最終回のハッシュタグがあったので、手前味噌ながら、自分の4コマについて語ってみたいと思う。
前作「ボドびよ。きょうもボドびより。」は、普通に「次もあるでしょ」のような最終話を迎えた。これは自分が湿っぽい展開をよしとしたくなかったこと、加えて、心を揺さぶる展開の漫画ではなかったため、そのポリシーを貫くことにしたこと、最終回という言葉のイメージがあまりに大きいため、どんな形でエンディングを描いても悲観的に受け止められることを察したのだ。
「ByeBye!」と手を振る一コマをリプライで繋げることが、自分の考える自分の漫画の最終回っぽい展開だった。それはそれで自分で満足できた。
そして現在も続く4コマ「かみとさいころ」も、ある日ふと「最終回を事前に描いてしまおう」と考えた。
この作品ではキャラクターの個性を引き立たせるため、性格から考え方まで細かく設定を作った。
だからこそ、最終回の余韻を残せるようにしたかった。がしかし、それだとどうしても「日常4コマを描きたい」という自分の主軸から離れてしまう。
そこで小冊子2巻という早い段階で、あらかじめ最終回を綴ることにした。言葉は悪いが「生前葬」のようなもので、何かあって更新が止まってしまったときに用意された締めくくりの形であると同時に、読み手が「もう最終回は読み終わった」前提の安心感から、いつ終わるともしれない作品を好きに読むことができると考えた。私自身の創作スタイルに関しても、最終回の展開を気にせず、好きに描ける安心感が役立っていると思っている。
これは珍遊記などの狙った作品でなければ、かなり規格外の作品であることは承知だ。本4巻目でも商業誌では見かけないかなりチャレンジャブルなおまけ漫画を綴っている。
創作は手を動かさなければ生まれない。自分の中に眠る創作のタネを、どんどん掘り起こし、自分と対峙する中で作品を生み出す、目先の流行やスタイルに安易に乗らず、自分を信じて手を動かす。
それが今の自分に課せられた使命ではないかと信じる。
同日、「なんとかなるさ」の生き方を啓蒙する藤子不二雄A先生が他界された。合掌。
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