2022年4月11日月曜日

実るほど

16の誕生日から続けてきた献血が、今日で無事に100回目を迎えた。

体に気を遣ったおかげで今日も時間のかかる血小板成分献血をお願いできた。


何気なく目を通したボードゲームカフェ運営者のブログで考えたことがある。

「本当にイヤなこと」は、本当にやりたくないタイミングで押し寄せるのではないか。

ブログ内では他人に頭を下げてお願いすることが苦手だとあったが、一方で尊敬する名古屋バネストの中野店長は「頭くらい下げますよ」の姿勢をとっていらっしゃった。

半沢直樹でも上役が頭を下げる(作中で土下座する行為)を本当に屈辱じみた行為として描いているが、実るほど首を垂れる稲穂かな。の言葉にあるよう、自分より年上の人間にも、言い訳をつけ、憮然とした態度を取り、あからさまに報復と言わんばかりの行為で仕返しをする、そんな人間をまま見かける。


あれこれ書いたり消したりを繰り返しながら、言葉を選び、このブログも綴っている。

最終的には「自分もちゃんとごめんなさいの言える大人」になりたいと、その言葉に集約されるように思えた。


体を気遣い、今日は早めに休むことにしよう。




2022年4月10日日曜日

そんな生き方

 「(今年)4月でボードゲーム制作をやめます」「理由は、ボードゲーム制作では収入を得るのが難しいと分かったからです」「ゲームを作り、ゲームマーケットに参加し、Illustratorの使い方がわかったことが収穫でした」

そんな旨の言葉が綴られた、若いクリエイターのツイートを発見した。BooTHにはボードゲームのクイズ本も合ったが、私自身の制作する本より高価(それでも1500円くらい)かつボリュームもかなり薄かったので応援購入はできなかった。


色々な捉え方ができると思うが、私は「制作の喜びをお金第一に見ると、そうなるだろうね」と考えてしまった。自分もまったく利益がない部類の、いわば「負け組」の部類に入る自分が、である。我ながら飛んだお笑い種だ。


先日、秋葉原ロール&ロールステーションが来月5月末で閉店すると発表された。

閉店を悲しむ声の中には、最近の傾向で必ず「そう思うなら閉店前に行ってあげればよかったのに」の声も混じるように見えた。

昨年、一昨年のコロナ禍で、経営の苦しさをすぐに声で表明し募金を集めるお店は、現在もちゃんと残って営業を続けている。一方で、苦渋しながらも決して表立って根を上げず、最後にパタリと閉じたお店は、たしかにその行方もわからないままも多いが、先日の「神保町リブレスト」に見えるように、助け舟を出す人間が現れた。

真っ直ぐな生き方、考え方は人の心を動かすことを学ぶ一コマだった。


先日の藤子不二雄A先生も「なんとかなる」生き方を提唱された。水木しげる先生も、吉本ばなな先生も、そんな「深く考えない生き方」を口にされる。言うは易く行うは難し、ではあるが、自分も決して笑って見ている側ではない。


自分にできることは、目の前のことに全力を注ぐことだけだ。それがどれだけ多くの人の心を動かすか。日常漫画を綴る中で、マニアに向けたクイズを作る中で、もうしばらく考えたいと思う。


2022年4月9日土曜日

ちょっと告知の話

 売れる、売れないの話は苦手だが、少し考えたことがあった。


ゲームマーケット初参加のとあるサークルに「120部初回限定生産」とあり、120部も初回で売れるのか?と疑問に思った。

それはボードゲームを求めて多くの人が集まるイベントだから、というより、むしろ同人誌印刷のような「小部数でも依頼できる印刷所」が少ないからではないかと考えた。ちょっと調べると、案の定ロット単位で100部、200部から、と、かなりの数量の言葉が並ぶ。


それはそれとして、自分の本など、100部なんて到底届かない初回部数を印刷し、イベントへと持参する。委託できる環境がないわけではないが、イベントで直接販売できることを望む自分たっての希望で(そうそう委託先もないわけではあるが)通信販売を主体に移すこととなった。

そして午前中にふと、昔「万屋楽団のそれなりな日々」のゲスト回で自分が話したことを思い出した。

一般書籍だと5万部売れたら大ヒット、1日に10冊も売れようなら、その本は大ヒット御礼なのだ、と。そんな旨の話だ。

ゲームマーケットをものさしとするか、一般書籍の事情をものさしとするか、その尺度(見方)で、捉え方は大きく変化する。

初回部数は予約数の1.5〜2倍、の話も今や昔話。Twitter経由での告知も誰かのリプライに繋げたり、動画やブログでまとめる主に依頼することが主体となるように思える。かつて、たくさんの注目作をブログに上げたうらまこ氏や、大半の作品にノットフォーミーをつけることが恒例となったシミーズ氏、カタログ全文読みツイキャスライブを恒例とした「いからじ」のいか氏、そして同業他社(他者)の存在で今年春は今も行う旨の見えないりかち氏など、少し前まで(評価の程度はどうあれ)個人が紹介する媒体はもっと多岐に渡ったはずだ。


昔は良かった、という話ではなく、時代は移り変わること、昔のようなスタイルに固執せず、今のやり方に倣い、また、今のやり方に不満があるならば別のやり方で、刻一刻と宣伝も考えなければならないと考えた。


そんな中、私は今も各店舗を周り、お店の方に直接作品の魅力を伝える、言うなれば富山の薬売りのスタイルで広報を続けている。

すごく古いやり方だとは承知している。

それが、相手の顔を見てモノを売る、自分に合っているというだけの話なのだ。


2022年4月8日金曜日

売れない本が

 改めて数を数えたところ、次に出す予定の小冊子「ボードゲーム帝国」で、節目の30冊を迎える。

2017年ゲームマーケット秋にクイズ本を頒布して以来、実に4年と半年、54ヶ月で30冊なので約2ヶ月に一冊以下の計算だ。よくもまあ飽きずに作ったものだ。

加えて、これらの本が大手を振って各種マスコミ等に紹介されたことなど、自分の覚えている限りで一度もなかったのではないか。

売れない本を飽きずに作る、モチベーションの有無を問われたこともあるが、理由は簡単で、今日の目を浴びずに終わった本も、次は脚光を浴びるかもしれない、そんな一縷の望みを綴り本を作っているからだ。制作全体で見れば赤字も赤字大赤字である。

そんな中ではあるが、いつの頃からか「前の本の焼き直しは作らない」と誓った。

根本はデザインの師からの助言だっただろうか。それを本当に、馬鹿みたいに忠実に守った。僅かながらの売り上げはデザイン・イラストの技術書に消え、それを次に繁栄させることを目標とした。以前も書いたが、自分のライバルは「前の新刊」だった。

今回4コマ4巻もそうだが、書き上げたあとは「これ以上どこを手直しすれば良いのか」と思えるほど各種の細工を加えた。だから実際に締め切りを目にするまで、作品の絵姿がはっきりしない。山を切り崩すように、少しずつ、できるところから手を加えていき、最後は根性や情熱といったメンタル面との戦いとなる。妥協したところで終わり、である。


ボードゲーム漫画がここ数ヶ月で本当に増え、以前のような「更新を続けるのが自分だけ」の状態からは幾分脱出できたのかもしれない。それはもちろん自作の広報を兼ねたものが主体とはなるが、ボードゲームの人気キャラクターが愛くるしく動く姿は、それだけでもタイムラインを明るく活況する。

自分の作品は相変わらず平常運転を続ける。特段伸びることもなく、そして、特段下がることも最近は無くなった。それでもどんぐりの背比べと言われたらそれまでだが、その少しの数だけが、何よりも制作意欲を次へと運ぶモチベーションとなっている。


4コマはもうすぐ300話、356話を迎えるとTwitter更新のトータル1000話、291話目となる現在は935話だ。残すは65話。遠かった千里の道も半分がようやく過ぎ、とはいえ、今もまだネタに苦しむ毎日だ。

もうしばらく、もうあと少しだけ、ボードゲーム漫画としては観測する限り前人未到となる夢の4桁まで、体だけは崩さないよう、そして、変に考え込まず、どんな形でも更新を第一に綴ることを目標に、明日も頑張ろうと誓う。


2022年4月7日木曜日

最終回にまつわる話

 最終回のハッシュタグがあったので、手前味噌ながら、自分の4コマについて語ってみたいと思う。

前作「ボドびよ。きょうもボドびより。」は、普通に「次もあるでしょ」のような最終話を迎えた。これは自分が湿っぽい展開をよしとしたくなかったこと、加えて、心を揺さぶる展開の漫画ではなかったため、そのポリシーを貫くことにしたこと、最終回という言葉のイメージがあまりに大きいため、どんな形でエンディングを描いても悲観的に受け止められることを察したのだ。

「ByeBye!」と手を振る一コマをリプライで繋げることが、自分の考える自分の漫画の最終回っぽい展開だった。それはそれで自分で満足できた。


そして現在も続く4コマ「かみとさいころ」も、ある日ふと「最終回を事前に描いてしまおう」と考えた。

この作品ではキャラクターの個性を引き立たせるため、性格から考え方まで細かく設定を作った。

だからこそ、最終回の余韻を残せるようにしたかった。がしかし、それだとどうしても「日常4コマを描きたい」という自分の主軸から離れてしまう。

そこで小冊子2巻という早い段階で、あらかじめ最終回を綴ることにした。言葉は悪いが「生前葬」のようなもので、何かあって更新が止まってしまったときに用意された締めくくりの形であると同時に、読み手が「もう最終回は読み終わった」前提の安心感から、いつ終わるともしれない作品を好きに読むことができると考えた。私自身の創作スタイルに関しても、最終回の展開を気にせず、好きに描ける安心感が役立っていると思っている。


これは珍遊記などの狙った作品でなければ、かなり規格外の作品であることは承知だ。本4巻目でも商業誌では見かけないかなりチャレンジャブルなおまけ漫画を綴っている。

創作は手を動かさなければ生まれない。自分の中に眠る創作のタネを、どんどん掘り起こし、自分と対峙する中で作品を生み出す、目先の流行やスタイルに安易に乗らず、自分を信じて手を動かす。

それが今の自分に課せられた使命ではないかと信じる。

同日、「なんとかなるさ」の生き方を啓蒙する藤子不二雄A先生が他界された。合掌。

2022年4月6日水曜日

商売道具

 真夜中熱と寒気にうなされ、ついに耐えきれず解熱鎮痛剤を飲み、症状は落ち着いた。

昨夜うなされながら書いたnoteの紹介記事も、それなりに評判があるようで嬉しかった。私にとっていいねが2つもつけば大満足なのである。

名古屋のイベントで気づいたことがある。

あれだけ「ボ育て」「ボードゲーム教育」と声高に叫ぶ団体が、名古屋のイベントにまったく姿を見せないのだ。期間はゴールデンウィークだというのに、だ。

もう一つ、「ボ育てTシャツ」を販売する某サークル主は、堂々と若手クリエイターを名乗っている。結婚どころか学生なのである。

そうなると、この「ボ育て」という言葉が一人歩きし、都合の良い商売の道具に代わってしまったようにも映ってしまう。

本当に勉強できる子どもにしたいのであれば読書させたり珠算させたりも良いはずだ。昔に比べ(任天堂の影響かもしれない)デジタルゲームのコミュニケーションも整ってきている。ボードゲームを一過性の商売道具にしたいと私は思わないので、そんな「なんでもお金に見える」人間がどうしても好きになれない。

最近書く本が刺激のある言葉の本だからか、注意を払わなければ少し発言が過激になってしまう。明日はまた作業に没頭したいと思う。

2022年4月5日火曜日

お節介

 3度目となるワクチン接種のため、念を入れて4コマを休むことにした。代わりの時間はひたすらボードゲーム帝国の原稿を書いていた。

3度目さらに平日ということもあり、想像したほどの空き具合だった。ワクチンを打ち、多めのご飯を入れ、休む間もなく作業に移った。

副反応からくる気だるさで昼間はぐでぇと横になったが、慌てて名古屋ボードゲーム楽市のサークル紹介記事を書き上げた。無理せず明日にかけて書く予定だったが、勢いのまま体にムチを打ちつつ一気に仕上げた。


あまり良いバイタリティではないが、今はTwitterで調べる作業すら行う人間も稀となった。本を読むわけでもなく、手元に「おすすめある?」と聞いて周りの反応をもらう、ちらほら見かけるのはそんなスタイルだ。

それを常態とする人からすれば、何千字と綴る全サークル紹介など無駄な努力に見えて当然だ。

「自分もやる気があればやりたかった(けれどめんどうだった)」

そう考えたとき、脳はそれをあたかも「自分がやった」ことへのフォルダに振り分けてしまうらしい。


副反応と格闘しながら、長く長く綴ったノート記事だが、有り難がられるかと言われたら、褒められるどころか、「余計なことするな!」と叱られて当然だろう。

他のイベントでも似たようなことを経験し、似たような言葉を投げかけられた。もうそのイベントに進んで出展することなどないだろうが、時代なのか、楽しみの違いなのか、とても悲しい思いをした昨年の出来事だ。


気だるさが残る中、この作業で唯一得られる「自己満足」の高さだけが、シビれる体のなかで湧き上がっていた。

同じことは、お金を積んだ誰かがきっと行うかもしれない。

その商売の機会を私は奪ったことになる。決して善行ではない。

悲しいけれど、自分にそう言い聞かせ、自分はまた明日から通常通りの動きに戻ることにした。

来週は100回目の献血に向かう。

2022年4月4日月曜日

他人に頼らない不安と自信

 昨夜眠りながら、夏に向けた新刊のアイデアを練っていた。

ゲームマーケットカタログ2022春の角刈書店さんのインタビューで「自分の欲しいもの」という言葉が引っかかった。自分が読みたくなる本、それは大枚を叩いても欲しい一冊であり、自分が動かなければ決して世に生み出せない作品である。


言うが早いか、早速データをプロットし、少しずつ夏新刊「ボードゲーム帝国」の単行本の制作を立ち上げた。あと1ヶ月でどこまでできるのだろう。


北海道やゲムマ春の購入は、手持ちの資金の関係で「必ず買います!」と宣言できない。

そうなると「こいつをいくら振っても金は出さない」と判断されたのか、サークルの方からも次第に去っていく。

悲しいけれど、応援応援と声高に叫んでも「飯にならない声のどこが嬉しいのか」と投げかけられる、それが現実であり、誰かが「金が人間関係を選別する」と話した言葉の通りになっているようだ。芥川龍之介の「杜子春」冒頭にもそんな物語があっただろうか。

もう一つ、若い製作者が「ボードゲーム問題集」なるドリルのようなものを春に頒布されることがわかった。ここではクリエイターなどを紹介しないし、私の作品と比較することもしない。1年以上頑張って練り上げた本の単価のほぼ倍額を提示するそのドリルも、適正だと思う人が手に取れば良いだけの話だ。

私は少ない額かもしれないけれど、手に取った方が満足されるような、そんな作品を目指したい。

「値段が安いと甘く見られる」は、ネット上でよく見かける言葉ではあるが、私は最近になってその言葉に疑問符を投げかけるようになった。

詳しくはまだ頭の中でまとまりきれないけれど、安い価値の中に、無限の楽しみが眠っているのであれば、その次につながるのではないかと考えているからだ。

それは4コマも、当日の動画クイズも然り、安いことを馬鹿にすることなどできないし、それは逆の目線、高いだけの楽しみを提供できる自信があるか否か、で、考えるべきではないかと最近は思うようになった。

答えはわからないが、自分は自分のポリシーで頑張ろうと思う。そういえばちょうど、ポスターの宣伝文を募集で呼びかけるツイートにも疑問を呈したばかりだった。


2022年4月3日日曜日

愚痴とお金と大人の話

昨日の入稿の余韻に浸る間も無く、今日も4コマを描き、クイズを作り、と、 あれこれ作業をこなすうちに1日はあっという間に消えた。

今日は千葉ボドゲーン万博の出展通知も届き、喜び勇んで出展料を入金し、時間のない中でサークルカットを提出した。

カッコつけて「出展料の返金は求めない」にチェックを入れたことを少しだけ後悔しながら、金は天下の回り物と言い聞かせた。誰かのために使う金は、巡り巡って自分に帰ってくる、これは特に金周りでうるさかった母親を見るうちに自分の心の中でまとまった言葉だ。


周りは、結婚報告あり、海外出展あり、など嬉しい報告がひしめいている。いずれも自分の目線から「これまでの努力が報われた方ばかり」だ。老若男女問わず、毎度平気で愚痴を吐き、他人のツイートにケチをつける人間は今日も変わらず愚痴を吐いていた。見ないように気を遣っても目に入ってしまうものだ。反面教師として受け入れる。

悪いことの圧が強すぎるために、悪い言葉が外に出てしまうと、こちらの意図せぬままに増幅されてしまう。

バネストの中野店長は「ネガティブ100倍返し」の言葉で自分を諌めていた。自分もなるべく胸の内に秘めて、別の形で発散したいと思う。

悪いことを思うまでは全員がフラットなのだ。そこからどう発散するか、我慢できず見境なく相手にぶつけるか、駄々っ子ではあるまいし、その辺りのコントロールができてこそ大人なのではないか。

「ローカル女子の遠吠え」(瀬戸内みずき著)にも、不満を少しずつ吐き出す女性を「おっとなー」と揶揄する場面があった。私の目指す大人像も、淡々と怒りを表現する人間がある。

我慢のしどころを、もうしばらく考えたいと思う。それが作品や品格に、ひいては、戻ってくるはずのお金や人徳に、直接影響があることを実感しながら。

2022年4月2日土曜日

夜明け前が一番暗い

 二日ほど早く、4コマ新刊の入稿を終えた。

直前のチェックでスペルミスによる刷り直しなどドタバタはあったものの、数十冊も作るとかなり手慣れてくる。5年前のクイズ本は午後2時に初めて終わったのが深夜12時を回った頃だ。


先日から夜が怖くなった。

真っ暗闇、布団の中で、夢とうつつの境目にいる自分は、この先の生活をどうするかといった不安に駆られた。

大志を抱け、夢を見よう、と人は言うが、楽しむべき夢が悪夢ばかりでは流石に疲弊してしまう。眠りに見切りをつけ、そそくさと現実の作業に移る。

作業をしながら、手を動かしながら、悪夢を振り払うように手を動かす。4コマを描き、本を読み、ノウハウを勉強する、そのひとつひとつが、夢ではなく現実に自分がいることを教えてくれる。

夢を見るのは(記憶のある夢、のニュアンス)たいていが夜明け前、一番暗く、一番冷え込む時間帯だ。そしてすぐに日が明るくなる。

つらさの境目が一番辛いことは、世界各国のことわざにも「夜明け前が一番暗い」などがある。

そう自分に言い聞かせた。

今が一番辛い時期、これから少しずつ明るくなる。好転する。

・・・。

今回のおまけ漫画は、そんな暗い気持ちを少しでも明るく照らせるよう、自分に、そして周りに向けたメッセージを込めた。

暗闇にまかれてはいけない、何より、今日の入稿で、最も手強い自分自身に太刀打ちできたのだ。

他愛もないほどのちっぽけな自信を持って、明日もまた頑張ろうと思う。

2022年4月1日金曜日

最後に立った者

 山東ユカ先生の漫画「スパロウズホテル」の登場人物のセリフだったかと思う。

「戦場は最後まで立っていた者が勝者です」

 今日の4コマ執筆中、偶然ゲームストア・バネストの中野さんが開いたツイキャスライブの中で、同じようなことを話された。

粘り強く立っていた者、この感染症禍の2年間、あらゆる方法でここまで立ち続けたもの、脱落者の多く出る中、辛抱強く活動を続けた者が、最後は栄光をつかむ、と、受け取った。

 たまたまツイートに流れた富野由悠季監督も「今の流行が10年100年続くと思うな」と強い言葉で話された。

 振り返ると、一人で創作するスタイルが5年となり、一人、孤軍奮闘しながらここまで「倒れるものか」と立ち続けてはきた。体力資金精神力、いずれもボロボロで、今すぐにでも倒れて楽になりたい気持ちだったにも関わらず、だ。

 4コマは今日の連載で930話となった。新刊の方も何とか明日には入稿できるだろう。

 今の自分に完全燃焼できるからこそ、あれこれ体の動くうちに片付けたい気持ちが現れる。

 その中で、消費を抑えながら、苦しい生活を必死で耐える姿が、作品にどう反映されるのだろう。


 制作環境は決して良いものではない。

 しかしながら、それを臆面に見せないからこそ、どこか作品の細部に現れるものではないかと信じる。

 見る人が見れば、それは一目瞭然の、本当に通な作品へと昇華される。

 自分の作品がそうあって欲しいと願望を込めて気持ちを綴ってみた。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...