2022年5月21日土曜日

多角的

千葉の紹介ブログを更新し終えたところでこの記事を綴っている。

来場者の推移はこれからまた少しずつ上がるとはいえ、来場者の動向はどうだろう、100人を想定したチケットが完売とあい見えるのだろうか。

そもそも、これは推測ではあるが、もうそろそろ「広報のやり方を考え直す時期」に到達しているのではないか。

「外出自粛につき、大手を振って来てくださいとは言いづらい」

そんな言葉が、もうワクチン3度目接種も大勢の方が済ませ、国の新たな方針が発表された頃から、グラデーションのように変化しているのではないか。

そんな「情報のアップデート」を考えるようになった。

つい先日も話し手の違和感を覚えたが、「なんか「自分がこれまで好きだったものが突然流行り出す」的なものがいい!」は、漫画「アスクミ先生に聞いてみた」にて紹介されたテーマだ。

情報の下流、上流、という本題の中での一コマだ。


情報に関しては、常に頭に入れておくべきではあるが、それをろ過し、自分の中にうまく消化しなければ、すぐに悪い情報に侵されてしまう。

だから情報の取捨選択が必要であり、それはどうしても「自分の好きなもの、興味のあるもの」が中心となってしまう。

広範囲にアンテナを広げることのできる人は、そうした意味で「貴重」なのだと考えている。

少なくとも自分はそんな「アンテナを広げ、多角的なものの見方ができる大人」になりたいと思う。

えてしてそんな人間は、周りから「考え方が違う、おかしい」と指摘を受けるわけではあるので、相応のメンタルを要すること、理解者を増やすことが前提ではないかと付記する。

2022年5月20日金曜日

折衷

 占いをちょくちょく見るようにしている。

悩んでいるときの決め手や、悪いことがあったときの理由づけとして、気持ちを切り替えるために使う使い方だ。


今月は中殺界、忍耐で耐えるとき、とあり、今月の災難はこれに帰結させようと勝手に考えている。

問題の本質から逃げるわけではなく、早く頭を切り替えて、前に進むための努力と自分は考えている。


悩む時間は脳にとって楽しい時間だと脳科学の茂木先生が話していた。

いわゆるアハムービーも、答えが見つかったときの爽快感ではなく、答えを見つける途中のぐにゃぐにゃした気持ちこそ、脳にとって栄養なのだという。

長く考える、いわゆる長考の問題も、周りから煙たがられはするがやめられない、その一つの理由かもしれない。試行錯誤を脳内で繰り広げる時間は、体が拒否するのと反比例し、すごく栄養になっている話であり、そこに何かしら「自分で決断を下すこと」の報酬が得られるのである。

ぐにゃぐにゃ悩むことは脳にとっての栄養だとわかった後で、ならば適度に摂取しよう、脳と体はどこかで別なのだ、と割り切って考えるようになった。

悩んでばかりいては体も食べ物を受け付けなくなってしまう。一方で、寝てばかりや好きなものばかり食べているような、いわゆる体の喜ぶ反応だけでは一方の脳がだらけてしまう。だからその折衷を取るよう気をつけている。


難しいけれど、その中庸こそ最適解なのかなと思いつつ。そんなゲームが「四国」だったと思う。



2022年5月19日木曜日

余計な経験

 一晩眠ったところで頭の中はそうそうクリアになるものでもなく、今日も精神衛生が良くない状態のまま1日を過ごした。

毎日継続することの難しさは、風邪をひこうが、精神を病もうが、極力継続すること、それができることが難しい。それは元気な状態ならばなおのこと想像できないものだ。「やりたくないならやらない」「低気圧を理由に休む」といったことを、昨今では無理のない範疇として受け入れられども、体は正直なもので、一日休むと「休むベクトル」ができてしまい、それすらも継続の範疇に含めようとする。サボることの継続を続けようとするのだ。


日、1日と当日が迫る中、今日、そして昨日も、作品より体を心配されてしまった。

ここでも書けないくらい目から血を出し、脳内はもう爆発寸前で、今にも発狂しようかといった状況の中、SNSの平静を保つことが本当に難しいくらいだった。

それでもきっちりと4コマを仕上げ、そして少しずつではあるが、お品書きに着手を始めている。

何もできない、何も肩書きも実績もない自分が、周りに少しでも追いつこうと努力し、そしてこれは自分でも自覚と覚悟があるけれど、このままフェードアウトするようにも感じる。

いわゆる「虫の息」だ。


それがわかってもなお、継続を頑張らなければ、サボる方へと脳が道を覚えてしまう。

一分一秒でも長く抵抗したい、それだけだ。


そう考えると、余計な肩書きや経験則など、あっても無駄なのではないか。

「知者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」との、経済学者の言葉をふと思い出した。

2022年5月18日水曜日

報酬

 大阪なかもずの全紹介noteを書き終え、感謝の言葉が待っているかと思いきや、「承認欲求を貰おうと必死」などの冷たい言葉に従事された。ねぎらいの言葉など、ハナから期待しないほうがよかったのだ。

4コマを描き、noteを書き、それを見た周りが「継続は力なりですね」と声をかける。

嬉しいことはたしかだが、そう思うのであれば自分がやってみればいい、と、心の中で返す。

人間のモチベーションは、期待される報酬が少ないことで心を乱されると聞く。

それは実際に、ここ数日の体調の変化からも自覚できている。

4コマに至っては、900日以上も更新を続けながら、単行本を売る以外の収入は0円だ。

周りに「描いて」とお願いされても、基本は無料で奉仕する。

どれだけ頑張ろうとも、ここまでのお金は0円。今の手持ちで生み出される作品を、これから価値が生み出せるよう、頑張ること、その面に目が向けられるか否か、ではないだろうか。


報酬がなければ頑張っただけ無駄となる。承認欲求云々の、その手前の話だ。

「今の自分の頑張りに、誰もお金を投げることはない、それでもあなたは頑張れるか」

そこでのモチベーションが維持できるか否か、そこまで踏み込んだ人は自分以外にいない。


もっとこの気持ちを掘り返せば、それこそ「出来上がったものにしかお金を支払えない」などの面も生まれるが、あまりに続けると気持ちまで暗くなってしまう。

明日も無料で頑張る。

無料だから、「何そこまで本気になってるの」と馬鹿にされる。

幼少時代からこうだったし、大人になっても結局周りから頑張りは冷やかされ笑われるだけだ。

それでも、ほんの僅かな評価だけをもらい、また頑張ろうと思う。



2022年5月15日日曜日

弱者へ回る者

 何度か書いたこととは思いつつ再度思いついたので書き記す。


相手を叱ることですら、語彙量を必要とする。

語彙力、ではない。語彙「量」だ。

量が足りなくなると、感情で叱らざるを得なくなる。

上司のパワハラに何度となく悩まされてはきたが、上司のいずれも、ほぼ例外なく、「自分が拗ねるパターン」へと発展した。

これこれこういうことがダメだ、がなくなると、最後は「あーもういいよ、じゃあ俺がこれから●●で困るがそれでいいんだな」的な話である。

叱ることすら、相手の情に訴える手段に出る。それを聞くたびに「ああまたか」とため息をころす。


語彙量のなさを自嘲気味に話す人、それならまだしも、自分に語彙量が足りないことを逆手に取り、こんな自分でもわかるように説明しろと訴える人、最後は語彙量の無さをさも自慢するかのように「あーあーはいはいわかりました」と開き直る人。

そんな「弱点でいばる人」に、ここ数日精神を圧迫された。


老子の話す「弱者は強い」話に似ている。それを心のどこかよりどころにするがゆえ、自分から進んで「弱者」へと回ろうとする。


今日はそんな相手に削られた精神のまま、なんとか新刊の入稿、そして、千葉のブログを1日でまとめる作業に没頭した。

作業に没頭することで、忘れることにした。

情に訴えかけられる手段を取られたら、ひたすら別の作業で忘れるのみだ。


体力、気力、もう残ってはいないが、もうしばらく相手の情を忘れる努力に励もうと思う。

2022年5月14日土曜日

高級品

 先ほど「謎解きは贅沢品」という言葉を目にした。

謎解きやパズルは、時に発想力を求められ、そして解き終えた後に見る問題は、1度目に感じた感動とは別の「パターン認識」に落とし込められてしまうのだという。


そう考えると、自分が今作成しているボードゲームのクイズは、なんて贅沢品ではないかと思う。

一度解く機会が与えられた後は、記憶力と瞬発力の勝負となる。

肝心のその一問が、ものの2秒もかからないうちにボタンを押されることもある。

動画クイズもしかり、何日もかけて制作した問題が、ものの5秒で解かれてしまうことなどザラにあり、また、5秒で解かれるほどの問題ほど「美しい」とされる見方もできる、いつまで経っても正解に導けない問題が逆に「相性の良く無い問題(でも脳ではちゃんとパターンを覚えてしまわれる)」とされる。


前回の本は333問収録、価格は800円。一問あたり約3円にも満たない。

それを解き、脳内に知識をインプットされると、もうそこに3円の価値はなくなる。

その3円の問題を作るために、何ヶ月という時間をかける。

自分はことさら「周りがすぐに思いつくような問題」をなるべく仕入れない(例えば「ラテン語で農民→アグリコラ」「スコットランドヤードで、チケットを→「タクシー」など)、だから1問の裏にかかる労力は計り知れないし、裏面であるが故にそれは決して表には見えない。

お金が絡むなら良い方で、イベントでは無料の動画クイズをここぞとばかり放出する。それは周りからすればデジタルサイネージのように「広告のような目に入るもの」と捉えがちだ。だから時間どころかお金がかかっているようにも見えない。

何度も遊ぶ前提のボードゲームやイラスト集とは、本当に違う。ひょっとすると、単価当たりではマーダーミステリーよりも高い単価ではないだろうか。

仕方のない話だと思う。それは陰陽道の「陰」の部分であり、決して表には見えない魅力の一つでもあるからだ。


高級品を作る自分が貧しい生活を送るのはとても皮肉な話だけれど、いつかその「高級品」が皆に通じることを信じて、今日もまた高級な一問を作成する。

2022年5月13日金曜日

点と点

 一応ネット上に現れることを前提に綴る日記であるため、書いちゃ消し、書いちゃ更新できず、などの内容も一部現れる。デトックスも兼ねて、書くだけ書いて公開しない、秘密の日記のような感じだ。


中野Kurimari様へ、4コマ制作のお礼を伝え、本をお渡しすることができた。

同席のせりやさんはすっかり制作者の目線で、ルールライティングについてあれこれと語っていた。明るく、前向きな、いつものせりやさんだった。

お金のない私はオムライスの名店でコーヒーを飲むことしかできない。それでも応援するお店に何もしないまま閉店を迎えることが寂しくて、微額ながらお金を落とすことにしている。


昨夜は何とかこうとかボードゲームクイズ会を終えることができた。コロコロ堂一階を貸し切るような形で、音を出し、最後は店長を巻き込みながら、楽しくワイワイボードゲームのクイズを堪能した。


先ほどチラリと見かけたスティーヴ・ジョブスの言葉が心に刺さった。

点と点の繋がりは予測できません。

後で振り返って、点の繋がりに気付くのです。

今やっていることが、どこかに繋がると信じてください。


ボードゲームのクイズを作り、4コマを描き、そして本を売る、そんな生活でお金を得ることができないまま、もう4年となり、預貯金もそろそろ限界を迎える。

自分のやってきたことを信じるよう、九重親方も話していた。

将来につながるための努力、そう、そんな自分を、成長する自分を、ひたすら信じて、今は目の前にできることを必死で頑張るのみだ。

ダメならダメで、また考える。

それはバネストの中野さんがふとこぼした言葉だ。


雨が少し小降りになった。アイスでも買ってこよう。


2022年5月6日金曜日

抱負

 ボードゲームに限らず、創作物を見たときに思い出すことがある。

探偵ナイトスクープの回だった。自分の考えた最強の拳法を披露したいという中学生、周りはその滑稽さから笑いを堪えていた。会場からも失笑の声が上がった。

対決したのは生前のアンディ・フグだ。

フグは中学生を相手に真剣に戦った。一才の手加減をすることはなかった。

試合後、フグは中学生に語りかける。

「自分も小学生のとき、karateを習い、周りからずっと笑われた。そんな自分が、karateを続け、こうして戦っている。だから僕は真剣に戦った。僕は笑わない。」


ゲームマーケットを含む各種イベントでは、それこそルールに抜けがあったり、本当に面白いのか疑問に思う作品も数多く見受けられる。

それでも自分は決して笑わないこと、馬鹿にしないことに留意している。

それは何より、自分の創作そのものが笑われの対象にあるからだ。

周りから絵が下手だと笑われ、余計な心配をかけ、そして今もまだ、大成しているとは言いづらい。

そんな4コマを描き続け、丸3年が経った。


ボードゲームだけのクイズを必死で作った。周りはやっぱり文句をつけ、欠点をあげつらった。

そんなクイズ制作が、6年目となった。


いいねの数もRTの数も、売れた本の絶対数も、決して誇れるものではない。

しかしながら、周りを笑わず、そして自分は笑われ、そんな生活に身を置いている。


今日は44歳の誕生日だった。

相変わらず貯金通帳の目減りに胃を痛めながら、またいつものように頑張ろうと思う。

2022年5月5日木曜日

メリハリ

 名古屋ボードゲーム楽市の前前日配信会に少しだけお邪魔した。


ここだから少し吐き出そうと思う。自慢話は苦手なのだ。

Twitter DMのやり取りの中、何となくふんわりとした配信会の気配を察知したので、インタビュー形式と、多少の押しの強さを計算して臨んだ。

来場される方が何を望むか、おそらくゲームマーケットの新作、そして、多少減少傾向とはいえ、感染症対策は万全である旨を話すことができた。周りの目にどう映ったのか心配だ。


できるところはしっかり、そして、閉める箇所はしっかりと閉める。

その辺りのメリハリは本当に大事にしたいと思う。


全体の配信を聞きながら、感染症対策に言及したサークルは私だけだったことがちょっとした自慢だ。

それを何となく「小うるさいオッサン」を演じることで、その熱量を伝えられたらと願う。


熱は伝わる。それは冷たい箇所も然り。

肌感覚の鋭さは皆が持ち合わせているものだ。


自分の役割をしっかり保ちながら、明日も通常通り過ごす予定だ。

2022年5月2日月曜日

先駆者の悩み

 「成功する人間は、周りと違うことを始めた人間だ」

なんてツイートが回るたびに「言うのは簡単だけどねー」と傍観する私。

初めての世界、そして、周りと違うことを始める世界は、真っ青な空というよりむしろ雑踏の中である。

新天地というと聞こえもいいだろうが、実際は誰もそこに手をつけなかった場所、草は生え、木々は伸び、虫が活況する土地だ。そこを開拓するからこそ「先駆者」と呼ばれるにふさわしいのだ。隠しコマンドを発見する喜び、ではなく、先人が開拓した舗装道路とは別のけもの道を歩くようなもの。

実際に自分もまだ開拓者の恩恵に授かってはいないので、どうしてもネガティブなイメージばかりが先立つ。

一人しか競争相手のいない世界は、孤独であり、いつも「自分以上のエリートがすぐに蹂躙するさ」などの怖さも控えている。それは日本初のマーダーミステリー専門店や日本初のボードゲームカフェなどが、結局メディアへの露出が多い他店に知名度として追い越されている現状を見ても明らかだ。日本初のボードゲームカフェ「f ORTUNE21」などは現在は閉店となっている。

先駆者を「甘い汁だけ啜る人気者」と見てほしくはない、という話だ。それを今日はどうしても書き綴っておきたかった。


名古屋への荷物も発送を終えた。名古屋、千葉、そして来月なかもずでハッキリと成果が出なかった場合、今朝はそんな不安に苛まれた。

その都度、どこかで見知った「サナギが限界を迎えたとき、美しい蝶が羽ばたく」の言葉を脳に焼き付ける。


もうすぐ44歳か。もうしばらくだけ自分に挑戦しようと思う。


2022年5月1日日曜日

共鳴

 お昼から気合を入れ直し、動画クイズを6本ほど作成した。書いては作り、脳内の知識を吐き出すだけ吐き出す、そしてまたインプットに明け暮れる、そんな毎日だ。

応援の声を背に、今日もまた名古屋に向け、ボードゲームクイズ会に向け、クイズの制作に明け暮れた。もう5年ほど経つのか。それでも未だ手に取るだけの成長の実感が湧かない。


4コマも数えてみると5月4日で1周年を迎えることがわかった。たとえその日まで毎日更新できたとして、315話、前作「きょうもボドびより。」が足掛け2年で644話だった。その半分にも満たない数だ。あの頃の「絵の旨さより、まずは頭の中のネタを形にすること」でまっすぐだった自分に、成長したであろう今もまだ追いつけそうにない。

成長、成長と口にはすれど、過去の成長前の自分が、劣っていたのかと問われると、決してそうとは言えない。

まっすぐに、好きなものに従順になり、ひたすら苦手とするもの、人に目を背けた、そんな自由な生き方ができたことが、ここ数年の何よりの財産だ。決してお金には結びつかないだろうとも、周りに何か少しずつ幸せな気持ちを届けること、それが制作側としての自分の役割だ。


無償の愛は、そのひとつひとつが小さくとも、多く集めることができる。

もちろん一方的な恋愛のように、誰それ個人の心に響くことが、その量だけから見れば圧倒的に少ないだろう。

がしかし、恋愛は共鳴する。

共鳴すると、周りにその音が響くのだ。


自分は決して万人受けする前者の存在ではない。それは周りに迷惑をかけているといった意味ではなく、周りの理解が得られないことでの孤独であり、一人突き進むがゆえの孤独である。

それでもまだ、誰か一人の心を動かせたなら、周りへの共鳴があるものではないかと信じる。


その共鳴が、一人、二人、4人、8人、と、数を増やしていけますよう。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...