40も過ぎた おっさんなので、泣き言を言ったところで助けなど来やしない。
それどころか「(Twitterの)タイムラインに不幸な情報を流すな!」「見たくない!」と一蹴される始末だ。
若い制作者があれだけ苦しみに満ちたツイートをすることで、多くの方が心配に駆けつけるのに、だ。
それが自分の実力だと自覚し、逆に考えると、ひっそりと生きることだってできる、という意味にも取れる。
毎日を必死に、それこそ、明日にも知れぬ命で生きること、それを周りにアピールすることを嫌う傾向にあるのではないか。
誰も気持ちに余裕がないから、「心配すること」にもコストを考えるようになる、結果、手出しは何もできないし、自分で解決してほしい、それを何となく見守ることくらいならできる、自分はもっと他のメンタル調整で忙しい、となるのではないか。
時間をつぶすメディアが触れ、一人で何でも解決できる環境があるからこそ、誰もが「手助けがなくともそれらツールを活用してくれ」と投げてしまう、それが今の世の中ではないだろうか。
糸井重里氏が「ネットの環境はスナック菓子に似ている」と例えた。
手を出せばすぐに手に入る、それなりに美味しいので食事の代わりにもなる。スナック菓子を食べ続けるうちに、本当の食事が持つ温かみや優しさが抜けてしまうのではないか、と、そんな警鐘だった。
まだまだ、苦しさの本質は変わらない。
だから、もう少しだけ、明日は頑張ってみようと思う。
昼間はまったく動けなかった。
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