2020年5月16日土曜日

悪手をつぶしながら 自粛期間創作日誌その8

 今年読んだ多くの著書(具体的には「二十一世紀の啓蒙上・下(スティーブン・ピンカー著)」など数冊)の中で作者が特に言及していたことは共通して「未来はわからない」だ。

 確かにほんの半年前まで、今回のウイルスが世界規模もの厄災をもたらすこと、我が国で蘇が流行し、ホットケーキミクスやマスクが常時品切れになることなど、経済学者や占い師も含め誰が予想できただろうか。

 未来はわからないし、目の前の出来事なんて知る由もない。
 そんなとき、僕は「事実」を大事にしている。
「事実」は「真実」と違う。
 自分の意見に根差す「事実」に対し、「真実」には「相手から見て自分は正しいと思った、などの意見」といったニュアンスが混じってしまう。
「本来はこうだ」「今までがこうだった」と「真実」ばかりを並べる人と僕の意見が衝突してしまうのは、本来自分の考えと地続きとなるはずの「事実」がなおざりにされているように感じるからだ。
「良い学校に入るため勉強しなさい!」、「病気で倒れないよう体を鍛えなさい!」と注意されても、自分の身に危機が迫る状況にならないと動けない性格にも繋がるのかな、あ、いたたた…。
 

徒然草第百十段の言葉を引用する。

 双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。(後略)

(現代語訳)
 双六の名人と呼ばれている人に、その必勝法を聞いてみたところ、「勝ちたいと思って打ってはいけない。負けてはならぬと思って打つのだ。どんな打ち方をすれば、たちまち負けてしまうかを予測し、その手は打たずに、たとえ一手でも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」と答えた。


 プロ棋士に限らずボードゲームを得意とする人が「常に先を読む力」を大事にする中、先ではなく「明らかな悪手を一つひとつつぶしながら、その中で自分が考えた負ける確率の最も低い手(=最善手)を打つ」に目先を置いていることが興味深い。 
 余談ではあるが、吉田兼好もこの後に「身を治め国を保たん道もまたしかりなり(研究者も政治家にも言えることである)」と続けている。

「未来がどうなる?」なんて専門家でも有識者でも、ましてや僕にだってわからない。
 有り体に言うと
「ボードゲームカフェ・プレイスペースが通常通り運営再開できる?」
「今年のゲームマーケット秋は開催される?」
なんて、どれだけ悲観的・楽観的に捉えようとも、僕自身が納得できるだけの結論には至らない。


 だから目の前の悪手をつぶしながら少しずつ前に進もう、と、最近は自分に言い聞かせている。
「事実=自分が「良い」と感じたこと」に照らし合わせて行動しよう、と日々心に留めて行動するよう心がけている。


 人気ボードゲームPodcast「ほらボド」今週配信された第313夜は「オンライン収録「ザ・ボドゲノンフィクション①~自粛の実情~」」がテーマだ。
 話題に上がった「クラウドファンディング等を活用した支援」も、僕にとって「自分が良いと感じた事項」に通じる行動のひとつだ。
 見返りを求めた未来への先行投資、ではなく、今困っている相手へ奉仕するような気持ちで、なけなしのお金を投入している。
 もちろん「無理をしない」に、が前提にあって、の話だ。
「ボードゲームカフェ デザート*スプーン」店長の加藤さんも自身のツイキャスライブで「(Board Game Selectionへのクラウドファンディングは)無理をしない程度に」と言葉を添えた。
 支援をする側が倒れてしまうようなことは、支援をされる側に余計な気苦労をかけてしまう。必然的に、前々から資金繰りに苦しんでいる自分ができる支援など情けないくらい微々たる額だ。
 とはいえ、目の前の困っている人を看過できない自分は「気は心」とばかりに支援を申し出ている。

 未来なんて、本当に、誰にもわからない。
 さらに続けると、僕がこの先「番次郎書店」の屋号を掲げながら末長く創作を続けていることすら未知数だ。
 何よりも、継続云々は僕自身が一番わかっていない。
「次回イベントの参加は不明です」なんて言葉が上がってもおかしくないくらい、創作活動は常に「背水の陣」なのだ。
「次に期待します」と意見を頂戴しても「次があるかどうかもわからない」し、「番次郎書店の野望は?」と問われても「(まずは)目の前のことに精一杯努力する」ことしか、今は答えることができない。

 そんな先行きの見えない中、「悪手」とりわけ「人の嫌がること」を一手一手つぶしながら「(自分の考えた)自分と相手、相互が幸せにつながる道は何か?」を、これからも模索しながら行動しよう、相手と自分が共に笑いあえる道を選び、突き進もう…
 綺麗事になってしまうけれど、ここ数日はそんな言葉で自分を鼓舞しながら、目の前の創作活動に勤しんでいる。

 7月はボードゲームイベント「北海道ボドゲ博2.0」が開催を予定されている。
 未来を憂いて動けなくなるより、今はただ「こんな自分でも応援してくれる方々」のため、間近に控えたイベントへ全力を傾注するのみ、だ。




2020年5月9日土曜日

環境は自らの意思で 自粛制作日誌その7

 養老孟司著「ねこも老人も役立たずでけっこう」の本文に「脳の適応能力の高さ」についての一文を見つけた。

 脳は、非常に適応性が高い。だから、変わるんです。でも、人間はそれに気づいていない。感覚を通して変わっても、自分が変わったとは思っていないんです。それは意識が騙しているんですね。「私は私でしょ」「昨日の私と今日の私は同じ」なんて、意識は言い続けるものなんです


 自粛生活も早6週間を迎え、いまだ生活はオンラインの場が主体となっている。
 SNSの情報をすべからく追っているわけではないけれど、混迷続く状況の中、オンラインの飲み会を開いたり、ZOOMなどを活用したリサイタルやテストプレイを行なったり、など、製作者の銘々が独自の持ち味を発揮しながら外部との接触・交流を図っている。

 フリーの生活へと身を投じたときの話。
 肩書きもお金も瞬く間に消え、呼応するかのようにどんどんと人が離れていった。
 貧しさや苦しさ、寂しさで途方に暮れる中、それでも手を差し伸べ、制作を応援してくださる方々がいらっしゃった。
「渡る世間に鬼はなし」と揶揄されるように、大都市圏での生活の中にも温かく人情味溢れる世界がある、そう教えてくれたのは、何よりオンラインも含めた周囲の環境であり、拙い作品をSNSで公開してもすぐに「いいね」と反応してくださるフォロワーの方々だった。
 今でも貧しさは人を選別する一番の妙薬だと考えている。


 創作の話に戻す。
 昨今の情勢如何を問わず、外部との接続が遮断された生活は想像以上に体が何かしらの「飢え」を訴える。
 飲み物、食べ物、物欲、何よりも人恋しさ、笑い・感動などエンターテイメント、等々、体が発する「楽しさを求める」サインは、何もない生活の中でも日々膨らむ一方だった。
 飢餓感は精神を否応なく蝕み、ツイートの内容も弱音ばかりが並ぶ日もあった。連動するかのように体力、体調等を大きく崩してしまうこともしばしばあった。


 人恋しさに負け、こちら側を搾取したり軽くあしらったり、と、明らかに「悪い」と思しき人とも我慢して対応する、一時期はそれも日常の一部だった。
「本当は良い人だから」
 そんな前置きを渋々飲み込み、執拗にこちらの精神面を“なじる”相手にも笑顔で対応する、制作を続ける中、そんな相手からそっと間を置くようになったのも、制作に没頭する中でそれほど日も経たない中での出来事だった。

 つい先日は「BGA」などに代表されるオンラインゲームに触れる機会があった。しかしながら、どうしてもそれら電子ゲームに「面白さのエッセンス」のみを抽出しただけのような素っ気なさを感じ、言うなれば、アナログゲーム環境下で周辺に位置取る「ノンバーバル」なコミュニケーション、口で、鼻で、耳で、皮膚で、主に「目に見えない部分」が逆に刺激される結果となった。

 サン=テグジュペリ著「星の王子様」の有名な一説を引用する。

じゃあ秘密を教えるよ。
とてもかんたんなことだ。
ものごとはね、
心で見なくては
よく見えない。
いちばんたいせつなことは
目に見えない。

 オンラインでの生活を通じ、常々頭をもたげていた「感情面を揺さぶられる相手、行為とは何か」といった問題が、現実として可視化されたように感じる。
 
 それは決して目に見えるものではなく「肌感覚」という曖昧にカテゴライズされた形の中で、己の心を根底から揺さぶりつつ、自分の視野から外れた世界の中で、ゆっくりと歩みを進めているように感じた。
 見えないからこそ、より体内のセンサーは過敏になり、自分の進みたい道へと誘うかのように、周囲の否定や誘惑の言葉から距離が開き、その一方で、理解し応援してくださる方に向けて次へ、次へと創作の手が伸びる、と、そんな無意識下でのローテーションが更に強さを増した、そう実感する1週間だった。

 しばらくはまだ一人の生活が続くことになるだろうと思う。
 それでも「こんな僕を一人の人間として受け入れてくれる」周囲の方々をこれからも大切に、感謝の気持ちを忘れずに、何よりも自分の提供できる範囲で楽しさを届けられるよう、自分の意識を自分の求めんとする方向へ、と、そんな過ごし方で乗り切っていけたら、と心から願う。
 
 最後に金子みすゞ「星とたんぽぽ」の詩から引用する

青いお空の底ふかく
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

 環境を、翻って、自分の向かうべき進路を、大きく変える存在は、何より「目に見えぬものを感じる」自らの意思なのだ。

2020年5月3日日曜日

意識から継続へ 自粛制作日記その6

外出自粛制作の、ちょうど4週間、1ヶ月目を迎えた。

4コマも動画クイズ制作も、あれからほぼ毎日続けている。
反応は、以前に比べ落ち込む一方だ。

駄作、ではなかった(はず)。
普段からそう反応の多くはない自分でも、渾身の作品に思ったほどの反応がもらえないと、意識せずともモチベーションは下降の一途だ。
「継続させること」「その先にはもっと素晴らしい作品が生み出せる」と自分を鼓舞させつつ手を動かすことは本当に難しい。
翻って「継続」はとても大変だ。
さらに掘り下げると、「良いと思ったことを継続すること」は本当に難しい、この1週間でそんな気持ちをより強く実感することができた。


今週月曜に万屋楽団様のPodcast「万屋楽団のそれなりな日々」や、ボードゲームカフェ「デザート*スプーン」様のツイキャスライブにお邪魔する機会に授かった。
意図しての露出ではなく、本当に偶然に。
「出てみませんか」の声がかかったり、コラボ募集に応募したり、と、周りのお声があり、それに調子の良い私がホイホイと乗ってきた、という形だ。

その中で僕は「頑張らない」といったフレーズを何度か口にした。
「頑張ると、求める「頑張り」を行わない他人に厳しく当たってしまう」
「頑張ると、「今日は頑張らなくていいや」と自分に甘えてしまう」

力むことなく、日常の生活に「新たな習慣」を取り入れる行為は何重にも難しい。
どれだけ「健康にいい」と意識しても、早朝の人の少ない涼しい時間を見計らって軽くジョギング、など、本当に意識しなければ最初の数日で挫けてしまう。
それと同じように、意識して新たな習慣を取り入れるためには、実感できるだけの高い効果と、もう一つ「応援する自分」の存在がどうしても必要となる。
モチベーションの維持は、何より「自分自身へのエール」だ。
内なる声と格闘しながら、それでも前に進もう!と強く推進させる力は、自分にハッパを上手くかけることができるかできないか、に結局は帰結する。
今はまだ詳しく分析できないけれど、自分で自分を応援できなくなったとき、弱い僕はすぐさま歩みを止め、怠惰の誘惑へと簡単に落ちてしまうだろう。


「環境に適応できたもの「のみ」生存できる」といった進化論を持ち出してまで自分の軸を正そう、とは思っていない。

ただ、ライフスタイルが急変し、目の前が暗くなった場に置かれても「こうした中で、自分のできること、周りに手助けできることとは何か」それら手がかりをひたすら手探りで当たりながら、無理をすることなく、大きく変化させるではなく、できる範囲から、少しずつ、足場を崩していく。
「今日はこれくらい」を、無理せず継続するうちに、できる範囲のことが広がるのではないか。これじゃまるで「拡大再生産」と同じだ、なんて。

僕の1ヶ月は、そうした声と共に、足早に過ぎ去っていった。

継続のモチベーションは?
騙したり褒めたり、を繰り返しながら、自分を応援し、励まし続ける。
いつ果てるかもわからないような環境の下、持続的に「できること」を意識すること。
心の中の雑草を毎日根気強く抜いていくことで、次第に雑草の生えないような土地として生まれ変われることを夢見る、それに近いのかもしれない。

「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」
多くの著名人が座右の銘とするウィリアム・ジェイムズの言葉を改めて眺めつつ、そんなことをぼんやりと考えた。

4コマは400話を目前に控え、動画制作は明日で3週間目を迎える。
キャスの中でも引用したジャイアント馬場こと馬場正平さんの言葉を改めて引用する

アナウンサー「5000試合出場達成おめでとうございます。次の目標は6000試合ですか?」
馬場「5000の次は5001」

そんな僕だが、3日後の5月6日に、晴れて42歳の誕生日を迎える。

2020年4月26日日曜日

熱伝導の話 自粛期間制作日誌その5

3.11、震災の話を少しだけ話す。

僕の実家である鹿児島は、東北から距離はあったものの、連日流れる復興関連の番組に、ついに両親が根を上げるようになった。
震災関連の報道が流れるたび「テレビを消せ!」と怒鳴るのだ。
しばらくテレビから離れるどころか「復興に向けて頑張ろう!」といった言葉すら、あたかもアレルギーでも生じたかのように強く拒否を示した。

こうの史代著「夕凪の街、桜の国」のあとがきにも、著者であるこうの氏が「戦争を怖いだけの昔話にはしたくなかった」と言葉を綴った。
強いストレスに接すると、人間の身体はそれに強く抗う、だけではなく「ストレスを自ずから避けよう」とするのだと、これも脳科学か何かの書籍で目にした。

忘れよう、なかったことにしよう、
そう落とし込むことで、目の前の苦しみから一時的に逃れることができる。
決して「逃げちゃダメだ」といった自発的な行為ではなく、ストレスに耐えきれなくなった身体の拒否反応、防護反応ではないかと自分は考えている。

都内で発令された緊急事態宣言から、早1ヶ月を迎える。

先日、今日と、主催を手がけるゲームマーケット公式のTwitter(@GameMarket_)から「#知ったかゲムマ」「#エアゲムマ」開催のお知らせツイートが流れてきた。
「いろいろ自粛で心も憂鬱 そんなストレスをぶっ飛ばせ!」
そう銘打たれた「架空のゲームマーケットを創作するツイート」は、ゲームマーケット当日を予定した土曜日、多くの出展予定者、来場予定者が「#エアゲムマ」のタグをつけ盛り上がりを見せた。
実際のブース運営や、はたまた、ありもしない空想上の現場など、参加者の一人ひとりが、あたかも青海展示棟の様子を実況するかのように、我も我もと様々なツイートを展開した。

目を逸らしたい現実。
それに真っ正面から顔を上げる行為は嫌が応にも大きな苦痛や絶望を伴うものだ。

それでも、逃げることなく絶望を飲み込み、次へ、次へと前を向く姿勢、時にそれは己が苦痛をさらに伴おうとも、挫けたものに手を差し伸べ、うつむく人間一人一人の手を取るような姿に、僕は見て取れた。


ニーチェもこう語る。
「あなたがたが絶望におちいっていること、そこには多大の敬意を払うべきものがある。なぜなら、あなたがたはあきらめることを学ばなかったのだから」
(「ニーチェ著「ツァラトゥストラはこう言った」第四部 「「ましな人間」について」より)

逃げなかった。
走り出した。

その熱量は、周囲に伝播し、周りを心強くサポートする。

制作の熱を閉ざし、希望を絶やさんとする存在は、いつの時代も、厄災の審判を下す神様でも、恐怖に陥れる悪の大魔王でもなく、すべからく人間自身の行動に帰結するものだ。
しかしながら、逆もまた同じ。
頑張ろうという小さな熱量もまた、相手の心へと強く伝導する。
熱が熱を呼び、ろうそくがたいまつへ、たいまつから照明灯へ、と呼応するかのように、次第に大きな光が灯され、人々の向かうべき道先を照らす。

「正直いまは「前向いて行こうぜ」なんて軽々しく口にできる状況ではなく、本当に生きるか死ぬかだし、精神的なものも含めて病気は増加し、犯罪も増加するだろう。それでもなお、ゲームを作って行かなくてはならないと思う。」
(引用元 ;https://twitter.com/kariyakeiji/status/1253862927662084099?s=21

ゲームマーケット事務局長の刈谷圭司氏は自身のツイートでそう語った。

 僕が目指さんとする制作の根本は、どうやらその辺りに眠っているのではないかと最近は考えるようになった。
 創作を動かすエネルギーとは、泉の如く自然と湧き出るものではなく、周りの創作熱に感化される形で、己が体内に秘められたエネルギーが周りと強く共鳴するかような、そんな形だ。

 だから僕も、何か手を動かそうと決めた。
 絶望に真っ向から立ち向かい、決して逃げることなく、少しずつ歩みを進めよう、そう改めて誓った。


 3月末から続くこの自粛期間日誌も早5週目となった。
 来週末は5月、新緑の季節を迎える。
 見る者を楽しませる草花が役割を終え、種子を育み、若い木々へとバトンをつなぐ時期とされる。
 自分に貢献できることは何か、なんて大それたことなど考えるに及ばない。けれど、僕が今できる全勢力を作品へと傾注できうるならば、小さくとも何かしら周囲を動かせるに違いない。

そんなことを願い、僕は今日もまた4コマに動画にと悪戦苦闘するのだった。





2020年4月19日日曜日

春キャベツの話 自粛期間中の由無し事

コロナ禍の御時世ではあるが、春本番を迎えた今の時期に春キャベツが店頭に並ぶ。
普通のキャベツより数倍も甘く、生でも茹でてもOKのオールマイティ選手だ。

春キャベツが甘い理由を、耳学問ではあるが「厳冬を迎えたから」と知った。
厳しい環境を迎えると、「ジッと耐えられる」よう、キャベツ自ら糖分を生成し、多くのエネルギーを蓄えるのだという。

この1週間も、先週と同様、限られた範囲の中で、自分のできることに傾注し日々を過ごした。
ペンとさいころのろいさんらが主催の「VAGE」にて初のオンラインイベントに参加した。
先週くらいから「毎日ボードゲーム動画クイズ」と称し、パワーポイントやフォトショップ等を駆使した映像クイズの開発、再現に時間を取った。

先週無事に入稿を終えたことだし、この1週間はもっとぐうたらしても良かったのかな、とは思う。

それでも何か手を動かさなければ、落ち着かなかった。

中野kurumari店長のウエノさんと軽くお話をする機会があった。
曰く「少しでも会話のやりとりがあると楽しいですね」
閉じこもる生活の中で一番苦痛なことは、自分にとって何より「外部と直接のやり取りが遮断されること」だった。
巷では「三密」「ソーシャルディスタンス」の言葉が飛び交い、相手との距離を遠ざけて生活するよう叫ばれている。
金銭的なやり取りは元より、何気ない日常の会話すら阻害されることは、こと独りの生活が長い自分にとってもやはり苦痛でしかなかった。

ニンテンドーSwitch「あつまれ!どうぶつの森」も僕のTLでは活況だ。
デザインを遊んだり、珍しい魚を釣り上げたり、といった従来の楽しみ方のほか、株価に相当するかぶのやり取りのほか、オンラインコードを駆使し、他のプレイヤーの村へと遊びに行く、招待する、そんなプレイスタイルを多く目にする。

オンラインゲームのフレンドコードをTwitter上でやり取りするなど、ボードゲームも、直接遊んだプレイ風景や感想をやり取りするスタイルから、インターネットを媒介し遠方の知人同士でワイワイプレイする、といったスタイルも、この3、4月くらいから頻繁に目にするようになった。

僕は、というと、相変わらず「自分にできること、提供できること」を日々考えながら変わらぬ毎日を過ごしている。
毎日制作するボードゲーム動画クイズも、一人黙々と、というより「楽しんでもらえる相手」を目の前に置くことが何よりのモチベーションだ。
そうした意味では、一人孤独に頑張る、なんてカッコいい姿ではなく、やっぱり努力した目線の先には相手の喜ぶ顔がある、ひいては「一人孤独に生きる」なんて、やっぱり自分には難しいのだろうと思う。

コロナが開けた頃、ちょうど暦の上で初夏を迎える。
5/6といえば、約3週間後に控えた昨年のゲームマーケット春2日目に向けてチラシやポスターなど細かな部分の制作を開始した時期であり、ついでに加えると、自分の42歳の誕生日でもある。
ゲームマーケット当日は5月にもかかわらず日中の気温が30度を超える日だった。
米大統領夫人が御台場にいらっしゃるとのことで、都内近隣はゴミ箱が封鎖されるなど厳戒態勢が敷かれていた。
昨年は昨年で、(気候の面とは別に)何かしらの制限があり、そんな中でも「仕方ないね」「こう対策するといいよ」と様々なアイデアが飛び交ったことを思い出す。

冬季に蓄えた養分が、暑い夏を前に、遅咲きで芽吹く頃。
同時に農村では田植えが始まり、苗床で育てられた稲が水田へと植えられていく。
ひとつの結果が生まれ、同時に、そこを起点として、始まりを迎える。
5月が間近に迫ると、僕は未だ暁を覚えぬ頭でそんな言葉を妄想する。

「ともに頑張りましょう」
今はただひたすら「自分のできることをこなす」のみだ。

2020年4月12日日曜日

多くの目を持つ「チカラ」

毎回楽しみに拝聴しているスプーンラジオ(ポッドキャスト)「万屋楽団のそれなりな日々」第84回が先日配信された。

リンク先「万屋楽団のそれなりな日々「第84回 3月のLight and Geekと営業自粛について」の巻」」
https://yorozuyagakudan.com/2020/04/08/podcast084/

今回は特に京都府に店舗を構えるLight & Geek店長を務めるサンジョウバさんの経営手腕が(冒頭のアサトさんのお話も含め)評価される回だったように感じる。

実際に聞いてもらうと早いが、来店者数、新規入会者数、曜日ごとの来店者数や一人当たりの滞在時間、席数に至るまで、3月の集客情報を様々な角度から俯瞰し、売り上げや客層の詳細に分析する回だ。

僕は経営面に関しとんと素人だが、拝聴しながら、サンジョウバさんの持つ「多くの目」が、すごく素敵で、たくましいと感じた。

多くの目を持つことは、持ち前の強さばかりではなく、メンタル面もコントロールすることができる。
ざっくり野球で例えると、ストレート一本で勝負する投手と、様々な球種を使い分ける投手と、で、バッターに対する対応が異なる。投球前に悩む量は前者が、仮に崩れた場合の悩む量は後者が、それぞれ比較的負担が少ないと言える。

多数の視点を持つことは、周りを見る視点であり、ひいては「自分を省みる視点」を持つことにつながる。
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」は孫子の一節からの引用だが、さらに掘り下げると、自分を知ることで余裕が生まれる。余裕が生まれると、適度に相手を牽制しつつ硬い守りに入ることができる。そして生まれた余裕を持って、周りに手を差し伸べることもできる。

戦術の面でも、予備戦力を多く保持する戦法は、特に浮動状況下で真価を発揮する。

(もちろん、ボードゲームや囲碁・将棋・麻雀などを嗜まれる本ブログの読者にはブログにまとめるべくもなく自然と身についた話ではないかと思うが。)

周りに差し伸べたその手は、別の人間がさらに手を伸ばしてくれる。そうして次へ、次へ、と等比級数的に幸せが連鎖し、増幅する。

知識なり、経験なり、とっさの場面で打つことのできる「次の一手」を幾つ引き出しとして控えているか、は、先のアナログゲームならば特に「実力」につながると直感的に理解できる。

ラジオ配信の途中にはこんな言葉も飛び出した。
「みんな(お客さんが)お金を払う気満々で来ている」

緊急事態宣言が為され、多くの方が外出の自粛、行動の制限を余儀なくされた。
悲観する方、逃避する方の一方で「次はこうします」「これから○○します。ご一緒にいかが」と、先へ先へと視点を変え、周りに手を差し伸べる方も数多く目にする機会もあった。
ボードゲーム界隈もボドっていいとも!の翔さんをはじめ、ツイキャスライブ、YouTube配信等で新作の応援をされる方、ペンとサイコロのろいさんが展開する「まいにち共通広場Live!」のTable top simulator等、オンラインでのボードゲームプレイも活況を見せている。

「ダメなら次」の目線を変えるチカラ、手を伸ばすチカラ、
そのためには苦しくツラい状況下の自分を慰め癒し、時に騙し騙し体を動かしながら、キッと顔を前に上げる強さも必要だったはずだ。


暗い話題が飛び交う昨今、こうした「人と人との温かみ」を実感する配信回だった。
僕もそんな「周りを幸せに」する、できる人間に向かうために、もっともっと勉強しよう、読書しよう、と、心に決めた。

2020年4月5日日曜日

動かすこと 


自宅での活動自粛生活も早2週間が経過した。
2週間前の外出以来、自宅から半径300m以上の外出は控えている。
お金の振り込みと軽い買い物、時折外に出て散歩をする程度だ。

自宅にこもってばかりいる環境は、とにかく目の周りの「物」が動かない。
当たり前のことだけれど、意識をして換気や片付けなどを行わない限り、目の前の本や手帳など微動だにするはずがない。
「引きこもりながら読むぞ!」と枕元に積まれた本も、「読むぞ!」と意気込まなければページすらめくることができない。
さながら「冬眠の熊」のように、周りの動向を伺いながら、ひたすら消耗を抑えてジッとする、ここ数日はそんな日々を過ごした。

買い物のため外を出歩くと、木々がそよぎ、風が吹き抜け、親と子どもの他愛もないやりとりが耳に入る。
普段は感じることのできなかった「自然のうつろい」、それを肌で、内蔵で。直に感じとることができた。
「退屈だ」と感じる由縁は、自分にとってどうも「変わり映えのない世界」に身を置くことであり、己に秘めた「変わりたい」の気持ちから大きく乖離しているからだろうか、などとぼんやり考えた。

俗な話ではあるが、ボードゲームの最中に、行動を制限され、動きたくても自由に動けない状況を「苦しい」と表現する。
職場でもプライベートでも「やりたいこと」を咎められ抑えられ、やむなく行動が制限される「苦しみ」と、言葉の他に意味合いも相通ずる。
それは自分の中の「変化したい」の欲求が鬱積し、発憤できない苦しさ、と、無理やりまとめてみた。


SNSでは絶え間なくツイートが流れ、動く。
有用無用問わず様々な情報が、秒単位で変化を遂げながら「動いて」いる。
絶えず流れる情報、動かない動けない自分。
自由のない束縛された苦しさは「退屈」の苦しさとも連動する。
そんな「退屈」ばかりを味わうと、次第に部屋の中で「自分の存在について」と出口のない哲学と格闘する羽目になる。
退屈の誘惑から懸命に逃れつつ「そんな中でもできること」を模索することにした。

小冊子の制作を継続することに決めた。
制作中の漫画、クイズ本等の創作に関し、手を緩めず、少しでも前へと体を動かすことにした。
それでもメンタルとシンクロする僕の諸活動は、ネタに苦しむ日やデザイン、レイアウトに苦しむことも度々あった。
頒布できる場所なんてわからない。
それでも手を動かし、どなたか欲する方のもとへと届ける算段を思いあぐねる時間は、幸せを味わうことができた。
ペンを握り、メモを取りまとめ、頭の中を紙媒体に起こす作業は、何より精神の安寧となり、いつしか「届けたい」の気持ちを上回る「世に生み出したい」が念頭となった。
4コマのレイアウト作業のほか、クロスワード本のPDF化、チラシで使用するクロスワードの手直しなど、気の向くままに手を動かしているうちに、1週間は瞬く間に過ぎ去った。

物理的なものも積極的に動かすことにした。
元来お金がないどころか、小冊子の売り上げの他にまとまった収入のない自分にとって、できる支援などたかが知れた。
それでも周囲の苦しむツイートに心を痛め、目に止まったお店には微額ながら支援・購入を行った。
その際は、できうる限り応援の気持ちも添えることにした。
「ご無理をなさらず」「お体ご自愛ください」
定型文とならないよう、ありのまま気持ちを言葉に乗せ、リプライするよう心がけた。

先週から続く引きこもりの2週間は、そんな「未来への勝手な妄想」に明け暮れていた。
今はまだ先のことなどわからない。そもそも、未来のことなど誰も知る由もない。
だからこそ今は、下へ下へと根を張ることに従事したように思う。

「明けない夜は無い」しかしながら、いつまでも暗闇の続く御時世では、ゴールも補給地点もないマラソンを延々と走らされているようにすら感じる。
それでも僕は、いつか迎えるであろうゴールまで、必死に走り続けようと思う。
自分だけではなく、皆が揃ってゴールのテープを切ることができるよう、無理のない範囲で手を差し伸べようと心に決めた。

そしてまたいつか、みんなで笑いあえるその日まで、日々明るい方向へと道を伸ばして行こうかと思う。

2020年3月28日土曜日

立ち止まる中で「できること」を

先週とは打って変わって、この1週間は自宅にこもり、必要なだけの買い物と気分転換を済ませる日々を送った。
どういった状況であれ、都知事からのアナウンスがあった以上、ウイルスの蔓延を防止するべく大きな移動を控えるべきと判断した。
2回分も残された青春18切符は、そのまま期限を迎えることだろう。

引きこもりの生活の中、自分の行い、振る舞いを改めて(というより半ば強制的に)見返そうと頭が動いた。
古典文学で見かける随筆家が、岩室にこもりつつ、ひたすら詩作にふけったように、自分も「これでよかったのか」「何をして、どう動くべきか」と自問自答にくれる、そんな毎日を過ごした。


ゲームマーケット春の知らせは、同じくゲームマーケット大阪で苦渋を味わった僕にとって「来たるべき道に来た」と構えてはいたものの、やはり精神的なダメージまで和らげない、と、体が判断したためか、内臓に重くのしかかる「やるせない気持ち」を排除することはできなかった。
出展が叶わなかったとはいえ、金曜にはコミックマーケット中止の連絡も相次いだ。

どうしよう、これから。
逼迫された状況下、足場がだんだんと切り崩される中で、自分の中の何を切り捨て、何を残すか、ボードゲーム的にいうと「手持ちカードの精査」の段階を経験する。

トレジャーのSLG「斑鳩」Chapter3「信念」のステージタイトルを引用する

Chapter3 信念 ideal
浮き世に絶対などというものは無く、
理不尽な思いを胸にして、途方にくれる時もある。
それを乗り越えるためには、確固たる信念と洞察、
そして幾分かの行動力を持つ必要がある。


自分に何ができる?
うつむいた先の僕の視線に、自分の手がけた小冊子の束が映った。
4コマにクロスワードに、あまつさえ分厚いエッセイ集、
この春で頒布を予定したはずの作品だ。

思い返せば、自分の中にある「楽しさ」の器が溢れ出した頃、僕は消費する立場から生産する側へとシフトした。
「楽しみ」の種をまき、育て、実った果実を配って回るだけではなく、初めて手にされた方が喜んでもらえるには?を自分に問いかけ、イラストを、Illustratorを、動画編集を、全て一から勉強し直した、そんな僕の集大成とも呼べる作品がこの3冊に凝縮されている。


「楽しんでほしい」
そんな想いを動力源とし、年末年始も缶詰になり、作り上げた大切な本だ。
「こんな面白い楽しみ方があるよ!お手にとって、ぜひ試してみてください!」
僕が小冊子を「販売」ではなく意図して「頒布」と言葉を改める由縁はそこに存在する。

そう
だからこの春は「多くの方に知ってもらう」と心に誓った。

そして、そのためにはどんな手段でも活用すると決めた。

これまで「自分の作品は他のボードゲーム作品とは異なるから」と、意図して同じ舞台に向かうことを躊躇してきた。
これからは他の出展ブースと同一線上で頑張ることに決めた。
もっと自分の作品が「笑顔を醸成できる」ベクトルとして同一なのだ、そして、対等に迎える作品なのだ、と、強く自覚することにした。
先日は長崎サニーバード様にて初のPodcastゲスト出演も果たした。
第198回「世にも面白い!トランプとクイズの世界!!の巻!」 – おしゃべりサニバ~ボードゲーム大作戦改~
BOOTHにて初めてpdfでの販売、合わせて体験版の無料配布を行った。
https://banjirou.booth.pm
小規模のイベント告知には一も二もなく反応した。

考えたら足がすくむ、直感的にそう判断した。
寂しさで震える自分に浸っている余裕はない。
ドイツの哲学者ヨハン・ゴッドフリート・ヘルダーの言葉にも「わたしがここにいるのは考えるためではなく、存在し、感じ、生きるためだ!」とある。

作品を広め、手にされた方が「僕の提供する面白さ」を五感を通じ楽しんでもらえるような(無論そのために自分が崩れてしまうようではいけない)ワクワクを、自分のできる範疇で、これからも模索を続けよう。
制限された行動下だからこそ、無理もなく、無茶もなく、自分のできることをもう一度見つめ直し(品を下げることなく)貪欲に、ガムシャラに。

「楽しい!」のエネルギーが、冷え込んだ雰囲気に幾ばくかの熱を放出できますように。


こもりきりの部屋の中で、パソコンを打ちながら、今日も「なにができる?」を自問自答する、そんな今日この頃。



2020年3月21日土曜日

肌身で感じた「強さ」 3週間の旅を終えて

新型コロナウイルスの影響は想像を遥かに超えるものだった。
ゲームマーケット大阪を含む多数の大規模イベントが自粛となり、開催を決行したイベントも、その客足は大きく落ち込みを見せるなど、全国各地の制作者、主催者、ボードゲームカフェ、等々、悲痛な叫びが上がった。
Twitterのタイムラインでも日々落胆の声が流れる。


そんな中、今回惜しくも頒布できなかった各作品を、通信販売等を利用し頒布しようと、またYouTube配信塔を活用し「独自の動画等で紹介します」と、そんな暖かい支援の声もあちこちで上がった。

「(こんなご時世だからこそ)ともに頑張りましょう!」

何事にも感化されやすい僕は、そんな心の声すらも敏感に察知した。
「下っ端のいちサークルながら、僕にも、何かの形で周りにご支援ができないか」
いつからか僕は、そんな取り止めのない問題で頭をもたげた。


2月中頃、大阪への宿泊予約を取り持つ旅行会社から「3日前までキャンセル料を無料とします」といった旨のメールが届いた。
そのまま返送すれば、文字通り、何もかもが「白紙」へと帰る。
白紙になるくらいなら、現地に行き、お店の方に御挨拶をしよう、「頑張りましょう!」の声とともに、少しばかりのお金を落としに行こう。
僕の決意は固まり、大阪遠征を続行するどころか、気がつけば、九州、名古屋も加え、全国各地へあれよあれよと旅程を立てるに至った。

無論、僕自身が病魔に倒れてしまっては本末転倒だ。体調管理だけは細心の注意を払うことにした。
決して無理をせず、僕が動ける範疇のこと「だけ」を。


2月28日に開催された埼玉県北越谷ZEST様の「エアゲムマ」を皮切りとし、僕は大阪、京都、兵庫、福岡、長崎、愛知、三重、千葉、……3週間ほど「ご挨拶」という形の応援に飛び回った。

行く先々でボードゲームのクイズを広げ、お話をし、卓を囲み、ご興味があればと新刊小冊子をお渡しに奔走した。


お店の中は、どの場所も、こちらが拍子抜けするほど明るい雰囲気だった。
店員さんはお客さんが少ないことを半ば自嘲気味に笑い、そして時折眼光鋭く「頑張りましょう!」と肩を叩きながら、迎えた状況にもめげることなく真摯に向き合い、少しずつ、少しずつ、前を向く、そんな力強さを肌身で感じることができた。


そして僕自身にも
「今度クイズ会をやりましょう!」
「YouTube配信なんてどうですか?」
「次の新刊はこの路線で!」
など励ましの声をかけてくれた。

僕はゲームマーケット出展が今年でやっと4年目となる、一般のサークルに過ぎない。
まして頒布している作品はボードゲームそのものではなく「ボードゲームに関するクイズ本」である。
売り上げもさることながら、大手を振って「頑張りましょう!」と主張できる立場にあらず。
そんな無名の僕にも手を取り、応援とともに励ましの声をかけてくれた。
僕はそれを聞くたびに、うっすらと涙をにじませた。
励ましのつもりが励まされてどうする、自分。


明日の動向すら刻一刻と変化する、未だ予断を許さない混沌とした状況の中、僕は旅先からの帰途で「僕は僕の感じたままに、今の現状を受け入れよう」と心に誓った。
不安、絶望、といったマイナスな面だけではなく、それら苦悩を迎えた先に、それでもなお、胸の内からふつふつとたぎる強い活力。
実際にこの目で見た「ありのまま」を、飲み干し、体内に取り入れ、そしてゆっくりと時間をかけて自分の言葉へと昇華する。
そう考えるうちに、気がつけば3週間にもわたる旅程は実にあっという間に過ぎ去っていった。

百聞は一見に如かず
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず
百行は一果に如かず

中国・漢代のことわざだ。

今回の旅を通じ、現実を見ることの大切さ、そして何より、笑顔を提供される方一人一人の秘めたる真の優しさ、強さといった諸々を、肌身を通じ実感することができた。
学んだことは多かったけれど、今の僕の語彙量では、上手い言葉に乗せて表現するにはまだまだ時間がかかる。

想いを活字にまとめる作業に苦心しながら、僕はこれからもそんな情熱を持つ方々をこれからも応援しようと誓った。
焦ることなくゆっくりと気持ちを熟成させ、少しずつ活字として、作品として、想いを形にし、相手に届けることを続けよう。

僕にだって何かできることがある。

これから先も、各地で、応援の声を届けに回れたらと願う。

2020年1月21日火曜日

それは一枚のポートフォリオ 沖縄じょーとー市報告レポ

 ゲームマーケット大阪に向けての締め切りに追われる中、逃げ込むかのような形で、先日1月18日、僕は一路、沖縄へと飛んだ。
 

この日の関東は折からの雪模様、朝から強く冷え込む1日を迎えた。
しっかりとコートをかかえ、僕は人混みで賑わう機内へと単身乗り込んだ。


 3時間ほどで那覇空港へと到着。
 気温15度、まさかと思われるが、それなりに羽織るものが必要なほどひんやり肌寒い「沖縄らしい冬」。
 市内を繋ぐ「ゆいレール」へと乗り込み、市内に位置するボードゲームカフェ「サイコロ堂」様へと向かう。


 昨年は店舗を改装し、明るく、西洋風に、かつ以前の面影もさりげなく残すたたずまいだ。
 早速お目当ての沖縄名物の「ルートビア」を注文する。

 ガツンと飛び込む甘さとカラメルが喉の奥でスパークする。体のことなど考えず2本目も飲み干してしまった。
 ふと目をやると、最新号の「メビテン」が配布されていた。


 巻頭ページには「開運ボードゲーム占い」とある。
 さてさて、気になるおうし座の運勢は?

「テーマは「トキメキ」。あなたの心をときめかせる何かに出会います。そのときがきたら、恥ずかしがらずに飛び込んでみて。それが転機になります。」

 じょーとー市での「トキメキのある出会い」を、独り密かに期待することにした。

 たまごさんらとともに、地元の郷土料理のお店へと向かう。


 こちらの食堂で、もう一つのお目当てである「麩ちゃんぷる定食」を堪能する。
 濃く味付けされた野菜炒めに、大盛りのご飯の牙城が崩れる。
 熱と汗でへばらないような沖縄の食を堪能する。
 

 翌朝、案の定昨夜の食べ過ぎで胃腸の張ってしまった僕は、朝食をそこそこに当日の最終準備へと取り掛かった。
 
 この日は朝から清々しい晴れ模様にも恵まれ、当日の会場となる『ゆらてく』へ送ってもらった。
 

 天井も高く、内装も綺麗、別の部屋では吹奏楽のグループが練習していたが、音響ひとつ漏れないという徹底ぶりだ。

 設営を始めると、昨夜お邪魔したサイコロ堂の店主や、同じく県内のボードゲームカフェtoi toi toiの店主をはじめ、多くの出展者が、各々持参した魅力的な作品を次々に展開する。
 県内で人形制作者として有名な「フリッキー山田」さんも登場し、愛嬌のある人形を目の前に配し、ペンを手に取り、黙々と作品制作へと取り掛かった。

 今回「番次郎書店」としては珍しく、中古のゲームを展開するイベント。
 採算は度外視し、ここでも「楽しむこと、交流すること」をメインに運営を展開することに決めた。

 入口の近くでは、ボードゲーム制作者のクロクマさんら多くのボードゲーム愛好者らが、いまや遅しと開場の時間を待っていた。

 14時、主催の声とともに幕が開く。

 フリーマーケットも含めたボードゲームを主体とする沖縄初のイベント、多くのボードゲーム愛好者が待ち焦がれたのだろう。開幕当初から多くの人が我先にと流れ込む。
 大きな混乱こそ無かったものの、事前に大きな注目を集めていた作品はものの5分も経たずに完売の報告が相次いだ。
 僕の方も、それとなく並べてあったネスターゲームズやスカルキングなどの目玉商品が次々と手を離れていった。

 賑わいを目にした様子で、近隣から、遠方から、そしてボードゲームにあまり馴染みのない方も含め、多くの来場者が途中からも大勢足を運んだ。
 家族連れに、子供向けに、パーティ用に、と、次々に購入される。僕正面の話をすると、コヨーテ、キャットアンドチョコレートといった、いわば『ボードゲームに馴染みのある方なら遊び尽くしたような作品』の方にこそ多くの方が興味を持ってくれたように感じた。

 開始2時間経過後も、いまだ人の波は途絶えることを知らない。
 せっかくだからと用意した『早押しクイズ』も、閉会1時間前となった場面でようやく顔を出す。「正解すれば全品半額チャレンジ」の太っ腹なおまけ付きだ。

 17 時、大きな混乱等もなく、じょーとー市は無事に閉幕。
 会の終始を通じブースに張り付く形となった僕は、結局ほかのブースの掘り出し物を物色することすらできず幕を終えた。

 軽くなった荷物を片付け、全員一丸となって会場を締めると、辺りはすでに暗闇の中だった。

 心地よい疲労が身体からじんわりと溢れる。
 終わってみれば、出展者、スタッフ、来場者、全てが笑顔に包まれたイベントだったように感じた。
 ガツガツとモノを売りさばくといったイベントではなく、会場内すべての方と笑顔を共に過ごしたような、それはまるでおとぎばなしの世界の中のような、とても不思議な時間だった。

「イベントを通じ、沖縄のボードゲーマーが集まるようなイベントにしたい」
 会の主催を務めた防波亭時化さんはそう話してくれた。
 ゲームマーケットに来場される方の中にも、当日の買い物とは別に、遠方からいらっしゃる方との交流を楽しみに来場される方も多いと聞く。

 それは形を変えた「同窓会」のようなイベントかもしれない。

 個々人のプレイ歴、所持数、さらにはゲームカフェ、ゲーム会の主催・運営、それらの垣根を一切取り払い、その場の全員が忌憚なく「ボードゲームの話題」で楽しく盛り上がる場、もちろん僕のような外部の人間も排他的どころか、むしろ新たな風を取り入れるが如く手厚く歓迎してくれる、
 まるで、バラバラとなったジグソーパズルのピースを、枠の中にひとつずつ丁寧に当てはめ、同窓会の思い出となるべき一枚のポートフォリオを全員で組み上げるような、とても地道で、膨大な作業だったことではなかったことだろうかと、改めて主催を務めた時化さんの頑張りを称えた。


 翌朝、当日の購入資金として用意した幾ばくかのお金を、この度の首里城火災の復興支援基金へと回した僕は、制作中の頭を空にして街中をぶらぶらと散策することにした。
 自分用のお土産も、ウムクジ天ぷら(サツマイモ団子)や砂糖天ぷら(サーターアンダギー)、バヤリースの石垣島パインなど至って庶民的なものばかりが並ぶ。


 21時過ぎ、大勢の客を乗せた飛行機とともに、僕は冷え込みの続く関東地方へと無事に帰還した。


 誰もいない部屋の中、いつものPodcastをつけながら、僕はまたいつもの執筆作業へと取りかかった。
 こうしていつもの生活がまた始まりを見せるのだ。


 初めは、本当にちっぽけなものだったかもしれない。
「できたらいいな」
そんな本当に些細な想いだったことだろう。
次第にその「好き」の想いが、熱を帯び、熱量を高め、それらが共鳴し、人を呼び、人を動かし、1人、2人、4人、16人…いつしかそれは大きな作品と成長を遂げる。
 そんな「好きという想いの強さ」を肌身で学んだ、そんな実り多いイベントだったと振り返った。
 
 改めて本イベントの主催を務めました防波亭時化様、たまんちゅ様、げな様、みみこ様ら実行委員スタッフをはじめ、たまごさん、出展者、多くの来場者、そして携わった多くの方々に、そして、ボードゲームを作らない僕のようなボードゲームのサークルを暖かく迎え入れてくださった沖縄の方々
に深く感謝申し上げます。


 
 
 
 


2020年1月4日土曜日

初心忘るべからず 2020年の抱負に代えて

初心忘るべからず
誰もが聞くことわざの一つだ。
主にベテランが自嘲する際に多用される。

昨年は屋号も改め再スタートを切った当「番次郎書店」も、初心を忘れることなく、4年目となる2020年も、にわかに、とは言わずとも、「初心を忘れることなく」始めることにしたいと誓う。

初心とは
油断大敵、の意味合いもあるが、ここでは別の機会としたい。
それよりももっと前、ボードゲームそのものに出会ったばかりの頃の話だ。

ボードゲームが好きで、クイズが好き。
ボードゲームのクイズを作成するうちに、100問になり、1000問になり、本を作り、勧められるがまま、ゲームマーケット2017秋にはとうとう初出展を果たした。

ボードゲームのことを知ったばかりの「あの頃」
ゲームマーケットのブースに立つ方々は本当に「神さま」だった。
有り体に言うと「いつかブースに立ちたい」など、当時は思える頭がなかった。
「(今の自分の実力では到底)立てるはずがないだろう」が本音としてあったのだ。
そんな僕だったが、いつしか時を重ね、2019年のイベント出展数は実に9回を数え、先日はついにコミックマーケット(C97 2日目)への当選をも果たしたのだ。
どのイベントも本当に楽しいものばかりだった。早押しボタンをかたわらに、クイズを読み、本を売り、立ち寄った方々と談笑するひと時が、何事にも変えがたい幸せだった。

売れ行き「だけ」を考えると失敗に転じるものもあるにはある。が、楽しさの価値観を僕はそこに見出してなどいない。

夢を追え、と人は言う。

もっぱらそれらは、若い人に向けて経験者が口にすることばだ。

それは夢、すなわち「空想上にしか存在し得ないもの」を空想のままで終わらせることなく、「現実」として形に表す作業のつらさ、大変さ、翻って面白さ、楽しさを決して忘れるな、と忠告しているのではないだろうか。

寒い冬の時期、布団の中から出たくない朝と同様に、夢から目覚め、夢を現実として走らせるには、多くの労力、幾ばくかの犠牲を伴う。
得られるであろう果実を想像しながら、目の前の荒野をイチから耕す作業は想像するだけで酷なものだ。やはり多くの方は、現実に立ち返ることなく「夢」のまま実らぬ果実を妄想するだけで終えてしまうのだろうと考える。
それでも手を動かしているうちに、若葉が息吹き、幹が育ち、時折り手伝う人があらわれるようになり、まだ見ぬ大輪の花へと大きな前進を遂げるのだ。

「ボードゲーム」に触れること、遊ぶこと、体験すること…etc。
「初めての気持ち」とは、それよりももっと深い場所に根差す「初めてのチャンス」そのものから、全身で感動を吸い上げられることにあるのではないかと考える。

大きな野望はないけれど、夢として「あんなこといいな、できたらいいな」が、実際に「できた」ことへの喜び、感動。少し前の自分が「夢」すなわち「形のないもの」として妄想した作品を、実際にこの手で作り上げた感動、そしてそれらを勧める担い手となる喜び、それら喜びの根本となる「初心」こそ、経験を重ねるほどなおざりになってしまうのだ。

僕はあまり考えることなく行動に移す場面が、ことさら2019年は特に多かった。
行動力の陰で無鉄砲と揶揄されるほど、臆することなく全国各地のイベントに顔を出し、クイズを広げ、挨拶に回り、現地の方々と卓を囲んだ。
それも「初めての気持ち」とりわけ「初めてチャンスをつかんだ時の喜び」を忘れないよう、知らずして自分に言い聞かせていたのではないか、と、振り返る。
臥薪嘗胆?
少しズレるけれど、意味合いは似たようなものかもしれない。


だから僕は、創作活動やイベント出展等を通じる上で、これからもチャンスがあれば積極的にステージに立ち、そのための準備には決して労を惜しまず、できうる限り最高の舞台を成し遂げたいと心から願う。
そして夢を夢として萎ませるだけではなく、夢の中の塊をできうる限り手で描き、形にし、自分の中での「現実」を作り上げる年にしたいと誓う。
そう、あの時の
「ステージに立つこと、そのものが夢だった」
そんな『初心』を決して忘れないよう、2020年も(資金と身体の続く限り)動き回りたいと思います。

ふつつか者(サークル)ですが、2020年もご愛顧のほど、宜しく御願い致します。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...