2022年4月30日土曜日

踏み出す

 4月のほぼ毎日をこの日記ブログに充てる習慣をつけた。今日が4月最後、少しずつではあるが文章の形として気持ちを綴る練習になれば幸いだ。


ボードゲームクイズ会の予約を入れた。カフェの定期イベントと重なるからという理由で一回を勧められ、言われるがままテーブルを予約した。

どうなるかはわからないが、決まった箇所から手をつけ始め、糸がほつれるようにあれよあれよとことが進んだ感じだ。


「最初に手をつけたら、作業の半分は終わりだ」とは、ギリシャのソポクレスか誰かの言葉だったと思う。(調べない)

体が道に沿って進み、それを脳がサポートするような、だから最初の一歩目を特に大事にする。出来上がった形から、あとで反省すれば良いのだ。


4コマ4巻の発送も少しずつ開始した。今日が土曜日、発送業務が遅れることを見越した上で、先んじて発送することが狙いだ。


そして今回のおまけ漫画のテーマとなった、リハビリ中の大ちゃんにもこっそりと送付した。

書き手の自分を鼓舞するかのように、また書き物に勤しむ連休を迎える。負けるものか。

2022年4月29日金曜日

第一歩

 昨日のブログで「初心者の目線でできる強み」を書いた自分だったが、今日丸一日かけて作った動画クイズが底知れず高難度となってしまった。

新しい着眼の問題は多いものの、決して誇れる内容とは言えない。

それでも、動画クイズの一つの形態として、また、声を出さないクイズの最初のたたき台として、かなり完成された動画クイズができあがったと見れば、大成長とは言えるだろうか。


丸一日、テレビで見たクイズをできる限り忠実に再現する、そんな作業だ。

デザインの観点からすれば笑われて当然、決して大手を振って自慢できるものではない。

そんな想いはあれど、今は暇さえあれば作った動画を見返すほどお気に入りとなった。

以前ダイスの珠工房さんが「自分の好きな作品をお裾分けする感覚」と話されていた。

丸のまま同意はできなかったが、自分の好きなように創作するスタイルは心の底から尊敬できた。

同意できない、とは、やはりクイズというものが「解答者ありき」だから、自分の作ったものを相手に評価し、答えてもらわなければならないから。自分の好きなものだけデトックスするかのような創作も悪くはないはずだが、好きなものは相手に喜んでもらえるその「好きの先」が見えてこそではないか。と考えた。


明日で4月が終わり、次第に近づく名古屋の旅程。

周りは今日から始まった大型連休で、大いに羽を伸ばすツイートを見かける。


毎日作業、明日も作業

沈む気持ちは、明日の成功を夢みることでしか払拭できない。

だから今は頑張る時間なのだと自分に言い聞かせ、また夕方からお品書きを頑張ることにした。


目線が伸びること、その第一歩、そんな創作だ。

2022年4月28日木曜日

初心者の目線

しばらくぶりに クイズを勉強し、山のように存在する「問読み動画クイズ」をひたすら解き回っていた。

「初心者用ベタ問」

と称された問題が、どれも自分が勉強した当時(だから20年ほど前)の「上級者向け問題」ばかりだったことを気付かされた。

「視力検査で使うCのマークを何と呼ぶでしょう>答え ランドルト環」

など、クイズプレイヤーは増えつつあるのに、問題がさらに比例するかのように難易度が跳ね上がっている、それを「初心者ならこれくらいできて当然」と言わんばかりに、難易度の高い問題を出題する。


自分もボードゲーム「初心者向け問題」に苦労した人間だから気持ちはよくわかる。作っていくうちに自分の中でインフレする感じだ。バラエティ番組のおバカ解答者が、次第に知識を身につけ、ついに一般知識を身につけてしまう、あの感覚に近い。


先日「ボードゲームクイズ」と称されたクイズブログを堪能した。

率直な感想として、クイズというより試験問題を解かされている気持ちに苛まれた。観点はユニークだけれど、遊び心が少なく、本当に一問一答の知識を試されている感覚だ。

先に挙げた「出題する中のインフレ」と向き合い、目線を下げ、これでもかと視点を下へ下へと向けることで、良質の問題は出来上がる。

同時に、そんな良質の問題は、至って評価から外される。解く側からすれば、簡単な問題など軽すぎる鉄アレイのようなもので、退屈に過ぎず、つまらないと感じるのだろう。


4コマもそう。

初めての方に目線を合わせると、作る側の難しさとは対称的に、読む側の評価も刺激がなくつまらないと感じる。

初めての方の視点を下げる努力は実際に作らなけば実感できない。

声高に叫びたい気持ちをグッと抑えて、今日も自分は、初めての方の視点で頑張った。

初心者、未経験者の目線で作品を作る、作れることは、もはや一つの魅力なのではないか。

自分の作品も、そんな魅力を載せられたらと願う。


2022年4月27日水曜日

寂しさ

 101回目のプロポ…献血を済ませることができた。

正直、まだ体の疲れは癒やし切ってはいないのだが、それでも貢献できる部分は先に貢献したかった。名古屋までに少しでも徳をためておかなくてはならないと考えたのだ。


大好きなバーグのカレーを食べ、家に戻り、また作業を進めた。

いよいよ念願だった「ボードゲームカフェでのクイズ会」も、現実味を帯びてきた。

できるところから少しずつ、の精神で、ツイプラの形だけを整えた。


競争で初めての方がギスギスする雰囲気は好きではないので、自分でも楽しめるような、バラエティ色のあるクイズをあれこれ考えた。

問題はカフェの予約で、時間とテーブル、椅子を予約の際に入力必須とされるので、何人集まるか不明のクイズ会など予約を入れようにも入力ができない問題に直面した。

その辺りも、某ブログの人は考えていたのだろうか。


貢献したい気持ちと、その期待にそぐ得ない気持ちのすれ違いは、精神的にとてもつらい。

それは「相手に施しを」のお節介心が叶わないときの寂しさにも通じる。


寂しいといえば、今日また自分より数倍も有名な某ボードゲーム漫画家が、引退を仄めかす発言をしていた。


ボードゲームを題材とする漫画は、一時期に比べかなり落ち着いた。今も継続されるこけし氏、ディスカバリーゲームズのハム蔵氏、店舗で数えると「ばねこみっく」のごーちん氏らも続くが、そんな中、私だけが変わることなく淡々と続けている。


筆を置く姿を見ると、なんだかこちらに「もう描けるだけのネタは尽きた」と訴えられているようでとてもつらい。

まだ、まだその奥底に、水脈があるかもしれないのに。

そう信じながら、正しくは、自分に問いかけながら、今日も、そして明日からもまた4コマを綴ることに決めた。


あきらめてなるものか。

2022年4月26日火曜日

追随

今度の名古屋で頒布する予定の4コマ新刊が無事に到着した。

改めて数えると、この新刊で、ちょうど30冊目となる。総ページ数は1000ページを超え、作った問題は本にまとめただけで3000問オーバー。4コマもSNS更新分だけでもう900話を超えた。

クイズ本に始まり、4コマやエッセイ、パズルにレシピ本など、本当にさまざまな本を作ったもの。とはいえ、売上など完全に赤である。

他に追随する相手がいないからこそ、その凄さ、強さ、制作の辛さが伝わりにくいのかもしれない。

もっと自信を持て、とあるが、比較となる対象やライバルの存在もなく、周りの評価と自分自身の肌感覚だけを頼りに、無理やりモチベーションを上げた結果が今、だ。

積み上げたものの大きさを、この4月の時期は考える期間なのかもしれない。

何をしてきたのだろう

積み上がった作品の数が、そのまま力となり、知識となり、経験となるものだと、頭ではわかっているつもりでも、手にとるような実感が今ひとつ手にできない。


自慢話は好きではないが、明日もまたいつも通りに頑張る日となることが、少し悲しく、また、それだけのことだったと自分に虚しく投げかける。


このブログも、日々続けることで、何かしら周りが追随できない力が身についているはずだ。

ランニングも、献血も、何もかもそう。


明日はまた献血へ向かう。

そしてまた4コマを描く。

そうするうちに、あっという間に名古屋はやってくるのだろう。

2022年4月24日日曜日

やるせなさ

 何やかや迷った挙句、結局この日もゲームマーケットの二日目を参加することにした。

昼の1時ごろに到着し、並ぶことなくスムーズに入場、周りのサークルにご挨拶へと回った。


会場の密を避けるためサークル数は感染症前に比べ少ない。感染症禍でのゲームマーケットも3年が経過し、出展料の高さや体調の都合等やむない理由で参加を断念された方も多く見受けられた。

かくいう自分もその一人で、ゲームマーケット大阪の出展料が半分返ったとはいえ、春に出展できるだけの手持ちを用意するのは本当に怖かった。


少し戻って、昨夜の話。


再来週開催の「ボードゲーム楽市」のポスターを、いつもの柚プリントさんに発注した。いつもながら仕事が早く、注文後ものの1時間もかからず印刷、配送のメールが届いた。

柚プリントの根幹は「同人印刷が初めてでも対応できる印刷業者」だ。トンボや塗り足しなどの用語がわからなくても、画像を送ればそのまま印刷してもらえる。

その柚プリントさんも、本感染症禍の煽りを受け、現在は縮小体制での営業だ。


感染症憎し、と声を荒げても何の解決にもならない。それは承知している。承知してはいるのだが、この不況と感染症のダブルの煽りが、本当に愛されるお店や人を奪い去ったかと思うと重い気持ちになる。


悲しさ、厳しさ、それは自然の摂理のようなものと自分に言い聞かせ、それでもやるせ無い思いの消えない中、自分の胸に手を置き、また作業に戻ることにした。


厳しい最中で、どれだけもがくことができるか、目の前の購入品に、製作者の魂を感じ取りながら、またペンを走らせた。


2022年4月23日土曜日

格差

ゲームマーケットの参加を検討に検討し、結局「お手伝い」という形で向かうことにした。


当初「もし仮に大規模なクラスターが発生し、参加者全員が隔離処置を命ぜられた場合、名古屋のイベントすらも不参加となってしまうと考えたのだ。

お手伝いとはいえ参加する形をとった以上、体調に変化がなくとも参加を断念しなればならない。大きな賭けでもあった。


元来の出展料の高さもあって今回春のゲームマーケットは参加を諦めた。秋も値段が同じなら、当然出展はできそうにもない。

そんな重い面持ちの中、わずかな時間ながら会場内の空気を味わうことができたのは幸いだった。お声がけくださった珠工房の珠さんには深く感謝したい。


普段は出展側に立つ自分が、ほんのわずかな時間だけ会場内の購入に回った。

とはいえ、元々そう多くも手持ちがなかったため、欲しい作品は吟味を重ねることにした。具体的には、後日家電量販店に並びそうな作品や、のちのイベントでも入手の叶うと踏んだ作品は今日のところは後回しにすることにした。


周りを見ると、紙のポスターは思ったよりも少なく、タペストリーやサークル布といった、何度か使いまわせるような布シートをうまく活用したブースが目立ったように思える。

また、サークル単独の参加も見た感じだと以前よりグッと少なく、共同出店や共同ブース、中の人員をうまく回して交代で店番や休憩を取るなど工夫していた。


言うなれば、時流に合わせた紙のポスターを貼り、自分の作品を自分の手だけで販売する、といった、これまでの自分の動きとは真逆の動きとなっていたことに気がついた。


進化というのか、格差というのか、

貧乏オッサン一人というサークルが約5年もの間、ほぼ一人で作品を作り、一人でブースに立ち、感想も文章に綴り、広報もデザインも何もかもを一人で手がける時代では無くなったのかと思うと、急に足取りが重くなった。


落ち込んでばかりもいられないと思い、とりあえずご飯だけを済ませ、目の前のポスター入稿を済ませ、今夜は早めに休むことにした。


「頑張れば誰かが見てくれる」

その言葉を信じて、頑張るより今はない。

明日からもまた一人で頑張ることにする。

2022年4月22日金曜日

見えない箇所の評価

 高校時代、古文の勉強を当初甘く見ていた。

「同じ日本語だから、何とかなるでしょ」といった具合だ。後になって気がついたが、古文の問題の多くは単語を読み取らせることが出題の主で、それは大抵「現在の日本語をイメージすると誤答の選択肢を選ぶ」といった引っかけ問題の嵐だった。

「いとほし」を問う問題に「恋焦がれる」が入っているような感じだ。出題側は知識の無い解答者に「いとほし→愛おしい?」と誘導する感じだ。(正解は「気の毒だ」「かわいらしい」)


ゲームマーケット直前となり、出展各サークルの広報ツイートを目にするようになった。

デザイン担当、制作担当、など役割を分けるサークルは、どうしてもデザイン担当者の作成したツイートをコピペで使い回すようにも見える。本来ならTwitterの画面やお品書き用紙(A4版が主流)に即したレイアウトを組み立てるべきではあるが、先の「イラストなら同じでしょ」と甘く見ると、その抜けどころを見誤ってしまう。これはもちろんデザインセンスの皆無だった以前の自分がそうだったからだ。

孤高の番次郎書店は一人で何役もこなすことで製作費全体を浮かしている。デザインにイラストに、と、外部に発注しようものなら楽はできようともお金がいくらあっても足りない。

だからイラストもデザインも、一人で勉強し、一人で頑張るしかないのだ。

その上、見た目でその技量が伝わるイラストとは違い、デザイン、レイアウトに関しては見る側も「なぜかよくわからないけれど見やすい」といった、快適の原因が伝わりにくい点が上がる。

漫画もその通り、単に派手な色をつけたら目立つ、という訳にはいかない。


私は結局ゲームマーケット前日のこの日も、レイアウトの作業に明け暮れた。

目立たず、評価されず、それは20もいいねがつかなかった日々の4コマにもいえる。

決して周りから評価されることも応援されることもなく、黙って勉強し、見えない箇所の腕を上げる。

自分を騙し騙し、いつかは報われると信じて、モチベーションを維持する。


頑張りがいつか報われますよう。

2022年4月21日木曜日

自分のキャスを聞く

15分だけ思いの丈をしゃべるだけの ツイキャスライブが、すでに600話近く溜まった。

学生時代、そして社会人時代、偉い人がどれほどカッコ良い言葉を話そうと聞く時間は5分が限界だった。その反省を活かし、余計なことをなるべく喋らないよう、そして努めて明るく昇華しよう、と、それでも悲しい気分のときは自虐も重なるわけではあるが、継続できるようになった。

好きなことから、見えない相手に伝えたいこと、それを意識すると、自分の中の考えが整理される。好きなことを言葉で紡ぐうちに、自分の伝えたいことがだんだんと見えてくる。その過程に15分という縛りを設けなければ延々と思考の迷路にハマってしまうのだ。


ダラダラしゃべるだけのツイキャスライブやTwitterでのスペースは極力聞かない。それは聴く側に立った時の「まとまりは各人の脳内で」に集約される感覚が苦手だからだ。

相手と対面で会話しながら、気持ちを読んだり相槌を打ったり、とは違う、何か我慢のような、読みづらい場の空気を読む必要があるからだ。


それらを踏まえ、自分のキャスは自分で聞いて自分でも楽しめるように配慮されている。配信者の中には自分の声を極力嫌う人もいると聞くが、画面の向こうに自分の声を発する別の誰かがいる感覚はとても不思議で、トークに魅了されてもそれが自分自身という感覚が今ひとつシンクロしない。


だから、言葉遣いの荒い話し手や、横柄な態度のMCがどうしても聞くに堪えず、どれだけ有用な情報だったとしても、言葉を通した人間性のようなものが透けて見えるからか、即座に通知を切ってしまう。


言葉の一つとっても栄養であり、勉強である。

相手に伝えることを意識しなければ、言葉の紡ぐ川などすぐによどんでしまう。

今は比較的穏やかな心持ちだから、気持ちの面でも割とスッと整えられるのだろう。


こんな日は作業が捗るもの。夜からの集中力は計り知れなかった。

ゲームマーケットまで残すは1日、参加の是非は不明だが、自分も参加の立場に立ったつもりで明日も普通通り頑張ろうと思う。

努力は姿となって見えるはずである。


2022年4月20日水曜日

仕返ししない

昨日久しぶりに対面で会話したときの「(作品を)応援しています」の社交辞令が本当に胸をえぐられる思いがした。
普段何の言葉もかけてはいないでしょ、苦しみ溢れるツイートにねぎらいの言葉もないでしょ、と、ひねた気持ちしか生まれず、今日もまた余計なツイートが溢れた。
作業に没頭していない証拠であり、また、精神面も含めた体の不調のサインとも取れる。食費を浮かすために食事も控えているからか、頭がぼーっとしてアイデアも生まれてこない。

それでも作業のノルマは減るはずもなく、配送を終えた今の時期の制作サークルが「暇だー」とこぼすツイートを横目に、出展もしない自分がなぜこうまで苦しむのか、そればかりを考える1日だった。

苦しい最中、それでもどう気持ちを乗り越えたか、それは「苦しみたくない」立場の人間が興味本位で聞いてくるが、私自身も毎度苦しさを逃れるために必死でもがくうちになんとなく体が浮上してくることしか意識がないため、今を精一杯生きろとしかアドバイスができない。

体の疲労はピークに達し、昨日は「恒例行事だね」とバカにもされた。

苦しさに加え、悔しさと悲しさもまじり、今日の昼は泣きながらランニングを飛ばしたことを思い出した。

馬鹿にする人間に、何度となく言い返そうとした。その度に「悪いことをしても仕返ししない」という、山田ズーニーさんの言葉を思い返した。
「悪いことをされても、仕返ししない。これは注意ではなく、法則。悪いことをする人間は、必ずどこかで悪いことが帰って来るはずである。こちらから仕返しをするのは、やりすぎだ」
そんな言葉だった。

今の苦しみが果たして正しいのか、嘲笑い、社交辞令で返す相手の目線が正しいのか
それはもう天に任せるしか術がない。

今夜もツイート上のスペースは賑わいを見せている。
そんな中、孤独に一人眠る。
悔しさ悲しさを夢に混ぜ込むように、ひたすら眠ることにする。

2022年4月19日火曜日

型破りの中で

 ノスモスさんの個展に行ってきた。

昨年、一昨年と足を運んだ上で、さらに作品は進化を遂げていた。鮮やかな色をつけ、手に取りやすい作品から芸術的な作品に至るまで、幅広い作品が所狭しと並んでいた。

ノスモスさんが話してくれただろうか、着色は作品として冒険的なものだという話だ。

元々、木の焦がし方の濃淡で作品を表現するウッドバーニングの技法では、作品全体が奏でる「木の温もり」「作品の温かみ」が滲み出ていた。

そこから人工的に(色鉛筆の素材ではなく、ウッドバーニングが生み出せない色合い、という意味)着色する作業は、いわば歌舞伎の世界でいう「型破り」にあたる。

周りがギョッとする、そんな周りの声に抗うが如く、美しくしなやかな作品を創作された、それが今年の展示展で一番印象に残っていた。

コバルト色の小物ケースは、インディゴを思い浮かべるほどの鮮やかな色合いだ。それは木片を焦がす濃淡だけでは決して表現できない、まさに熟知された人間のなせる技だ。


そう考えると、周りの「できない」「無理だ」という言葉の薄さ、そしてそれを跳ね返す強靭な精神力、それをも超える自己の忍耐力、そんなことをぼんやりと感じた。


クイズに4コマに、私も周りの「無謀だ」「無茶だ」の声を一身に受け、それでも根気強く今も創作の手を緩めてはいない。

その中の一人が楽しんでもらえるならば、残りの資材を投げ打ってでも頑張ろうと願うのだ。


もうすぐ年は44となり、睨みを効かせた坊主頭はますます形相が悪くなる。

それでも、残り少ない人生の中、これほどまでに打ち込めるものが手にできただけでもありがたいではないか。周りの同世代は、なかなかそううまく行ってはいない。


相手との勝ち負けではなく、自分と真摯に向き合うだけの勝負を、また明日からも頑張ろうと思う。

今日は4コマも無事に300回を迎えたのだ。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...