2022年3月17日木曜日

薫習

 寝食を忘れて創作、というと無理をしているように聞こえるかもしれない。

実際、すごく無理をしている。走りながら「ゴールはこの辺だ」を示され、ゴールを目指しひたすら走る作業に似ている。

やっぱり大変だし、昨日から心変わりすることなく「本気だからつらいし、達成感がある」といえる。一晩経ったものの「楽しさだけを追求」した創作はどうも自分の気持ちに好きならぬ隙ができるようで怖いのかもしれない。


終わりの漫画、おまけ漫画、そして表紙の画像の一枚一枚が、サグラダファミリアの如く少しずつ完成に近づく、それが何よりの楽しみでもあるし、そのためならば三食はあまり重要ではない。

そんな反発から生じた怒りにも似た気持ちを創作にぶつけ、今日も少しずつ進めることができた。

可愛く、面白く、何より、ほろりと悲しく、今回のおまけ漫画もかなり力の入った作品となった。ラフができた時、思わずガッツポーズが出たものだ。

次の4巻目がもっともっと面白い作品となるよう、そんなことばかりを考えて過ごした。買い物以外の外出はランニングぐらいだっただろうか。


ネットに毒されたのか、ふと「美味しそう」と思い、アンパンと豆乳を買ってしまった。張り込みのあんぱんの漫画に感化されたようだ。

そう考えると、私は一人で生きているようで、買った本や何気ない会話のやりとりなど、周りに影響されることが多いといえる。

だから、周りの「自分を腐す」存在が本当にジャミングでしかない。

仏教の教えに「薫習」とある。解釈は色々とあるが、ここでは「いぶす煙が近くにあるだけで、目に見えずとも周りにその香りを移す。人は知らず知らずどこか環境で影響を受けている」と捉えた。

自分の気持ちにもっと素直になろう、そして、それを創作にぶつけるのだ。

このつらい道も、結局自分の選んだ道であり、自分で判断した道なのだ。

2022年3月16日水曜日

底辺に生きながら

努力する姿はなぜ笑われるのであろうか。


最近、芸能人然り、配信者然り、Vtuber然り、経営者然り、才能をもてはやされたと思しき人間の不祥事が多いように感じる。

女性関係で、賭け事で、失言で、昨今特にそのカストリの如きスキャンダルには事欠かない。顛末は決まって弁護士か誰かが代筆したと思しき書面をツイートに画面で表示しフェードアウトすることとなる。


生まれ持っての美貌や才能を持ち合わせた人物は、お昼のツイキャスライブでも「才能があるっていいよね。才能のある人に憧れる」と羨む対象となっていた。その後は英語がしゃべりたい、ダイエットしたい、などの話に帰結した。


私は生まれながらに親から上司から才能がないことを見抜かれて今に至る、才能とは無縁の努力型の人間だ。努力型といっても努力する人の意味ではなく、あくまで才能がないから、という消極的な理由だ。顔もスタイルも勉強も、元々持ち合わせた能力など皆無に等しい。

だから努力して自分のやりたいことを切り開くしかなかった。道に迷い途方に暮れたとき、えてして才能型のアドバイスなど当てにはならなかった。「何とかなる」「楽しんでのんびりやる」そんな言葉を並べられたところで、それで上手く軌道に乗せた才能型とは違い、私にその方法など通じるはずもなかった。

逆も然りで、努力してつかんだ自分なりの方法を才能型はひたすら「できない!」と匙を投げた。

それが続くとどうなるか。

努力の方向性に齟齬が生じる。

金持ちが口先だけで綴る「お手軽倹約術」と、本当にお金のない人間が節約する術とでは、その身の入り用から姿勢、成果となる実際の額まで大きな差が生じる。

そう考えると、実は才能という名前の足枷をかけているに過ぎないのではないか。今日はそんなことをぼんやりと考えた。

スマートに物事をこなす才能型人間とは対照的に、努力型は得てして悪いイメージを持つ。

幼い頃、興味本位で受け取った「記憶術」のパンフレットにも、楽して効率を目指した人間は笑顔で勉強もスポーツもこなし、かたや必死で勉強する人間(ライバル)は本番で失敗したり僅差で点差が伸びなかったりと、悪いイメージで描かれることが多い。

メディアともなると更に助長される。努力もせずにスターダムにのしあがったと肩書きをつけ、努力で成し得た人物を神格化する。それは以前「クイズ思考の解体」で伊沢氏が綴っていた。

遊びながら作業するからいい作品が生まれる、その理由もわかる。だからと言って、努力する人間を笑っていい理由にはならない。

努力して一歩一歩コツを掴むより上に上がる方法はないのではないか。それを体得している自分だからこそ、才能や美貌は、いわば生まれ持っての金持ちのようなもので、そこに至る過程がすっぽり抜けている。

更には、そんな自分を「魔法使い」のように何でもこなす人間として、作品を品定めしているのではないか。


そんな人間になりたくはないし、才能は才能として努力を重ねる人間でありたい、と、底辺に生きる自分は思う。

菜根譚に気持ちをしたためた人物も同じ気持ちを抱いたのだろうか。

2022年3月15日火曜日

三日、3週間、3ヶ月、

 三日坊主という言葉は、世間でいう「三日も続かない根性なし」を自虐的に使う方が多い印象だ。

あくまで自分の体感だと、三日続けば4日、5日、と「あ、書かなきゃ」と習慣として覚える。

小堺一機さんの言葉だったかと思う。好きな相手には「3日、3週間、3ヶ月」、気になった相手には3日前までに声をかけ、次の約束は3週間以内、3ヶ月続けば告白できる、といったものだ。

好きな相手には到底届かないが、3という言葉に何か習慣や体験を形づける、いわば、昨日のブログの話題にあったような「3年先の話」にも通じるように考える。「3週間続けば人生が変わる」という本もあるくらいだ。


一歩目を踏み出し、今日は表紙デザインだけでも何とかラフを済ませることができた。肝心のおまけページも、来週土日くらいには完成させたいと思う。

未だオチをどうするか決まっていない、そんな無謀な挑戦も、そろそろゴールの欠片が見えてきただろうか。


6月ボドゲフリマの当選案内があり、再度お金を振り込んだ。

勢いでそのまま宿も予約した。

今日はゲームマーケット春のブース発表もあり、各サークルが自身の番号をツイートされていた。

取り残された感覚も覚えたが、自分は自分と割り切り、クイズも然り、自分の作業に目を向けることにした。


本だけを読み、ひたすら物事を積み重ねた先の、3日、3週間、3ヶ月、そして、3年。

今の場所に住まいを構えた2019年から数え、もうすぐ3年となる。

ひたすら努力を重ねた成果は、3年となる今頃身を結ぶよう、また明日も頑張る。負けるものか。


2022年3月14日月曜日

3年経った自分へ

 4コマの制作も少しずつ進み、おまけ漫画も1ページだけ進めることができた。完全とまではいかないけれど、徐々に徐々に、進めていく方針だ。

北海道といえば、ふと目にした千代の富士関、九重親方の言葉が胸に刺さった。

3年後に向けた稽古をする、という言葉だ。

稽古の鬼としても知られる九重親方の言葉は「今の稽古が明日の勝利につながることはないかもしれないが、その積み重ねが数年後必ず報われる。自分を信じてやるしかないよ」といった旨の言葉もある。努力の人としてその強さを立証していた方だ。


3年後の自分を想像しながら、3年後に向けた努力をすること。

4コマを描くと決めたちょうど自分の3年前、笑われ、不安を買い、反応もなく細々と本にしたためて小冊子制作に明け暮れた、それが今も変わらず続く。まだ一人前とはいえないまでも、イラストは少しずつ上達し、ほんのわずかながら更新を楽しみにされる方も増えた。

ものの半年でプロの腕前を持つ神絵師とは違い、私は完全に遅くのそのそと歩きながら積み重ねた証だ。加えるならば、同じネタを2度扱うようなこともないよう何重にも気をつけている。


3年後の今もまだ成果として実ったわけではない。それはクイズ本も同様に、ボードゲームのクイズを本格的に制作しはや5年が過ぎたものの、これといってさしたる成果も手応えもない。当然仕事などもらえるはずもない。

それでもくじけず、いいねをもらえた、本を褒めてもらえた、など、目の前のささやかな喜びを糧として、なるべく命を守るよう1日を積み重ねる。

その難しさを実感される方は少ないのではないか。

生きること、話すこと、楽しむことなどにコストを考えずに済む生活は、とても有意義で幸せなものだろう。だから私の創作物など、人によってはコストを払ってまで楽しむものではない、と受け止められて然るべきだ。

それでも積み重ね積み重ね、日々勉強しながら、近道などないと開き直って、アハハと笑いながら、また明日も頑張るしかないのかな、と。


今は「その楽しみに、自分はいくらの値をつける?」と、守銭奴じみた考え方を持って自分の作品をまた磨き上げる。

2022年3月13日日曜日

幸せのロンダリング

 天網恢恢疎にして漏らさず

万物は流転する

因果応報

昔の人はつとに努力の名言を残した。

それは裏返すと、努力で人が変わることなど滅多にないから、自分に向けての慰めの意味もあったのだろうと考える。

それでも良いことは相手に渡す。

トランプのゴルフで、相手への幸せが連鎖する、あの現象に似ている。

新宿東急ハンズで開催された「おもしろ同人バザール」が小部数返品された。約半分が他の方に手に渡った。

その粗利で、かなり精神的にやられた名古屋の店長を応援するべく購入した。

そうして経済は周り、また幸せがロンダリングされると信じる。

4コマの進捗は相変わらずで、今日も苦戦したものの5ページ漫画のラフを終えるには至らなかった。

また少しずつデザインを進めなくては。日々の4コマも数をこなしつつ腕を磨くより他はない。

苦労される方は自分だけではない、と言い聞かせ、応援を続ける。某国の戦争がフラッシュバックする。一つ違うことは、私には応援の言葉がないことだ。励ましのない中、また明日も頑張ろう、そして、自分の幸せはすぐ他の方へと回そう。

そのおこぼれが手に入れば十分だ。

2022年3月12日土曜日

空に叫ぶ

 4コマをひたすら作る、今日もまた引きこもる1日だ。

ゴールまでの絵姿がぼんやりと映ると、それまでの計画が脳内で組み上がる感覚だ。ネタもそこから生み出されるものと期待したい。


予算を見積もり、大型連休割引を入れて収支とんとん、もちろん全部が売れた場合だ。皮算用は相変わらず。

この4コマが一世一代ならばもっと掛け値を考えるべきなのだろうが、発売するよりもっと先の、日の目を自分で見つめることこそ、今目指す最大の目標なのだ。

自分の創作もそう長くは続かない。それは自覚した上で、それでも格安で、お手にとってもらえることを第一に、販売し、行動しようと思う。

無謀と呼ばれても致し方あるまい。もうしばらく梅干しご飯の生活を我慢するだけの話。


先日火災が起こった周辺は、今も実況見分が行われている。

近くを通りがかると、炭焼きの木材が発する匂いが漂う。

出る杭とならないよう躾けられた職場、家庭、そんなことを思い出しながら、ひたすらアップルペンシルを握る生活。高尚な気持ちになれるよう、先ほどウクライナに募金も済ませた。


もうしばらく頑張る。空に向かい、そう誓う。

明日もよい日でありますように。

平常心

 日記ブログを書かなきゃと慌てて目を覚まし、この文章を綴っている。

日記に書かなかったから何もなかった、わけではなく、キャスや創作など思いを語る場所でしこたま気持ちを吐き出したからだ。

3.11と世界的な災害を弔う日に、今朝は朝から近傍で火事があり、謎のテンションの浮き沈みから創作活動は大変困難だった。

少し日常と変化を入れることで、今日についてはマイナスに働いた。前職で書かされたメンタルヘルスチェックシートも、その日の環境が少しでも変化すれば例えよいことであろうとも心理的なストレスとなるのだ。

戦争中の状況となると、さもありなん。だから創作するにあたり、いつもの環境、いつもの気持ちであることを心がけなければならない。

第一、自分で書き上げる創作の計画にも、自分が仮に事故に遭い中止するまで余裕を持った計画を作ることが果たしてできるだろうか。

2年前の秋は想定外の風邪をひいて、大事な土日月三連休の広報期間を横になって過ごした。

気候が急激に変化する今の時期は特に体調に気を遣わなければならない。


3.11、あの日はちょうどスキー大会の真っ最中だった。

浮かれ気分で仕事にかかろうとしたその日から、しばらく家に帰れなくなった。

平常心の難しさ、日頃にあることを感謝すること

Twitterの仕様が様変わりし、今日はいつもの反応がもらえなかったが、それも平常のツイートが周りに変化する一つの表れだったのではないか。


明日もまた頑張る。

ちょうど今、おまけ漫画にトリッキーなネタを仕込んだところだ。頑張るところだ。

2022年3月10日木曜日

馬鹿なことを考えよう

4コマ新刊4コマ目の締切などを考えるうちに1日はあっという間に過ぎた。

目標を作れと人は言うが、ゴールが見えると力も振り絞れる、そんな意味合いだっただろうか。

おまけページも何とか手をつけ、おまけ漫画のネタなどを考える算段に入っている。今週で形になればゴールも見えるだろうか。


ツイキャスライブでは話せなかったが、Vtuberの世界が騒がしい。

マネージャーのような存在も希薄だからか、(もしくは世界観を崩さないよう見えない立ち位置にいるからか)、プライベートの暴露合戦が引も切らない。

少し前まで「Vtuberの中の人同志の不倫、不貞などの話題」など、どれだけ盛り上げようとも声優のそれに近いレベルだった記憶がある。

よもやのTwitterのトレンドに浮上するとは。一年前の自分は想像ができただろうか。

また外から眺める自分も、世界観を崩さないことを暗黙の了解で求められており、そうした配信者の話題を、腫れ物に触るように扱っていることも事実だ。中の人と画面の人物を切り離して考えようとすればするほど、この問題はより困難を極める。

それは先のボードゲームVtuberが、BOSSとの確執を匂わせるツイート(削除済み)を行なった、それに近いものを感じた。

単にアバターとしての存在を語るVtuberだけに収まる問題ではないだろう。現実として登場する自分も、仮の姿のようなTwitterアイコンで、ブースに立てば、それは現実との境目に立つ別のアバターとも言える。混乱するようだが、決して人ごとではない、と言う話だ。

それは自分自身に飽き足らず、周りの「ツイートに対し邪険な態度で接する」一部のフォロワーを、我がごとのように心配する虫だ。


ここでは結論をくだせない。それどころか、この件にはむしろ遠巻きに眺めつつ「自分に飛び火しないよう」注意を払うのみになるだろうか。


明日も頑張る。周りのそんな話題に首を挟むと、自分にまで火の粉がかかりそうだ。

ひたすら馬鹿なことを考えよう。明日は3月11日だ。

2022年3月9日水曜日

少しずつこなすこなす

 日記ブログを書く!と宣言し、書いたり、書かなかったりが続く。

思いを綴る作業を「やらなきゃならない日課」として組み込む段階から始めなければならないようだ。自分はそこまで意志の強い人間ではない。


4コマを描き、横になり、家事を済ませ、と、先日読んだ「スマホ脳」を元に、運動もぼちぼち始めることにした。

春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、睡眠時間だけは体が執拗に訴える。いくらでも眠れる、あの感覚だ。

名古屋ボードゲーム楽市のやりとりも何とかでき、宿を手配し、サークルカットを取り急ぎ更新した。

ゲムマ春に出展が叶わない分、創作する時間だけは人一倍持っているはずなのだ。


周りを見ると今年3月から新たなステージに登る方々を目にする。

自分の足元を見ながら「自分は大器晩成だから」と言い聞かせる。何度目になるだろう。予算も余裕もそれほど多くはない。がしかし、昨今のSNSが創作者個人の細部を特定できるツールと(良くも悪くも)化した現状から、常に笑顔を求められるようになった。気にせず好き放題に愚痴を吐くアカウントも多いが、SNSが可視化する真の「信頼」の恐ろしさを体感で学んではいないからだと思う。


日々の日課に負荷をかけ、それを着実にこなすこと。

そして、それらは本当に難しく、時間も労力もお金も費やされること。

相田みつをの散文にもそんなことがあっただろうかと思い出しつつ、今夜も早めに寝ましょうか。

明日も良い日でありますように。

2022年3月6日日曜日

矯正とは日々の研鑽

 4コマを秒速で描き上げ、東京マラソン真っ最中の樹林様へ向かい、今日は半日トランプゲーム会に参加しました。

直接顔を合わせてのボードゲーム(トランプでしたが)どころか、対面の話も本当に久しぶりだったため、相手に言葉を伝える術が衰えていたことを実感しました。

ツイキャスライブは一人で喋ってばかり、いわゆるゴルフの打ちっぱなしのようなものだから、相手とのキャッチボールとなるとまた別の能力が必要で、それは知らず知らず習慣として継続しなければならないものと考えた。

自分の気持ちを確認するためには、相手の気持ちとやり取りしつつ、気持ちを精査しなければならないし、それは一人になる前には自ずと脳に組み込まれていた能力ではなかったか。

実際の会話ではしどろもどろだった自分も、いざ感想を書面に、ツイートに興すと、これが意外にサラサラとまとめることができた。やはり慣れの面もあり、脳の可塑性、と難しい言葉でも表現できるのだろう。


習慣が人を変える、と、多くの自己啓発本で綴られてはいるが、その「プラスの習慣」は、意識しなければ、ついいつもの「出しやすい自分」が出てしまう。疲労は感じないが、成長はしない。

それはちょうどイラスト練習の際に、手癖ではなく、きちんとお手本に準じて描く方式に似ている。

いつまでも自分の描きやすいように描くやり方は、上達とは別の能力が手に焼き付くようで実は自分も警戒している。


それでも日々漫画を更新できる自分をもっと誉めなければ。

明日は献血へ。今日周りに助けてもらった分を、血を捧げて回復させよう。

自分のできることの、もう一歩前へ。

2022年3月4日金曜日

駄作で頑張る

文章力の向上を目的として、2022年にひっそりと再開することにした。

全体の文章量は毎度400文字程度。それでも毎日の15分キャスと同様に気持ちの整理がつくよう頑張るつもりだ。

Board Game Selection2022、各店舗の紹介動画が新たに更新された。恥ずかしながら拙著4コマ本も「だんだん上手くなっている、それが見れる」といった形で紹介に預かった。

第1巻を描き始めたのは5月1日。自分の中でも「これ以上どう上手くなるのか」の天井が見えない状況で連載を再開した。先日、前作644話との合算で900話を達成した。

続けることは、実はそう難しいことではないと思っている。

毎日続ける、となると体の疲労や天候、急な呼び出しなど止むに止まれぬ事情も加味し、俄然難易度が上がるものだが、自分の努力にそう意固地になる必要もない。

問題はもうひとつ、「いかに作業のモチベーションを上げるか」の方だ。

頭でぼんやりとネタは浮かぶものの、いざペンを手に取るとピタリと止まる、誰も見てくれない、面白いと自分ではわからない、などの不安に駆られ、脳が急なブレーキを踏み込むのだろう。

習慣にしたところで、出力にそう大差がつくわけでもない。

その「面白くも無いけれど、それでも打席に立つ」気持ちを自分であげなければ、とてもじゃないが自分のような人間は続かないのだ。

更新のたびに何百RTがある他の漫画に比べ、30もいいねがつけば万々歳の私の4コマもクイズも、とりあえず形に出すまでの、気持ちの持って行き方が練習で身につくよう明日も頑張る予定だ。


誰も読まない、誰の反応もない。それは作り手としてとても苦しい。

そんな中「それでも描く方向へ自分を繰り出す粘り強さは、やはり何度か場数を踏まない限り醸成されないのではないだろうか。


明日もまた駄作をあげる。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...