2020年8月16日日曜日

イベントっていいな♪ ゲームマーケット出張版浅草2020参加レポ

  8月16日日曜、浅草の東京都立産業貿易センター台東館にて「ゲームマーケット出張版2020浅草」が開催されました。


 2020年大阪、春、以来となる久しぶりのイベント、行って来ました。そのレポート記事です。


1 待機列の様子

2 いざ、開場

3 感染症対策について

4 室内の様子

5 終わりに(イベントって、いいな)



1 待機列の様子


 この日の浅草は36度を超える猛暑日となりました。

 会場となる4階へは、密を避けるために階段を利用するよう促されました。

 事前に購入したチケットには「1時間〜15分前に到着」をお願いする言葉がありました。

 私の入場時間は11時30分。

 スタッフによる非接触式検温とアルコールスプレーによる除菌が行われ、そのまま待機列へ。特に当日購入の列が区分されたわけではありませんでしたが、大きな混乱は見られなかったように感じます。


 待機列を形成する広いスペースには、等間隔で養生テープが貼り付けられていました。

 約30センチのタイル4枚分の間隔で、私が並んだ位置は一列目の半分くらいの列でした。ザッと目算で30番ほどだったかと思います。


 待機中にスマートフォンの電子チケットをスタッフに見せ、スタッフはスタンプ上のデバイスで画面をタッチすると「入場しました」の烙印が押されました。アナログっぽくて素敵です。



 私は念のため、マスクにフェイスガードを装着して並びました。

 周囲を見回すと、全員がマスクを装着し、友人連れやカップルの参加も目にしましたが、会話は控え目で待機列は至って静かでした。


 入口で配布されたパンフレットに目を通します。




 観音開きのパンフレットには、開いたページにウィルスに関する注意喚起。QRコードは厚生労働省の「喉エチケット」のページにリンクします。

 こうした配慮は、大変ありがたいです。


 見開きには全体マップ。





 しばらく待つと、一列に約40人ほど並ぶ列には、入場直前ともなると4列目が埋まり、5列目の先頭まで伸びていました。



2 いざ、開場


 「いつものアナウンス」で「第3部、開場です」のアナウンスが流れます。

 大きな拍手でスペースに入ります。こちらもゲームマーケット「ならでは」。

 久しぶりの拍手に心踊りました。


 当日は遠方から出展予定された2ブースが参加辞退、テーブルはそのままに「参加辞退」のシートが発布されていました。


 入場直後の様子ですが、特に「このブースに長蛇の列」は見かけなかった印象です。


 私も早速、目当ての作品を購入に回りました。

 いくつかを簡単に紹介しますと、


 アークライトは世界的話題作「evolution」の先行発売と、先日発売されたばかりの新作ミリオンヒットメーカーを。

 oink gamesは話題作の他に、オンラインショップ発売のデザイナーズノートやピンバッジなど発売。

 グランディングは話題作「街コロ」2作目『通』を先行発売。

 ディアシュピールはボードゲームPodcast『ほらボド!』とタッグし、名作の新品、中古販売を。

 ラディアスリー、AHCブースでは両作品購入の方に『斯くして我はFILLITに成れり』『JAMIT』のルールブック入りクリアファイルを。

 OKAZU brandは春の新作5×5zoo、スージィQなどを発売。さらに大変豪華なカタログを。

 ozplanningはこちらも『ゴリラ人狼』とのコラボレーション作「赤い扉とゴリラの鍵」を。

 ボドっていいとも!では春新作「筋肉祭人狼」や、ゴリラ人狼マスターバッジの販売を。

 JELLY JELLY CAFEではネスターゲームの各作品を。さらに購入された方にはオリジナルトートバッグを。

 TUKAPONでは人気のボブジテンクリアファイル、今夏発売された「ムショの中のアリス」、そして今年春には叶わなかった『ゲームマーケット作品詰め合わせ福袋』の販売を。

 スタジオムンディは新作「人類誕生」を。こちらは北海道ボドゲ博2.0でも販売される予定です。


 どのブースも目白押しで楽しかったです。(全てを紹介できずすみません…。)


3 感染症対策について


 改めて今回の感染症対策を確認します。


 各ブースの通路を隔てた距離は先ほどのタイルで8マス分(240cm)、机の後部(バックヤード)も7、8マス(210cm、240cm)、加えて机は密接せず、測定は憚られましたが各ブースの間隔もしっかりと確保されていました。

 スタッフの方はいつもの「オレンジのはっぴ姿」に加え、マスクとフェイスガード。ネームプレートには本名が記載されていました。

 運営中も常に数名のスタッフが巡回しておりました。

 もちろん声かけもマスク越しです。

 各ブースの対策はまちまちで、前面に飛沫防止シートを貼るブース、手袋や自前のフェイスガードを装着するブースなど様々に工夫されていました。



4 室内の様子


 いつもの人の賑わいも控えめだったからか、空調は大変快適でした。

 とはいえ、長時間のマスクとフェイスガード装着はやはり辛いものがあり、ブースの中の方も汗まみれになりながら説明をされていました。

 出口のすぐそばに自販機と簡易休憩スペースがありましたが、そこにも人は絶えなかったように見えます。

 そのほかは、大型ポスターあり、新作披露あり、コスプレあり、と、試遊が無い中でも、各ブースが創意工夫し作品の魅力を伝える姿が印象的でした。

 会場や規模は違えど、いつもの「ゲームマーケット」の楽しさを十二分に堪能できました。


 終了の5分前と終了時間には、こちらもいつもの『ゲームマーケット』のイントネーションでお知らせのアナウンス。そそくさと退出致しました。

出口付近から少し中の様子を伺うと、次の時間に向けて、休むまもなく、簡単なミーティングと準備が行われているように見えました。



5 終わりに(イベントって、いいな)


 私がイベントへ参加する理由のひとつに「対面でのやりとりの楽しさ」があります。

 今回は来場者として、制作を手掛けられた方に直接「あのボードゲーム 、すごく面白かったです!」の気持ちを伝えることができました。

 「面白かったです!応援してます!」

 『今作もさらに面白くなってます!ぜひ遊んでください!』

 文字に起こすと本当に他愛無いやりとりですが、このわずか数文字のやり取りがあるからこそ、私はボードゲームの楽しさがますます刺激されます。

 オンラインでは思うように叶わなかった、まさに「対面のイベントだからこそ味わえる楽しさ」です。


 今回45分という時間の中でしたが、一通りの買い物を済ませた後は、各ブースに御礼に回る(そこで予定外の買い物をすることもしばしば)時間も十分に充てられました。


 試遊もなく、ブース数も比較的少なかったからか、全体をのんびり3周くらい回ることができました。

 購入するだけなら少し長い、交流を図るには少し短い、そんな45分だったように感じます。


 いまだ予断を許さない状況の中、対策を入念に行った上で開催された本イベント、帰宅の途に着きながら「やっぱりイベントっていいな。」と、改めて実感しました。


 その気づきを与えてくださった今回のイベント運営スタッフ、出展各サークル様、そして来場されました全ての方々に大変感謝致します。

 

 私も来週開催の北海道ボドゲ博2.0に向けて、整えるべき準備を十分に整え、来場された方全員に「楽しさ」を提供できるよう頑張ります。




2020年8月4日火曜日

笑顔の報酬 第2回静岡アナログゲーム祭り備忘録

事実を見るようにする。
真実を口にしてはいけない。
真実はよく、うそつきが口にするもの。
(引用:糸井重里著「羊どろぼう」より)


・・・

 いくら何でも馬鹿げているとは思う。
 いくら「一期一会だ」とはいえ、間髪を容れず、まして時期的にも「長距離の旅程は控えてしかるべし」といった情勢の中、事もあろうに「2週連続の長期遠征」は流石に自分を酷使しすぎだ、と、いつものように事を終えた頃に反省する、相変わらず何も成長しない僕。

「無理せず体調を整える」
 先週開催された大阪の盤祭Re-3rdから帰宅した僕は、作業のペースを自分なりに落とし、目の前でできることだけを粛々とこなす、そんな日々を過ごしていた。
 同時に、盤祭の主宰を務めたコロンアークの「たなやん」さんに感化され、僕は休んでいる間中、必死になって本コロナ関連の情報(決してマスメディア等ではなく、論文等を中心とした確かな筋の情報)を読み漁り、静岡のイベントに向けて処置・対策を整えることにした。


 7月末、静岡県はウイルスの警戒態勢を「4」へと引き上げた。

(参考:警戒レベル「4」に引き上げ、県内移動「警戒」静岡県知事「拡大抑止へ重大な局面」2020年7月28日静岡新聞SBSより)
 同記事によると、「レベル4」とは、外出禁止や休業要請が発令される「感染まん延期」の一歩手前、休業要請・不要不急の外出を呼びかける段階だ。

 政府が推進した「Go toキャンペーン」の影響も相まって、県内外を問わず様々な意見で賑わう。
 静岡県のフォロワーさんも多い僕のツイートには、しばらくそんなイベントに対する不安の声がTL上を飛び交っていた。
 全国的なウィルス感染者数の上昇もあり、僕は出発直前まで本イベントの出展の可否を決めかねていた。

 結果として参加に踏み切った僕は、本イベントに出展する何らかの「想い」が心の中に潜んでいることに気がついた。
 その正体が何かについて、当時は把握することができなかった。
 現地に行けば、参加をすれば、きっと答えの欠片が見つかるかもしれない。

 希(まれ)なる望みで文字通りの「希望」を乗せ、僕はまた西へと向かうことにした。



 7月31日金曜、AM11時
 この日の新横浜駅も人影はまばら。夏休み初日だというのに、家族連れどころか大きなスーツケースの旅行客もなく、ノートパソコンを抱えたビジネスマンが数名点在する状況だった。
 定員100名ほどの乗車シートに5、6名の人間を抱えた新幹線こだま号は、何事もなく静岡駅構内へと滑り込んだ。
 この日も気温が30度を超える静岡市街地。
 水分だけはしっかりと補給しつつ、この日はまず市内に位置する老舗玩具店「百町森」様へと向かった。

 子ども向けのおもちゃが並ぶ店内では、ベビーカーを引いたお子さん連れの夫婦が店内のあちこちに目を向けていた。
 ボードゲームのコーナーを漁ると、見たこともない作品が数多く並ぶ。
 「タコツボ」というアブストラクト作品を手にし、僕は一路、会場となる静岡県藤枝市、藤枝市文化センターへと向かった。

 駅から程近い場所に位置する「藤枝市文化センター」は、約半年前となる12月、第1回アナログゲーム祭りが開催された会場でもある。
 いくつも荷物を抱えた僕は、汗だくのままロビーに腰掛け、18時の会場設営を待つ。
 メンバーは主催の弓路さん、光河さん、ぶんぶんゲームズのあとりさん、ナガイさん、久遠堂の久遠さん、お隣ブースの「ジェーンとマトン」さん夫妻ら数名の有志だ。

 予定の倍の衝立が用意され、成人男性の高さ付近となるよう、ラップ状のフィルムが設けられた。
 机前方1メートルの位置にはソーシャルディスタンスが保たれるよう基準となるテープが貼付されている。



 

 遠方から眺めると、さながらRPGのラストダンジョンらしき様相だ。


 最終的な会場配置は以下の通り。


 ブース配置は一部変更され、ステージ上の「ぶんぶんゲームズ」は無くなり、当日の運営スタッフへと回った旨を伺う。
 番次郎書店ブースもB1a→A1aへと再配置された。
 恐れ多くもこちらは「ゲームストア・バネスト」が配置される予定の場所だ。

 後日回ってきた公式ツイートによると、当日まで出展ブースは総勢28ブース、出展辞退は8に上った。
 その中には、ゲームストア・バネスト、妄想ゲームズ、ノスゲム、等の有名・人気ブースも並ぶ。
 参考までに、7月26日開催の盤祭Reー3rdは20サークル(出展辞退の数含む)8月16日開催のゲームマーケット浅草は28サークル(2020年8月4日現在)となっている。


 1時間半ほどの時間を会場設営に割き、次は自分の担当するブースへと向かう。
 前回の盤祭と同様、長机の半分ほどのスペースだ。


 小一時間ほど時間をかけて準備を整え、念のため、本番と同様の服装に着替えることにした。
 大きな布製のマスク、デニムのエプロン、頭には手拭いを巻き、ビニールの手袋やフェイスガードも装着した。
 第一印象として、非常に蒸し暑い。



 会場設営後、この日は有志を募り、名物「さわやか」のハンバーグを堪能することにした。
 遅い時間の来店とはいえ、人気店舗の「待ち時間1人(この「1人」が我々グループのため実質は0人)」の表示を目にできるとは。



  肉汁溢れるハンバーグを口にしながら、僕は参加の意思を表明したは良いものの、決して大手を振って参加できないことへの一抹の寂しさを覚えた。
 イベント開催中も常に一触即発、少しでも判断を見誤ると、クラスタ発生に端を発し、ボードゲーム全体を含めた何もかもが「なし崩し」となってしまう。
 そう考えた途端に、僕は身体中の震えが止まらなくなった。
 美味しいはずのハンバーグもいまいち喉を通らず、僕は暗澹たる気持ちにかられながら店を後にした。
 

 翌朝は気持ちの良いくらいの好天に恵まれた。日中の気温も三十度を超えると予報される。

 荷物を手に、再度藤枝市文化センターへと向かう。


 昨日の「完全防備された」服装に着替えつつ準備を整える。
 室内は内部の空気を外部に排出する仕組みらしく、自分の想定したような空調は効いてはいない。
 布マスクの装着時間は、朝10時ごろから数えて丸8時間程だっただろうか。
 通気性に加え、ゴムが耳元に食い込み痛みが走った。ノスゲム制作の「忍者ネコマスクフック」が本イベントでも活躍を見せた。
 次回イベントの際は、より通気性の良いマスクを持参しようと誓う。


 参加各サークルも、直接触れることなどが制限された今回のイベントに向けて、各種の創意工夫を凝らしていた。
 一部を紹介したい。
「カエルの王国」などを手掛けたイオピーゲームズはオーバーレイを自前で用意し、フィルムに直接値段等を記載するなどを行なった。
「88ICE CREAM」などを手掛けた88createの小林さんは、値段表の横に作品紹介のブログへリンクするQRコードを記載した。

 お昼前、本イベントの目玉でもある「マグロ丼」を頬張った。
 綺麗な「さし」が入った肉厚なマグロは、噛むほどに旨味が滲み出る。

 

 昨年も人気を博したマグロ丼を、各人が黙々と口に運ぶ。
 「美味しい!」「旨い!」本来ならそんな感嘆の声が飛び交っていたのかな、と、妄想するも、すぐさま払拭した。
 開催直前に気持ちをマイナスへ持っていってどうする自分。

・・・。

 12時。拍手とともに開場の時間を迎える。
 ブース越しに見える入場直後の様子は、目的の作品目指してダッシュする、といった姿もなく、少しずつ、ふわり、ふわりと来場者が溶け込むような姿に映った。

 スペース隅に控える我が番次郎書店ブースは、前回同様、呼び込みも声掛けも「なし」だ。

 とはいえ、前回の反省をきちんと踏まえ、今回はフリーペーパーやチラシを配るアイデアを実践した。
 声を控えめに、手持ちの「#ボドゲフリペ」や「駒の時間」のチラシなどを、通りすがりの参加者らに手渡しつつ、「よろしくお願いします」と小声で添えた。

 人通りは終始一定で、観察する限り、少ない時でも10人ほどの来場者が場内を散策された様子だった。
 その中には、人気ブロガーの双六小僧氏や、人気YouTuberの「わんサメチャンネル」のわんわん氏らも含まれていた。

 会場内は先のぶんぶんゲームズの方々をはじめ常に3,4人の運営スタッフが、防犯・防疫の観点で監視の目を光らせていた。
 マイクを通じた全体アナウンスで、マスクの着用など注意を促した点も大変ありがたかった。

 チラシ配布の効果もあり、少しずつ来場者の手にわたる僕の作品。
 ボードゲームのイベントで、ボードゲームでもクイズでもない、そんなイレギュラーな作品を受け入れてくださったことを、改めて主催の方に感謝したいと思う。

 時間とともに、僕のブースにも人が集まり始め、ボードゲームでもクイズでもない「作り方の本」を不思議そうに眺めながら、多くの来場者が動画クイズに挑戦してくれた。
 シート越し、ガード越しでも十分に楽しめる今回のアトラクションは、今後もさらに活用できる手段であることを実感できた。


 時刻は15時を回る。
 フェイスガードは時折汗で曇り、湿った布マスクは汗を吸ってぐっしょりと濡れたため、すぐに替えのものを装着した。
 ビニールの手袋を外すと、まるで長風呂に浸かったかのように両手が白くふやけていた。
 水分補給のためにと用意した経口補水液は、心なしかレモネードのように感じるほど喉の乾きを体が訴えていた。
 近くの自販機に走り、数本のジュースをがぶ飲みする。
 1時間が長い。
 もちろん販売できる時間は1分でも長い方が嬉しい。
 しかしながら、30度近い場内の気温は、僕の甘すぎる目論見をよそに、否応なく体力を蝕む。
 前回「盤祭Reー3rd」では雨天だったことも幸いし、室内の密度に比して室温はそれほど上がらなかった。
 完全に僕自身の見積もりの甘さが露呈してしまった。


 17時、ようやく閉会の拍手が鳴り響く。
 頒布できたことそのものより、なんとか閉館時間を迎えたことの安心感と嬉しさが胸に込み上げてきた。
 倒れ込むようにパイプ椅子へと座り込み、周囲に注意を払いつつフェイスガードを外すと、額からは玉粒のような汗が流れた。
 軽い脱水からか、体は疲労に苛まれ思うような動きが取れない。
 場内のパインサイダーを貪るかのように飲んでいると、手の空いた有志が会場の撤収を開始し始めた。

 

 粛々と撤収作業が行われる。
 ビニールが剥がされ、衝立が取り払われ、場内は文字通り「雲散霧消」を示すかのように元の佇まいを取り戻した。
 


 急な空腹を覚えた僕は、そそくさと会場を後にすると、「来場します」とツイートされた静岡のGameCafe BINGOのオーナーの元へと向かった。
 

 店内では常連客と思しきグループが、部屋の奥でワイワイとボードゲームに興じていた。
 店長としばし会話するも、疲労からか、お互いの暗い話題しか口に出ない。慌てて僕は「イベントは楽しかった」「ウイルス対策はバッチリだった」とプラスの話題を切り出した。
 奥のグループの一人がこちらに気づき、昨年第1回も僕のブースに立ち寄った旨、クイズを楽しみにされた旨を話してくれた。

 帰りの新幹線の時間が迫り、何度もお礼を述べつつBingoを後にする。
 事前に耳にした地元名物のおでんや桜海老が恋しくなったが、万が一のことを考え、泣く泣く駅売店の弁当を手にとった。

 


 帰りの新幹線に揺られながら、改めて今回のイベントを振り返った。

 
 本状況に関する数多くの意見がやり取りされる中、それでも開催に踏み切った運営各スタッフ。
 その気持ちを踏みにじらないよう、来場者、出展者、それぞれが工夫された、終わってみれば、そんなイベントだった。

 これからどうなるのだろう。
 しばらくは、こうした制約のあるイベント運営を余儀なくされるのだろうか。
 そうと思うと同時に、僕はほんの半年前に過ごしたはずの日常が遥か彼方へと遠ざかったように錯覚し、深くため息をついた。

 全参加者、そしてSNS越しに注目されたであろう非参加者、双方の不安が交錯する中、「感染者がいても感染しない、感染者であっても感染させない」を合言葉とし、開催に踏み切ったイベントスタッフ。
 その期待に応えたい、という僕の本心は、果たしてホンモノだったのか。
 僕は今一度「そうまでして物を売りたかったのか」を自分に問うた。
 その結論は、僕の中で終始を通じ揺らぐことはなかった。
 僕は物を売ることを通じ「相手の喜ぶ顔」が見たかったのだ。
 
 作品を紹介し、内容を伝え、相手が気に入った作品を手渡すことができたときの、相手の満面の笑顔、嬉しさ、それらはマスクやフェイスガードを装着しようとも、肌感覚で直に伝わるものだ。
 そんな相手からの「笑顔」を間近で感じるられたことが、殊更一人でこもりがちの作業が続く僕にとって、何事にも変え難い報酬だった。

 加えて、当日は同窓会にでも出席したかのような、出展者同士の他愛ないやり取りや近況報告、イベント来場者同士の会話、それらを通じ目にすることができた「相手の笑顔」が、僕にとって何よりの報酬に感じたのだ。

 褒められたら(調子に乗って)伸びる、そんな単純な僕の性格だからこそ、イベント当日に直接やり取りすることのできた「笑顔の報酬」を手にした瞬間、次へのモチベーションが飛躍的に伸びる。 
 僕が無理を承知した上でも出展に漕ぎ着けた本当の意味が、どうやらその辺りに眠っていることを自覚した。

 会話を控え、接触を最小限に、距離をきちんと保ち、最大限の予防に従事する。
 そうした制約の中、お互いが直接「笑顔」をやり取りし、自らの、ひいてはイベント全体の「次へ」と、新たな道を切り開く「糧」とすること。

 机上の計算やオンライン上では弾き出すことのできない、僕が真実ではなく「事実」を通じ学び得た今回の教訓だ。
 うん、やっぱりイベントって、面白いよ。



 23時を回りようやく家路へとたどり着くと、薄暗い部屋の明かりから、いつもの作業場が僕を出迎える。
 笑顔という名の報酬は十二分に頂戴した。
 次はこの報酬を糧とし、各種イベント等へとバトンをつなぐ番だ。
 それまでは、己の中の創作の火を、絶やすことなく灯し続けることにしたい。

 蛇足ながら、現実は「拡大再生産」のような、頑張りに応じた見返りが必ずある、とは言い切れない。
 けれども、すべてはそうだとは断言できないのではないか。
 その一つが笑顔ではないのかな、と、今更ながら振り返る。



・・・



追伸
 盤祭Re-3rdから早10日、静岡アナログゲーム祭りから3日が経過した現在まで体調は良く、cocoaによる感染も「接触なし」と現れていることを補足します。




2020年7月29日水曜日

拍手のないゴール 盤祭Reー3rd体験記

 当日は雨の予報だった。
 思い返せば、今年予定されるはずだったゲームマーケット2020大阪、一昨年の同2019大阪、神戸・三宮ボドゲフリマ9、等々、どうも僕の参加する関西のイベント≒雨という図式が立つらしい。

 コロナの影響で長い期間のブランクが開いたイベント参加だ。
 思い返せば今年3月、「ゲームマーケット2020大阪」の開催中止を受け、ボードゲームショップ&プレイスペースGuild様の計らいで開催された小規模の販売イベント、から数え、実に4ヶ月ぶりとなる。

 4ヶ月。
 体感として、実際の年月以上に頭の中の空白は長く、長く、それこそ延々とつづくトンネルの中をひたすら走り続け、ようやく見えた出口付近の光明のような。
 大袈裟ではなくそれが僕にとっての紛れもない本心だった。



 朝6時、僕はいつものキャリーバッグを抱え、新横浜駅の待合室へと向かった。
 早朝ということもあり人影はまばら、具体的には、緊急事態宣言が発令される直前の入り用だった。
 乗り込んだ新幹線のぞみ号16号車は、僕を含め5人ほどしか乗客がいない。販売員はいつもの調子でお弁当を売りに回り、いかめしい顔の警備員も車内を何度となく巡回していた。

 前日前夜からいつものように一睡もできなかった僕だったが、時折目に映る、あたかも洗車機の中を通るかのごとくしきりに窓を叩く豪雨を眺めているうちに、新幹線は2時間ほどで新大阪の駅ホームへと滑り込んだ。

 今更ではあるが、僕の住まいは神奈川県横浜市だ。
 厳重警戒を敷かれた東京都内・都心部からそれなりに距離は離れているものの、決して安堵できる範囲に滞在しているとは言い難い。
 こもりがちの生活では意識に乏しかったが、周囲は唯一関東からの参加となる僕を決して良い目で見てはくれないだろう。
 新大阪駅に到着するも「到着しました!」の報告ツイートすら憚られる。

 今回の僕の主たる目的は、イベントに参加し、目的の頒布物を、目的とされる方にお渡しすること。
 売り上げや販促等、効率だけを重視するならば、決して僕のようなリスクの高い選択を避けて通るだろう。
 翻って、いつもの「番次郎書店」らしさであり、いつもの「効率の悪い動きをする僕」の姿だ。


 少し早めに到着した僕は、開場となる時間を前に、自粛期間の中でお世話となった関西の一部店舗へご挨拶に回った。
 もちろん行く先々で「大阪コロナ追跡システム」のメール登録を済ませて。
 数軒のご挨拶周りを済ませ、12時45分、開催場所となる大阪府難波神社へと到着した。





 我が番次郎書店ブースは階段を上がり2階の広間となる。
 途中の小部屋では別の講習会が開かれており、扉は全て開放され、待合と思しき廊下のソファーには静粛を促す受付の方々が控えていた。
 そっと間を抜け、広間へと入る。
 企業が使う大会議室くらいのスペースにはすでにテーブルが配置され、換気のため、窓も10センチほど空いていた。
 うろ覚えではあるが、「10センチの開放」は「空調と換気の両立が行える寸法」ではなかっただろうか。(細部ソース失念)
 長机は奥に2つ並べられ、出展側と来場側が直接やり取りする際の距離が保たれていた。おそらくソーシャルディスタンスの基準となる2メートルに準拠しているのだろう。
 卓上に設置する作品はサンプルのみと定められ、お渡しする作品は直接唾液等の飛沫感染を予防するため後方のスペースに配置することなどが義務付けられた。
 こうした細かな配慮に、主催となるコロンアークのたなやんさんが「本コロナ下でのイベント」に向けて詳細に研究したと思しき一片を垣間見た。


 続々と集まる出展者。
 同じ2階のスペースには、先般オンライン上で開催された「ボドゲ大祭」でも話題をさらった新作「535」を手にする「かぶきけんいち」さんらGAME NOWA、今回初となる新作「Go To!!」を制作された北条投了さんが迎える芸無工房、新作「プラナリズム」他数作品を配置するごみ国際、新作「ソロル」他数作を準備するオフィスLopha、新作マーダーミステリーを展開する「なかよし紹介」、など、多くの有名ブースがいまや遅しと準備に奔走していた。
 会場の都合もあり、用意された準備の時間は30分。
 必要最小限の準備を済ませるうちに30分という時間は瞬く間に過ぎていった。


 私の右隣には、当日出展する予定だった宮野華也さん率いる「Mob+」のスペースが配置されていた。
 数日前、宮野さんが急な体調不良を訴え、参加を断念されたとのツイートが回ってきた。
 参加を惜しむ声、体調を気にされる声、そして直前にもかかわらず不参加を申し出た英断に感謝する、といった旨のリプライが続々と並んでいた。
 改めて今回のイベントが、作品の頒布を第一義としながらも、いかに安全に執り行うか、が重要な課題と改めて認識した。
 懸念事項、ひいては参加される方に与える不安はたとえ小さいものでもつぶして回り、極力出展者、来場者相互が安心・安全にやりとりできること、が、僕の中でも一つの課題だ。





 肝心の僕自身は、というと、
 これまでブースで行っていた「早押し機によるクイズ」は自粛することにした。
代わりに、iPad上で随時上映する「映像クイズ」を制作し、遠方からでも楽しめるよう配慮した。
 長時間の滞留を防ぐ為、試し読みできるスペースも設置を取りやめた。
 代わりに、内容が一眼でわかるよう拡大、実寸大のパネルを配置し、さらにはQRコードで中身を確認できる紹介ブログへと誘導できるよう処置を講じた。
 卓上には表紙を確認するためのサンプルと、先の映像クイズを常時映し出すiPadを設置し、
 実際の商品は2メートルほど離れた後方のキャリーケースに保管した。
 北越谷ZEST様謹製の布製マスクは通気性を重視し、長時間の装着に耐えられるよう替えを用意した他、マスク内にハッカ油のスプレーを吹き付けた。
 


 まだこれでも完全な処置とは言い切れない。
 イベントが終わった後であれもこれもと反省が生まれる。念には念を入れよ、とはまさにこのことだ。


 13時30分に迎えた開場の時間。
 一階の状況はわからないけれど、時計の針を眺めつつ、グラデーションのようにスーッと始まった。
 ポツポツと足を踏み入れる来場者。いつもの「ラッシャーセー!」の声は出せない。





 今回もヤブウチリョウコ様が作成されたフリーペーパー「#ボドゲフリペvol.2」を卓上に配置し、「こちらは無料ですので是非どうぞ!」と、2階スペースに立ち寄った方にお配りした。
 具体的な数は記さないけれど、用意した分は1時間ほどで配り終えることができた。

 直前に整理券による入場制限があったことも幸いし、一度に多くの入場、2階に関してだけ述べると、長蛇の列を形成するといった大混雑は(僕の確認する限り)見られなかった。
 「安全」という観点で軸を正すと、空調も適度に効き、いわゆる政府が推奨する来場者・出展者相互の「3密(密集・密閉・密接)」は自然と保たれていた。

 14時15分、客足はここでしばしの小休止を迎えた。
 時間を見計らい、お目当ての買い物を兼ねて1階の様子を伺う。
 1階は2階の倍近い来場者であふれていた。
「ゲームストア・バネスト」「コロンアーク」といった目玉ブースに加え、事前に告知された新作の前評判も高かった「あやめ知らず」「サザンクロスゲームズ」ら有名サークルも軒を連ねていたことも一つの要因だろう。
 もっと自分が「2階にもブースがあります!」とアピールするべきだったと後悔する。
  
 16時を皮切りとし、ポツポツと撤収を開始する2階の出展者。
 僕もそろそろ…と構えていたところ、ある一人の来場者が僕のブースに立ち寄ってくれた。
「前回のボド×クロ(ボードゲームのクロスワード、既刊)が面白かったので、今回も楽しみにしてました」
 笑顔でそう話すとともに、ポスター記載の開催時間が「〜16時30分」とあったので、16時頃にお邪魔した旨を告げてくれた。
 そうだ、前回ゲームマーケット秋も当ブースで最後に立ち寄った方は閉会2分前の16時58分にいらっしゃったではないか。
 今回、僕の主たる目的は「お渡ししたい方にお届けできること」だった。最後の一ブースになろうとも諦めず、最後まで任務をまっとうすることだった。
 無事にお渡しできて、本当に良かった…。
 


 結局、僕が撤収へ取りかかったのは16時20分過ぎ。2階ブースの中で最も遅い時間だ。
 撤収を終えたとき、2階のスペースには、荷物を抱えた僕とテーブルだけが取り残されていた。
 一人になった途端、急に広さを感じる2階スペース。
 終了のアナウンスも、全員の拍手もない、寂しさだけがポツンと残されたイベントスペース。ほぅと一息つくと、僕の体は急に空腹を訴えた。
 自販機でコーヒーを買い、カフェインで疲労をごまかす。

 僕の顔からは自然と笑顔が生まれた。
 これまでのイベントとは勝手が異なる、充実感に溢れた笑顔だ。
 もちろん体は疲労困憊だったが、これまでのような「体に無理を利かせた」疲労とは一線を画していた。

 その要因として、まず「大声を張り上げなかった」ことだ。
 いつものような大声による呼び声を控え、相手との会話はマスク越しによる簡単な作品・クイズの紹介程度に留めた。
 学生時代に応援団員だった「昔取ったきねづか」を持ち合わせても、声を出すことにこれほど大きく体力が消耗されることを、改めて気づかされた。

 体力面だけではなく、精神面も「倒れるような疲労」を一切感じなかった。
 何より「直接相手と交流する楽しさ」を改めて実感する、そんなイベントだった。

 「いかとりにょりとおけいのいかがわしいラジオ」にて、コロンアークのブースで物販を担当されたパーソナリティのいかさんがこう話した。

「人が集まって、人と交流できる、人と話せるってのはこんなに大事なことないな。」

(引用:いかとりにょりとおけいのいかがわしいラジオ 第145回「富と冒険!要素もりもりマラカイボの紹介」 http://ikagawasiiradio.sblo.jp/article/187747072.html

 実際のところ、長時間マスクをつけての運営はかなりの苦痛を要した。
 呼吸がしづらいだけではなく、マスク内の蒸れやゴム紐の締め付けなど、長時間の装着は本当に苦痛だった。
 6月に参加した蔦屋書店茂原店主催のイベント「ボドゲでボドゲーン」でも、僕は強く学んだはずだった。

 それでも相手と会話・交流をするうちに、自然と僕の中では、マスク越しに笑顔が生まれた。
 「手に取って欲しい」「買って欲しい」
 そんな気持ちを一旦棚に上げ、作品を見て欲しい、知って欲しい、まるで生まれた我が子を周囲に自慢する親馬鹿のように、会う方会う方の元へ作品を持って回った。
「イベントは、出展する側が楽しい」
 心の底から僕はその気持ちを確信した。


 僕自身の結果を少しだけ話す。
 頒布できた先は、前回ゲームマーケット秋と同程度の割合だった。

・事前に作品のことを承知し、新刊を購入に上がってくれた方
・「番次郎書店」の名前は頭にあったものの、新刊の情報を立ち寄った際に知った方
・ブース名も何もわからないけれど、サンプル等をご覧になり購入に踏み切った方

 それらがほぼ1:1:1の割合だ。厳密には、0.5:1.25:1、くらいだろうか。

 イベントがあることを事前に承知し、目当ての作品を購入した後で、併せて目に留まったものを購入するスタイルは、ピンポイントに欲しいものを購入するオンラインショップでは滅多に体験できない、これこそイベントならではの楽しみ方だ。



 時刻は16時50分。
 外を出ると、雨は小康状態で、小雨独特の生温い風が僕の体を包んだ。
 辺りはとうに日が落ち、薄暗い周囲は、まばゆいほどのイルミネーションが灯っていた。
 飲みかけのポカリを一気に飲み干すと、僕はお誘いを受けた食事会をやんわりと断り、次なる目的へと向かうべく駅構内へと向かった。


・・・。

 当番次郎書店ブースは、ボードゲームそのものも、あると便利なサプライ品も、そのどちらも頒布してはいない。ボードゲームに関する本を頒布する個人サークルだ。
 自虐的に言うと、特段必要とされないモノを頒布しているとも言える。
 そんな末端に位置する個人サークルが、いち出展者として暖かく迎えられたこと、そして遠方であるにもかかわらず、快く出展を受け入れてくださったことに、心から感謝したい。

 何より、反対や批判の声が高まっただろう状況の下、改めてたなやんさんが開催直前に発したツイートを振り返る。

「コロナ後、初めてのイベントとなります。色々なことが予想されます・予想されないこともあるかもしれません。
ただ、少しずつ進む一歩目となります。」


 参加されたすべての皆様がイベント参加を楽しんでいただけるよう、万全の体制を敷き、開催へと舵を切ってくださった主催のたなやんさんをはじめ、来場者、出展者、等々イベントに携わったすべての方々に感謝するとともに、何よりも僕自身がこれからのブース運営の在り方、販促の方法等について更に自学研鑽しなければならないと強く実感した。


 後日、主催のたなやんさんが盤祭Reー3rdに至るまでの様子をnoteにまとめられた。

(引用元:盤祭 Re-3rd運営記録(コロナ禍での初ボドゲイベント https://note.com/colonarc/n/nb49ca0521a43


 その中の一文を引用する。


 これまでの倍程度はメンタルが削られますね。ほんと。
 あれやこれや気にしないといけない。人が来るかどうか、これまで以上に厳しくなっているため、そのため落ち着かない。
(中略)
 こうした、これまでになかった大きなリスクを背負いながらのイベント開催となるため、疲れ方がかなり大きくなります。具体的に私の場合は2日ほどなかなか体が動きませんでした。もちろん、まだクラスターが発生したかどうかは分からない期間でもあったりするわけですが。


 開催の判断は胃を切り詰めるような判断だったかと察する。俗な言い方をすると、終始「矢面に立つ」側に回らなければならない立場にあったはずだ。
 決して万全の状態とは呼べない状況ながら「それでも開催する」の言葉や願いを、「実行」という形で為し得る難しさ、その中で、自ら発見することのできるかけがえのない「楽しさ」。
 イベントに出展する視点、企画・運営する視点は外部から決して覗き見ることのできない、苦しさ、楽しさをも混濁した感覚ではなかっただろうか。
 晴れて出展側となった僕自身も、今回実際にイベントを通じて学んだ経験の大きさが、事前に対する不安や心配よりも遥かに上回った。
 そして本番、制限のある中で開催された実際の動きを通じ、苦しさだけではなく「楽しさ」をも発掘することができた。

 具体的には「新たな面白さ」の視点だ。
 今回、直接の試遊も憚れる中、「流れる映像を見るだけで楽しめるクイズ」を制作・運営し、何らかの反応を手にできたことは、僕にとって何よりの収穫だった。
 言葉を発することなく、直接手に触れて説明することなく、そんな制約ばかりの中でも「できる方法」「発信する方法」etc…、言うなれば、「苦しさ」の表面上を掘削し続け、自らの奥底に眠っている「面白さ」の欠片を、実際に運営を通じた中で発見することができた。それが僕に取って何よりの収穫だった。

 「○○ができない」「▲▲は無理」
 そんなマイナスの面ばかりを妄想する内には決して見ることのできなかった「新たな楽しみ方」の視点は、これから先、たとえ本状況が明るくなろうとも僕の中でかけがえのない体験となったのではないか。
「楽しさは自らの内に秘められている」
 自己啓発か何かの本で目にしたそんな言葉を胸に、僕は次へと向かう電車の中で、ぼんやりと「楽しさって自らの内に眠っているんだな」と妄想した。


 ぼんやりとした頭の中、僕の中では「イベント終了後に全員で打ち鳴らす拍手がなかったこと」が心のトゲとして小さく引っ掛かっていた。
 晴れて終了のゴールを迎えようとも、大手を振って拍手喝采を浴びることのない、決して全員からは称賛の声が上がらない、そんなイベント…。

 ……違う。

 本イベントが何の問題もなく終えることができたとき、初めて拍手を鳴らすことのできるイベントではないか。
 僕は勝手にそう解釈することにした。

 国立保健医療科学院HPを引用する。
「世界保健機関(WHO)のQ&Aによれば、現時点の潜伏期間は1-12.5日(多くは5-6日)とされており、また、他のコロナウイルスの情報などから、感染者は14日間の健康状態の観察が推奨されています。」
と記載がある。

(引用、リンク先:国立保健医療科学院HP、問5「潜伏期間はどれくらいありますか?」)

 帰宅後、僕に課せられたもうひとつの使命は「健康に過ごすこと」だ。
 次に控えたイベントに向けて、これからしばらくは入念すぎるほど体調に万全の注意を払い、何かしら体調の異変を感じたならば、直前であろうとも即座に出展を取りやめること、それらを誰よりも強く意識して行動することだ。

 出展・主催・そして来場者、イベントに参加されるすべての方が安全・安心に、それらを踏襲した上で、楽しく、面白く、誰もが笑顔を育む有意義なイベントとなるよう、僕はこれからの二週間、これまで以上に身体をいたわることにした。

 何事もなく二週間が経過したときが、本イベント真のゴールを迎えることとなる。
 無事にゴールを迎えることができたとき、僕は今一度、あのとき鳴らすことのできなかった「イベント終了の拍手」を、心の中で高らかに打ち鳴らすことを誓う。




2020年6月21日日曜日

神様のゲーム オンラインイベントに向けての僕の考え


 来週27日(土)、28日(日)は「ゲームマーケットライブ」と称された、オンラインを通じたボードゲームのイベントが開催される。
 各ブースは動画配信やライブ配信を通じたイベントを持ち込みで企画し、また主催となるブースでは各イベントも開催されるとのこと。来場者は好きなブースをまわり、動画配信やライブイベントに参加するなどを体験することができる。
 これまで有志の間で開催されたオンラインイベントの延長線上にあるものと、僕は勝手に認識している。
 
 情勢としては、先日首相が「経済活動レベルの引き上げ」を発表、県をまたいでの移動自粛が解除された。
 街の活気も、満員電車や商店街の賑わいなど、緩やかな上がり方を見せた。
 とはいえ、特効薬やワクチンなど、いまだ安心できる中とは断言できない昨今。今後はオンライン上でのこうした取り組みも活況を見せるのだろう。

 御多分にもれず、当「番次郎書店」も、オンライン上で立ち寄った方が楽しめるよう早速動画を作成し、当日、立ち寄った方と楽しめるよう当日配信用のクイズまで用意した。

 先日、ある方から
「リアルでできないから仕方なくオンラインで……じゃなくて、オンラインだからこそできる遊び方を開発したいですよね」
 そんな言葉を受け、ハッと我を振り返った。

 ボードゲームの楽しさはやはり対面同士のやり取りだ。
 単にゲームに興じるだけではなく、会話を五感で体感し、相手とのノンバーバルな面を含めたやり取り、カードを、チップを、実際に手に取り、触感として味わうことのできる重厚なひと時…。
 個々人が開催するクローズ会の場や、再開されたボードゲームカフェ・プレイスペースの場を通じ、改めて「直接のやり取りを通じたアナログゲームの楽しさ」を再確認された方も多かったのではないか。
 それらを踏まえた上での「オンラインイベント」は、(大変失礼を承知で)日常の食卓に非常食を提供するような味気なさすら感じるかもしれない。

 でも、不思議と僕に落胆する気持ちは生まれず、むしろ「近未来的だ!」と好意的に捉える側の方に立った。
 何ができる?ツイキャスライブ?YouTube LIVE?動画配信ならば、立ち寄った方と一緒に遊べる、楽しめる、そんな企画が用意できないかな、etc…。

 メンタルヘルス関連の書籍に登場する例え話で「コップの水を半分だけ飲み、残ったグラスを見て「もう半分しかない」「まだ半分あるか」のどちらを考えるか」とある。
 物事を悲観的に見るか、楽観的に見るか、の例だったかと思う。
 
 制限された状況の中、思うような行動ができず、もどかしい、苦しい…今回の自粛期間を通じ、誰しもが経験した「ツラい気持ち」だ。
 そんな中、僕は心の中で「ゲームだ!」と開き直ることにした。
 「これはゲームだ。自分は神様が与えたこのゲームを、最大限楽しみ、クリアに導かなければならない」
 そんな妄想を全開にし、あらゆる出来事を「これはゲーム!」と置き換えることにした。
 ゲームだから、楽しまなければ自分が一番損をする。
 ゲームだから、ルールには絶対で、ルールに抗うことなく行動しなければならない。
 ゲームだから、どこかに楽しむ要素があるはずだ。
 ゲームだから、どこかにクリアのカギとなるアイテムが存在するはず。
etc、etc…。

 ウイルスの脅威が抑えられる近未来は、「これまでの日常に帰る」ではなく、「ウイルス対策を万全に、という前提の中での新たな未来」のはずだ。
 だから考えの軸を「過去」に置いては足元から崩壊してしまう。
 立脚点を「今」に置き、今できること、できないことをしっかり見定め、できることを少しずつこなしながら、未来の自分へと軸を移そう…。

 僕は「今、何がないか」よりも「今、何があるか」を考えられるような、自粛期間が開けたこれからも、そんな視点で物事を見ていくつもりだ。
 
 番次郎書店ではオンラインの場でも、変わることなく、クイズに4コマに、皆さんが「いかに楽しめるか」を追求できるブースでありたいと願う。


 「白鯨」などの作品を手がけた作家ハーマン・メルヴィルの言葉を紹介し、今回の締めの言葉とする。
「不遇はナイフのようなものだ。
 刃をつかめば手を切るが
 取っ手をつかめば役に立つ」

2020年6月13日土曜日

クイズのドリルは作りません! 次回秋のイベントに向けて

東京都の休業要請もステップ3へと緩和され、少しずつ回復の兆しも見えてきたのかな、と感じる昨今。
国内のボードゲームイベントも、部分的にではあるけれど8月静岡アナログゲーム祭りの開催が告知されるなど、明るい方向へと向かうことを思わせる便りも届く。
先日は11月14・15日のゲームマーケット2020秋も告知され、これから当番次郎書店ブースも、目前に迫ったイベントに向け全力を傾注することとなる。

ゲームマーケット秋の新刊に関して、当サークルの新刊は未だ構想中で、「まずはクイズの本を作る」と漠然とした目標だけを掲げつつ、色々な案を考えている。

ただ、ひとつ、「残念ながらご期待に添えません」とし、見送った案がある。

それは「ボードゲーム等のクイズだけを綴った小冊子」言うなれば、参考書の一問一答集にあるような、ドリル形式で問題が淡々と綴られた本だ。

このテーマは当サークルを運営する中で最も需要の声があり、現在も少なからず期待が寄せられている。
それでも自分の心の中では「確率は0ではないけれど、優先順位はかなり下の方」だ。依頼されたならば少しだけ作るかな、に留まっている。
                      (こうした形のクイズ本は作らないかも、の見本)

この案、実は昨年大阪のイベント出展の際から頭にはあった。

昨年ゲームマーケット2019大阪では「ボードゲームのなぞなぞブック」と題し、ボードゲームにまつわる各種のなぞなぞ、謎解きを掲載した本を頒布した。
それはこれまで「クイズ小冊子」ばかりを制作・頒布し、周囲も「次回もまたクイズの本かな?」と視線を向ける中での頒布だった。いわば自分にとって大きな挑戦となるものだった。
結果、さほど大きな売れ行きこそなかったものの、何か手応えをつかんだ自分は、それから続くゲームマーケット2019春で4コマの新刊、なぞなぞ本の2巻、これまで発表したクイズ本のまとめ+αを刊行、さらにその年のゲームマーケット2019秋には「PLAYBAQ2019」と題しクイズで振り返る2019年史を、翌ゲームマーケット2020大阪(未開催)では「クロスワード本」さらにはゲームマーケット2020春(こちらも未開催)に向け「エッセイ集」などの作品を作成するに至った。

クイズ単体を並べた本の制作は、昨年春を最後にきっぱりと決別することにしたのだ。

その理由はいくつかあるが、大きくは2つだ。

一つは、あくまで自分の観測する範囲ではあるけれど「ボードゲームの知識を通じたクイズの面白さ」がある程度広まったことが確認できたからだ。

ボードゲームのクイズ本を独自で作成された方、YouTubeやTwitter等SNSを通じオリジナルのクイズを配信された方、先日は有名クイズサークル「Quiz Knock」が「10問でマスター ボードゲームQ」と題したボードゲームにまつわるクイズを公開し(リンク先>https://quizknock.com/10mas-boardgame)、ボードゲーム界隈の著名人も多数挑戦するなど盛り上がりを見せた。

他に、観測できる範囲だけを取り上げても、全国各地のボードゲームカフェ・プレイスペースにて「ボードゲームのジャンルに特化したクイズイベント」の開催を見かけるようになった。

「ならば尚更需要があるのでは?」と意見も頂戴したが、仮に「私が新作クイズ小冊子を頒布します!」と声をあげてしまうと、先に登場した「他の製作者の方」が手を止めてしまうかもしれない。
 クイズは問題ありき、問題を作成される方ありきの世界。せっかく芽生えた「クイズ製作の芽」を、僕が意図せず摘んでしまうことは願ってはいない。
(とはいえ、これまで肩書きで得したことなど何もありませんが…)

もう一つが「挑戦したい気持ち」だ。

自己啓発本を読むと「自分にしかできないことをさらに尖らせ洗練させることが個性につながる」といった文言を見かける。
けれど、僕の考えは少し異なる。
自分が今できることをさらに追求する行為そのものよりも、今は「自分のできないことにどんどん挑戦し、可動域をより広げる行為」の方に興味が惹かれている。

4コマの執筆も稚拙ながら1年以上を迎えるも、未だ人気神絵師や売れっ子イラストレーターなんて世界からは程遠い。
それでも、簡単なポンチ絵程度ならばひょいっと描けるようになった。
クイズだけではなく「謎解き」「なぞなぞ」などを勉強・試行錯誤するうちに、知識一辺倒のクイズだけではなく、右脳や論理等を駆使したクイズも数問作れるようになり、ひいては、クイズそのものを苦手とされる方に向けてのアピールも多少なりともできるようになった。
次回8月の新刊は「クイズレシピ」と称し、あらゆる場面で活用できる各種クイズの「作り方を紹介する本」を頒布予定だ。

インタビュー等含めた雑談で、時折「次の作品はありますか?」と問われるたびに、僕は「自分の今できることではなく、自分ができないことに挑戦したいです」と答えている。
それは紛れもなく本心で、できないことがあるとつい手を出したくなる、ダメなら後回し、手応えがあればさらに挑戦、と、これはもう自分の意固地な性格を表しているのかもしれない。

補足すると、あくまで「小冊子」という形でのクイズ本は、よほどのことがない限り製作しない、という話だ。
僕は今もイベントがあるたびに、求められてもいないクイズを数問用意したり、動画を含めたヴィジュアルクイズ、音声クイズなど今も懲りずに制作・探究を続けている。何かのきっかけがあれば出題する気満々だ。目標は「3分間ひたすらクイズを読み上げるタイムレース」だ。

だからこそ「できること」ではなく「やってみたいこと」に焦点を絞り、次回イベントに向けてまた新しい本の作成に着手したいと思う。

さて、5ヶ月後に迫った秋に向けて、何を作りましょうか。



2020年6月7日日曜日

踏み出す一歩と「失敗」 僕が叱責を避ける理由

少々暗い話から綴ることを了承願いたい。

 僕の人生はこれまで本当に「怒られてばかり」だった。
 親に、先生に、クラスメートに、上司に、部下に、と、範囲は多岐に及ぶ。試験問題を間違えては、書類をミスしては、道順を間違えては、etc…失敗し反省する以上に「相手から」キツく叱責された。何かを行動するに従い、必ずと言っていいほど周りから「迷惑をかけた」とガミガミ怒られる、その繰り返しだった。
 いつからか僕は、怒られる最中に「どうして僕は怒られているのか」「失敗し悲しいのは、怒っている「そちら側」ではなく「僕自身」だというのに」ばかりを考えるようになった。

 失敗することは確かに周囲への迷惑を伴う。
 周囲への未配慮は広範囲に及び、時として、次への足掛かりを大きく削られるほどのダメージに膨らむ場合もある。
 周りへの配慮が足りず、自分以外の「誰か」も気分を害されることがあるだろう。

 それでも僕は「自分以上に相手を叱責する側の気持ち」に寄り添うことがどうしてもできなかった。
 良きにせよ悪きにせよ、行動した結果、その身で学んだ何かしらの結果が生まれたのであれば、それで十分ではないか。

 叱責といえば、昨年くらいから、僕が一人で好きに振る舞う「番次郎書店」の運営方針を変えることにした。
 そのモットーは「打席に立てる幸せ」だ。
 ボードゲームに触れた当初の気持ちを、出展側に立つなんて想像すらできなかった時の、あの「ブースの向こうの相手が神様に見えた」あの時の感動を忘れないようにしよう、そう心に誓った。
 それと同時に「同じことを惰性で繰り返す」行為は極力取り払うことにした。
 もっと具体的には
「出展する際は、必ず何かしらの新刊・グッズを用意しよう」
「最新刊が常に最高傑作となれるよう、全身全霊をかけて創作に取り組もう」
 そんな「挑戦心」溢れる気持ちで各種イベントへと参加し、本を用意し、チラシを作り、暑い日には冷たいおしぼりなどを配って回った。
 成果はどうあれ、結果、こうして現在まで諸活動を続けることができた。

 できなかったこと、至らなかったことなど、イベントの時々で反省するべき材料はたくさん産まれる。助言も、時に厳しい意見をも、いただくことも多かった。
 けれど、何より今の制作環境は「失敗を直接叱責する相手が存在しない」、それだけで本当に幸せに感じるのだ。

 どうして僕がこうまで「叱責」を避けるのか。
 それは叱責の目的が「相手の気持ちを沈ませる」ことにも派生するからだ。

 「反省を促す」と大義名分を打ち立て、これがダメあれはこうしろなど「相手のことを思う」があまりの各種アドバイスが、次第に「自分の主義主張を相手に通したい」ややもすれば「相手の反省する絵姿を確認したい(=気持ちを沈ませる)」ことへとすり替わる場面がまれに生じうるからだ。
 そうなると、せっかくのアドバイスも「言霊を用いての操作」へとすり替わる。
 作家の京極夏彦先生も著書「地獄の楽しみ方 17歳の特別教室」の中で「言霊は、心以外には効きませんが、心にだけは効くんですよ」と語っている。

 
 挫かれ、沈んだままの精神では本当に何も生まれない。
 落ち込んだ気持ちの相手に必要な助言は、的を射たアドバイスではなく「まずは浮上できるまでの休息」だ。
 執拗に(時に自分から)ダメージを受けた結果、そこでバタリと倒れてしまったままでは、次に向けて反省、挑戦する行為そのものを躊躇することに繋がってしまう。

 挑戦、すなわち「次の一歩を踏み出す」ことで、そこから新たな「選択」が生まれる。
 このまま進むも、別の道を探求するも、まずは「挑戦」の種を育むことに傾注しなければならない。

 何がとはいえないけれど、今週、僕は叱責されてもしょうがないほど無茶な行為をしでかした。
 それでも周囲は笑って受け答えし、僕も笑顔を作りながら「次はこうしよう」「次はもっとこうしたい」と前向きな気持ちで反省することができた。
 叱責され、萎縮しなかった、それだけでこうも軽く自分の気持ちや反省を受け入れられることに心底幸せを感じながら、僕はまた小冊子の執筆作業へと向かうことにした。
 
 まとまりのない気持ちを解きほぐすことは難しいけれど、この失敗から生まれた新たな息吹が、次にお会いできた時、また一周り大きく成長できた姿として認められますよう、これからも小さな当ブースを温かく見守っていただけたら嬉しいです。

2020年5月30日土曜日

実感なき成長 自粛期間制作日誌その10



「止まない雨はない」、なんてありきたりな言葉にもあるように、一時期は緊急事態宣言も発令されるにも及んだ本状況も、本当に、ほんの僅かながら、回復の兆しが見え始めてきた、そう思わせるここ1週間だった。

 ボードゲーム製作者の方同士のやり取りも、オンラインを通じたテストプレイ会の話題や、創作作品の頒布先情報や新作の進捗といったやり取りがツイート上を賑わせるなど、制作側の気持ちも上向きになったのかな、僕はそんな気配を感じ取った。

 一方で僕は、というと、相も変わらず次回イベントに向けて小冊子の原稿と格闘する日々が続いている。
 本「自粛期間制作日誌」も10回を迎えるというのに、生活のスタイルは、1週目どころか数年前に遡っても、なんら大きく変わることはない。
 
 小冊子制作もいよいよ佳境を迎え、パズル本、4コマ本、ともにほぼ全ての内容がひと通り出揃った。残すはレイアウトやデザインの細部修正といったデコレーション部分の作業に着手する。進捗は概算で60%、だろうか。

 目の前に控えたイベントが「開催される」前提で動く、というと楽観主義と取られるかもしれない。けれど、僕の立場は至って変わらず、イベントがあろうとなかろうと、創作に対する熱意だけは喪失させないように、日々自分のできることを模索しながら少しずつでも前へと進む、それだけだ。

 今回ウイルスの件に限った話ではないが、出口が見え始めた頃に決まって飛び交う言葉がある。

「自分はこの間、何をしたのか」

 夏休みが終わる1週間ほど前、テストが始まる3日ぐらい前、卒業式を迎える直前、etc…。 
 先々回のPodcast「万屋楽団のそれなりな日々」でも、MCのサンジョウバさんからもこんな言葉が飛び出した。
(万屋楽団のそれなりな日々 第88回 スプフォンショッキングVol.3 「りにょりさん」の巻 https://yorozuyagakudan.com/2020/05/08/podcast088/


「(配信日は5月8日)少なくとも5月末まではお店開けれないだろうなっていう算段があったのよ。じゃ2ヶ月間あると。じゃ「あれもできるこれもできる、もうこの時間を有意義に過ごすしかない」と思ってたわけですよ。で、1ヶ月経ちましたよ。何やりましたか?って話でね…(中略)なんもしてないのよ。なんもっていうと語弊があるけど、やろうと思っていたことの10分の1もやってないわけですよ。(後略)」

 あ、イタタタ…。


 僕のここ最近約2ヶ月間を改めて振り返ると、朝はボードゲームクイズ動画の作成、昼はその延長で明日の動画のアイデア出しや読書、夜は4コマ執筆、の繰り返し。動画作成を終えた今はそのまま小冊子制作へと作業がスライドしたに過ぎない。
 「何もしていない!」と焦る気持ちが100とはいかないまでも、この期間のためにと買った本は多くが積読のまま、欲しいボードゲームも残さず入手できたわけでも、購入したとしても少しルールブックを読んだだけ、など、言ってしまえば「やりたかったことを全てやりきった。この期間中で自分は大きく成長できた。充実した!」と大手を振って宣言できるだけの実感は、恥ずかしながら「無い」。

 そんな中、ひとつだけ気がついたことがある。
 環境を日常へと昇華させる大切さだ。

 前々回の当ブログで「環境」に関する記事を綴った。

(「番次郎の盤上万歳‼︎ 「環境は自らの意思で 自粛制作日誌その7(2020年5月7日)」http://hibikre.blogspot.com/2020/05/blog-post.html

 あくまで僕の経験則だが、ツラい状況を「環境」と身体が割り切ってしまうと、どんな場所であろうと(無自覚のまま)適応しようともがき始める。激務のため連日床で眠る職場だろうが、暴力当たり前の職場だろうが、2、3日もすると体が日常の異変に気づき、現在の異常な環境こそ「現在の日常」だと錯覚するからか、徐々に順応を始める。
 派生する箇所はいくつかあるが、例えば、身体が異常を発する何らかのサインに自分では気が付きにくいことにもつながるのだろうか。

 先々週に一旦ピリオドを打った「ボードゲーム動画クイズ制作」も、制作する間は、アイデアの出ないツラさを上回る「制作がなくなったとき、今後自分は何を続けたら良いのだろう」といった不安ばかりが先立った。
 小冊子制作に本腰を据えようと決めた翌朝は、まるで鉛のリストバンドを外したかのように、身体が宙に浮くほどの軽さを味わった。
「この何十何百キロ単位に及ぶ重圧を、自覚することなく(ややもすれば自覚することを自ずから避けていたのかもしれない)身にまとっていたのか」
と。
 今思い返しても、あの頃以上の情熱を注ぎ制作を持続できる自信は、当の自分自身にすら無い。


 苦しい状況は、いわば身体に重圧というリュックサックを担いで山道を登る状態だ。
 それを見ている周りは「なんて大変な思いをしているのか」と取られるかもしれない。
 リュックを担ぐ僕からすると、自分の想定した重さに比べたら「なんとかなるかな」程度にしか考えておらず、ツラいツラいと泣き言を吐きつつ、制限された行動の中に「自分でできること」を見つけられたときは、浮き立つ気持ちで満ちあふれた。

 もちろん今の苦しい状態を甘受するわけではない。先に触れたように、身体の発する異常サインは自分では気が付きにくいものだ。
 しかし、重さやツラさを抜けたその先には、自分の身に何かの形で筋肉がついてはいないだろうか。

 それは「レイアウトが上達した」「イラストが多少上手くなった」といった「自分でもなんとなく予測のできる部分」に留まらず、自分では気がつかなった影で支える部分の筋肉、精神面、生活スタイル、等々、言うなれば「自分の目が行き届かない部分」にこそ、本当の成長が見られるのではないか、これまでの拙い人生の中、そんな確信だけが僕の根底に潜んでいるようだ。

 草木の成長も、親戚の子供も、成長を見届ける側とは、四六時中成り行きを観察する側というより、むしろ「途切れ途切れに成長を窺う」側の人間だ。
 いつも目をかけているからこそ、ミリ単位の成長に目が届かない。一旦目を離すことで改めて成長を目にできるという、あくまで経験則だけれど、僕はそんな確信を持っている。

菜根譚 前集162項を引用したい

善を為すも其の益を見ざるは、草裡の東瓜の如し。
自ずから応に暗に長ずべし。
悪を為すも其の損を見ざるは、庭前の春雪の如し。
当に必ず潜かに消ゆべし。


善行をしても、その善い報果が目に見えないのは、たとえば草むらの中の瓜のようなものである。
それは人には見えないけれど、自然に生長して行く。
(これに対して)悪事を重ねてもその悪い結果が分からないのは、たとえば庭先に積もった春の雪のようなものである。
それは知らないうちにいつの間にか消えるように、必ずその身を亡ぼしてしまう結果になる。


 5月が終わりを迎え、徐々に開店を再開するカフェ・プレイスペース等のお知らせも目立つようになった。
 久方ぶりにご挨拶に伺った際、相手から
「だいぶ成長しましたね」
 という言葉をかけてもらえるよう、心も体も成熟しきった齢42歳の僕ではあるけれど、もうしばらくの間だけ頑張ろう、と、改めて誓うことにした。

 行き過ぎた無理・無茶だけには充分注意を払いながら、これからも少しずつ、少しずつ、前へ前へと向かいたいと願う。
「頑張りました!」と笑顔でお伝えできますように。



2020年5月22日金曜日

懸命に動ける幸せ 自粛期間制作日誌その9

 料理の話をしたい。

 僕の思う「料理のできる人」とは、高級な食材をふんだんに使用し、ゴージャスで美味しい食事を提供する人、とは一線を画する。
 冷蔵庫の中身や台所の調理器具を一目見るや「ありあわせのもので何か作るね」とサッと調理に取り掛かることのできる人の方だ。


 ある方を頭の中でイメージしながらペンを進める。
 僕の心から尊敬するボードゲームの製作者もその一人で、国内外数多くのボードゲームに精通された方、を抑えて、例えば手元に紙と鉛筆とトランプしかない場所の中、周りがアッと驚くほどの面白いゲームを皆に提供できる、そんな方だ。
 制作やプレイを通じる中で脳内に蓄えられた豊富な知見は、意図しない場所でポロッと発揮される、そんな一遍をも窺える。

 他にも、僕が実際にお会いすることのできた多くのゲームクリエイターは、100円ショップや商店街の軒先などで数多溢れる雑貨の類を目にするや否や「ゲームに使えるかも」と妄想したり、制作が一段落した直後やイベントなどで作品を販売される最中でも「面白いゲームを考えた!」とアイデアを巡らせる、そんな人ばかりだった。


 今回のコロナ禍の中、僕はオンラインの場を通じ様々な「動き」を目にした。
 「できない、どうしよう」
 そんな悲鳴にも取れる叫びが渦巻く最中、苦しい身のうちを省みず、常に周囲へと配慮を伺いながら、自分の中でできうることは何かを考え、少しでも立ち上がろう、前を見ようと懸命に行動を働かせる、そんな方々を大勢目にすることができた。
 具体的には、自身の作品をPnP(紙ペンゲーム形式)で無料配布された方、イベントの代用にとV-tuberなどを活用し広報や同卓の機会を設けてくださった方、Zoom等を活用したテストプレイ会やボードゲーム回を提供された方、自身の舞台やコンサートなどをネット配信された方、オンラインを通じたインタビューを中心に毎週のPodcastを展開された方、etc…。
 

 何もできない、どうすることもできない、
 そんな誰もが自己のストックを「0」と見なされたような今回の自粛期間の下、各々の個性に合わせるかたちで様々な媒体を産み出すことのできる、いわば「独自の+(プラス)エネルギー」を数多く目にする機会があった。同時に、そんなアグレッシヴな方々に何よりも僕自身が心を動かされた。
 クラウドファンディングにはわずかばかりの支援を添え、回数券等の販売は自分の無理しない範囲でのお金を落としていった。総額なんて数えるのも野暮というものだ。


 緊急事態宣言から快方へと向かう、そんな兆しがある昨今とはいえ、いまだ世間は予断を許さない状況だ。緊急事態解除後もしばらくは大幅に活動の制限を余儀なくされるだろう。
 そんな中、今や遅しと待ち構えているかのように、来月以降はボードゲーム界隈にも、更には制作側としての動きも更なる活発となるであろう動きが見られる。全国各地のボードゲームカフェ・プレイスペースが相次いで再オープンし、7月の北海道ボドゲ博2.0、8月の静岡アナログゲーム祭り、6月にはアークライトが主催するゲームマーケット関連のイベントもアナウンスされた。
 
 一方で僕は、というと、その日暮らしが板についたかのように、この先の状況など微塵も考えられるはずもはなく、いつもと変わらず小冊子の制作に明け暮れる毎日だ。
 目の前にガンと「自分のできること」を置き、その日の体調に左右されながら、少しずつ次のイベントに向けて作業を進めている。
 ありがたいことに日課の4コマは7巻目を目前に控え、次なる小冊子「ボードゲームクイズレシピ集」もカタツムリのような歩みで着々と進行している。
 前回もブログに記したように、明日は何が起こるか本当にわからない、未来など想像できる余地もない、だから「今」を懸命に生きる、そんなありきたりな言葉を並べながら、次へ、次へ、と懸命にもがいている。
 実情を話すと、資金(預貯金)は限りなく0に近い。7、8月のイベントで売り上げが伸びなかった場合、次回以降の出展を永久に見送ることも視野に入れるている、そんな現状だ。それでも今回のコロナの惨禍を真正面から受けた企業、店舗が抱えた苦しみとは比べるまでもないが。

 それでも僕は制作を続ける中、ある日を境に「土俵際へと追い詰めらながら、それでも前を向き、必死に歩くことのできる自分」の存在へと自然に前を向く目線の変わり映えを実感できた。
 何の肩書きも、何の取り柄すらも持ち合わせていない自分が、画面の向こうに存在するであろう「自分ではない『誰か』」に向け、ひたむきに努力をし、創作面も含めたエネルギーをオンライン越しに放出している、そんなナルシズムに似た心の動きを自覚するようになった。
 その瞬間からだろうか、僕はいつしか絶望に溺れる地点からの脱出を図ることができたように感じる。
 
 制作できる幸せ。もちろん自分に向けての満足が主体となる行為ではあるが、そんな僕の創作活動を、一人でも二人でも、喜んでくれる方がいる。
 自分の他の「誰か」に向け、僕はこれからも、自分のできることを、無理のない範囲で、少しずつではあるけれど頑張ろう、そう心に決めた。資金繰りは?まあ、結果としてついてくるものだろうか…。


 今回の自粛期間を経て学んだ「0の状態からも懸命に生きることのできる幸せ」とりわけ「冷蔵庫のありあわせで美味しい料理をつくることのできる料理人」を妄想しながら、今後も、そしてこれからも、自分のカラーで活動できますよう、頭のどこかに「今を頑張れ!」という言葉を刻んでおこうと願う。

2020年5月16日土曜日

悪手をつぶしながら 自粛期間創作日誌その8

 今年読んだ多くの著書(具体的には「二十一世紀の啓蒙上・下(スティーブン・ピンカー著)」など数冊)の中で作者が特に言及していたことは共通して「未来はわからない」だ。

 確かにほんの半年前まで、今回のウイルスが世界規模もの厄災をもたらすこと、我が国で蘇が流行し、ホットケーキミクスやマスクが常時品切れになることなど、経済学者や占い師も含め誰が予想できただろうか。

 未来はわからないし、目の前の出来事なんて知る由もない。
 そんなとき、僕は「事実」を大事にしている。
「事実」は「真実」と違う。
 自分の意見に根差す「事実」に対し、「真実」には「相手から見て自分は正しいと思った、などの意見」といったニュアンスが混じってしまう。
「本来はこうだ」「今までがこうだった」と「真実」ばかりを並べる人と僕の意見が衝突してしまうのは、本来自分の考えと地続きとなるはずの「事実」がなおざりにされているように感じるからだ。
「良い学校に入るため勉強しなさい!」、「病気で倒れないよう体を鍛えなさい!」と注意されても、自分の身に危機が迫る状況にならないと動けない性格にも繋がるのかな、あ、いたたた…。
 

徒然草第百十段の言葉を引用する。

 双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。(後略)

(現代語訳)
 双六の名人と呼ばれている人に、その必勝法を聞いてみたところ、「勝ちたいと思って打ってはいけない。負けてはならぬと思って打つのだ。どんな打ち方をすれば、たちまち負けてしまうかを予測し、その手は打たずに、たとえ一手でも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」と答えた。


 プロ棋士に限らずボードゲームを得意とする人が「常に先を読む力」を大事にする中、先ではなく「明らかな悪手を一つひとつつぶしながら、その中で自分が考えた負ける確率の最も低い手(=最善手)を打つ」に目先を置いていることが興味深い。 
 余談ではあるが、吉田兼好もこの後に「身を治め国を保たん道もまたしかりなり(研究者も政治家にも言えることである)」と続けている。

「未来がどうなる?」なんて専門家でも有識者でも、ましてや僕にだってわからない。
 有り体に言うと
「ボードゲームカフェ・プレイスペースが通常通り運営再開できる?」
「今年のゲームマーケット秋は開催される?」
なんて、どれだけ悲観的・楽観的に捉えようとも、僕自身が納得できるだけの結論には至らない。


 だから目の前の悪手をつぶしながら少しずつ前に進もう、と、最近は自分に言い聞かせている。
「事実=自分が「良い」と感じたこと」に照らし合わせて行動しよう、と日々心に留めて行動するよう心がけている。


 人気ボードゲームPodcast「ほらボド」今週配信された第313夜は「オンライン収録「ザ・ボドゲノンフィクション①~自粛の実情~」」がテーマだ。
 話題に上がった「クラウドファンディング等を活用した支援」も、僕にとって「自分が良いと感じた事項」に通じる行動のひとつだ。
 見返りを求めた未来への先行投資、ではなく、今困っている相手へ奉仕するような気持ちで、なけなしのお金を投入している。
 もちろん「無理をしない」に、が前提にあって、の話だ。
「ボードゲームカフェ デザート*スプーン」店長の加藤さんも自身のツイキャスライブで「(Board Game Selectionへのクラウドファンディングは)無理をしない程度に」と言葉を添えた。
 支援をする側が倒れてしまうようなことは、支援をされる側に余計な気苦労をかけてしまう。必然的に、前々から資金繰りに苦しんでいる自分ができる支援など情けないくらい微々たる額だ。
 とはいえ、目の前の困っている人を看過できない自分は「気は心」とばかりに支援を申し出ている。

 未来なんて、本当に、誰にもわからない。
 さらに続けると、僕がこの先「番次郎書店」の屋号を掲げながら末長く創作を続けていることすら未知数だ。
 何よりも、継続云々は僕自身が一番わかっていない。
「次回イベントの参加は不明です」なんて言葉が上がってもおかしくないくらい、創作活動は常に「背水の陣」なのだ。
「次に期待します」と意見を頂戴しても「次があるかどうかもわからない」し、「番次郎書店の野望は?」と問われても「(まずは)目の前のことに精一杯努力する」ことしか、今は答えることができない。

 そんな先行きの見えない中、「悪手」とりわけ「人の嫌がること」を一手一手つぶしながら「(自分の考えた)自分と相手、相互が幸せにつながる道は何か?」を、これからも模索しながら行動しよう、相手と自分が共に笑いあえる道を選び、突き進もう…
 綺麗事になってしまうけれど、ここ数日はそんな言葉で自分を鼓舞しながら、目の前の創作活動に勤しんでいる。

 7月はボードゲームイベント「北海道ボドゲ博2.0」が開催を予定されている。
 未来を憂いて動けなくなるより、今はただ「こんな自分でも応援してくれる方々」のため、間近に控えたイベントへ全力を傾注するのみ、だ。




2020年5月9日土曜日

環境は自らの意思で 自粛制作日誌その7

 養老孟司著「ねこも老人も役立たずでけっこう」の本文に「脳の適応能力の高さ」についての一文を見つけた。

 脳は、非常に適応性が高い。だから、変わるんです。でも、人間はそれに気づいていない。感覚を通して変わっても、自分が変わったとは思っていないんです。それは意識が騙しているんですね。「私は私でしょ」「昨日の私と今日の私は同じ」なんて、意識は言い続けるものなんです


 自粛生活も早6週間を迎え、いまだ生活はオンラインの場が主体となっている。
 SNSの情報をすべからく追っているわけではないけれど、混迷続く状況の中、オンラインの飲み会を開いたり、ZOOMなどを活用したリサイタルやテストプレイを行なったり、など、製作者の銘々が独自の持ち味を発揮しながら外部との接触・交流を図っている。

 フリーの生活へと身を投じたときの話。
 肩書きもお金も瞬く間に消え、呼応するかのようにどんどんと人が離れていった。
 貧しさや苦しさ、寂しさで途方に暮れる中、それでも手を差し伸べ、制作を応援してくださる方々がいらっしゃった。
「渡る世間に鬼はなし」と揶揄されるように、大都市圏での生活の中にも温かく人情味溢れる世界がある、そう教えてくれたのは、何よりオンラインも含めた周囲の環境であり、拙い作品をSNSで公開してもすぐに「いいね」と反応してくださるフォロワーの方々だった。
 今でも貧しさは人を選別する一番の妙薬だと考えている。


 創作の話に戻す。
 昨今の情勢如何を問わず、外部との接続が遮断された生活は想像以上に体が何かしらの「飢え」を訴える。
 飲み物、食べ物、物欲、何よりも人恋しさ、笑い・感動などエンターテイメント、等々、体が発する「楽しさを求める」サインは、何もない生活の中でも日々膨らむ一方だった。
 飢餓感は精神を否応なく蝕み、ツイートの内容も弱音ばかりが並ぶ日もあった。連動するかのように体力、体調等を大きく崩してしまうこともしばしばあった。


 人恋しさに負け、こちら側を搾取したり軽くあしらったり、と、明らかに「悪い」と思しき人とも我慢して対応する、一時期はそれも日常の一部だった。
「本当は良い人だから」
 そんな前置きを渋々飲み込み、執拗にこちらの精神面を“なじる”相手にも笑顔で対応する、制作を続ける中、そんな相手からそっと間を置くようになったのも、制作に没頭する中でそれほど日も経たない中での出来事だった。

 つい先日は「BGA」などに代表されるオンラインゲームに触れる機会があった。しかしながら、どうしてもそれら電子ゲームに「面白さのエッセンス」のみを抽出しただけのような素っ気なさを感じ、言うなれば、アナログゲーム環境下で周辺に位置取る「ノンバーバル」なコミュニケーション、口で、鼻で、耳で、皮膚で、主に「目に見えない部分」が逆に刺激される結果となった。

 サン=テグジュペリ著「星の王子様」の有名な一説を引用する。

じゃあ秘密を教えるよ。
とてもかんたんなことだ。
ものごとはね、
心で見なくては
よく見えない。
いちばんたいせつなことは
目に見えない。

 オンラインでの生活を通じ、常々頭をもたげていた「感情面を揺さぶられる相手、行為とは何か」といった問題が、現実として可視化されたように感じる。
 
 それは決して目に見えるものではなく「肌感覚」という曖昧にカテゴライズされた形の中で、己の心を根底から揺さぶりつつ、自分の視野から外れた世界の中で、ゆっくりと歩みを進めているように感じた。
 見えないからこそ、より体内のセンサーは過敏になり、自分の進みたい道へと誘うかのように、周囲の否定や誘惑の言葉から距離が開き、その一方で、理解し応援してくださる方に向けて次へ、次へと創作の手が伸びる、と、そんな無意識下でのローテーションが更に強さを増した、そう実感する1週間だった。

 しばらくはまだ一人の生活が続くことになるだろうと思う。
 それでも「こんな僕を一人の人間として受け入れてくれる」周囲の方々をこれからも大切に、感謝の気持ちを忘れずに、何よりも自分の提供できる範囲で楽しさを届けられるよう、自分の意識を自分の求めんとする方向へ、と、そんな過ごし方で乗り切っていけたら、と心から願う。
 
 最後に金子みすゞ「星とたんぽぽ」の詩から引用する

青いお空の底ふかく
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

 環境を、翻って、自分の向かうべき進路を、大きく変える存在は、何より「目に見えぬものを感じる」自らの意思なのだ。

2020年5月3日日曜日

意識から継続へ 自粛制作日記その6

外出自粛制作の、ちょうど4週間、1ヶ月目を迎えた。

4コマも動画クイズ制作も、あれからほぼ毎日続けている。
反応は、以前に比べ落ち込む一方だ。

駄作、ではなかった(はず)。
普段からそう反応の多くはない自分でも、渾身の作品に思ったほどの反応がもらえないと、意識せずともモチベーションは下降の一途だ。
「継続させること」「その先にはもっと素晴らしい作品が生み出せる」と自分を鼓舞させつつ手を動かすことは本当に難しい。
翻って「継続」はとても大変だ。
さらに掘り下げると、「良いと思ったことを継続すること」は本当に難しい、この1週間でそんな気持ちをより強く実感することができた。


今週月曜に万屋楽団様のPodcast「万屋楽団のそれなりな日々」や、ボードゲームカフェ「デザート*スプーン」様のツイキャスライブにお邪魔する機会に授かった。
意図しての露出ではなく、本当に偶然に。
「出てみませんか」の声がかかったり、コラボ募集に応募したり、と、周りのお声があり、それに調子の良い私がホイホイと乗ってきた、という形だ。

その中で僕は「頑張らない」といったフレーズを何度か口にした。
「頑張ると、求める「頑張り」を行わない他人に厳しく当たってしまう」
「頑張ると、「今日は頑張らなくていいや」と自分に甘えてしまう」

力むことなく、日常の生活に「新たな習慣」を取り入れる行為は何重にも難しい。
どれだけ「健康にいい」と意識しても、早朝の人の少ない涼しい時間を見計らって軽くジョギング、など、本当に意識しなければ最初の数日で挫けてしまう。
それと同じように、意識して新たな習慣を取り入れるためには、実感できるだけの高い効果と、もう一つ「応援する自分」の存在がどうしても必要となる。
モチベーションの維持は、何より「自分自身へのエール」だ。
内なる声と格闘しながら、それでも前に進もう!と強く推進させる力は、自分にハッパを上手くかけることができるかできないか、に結局は帰結する。
今はまだ詳しく分析できないけれど、自分で自分を応援できなくなったとき、弱い僕はすぐさま歩みを止め、怠惰の誘惑へと簡単に落ちてしまうだろう。


「環境に適応できたもの「のみ」生存できる」といった進化論を持ち出してまで自分の軸を正そう、とは思っていない。

ただ、ライフスタイルが急変し、目の前が暗くなった場に置かれても「こうした中で、自分のできること、周りに手助けできることとは何か」それら手がかりをひたすら手探りで当たりながら、無理をすることなく、大きく変化させるではなく、できる範囲から、少しずつ、足場を崩していく。
「今日はこれくらい」を、無理せず継続するうちに、できる範囲のことが広がるのではないか。これじゃまるで「拡大再生産」と同じだ、なんて。

僕の1ヶ月は、そうした声と共に、足早に過ぎ去っていった。

継続のモチベーションは?
騙したり褒めたり、を繰り返しながら、自分を応援し、励まし続ける。
いつ果てるかもわからないような環境の下、持続的に「できること」を意識すること。
心の中の雑草を毎日根気強く抜いていくことで、次第に雑草の生えないような土地として生まれ変われることを夢見る、それに近いのかもしれない。

「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」
多くの著名人が座右の銘とするウィリアム・ジェイムズの言葉を改めて眺めつつ、そんなことをぼんやりと考えた。

4コマは400話を目前に控え、動画制作は明日で3週間目を迎える。
キャスの中でも引用したジャイアント馬場こと馬場正平さんの言葉を改めて引用する

アナウンサー「5000試合出場達成おめでとうございます。次の目標は6000試合ですか?」
馬場「5000の次は5001」

そんな僕だが、3日後の5月6日に、晴れて42歳の誕生日を迎える。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...