にして2袋のみ。

ゴミとなって排出される量も、率先して動かないことには増えないというわけだ。


安い炭酸を飲みながら、少しずつまた手を動かす。

できることの、その先に、何が待つのか。

少なくとも同情を誘って仲間を引き込む真似はしたくはない。

それはパワハラ上司の常套手段だ。


問題数にして、中間の問題が4問を含む6問、リメイク版の問題も残すは30問と少しだ。


問題制作、問題読み、それらが半年前より大幅に生み出せるよう、取り戻せたことが、今は何よりも嬉しい。

2021年6月4日金曜日

デザインと老子の話

6月4日


 今日の4コマはかなりの時間をかけた。大概私の作品はボードゲームのパッケージを丁寧に模写することがある。

 イラストの練習という意味合いもあるが、何より、模写された側が万が一でも目にされた場合(私の漫画など原作者が発見するほど有名でもないが)不恰好な作品ではお気を悪くされるかもしれない。


 朝7時30分ごろからラフを開始し、描き上げた時は12時30分を回っていた。

 5時間は最長ではなかったか。その前にトレンディを描いた時も4時間半ほどの時間を要したはずだ。


 だから、といっていいねの数が多くつくわけではない。

 悲しきかな、それがSNSの世界であり、RTもいいねもこちらから願って操作できるわけではない。

 努力賞では相手の目を引き止めることなどできないのだ。

 こちらはいつもの数となった。


 口を曲げていたところに、グループSNEから最近復刻された「コボルドのボードゲームデザイン」が届き、早速拝読する。


 難しい用語が並ぶハウツー本のようなものかと警戒したが、今もその名の褪せないボードゲーム制作者が、めいめいの理論で「ボードゲームに込めた楽しさ」を解説する本だった。


 ボードゲームの感想ツイートに並ぶ「楽しい」の言葉。

 曖昧であり、実にアナログな言葉だが、具体的にこれら「楽しさ」をどう表現するか。

 語彙力(個人的には語彙「量」だと思うが、ここでは合わせる)の足りなさでごまかすことなく、感情をどう揺さぶられる演出があったかをきちんと言葉で表現する、そのデザイン的な仕掛けが満載であった。


 日本語の「デザイン」という言葉は、しばしば「グラフィック」の意味合いで置き換えられることが多い。

 料理に例えると、美味しい食材(グラフィック)があれば、必然的に美味しい料理ができあがるかもしれない。

 デザインはその「調理法」に当たる部分だ。

 火加減、水加減、隠し調味料、等々、素材の良さを最大限に引き立てる術があれば、冷蔵庫の中の食材ですら豪華ディナーに変貌する、それだ。


 ボードゲームに限らず、名作にはそれら「言葉にするのは難しいけれど、なにか楽しい」を引き出すエッセンスが仕込まれている。


 絵柄の良さやルールの基盤とともに、眠っているはずではあるが、決して目立たない、中国陰陽道の「陰」の部分だ。

 老子の言葉にも「陰で相手を操作すること」こそ重要であるといった文言が並んでいたはずだ(言葉が曖昧ではあるが)。

 

 任天堂の故・岩田社長も「「なんとなく」が一番駄目なんです」とおっしゃられた。

 何かしら理由をつけ、確実にそこに配置する、そんな仕掛けができるよう、「なんとなく」ではなく「すべてにおいて理由が存在する」と誰か哲学者が話していたように、理由づけて説明ができるよう努めなければ。

 

 私の4コマもクイズ本も、そんな「隠された仕掛け」を、数多く搭載できるよう明日もまた頑張る。

 

 雨が降り、気圧に飲まれそうな中、今日も1日お疲れ様でした。

2021年6月3日木曜日

日々頑張るしかないのである。


6月3日

4コマの連載が30回となった。

とはいえ、あまり自慢するものでもない。イラストが上手く、そして毎ツイート数百数千バズりするアカウントに比べたら、どんなに多くても50いいね以上をもらったことのない私など微々たるものだ。

少し用事を思い出し、偶然立ち寄ったアニメイトの本棚には、イラストもシナリオも神様レベルの漫画家が群雄割拠という状況だ。


足はすくむ。

それでも「自分にしかできないこと」を信じて、またはある程度「外野の声に耳を預けずに」進むこと。

その中に、一人、二人、と理解者も現れるかもしれない。


理解者からの声で、自分の持つ魅力がわかることも、最近読んだ漫画から得られた知識だ。

好きな漫画家は、ネット上で見かけることが少ない。

それだけ作品を大事にされているということだろう。


私のほかにも、最近ペンを握り始めた方をチラホラと見かける。

そんな中でも、毎日毎日続ける人間など、自分も含めてそう多くはない。


私の漫画は、「漫画を通じて訴えたいこと」があるわけではない。

目にされた方がほんの数秒でも「くすり」と笑ってもらえる、そんな作品を目指している。

労力に比べると、その効果の実に少ないこと。

それでも自分の中の本当の実力を筆に込め、少しずつ、崖を上がっていく。


外野は批評し、あざけり、笑い、反撃でもしようものなら、売れている漫画と対比する。


私はじっと耐えながら、いつか、またいつか、と筆を握るだけ。


この漫画が56話に達すると、以前の漫画の累計と合わせて600話の更新となる。


長く続けることの難しさは、やはり体験しなければわからない。

その上、ことさら私に限っては、ネタを他人に委ねることもしてはいない。

自分の作品ぐらい自分で片付けたい。

だから他の作品よりも応援の声は少ない。


耐える時間。

梅雨冷えのように、晴天を待つための耐える時間が、30日に達したことを、今日もまた詰め込んだ作業の中で自分を許すことなく、積み重ねる、それだけだ。


アメリカのおかんさんからも、頑張る旨の報告が届く。

人気ブロガーのあっきいらびっとさんも、カレーショップを開店する旨の朗報が届く。


緊急事態宣言下、水面下では大きく根っこが胎動している。


私も負けてはいられない。

また明日も頑張るか。

2021年6月2日水曜日

お金と心のメンテナンス

少し前くらいから「いいねの数だけボードゲーム好きが答える」のタグが活況している。

元のネタは映画だったかと思う。質問内容をボードゲーム好きに合わせ、SM Rabittの狐鞭氏が作成した。


氏の活動は最近になってすごく活況しているように見える。

ほんの数ヶ月前、手元のお金が無くなったことでAmazonの欲しいものリストを公開、翌日にはすべて届けられたというエピソードが印象に残っている。


それを思い出すたび、お金の力は凄いと感じる。



先日も某デザイナー・イラストレーター氏も、ここでは表沙汰にはしないけれど、お金の良さ、素晴らしさをツイートされた。


私も日々削られる貯金の額面に戦々恐々としながら、日々ご飯と柴漬けで糊口をしのいでいる。

お金は必要であり、大切なものだ。


それを踏まえても、どうにも自分には、お金お金と日ごろの口癖だった人間、とりわけ親族や友人だ、が頭をよぎる。


汚いもの、とまではいかないにせよ、あまりにお金に執着しすぎると、我を見失ってしまうのではないか、と心配になるからかもしれない。


だから、というわけではないが、自分はその辺りを楽観的に考えるようにしている。


本が売れなければ、手持ちのボードゲームを売って、どこか田舎に引っ越そう。

そこで一人、自給自足で過ごすのも悪くはないかな。


もちろん今はたぎる創作意欲をクイズ本制作に傾注している最中だ。心配事を払拭するかのようにひたすら手を動かす、そんな毎日だ。


今日は朝起きることがとても辛かった。周りに報告すると、心配のリプライを届けた方もいらっしゃった。


オートバイのメンテナンスと同じ、回転させすぎるとオーバーヒートする。

やりたいことを行うためにも、体のメンテナンスは第一に。

その結果としてお金が返ってくることが一番僕にとって望ましい。


先行きは不安だ。以前占い師から「2月から運気は格段に良くなります」とあったが、4ヶ月経過し、未だ果報は届かない。


周りからは祝福の報告が続く。焦ってはいない、というと嘘になるだろう。

それでも好きなこと、結果を残したいことを、しっかりと行うためにも、体と心のメンテナンスだけはしっかりしよう。


明日もまたしば漬けをかじりながら創作する日々が続く。

負けるものか。

2021年6月1日火曜日

マウントを取らないクイズの調整

6月1日(火曜)


 クイズ制作はぼちぼち、といっても、少し前まで本当に1、2問を生み出すことすらできなかった自分にとって、目の前の情報をまとめて4、5問ほど生み出せるまでに勘を取り戻せたことは何よりも大きい。


 情報を整理し、60文字足らずにまとめる作業は、慣れないうちは困難を要する。区切り、削り、重要だと思った文言だけを残し、問題文をすべて伝えた時点で、目的とする割合の層に正解を認識させなければならないからだ。


 私自身がかつてそうだったと備忘録のように綴るが、問題制作に慣れないうちは、どうしても問題の難易度を「意図して」上げる傾向にある。


 解答者には答えて欲しいけれど、軽くわかってしまった際に、問題そのものの主導権が解答側に流れてしまうと考えるからだ。


 自分の中でクイズとは、わかったから、または解答者がわからなかったから「ドヤ顔」するツールではない、決して「ない」


「こんなこともわからないの?」とけなすような問題であってはならないのだ。その辺りの難易度調整に本当に苦心する。


 基本は「わかると楽しい」、その上で、わかるためのハードルを徐々に上げる、一人ではなく複数名を想定し、早くわかった方に解答権を譲る、そのための競技性も持たせなければならない。


 その辺りの匙加減は本当に難しい。


 これまで自分の作成したクイズ本が、どちらかといえば「ソロプレイ」、一人で読むことを想定した作品ばかりだからだ、と、思う。

 他のボードゲーム制作サークルと違い、楽しむ相手は私のほかには「本を手にした方」だ。

その先にいらっしゃるであろう複数名を相手とするための本、それがおぼろげながら見えてきた「次なるクイズの展望」なのかと思う。


 ボードゲームの垣根を越えた、最高の一冊、聞こえはいいけれど、そのために尽くす努力は問題のみにあらず、レイアウトやデザイン、広報や楽しみ方など、今ここでくすぶるわけにはいかない。



 6月に入り、この日記も軽く400字程度を目標に、週一から毎日綴ることに決めた。

どこまで続くかはわからないけれど、日々の4コマのように、気楽に、思うままに気持ちの整理ができたらと思う。

2021年5月29日土曜日

愛されるお店の形

 大阪・中津のボードゲームショップ・プレイスペースBoard GameLab.ddtが、相次ぐ緊急事態宣言下に売り上げが大きく落ち込んだことにともなう店舗継続のクラウドファンディングを行ったところ、1時間と経たないうちに目標額の100万円を突破、1日も経過しないうちに200万を超える支援額を達成した。

 クラウドファンディング告知直後、たまたま開いていたツイキャスライブにて、店長のちむさんがコメントし、支援に至る苦しさと、支援の報告が上がるたびにこぼす涙とをにじませていた。

 大阪といえば、先日もボードゲームショップ・プレイスペースGUILDが心斎橋移転の費用に行ったクラウドファンディングも同様に成功を収め、ゲームマーケット前日に開催されたプレオープンには多くの制作者、愛好者で賑わいを見せた。
 
 翌日、閉店すると告知のあった東京・深川のどうぶつしょうぎカフェ「いっぷく」に、店長を継ぎたい旨の報告があり、これからも継続する旨のツイートが届いた。

 いっぷくにも理解のある方が店舗を引き継ぎ、店長のふじたさんはこれまでと同様いちボードゲームプレイヤーとして新たな一歩を踏み出すとのお知らせである。

 私も手持ちに余裕のない中、「気は心」とばかりに微額ながらの支援を行なった。
 もっと潤沢に資金があれば、多くの方の喜びの声も届いたかと思うと心苦しい。
 名声に加え資産も乏しい故、ご容赦願いたい。
 
 国の情勢、判断がこれから先どうなるか、首相の腹積りは窺い知れない。
 本状況が収束した末にどうなるか、世論では戦争に喩えられるが、教科書を読む限り、国から発令される数々の戦後復興と方針転換となる政策に、当時の労働者は貧しさの最中でも未来と希望を描いたはずだ。

 閑話休題、キャスの中でちむ店長も口にされたが、クラウドファンディングという「これまで培われた人徳や信頼」が、支援金という形で明るみになる手段は恐怖心が増すもの。
 否が応でも他と比較してしまい、ともすればネガティヴな思考へと落ちる一方だ。

 私も今の作品を「やってみたら?」と勧められてホイホイと名乗りを上げる勇気は今の自分にはない。
 自信をもって世に生み出したものの、思うような反応もない、など、今執筆中の4コマや製作中のクイズ本などで毎度経験していることもある。
 私事はさておき、お店の方とお話するたびに私が口にする言葉がある。
「制作者を大切にするお店は、皆さんに愛されますね」
 あくまで外から眺めた立場に過ぎないが、長く運営すると、どんなお店にもある程度「固定ファン」がつくものだ。その客層が新たな人を呼び、次第にお店全体の姿形がカタチ取られる。
 制作された作品に愛情を持って接するお店、ことさら、丁寧に相手と接するお店には、やはり作品を通じた「ボードゲームを愛する層」が深く根づく、私の視野で私が思った雑感だ。

 一顧客である私のできることなど微々たるもの。先にも述べたように、名声も資金もない人間など、多くのお店で嫌悪されて然るべきだ。
 
 そんな私でも「一塊の創作者」として見てもらえるお店に、やっぱり私は足を運びたくなるものだ。

 人情のようなものかもしれない。

 ここでの詳細は記載しないが、創作者が寄贈したサイン色紙がオークションサイトに流れた件も未だ記憶に残っている。

 未だ混迷続く情勢の中、悲しい話題からはどうしても目を逸らしたいし、それは日々創作に苦しむ私自身にも返ってくる言葉だ。

 そんな中、地中から息吹く若葉のような、小さな、そして何よりも心の緩む嬉しいニュースに、心からエールと支援を贈る、そんな1週間だった。

 また今夜もご飯とたくあんの食事が続く。まあ、気にせず頑張ろう。


2021年5月24日月曜日

オキシトシン的展開を 連載21話更新に向けて


 日記のような感覚でつけることにした。

 脳内では「雑誌編集者から求められたコラム」の体裁で、これから飽きるまでしばらく続けることにした。


 今後は問題制作も含めた「文書作成能力」をより一層高めなければ、

 しかしながら恩師に乞うようなお金も時間も私には持ち合わせていない。


 何も音沙汰がなければ3ヶ月で倒れるであろう今のうちに、思いの丈をつづれる場所を探し、まずは媒体を気にせず「書く習慣」から始めることにした。

 追記すると、本文も含め「需要があるから」という理由で創作するわけでもない。

 需要があるから、を軸にすると、私の場合、本当に創作の手が止まってしまうからだ。

 後ろ向きな言葉にも受け取れるけれど、私の作品なんてそうそう需要があるわけでもない。

 レッドオーシャン、ブルーオーシャンなどの言葉からは無縁の、所詮はボードゲームに特化したクイズの本という奇書だ。有り体に言うと、大きく売り上げを上げたところで100部にも達しない本である。

 需要の有無で言えば「ほぼゼロ」に近い。


 好きで書く、という前提だから、続けられる。

 需要のあるなしから無縁の世界だから、落ち込みは全て自分の責任にできる。

 とにもかくにも、上達する上で重要な「継続のモチベーション」を、人気や評判のあるなしで判別すると、すぐに手が止まる、という話だ。少なくとも私の場合は。

 自分のできる形で表現し、少しずつ薄皮を破るが如く練成する、その先に「読んでもらう方の笑顔があるから」さらに続くものだと思う。



 さて、もう一つ日課として継続してる4コマ「かみとさいころ」の更新が、21日連続を迎えた。

 21日という半端な数は、愛読書「3週間続けば人生が変わる(ロビン・シャーマ著)」の言葉を受け、事あるごとに目安とする、私独自の指標のようなものだ。


 これまで連載を続けた4コマ「ボドびよ。きょうもボドびより」も、足掛け2年で連載644話もの数を更新することができた。

 がしかし、連載の数を重ねるに従い、創作は日々困難を極めた。


 数々の制限を設けた自分に非がある事は承知だ。

 起承転結で終わらせ、セリフや説明はなるべく削り、少なくとも文章の締める割合を1、2割に抑えること、など、数を重ねるに従い、そのこだわりという名の制限は重なっていった。

 1話を書くために半日以上もの時間を費やすなど当たり前のようになった。


 それらを踏まえた上で、今回の4コマはさらに制限を加えることにした。


・いわゆる一般の「ボドゲあるある」から一歩踏み出した「初めての方の視点」を重きにすること


 ボードゲームのあるあるだけを綴るなら、私の勉強不足な点を含め、すでに多くの愛好者が笑いに昇華しているはずだ。

 そんな中、私は「漫画だからできることとは?」を突き詰め、単に面白おかしいエピソードから一歩踏み出した「それから先の考え方」をネタの軸に据えて綴ることにした。


もうひとつ。


・読んでもらう方に笑顔を届けられるよう、必ず1コマ「笑顔」を描くこと


 私の作品は、読者の琴線に触れるような「心動かされる作品」より、「いつもの日常に添えられる程度の、くすりとした笑い」を目指すことにした。


 少し前に読んだ本で、幸福を感じる脳内物質は、興奮を呼び起こす「オキシトシン的幸福」と、安定を呼ぶ「セロトニン的幸福」に分けられるのだという。(「精神科医が見つけた三つの幸福」より)


 心拍数が上がり、次へ次へと欲求が刺激される「オキシトシン的幸福」を追求すると、確かに多くの方の感動を呼びこむ素晴らしい作品に仕上がるかもしれない。

 その一方で、ついサスペンス的な、ドラマチックな展開へと考えが深化した場合、本当に自分の意図する創作の方向ができるのだろうか、と考えた。


 考えた末、私はもう一方の「セロトニン的幸福」、心拍数は抑えられる「いつもの日常」の笑いを目指すことにした。

 刺激は少なく安心して読める反面、心拍数は抑えられるため、必然的に悲壮的な、ドラマチックな展開はなく、自虐ながら実に退屈な展開が続く。

 力を抜いて作品を楽しんでもらう、という私の創作の方向性に合致していたのはこっちの方だと判断し、舵をきった。 


 毎日更新していることに加え、展開が退屈だからだろうか、以前より読者は目に見える形で減少し、代わりに「批評家」は増えるようになった。

 悲しいけれど、毎日更新する私の苦労とは裏腹に、ツイートを開けばイラストも展開も自分好みの漫画が活況するSNSの世界では、退屈な私の漫画の評判など到底及ぶすべもない。

 

 そこでもめげることなく、方向を切り替えることなく、学んだ術を筆にしたため、また翌日も描く、描く、描く……

 そんな執筆を続ける日々だ。

 先に挙げた「モチベーションの方向」も、この辺りに通じる考え方だ。


 作品には作者の人となりが自然とにじみ出る、と、多くの作家が口にする。

 4コマに限らず、ともすれば一度きりで読み捨てられるであろう私の各書籍にも、知らず知らず、私の秘めたる気持ちや想いが(もちろん私自身も知る由もない点)現れるているのだろう。

 なおかつ、それらはSNSという媒体の特性から、以前よりかなり至近になった読み手と作者との距離を通じ、伝播するものだろうと考えている。


 私はまた明日も創作を続ける。

 

 軸の整った想いを届けるには、相応の数をこなし、興味のある方の元へ届けなくては。


 4コマの先にある世界は、変わり者のキャラクターがわいわい動くだけの、ちょっと変わった日常の延長だ。

 だから明日もまたドラマチックとはいえない4コマを繰り広げる。

 それでも「応援する読者」、とりわけ第一の読者である「自分自身」に向け、全身全霊を尽くし、ペンを握る。


 資金的な悩みも含め、どこまで継続できるかわからないけれど、愛すべきキャラクターと応援する読者のためにも、とりあえずほんの先くらいまで走ってみようかと思う。

笑われて、笑われて

 5月から心機一転開始した日々の4コマが、今日で150話、2年間ちょっとに及ぶ過去の連載文を含めると794話と、800話も目前となった。 今度の4コマも無事に2巻目の入稿を済ませ、次回イベントで1,2巻も含めた初めての頒布となる。 日々苦しい執筆だった。 心に響くしんみりとした言...