2022年6月21日火曜日

環境

 手の職が無くなってから、ずっと創作を続けていたように思える。

本を読み、絵を描き、文字を綴り、動画や加工技術も全て独学で学んだ。

過去の偉人が残した言葉を信じ、自分の能力を一途に続けてきた。

そのための環境周辺も整えた。有体に言えば、応援もしないのに口だけは出すフォロワーは徹底して無視を決めた。それはどちらかと言えば、私より先にボードゲームの世界に携わった方が多かった。

忠告は「私がそれをやりたくない理由を語っている」に置き換えて読んでいる。

失敗も所詮自分一人、責任も何もかも一人だ。

同じことだけれど、一人はやっぱり孤独で、誰かに自分を信じてもらうことがどれだけ難しいかを実感する。

それはとりわけ、近くなり親しくなればなるほど、その「信頼の対象」から外れるはずだ。

「似たもの」が集まるのであれば、自分の周りには、そう周りを茶化す人間は集まらないはずだ。

自分の周りの人間関係を、あらためてながめ、その環境の幸せさにあらためて感謝する1日。

2022年6月20日月曜日

唯一の手段

 4コマの原稿をあらためて見直し、急遽2ページの漫画を差し込むことにした。

喜怒哀楽の「哀」の部分が抜けていたので、それを足した感じだ。

哀しみ、とはいうけれど、いわゆるBAD ENDのような展開は、自分も好きではない。もっと有体に言うと、「ボードゲーマーの悲哀」や「気分の悪くなった経験」などは綴らない。それは綴りながら自分もペンが止まるはず。

だから、読んだ方に「爽やかな涙」が流れるよう、それを2ページでまとめるには、というお題に立ち向かった感じだ。

室内気温は32度を超え、お古のiPadも熱暴走が始まった。資材が整わずに新刊が出ないことだけは留めたい。


作業作業で詰めることが、嫌なことを忘れる唯一の手段だ。

blenderの勉強も含めて、少しずつ進めていけたらと思う。

色々手を出すと、意外と簡単だった(一手番だった)ことに気がつく。ブルーバックのクロマキー動画も意外と簡単だった。

2022年6月19日日曜日

炎上商法

 備忘録として綴っておくことにしたい。

伊集院光さんが自身のラジオで「炎上商法の功罪」について、プラモデルの抱き合わせ商法を例にとって話していた。

人気プラモデルの抱き合わせ商法は、悪徳の度合いで何段階かに分かれ、人気のガンダムのプラモと一緒にできるか否かでそれらが決まっている、といった話をされていた。

そして、そうしたプラモ屋さんは、周りの評判がガタ落ちした。「ああ、そんな売り方をするわけね」と。

ボードゲームカフェにもあったなぁ。今はもう完全に徹底してしまったけれど、金に空かせてプレゼントのオンパレード、おごる、あげる、そんな繰り返しで客を集めたばかりに、創作者どころか同業者にも嫌われていただろうか。

炎上商法がイコールに例えられる。人の噂も七十五日というように、周りが発言を気にしなくなるまでしばらく鎮火を待つ、そんな人は有名クリエイターにも大勢いる。

自分はどうしても、過去に同業者を馬鹿にする人間の作品を手にとって応援したいとは思えない。

相手先にお金がまわることも憚られるため、なるべく作品から距離を置くことにしている。

それはSNS全盛期となった今、創作側と購入側との距離が否応なく近づいた功罪でもあるのではないか。

そんなことを考えながら、なんでもすぐツイートする、そのクセを自分もなんとかせねば。

思うだけならまだ大丈夫。その気持ちをもとにどうするか、その判断ができるからこその大人だと思っている。

2022年6月18日土曜日

届かぬ声

 気落ちした状態で遮断桿のカンカン鳴っている場所へ向かうのは本当に危険だ。向こうの世界からおいでおいでする者が薄らぼんやりと見えてしまった。危ない危ない、とはいえ、一歩足を踏み外せばすぐに向こうに引きずられることを考えなくては。

何が悩みなのか。それは最近になって「成長の実感がわかない」ことでは無いかと考えた。

手に取る実感、それは周りの褒める声であったり、周りの信頼の声だったり、時としてそれはお金だったり仕事だったりもする。

3Dの勉強も、イラストも、もうほとんどの方が「やっているのね」と素通りするくらいになった。努力の過程を示したところで「邪魔」に扱われるようになったのだ。次の段階は「自分の役に立つか否か」である。

悲しいことではなく、それだけステージを一歩進めたという意味で捉える。

とはいえ、歩けども歩けども、周りの評価や応援の声の届かない最中、いかにモチベーションを上げるか、それは本当に難しく、そればかり995話も続けてきたようなものだ。


「俺の期待を超える成果を出してくれ」

そんな声には正直答えたくはない。応援は今ある姿で評価してほしいから、財布も持たずに上からの目線で語られる人間の期待に応えるすべなど今はない。

そうつっぱねながら、今日も作品を作りながら、心のどこかで「評価してください、反応してくださいーー!」と叫んでいた自分。

地道に、地道に、本当に少しずつ、愚痴や弱音をグッとこらえて、同期がめざましい活躍をする中、自分のことを考えながら、また明日も誰に褒められるともなく頑張ろうと思う。

この辛さ苦しさが、いつか、できれば近い未来に、報われますよう

2022年6月17日金曜日

外の世界

 4コマを描き終え、今日で994話、残すは近くて遠い6話となった。

池袋上さまのカワサキファクトリーの個展を拝見。活動そのものは10年も続く作品のラインナップ、パーティありアブストラクトあり、重いゲームあり軽いゲームあり、この多彩さが愛されるサークルの持つ魅力なのだろう。

これまでできることを手放すことは、本当に難しい、行き品に読んだ本の中で、そう綴られていた。

私もボードゲームのクイズ好きとして、なかなかにクイズの本から一歩も抜け出られない。それは作品を認め、愛好してくれる存在があるからではないか。反応も大きくはないけれど、作品を読む相手のためならば、今の活動の大きな支えとなる。

そこから一歩踏み出し、外の世界に出る。それは漫画を描く際に痛感した。

漫画を描きたい動機なんて本当に「自分が読みたい」の一心だった。

もちろん周りからは見向きもされず、今もまだ閲覧数は二桁を超えたことがない。

そんな中でのモチベーションは、言われてみると、この漫画が抜けてしまったあとの、クイズ一辺倒から抜け出せないことへの不安ではなかったか。

クイズができるから何、ボードゲームに詳しいから何だ。

クイズ本の4冊目「ネクステリア」を手掛けながら、知らず知らず、その先の展望に不安を抱えていたのかもしれない。

そんな漫画が、もうすぐ1000話だ。そして現在、新たに3Dの勉強を始めている。

どうなるかなんてわからない。でも、そこにはきっと、自分ですら見たことの無い世界が広がり、ひいてはそれが、作品の一魅力となるのではないか。

そう自分に葉っぱをかけながら、また明日も頑張ろうと思う。

2022年6月16日木曜日

3ヶ月前

 何気なくツイートを眺めていたところ「毎日作品を更新することで、毎日目にされる方が「家族の付き合い方」に似て接してくる」のような内容に目が止まった。

ちょうどこの日の4コマを描き上げたところだったので、本当に見聞きされているか不安の中だった。応援の声はある、と言われても、その実感が持てない中では、創作のモチベーションにイコールとは繋がらない。

家族と接する中だから、普段の感謝を投げる方は少なく、何か特別な記念があったとき、それとなく反応してくれる、どちらかといえば不平や不満の方が先に立つのだろう。


もうすぐ父の日らしい。厳しく接する親と離れ、一人親のことを思うことも無くなった中、親プレイヤーのことを考えるボードゲームの制作には没頭した。

成長の過程は3ヶ月を基準とせよ、と、占いの本(しいたけ占いだったかな)にあった。

振り返ると、3ヶ月前も、新刊4巻目の制作に没頭していた。

心配事をかき消すかのように、黙々と絵を描いていた。ミニキャラを思い出し、描き始めたのもこの時期からだった。

成長すれども反応は薄い、それを受け入れてこそ、それにも勝る何か別のキャパシティが生まれるのではないか。

少ない手持ちに悪戦苦闘しながら、また明日も頑張ろうと思う。

2022年6月15日水曜日

勝手にどうぞ

新潟ボードゲーム祭り(note記事)、そして、大阪ボードゲームフリーマーケットinなかもず(いかラジ経由)の状況を把握した。
両イベントとも、初めての方やベテランの方、どちらでも楽しめるイベントとなった旨を頭の中に掌握した。
北海道も広島も川崎も7月は多数のボードゲームイベントを控えてはいるけれど、感染症対策に熱をあげすぎて、肝心のイベントそのものが「即売会」に終始してしまうと、また別のイベントの二の舞になるぞと実感した。

ツイキャスライブでは話せなかった感想の話。
私の話題がほぼ上がらなかった大阪に(ポッドキャストでは名前すら上がらなかった)比して、新潟のイベントではしっかりと報告して下さった点が心に引っかかっている。
地元は良い、と話に上げながら、遠方の参加者に期待する、それは北海道の運営スタッフも一時期「遠方からの参加」を待つ姿勢にも見て取れた。
地元だから移動などの準備が楽だという点や来場者に顔見知りが多い点など、遠方からの参加の辛さ、寂しさは、近隣で運営を展開すると、どうしても抜けてしまいがちになる。
ご馳走でもてなすことも憚られる昨今の情勢、どうしてもその「飯テロ」に抱く嫌悪感が「イベントに来てよかったと思うのは自分で勝手にどうぞ」と投げられているように感じる点にあるのではないか。

うまく言葉にできないけれど、一人閉塞的に過ごす中で、必要なことはやはり信頼と、その先の「一緒にやっていきたい気持ち」があるからではないか。
個々人の想いから、ひいては社会貢献に結びつく話だ。
それは一人の攻撃的な人間が、必死になって槍をついてくる、その世界にこそ必要とされる能力だ。
悔しいから何度だって書くけれど、パワハラ上司の最終手段は「常に訴えること」だ。
常に訴え始めたら、相手の持ち玉がなくなった証拠であり、最後の攻撃と受け取れる。
それさえ乗り切った先に、何かまた新たな出会いがあることを信じる。

2022年6月14日火曜日

ミドリムシ

 4コマを描き、イラストを描き、コメントを書き、3dの勉強をし、と、出費もなく落ち着いて勉強し過ごした。預貯金の限界があるため、この勉強もそう長くは続かない。

イラストを描きながら、やっぱり長く絵を描かれる方には敵わないなと思いつつ、それでもアップロードしてみることに。

私は他の制作者からあまり良い目で見られていない。

すごく昔に「ミドリムシのようになりたい」とつぶやいた。

どこにでも存在し、栄養も高く、皆に愛され、どんなに弱い生きものからも食糧となる。だから周りから敵対視されることや、軽く見られることも多い。

食物連鎖の底辺に位置しても、文句ひとつ言わず過ごす。

それは老子の世界で最も気品ある行為と言われた。

実際、上から高圧的に接せられると、私のような精神弱者は身構えてしまう。

だからなるべく、攻撃的(少なくとも口から発する言葉の淀んだ人)からは、どんなに立場が高かろうとも距離を空けることにしている。


心配事の9割は起こらない、という言葉を間に受けながら、自分の形をゆっくりと掘り込むように、1日1日を、少し焦りながら過ごす。

また明日も生きていること、生きていることにコストのかからない、そんな1日を過ごせたなら、と願う。


2022年6月12日日曜日

自慢はしない

 3Dの復習も兼ねて、今日は一から珠工房さんのキャラクターを制作することにした。

ショートカットも含め、できること、ここができる、ここをこう工夫する、が、手筋となって見えてくる、勉強ですらすらと思い出せる感覚だ。

2週間足らずとはいえ、頑張った方ではないか。


光の加減やキャラクターのスムージングなど、終わった後で「こうできたのではないか」が生まれる、テスト後のあの感覚だ。幸いこちらに関しては数値化がなされておらず、後で好き放題復習なり改良なりすれば良いだけの話だ。


3Dを勉強すれど、それは決して自慢できることではない。

自慢した瞬間に、向こうから拒否の反応が現れる。

とはいえ、何も言わないままでは、何のアピールもできないし、それこそ仕事の依頼だってくるはずもない。

できることをもっと増やし、この先にある「相手が必要とするその時」を、じっと待つ、それが仕事ってものだろう。

依頼がないのは、それだけ相手から「お金になる能力」を持たないに過ぎない。

一方であまり虫の好かない相手に依頼があるのは、相手が「お金になる能力」に長けているからだ。

信頼なり友好関係なり、こちらの意図とは別に、それらがネットワークとしてつながるからだろう。

まだまだ、相手の信頼は薄い。

密かな練習は決して表にしないよう、それが努力ってものだろう。目に見えない箇所、というより、5%だけ相手に見せる、そんな術を持ちたいと思う。私の力はまだまだ秘められていると信じる。

2022年6月11日土曜日

スナック菓子

40も過ぎた おっさんなので、泣き言を言ったところで助けなど来やしない。

それどころか「(Twitterの)タイムラインに不幸な情報を流すな!」「見たくない!」と一蹴される始末だ。

若い制作者があれだけ苦しみに満ちたツイートをすることで、多くの方が心配に駆けつけるのに、だ。

それが自分の実力だと自覚し、逆に考えると、ひっそりと生きることだってできる、という意味にも取れる。


毎日を必死に、それこそ、明日にも知れぬ命で生きること、それを周りにアピールすることを嫌う傾向にあるのではないか。

誰も気持ちに余裕がないから、「心配すること」にもコストを考えるようになる、結果、手出しは何もできないし、自分で解決してほしい、それを何となく見守ることくらいならできる、自分はもっと他のメンタル調整で忙しい、となるのではないか。


時間をつぶすメディアが触れ、一人で何でも解決できる環境があるからこそ、誰もが「手助けがなくともそれらツールを活用してくれ」と投げてしまう、それが今の世の中ではないだろうか。

糸井重里氏が「ネットの環境はスナック菓子に似ている」と例えた。

手を出せばすぐに手に入る、それなりに美味しいので食事の代わりにもなる。スナック菓子を食べ続けるうちに、本当の食事が持つ温かみや優しさが抜けてしまうのではないか、と、そんな警鐘だった。


まだまだ、苦しさの本質は変わらない。

だから、もう少しだけ、明日は頑張ってみようと思う。

昼間はまったく動けなかった。


2022年6月10日金曜日

笑う自覚

 昨日から新刊の制作に手をつけ始めた。

とりあえず4コマを敷き、そこに一話ずつ、コメントとともに並べるつもりだ。

前作を超える、そのためには、今まで以上に自分に負荷をかけなければならない。

3Dに、イラストに、単に画力が向上しただけでは、買い手の衝撃などない。

昼間にそんなことを考えた。

もちろん作品を期待させる方への、何重にも工夫されたエンディングは楽しみではあるかもしれない。

自分の作品に、それを求められるとすると、どうだろう、できるだろうか。

そろそろおまけ漫画などにも手を入れて、驚きが実際に形となるように頑張らなくては。

笑う笑うと自分は口にする。笑う本人は、本当にその自覚がない。

いじめの加害者が、パラハラ上司が、「そんなつもりじゃなかった」と言い訳する、あれに似ている。

笑った自覚のない人間が、「誰が笑うんだ」と冷やかす。

笑われる姿を見返すためには、一にも二にも、泥臭い努力を成し得たあとだ。

成果としてどんな形となるかはわからない。その上、自分もそろそろ限界だ。

それでも、できうる限りの歩みは止めたくはない。

それは限界というものが、自分の眼の前からどんどん先へと向かうからではないだろうか。

そしてその先にこそ、周りが驚くような内容として、生み出される、そう信じる。

涙は出るが、それでも頑張る。


下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...