2022年3月31日木曜日

ワクワクすること

 お金がない中、行く予定もない3000円のゲームマーケットカタログを買った。

中のサークルカットを見ると、欲しいボードゲームは山ほど出てくる。もう慣れたサークルはサークルカットなどロゴを載せるだけだったり去年の使い回しだったりと適当に済ませる箇所も多く、毎回1週間ほどの時間をかける自分は少し憤慨するが、ゲーム制作者の本文は面白いボードゲームを作ることであり、レイアウトやデザインがおざなりとなる面も仕方のない話かもしれない。


高いお金を出して買ったカタログには、大阪、昨年秋に頒布する作品など「そうそう、TLに上がってくる作品だよね!」と脳内に巡ってくる感覚、これこそカタログを読まなければ味わえない知識の分野での収穫なのだろう。

カタログを読まなければ、このワクワク感や作品の分析など、湧き上がらなかったかもしれない。

もちろん公式ブログを丹念に眺めることで代用もできるだろうが、同じ時間でカタログを読み込む方が効率も良い。そのためのお金だと割り切ることにした。

以前何かの記事で-(ほぼ日の本だったかもしれない)年を重ねると、ワクワクを手にできる機会は本当に少ない、という言葉を目にし、思わず大きく頷いた。脳にまつわるあれこれを語ることもできるが、何より実体験として、何か興奮すること、ドキドキすることを、体ではなく脳が求めているように思える。退屈を敵とする哲学の本を読んだからかもしれない。興奮を、他人への攻撃で求める者に、自分は決してなりたくはない!そう誓ったことも思い出した。

余談だが、幼い頃、テレビに向かってぶつぶつ喋る大人が子供心に好きになれなかった。醜いいじめを受けた影響からかもしれない。だから今も引用リツイートで意見することを自分は控えている。意見はきちんとリプライで伝えている。

閑話休題、制作も佳境を迎え、もう修正箇所も少なくなってきた。疲労した体では大きな盤面も見えないことだろう。休めるときにはしっかりと体を休め、できる限りの努力を傾注しようと思う。

それが、周りにも自分にも嘘のない生き方であると信じる。

2022年3月30日水曜日

話題はそこそこに

 タイムラインではこの時期ならではのパクリ騒動が話題ではあるが、ワイドショー的な話題はネガティブを増幅させるため(そうでなくとも目が向いてしまうので)話題から遠ざかり、自分は自分正面の作業に集中することにした。表紙、背表紙も完成し、あとはもう一度全体を見直して明後日の金曜には一通り完成を目指そうと思う。ここまで長かった。


ゲームマーケットのカタログが各出展者サイドに到着したらしく、むしろそちらの話題の方が私のタイムラインでは目立った。

拾い拾い情報を集めると、どうやら次回秋は10月末、会場は東123ホールと、会場は広くなり期間は短くなりと、そちらの興味が尽きなかった。


従来より数週間早いのであれば、昨日の話題ではないが、4月からさらに問題制作を加速させなければならない。

去年はなんやかや500問以上の問題を制作、ボツになった問題なども含め1000問は突破しただろうか、それでも大きく取り上げられることもなかった。

どれだけ努力を重ねても、立ち回りが上手い人間には、やっぱり叶わない。努力を傍で眺め評価する人間など、本当に存在するのだろうか。

気持ちは落ち込むが、それでも前を向き、次に次にと自分の体を向けることにした。気落ちするだけのことを自分はやっているのだ、何もことを起こさなければ気落ちすることすらできなかったではないか、そう言い聞かせることにした。

努力賞でお客は評価しない、辛いけれどこれが現実である。

しかしながら、この感染症禍の2年間、本当に外出を控えて創作に没頭し、貯金が尽き果てるまで本を買い創作にささげたことは、必ず小冊子の中に眠っているものと信じる。

見えない箇所での努力は、いざ他の誰かが真似をしようと手をかけたところで、その深さや難しさに引き返すことだろう。

見えない箇所の努力は、真似されることすら凌駕するのだ。

辛いこと悲しいことは、最後に笑うことで喜劇となる。努力家だったチャップリンの言葉を背に、明日また最後の追い込みを行う予定だ。

2022年3月29日火曜日

先を読む

 先週くらいから表紙、裏表紙、ひいては新刊本全体のイメージを手探りでつかみ、何とか終盤にそれらが収束に向かう感覚を覚えた。

全体のテーマは「ミントグリーン」、爽やかな作品を目指すことに決めた。

以前のデザイン講義だったかと思う。

8月、炎天下の中でのコミックマーケットで頒布された「熱中症対策マニュアル本」という同人誌に対し、デザインの師が「こうした本は5月に読みたかった。熱中症たけなわの今読んでも感動は薄れる」旨のアドバイスをされた。

創作時期や頒布時期ではなく、実際に手に取ってもらった読者が、いつその本の喜びを享受できるか、そこまで先、先を読まなければならないと、側で眺める自分も勉強になった。


感染症禍も開けぬまま、もう2年ほどの月日が流れた。

ゲームマーケットを含む全国各地のイベントも厳戒態勢の中ながら少しずつ開催される。

そんな中、新作を出品される制作ブースの方々が、どれくらいの分析をもって作品を出すのだろう。

特に昨今はクラウドファンディングの影響もあり、制作時期の垣根を超え、その結果、時期的特性など特段意識せずとも、好きな作品を好きな時期に頒布できる態勢が整った。

自分の思い描いた創作物を、好きな時期に頒布できることは、逆を返せば、ゲームマーケットに合わせた新作を考えることもなく、中には「クラウドファンディング●●%達成!」と看板文句に、創作ゲームを頒布することが主体のブースもちらほら見かける。言うなれば、本当に各イベントが「お買い物イベント」へと傾きつつあるように映るのだ。ゲームマーケットの主催が提唱する「体験」を売りにするはずのイベントが、出展側から離れてしまうのではないか、そんな余計な心配をする自分がいる。


ゲームマーケットはボードゲームを手にできるイベントと捉えることもできるだろう。けれど、それは決して試遊がないから体験できない、会話を控えなければならないとコミュニケーションができない、と等価ではないはず。少なくとも「クイズ」という、出題者・解答者、相互の会話を通じたやりとりが主体となる自分は周りより機敏にそれを察知し、あれこれ行動に移した。会話のないクイズ、早押しのないクイズ、クイズがダメだった時の頒布品、等々。


作ったものを頒布すること、自分はその先の、興味を持って本を手にされた方に、少しでも喜んでもらえる作品を作りたい。

そのためにも、頒布の時期である初夏の時期に、流動的な世の中の情勢がどうなっているか、締め切りまでもうしばらく熟考したいと思う。



2022年3月28日月曜日

漫画雑誌を眺めながら

 愚痴を吐いたあとは後味も悪くなるもの、だからなるべく愚痴ではなく建設的な意見を綴ろうかと思うので、なるべくこの気持ちも書きながら整理する形を取りたい。


漫画雑誌を買う機会が増えた。少年漫画誌ではなく、私のようなミドルなおっさんが読むような、程々の刺激で、ほのぼの楽しめる漫画雑誌が多い。

大手書房が発売するその雑誌も、定期的に「新人マンガ大賞」を募集している。大賞作品は程なくして連載化され、ニューウェーブなどの肩書きとともに新たな漫画家として紹介される。


見ながら「漫画家のなり手が本当に少ない」ことを実感する。

そんな馬鹿な、と思われるかもしれない。Twitter等を覗けば、有名無名問わず多くのプロやアマチュアの作家が、引きも切らず優秀な漫画をアップデートされるし、無料で読むアプリなども隆盛を誇っている。


しかしながら、物語としてきちんと組み立てられ、オリジナルのキャラクターを確立させる方がどれくらいいらっしゃるのだろう。


感染症禍の煽りを受け、コミックマーケットのような大型イベントも自粛、縮小傾向、今や集英社や小学館などの大手出版社がゲームマーケットなどのイベントに出展ブースを構える、それくらいマンガの書き手を募集されているのだ。


フォトショップやクリップスタジオなど、絵を描くツールは本当に増え、さらには使いやすくもなった。

しかしながら、絵を描く人は増える一方で、物語をきちんと組み立て、即興のおかしさではなく(SNSではこちらの方が多くのいいね、RTを享受できるが)、物語そのものの組み上げられ方が確立されるとなると、そこには技術面の他の「経験」「勉強」「研究」など、知識の部分がどうしても必要となる。

ゲームマーケット出展者でもまま見かける「アイデアは出すから買い取って(えてして出展経験がそう高くない方に多い印象)」もそれに似たようなものかもしれない。想像を形に出すこと、それを万人に見てもらうこと、さらには、共感ばかりではなくユーモアの軸で勝負される方、そんな作品は本当に以前より少なくなった印象だ。

話がまとまらなくなりそうだが、要は、作画の技術だけではなく、自分は外見では決して伺うことのできない「物語の軸」を、もっと大切にしたいと考えてみた。

見えないということは、それだけ評価も厳しいものになるだろう。何せぱっと見で判断できない以上、評価の絶対数は減り、さらには、見た目の印象だけで相手にイメージを植え付けなければならないからだ。


それでも正当に評価してもらえるたった一人を探し、自分は正面からぶつかる作品を制作しようと誓う。




2022年3月25日金曜日

区切りはついたものの

 4コマは新刊のノルマを無事に終えた。周りの反応は薄く、いいねが20に届くか届かないかくらいにとどまった。毎日更新されることでのありがたみが薄れる云々の説教の話は以前も話しただろうか。しかしながら、毎日更新しなければ、画力のほか、どんな作品でも世に生み出すための練習ができなくなる。見る側からすれば「俺のお気に入りを」求めているのだろうが、そんな千差万別、個々の感性に委ねられるものを、万人が「今回は最高傑作!」と察知して、まして制作側が自信作として生み出すことなどそうやすやすとできるはずがない。

毎日更新することで、お叱りはあるかもしれないが、そんな「駄作でも世に生み出す度胸のような感覚」が培われるものだと信じる。しかしてそれは、ものの2日も休んでしまうとすぐに取り戻せなくなってしまうのだ。


そんな天に向かって唾を吐く真似をしながら、4コマ後は「つらいとわかっていながら」ミニキャラ20体の作画に挑んだ。長距離マラソンに挑む心境で、走り出すまでは本当に怖いものの、走り出してしまえばなんとかなるだろう、ひるむ自分にそう何度も言い聞かせ、一つ一つ描いてはIllustratorでパス化し、線幅の調整が拡大縮小で可能となるよう加工した。明日残りの5体を描く予定で、パス化したキャラクターは各ページの隅に掲載される。


周りの何十何百の反応を持つ他のボードゲーム漫画を尻目に、悔しさ悲しさをすべて創作のエネルギーへと昇華し、明日もまた頑張る予定だ。

ゲームマーケット事務局への不満ももちろんあるわけだが、それを不参加側の自分が論じてしまうことなど雑念のある証拠と心に秘める。

2022年3月24日木曜日

応援の意味を込め

 今回ゲームマーケット春はあまりの出展料の高さに辞退した私。大阪も出展するとなると、利益も雀の涙である私など即座に破綻してしまう。カタログを後で買って勉強すると宣言した手前、買わざるを得ないわけなのだ、が、やっぱりカタログ3000円はちょっと高すぎる。

調べたところ、コミックマーケットの4日間すべてに入場できるカタログですら2500円、直営店だと2000円、コミティアのカタログ「ティアズマガジン」だと1300円〜1000円だ。出展者の激減から個人当たりの負担も増えたとはいえ、ちょっと不満である。ましてゲームマーケットの主催はアークライト社、個人ではなく有名大企業ではないか。

出るはずもないイベントにぐちぐち口を挟む立場にはないので、自分の目の前の作業を淡々と片付ける。大元がなんとか片付き、レイアウト、そして大仕事となる表紙イラストも行ったり来たりを繰り返しながら片付きつつある。1週間まるまる頑張ればなんとか3月中に終わる算段である。

あとがきにも着手した。今回のおまけ漫画が、メッセージの強い作品へと仕上がった理由の一つに、福岡でリハビリに頑張る同士の応援が込められているからだ。その旨も簡単に記載した。

難病に耐え、一命こそ取り留めたと連絡が来たものの、今もまだリハビリに取り組む同士へ、ささやかながら応援する気持ちを込めたのだ。

「4コマはさ、感動したいものを読みたいから」

と、どどめ先生のボードゲーム漫画を手にした同士に、私の稚拙な作品が果たして届くかどうか。

明日もまた作業にのめり込みながら、今のこの時を頑張ろうと思う。

外の大学生も少し騒がしくなってきた。春である。




2022年3月23日水曜日

溶ける時間

 マルクス・アウレニウス・アントニヌスの本を背に受け、自分のことは自分で切り開く!と意気込んだ今日は朝から猛烈な冷え込みながら、何か入金があった旨、そして午後から今に至るまで色塗りに没頭したことなど、いつも通りと言えばいつも通り、比較的他よりも順調にことが運んだ、そんな1日だった。

4コマも残すはあと2話、表紙画像も少しずつできあがり、残すは全体のレイアウトやおまけページの細部修正など、何とか2週間ギリギリで済みそうな、あと1週間そこそこ(3月いっぱい)で一通り形ができそうな、そんなことをぼんやりと考えた。


色を塗りながら「時間が溶ける」感覚を久しぶりに感じ、これらに没頭していると締め切りなんてあっという間に過ぎる、Twitterを眺める時間もないくらいだ。


コーヒーメーカーが壊れ、手動で淹れるコーヒーも少しは慣れただろうか。不便はそれだけ人間の能力を養うと前向きに考えることにした。

先日は大阪なかもずボドゲフリマの出展が正式に決まり、そのメールが到着する。出展ブースに比してスペースが広めに取られているようで、試遊スペースでのんびり早押しボタンを持参することも多少は許される雰囲気だ。

自称録にあるように、今もまだ自分自身の不安は拭えない。

がしかし、本の中にあったよう、あれこれするうちにあっという間に時間は過ぎる。事実、今日は色塗りだけで時間が過ぎてしまった。

今はまだ実感に欠けるけれど、そのうち大金を積んででも時間を欲しくなるときが来るのだろうか。

気持ちに余裕ができると、考え方にも隙間ができるようで、今日は低気圧ながらすこぶる上機嫌だ。

ミニキャラクターを一体練習して今夜も早めに休もう。

2022年3月22日火曜日

節電する中で

 人生99回目の献血を済ませた。4月に予約を入れ、イベントや入稿、その他目白押しとなる来月を待つこととなった。

預金残高を気にしながら本を買い、マルクス・アウレニヌス・アントニウス「自叙伝」にて、今の努力を行うよう勇気づけられた。併せて買ったエーリッヒ・フロム「悪について」も少しずつ読み始めている。

昨日の不達も無事に解消でき、省エネが叫ばれる中、今日は早めに休もうと思う。

日数は少ないが、それでもできることを探せば、前に進めるような気がして。

またデザインもイラストも勉強を始めた。この努力は無駄になろうとも、今までの「底辺に座るよう位置取られた生活」からは解放されている気がする。一人となってだいぶ時間が経ったように、これも今の自分ができること。その指示には素直に従おうと思う。

2022年3月20日日曜日

作業の連休中日

 献血3日前の昨日から、食事に油物と砂糖を極力抜く生活を送る。肉もできるだけ食べず、マーガリンや砂糖と相性の良いパンなどもご飯に変える生活だ。思えばここまで自分の身代を考えると、とても贅沢をしたいなどとは思えない。

自分にご褒美を贈るような裕福な生活ではない以上、切り詰められるところは極力切り詰め、外に出てお金を使わない分、うちに篭って創作することで倹約する生活だ。もう4年、貯蓄は底をついている。

夜になるとそんな不安に苛まれ、占いの言葉にある「今年は(昨年から)運気が上がる」ことをぼんやりと信じながら、目の前に積まれた勉強の書籍と筆記のツールを握る。

世に認められる作品ができなかったとき、それはその時として、また別の片田舎でお金だけ持って移り住もうと考えた。それくらい気楽に構えていなければ不安で押し潰されてしまう。

そう考えると、努力ではなく、尻に火が付いたまま4年も創作を続ける、4年も勉強すれば東大に合格できる実力もつくだろうに、努力が足りないからか、今もまだ売れない本をひたすら作る毎日だ。

言葉に出してしまうと、それが本当に叶ってしまった時の対処ができないと思い、なるべく外に出す言葉には細心の注意を払うように心がけている。昔、テレビに向かってぶつぶつと口にするいい年の大人にだけは本当になりたくなかったので、SNSのニュースツイートや引用RTも極力控えているけれど、それも考えすぎなのだろうか。


頑張る姿は誰かが見ている、他の誰でもなく、天がそれを見ている、虚空に向かって努力をすることは見る人が見ればなんて非効率で無駄な努力なのかと馬鹿にもされるだろう。

自分を信じてやるしかない、それは稽古に明け暮れる力士が皆口を揃える。

私は偉くもなんともないので、成功された方の言葉をひたすら信じるだけだ。


明日の三連休最後の日も作業に明け暮れる予定だ。

2022年3月19日土曜日

夢が現実になる強さ

 三連休は作業すると決め、浅草橋のイベントにも深川いっぷくさんの閉店セールにもうそのたばこ店さんのトランプ教室にも興味はあったが、それでも目の前の創作を抜けることはできなかった。表紙ページを除き、全体の7割くらいは完成に近づいた。あとは全体のページレイアウトやあとがきページを含む全体の補備修正を残すのみ。余裕を稼ぐことができた。


雨が本降りになる前にランニングも済ませ、ブログを書き、今日はなんとかキャスを開くまでメンタルは落ち着きを見せた。明日もいつも通り4コマを更新する予定だ。


修正ができる、まで進んだということは、夢が現実になる一歩手前まで到達できた証だ。

夢は楽しい、空想することは本当に楽しい、それが現実になると、嬉しさの反面、空想の部分では見えなかった暗い部分をも受け入れることとなる。

その現実となる部分が、自分の血や肉となり、自分自身となり、また新たな夢への栄養となる。

だから、夢として眺めるよりも、いかにしてそれを現実へと取り入れるか。

自分は今、そんな自分と争っているのだろう。


三月ももう終盤戦となり、占いにあった実りの成果などどこ吹く風、結局今もまだ歩きさまよい続ける。

そんな自分へ、走り続けるすべての読者へ、今回の4コマがそんな心に作用しますよう、そのためにも、何より自分自身に一番ムチを入れなくては。

2022年3月18日金曜日

比重の問題

少し前の気温20度はどこへやら。来週まで冷え込む1日が続くようだ。

気温が低いままだと体温の調整がスムーズであると利点はあるが、動きづらいことこの上なく、動きも次第に鈍重となった。

周りは楽しく制作する。以前も考えたが、その根底に「楽しいからやる」「つらいことはしたくない」があるからだろう。

同じ考えを持つ自分は、その比重が単に後者に傾いているだけだ。楽しいは前提であり、その中に辛いことも多く経験する、と、なんとなく気持ちがまとまってきた。


4コマも練習を重ねながら、なんとか1回目の修正印刷に漕ぎ着けた。あと4回くらいは印刷するのだろうか。

おまけ漫画だけではなく、表紙、目次、レイアウト、そしてあとがきなど、作って出すだけの本には負けたくない、その一心のクオリティである。バカにされ、笑われ、それでも自分を信じて前に進むしか道はない、と、それに気がつき、慌てておまけページの構成を練り直した。


音楽を聴きながら、また明日からの三連休も変わらず頑張る、と、自分に言い聞かせた。

献血のある日に、ちょうどノルマが達成できますよう。

2022年3月17日木曜日

薫習

 寝食を忘れて創作、というと無理をしているように聞こえるかもしれない。

実際、すごく無理をしている。走りながら「ゴールはこの辺だ」を示され、ゴールを目指しひたすら走る作業に似ている。

やっぱり大変だし、昨日から心変わりすることなく「本気だからつらいし、達成感がある」といえる。一晩経ったものの「楽しさだけを追求」した創作はどうも自分の気持ちに好きならぬ隙ができるようで怖いのかもしれない。


終わりの漫画、おまけ漫画、そして表紙の画像の一枚一枚が、サグラダファミリアの如く少しずつ完成に近づく、それが何よりの楽しみでもあるし、そのためならば三食はあまり重要ではない。

そんな反発から生じた怒りにも似た気持ちを創作にぶつけ、今日も少しずつ進めることができた。

可愛く、面白く、何より、ほろりと悲しく、今回のおまけ漫画もかなり力の入った作品となった。ラフができた時、思わずガッツポーズが出たものだ。

次の4巻目がもっともっと面白い作品となるよう、そんなことばかりを考えて過ごした。買い物以外の外出はランニングぐらいだっただろうか。


ネットに毒されたのか、ふと「美味しそう」と思い、アンパンと豆乳を買ってしまった。張り込みのあんぱんの漫画に感化されたようだ。

そう考えると、私は一人で生きているようで、買った本や何気ない会話のやりとりなど、周りに影響されることが多いといえる。

だから、周りの「自分を腐す」存在が本当にジャミングでしかない。

仏教の教えに「薫習」とある。解釈は色々とあるが、ここでは「いぶす煙が近くにあるだけで、目に見えずとも周りにその香りを移す。人は知らず知らずどこか環境で影響を受けている」と捉えた。

自分の気持ちにもっと素直になろう、そして、それを創作にぶつけるのだ。

このつらい道も、結局自分の選んだ道であり、自分で判断した道なのだ。

2022年3月16日水曜日

底辺に生きながら

努力する姿はなぜ笑われるのであろうか。


最近、芸能人然り、配信者然り、Vtuber然り、経営者然り、才能をもてはやされたと思しき人間の不祥事が多いように感じる。

女性関係で、賭け事で、失言で、昨今特にそのカストリの如きスキャンダルには事欠かない。顛末は決まって弁護士か誰かが代筆したと思しき書面をツイートに画面で表示しフェードアウトすることとなる。


生まれ持っての美貌や才能を持ち合わせた人物は、お昼のツイキャスライブでも「才能があるっていいよね。才能のある人に憧れる」と羨む対象となっていた。その後は英語がしゃべりたい、ダイエットしたい、などの話に帰結した。


私は生まれながらに親から上司から才能がないことを見抜かれて今に至る、才能とは無縁の努力型の人間だ。努力型といっても努力する人の意味ではなく、あくまで才能がないから、という消極的な理由だ。顔もスタイルも勉強も、元々持ち合わせた能力など皆無に等しい。

だから努力して自分のやりたいことを切り開くしかなかった。道に迷い途方に暮れたとき、えてして才能型のアドバイスなど当てにはならなかった。「何とかなる」「楽しんでのんびりやる」そんな言葉を並べられたところで、それで上手く軌道に乗せた才能型とは違い、私にその方法など通じるはずもなかった。

逆も然りで、努力してつかんだ自分なりの方法を才能型はひたすら「できない!」と匙を投げた。

それが続くとどうなるか。

努力の方向性に齟齬が生じる。

金持ちが口先だけで綴る「お手軽倹約術」と、本当にお金のない人間が節約する術とでは、その身の入り用から姿勢、成果となる実際の額まで大きな差が生じる。

そう考えると、実は才能という名前の足枷をかけているに過ぎないのではないか。今日はそんなことをぼんやりと考えた。

スマートに物事をこなす才能型人間とは対照的に、努力型は得てして悪いイメージを持つ。

幼い頃、興味本位で受け取った「記憶術」のパンフレットにも、楽して効率を目指した人間は笑顔で勉強もスポーツもこなし、かたや必死で勉強する人間(ライバル)は本番で失敗したり僅差で点差が伸びなかったりと、悪いイメージで描かれることが多い。

メディアともなると更に助長される。努力もせずにスターダムにのしあがったと肩書きをつけ、努力で成し得た人物を神格化する。それは以前「クイズ思考の解体」で伊沢氏が綴っていた。

遊びながら作業するからいい作品が生まれる、その理由もわかる。だからと言って、努力する人間を笑っていい理由にはならない。

努力して一歩一歩コツを掴むより上に上がる方法はないのではないか。それを体得している自分だからこそ、才能や美貌は、いわば生まれ持っての金持ちのようなもので、そこに至る過程がすっぽり抜けている。

更には、そんな自分を「魔法使い」のように何でもこなす人間として、作品を品定めしているのではないか。


そんな人間になりたくはないし、才能は才能として努力を重ねる人間でありたい、と、底辺に生きる自分は思う。

菜根譚に気持ちをしたためた人物も同じ気持ちを抱いたのだろうか。

2022年3月15日火曜日

三日、3週間、3ヶ月、

 三日坊主という言葉は、世間でいう「三日も続かない根性なし」を自虐的に使う方が多い印象だ。

あくまで自分の体感だと、三日続けば4日、5日、と「あ、書かなきゃ」と習慣として覚える。

小堺一機さんの言葉だったかと思う。好きな相手には「3日、3週間、3ヶ月」、気になった相手には3日前までに声をかけ、次の約束は3週間以内、3ヶ月続けば告白できる、といったものだ。

好きな相手には到底届かないが、3という言葉に何か習慣や体験を形づける、いわば、昨日のブログの話題にあったような「3年先の話」にも通じるように考える。「3週間続けば人生が変わる」という本もあるくらいだ。


一歩目を踏み出し、今日は表紙デザインだけでも何とかラフを済ませることができた。肝心のおまけページも、来週土日くらいには完成させたいと思う。

未だオチをどうするか決まっていない、そんな無謀な挑戦も、そろそろゴールの欠片が見えてきただろうか。


6月ボドゲフリマの当選案内があり、再度お金を振り込んだ。

勢いでそのまま宿も予約した。

今日はゲームマーケット春のブース発表もあり、各サークルが自身の番号をツイートされていた。

取り残された感覚も覚えたが、自分は自分と割り切り、クイズも然り、自分の作業に目を向けることにした。


本だけを読み、ひたすら物事を積み重ねた先の、3日、3週間、3ヶ月、そして、3年。

今の場所に住まいを構えた2019年から数え、もうすぐ3年となる。

ひたすら努力を重ねた成果は、3年となる今頃身を結ぶよう、また明日も頑張る。負けるものか。


2022年3月14日月曜日

3年経った自分へ

 4コマの制作も少しずつ進み、おまけ漫画も1ページだけ進めることができた。完全とまではいかないけれど、徐々に徐々に、進めていく方針だ。

北海道といえば、ふと目にした千代の富士関、九重親方の言葉が胸に刺さった。

3年後に向けた稽古をする、という言葉だ。

稽古の鬼としても知られる九重親方の言葉は「今の稽古が明日の勝利につながることはないかもしれないが、その積み重ねが数年後必ず報われる。自分を信じてやるしかないよ」といった旨の言葉もある。努力の人としてその強さを立証していた方だ。


3年後の自分を想像しながら、3年後に向けた努力をすること。

4コマを描くと決めたちょうど自分の3年前、笑われ、不安を買い、反応もなく細々と本にしたためて小冊子制作に明け暮れた、それが今も変わらず続く。まだ一人前とはいえないまでも、イラストは少しずつ上達し、ほんのわずかながら更新を楽しみにされる方も増えた。

ものの半年でプロの腕前を持つ神絵師とは違い、私は完全に遅くのそのそと歩きながら積み重ねた証だ。加えるならば、同じネタを2度扱うようなこともないよう何重にも気をつけている。


3年後の今もまだ成果として実ったわけではない。それはクイズ本も同様に、ボードゲームのクイズを本格的に制作しはや5年が過ぎたものの、これといってさしたる成果も手応えもない。当然仕事などもらえるはずもない。

それでもくじけず、いいねをもらえた、本を褒めてもらえた、など、目の前のささやかな喜びを糧として、なるべく命を守るよう1日を積み重ねる。

その難しさを実感される方は少ないのではないか。

生きること、話すこと、楽しむことなどにコストを考えずに済む生活は、とても有意義で幸せなものだろう。だから私の創作物など、人によってはコストを払ってまで楽しむものではない、と受け止められて然るべきだ。

それでも積み重ね積み重ね、日々勉強しながら、近道などないと開き直って、アハハと笑いながら、また明日も頑張るしかないのかな、と。


今は「その楽しみに、自分はいくらの値をつける?」と、守銭奴じみた考え方を持って自分の作品をまた磨き上げる。

2022年3月13日日曜日

幸せのロンダリング

 天網恢恢疎にして漏らさず

万物は流転する

因果応報

昔の人はつとに努力の名言を残した。

それは裏返すと、努力で人が変わることなど滅多にないから、自分に向けての慰めの意味もあったのだろうと考える。

それでも良いことは相手に渡す。

トランプのゴルフで、相手への幸せが連鎖する、あの現象に似ている。

新宿東急ハンズで開催された「おもしろ同人バザール」が小部数返品された。約半分が他の方に手に渡った。

その粗利で、かなり精神的にやられた名古屋の店長を応援するべく購入した。

そうして経済は周り、また幸せがロンダリングされると信じる。

4コマの進捗は相変わらずで、今日も苦戦したものの5ページ漫画のラフを終えるには至らなかった。

また少しずつデザインを進めなくては。日々の4コマも数をこなしつつ腕を磨くより他はない。

苦労される方は自分だけではない、と言い聞かせ、応援を続ける。某国の戦争がフラッシュバックする。一つ違うことは、私には応援の言葉がないことだ。励ましのない中、また明日も頑張ろう、そして、自分の幸せはすぐ他の方へと回そう。

そのおこぼれが手に入れば十分だ。

2022年3月12日土曜日

空に叫ぶ

 4コマをひたすら作る、今日もまた引きこもる1日だ。

ゴールまでの絵姿がぼんやりと映ると、それまでの計画が脳内で組み上がる感覚だ。ネタもそこから生み出されるものと期待したい。


予算を見積もり、大型連休割引を入れて収支とんとん、もちろん全部が売れた場合だ。皮算用は相変わらず。

この4コマが一世一代ならばもっと掛け値を考えるべきなのだろうが、発売するよりもっと先の、日の目を自分で見つめることこそ、今目指す最大の目標なのだ。

自分の創作もそう長くは続かない。それは自覚した上で、それでも格安で、お手にとってもらえることを第一に、販売し、行動しようと思う。

無謀と呼ばれても致し方あるまい。もうしばらく梅干しご飯の生活を我慢するだけの話。


先日火災が起こった周辺は、今も実況見分が行われている。

近くを通りがかると、炭焼きの木材が発する匂いが漂う。

出る杭とならないよう躾けられた職場、家庭、そんなことを思い出しながら、ひたすらアップルペンシルを握る生活。高尚な気持ちになれるよう、先ほどウクライナに募金も済ませた。


もうしばらく頑張る。空に向かい、そう誓う。

明日もよい日でありますように。

平常心

 日記ブログを書かなきゃと慌てて目を覚まし、この文章を綴っている。

日記に書かなかったから何もなかった、わけではなく、キャスや創作など思いを語る場所でしこたま気持ちを吐き出したからだ。

3.11と世界的な災害を弔う日に、今朝は朝から近傍で火事があり、謎のテンションの浮き沈みから創作活動は大変困難だった。

少し日常と変化を入れることで、今日についてはマイナスに働いた。前職で書かされたメンタルヘルスチェックシートも、その日の環境が少しでも変化すれば例えよいことであろうとも心理的なストレスとなるのだ。

戦争中の状況となると、さもありなん。だから創作するにあたり、いつもの環境、いつもの気持ちであることを心がけなければならない。

第一、自分で書き上げる創作の計画にも、自分が仮に事故に遭い中止するまで余裕を持った計画を作ることが果たしてできるだろうか。

2年前の秋は想定外の風邪をひいて、大事な土日月三連休の広報期間を横になって過ごした。

気候が急激に変化する今の時期は特に体調に気を遣わなければならない。


3.11、あの日はちょうどスキー大会の真っ最中だった。

浮かれ気分で仕事にかかろうとしたその日から、しばらく家に帰れなくなった。

平常心の難しさ、日頃にあることを感謝すること

Twitterの仕様が様変わりし、今日はいつもの反応がもらえなかったが、それも平常のツイートが周りに変化する一つの表れだったのではないか。


明日もまた頑張る。

ちょうど今、おまけ漫画にトリッキーなネタを仕込んだところだ。頑張るところだ。

2022年3月10日木曜日

馬鹿なことを考えよう

4コマ新刊4コマ目の締切などを考えるうちに1日はあっという間に過ぎた。

目標を作れと人は言うが、ゴールが見えると力も振り絞れる、そんな意味合いだっただろうか。

おまけページも何とか手をつけ、おまけ漫画のネタなどを考える算段に入っている。今週で形になればゴールも見えるだろうか。


ツイキャスライブでは話せなかったが、Vtuberの世界が騒がしい。

マネージャーのような存在も希薄だからか、(もしくは世界観を崩さないよう見えない立ち位置にいるからか)、プライベートの暴露合戦が引も切らない。

少し前まで「Vtuberの中の人同志の不倫、不貞などの話題」など、どれだけ盛り上げようとも声優のそれに近いレベルだった記憶がある。

よもやのTwitterのトレンドに浮上するとは。一年前の自分は想像ができただろうか。

また外から眺める自分も、世界観を崩さないことを暗黙の了解で求められており、そうした配信者の話題を、腫れ物に触るように扱っていることも事実だ。中の人と画面の人物を切り離して考えようとすればするほど、この問題はより困難を極める。

それは先のボードゲームVtuberが、BOSSとの確執を匂わせるツイート(削除済み)を行なった、それに近いものを感じた。

単にアバターとしての存在を語るVtuberだけに収まる問題ではないだろう。現実として登場する自分も、仮の姿のようなTwitterアイコンで、ブースに立てば、それは現実との境目に立つ別のアバターとも言える。混乱するようだが、決して人ごとではない、と言う話だ。

それは自分自身に飽き足らず、周りの「ツイートに対し邪険な態度で接する」一部のフォロワーを、我がごとのように心配する虫だ。


ここでは結論をくだせない。それどころか、この件にはむしろ遠巻きに眺めつつ「自分に飛び火しないよう」注意を払うのみになるだろうか。


明日も頑張る。周りのそんな話題に首を挟むと、自分にまで火の粉がかかりそうだ。

ひたすら馬鹿なことを考えよう。明日は3月11日だ。

2022年3月9日水曜日

少しずつこなすこなす

 日記ブログを書く!と宣言し、書いたり、書かなかったりが続く。

思いを綴る作業を「やらなきゃならない日課」として組み込む段階から始めなければならないようだ。自分はそこまで意志の強い人間ではない。


4コマを描き、横になり、家事を済ませ、と、先日読んだ「スマホ脳」を元に、運動もぼちぼち始めることにした。

春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、睡眠時間だけは体が執拗に訴える。いくらでも眠れる、あの感覚だ。

名古屋ボードゲーム楽市のやりとりも何とかでき、宿を手配し、サークルカットを取り急ぎ更新した。

ゲムマ春に出展が叶わない分、創作する時間だけは人一倍持っているはずなのだ。


周りを見ると今年3月から新たなステージに登る方々を目にする。

自分の足元を見ながら「自分は大器晩成だから」と言い聞かせる。何度目になるだろう。予算も余裕もそれほど多くはない。がしかし、昨今のSNSが創作者個人の細部を特定できるツールと(良くも悪くも)化した現状から、常に笑顔を求められるようになった。気にせず好き放題に愚痴を吐くアカウントも多いが、SNSが可視化する真の「信頼」の恐ろしさを体感で学んではいないからだと思う。


日々の日課に負荷をかけ、それを着実にこなすこと。

そして、それらは本当に難しく、時間も労力もお金も費やされること。

相田みつをの散文にもそんなことがあっただろうかと思い出しつつ、今夜も早めに寝ましょうか。

明日も良い日でありますように。

2022年3月6日日曜日

矯正とは日々の研鑽

 4コマを秒速で描き上げ、東京マラソン真っ最中の樹林様へ向かい、今日は半日トランプゲーム会に参加しました。

直接顔を合わせてのボードゲーム(トランプでしたが)どころか、対面の話も本当に久しぶりだったため、相手に言葉を伝える術が衰えていたことを実感しました。

ツイキャスライブは一人で喋ってばかり、いわゆるゴルフの打ちっぱなしのようなものだから、相手とのキャッチボールとなるとまた別の能力が必要で、それは知らず知らず習慣として継続しなければならないものと考えた。

自分の気持ちを確認するためには、相手の気持ちとやり取りしつつ、気持ちを精査しなければならないし、それは一人になる前には自ずと脳に組み込まれていた能力ではなかったか。

実際の会話ではしどろもどろだった自分も、いざ感想を書面に、ツイートに興すと、これが意外にサラサラとまとめることができた。やはり慣れの面もあり、脳の可塑性、と難しい言葉でも表現できるのだろう。


習慣が人を変える、と、多くの自己啓発本で綴られてはいるが、その「プラスの習慣」は、意識しなければ、ついいつもの「出しやすい自分」が出てしまう。疲労は感じないが、成長はしない。

それはちょうどイラスト練習の際に、手癖ではなく、きちんとお手本に準じて描く方式に似ている。

いつまでも自分の描きやすいように描くやり方は、上達とは別の能力が手に焼き付くようで実は自分も警戒している。


それでも日々漫画を更新できる自分をもっと誉めなければ。

明日は献血へ。今日周りに助けてもらった分を、血を捧げて回復させよう。

自分のできることの、もう一歩前へ。

2022年3月4日金曜日

駄作で頑張る

文章力の向上を目的として、2022年にひっそりと再開することにした。

全体の文章量は毎度400文字程度。それでも毎日の15分キャスと同様に気持ちの整理がつくよう頑張るつもりだ。

Board Game Selection2022、各店舗の紹介動画が新たに更新された。恥ずかしながら拙著4コマ本も「だんだん上手くなっている、それが見れる」といった形で紹介に預かった。

第1巻を描き始めたのは5月1日。自分の中でも「これ以上どう上手くなるのか」の天井が見えない状況で連載を再開した。先日、前作644話との合算で900話を達成した。

続けることは、実はそう難しいことではないと思っている。

毎日続ける、となると体の疲労や天候、急な呼び出しなど止むに止まれぬ事情も加味し、俄然難易度が上がるものだが、自分の努力にそう意固地になる必要もない。

問題はもうひとつ、「いかに作業のモチベーションを上げるか」の方だ。

頭でぼんやりとネタは浮かぶものの、いざペンを手に取るとピタリと止まる、誰も見てくれない、面白いと自分ではわからない、などの不安に駆られ、脳が急なブレーキを踏み込むのだろう。

習慣にしたところで、出力にそう大差がつくわけでもない。

その「面白くも無いけれど、それでも打席に立つ」気持ちを自分であげなければ、とてもじゃないが自分のような人間は続かないのだ。

更新のたびに何百RTがある他の漫画に比べ、30もいいねがつけば万々歳の私の4コマもクイズも、とりあえず形に出すまでの、気持ちの持って行き方が練習で身につくよう明日も頑張る予定だ。


誰も読まない、誰の反応もない。それは作り手としてとても苦しい。

そんな中「それでも描く方向へ自分を繰り出す粘り強さは、やはり何度か場数を踏まない限り醸成されないのではないだろうか。


明日もまた駄作をあげる。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...