2022年4月5日火曜日

お節介

 3度目となるワクチン接種のため、念を入れて4コマを休むことにした。代わりの時間はひたすらボードゲーム帝国の原稿を書いていた。

3度目さらに平日ということもあり、想像したほどの空き具合だった。ワクチンを打ち、多めのご飯を入れ、休む間もなく作業に移った。

副反応からくる気だるさで昼間はぐでぇと横になったが、慌てて名古屋ボードゲーム楽市のサークル紹介記事を書き上げた。無理せず明日にかけて書く予定だったが、勢いのまま体にムチを打ちつつ一気に仕上げた。


あまり良いバイタリティではないが、今はTwitterで調べる作業すら行う人間も稀となった。本を読むわけでもなく、手元に「おすすめある?」と聞いて周りの反応をもらう、ちらほら見かけるのはそんなスタイルだ。

それを常態とする人からすれば、何千字と綴る全サークル紹介など無駄な努力に見えて当然だ。

「自分もやる気があればやりたかった(けれどめんどうだった)」

そう考えたとき、脳はそれをあたかも「自分がやった」ことへのフォルダに振り分けてしまうらしい。


副反応と格闘しながら、長く長く綴ったノート記事だが、有り難がられるかと言われたら、褒められるどころか、「余計なことするな!」と叱られて当然だろう。

他のイベントでも似たようなことを経験し、似たような言葉を投げかけられた。もうそのイベントに進んで出展することなどないだろうが、時代なのか、楽しみの違いなのか、とても悲しい思いをした昨年の出来事だ。


気だるさが残る中、この作業で唯一得られる「自己満足」の高さだけが、シビれる体のなかで湧き上がっていた。

同じことは、お金を積んだ誰かがきっと行うかもしれない。

その商売の機会を私は奪ったことになる。決して善行ではない。

悲しいけれど、自分にそう言い聞かせ、自分はまた明日から通常通りの動きに戻ることにした。

来週は100回目の献血に向かう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...