2019年1月19日土曜日

人は、誰かになれる。-沖縄旅行記 後編-


沖縄旅行記、前編はこちら>https://hibikre.blogspot.com/2019/01/blog-post_18.html




沖縄旅行、二日目。

曇天模様の空はひんやりとした海風を運ぶ。
気温13度、想像しづらいだろうが、南国といえど、冬場は寒さを感じ得るのだ。
念には念を、と持参したパーカーがきちんと役割を果たすとは。




旅の目的である、昨年のゲームマーケット秋にてお手伝い頂いた「たまご」さんと逢う。
多忙な業務の傍、時間を縫って駆けつけてくれたのだ。
人望の厚さと、持ち前の豪快さ、一方で、説明の繊細さなど多くを併せ持つ、言うなれば「ワイルドカード的」存在だ。

私個人たっての希望で、海を見に行く。




沖縄の海は淡く、広大。
白い砂浜に透き通った水辺では、この時期も数名の海水浴客が戯れていた。
「幸福論」のアランは悩んだ時、海を眺めたという。
さざ波の音は耳に脳に心地よく、多くの詩人が「優しさと雄大さを運ぶ」と表現した、その一片を私も汲み取ることができた。

沖縄本土全体に漂う独特の「のんびり」としたムードを、「沖縄時間」と表現するのだとたまごさんは教えてくれた。
腹が空いたら飯を食い、眠くなったら眠り、遊びたくなったら歌い踊り、少し前に見かけた「経営者がその時間で金を稼ぐよう持ちかけ、その稼いだお金でどうするのかを問われたら「毎日食べて寝て踊るのさ」」と答えた、あの笑い話をふと思い出した。

ルーズ、というわけではない。
察するに、高い必要性を感じないのだろう。
あくせくするな、のんびり生きよう。
それが人間らしく生きる、本来の在り方なのだ、と。

一方で、島国という特性上、新しい文化、新しい情報を積極的に取り入れようとする側面も見られる。
そのためか、遠方のお客様を熱く歓迎する文化が敷かれており、いわば「お客様が何よりのご馳走」と言わんばかりに、私のような来客を多くのご馳走でもてなしてくれた。

北海道の地でも触れた「楽しさを追求し、楽しさの髄を集めた文化」然り、(例えば節分豆を落花生で行うなど)その土地土地の「文化」と呼ばれる背景には何かしら「住む人間の人柄、土地柄」が根付くものだろう。

昨日お邪魔した「カッパのお城」様でも、店主が積極的に「見知らぬボードゲーム」をお客である私に勧めてきたことが、嬉しくもあり、何と無く不思議でもあった。
これもその「沖縄」という土地柄が持つ「楽しいことはどんどん提供しよう」といったおもてなしの精神に基づくものかもしれない。
「めんそーれ(沖縄の方言で「ようこそ」の意味)」とは、まさに沖縄ならではの言葉だ。

昼はちゃんぽんをいただく。





リンガーハットでおなじみの麺を想像したが、沖縄のそれは、野菜炒めを卵でとじたものをご飯の上に乗せたワンプレートランチだ。沖縄ではこちらが一般的だという。
醤油ベースの濃い味付けがご飯にマッチし、食の細い私もかなり食がすすむ。




腹も膨れ、一路「サイコロ堂」様へ。
ゲームマーケットでは都内「コロコロ堂」様とコラボ、年始には価格を大きくオーバーする内容のボードゲーム福袋を販売し話題となった、県内有数のボードゲームショップ・カフェだ。



所狭しと並ぶラインナップは、店内の他に別の倉庫にもストックされていると伺った。
不朽の名作から、最新作のLift OFFまで、先の沖縄時間も相まって、店内は何時間となく過ごしたくなる雰囲気だ。

訪れる常連客も、ボードゲームを遊びに、というよりむしろ「気さくで明るい店長との他愛もない会話」を楽しんでいるように見られた。

これまで各種ゲーム会やカフェにて「定められた時間を最大限楽しもう」とガツガツ多くのゲームを取り出す姿勢だった自分にとって、サイコロ堂様のまったりとした雰囲気は自戒の念すら覚えた。

たまごさん、途中から現れた時化さんらを交え「ギズモ」をプレイ。

緊張と疲れでつたない説明となってしまったことを、この場を借りて謝罪申し上げたい。
しかしながら、さすがインストのプロを誇るたまごさん、説明のプロは聞き手としてもプロフェッショナルであり、私の穴抜けばかりだった説明をきちんとプレイできるまで補足していただいた。
もちろんゲームの内容を一番理解できたであろうたまごさんが勝利をさらっていったことは言うに及ばず。




昨夜も披露したマムマムマーガレットは小洒落た店内でも見栄えし、多くの方の目を引く。
ハンドメイドを手がける方にもプレイしていただき、その丁寧な装飾と、細部にまでこだわったゲーム性に終始感服されたご様子だった。


次に、時化さんお手製のコリドールで対戦する。
時化さんには話していなかったが、実はお邪魔する前に、かなり攻略法を研究していたのだ。
つい立ての置き方と、先読みの方法など、個人的な研究が功を奏し、序盤は優勢に駒を進め、また向こうを上手く妨害できたつもり、だったはずだが、やはり「コリドール普及委員」を自称する相手が数枚も上手、実に一手差で無念の敗北を喫する。
「生兵法は大怪我の基」と先人は上手く言ったもの。次こそリベンジを誓う。


他にも「41」(トランプゲーム)など。
トランプや紙ペンゲーム、ダイスゲームは「いつでもどこでも誰とでも」といったアナログゲームの汎用性の高さも相まって、私は多くのゲームカフェで披露する。


夕刻となり、次はもう一軒のゲームカフェ「五郎茶屋」様へ。



海外から国内作品までこちらも数多くの作品が集う五郎茶屋様では、この年末もクイズや音楽など多くのイベントで盛り上がりを見せた様子。
店長も美麗で明るく知的な方で、多くの作品に自ら興味を示し、先日も単身東京のカフェ様を訪問に訪れるなどパワフルな一面を併せ持つ。

常連のお客様は「いろはことば」をプレイ中。制作された「サイタニヤ」様もこちらに訪れたのだとか。

五郎茶屋様では私個人の作品を主に披露する。

まずは「おさかな小石」
LOGOS社のカードゲームで、最近まで絶版が続いていたが、最近になり、ようやくすごろくや様から再販が発表された。
対面となり、池の魚を効率よく釣ることが目的で、軽さとジレンマがうまく合わさった、昨年の上半期、私のベストゲームに上がる作品だ。

次に拙著「ボードゲームクイズ」を。
先日のクイズ会での「優勝者」、「問題製作者」、「主催者(店主)」、「たまごさん(インストプロ)」の巴戦となり、勝負は一問ごとにパネルの争奪戦となる、かつてない激戦を呈する。
僅差でパネルを獲得した店主が逆転で勝利をもぎ取る形となった。

もうひとつ「ゲーム音楽かるた」
ゲーム音楽でプレイするかるた、と表題そのままの内容で、かるたで勝負する横軸と、音楽を聴く縦軸の両側面を楽しめる作品である。
マリオからAIR、スプラトゥーンからねこあつめまで新旧取り揃えている点が手前味噌ながら自慢だ。
傾向として「ゼルダ」「ファイアーエムブレム」の札が取られにくく、「AIR」「サクラ大戦」の札が瞬時に取られる傾向にあったのかな、と雑感する。

店内で注文した「ホットのさんぴん茶」が絶品で、鼻にスッと抜ける香りが心地よかったので、来店の際は是非ご賞味あれ。

ホテルに戻り、この二日間を振り返る。

明るい店内、気さくな店長。
それらに集うミツバチのごとく、沖縄の各カフェでは多くのお客様が、ボードゲームカフェという場で「ボードゲームカフェという空間」を楽しんでいるかの印象を受けた。

それらは先に挙げた沖縄の風土が持つ、時間の流れ、県民性、そして何より、店主の人がらによるもので、「ゲームカフェでボードゲームをする」といった縛りのゆるさが程よく内包されているのだろう。

働きたい時に働き、食べたい時に食べ、休みたい時に休む。
それらを寛大に受け入れ、包み込み、決して表舞台に出ることなく、常に影で見守るような、言うなれば、沖縄に群生する大樹の如き存在。
それこそが沖縄のゲームカフェだったのか、と考えた。

ガジュマルに代表される沖縄の大樹は、幹も低く、自ら大きく存在を誇示することこそないが、それらは長い時間をかけ、大きな枝葉を為し、新たな影を作り、新芽が息吹き、鳥を呼び、次の世代へとその幹を為し得て行く。

カッパの城、コロコロ堂、五郎茶屋、三者三様、各々が持つ独自の形で沖縄のボードゲーム界隈を、傍らで見守りながら盛り上がりを支えていたような。
そこに新たな「ボードゲームカフェの存在とあるべき姿」を垣間見た気がした私は、疲労する身体の中、心だけがすこぶる弾んでいたのだった。


最終日。

初日から姿を見せることのなかった晴れ間は結局この日も顔を出すことはなく、朝からあいにくの雨模様。
普段傘をささない私もついに観念し安物の傘を購入する。

下半身がずぶ濡れとなりながらお土産物を物色し、無事に帰りの飛行機へと乗り込む。

人混み溢れた飛行機の中で、ぼんやりと考えた。

二進法の考え方では「1」に対局する値は「0」となる。
「有」か「無」すなわち、やるか、やらないか。
やらなければ「0」のまま。何かを行うことで「1」となり、次の桁数へと派生する。
思い切って飛び込むことで、見えてくる世界。
すなわち「0」とは「0」のまま固定された状態のことであり、「1」→「0」に変動することとは意味合いが異なる。

今手にするものを全て吐き出すことで、新たに手にできるもの。
それらは自分をすべからく改心させるものではなく、髄にある部分を残しながら、雑味の部分だけを巧く入れ替えるような。

人はそうして、誰かに会い、成長し、新たな「誰か」へとなり得るのだろう、か。

しばし自由な身となり、こうした放浪の旅を行いながら、私自身、その目指すべき「誰か」となり得たら嬉しい。
帰りの飛行機で、ぼんやりと、そんなことを考えた。



PM16時、羽田空港着。
東京は旧暦の正月を間近に控え、一層厳しい冷え込みを見せたらしい。
慌ててスーツケースからオーバーを取り出すと、旅路で綴ったメモがはらりと飛び出した。



落書きのようなメモを眺めながら、また作業に追われる日常に帰ること、そして、完成した作品をお土産に、いずれまた沖縄にお邪魔すること、
そんな諸々を胸に秘めながら、私はスタンドで買った熱いコーヒーをぐっと傾けた。

2019年1月18日金曜日

人は、誰かになれる。-沖縄旅行記前編-

沖縄へ行くことにした。
そう決めたのは、北海道ボドゲ博から帰宅し、数日経った日のこと。


いくつか理由がある。
一つが、約束を果たすため。
以前ゲームマーケット秋でお手伝いして頂いた「たまご」さんに、お礼に伺うこと。ありがとうの気持ちを伝えること。
(リンク先>ブログ第73話「たまごさんの話」より


(※写真と本文は一切関係ありません)


一つが、小冊子の広報活動。
せっかく作った私の小冊子「Board Game Quiz NEXTAREA」、ゲームマーケット含む各イベント後、即日通販に回すという行為に、何故か違和感を感じていた。
せっかくの作品、見えない相手ではなく、直接対面でお渡しし、お渡しすると同時にお礼も伝えたい。
そのついでに観光もできたら最高だ。

1月15日(火)、AM7:00
11時羽田発の飛行機に乗る私は、この時間もギリギリまで原稿作業に追われていた。ゲームマーケット大阪新刊のレイアウトや問題作成など、残って作業するべきでは?といった己の声と格闘していた。
「気分転換は作業の能率を上げる」
自分自身にそう言い訳すると、私はスーツケースに無理やり荷物を詰め、旅の支度を整えた。
あれもこれもと詰め込んだ中身は、約9割をボードゲームが占める。別のカバンにはiPadや書籍、問題を書き留めるノートの束など、我ながら、おおよそ観光旅行とは言い難い。


PM14:50、沖縄、那覇空港へ到着。
バナナの木の生える庭、三線の音楽が響く構内、各所に漂う南国ムードとは裏腹に、海風の影響もあるためか、少し肌寒さすら感じる。
強い日差しの中、合間にかかったウロコ雲が、この先の行程をそれとなく暗示させるようにも感じた。

市内を見回すと、瓦の吹いた屋根ではなく、コンクリートの白い平屋建て、いかにも南国らしいアパートが建ち並ぶ。ボードゲーマーなら「サントリーニ」のような建物でわかっていただけるだろうか。門柱にはいかめしい顔のシーサーが佇み、道行く人間をその形相で見守っている。

ゆいレールで市内のホテルへと向かい、まずは周辺のコンビニで目に付いた「沖縄らしきもの」を口にする。
神戸のシャッツィ様でも堪能できた沖縄の飲み物「ルートビア」を求めたが、入った先には無く、手にした飲み物は「ドクターペッパー(ロング缶)」。こちらも関東では、雑貨屋以外で滅多に目にする機会は少ない。

沖縄在住のフォロワー様の勧めで、向かう先は浦添市のボードゲームショップ「カッパのお城(Cappa Castle)様」。
合言葉は「持っててよかったボドパス2(ボードゲームカフェパスvol.2)」


店長のライアンさんは英語が母国語ながら、多少の日本語も堪能な方。
とはいえ、さほど英語ができる方ではなかった私、カタコトの英語を駆使しつつ会話を繰り広げる。




店内は海外のボードゲームが主体。海外の見知らぬ作品、まだ国内では一般流通されていない「My Little SCYTHE」や「MARVER版5minutes dungeon」、他にも、すでに国内ではお目にかかれなくなった「プエルトリコ」といった作品が所狭しと並ぶ。
中には「英訳版横浜紳商伝」などの国内作品も。

ライアンさんは「これも面白いです」とオススメのボードゲームを色々と教えてくれる。とても気さくで明るい方だ。
Onitamaというアブストラクトゲームを勧められ、さっそく一戦交えることにした。



相手の師匠駒を取るか、相手の門へ自分の師匠駒を進めることができたら勝利。
進むルートは各自に公開された手札で定められ、使用すると中央の捨札へ、代わりに、相手が直前に捨てた札を拾うことができる。
カード一枚一枚に効果が異なること、独自の雰囲気を持つことが、仄かにトレーディングカードゲームらしさすら感じる。

結果は惜敗。しかしながら、高級感漂うパッケージと駒、各種カードに、しばし見惚れてしまったことと、店長の言葉巧みなリードに感服できたことに私は心酔した。

せっかくの機会だったので、初めて見聞きしたボードゲームを購入する。
こちらもライアンさんの勧めによるもの。


「SLIP SHIP」は、ライアンさんも「スペースインベーダー」ライクと紹介してくださった作品。
自分の駒を指で弾き、敵カードを撃墜しつつマザーシップを全員で破壊することが目的のようだ。タイトルがアンビグラム(上下をひっくり返しても読める文字)というデザインも面白い。

次の約束があったため、名残惜しくも移動することに。

市内在住のフォロワー様と待ち合わせをする。
いつもツイキャスライブ上で作業キャスなどを行う「防破亭時化」様。
終始謙遜されていらっしゃったけれど、明るく陽気で、どんな方とも気さくに話される方。
先日は人気ポッドキャスト「おしゃべりサニバ」にも出演されたほどの人気ぶりを博す。

まずは時化さんのご紹介するお店で腹ごしらえを。
沖縄名物「キングタコスのタコライス」、ボリュームがあり、スパイシーで食が進む。
チーズにひき肉にトマトにサルサソース、さらに「ご飯」、まさに美味しいもののごちゃ混ぜ(チャンプル)である。

場所を変え、私の用意したボードゲームを披露することに。

・ワードスナイパーファミリー
カバンの中に潜ませる、私の中では鉄板の作品だ。予想だにしなかった言葉が飛び出す過程も楽しい。

・メキシコ
サイコロ2つで楽しめるポーカーライクなゲーム。こちらは「ダイスゲーム百科」にて、かのライナー・クニツィア氏が考案したもの。面白さの他に「サイコロだけでもゲームができる」ことが伝わるかと思う。

・マムマムマーガレット
時化さんがコリドールを普及される方とお聞きし、こちらも負けじとアブストラクト作品を持参したもの。色鉛筆とウッドバーニングでひとつひとつ丁寧に仕上げられ、強さと繊細さを併せ持つ色彩が、ハンドメイド独自の温かみをほのかに感じさせる、しかるに内容は高いゲーム性を保持する作品。

どの作品も喜んでもらえたようで、私も満足できた。
(なお、勝負は私の全戦全敗で終わった。)

ホテルに戻る。
すでに初日だけで実り多き1日だったが、今回の旅の主旨だけを見返すと、ノルマの半分をこなしたに過ぎない。

昼間の照りつける太陽から一転し、夜半からはポツポツと小雨が落ち始めた。
明日の本戦に備え早めにベッドに潜り込むが、案の定、上手く寝付けない。
先ほど口にしたドクターペッパーのカフェインが効き過ぎたのかと反省することにした。



後編につづく。


2019年1月13日日曜日

「楽しさの熱量」の話

私信だが、私の日常は、このところ、プライベートな面でかなりアクティブな動きが続いている。
良いこと悪いことすべてひっくるめ、何か「楽しんでもらえる」ことについて深く考えさせられた。

12日土曜日、横浜のボードゲームショップ「リゴレ」にて、一風変わったボードゲーム会が開催された。

「楽しい気分で遊びたい同士で集まる会」と称するこのゲーム会は「☆勝利点の高い人が勝者です。最も楽しい気持ちになれた人が別の意味で勝者です(後略)」と続く」

「楽しいこと」と漠然と括られたテーマ。勝つことに必死となるゲーム会とは異なり、あくまで「ボードゲームを参加する人全員で楽しもう」が主たる目的だ。

「勝ったから良いゲーム」
私の喉元に長らく引っかかっていたこの言葉。

しかしながら「エンジョイ勢は勝利にこだわらないから意識が異なる」とも言えず、やり場のない違和感を抱えたままであった。

本ゲーム会に参加した率直な感想は「これが本来のボードゲームの良さなのでは?」を再確認できたことだ。
楽しい時間を、参加された方々と共に、楽しく過ごす。
真剣勝負の世界から一線を画した「勝っても負けても楽しく過ごせる時間」、これは本来ボードゲームが得意とする「誰でも気兼ねすることなく楽しめる」部分の本領が発揮された瞬間だったのではないかと考えた。

人間の付き合いと同様に、ボードゲームにも得手不得手がある。
食わず嫌いはともかく、修行ではないのだから、嫌な思いを押し殺してまでボードゲームを楽しむ必要など、ない。
ならばプレイを選別する際に必要なステータス、それは「いかにこの作品を楽しく味わえるか」を見極める能力ではないだろうか。


「世界で一番美味い料理は」
この回答には十人十色、多くの回答が寄せられる。
世界三大珍味をふんだんにあしらったフルコースのディナーかもしれない。
巡り巡って行き着く先が「お茶漬け」になるかもしれない。
「我が子が自分のために一生懸命こしらえたカレーライス」と答える方もいるだろう。

「楽しいを過ごせる時間」
「勝ち負け」の領域とはもっと別の世界に位置する、楽しむ、または、楽しませるゲーム会。
「参加して楽しかった」の諸元は一体何だったのだろう。
モヤモヤする気持ちを取りまとめようと一思案するも、ついにその夜は結論に到達できなかった。


翌13日、珠洲ノらめるさんのバースデーライブが開催されると聞き、喜び勇んで参加した。

数多くの学びがあり、歌手が歌い、踊り、観客全体が大いに弾ける中、影で必死にメモを取る私は、おおよそ変人に見られてしまったことだろう。

ライブの構成が見事だったので紹介したい。

オープニングの「モノローグ」で会場の空気を高め、耳が飽きることのないよう、数曲ごとにコラボを入れたり曲調を変えたり、なども挟む。
終盤はアコースティックな曲をはさみ、最後の曲は今回最もテンポの速い曲で駆け抜けた、という印象だった。
「プログレッシヴ(漸進的)癒やし系アーティスト」、看板に偽り無し。「一歩先の方法で心を癒します」そう捉えることにした。

話は変わり、先日ツイキャスライブにて、「いかとりにょりとおけいのいかがわしいラジオ」のいか氏と、こんな話題で盛り上がった。

「相手に楽しんでもらうには、自分が偉そうに振る舞わないこと」

誰にでも分け隔てなく接するいかさんから、ふと、そんな言葉が飛び出した。
会話中は「年齢でも何でも「高圧的に振る舞う相手、今風の言葉で「マウントを取る」相手とは、接触したくなくなる、と捉えたが、後から考えるに、一元的ではなく「人間の更に根底へと掘り下げるべき」問題だったのではないかと思い、私は先の言葉を『緊箍児(きんこじ、西遊記の孫悟空が頭につけている輪っか)』の如くジワジワ頭を締め付ける問題ではないかと思い直した。


楽しんでもらうには。

少し前まで、私は「こちらが楽しい雰囲気を醸成すれば、興味のある方はどんどん集まってくる」
そんなある種の「勘違い」をしていたかのように思う。

全部が間違いとは言えない。私自身も「面白そう」と興味を持った作品の多くは、他の方が楽しくプレイされる姿がきっかけだからだ。

だからといって、「楽しさ=自分だけが享受できるもの」と捉えてしまうと、例えば内輪ネタで盛り上がる雰囲気だった場合、本当に自分は真から興味を注がれただろうか、と振り返った。

「楽しさ」という感覚で表現する「アナログ」的な概念を、デジタル、すなわち数値等を用いた概念を用いてはどうだろう。

「楽しい」という言葉をさらに掘り下げ
ここでは「楽しさの熱量」という言葉で仮に表現する。


例えば、あくまで私個人の話であるが
「俺はこのボードゲームなら誰にも負けない絶対の自信がある!」
そう豪語された状態で、果たしてこの相手と、その「絶対に敗色が濃厚な」ボードゲームを、一緒に遊びたいと思うだろうか。

私なら少し考える。
「相手がどんな動きをするか」といった興味関心とは裏腹に「そうまで豪語するならば、きっと相手の思うがまま、サンドバッグにでもされることだろう。ならば勝負を控えるか」と、避けて通るかもしれない。
むしろこれまでのプレイ時において、圧倒的に自分は「後者」に属していた。

それはなぜか。

「ひとつのボードゲームでどれだけ楽しめるか」の熱量を相手と比較し、「どう足掻いても相手に叶うとは到底思えない」と瞬時に判断したならば、私は直接の勝負をやめ敬遠する側に回るのではないか、と考えたのだ。

それらを差し引いても「一緒にプレイしたい」と思える相手とは、その際にどうした対応を取っていただろう。

よくよく思い返すと、それは「相手が「好き」の熱量をどんどん与える姿勢」にあったのではないかといった結論に帰結した。

どれだけ強い相手であろうとも、どれだけ「絶対に負けるに決まっている」と事前に察知した相手でも、「プレイすることで相手の「楽しさの熱量」のおこぼれを頂戴できるような相手」ならば、むしろ砂漠に湧き出るオアシスの如く、プレイに興味が惹かれるのではないだろうか、と。


無論、ボードゲームに限った話ではない。
クイズでもスポーツでも、趣味でも勉強でも何でも、「相手と共にプレイする」際、目に見えない、それこそDNA的な「野生のカン」をもって「全体の雰囲気」を瞬時に察し、肌身で伝わる直感のようなものから「相手の楽しさエネルギー」を、知らず知らず、個々人で比較・検討していたのではないだろうか。

「勝ったから良いゲーム」の言葉に自分が違和感を拭えなかった理由は、それら「勝つ以外にも楽しさの熱量を享受する方法はごまんとある」に終着した。
「がむしゃらに勝つことを追求する」だけでは、ゲームそのものが本来持ち合わせる「楽しさ熱量」の総量を、強い人間だけで分配する事態に陥ってしまう。

そうではなく「相手の現状を瞬時に察し、全体の楽しさの雰囲気を自分が盛り上げるよう積極的に醸成する能力」こそ、プレイ時には求められ、それら雰囲気の醸成を難なくこなせる諸先輩がた、いわゆる「この人とならもう一度遊びたい欲の湧く人材」こそエンターティナーと呼称されるだろうし、あるいは、その華麗なるテクニックを駆使しなければ務まらない点を踏まえ「プロフェッショナル」と称されるかもしれない。
「楽しさを知るからこそ、出し惜しみすることなく、多くの人に熱量を分配できる人物」
これこそ「楽しい雰囲気」を醸成できる人間の真の姿だったのではないだろうか。

分け与えるだけではない。
豪速球を駆使する剛腕のピッチャーは、それを受ける女房役の「キャッチャー」があってしかるべき存在だ。
「熱量をもらう側」にだって、それら高い熱量を受け取るだけの姿勢や心構えを持ち合わせなければ、コミュニケーションの根本となる「(会話の)キャッチボール」が成り立たなくなってしまう。


これらを踏まえて、私個人の話。
先のゲーム会では「プレイ中誰よりも人一倍騒ぎ(本当にすみません)」ライブ中は「他の方に負けぬよう声で、手拍子で、応援(こちらも本当にすみませんすみません)」し続けた私。

周囲に忌避の目で見られようとも、「楽しさの度合いでは負けないぞ!」と意気込み、時には得られた熱量を「もっと楽しもう!」と分配する側に回るよう知らぬ間に振る舞っていた。
しかるに、やはり熱量の分配は一朝一夕に身につくものではない。周囲に楽しさを伝播させるには、まだ体感し得ぬ「それ相応の技量」が必要と実感した。
笑顔?応援?精神衛生?
今後も料亭の職人の如く、一生をかけて試行錯誤を続けることだろう。

くじけてなるものか!


「「また明日あなたと遊びたい」と、言われるようなプレイで遊びましょう。」
カタンの作者クラウス・トイバー氏の名言である。
多くを経験し、多くを知り得た上でなお「また一緒に遊びたい」と思わせるプレイスタイルとは。

言葉の真意は、どうやらその辺りにあると画策している。










2019年1月1日火曜日

情のかたまりを届けたい-2019年の抱負に変えて-

このブログを執筆している時点で、2019年1月1日
新年、あけましておめでとうございます
昨年はまさしく激動の一年、多くの方との出会いがあり、その一方で別れもあり、考え、悩み、苦しみあえぐ中、未だ模索する最中となる平成最後の年を迎えました

慌てて駆け込んだブログの電子書籍化もなんとか一段落、これからしばらくは、ゲームマーケット大阪に向けての制作に傾注します。


改めまして自己紹介を。
このブログのテーマは「にんげんっていいな」です。

ボードゲームを通じて私「番次郎」が体験・実感した「人間の温かみ」をテーマに、少々長めの文章を綴っております。
今年もよろしくお願い致します。


さて、その小冊子制作の話。
欠かせない作業が「文章校正」であり、何度行っても、誤字・脱字のバグ(英語で「小さな虫」を意味するcomputer bug、真空管コンピュータに熱を求めて蛾が集まりコンピュータがたびたび止まったことに由来するとか)が根治できない。

紙面に刷り出し、日を置き、何度となく目視や、時に実際に声に出しつつ確認するのだが、些細な誤字はおろか、問題文の大幅なミスも頒布後に発生する始末。

購入されました方には、この場を借りて深く謝罪致します。


さて、場面は変わって、先日の話。
プレイ中に経験された方も多いと察するが、ある作品をプレイする際のこと。こちらの次の一手がなかなか決まらずウンウンとうなり声をあげる中、相手はすでに次の一手が決まったらしく、涼しげな顔をしている。
ところがしばらくすると、立場が一転、今度は向こうがうなり声を上げながら長考を始め、その一方で私は次の一手が早々に決まり、余裕の笑みでコーヒーをすする場面があった。

ボードゲームの長考問題もしばしば話題に取りざたされる。

岡目八目ということわざがある。
囲碁の世界に由来するこの言葉は、実際の対戦中よりも、側から見ている人間の方が盤面の方を何手先も読むことができる、という、皮肉も似た格言だ。
広辞苑によると「〜(前略)転じて、第三者には、物事の是非、利・不利が当事者以上にわかること」と記載されている。


これはあくまで持論だが、「情」が思考を妨げるからではないか。

前職ではよく「職場に私情を持ち込むな」と注意されたが、この場合、単に上司が「私語を慎め」という言葉をカッコよく言い換えたに過ぎない。

ここでの情とは、愛情や情熱など、「気持ちが入ること」を意味する「情」だ。

気持ちと書くと体裁は良いかもしれないが、要は「個人の評価」であり、例えば物事を冷静に評価・判別する際の妨げとなる要素とも言える。
情が入ることで、物事に対する相対評価に狂いが生じるのがその理由だ。
「頑張っているからちょっとオマケ」
「偉そうに見えるからあいつとは距離を置こう」
公平甚大を重んじる世界では、確かに控えるべき言葉かもしれない。

情を介入させず、冷静な立場で評価を行うことにより、物事を相手に伝える精度も比較的向上する。
「うまい!」「やばい!」などの感情だけでは、確かに個人の体験談としてのリアリティは精度を増すだろうが、読み手、受け手のイメージする「評価の精度」にはイコールと貼らず、その精度に揺らぎが生じる。
こうした場面では「糖質カット」「乳脂肪分ゼロ」「北海道産」など、第三者の観点でも評価の変わらない文言を使用すれば、精度は飛躍的に高くなる。
これら精度を高く維持することで「受け手の情報が永続的」となり、次に相手に伝える際も、より高い精度を保ったまま別の相手へと伝聞することが可能となる。

少し難しくなった。
これは例えば恋愛相談などの場面において、高ぶった相手の感情を落ち着かせるため、一旦、相手の感情を「整理」する方法を取る。
相手の状況を丁寧に聞き出し、紙に書き留め、相関関係や「できること」、「できないこと」等を、聞き手もしくは第三者がリストや表にまとめる。
紙面にまとめることで、個人の感情を「整理・視覚化」し問題の根本を確認しやすくできると同時に、先に挙げた「情」の概念を幾分でも取り払い、第三者的な評価・分析ができるよう促すのだ。
日記などにその日あったことを書き出す作業も、これに近いと言えるだろう。


ここまで、あたかも厄介者のような「情」だが、実は私自身、この「情」なくしてボードゲームは存在し得ないと断言するほど重要な概念と考えている。

○○賞の審査員や、ボードゲームのクロスレビュー等、どうしても必要にかられる場面は別として、例えばツイッター等でボードゲームの感想を上げる際、「楽しい」「面白い」を喚起できるような書き方を極力添えるよう心がけている。
具体的には、「面白い」「思わず口元が緩む」など、真に感情に訴える場面を表現したり、その一方で、たとえ作品の面白みに気づかなかったとしても、極力マイナスの情報などはツイートしないよう心がけている。

それは私が「ボードゲーム」に「情」という概念が密接に結びつくものと考えるからだ。

ボードゲームの相手とは他の誰からぬ「他人」であり「人間」である。ソロプレイなどにおいては「他人を投影した自分」とも言えるだろうか。

他人(人間)を相手とするから、その場の雰囲気、相手の心情の変化、細部気候、体調等々、様々な要因が重なり、そのプレイスタイルが都度大きく変化する。
ましてコミュニケーションを主体とするならば、楽しむ対象は自分だけではなく、相手を含む他のプレイヤー全体、ひいてはその場のプレイスタイルにも波及する。

環境によって、面白さの振れ幅は大きく揺れ動くのだ。

ならば、真に伝えるべきは「ダメだった」「つまらなかった」などのアラを探し伝達する作業ではなく、どこまで作品を最大限に体験することができたか、この作品のポテンシャルを最大限に引き出すにはどんな言葉で飾れば良いのか、を考えた方が良いのではないか。

それはあたかも「情のかたまり」と呼べるだろう。


私個人の意見として、情を動かされるまで面白味を感じた作品ならば(ボードゲームに限らず)それらをありのまま伝えること自体、決して悪行ではないと考える。

製作者以外の第三者の心を突き動かし、多くの感動(良い面も、悪い面もひっくるめて)を呼び起こすことができた、それは作品として立派に完成されていると呼べるのではないか。


私はもっと「情を動かされるような」作品に、今後もたくさん触れ合っていきたい。

そしてそれら「情のかたまり」を、私の作品を拝読された方々全員に、165km/hのストレートを以ってお届けしたい。


今年一年も、番次郎ブースは何事にも全力で臨みます。
みなさま、よろしくお願い致します。

2018年12月22日土曜日

ゲーム音楽かるたの紹介

私の創作ボードゲーム関連作品は、Board Game Quizだけではなく、実はもうひとつ「ゲーム音楽かるた」という作品がある。


学生時代からコツコツとゲームのサントラを集めに集めること約2万曲、それら趣味が興じて作成したこの作品、もちろん私が創造したものではない。
元ネタはかなり昔、ツイッターのTLに回ってきたもの。

かるたがボードゲーム(アナログゲーム)に含まれるかどうかはさておき、本格的なボードゲームと呼ばれる媒体に着手したことは今回が初めての経験となる。
触れたこと、学んだことは数多い。

私自身、かねてより「ボードゲームのインスト問題」と呼ばれる、説明書に関する各種問題に頭を悩ませていた。
インストをするのに説明書が難しい、相手に説明することが難しい、上手に聞く相手もそう多くはない。

ならばいっそ「取扱説明書のないボードゲーム」を作ってしまえばいい。

例えば「じゃんけん」に説明書はない。必要がないからだ。
後出しがどうだ、グーは石でチョキはハサミで、といった意味合いは後回しでもいい。
それらは承前、「わかっていることを前提に」ことが進むからではないか、と考えた。

説明書をなくすにはどうするべきか。
例えばNINTENDOSwitch「スプラトゥーン2」は、電源を入れた瞬間に簡単な「チュートリアル」が始まる。
これも導入部としての一つの方式だ。
また併せて、テレビゲームの利点とし「見ているだけでルールがわかる」ことも挙げられる。
「見ている人間が「楽しそう」「僕もやりたい」と集まる」
その環境の醸成には、やはり「ビジュアルと音声の情報」だけで内容の9割を伝えなければならないのではないか。

小冊子Board Game Quizは「遊び方自由自在」と銘打ち、「説明書不要」を主軸に取り組んだ。
「読むボードゲーム、あります」
サークルカットに記載した文言はそうした意味合いが込められている。




この「イズム」は本作「ゲーム音楽かるた」にも息づいている。
「説明書がいらない」
「誰かがプレイすると、それを見ている、周囲が興味を示す」
「見聞きするだけで内容が把握でき、プレイしたくなる」


もうひとつのトリガーを紹介したい。
実はこのかるた、持参してプレイすると反応は半々、といった具合だ。
「懐かしい!」「よくぞ集めた!」という好意的な意見とは対照的に「思ったよりさほど…」「ゲーム性は皆無」など否定的な意見もちょくちょくあがる。

それらも実は想定内だ。

ゲーム音楽のかるただけに「知識で勝てる」というX軸と、「聴いて楽しい」というY軸を併せ持つ。
己の記憶を活用し貪欲に勝利を目指すならば、このかるた、面白さとしては4/10くらいの評価だろうと思う。

これに、制作側の努力、そして「誰もが想像したけれど、誰も作り得なかった」が加味されると、どうだろう。

評価してくださる方は、本当に高く評価してくださる。
それもそのはず。ゲーム自体は有名であっても、すでに絶版となり入手が困難となったサウンドトラックからも何十となく取り札に含まれているからだ。(ポリシーとしてYouTubeから音源のDLは行なっていない)
もちろん一般的に有名な作品から選曲しているため、たとえ名曲であったとしてもゲームそのものの知名度が低い作品はなるべく控えているし、同名のゲームからは一曲だけという縛りをも設けている。(シルエット・ミラージュ、スーパーマリオRPG、ワンダと巨像etc、月風魔伝 etc etc…個人的名曲はたくさんあるのにぃ…。(涙))

この「自他共に認める非常にアクの強い作品」ゆえに、このかるたを持参する際は事前に連絡するか、もしくは要望があった場合にのみ、としている。
遊んでもらうなら、やっぱり、喜ぶ顔が見たい。

ひいては、ゲームの評価に関し、私は「遊ぶ人で左右される」という考えを持つようになった。
多くの批評家が論じる中、やはり否定的な意見が耳に大きな声で入るけれど、メンバーと、環境と、その日の体調と、その他諸々が影響し、ゲームの面白さなんて大きくぶれが生じるものだ、と。

だから、今はあまり作品の評価なんて気にしないことにしている。
高く評価されることは嬉しいけれどね。

そんな多くの想いを乗せたゲーム音楽かるた。
パッケージイラストは「大狼」などの作品で知られる「亞猫」氏が描いてくださりました。
ここに改めて感謝致します。

かるたは私に一言おっしゃっていただけましたら、クイズ同様、全国津々浦々、いつでも持参致します。


2018年12月15日土曜日

評価数ゼロのデザイン秘話-小冊子に隠されたデザインのあれこれ-

こちらはゲームデザインアドベントカレンダー2018に寄稿した記事です。
ボードゲーム根本のデザインとはそれる部分もあるかとは存じますが、何かのご参考となれましたら幸いです。




前々回、前回、そして3回目となる今回のゲームマーケット秋でも、懲りずにボードゲームに関するクイズの本を刊行することにした。

「出すぞ」と決めてから期間は約半年。
その間、単に問題を熟成させ、良質な問題を提供するだけに従事したならば、それはそれで楽しかったに違いない。

<前回秋に頒布した小冊子のページより>


しかしながら、そろそろ「大転換」が必要ではないか。
マンネリ、という言葉が妥当かどうかは定かではないが、同じパターンを続けることで、退屈何より成長そのものにブレーキをかけてしまう。

それは誰よりも私自身が一番身に沁みていた。

既存のクイズ本に準じた形式、言うなれば、無骨で、真面目で、良くも悪くもテキストベースな「小冊子」を、何とか「読んで楽しい本」にできないか。

幾度となく試行錯誤し、各種デザイン関連の本をかたっぱしから読み漁り、それでも心の中のモヤが晴れない状況の中、POO松本氏がツイート上で開催するデザイン講義の情報を入手した。

(参考)「プロデザイナーによる同人誌レビューがめちゃめちゃ参考になる togetter」https://togetter.com/li/1194227



初学者の私にとって目から鱗が落ちることばかり、いや、既存のデザイン関連本に記載がないどころか、ここまで奥深く「読みやすさ」に特出した書籍、アドバイスは、私の中に記憶がなかったのだ。

一連のアドバイスにいたく感動した私は、ここでしか入手できないと称される「コミックマーケット」にも初めて足を運ぶことになる。聞けばこの日は高温に加え、よりによって歴代最多の客足だったという。

這々の体で入手できたデザイン本を目を皿のようにして何度も反芻し、数ヶ月後、出来上がった私の小冊子がこれだ。



 


読みやすく、面白く、何処に出しても自信を持って推奨できる、そんな「既存のクイズ本から脱却したクイズ本」が完成した。

このページが完成するまでに、私がデザインに関し「受け入れたもの」反して「捨てたもの」をいくつかあげて行きたいと思う

●文字フォント

これまでの小冊子は文字の読みやすさと活字の持つ文学的なイメージから「明朝体」を採用していた。
しかしながら、小冊子を手に取ってくださる層は比較的「ボードゲームに興味はあれど、クイズに関し幾らかの抵抗を感じる層」だった。(個人的な意見です)
そこで、各種バラエティ番組を観察し、使用されている問題フォントを確認する。
明朝体は「学習」「勉強」の意味合いを持たせ、ゴシック体は「融和」「楽しさ」の面を持つものと判断した。

クイズの小冊子、読んでもらわないことには始まらない。
ならば目的が「勉強」ではなく「楽しさ」に主軸を置いたものである以上、こちらの変換は真っ先に行った。

(文字フォントの例。訴えたいメッセージの違いが感覚的にわかるだろうか)


使用する文字フォントを「ゴシック体」を軸に作成し、どうしても文学的にならざるを得ない文章(あとがきの部分など)に関しては明朝体を使用し、その都度、別の顔を持たせるようにした。


・挿絵に関して

前作「画力ゼロでもゲームはできる」(https://hibikre.blogspot.com/2017/12/blog-post.html)という記事をアドベントカレンダーに掲載しておきながら、やはり要所の場面で挿絵程度のイラストを描けた方が「都合が良い」と判断した。
(美麗なイラストは描けなくても良い作品はできる、というポリシーは未だ持ち続けております)

3ヶ月前、この程度の腕前



約3ヶ月、イラストをみっちりと練習し、自分の中で「それなりに」見栄えするイラストが出来上がる。



詳細(ブログ(僕のイラストができるまで「小冊子イラスト奮闘記」番次郎の盤上万歳!!)「https://hibikre.blogspot.com/2018/11/blog-post.html」)

こちらを、全面にアピールしたわけではない。
使用した場面はあくまで表紙の一部分、左上の隅、ちょこちょことキャラクターを登場させた程度。
料理で例えるならば「スパイス」として扱ったに過ぎない。




しかるに、キャラクターを登場させることで「小冊子に一体感」を持たせることができた。
ジャンル毎、バラバラだった小冊子全体を、看板キャラクターを登場させることで上手く取りまとめる作用を施すことに成功し、全体がより引き締まった。
イラストが描けなくとも、前作、前々作のような「ピクトグラムを掛け合わせたようなキャラクター」でも十分代用が効いたかもしれない。


・目線の誘導

次に着目した点は「目線の動き」だ。

前回までの小冊子は、各ページにパターンが定められており、型枠に沿った形で問題を当てはめていった。言うなれば「金太郎飴」のような形式だ。
この利点は「どのページを切り取っても、同様の楽しさを提供できる」点にあり、良く言えば「どこからでも楽しめる」悪く言うと「同様の風景が続くので、退屈で連続視聴に耐えられない」
前者は計算ドリル的、後者はパンフレットのようなものと勝手に解釈している。

目線の動き、そして、目に飛び込んでくる情報を一定にしないことで「脳に入る情報の均一化=退屈」を防ぐ、

そのためには、文字を羅列する他に、やはりデザイン面でカバーする必要性を生じた。

まず、目線の動きである。
色彩:「淡」→「濃」
この「淡い色の中で目立つ濃配色」を操作してみることにする。

白一色の文面で単に黒色だけを配置するだけでは目線の誘導を上手くサポート出来ない。
同じモノクロにも濃淡はある。

まず紙面全体に微妙なグラデーションを配した。



先のページ、こちらの画像では伝わりにくいが、中央の仕切り線の他に、実は背景色にもグラデーションがかかっている。
具体的にはK5→K15である。
このグラデーションは各ページに変化をつけた。次の見開きではK25→K35、次はK45→K65といった具合だ。
小冊子は全6ジャンル、見開きは各ジャンル3回、こちらは都度パターン化させることにより
「濃度の高いページは、難易度が高そう」
とニュアンスで理解させた。

ちなみに、色彩情報サイト「色カラー.com(https://iro-color.com)」によると
「黒」→威厳、陰気、恐怖、脅威、重力、上質、深さ
「白」→純白、空虚、軽い、潔癖、純粋、神聖、清潔、清純
などの情報を想起させるのだという。


また、こちらはページを開いた際の目線にも反映されている。
今回の小冊子は1、2ページの問題の解答を2ページ右隅にまとめて掲載した。
1ページ目に掲載されていない問題の解答を、先ほどの「淡」→「濃」で誘導してみることにした。






ページ左上から右下へと流れる、背景のヘクスタイルがそれだ。

ページ全体を見開きで確認した後、目線の誘導をサポートする役割を持たせた。
こちらはもう一つ、誘導の役割と同時に、文面の「白色一律」という視覚情報から、少しでも退屈となる文面に変化をつけ、視覚からの情報(ひいては脳の退屈を防ぐ作用)が均一とならないようサポートする一面をも併せ持つ。


◆可読性へのこだわり

まず、一部「可読性へのこだわり」は捨てた。
 良いデザインとは、芸術的な一面と、実用的な側面の、両面を併せ持つもの、と、私は昨年の記事で書いた。

では読みやすさにこだわってしまうことが、必ずしもデザインの良さに比例するのだろうか。

それらは「芸術的センス」のある一部デザイナーの仕事だ。
私のような見習いレベルの人間に、その両極端なステータスを同時並行で走らせることは到底難しい。

可読性
例えば「ふくろ文字」と呼ばれる、文字に枠をつける表記方法だ

袋文字を使用することで、柔和なニュアンスを文字だけで表現できる他、可読性、視認性も向上する。
しかるに、場面によっては、文字フォントが持つ独自のソリッドな感じを活かすことができない。

文字の大きさもそう。
老眼対策に文字を大きく、と、何度かツイートで見かけたものの、どうしても本小冊子、
文字を読ませることを主体とするものであり、文字の大きさ云々を多少犠牲にしてでも、より多くの活字を掲載したかったのだ。

あまりに度が過ぎたものは論外だが、
「読もうと思えばギリギリ読める」
そのレベルまで文字の大きさを下げることにした。
なお参考までに、今回は文字本文を8Pに基準を定め作成している。


解答欄の創意工夫

可読性といえば「判読可不可」のギリギリを行う工夫も行った。

私の小冊子に限らず、これまでのクイズ小冊子は「問題のあとは即座に解答を知りたい」層と「ギリギリまで考え、あとでゆっくり解答を確認したい」層が混在していた。

そのため、解答欄に関して、目に届く位置だと後者から「考える間も無く解答に目がいってしまう」、逆に解答を別ページに移すと「知りたいときに解答がわからず不便」と前者の層から不満が上がっていた。

前作の春にて解答欄を隠す為のしおりを添付したが、それでも他にデザイン面で解決できないかと考えた。

たどり着いた結論が「解答欄の配色」だ。



解答欄の配色を「敢えて見にくく」施すことで、一見して解答がわからないよう工夫した。
背景色はK60、文字色はK80、工夫次第でこちらも微細な調整が効くだろう。


また、難易度の高い問題のページは敢えて配色を変えている。



問題難易度の高いページに関しては「即座に解答を確認できる」よう比較的視認性の高い配色を施した。
背景色はK20、文字色はK40
難しい問題を使用する場面は「パーティ向け」というよりむしろ「自己の知識比べ」言うなれば「難しいと判断した際、即座に解答が判別できる」態勢が主体となるだろうと判断し、それなりの可読性を重視した。

専門用語に関して

ボードゲームをプレイする中でつい多用しがちな「専門用語」も然りである。

手前味噌ではあるが、今年9月、関西の大手クイズサークル「QuizDo」様にインタビュー記事の執筆を依頼され、その際に記述した内容の一部を紹介する。

(参考URL:ボードゲームとクイズ(4)QuizDo2018年11月5日)

(以下引用)
界隈だけで通じる言葉をつい多用するクセがついてしまうと、何かしら「コードネームを使用する錯覚」に陥るのか、気心の知れた界隈の結束は深まるかも知れませんが、一方では排他的となり、また、それらを使用した別の表現をしづらくなってしまうなどの弊害も生まれます。

専門用語の多用は厳禁だ。
しかし、敢えて「使うべき場面で使うこと」により、読み手との親近感を高める効果をも併せ持つ。
必要以上の多用は避けるが、要所要所での使用は積極的に用いることにした。

本小冊子には、一部専門用語を極力別の言葉に置き換えている。
(例)
「ボドゲ」→「ボードゲーム」
「初心者」→「ビギナー」
「イージー」→「カジュアル」
「簡単な問題、難しい問題…」→「1st STAGE、2nd STAGE、FINAL STAGE」
「スタピー」→「スタートプレイヤー」「最初の手番」
etc…

また、高難度問題の場面では「インスト」「ゲムマ」等の用語を敢えて使用し、親近感をより高めるよう施した。




出来上がりはしたものの・・・

これらをふんだんに取り入れ、無事に仕上がった作品ではあったものの、実はこれまでの評価件数は「ゼロ」である。
エゴサーチをどれだけかけても、デザインに関する評価は一向に上がってこない。

・・・。
頑張った時間量に比し、一件も評価がないことへの悲しさやら情けなさやらで、実は一度、本気で制作自体から手を引くことを考えた。

そんな時に、あることを思い出した。
今年9月に開催されたトークショーの中で、タンサンファブリークの朝戸氏が
「目立たないのがデザインですから」
と語った。

中国の老子の思想に「無為自然」という言葉がある。
こちらは何も感じさせない、相手にそれとなく気づかせる行為こそ、相手を支配している概念だという理論である。
無意識で行動する影には、相手の「それとなく操作する」行為が根付いている。

デザインの話を聞きながら、「言葉では言い表せないけれど、なんとなく、いい」が気づいたならば、デザインとしてそれは成功だったのではないか、
ならば、一件も上がらない評価とは、逆に「すでに購入者の中の意識化に根付いている」ものではないか、それはとても幸せなことではないだろうか。

そんなことをぼんやりと考えた。


今回、これら「目立たない箇所で頑張る影の主役たち」言うなれば「縁の下の力持ち」にスポットを当ててくださったことに、改めてお礼の言葉を述べたいと思う。
同時に、他の作品にも同様の「隠されたデザイン的工夫」を見定める目、それらを今後も養い、自分の制作の糧となれたらと心から願う。

(了)








2018年12月13日木曜日

Passion-北海道遠征記 その2-

北海道遠征、二日目の朝。

昨夜、久しぶりに多量のアルコールを入れた結果、ひどく頭痛の残る朝。
飲まない習慣が根付いたおかげで、アルコールは翌朝残る根本すら消え失せていた。

朝食バイキングへ。
肉や魚などもってのほか、ご飯も茶がゆで済ませる羽目に。
食の宝庫で、食を堪能できない情けなさ。
目に止まった「ジャガバターの塩辛のせ」の、素朴で飾らない美味しさに、2個ほど頬張ってしまったが。


二日目は特急カムイに乗り、一路、旭川へと向かう。
4年ほど前に暮らしていた、思い出の地だ。

PM11時、最初に向かう先は老舗の玩具店「オモチャのたもちゃん」




昭和の雰囲気そのままの、家庭的で、和やかなたたずまい。
買物公園通りの変遷を、約70年、オモチャとともに見つめ続けた、含蓄のある風貌。

「静かになりましたねぇ」
店員のおばあさんはそう語る。
駅に隣接する大きな商業施設とは裏腹に、お店が並ぶ通りの方は閑散としている。
街頭放送が、雪一面の歩道に向かってカラカラと響きわたる。







一昔前から時が止まったかのような品揃え。
写真こそ撮らなかったが、ニンテンドースイッチやPS4のソフトもそれなりに充実している。

「応援します。頑張ってください」
ねぎらったはずの言葉すら、空に舞ったまま降りてこない。
どことなく感じる虚無感。


たもちゃんで懐かしのボードゲームを購入し、次はリサイクルショップを目指す。
途中「旭山動物園は?」などの戯言が聞こえた気がしたが、軽く無視することに。

こちらも時代が止まったようなラインナップ。
海外版「パーフェクション」(箱付き)、水道管ゲーム、懐かしアニメのかるた、等々、おもちゃというよりアンティークのような作品が並ぶ。

水道管ゲームが1500円と聞き、慌てて確保する。





少し早めにチェックインし、旅の経過を軽くまとめる。

地方の抱える問題って、何だったのだろう。
ボードゲームが人気で、それらを欲する声が上がっている。
そして集める人間は、それこそ旭川だろうが稚内だろうが、多くの作品を買い揃え、かつ最新作を心待ちにしている。
通販がこれほど流通する時代、遠方だろうが購入そのものの垣根はかなり下がったはずだ。

それでも「なぜ?」

ボードゲームが話題、これは体感で確信した。
それでも何かしら感じる「都会と地方の違い」って、何だろう?

頭数の問題?情報量の問題?
そして何より、ボードゲームのクイズばかりこさえている私に、何ができる?


ややこしいことを考えてながら、その日はなかなか眠りにつくことができず、深夜遅くまで、いかさん(@bodoge_ika)とツイキャスでおしゃべりをした。


最終日は本屋とスーパー、コンビニを回る。
お土産となる「地方銘菓」を物色することが目的だ。



ふと目に留まった「onちゃんオセロ」HTBが新社屋となった際、「商品化してほしいグッズ」第1位に選ばれ、登場した瞬間に即完売した逸品。なぜか本屋で見つける。はい購入。



「ボードゲーム天国(パラダイス)01、02」聞き慣れない雑誌だと思ったら、創刊が2003年。海外パッケージも同名タイトルながら初めて目にするものばかり。



当時のゲームマーケット の様子なども写真入りで掲載されており、貴重な史料をゲットできた。もちろん新品である。

前日の売り上げは、書籍とボードゲームでほぼ空になってしまった。
「これも地域貢献なのだ」と自分に言い聞かせる。


PM16時、羽田到着。
北海道より体感で冷え込む関東。
油断すると即座に風邪をひくかもしれない。
早めに長湯につかることにしよう。


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帰りの飛行機の中で、一つだけ、ぼんやりと考えた。
Passion
パッション
「情熱」を意味するこの英単語には「苦難」の意味も含まれているのだとか。

情熱の中には苦難も内在する、のか。

その言葉を反芻するかのように、僕はキャビンアテンダントが差し出すコーヒーをぐいと飲み干した。




2018年12月10日月曜日

勇気一つをともにして ー北海道遠征記 初日ー


「北海道か。一人で考えるにはいい場所だ。」


某アニメの最終回の台詞を回想しながら、私は先日開催された盤祭1st.の疲れが未だ癒えぬ体で、一路、北海道へと飛んだ。

「北海道で初となる、ボードゲームのイベントを」
ツイート上で目に止まった主催の「サイコロキネシス」様の言葉に反応したことがその発端だ。
復興だとか、気風を盛り上げようだとか、崇高なことではない。
事はもっと単純で、私の中の「面白そう」というセンサーが脳内で働いたからに過ぎない。

ことさら、最近の私ときたら「面白そうなこと」への感度が敏感で、かつ、原来のフットワークの軽さも相まって、ここぞとばかりに人生を謳歌する日々が続いている。
明日の生活など視野に入れてはいない。ましてや予後の人生など。
さながらセミのようだ、と、周囲に漏らしている。


12月8日、土曜日、AM9:20



前日の悪天候はどこへやら。澄み渡る空に、一面の銀世界。
声を響かせると、はるか遠方の国まで届きそうなほど、広がる「大地」。

着いたぞ、北海道。

感動をあらわにしたツイートには、思いも寄らぬほど多くの方から反応をいただく。

重いスーツケースを抱えつつ、当初向かうは、札幌のボードゲームカフェ「こにょっと。」様。


かくれが、を謳うだけに、店内は、飾らない照明に低めの天井、個人収集とおぼしきフィギュアが陳列された内装、厳選されたボードゲームの棚には、新旧様々な作品が並ぶ。

周囲を見回すと、カタンやチケット・トゥ・ライドなどがプレイされているようだ。

「初めての方が多いんですよ」

屈託のない笑顔で語るのは店長のきむち。さんだ。
お店を訪れるお客様の多くは、初めての方、ボードゲームそのものに興味を持って訪れる方が多いのだという。

「うち、あまり常連さんがいないので」
きむち。さんは続ける。

私はその言葉を、一般のカフェで「常連」と呼ばれるような、店舗側に良い待遇をされる方が少ない、という意味として捉えることにした。
長居したくなるほど雰囲気の整った店内に、笑顔に満ちて誰からも愛される店長・店員さんも加わるならば、常連の存在がつかないこと自体がおかしい。
私なら、たとえ旭川に住んでいようとも月2、3は通い続けていたはずだ。




壁には「ウボンゴ3Dタイムアタック」や「カルカソンヌ2人対戦募集」など、初めて訪れた方に向けて「こちらが今ホットです」をそれとなく示すよう促すアイデアがほどこされている。
料金のシステムも時間単位ではなくシフト制なので、残り時間を気に止めることなく重いゲームもプレイでき、つい長居したくなる。
看板に偽り無し、まさに「隠れ家」だ。

愛嬌溢れる店長は、最新作の「おみかん様」を持ってせわしなく店内をめぐる。
ボードゲームカフェパスの特典の一つ「店長の愛のビンタ」も、お土産として受け取っておくべきだったと、後になって悔やむこととなる。

次に向けての時間となり、私は名残惜しくも店内を後にした。

隣のブースでご一緒となるこかげ工房の弓路様と道中のタクシーで話をしながら、私はまたもクイズで大声を上げることを前もって平謝りした。
ブースの方にも恵まれている。

会場前へと到着。PM17時、すでにとっぷりと日が落ちていた。



本番だ。
立会い十分、待ったなし。

会場に入り、袖をまくり、盤祭で培った会場設営をもとにブースを作成する。
手早く、黙々と。



ものの20分足らずで今日のステージが完成する。
時刻は17時25分、開場まで30分以上も時間があるというのに、入口前にはすでに20名以上のお客様が列を成していた。

持参した「携帯カイロ」を配布して回る。
来場者の方々は皆一様にキョトンとした表情を浮かべる。
ボードゲームのイベントで、ボードゲームではなく「クイズの小冊子」を頒布に訪れたのだ、さもありなん、といったところだろう。
幾ばくかのアウェイ感が、当初から私はぬぐいきれなかった。
だから、誰よりも気合いを入れ、元気さをアピールした。
「落ち着いて!」という天の声を受け、ハッと我に返った時は、開場の実に5分前だった。

18時、いよいよ幕が開く。
怒涛のごとく押し寄せるお客様は、2階階段の入口近くまで伸びていたと受付の方から伺った。
大勢の方々が期待を寄せ、興味関心を寄せていたイベントだ。
それに全身全霊で応えなくてはならない!

「世界で唯一の、ボードゲームのクイズの本です!」

大声で小冊子を頒布する。
大声で問題を読み上げる。
光るボタン、「正解っ!」の声に呼応するかのように、歓喜の声と、周囲の目線がこちらに集まっていることを肌身で感じる。
ゲームマーケットでも盤祭でも同様に味わった、脳内に広がるドーパミンのごとき快感。

楽しい!

2時間、ノンストップ。
頬の筋肉のけいれんから、ひたすら笑っていたのだろうと邪推する。
喉は枯れてダミ声となり、主催から差し入れがあった烏龍茶は開始30分で空いてしまう。
外気温とは反比例に体全体から滝のように吹き出す汗。
そんな状態のまま、私はクイズを読み、クロスワードを配り、お金を預かりながら小冊子を手渡していった。

ブースには多くのフォロワー様も訪れた。
ラミィキューブ北海道王座決定戦など大会運営で活躍されるゲームパーソングループ主催佐野まさみ様。
私個人のフォロワー様からも高い人気のKTA様からは噂に轟くブーメランを拝見させて頂く。
知的なツイートが魅力のオヨット様にも無事にご挨拶に成功できた。
ゲームマーケット秋新作「ヒントをいいます」が人気の常盤倶楽部「かみやパパ」様もご挨拶に訪れる。
東京からも、ゲームマーケット秋ではぎゅんぶく屋ブースでその豪腕を発揮した名プレイヤー「ヤマドリ」様が会場を訪れ、励ましてくださる。

ツイートを覗くと、多くの方からの応援メッセージや「いいね」の数。

多くの方からの後押しを受け、つい涙腺を潤ませてしまったが、終了時刻はまだ先。グッと喉元に押し込んだ。
エンディングまで、泣くんじゃない。

午後8時
未だ会場は熱気で溢れ返る。人の波は途絶えることを知らない。
用意した100部近くのクロスワードは配布を終え、新刊も残すは約1/4、既刊も残りわずかとなった。
最後の追い込み。あらん限りの声をあげてアピールする。
改めて、心に刻む。
私は頒布ではなく「クイズを遊びに来た」
その立脚点を決して忘れないように。




8時20分、撤収のアナウンス。
終わった…。
口元からエクトプラズムのようなものがモコモコと湧き出る私。

最後の気力を振り絞り、撤収を始めつつ、目の前のもんじろう様から「男気野球拳」と、地元北海道のサークルというkoke様のブースから「ダンジョンマーケット」を慌てて購入する。



一旦荷物をホテルに預けたのち、遅れて懇親会に参加。




新鮮で濃厚な海の幸に舌鼓を打ちつつ、今回の主催となったサイコロキネシス室田様、Cygnus様らを取り囲む。

実に名古屋遠征以来、約3ヶ月ぶりとなるアルコールで早々に酔ってしまった私。

「3年目が勝負だから」
隣で座る笑顔のCygnus様から、ふと、そんな言葉を頂戴する。


実はこの北海道遠征前、誰に話すこともない秘めたる悩みがあった。
「クイズなんて、もういいかな」
ボードゲームのクイズ小冊子制作に全力を傾注したこの半年、こもりっきりの、孤独の作業。
寝食を忘れ、ひたすら問題制作に没頭する私。
当然、失うものも多かった。
それに対するリターンは、お金の面も、反響の面でも、私の期待を超えるものではなかったのだ。
加えて、飛んでくる言葉は、内容に対する批判・誹謗ばかり。

「無駄な努力」という言葉は決して嫌いではないが、さすがに今回ばかりは心に負ったダメージが大きく、どれだけ励まされようとも、立ち上がる気力すら湧かなかった。
出ると宣言した以上、ゲームマーケット大阪ぐらいは顔を出すとして、それを終えたら、静かにフォードアウトしよう。

冗談ではなく、真剣にそう考えていた。

先のCygnus様の言葉に、私は肩の力がスッと抜けた。
まだ2年目。
まだ成長過程。
くじけたと宣言するには、まだ時期尚早、か。

グイグイと杯を傾け、再度涙を喉元に押し込む。

おかげで、その日に誘われた大先輩からの二次会を断る羽目となった。

這々の体でホテルのベッドに潜り込み、今日の様子をツイートで振り返る。

なんだかひときわ騒がしい人間がいるな…。
まるで他人事のように自分と思しき人間のツイートに反応した。

物質も雰囲気も「熱量」があってこそ、周囲にそれらが派生するではないか。

こんな私に、何か貢献できることがあったのか。


昔ギリシャのイカロスは
ロウで固めた鳥の羽根
両手に持って飛び立った
太陽目指し飛んでいく
勇気一つを共にして

童謡で知られるイカロスの寓話では、哲学者のイカロスはその後太陽へと向かう先で墜落してしまう。
しかしながら、その意思は、後代にまで受け継がれる、という内容だ。

墜落でも追突でもなんでも、チャレンジしたことはそれなりに評価される、か。

ベッドの中でぐだぐだと考えているうちに、私はいつの間にか深い眠りへと落ちていった。


アルコールは飲みすぎると翌日に残るということをすっかり忘れたまま。


(二日目に続く)









2018年12月6日木曜日

私の出会ったボードゲーム業界の「ボッケもん」ベスト3

この一年間、私なりにボードゲーム、特に制作面をメインに多くの方と交流する機会に恵まれた。



その中で出会った、「ボッケもん(生まれ故郷である薩摩地方の言葉で「男気のある、豪快な、男らしい」というニュアンスの言葉)」、すなわち、私の印象に強く残っている方を紹介したい。


これまで当ブログでは「ぎゅんぶく氏(第71回 すごいぞワンナイトマンション、スゴイぜ!ぎゅんぶくさん)」「たまご氏(第74回 たまごさんの話)」など尊敬すべき方を数名紹介してきたが、他にも今年は、多くの方々に巡り合う年だったと回顧する。
上記2名は「殿堂入り」として、今回はその他にも3名を私なりの言葉で紹介したいと思う。


3位 翔氏(TwitterID:@shousandesuyo)

ボードゲームに関する各種活動の火種を切って活躍される方。今年度だけを数え上げても、webラジオ「ボドっていいとも!」メインMC、18会(ボードゲーム2018年デビュー組による同期会)、17会(2017年デビュー組、同)、ボードゲームカフェパス制作、雑誌「ALL GAMES」記事担当、ボードゲーム制作のための相談会、等々、数多くの製作者に手を差し伸べ、多くの会に積極的に参加し、多くの方から愛された。
エッセンからの帰国後、一時期活動を停止された際、多くの方が不安の声を上げるほど、その徳の高さを実感したのではないだろうか。
何度も直接お会いする機会があり、その「誰に対しても人当りしない」、あたかも何か全身から発する「人徳の高さ」を身を以て実感した。


2位 やぬきけんじ。氏(TwitterID:@yanuyanu33)

囲碁、将棋、連珠、バックギャモン、トランプ、ドミノ、東八拳、等々、伝統遊戯なら何でもござれ。ボードゲームも勿論その腕は確証済み。
笑顔が印象に残る方で、行く先々で楽しいことを探し出す方。
義理と人情にとことん厚く、直接お会いしお話する中であふれんばかりの「遊びに対する深い情愛」が伝わり、関東を離れるお別れの会では多くの方が別れを惜しんだ。私もつい涙腺を緩ませてしまった。
普及活動を行う中、楽しい場所、楽しい環境があらば積極的に顔を出し、多くの知見を広げるその飽くなき姿勢は本当に脱帽し、今回秋の新作への大きな刺激となったこと、この場を借りて感謝申し述べたい。
現在は長野住まいであり、多くの方から関東への帰省を望まれていることからも、その人望の高さが伺える。


1位 いか氏(TwitterID:@bodoge_ika)
ポッドキャスト「いかとりにょりとおけいのいかがわしいラジオ」MCとして活躍する傍ら、ツイキャスライブ上にひょっこり顔を出しては、その高い知見からのアドバイスや屈託無い意見を提示される方。
この2018年、「podcastの敷居は高くともツイキャスライブなら」と多くの方に勧めて周り、製作者、パーソナリティにかかわらず多くの方が「ツイキャス」という媒体を利用し自己の新たな発信源となるきっかけを生んだ、影の立役者でもある。
長年ボードゲームに携わっているベテランながら、決して自ら名乗り上がることをしない、積極的に裏手へと回り、遠方からエールを送り続ける、ブースの応援とあらば手を挙げ、人一倍頑張りを見せるという、そのあまりに謙虚な姿勢が多くの方の称賛を呼び、人気ポッドキャスト「おしゃべりサニバ」MCすながわ氏など、いか氏を心から慕う方も数多い。かくいう私もその一人である。


まだまだこのボードゲームの世界に浸かり、紹介しきれないほど多くの素晴らしい方々と出会うことができた。時間があれば、是非また機会を設け、紹介したいと思う。
そんな素晴らしい方々と出会うきっかけを生んでくれたボードゲームに感謝したいと心から思う。




2018年12月4日火曜日

等身大の自分を探して 汗と涙の関西遠征記-二日目-

初日(盤祭1st.)https://hibikre.blogspot.com/2018/12/blog-post_3.html


関西遠征記二日目の朝。

あれだけ多くを抱えた我が子ら(小冊子)は、昨日の晩祭1st.で無事に親元を離れていった、

はずだった。

しかしながら、目の前にはそれなりの売上金、まばゆいほどのボードゲーム頒布ブース、一時の気の緩み…。

結果、さほど軽くはないままのスーツケース一式を抱え、私は一路、大阪府南区のボードゲームスペース「ファミーリエ」様へと向かった。

多くのお子様が訪れると評判のこのファミーリエ様、そちらで「すがえり様」主催のボードゲーム会に参加することが目的だ。

途中のコンビニで軽く腹ごしらえを済ませ、到着は午後12時30分頃だっただろうか。

店内はバリアフリー。テーブルの他に「こたつ」も数脚常備され、子どもたちが華やいだ声で大人たちと賑わいを見せている。

店長さんよりも我先にとご挨拶に飛び込んできたのも、お子さん方だった。

パワフルなお子さん方も過ごしやすいスペースという印象で、壁にはツイート上で話題となった「ボードゲーム新聞」なども掲載されていた。
多くの方に好評のようで、すでに6号が発行されているようだ。

主催の方が到着するまでの時間、クイズなどを披露する。
ボタンの方はこちらでも好評だったが、如何せん、私の問題作成能力が悪く、子どもたちは「押したくても(わからないから)押せない」ことで離れていく場面も。
問題の難易度を更に考慮すべき点は今後の反省材料としたい。

主催が到着し、まずは「ワードスナイパーファミリー」を。
私の購入する作品は比較的「初めての方でもベテランの方でもルール説明が簡単でかつ楽い」作品が多く、こうした「初めての方」が混じる会では重宝する。

主催の「すがえり」様は気さくで笑顔の素敵な方。
初めて、を主張されてはいたけれど、DOMEMOなどでは初プレイながら積極的に「ブラフ」などを織り交ぜるなどすでにゲーム的な戦略を熟知されている様子。
勝敗を気にせず多くの作品に触れたい、全身で享受したい、という意欲が全身からにじみ溢れる、とても活力的な方だった。
ならば私もそれに応えるべく、どんな方でもご満足できる作品を堪能してもらいたい、という思いで対抗することにした。
この辺りの「負けん気の強さ」も、私の中の「大人になりきれない部分」と呼べるのだろう。反省は後からすることにしよう。

ゾンババ(ひとりじゃ、生きられない制作)、ドメモ(ランドルフ作)、コードゼクスクロス(JOINT GAME FACTORY制作)、ゴモジン(JELLY JELLY CAFEリメイク作)、あてっこついたて(スヲさんち制作)などをプレイ。
コードゼクスクロスは難しさの中に「解答できた先の達成感」というバランスが絶妙で、脳内で全てのキーセンテンスが一本に繋がった際のドーパミンの溢れ具合がたまらず、思わずガッツポーズしてしまうほど。
迷うことなく購入してしまった。

あてっこついたても、特に子どもたちに好評だった。
先の盤祭1st.でも感じたことだが、クイズとは「難しい問題を学習・作成して悦に入る」ことが目的ではなく、クイズを通じ正解がわかることで、気持ちや考えを共有できることが第一と考えるのだ。
「出題者と解答者とのコミュニケーション」という言葉でうまく表現できるだろうか。


時間となったため、名残惜しくもお暇することに。
店長の熱いお人柄で、お土産の特性「ごいた竹ごま」を頂戴する。

丁寧にハンカチで包みながら、私はふと、その日の疲れからか、涙が溢れそうになった。

そっと袖口でぬぐい、気持ちをツイートしてごまかしながら、帰りの新幹線までのわずかな時間、立ち寄れそうな場所をリストアップする。


一軒目、梅田のボードゲームカフェ「ピエット」様へ。

多くの賑わいを見せる路地の裏に所在するピエット様、その店内はまるで大切な客人をおもてなしするかの如く美麗で整った、それでいて家庭的な内装、そんな玄関を入ると、二階からは気さくで明るい店長が出迎える。
店長のクロ様はツイキャスライブ上でもお世話になっており、その豊富な語彙力と鋭い知識は、店内に並ぶ多くの作品に活かされていることだろう。
周囲を眺めると、玄関先には多くのボードゲーム関連書籍が並ぶ。その片隅に、私の小冊子も稚拙ながら並べてもらうことができた。

二軒目、谷町四丁目に位置するボードゲームショップ&スペース「GUILD」様へ。

こちらは一転、高層ビルが立ち並ぶ中のオアシス的な存在。
ビルの上層階をエレベーターで上がった先には広めに確保されたプレイスペース。
店長の「大阪」様と、愛嬌のあるイラストを手がける「アリサ」様は双方とも前職の知見を生かし、胸のプレートに「説明できます」の表示。
広く明るく、清潔感あふれる店内では、夜の7時を回る時間ですでに多くのボードゲームプレイヤーが店内貸出可能の多くの作品を楽しんでいた。
説明に東奔西走する店長に、多くの方からの愛情をひしと感じることができた。
こちらにも無事に小冊子を寄贈することができた。


新幹線ホームに到着したのは出発の10分前。
お昼頃から何も食べず、観光どころかお土産すら買わず、せめてもの思いで入ったキヨスクで、大阪名物と銘打たれた「牛タン弁当」を確保する。

また来るから、必ずやその時に買いますとも。

誰に言うとも知れぬ約束を誓い、私は帰りの新幹線の中でとろとろと眠りについた。

まどろみの中で、観光こそできなかった今回の遠征を振り返る。
風景も名物も堪能できなかったけれど、多くの「人」に巡り会えた。
「人情」に触れ合うことができた。
そしてそれは、今回ゲームマーケット秋で「私が最も作品内に取り入れたかった主軸」だったことを、ふと、思い出した。

今回の遠征で、私自身という人間を「等身大で」見てもらいたかった。
「私はボードゲームのクイズを作っています。叫んでばかりいます。趣味に走っています。相手の喜ぶ顔が何よりも好きです。メンタルは極度に弱いです」
初めての地で「私」という人間を全力でぶつけ、私とは何か、私に何ができるのか、それらを探求することこそが、何よりも今回の目的だった。

今回の遠征で、相手を通じて垣間見えた「私」の姿を、肌身で知ることができたような気がする。
私は何よりもボードゲームが好きで、クイズも好きで、それらを通じた「相手の笑顔」が、何よりも好きだったのだ、と。

小難しいことを考えているうちに、新幹線は小田原を過ぎ、新横浜を時間通りに到着する。
次は北海道ボドゲ博だ。

札幌でも、また、「私、番次郎」という等身大のままを表現する旅にしたいと願う。




(了)




2018年12月3日月曜日

汗と涙の関西遠征記 初日

よし、クイズしよう!


きっかけは本当に勢いだった。
「私はボードゲームのクイズができるなら、全国津々浦々、どこでも駆けつけます!」
そんなツイートを書き込んだ手前、何かしら矜持のようなものもあったかもしれない。
「できるのか?」
「やってみろよ!」
そんな遠方の野次を浴びながら、私は心の赴くまま、なけなしのお金をはたいてチケットを取り、12月1日、一路、神戸三宮へと向かった。

ゲームマーケット2018秋。
私のブース「番次郎」では小冊子の新刊を頒布した。
しかしながら、ブースに立つ張本人に、その自覚は薄れており
「遊びに行きます!」「クイズをしに行きます!」
浮かれていたのだろうか。もっぱらツイートにはそんな言葉だけが踊っていたように思える。

新神戸駅。AM9時42分。
先日の有明の寒波はどこへやら。
待機列は冷えるだろうと用意した携帯カイロは今回も使わずに終わるだろうと危惧するほどの好天に恵まれる。
私はスーツケースいっぱいに積まれた荷物を抱え、一路、神戸クリエイティブセンターKIITOへと向かった。

10時に到着すると、主催のコロンアークの田邊氏を筆頭に、数名のスタッフと思しき方が設営を開始されていらっしゃる。
私もそれに混じり、早速机・椅子の搬入を行うことに。
暗く冷えた体育館のようなKIITO室内に灯りがともり、人が加わり、看板が設置され彩も添えられ、会場はほんのりと熱を帯びていく。

10時30分ごろに個人ブースの設営を開始する。
ゲームマーケット当日はお手伝いさんと二人で設営したので、今回初めてブースの設営を一人で行うこととなったが、長机一つに並べるというだけでも、1時間を超える時間を必要とした。



準備完了の写真をツイート上に流し、下唇をきっと噛みしめる。

始まるのだ。

初めての地で、売るのではなく「楽しさ」を提供する。
今日は私自身が全力で「楽しむ」1日にするのだ。

PM12時。盤祭1st.が幕を開ける。
大勢の方が奥へ奥へと列を連ねる。


声をあげ、新刊のアピールを行う私に、沿道の方が興味を示す。
早押しボタンに手をかけるので、早速問題を読み上げる。
ゲームマーケット同様、初めての方でも手に取りやすい問題の方に程よい感触がつかめたようだ。

Twitter上でお見かけする多くの方も訪れる。
「いかとりにょりとおけいのいかがわしいラジオ」人気MCのいか氏、月刊漫画ジヘン好評連載中「天王寺さんはボドゲがしたい」作家mononofu先生、ダブルナインなどのポップなイラストで知られるプラネ画伯、ボードゲーム&クイズ会「Table-ON」主催者で知られる杉・俺太郎氏、主催ゲームマーケット最終候補にノミネートされた「ドッペル言語」製作サークル「昼夢堂」作者flat氏など。まだまだ大勢の方がいらっしゃった。
後日、ゲームNOWAのかぶきけんいち氏のツイートに私の必死に読み込む姿が上がっていたが、見るからに魚河岸の競り市場を彷彿とさせ、我ながらひときわ汗臭いブースだったかと反省する。

とはいえ、早押しボタンは好評で、問題を読むと多くの方が興味を示してくれる。
「俺も、俺も!」とボタンに手をかけ、問題を読む声に思わず力が入る。
小冊子頒布後、好意ある声の中、批判的な声、商標登録をちらつかせる声なども耳に入り、数日前からナーバスな状態が続いていた。
表題のNEXTAREA、次の場所へ、とは、それら裏向きな意味合いも込められていた。
しかしこの「問題を読む時間」だけが、脳内で麻薬のようなものが放出されるような感覚に陥った。
心の底から楽しいと思えた瞬間だった。

お会いできた方の中でも印象的だった方を数名だけ紹介したい。
大ちゃん様はゲームマーケット秋でもいらっしゃった方。今回も参加され、ボタンを押しにいらっしゃった。
とてもユニークな問題を提供されましたので、私自身、とても参考に、勉強にさせていただきました。ありがとうございます。

こっぺ様もゲームマーケット秋にもいらっしゃいました。
「構成の方、担当しますよ」というご意見を頂戴する。
前回、今回の制作で多くの方にご迷惑をおかけしたこの問題、次回以降、きちんと向き合わなければならない。
実力のある方の構成があるならば是非お願いしたい。そのことに気づかせていただきありがとうございます。

もうお一方。お名前を失念致しましたが、私の兼ねてからクイズに関する悩みを話したところ、その方もクイズに携わっていらっしゃる方で、私と同様に考えていらっしゃる、その気持ち、方向性だけでかなり気持ちが救われました。
あの時は本当にありがとうございました。


飲まず食わずで3時間が経過し、喉が限界に達したため、たまりかねて自販機にお茶を買いに向かう。
そこでしばしの時間、買い物を済ませた。
ぺけ先生の額縁入りイラストは制作中ずっと励ましとなっており、今回の新作ももちろん購入。
万屋楽団様の新作も普段のツイキャスライブから制作の苦労・工夫等を聞いており、これは入手すべきと思い購入。
プラネ画伯の画集を見かけた瞬間迷うことなく購入。
目の前のDDTブースにて頒布中の妖怪セプテットは財布の中の所持金不足でやむなく諦める。危うく売上金に手をつけるところだった。

PM4時、残すは1時間。
すでに下巻とEXTENDが完売御礼。
中には片付けを始めるブースもちらほら。
私はそれでも声を上げ、最後の追い込みをかける。

遊びに来る。ボタンを押しにくる。
問題を読み、「正解!」の声を上げる。
ふと気がつく。
クイズの何が好きだったのか。

問題を読みあげた時、相手が「わかった!」と答えてみせる、
その瞬間に見せる笑顔が好きなのだ。
その瞬間に「相手(解答者)と気持ちが通じた!」と実感できる、その瞬間が大好きなのだ。
だから私は解答側よりも「司会側」の方に力を入れるのか、と。

クイズって、やっぱり面白いよ。


PM5時。無事に閉幕。
結果、予定数を大幅に超える小冊子を頒布することができた。
しかし、それ以上に、多くの方をクイズに誘うことができたことが何よりも嬉しかった。

駆け抜けた。5時間、フルマラソン以上だ。
ふぅと飲み残しのお茶を開け、いそいそと撤収を始める。
ブースの方も含めた全員で椅子やテーブルを片付ける。小さい会場ならではの、主催側と出展側の一体感。
これらが味わえることも一つの醍醐味なのだろう。

熱気を帯びた会場が、冷たい体育館の姿に取り戻す。
その姿を背にしホテルへと到着した私は、結局その日に向かうはずだった近隣のゲームカフェの予定などを全て投げ出し、こんこんと眠りについた。

睡魔に陥る直前、明日寄贈する予定の小冊子だけは、何とか目視で確認することができたのだった。




(2日目に続く)









下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...