練習のつもりで久方ぶりに手をつけた文章は、やはりミドル世代独特の「情感じみた」文体となってしまったことを先んじて謝っておきたい。
ひと段落ついた気持ちを綴った言葉の羅列は、なるべく読みやすく推敲したつもりだが、ところどころ目に余る箇所もあることだろう。気軽に流してもらえると助かる。
「作業に手をつけた瞬間から物事の半分は終わっている」と言われる。
困難な作業とは、一旦取り掛かったところで「すでに半分終わっている」
出展はたしかギリシャの哲学者か、現代心理学でも証明のあった言葉だったと記憶している。
登山やマラソンなど体を使うものに置き換えるとイメージしやすいだろうか。
スタート地点に立ち、一歩目を踏み出した瞬間に、レースの半分が終わる、いやむしろ、大会に応募した瞬間、当日に向けた体つくりの始まる、あの絵も言われぬ「気持ちのたかぶり」だ。
制作だけではなく、オンラインを含めた広報活動、長く続けるための体調の管理、そして出展に向けた当日までの準備、諸々含め、事前の準備は大変だろうが、それでも「恐れて」しまっては、「恐れ」の思うツボ、とも言える。
手を動かすことの大切さは、この2年間に及ぶ緊急事態宣言下、自粛生活下でイヤというほど思い知らされた。
コロナウイルスは確かに悪い相手だ。
しかしながら、あまりに「悪い相手」の姿形を作りすぎる、自分の都合すら「悪い相手のせい」に標準が向いてしまう。
厳しいこと、辛いこと、どうにもならないこと、など
それらをすべて「自己都合の悪い相手」に向けることで、たしかに精神衛生は保てるかもしれない。がしかし、それは反面、「苦しみの根本」を曇らせた眼鏡で見る恐れもある。
そしてもうひとつ、これも何かで聞きかじった知識だが、どうやら人間の脳は「やらなかった」判断を「自分はやった」と解釈して記憶すると聞いた。
よく「◯◯に参加します!」「◯◯を作りました!出します!」というツイートに、応援ではなく、引用RTで延々と「自分のやらない理由」をつづる人を見かけるのも、経験として「やっていない」はずのことを「すでにやり終えた」と誤認してしまうからではないかと考える。
先に挙げた「目の前の作業」も、手をつける前の不安をいかに払拭するか、から考えなければ、ずぶずぶと頭が「やらない理由」を考え始める。
面倒だから、時間がないから、応援の相手もいないから、加えて今回のウイルスだ。やらない理由なんてごまんとある。
そうしてやらない理由を考え始めるうちに、以後、「やらなかったこと」が自分の経験として、糧となり、軸となる。
「動こう!」
この2年間、無意識に自分はそう考えていたのではないかと振り返る。
創作者にとって不遇な状況の中、それでも手を動かし、創作を続けたサークルが、11月20、21日、ゲームマーケットというイベントで一堂に会する。
内面、外面の厳しい声もあったことだろう。それにもめげず、きちんと作品に仕上げ、同じ「販売する」というフィールドに立つサークルは、それだけで奇跡であり、それだけでもゴールに値するのではないか。
ゲームマーケットなどのイベントを「人に会いたいから」という理由で参加される方も、きっとそんな想いを胸にされているに違いない。
だからこそ自分は、笑顔で、そして、この情勢下で本当に苦しみうめきつつ、それでも手を動かし続けた結晶のようなものを届けにあがりたいと思う。
すべての制作者に、幸多からんことを。
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