2022年5月19日木曜日

余計な経験

 一晩眠ったところで頭の中はそうそうクリアになるものでもなく、今日も精神衛生が良くない状態のまま1日を過ごした。

毎日継続することの難しさは、風邪をひこうが、精神を病もうが、極力継続すること、それができることが難しい。それは元気な状態ならばなおのこと想像できないものだ。「やりたくないならやらない」「低気圧を理由に休む」といったことを、昨今では無理のない範疇として受け入れられども、体は正直なもので、一日休むと「休むベクトル」ができてしまい、それすらも継続の範疇に含めようとする。サボることの継続を続けようとするのだ。


日、1日と当日が迫る中、今日、そして昨日も、作品より体を心配されてしまった。

ここでも書けないくらい目から血を出し、脳内はもう爆発寸前で、今にも発狂しようかといった状況の中、SNSの平静を保つことが本当に難しいくらいだった。

それでもきっちりと4コマを仕上げ、そして少しずつではあるが、お品書きに着手を始めている。

何もできない、何も肩書きも実績もない自分が、周りに少しでも追いつこうと努力し、そしてこれは自分でも自覚と覚悟があるけれど、このままフェードアウトするようにも感じる。

いわゆる「虫の息」だ。


それがわかってもなお、継続を頑張らなければ、サボる方へと脳が道を覚えてしまう。

一分一秒でも長く抵抗したい、それだけだ。


そう考えると、余計な肩書きや経験則など、あっても無駄なのではないか。

「知者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」との、経済学者の言葉をふと思い出した。

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