2022年3月31日木曜日

ワクワクすること

 お金がない中、行く予定もない3000円のゲームマーケットカタログを買った。

中のサークルカットを見ると、欲しいボードゲームは山ほど出てくる。もう慣れたサークルはサークルカットなどロゴを載せるだけだったり去年の使い回しだったりと適当に済ませる箇所も多く、毎回1週間ほどの時間をかける自分は少し憤慨するが、ゲーム制作者の本文は面白いボードゲームを作ることであり、レイアウトやデザインがおざなりとなる面も仕方のない話かもしれない。


高いお金を出して買ったカタログには、大阪、昨年秋に頒布する作品など「そうそう、TLに上がってくる作品だよね!」と脳内に巡ってくる感覚、これこそカタログを読まなければ味わえない知識の分野での収穫なのだろう。

カタログを読まなければ、このワクワク感や作品の分析など、湧き上がらなかったかもしれない。

もちろん公式ブログを丹念に眺めることで代用もできるだろうが、同じ時間でカタログを読み込む方が効率も良い。そのためのお金だと割り切ることにした。

以前何かの記事で-(ほぼ日の本だったかもしれない)年を重ねると、ワクワクを手にできる機会は本当に少ない、という言葉を目にし、思わず大きく頷いた。脳にまつわるあれこれを語ることもできるが、何より実体験として、何か興奮すること、ドキドキすることを、体ではなく脳が求めているように思える。退屈を敵とする哲学の本を読んだからかもしれない。興奮を、他人への攻撃で求める者に、自分は決してなりたくはない!そう誓ったことも思い出した。

余談だが、幼い頃、テレビに向かってぶつぶつ喋る大人が子供心に好きになれなかった。醜いいじめを受けた影響からかもしれない。だから今も引用リツイートで意見することを自分は控えている。意見はきちんとリプライで伝えている。

閑話休題、制作も佳境を迎え、もう修正箇所も少なくなってきた。疲労した体では大きな盤面も見えないことだろう。休めるときにはしっかりと体を休め、できる限りの努力を傾注しようと思う。

それが、周りにも自分にも嘘のない生き方であると信じる。

2022年3月30日水曜日

話題はそこそこに

 タイムラインではこの時期ならではのパクリ騒動が話題ではあるが、ワイドショー的な話題はネガティブを増幅させるため(そうでなくとも目が向いてしまうので)話題から遠ざかり、自分は自分正面の作業に集中することにした。表紙、背表紙も完成し、あとはもう一度全体を見直して明後日の金曜には一通り完成を目指そうと思う。ここまで長かった。


ゲームマーケットのカタログが各出展者サイドに到着したらしく、むしろそちらの話題の方が私のタイムラインでは目立った。

拾い拾い情報を集めると、どうやら次回秋は10月末、会場は東123ホールと、会場は広くなり期間は短くなりと、そちらの興味が尽きなかった。


従来より数週間早いのであれば、昨日の話題ではないが、4月からさらに問題制作を加速させなければならない。

去年はなんやかや500問以上の問題を制作、ボツになった問題なども含め1000問は突破しただろうか、それでも大きく取り上げられることもなかった。

どれだけ努力を重ねても、立ち回りが上手い人間には、やっぱり叶わない。努力を傍で眺め評価する人間など、本当に存在するのだろうか。

気持ちは落ち込むが、それでも前を向き、次に次にと自分の体を向けることにした。気落ちするだけのことを自分はやっているのだ、何もことを起こさなければ気落ちすることすらできなかったではないか、そう言い聞かせることにした。

努力賞でお客は評価しない、辛いけれどこれが現実である。

しかしながら、この感染症禍の2年間、本当に外出を控えて創作に没頭し、貯金が尽き果てるまで本を買い創作にささげたことは、必ず小冊子の中に眠っているものと信じる。

見えない箇所での努力は、いざ他の誰かが真似をしようと手をかけたところで、その深さや難しさに引き返すことだろう。

見えない箇所の努力は、真似されることすら凌駕するのだ。

辛いこと悲しいことは、最後に笑うことで喜劇となる。努力家だったチャップリンの言葉を背に、明日また最後の追い込みを行う予定だ。

2022年3月29日火曜日

先を読む

 先週くらいから表紙、裏表紙、ひいては新刊本全体のイメージを手探りでつかみ、何とか終盤にそれらが収束に向かう感覚を覚えた。

全体のテーマは「ミントグリーン」、爽やかな作品を目指すことに決めた。

以前のデザイン講義だったかと思う。

8月、炎天下の中でのコミックマーケットで頒布された「熱中症対策マニュアル本」という同人誌に対し、デザインの師が「こうした本は5月に読みたかった。熱中症たけなわの今読んでも感動は薄れる」旨のアドバイスをされた。

創作時期や頒布時期ではなく、実際に手に取ってもらった読者が、いつその本の喜びを享受できるか、そこまで先、先を読まなければならないと、側で眺める自分も勉強になった。


感染症禍も開けぬまま、もう2年ほどの月日が流れた。

ゲームマーケットを含む全国各地のイベントも厳戒態勢の中ながら少しずつ開催される。

そんな中、新作を出品される制作ブースの方々が、どれくらいの分析をもって作品を出すのだろう。

特に昨今はクラウドファンディングの影響もあり、制作時期の垣根を超え、その結果、時期的特性など特段意識せずとも、好きな作品を好きな時期に頒布できる態勢が整った。

自分の思い描いた創作物を、好きな時期に頒布できることは、逆を返せば、ゲームマーケットに合わせた新作を考えることもなく、中には「クラウドファンディング●●%達成!」と看板文句に、創作ゲームを頒布することが主体のブースもちらほら見かける。言うなれば、本当に各イベントが「お買い物イベント」へと傾きつつあるように映るのだ。ゲームマーケットの主催が提唱する「体験」を売りにするはずのイベントが、出展側から離れてしまうのではないか、そんな余計な心配をする自分がいる。


ゲームマーケットはボードゲームを手にできるイベントと捉えることもできるだろう。けれど、それは決して試遊がないから体験できない、会話を控えなければならないとコミュニケーションができない、と等価ではないはず。少なくとも「クイズ」という、出題者・解答者、相互の会話を通じたやりとりが主体となる自分は周りより機敏にそれを察知し、あれこれ行動に移した。会話のないクイズ、早押しのないクイズ、クイズがダメだった時の頒布品、等々。


作ったものを頒布すること、自分はその先の、興味を持って本を手にされた方に、少しでも喜んでもらえる作品を作りたい。

そのためにも、頒布の時期である初夏の時期に、流動的な世の中の情勢がどうなっているか、締め切りまでもうしばらく熟考したいと思う。



2022年3月28日月曜日

漫画雑誌を眺めながら

 愚痴を吐いたあとは後味も悪くなるもの、だからなるべく愚痴ではなく建設的な意見を綴ろうかと思うので、なるべくこの気持ちも書きながら整理する形を取りたい。


漫画雑誌を買う機会が増えた。少年漫画誌ではなく、私のようなミドルなおっさんが読むような、程々の刺激で、ほのぼの楽しめる漫画雑誌が多い。

大手書房が発売するその雑誌も、定期的に「新人マンガ大賞」を募集している。大賞作品は程なくして連載化され、ニューウェーブなどの肩書きとともに新たな漫画家として紹介される。


見ながら「漫画家のなり手が本当に少ない」ことを実感する。

そんな馬鹿な、と思われるかもしれない。Twitter等を覗けば、有名無名問わず多くのプロやアマチュアの作家が、引きも切らず優秀な漫画をアップデートされるし、無料で読むアプリなども隆盛を誇っている。


しかしながら、物語としてきちんと組み立てられ、オリジナルのキャラクターを確立させる方がどれくらいいらっしゃるのだろう。


感染症禍の煽りを受け、コミックマーケットのような大型イベントも自粛、縮小傾向、今や集英社や小学館などの大手出版社がゲームマーケットなどのイベントに出展ブースを構える、それくらいマンガの書き手を募集されているのだ。


フォトショップやクリップスタジオなど、絵を描くツールは本当に増え、さらには使いやすくもなった。

しかしながら、絵を描く人は増える一方で、物語をきちんと組み立て、即興のおかしさではなく(SNSではこちらの方が多くのいいね、RTを享受できるが)、物語そのものの組み上げられ方が確立されるとなると、そこには技術面の他の「経験」「勉強」「研究」など、知識の部分がどうしても必要となる。

ゲームマーケット出展者でもまま見かける「アイデアは出すから買い取って(えてして出展経験がそう高くない方に多い印象)」もそれに似たようなものかもしれない。想像を形に出すこと、それを万人に見てもらうこと、さらには、共感ばかりではなくユーモアの軸で勝負される方、そんな作品は本当に以前より少なくなった印象だ。

話がまとまらなくなりそうだが、要は、作画の技術だけではなく、自分は外見では決して伺うことのできない「物語の軸」を、もっと大切にしたいと考えてみた。

見えないということは、それだけ評価も厳しいものになるだろう。何せぱっと見で判断できない以上、評価の絶対数は減り、さらには、見た目の印象だけで相手にイメージを植え付けなければならないからだ。


それでも正当に評価してもらえるたった一人を探し、自分は正面からぶつかる作品を制作しようと誓う。




2022年3月25日金曜日

区切りはついたものの

 4コマは新刊のノルマを無事に終えた。周りの反応は薄く、いいねが20に届くか届かないかくらいにとどまった。毎日更新されることでのありがたみが薄れる云々の説教の話は以前も話しただろうか。しかしながら、毎日更新しなければ、画力のほか、どんな作品でも世に生み出すための練習ができなくなる。見る側からすれば「俺のお気に入りを」求めているのだろうが、そんな千差万別、個々の感性に委ねられるものを、万人が「今回は最高傑作!」と察知して、まして制作側が自信作として生み出すことなどそうやすやすとできるはずがない。

毎日更新することで、お叱りはあるかもしれないが、そんな「駄作でも世に生み出す度胸のような感覚」が培われるものだと信じる。しかしてそれは、ものの2日も休んでしまうとすぐに取り戻せなくなってしまうのだ。


そんな天に向かって唾を吐く真似をしながら、4コマ後は「つらいとわかっていながら」ミニキャラ20体の作画に挑んだ。長距離マラソンに挑む心境で、走り出すまでは本当に怖いものの、走り出してしまえばなんとかなるだろう、ひるむ自分にそう何度も言い聞かせ、一つ一つ描いてはIllustratorでパス化し、線幅の調整が拡大縮小で可能となるよう加工した。明日残りの5体を描く予定で、パス化したキャラクターは各ページの隅に掲載される。


周りの何十何百の反応を持つ他のボードゲーム漫画を尻目に、悔しさ悲しさをすべて創作のエネルギーへと昇華し、明日もまた頑張る予定だ。

ゲームマーケット事務局への不満ももちろんあるわけだが、それを不参加側の自分が論じてしまうことなど雑念のある証拠と心に秘める。

2022年3月24日木曜日

応援の意味を込め

 今回ゲームマーケット春はあまりの出展料の高さに辞退した私。大阪も出展するとなると、利益も雀の涙である私など即座に破綻してしまう。カタログを後で買って勉強すると宣言した手前、買わざるを得ないわけなのだ、が、やっぱりカタログ3000円はちょっと高すぎる。

調べたところ、コミックマーケットの4日間すべてに入場できるカタログですら2500円、直営店だと2000円、コミティアのカタログ「ティアズマガジン」だと1300円〜1000円だ。出展者の激減から個人当たりの負担も増えたとはいえ、ちょっと不満である。ましてゲームマーケットの主催はアークライト社、個人ではなく有名大企業ではないか。

出るはずもないイベントにぐちぐち口を挟む立場にはないので、自分の目の前の作業を淡々と片付ける。大元がなんとか片付き、レイアウト、そして大仕事となる表紙イラストも行ったり来たりを繰り返しながら片付きつつある。1週間まるまる頑張ればなんとか3月中に終わる算段である。

あとがきにも着手した。今回のおまけ漫画が、メッセージの強い作品へと仕上がった理由の一つに、福岡でリハビリに頑張る同士の応援が込められているからだ。その旨も簡単に記載した。

難病に耐え、一命こそ取り留めたと連絡が来たものの、今もまだリハビリに取り組む同士へ、ささやかながら応援する気持ちを込めたのだ。

「4コマはさ、感動したいものを読みたいから」

と、どどめ先生のボードゲーム漫画を手にした同士に、私の稚拙な作品が果たして届くかどうか。

明日もまた作業にのめり込みながら、今のこの時を頑張ろうと思う。

外の大学生も少し騒がしくなってきた。春である。




2022年3月23日水曜日

溶ける時間

 マルクス・アウレニウス・アントニヌスの本を背に受け、自分のことは自分で切り開く!と意気込んだ今日は朝から猛烈な冷え込みながら、何か入金があった旨、そして午後から今に至るまで色塗りに没頭したことなど、いつも通りと言えばいつも通り、比較的他よりも順調にことが運んだ、そんな1日だった。

4コマも残すはあと2話、表紙画像も少しずつできあがり、残すは全体のレイアウトやおまけページの細部修正など、何とか2週間ギリギリで済みそうな、あと1週間そこそこ(3月いっぱい)で一通り形ができそうな、そんなことをぼんやりと考えた。


色を塗りながら「時間が溶ける」感覚を久しぶりに感じ、これらに没頭していると締め切りなんてあっという間に過ぎる、Twitterを眺める時間もないくらいだ。


コーヒーメーカーが壊れ、手動で淹れるコーヒーも少しは慣れただろうか。不便はそれだけ人間の能力を養うと前向きに考えることにした。

先日は大阪なかもずボドゲフリマの出展が正式に決まり、そのメールが到着する。出展ブースに比してスペースが広めに取られているようで、試遊スペースでのんびり早押しボタンを持参することも多少は許される雰囲気だ。

自称録にあるように、今もまだ自分自身の不安は拭えない。

がしかし、本の中にあったよう、あれこれするうちにあっという間に時間は過ぎる。事実、今日は色塗りだけで時間が過ぎてしまった。

今はまだ実感に欠けるけれど、そのうち大金を積んででも時間を欲しくなるときが来るのだろうか。

気持ちに余裕ができると、考え方にも隙間ができるようで、今日は低気圧ながらすこぶる上機嫌だ。

ミニキャラクターを一体練習して今夜も早めに休もう。

2022年3月22日火曜日

節電する中で

 人生99回目の献血を済ませた。4月に予約を入れ、イベントや入稿、その他目白押しとなる来月を待つこととなった。

預金残高を気にしながら本を買い、マルクス・アウレニヌス・アントニウス「自叙伝」にて、今の努力を行うよう勇気づけられた。併せて買ったエーリッヒ・フロム「悪について」も少しずつ読み始めている。

昨日の不達も無事に解消でき、省エネが叫ばれる中、今日は早めに休もうと思う。

日数は少ないが、それでもできることを探せば、前に進めるような気がして。

またデザインもイラストも勉強を始めた。この努力は無駄になろうとも、今までの「底辺に座るよう位置取られた生活」からは解放されている気がする。一人となってだいぶ時間が経ったように、これも今の自分ができること。その指示には素直に従おうと思う。

2022年3月20日日曜日

作業の連休中日

 献血3日前の昨日から、食事に油物と砂糖を極力抜く生活を送る。肉もできるだけ食べず、マーガリンや砂糖と相性の良いパンなどもご飯に変える生活だ。思えばここまで自分の身代を考えると、とても贅沢をしたいなどとは思えない。

自分にご褒美を贈るような裕福な生活ではない以上、切り詰められるところは極力切り詰め、外に出てお金を使わない分、うちに篭って創作することで倹約する生活だ。もう4年、貯蓄は底をついている。

夜になるとそんな不安に苛まれ、占いの言葉にある「今年は(昨年から)運気が上がる」ことをぼんやりと信じながら、目の前に積まれた勉強の書籍と筆記のツールを握る。

世に認められる作品ができなかったとき、それはその時として、また別の片田舎でお金だけ持って移り住もうと考えた。それくらい気楽に構えていなければ不安で押し潰されてしまう。

そう考えると、努力ではなく、尻に火が付いたまま4年も創作を続ける、4年も勉強すれば東大に合格できる実力もつくだろうに、努力が足りないからか、今もまだ売れない本をひたすら作る毎日だ。

言葉に出してしまうと、それが本当に叶ってしまった時の対処ができないと思い、なるべく外に出す言葉には細心の注意を払うように心がけている。昔、テレビに向かってぶつぶつと口にするいい年の大人にだけは本当になりたくなかったので、SNSのニュースツイートや引用RTも極力控えているけれど、それも考えすぎなのだろうか。


頑張る姿は誰かが見ている、他の誰でもなく、天がそれを見ている、虚空に向かって努力をすることは見る人が見ればなんて非効率で無駄な努力なのかと馬鹿にもされるだろう。

自分を信じてやるしかない、それは稽古に明け暮れる力士が皆口を揃える。

私は偉くもなんともないので、成功された方の言葉をひたすら信じるだけだ。


明日の三連休最後の日も作業に明け暮れる予定だ。

2022年3月19日土曜日

夢が現実になる強さ

 三連休は作業すると決め、浅草橋のイベントにも深川いっぷくさんの閉店セールにもうそのたばこ店さんのトランプ教室にも興味はあったが、それでも目の前の創作を抜けることはできなかった。表紙ページを除き、全体の7割くらいは完成に近づいた。あとは全体のページレイアウトやあとがきページを含む全体の補備修正を残すのみ。余裕を稼ぐことができた。


雨が本降りになる前にランニングも済ませ、ブログを書き、今日はなんとかキャスを開くまでメンタルは落ち着きを見せた。明日もいつも通り4コマを更新する予定だ。


修正ができる、まで進んだということは、夢が現実になる一歩手前まで到達できた証だ。

夢は楽しい、空想することは本当に楽しい、それが現実になると、嬉しさの反面、空想の部分では見えなかった暗い部分をも受け入れることとなる。

その現実となる部分が、自分の血や肉となり、自分自身となり、また新たな夢への栄養となる。

だから、夢として眺めるよりも、いかにしてそれを現実へと取り入れるか。

自分は今、そんな自分と争っているのだろう。


三月ももう終盤戦となり、占いにあった実りの成果などどこ吹く風、結局今もまだ歩きさまよい続ける。

そんな自分へ、走り続けるすべての読者へ、今回の4コマがそんな心に作用しますよう、そのためにも、何より自分自身に一番ムチを入れなくては。

2022年3月18日金曜日

比重の問題

少し前の気温20度はどこへやら。来週まで冷え込む1日が続くようだ。

気温が低いままだと体温の調整がスムーズであると利点はあるが、動きづらいことこの上なく、動きも次第に鈍重となった。

周りは楽しく制作する。以前も考えたが、その根底に「楽しいからやる」「つらいことはしたくない」があるからだろう。

同じ考えを持つ自分は、その比重が単に後者に傾いているだけだ。楽しいは前提であり、その中に辛いことも多く経験する、と、なんとなく気持ちがまとまってきた。


4コマも練習を重ねながら、なんとか1回目の修正印刷に漕ぎ着けた。あと4回くらいは印刷するのだろうか。

おまけ漫画だけではなく、表紙、目次、レイアウト、そしてあとがきなど、作って出すだけの本には負けたくない、その一心のクオリティである。バカにされ、笑われ、それでも自分を信じて前に進むしか道はない、と、それに気がつき、慌てておまけページの構成を練り直した。


音楽を聴きながら、また明日からの三連休も変わらず頑張る、と、自分に言い聞かせた。

献血のある日に、ちょうどノルマが達成できますよう。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...