2022年6月9日木曜日

モノの目線、人の目線

 珠工房ダイス展第2回を、4コマ執筆後即座に電車に乗り行ってきた。

中は見目麗しいダイスと、昨年よりさらに芸術性の増したダイスが所狭しと並び、その奥で聖母のように珠さんが、微笑んでいた。

普段は人混みに押されて会話や解説の届かない世界、その中に囲まれ、幸せそうな、運営の久遠さんと珠さん、対称的に、描けども作れども一向に成果の上がらない自分は、この空間の居心地に違和感すら感じた。自分はもっと他に運営するべき他があるのではないか、だ。


堅苦しいことは一旦傍に起き、また3Dの勉強を始めることにした。今日で無事に本一冊分が履修でき、次なるまた厚い本が待ち構える。


成長過程で人は評価しない。成長しきったと思しき場面で、ようやく人は作品を眺めるのだろう、そう自分に言い聞かせていたが、それは対象物をモノと見るか生き物と見るか、その違いではないだろうか。

モノ、として捉えると、出来上がったそのものに対する評価が上がる。いわゆる数値として目に現れやすい方はこちらだ。

一方で「生きもの」を見る目は、その成長過程や、成長して勝ち得たであろう小さな目標に向けて評価する。

小さな赤ちゃんを溺愛するように、栽培する植物に双葉が出るような、その目線の先には「成長したらどうなる」の期待が含まれ、現段階では「応援の意味」でのいいねはあれど、作品としての評価は表れにくいのではないか。

そんなことを自分に言い聞かせながら、また食費をそこそこに、頑張ることにした。

6月からは運気が上昇する、成長の時期はそれこそ5月で終わったはず、そんな言葉がふと頭によぎったが、そのまま進むことにした。

2022年6月2日木曜日

笑われる者

 Blenderを飽きもせず動かし、今日は中級編の山場「サメ」を作ることができた。

勉強する3日前は、出ている画面を見るだけでアレルギーが出たものだ。

それが、一通りの動かし方を学ぶことで、一つの道具として使える、その喜びだ。

まだまだ先は長いが、前を走る人間に少しでも追いつけるよう頑張りたい。


そう、この「わずか1日前にはできなかったこと」が、できるようになる嬉しさ、それは拙い4コマを描きながらも考えたことだ。

何もできないことを笑う人間は必ずいること、そして、それは身内である可能性もあること。

よくよく考えると、身内にばかり笑われていたように思える。努力というものを「自分にはできない」「見て楽しむ能力」と捉えている人間には、私の姿などせいぜい頑張るこった、くらいにしか捉えていないのかもしれない。


最初の一歩目はすごくすごく小さい、その努力に比して、得られる果実は大きいとは限らない。

それでも、動画、漫画、クイズ、書籍、それらをしっかりと合わせることで、別の何か化学変化を起こせるかもしれない。


自分のなりたいものの姿は、今もまだはっきりと見えてはいない。

それはこれら今まで積み上げた能力が、どう化学反応を起こすのかがわからないからだ。

そんなことを考えながら、未来の展望も見えないまま、明日は大阪へと向かう。今年秋のゲームマーケットも先ほど申し込みを済ませた。

先がわからないから、今を頑張る、それしか自分にはないのだろう。

2022年6月1日水曜日

先の話

 Blenderの動かし方を学びながら、今日もお手本通りに作成すること、何時間だろう。

中級編へと突入し、動かし方に「ああ、そうするのね」と納得する場面も少しずつ現れ始めた。まだまだ先は長いとはいえ、少しずつ勘をつかんでいきたい。


4コマも、ネタ切れ寸前で慌ててまとめることができた。こんな調子が、4コマ始まって以来ずっと続く。綱渡りのような展開を続けながら、またなんとか一歩ずつ歩みを進めることができた。


私は前の職場でも、実家でも、特に「できない側の役回り」として動いてきた。

先日千葉で隣のゾーイモーイさんについ自分の身代を話してしまったが、本当にできないできない、と役回りをつけられると、その通りに動くようになってしまう。教える側が「こいつはできない」として目線を送ると、その期待通りに動けない立場となる。言葉で例えるならば「逆ピグマリオン効果」とも呼べるだろうか。

だからせめて、創作活動では自分のできるところに挑戦したかった。

見返すなんておおそれたことではなく、純粋に「できることの限界値」を知りたかった。

だから基本、後ろを振り返らない。前だけ、そして前を向く人間を追いかけている。

「変わった」

そう言い残して去っていった人間も多かった。養老孟司先生の「脳の可塑性」にそれに近い言葉があっただろうか、厳しい環境でもすぐに脳と体が順応する、だから厳しい環境に身を置くことがすでに成長の促進剤なのだ、と。


明後日に迫る大阪のイベントで、どう変わったか、それは自分では気が付きにくい、相手の目線で見えるものだ。

負けてなるものか。

明日もまだ成長できると信じて頑張ることにする。

2022年5月31日火曜日

天の采配

「あなたは承認欲求の塊だ」「圧が強すぎる」

 1週間前のそんな指摘が今もまだ納得できず、自分の中でくすぶっている。

自分が悪かったと自覚するならば、もっと気持ちも整理できるのかもしれない。それでもくすぶる理由は、相手のこれまでの言動と立場が、自分とあまりに乖離しすぎているからだ。

思うままにできることから創作を始める天才肌に、自分のような何もできない箇所からコツコツ試す型の気持ちなど知る由もないだろう。

だから、その判断は天に委ねることにした。

悪い判断だったならば、その後の行動で何かしらの制約を受けるだろうし、正しかったならば。その後も考えを持続しながら創作を継続できる。

自分からは何もしないし、むしろ、何か別のゾワゾワした気持ちが芽生えるので、積極的に距離を置くことで、気持ちが晴れることを待つことにする。

それが天命を待つことの本意であり、何より、創作の手を止めないための、自分の防御反応なのかもしれない。


金曜の大阪遠征に向けた準備が佳境を迎える中、またもblender3Dのソフトを勉強し始めた。

新たな境地を開拓することは、持続も含めてすごく難しく、それをいかに面白いことへと気持ちを昇華できるかだ。未知の分野に乗り出すこと自体はとても楽しく思える。周りが何も文句や陰口を叩かれていないうちが、本当に楽しい。それが主体となったから、4コマは本当につまらなくなった時期を何度となく通った。

今でも覚えている。

「◯◯さん描けばバズるよ」

「あるあるをもっと描かなきゃ」

「あなたのネタは分かりづらい」

そんな言葉のオンパレードだった。よく耐えたね、自分。

そんな4コマも、もう980話だ。

イラストはもとより、そんな気持ちの面でも成長ができたのであればなお嬉しい。もちろん明日にでもなくなる4コマだからこそ、自分で磨き上げていかなければならないけれど。


前へ、前へ。マイナスの言葉が本当に気にならなくなるほど、突き進めたらと思う。

それを決めるためにも、もっと徳を積んで天に貢献せねばと思う。


2022年5月30日月曜日

ご褒美

 今日は5月に入って2度目の新月とのこと。

「何かを始めるときは新月の方がいい」これはほぼ日経由でジル・サンクロワ氏が語った言葉だ。

今日は昨日のnote記事を推敲し、大阪に向けての荷物をまとめた。

大阪の頒布物は、段ボール一個に収まるよう、ごく少量を持参することとした。これまで万全を期してたくさんの頒布物を持参してきたが、郵送料の高騰と、自分の力の限界をまざまざと知ったここ数回のイベントに、後ろ向きで物事を考えたからだ。

5月は運気が低迷する、だから6月から徐々に上がることを考えると、もう少し冒険しても良かったかもしれないが、四面楚歌の状況の中で自分にそこまでの勇気も湧かず、結局千葉よりも少ないか同じくらいの分量となった。それでも多く感じたくらいだ。

貧すれば鈍する、とはよく言ったもの、金銭だけではなく心まで余裕がなくなると行動が後手に回ってしまうかと思うと情けなく感じた。

周りを見ると、美味しいご飯のツイートに、甘いスイーツのツイートが「自分へのご褒美」とばかりに並ぶ。

自分へのご褒美、か。

今の勉強が自分への、そして周囲へ還元するための勉強が、自分へのご褒美とするならば、それはブラック上司の考え方と何も変わっていないように感じる。


行動が空回りする中、もう一度自分にできること、(もう活動の限界値を突破し尽くした)自分を犠牲にしてでも、周囲へ還元することとは何かを、今一度考えようと思う。

だから、自分に危害を加える人間と過ごす時間など1秒たりとも共有したくはない。

2022年5月27日金曜日

舵を切る

 千葉ボドゲーン万博を明日に控え、今日は作業を詰め込まず、ボーッと海外のクイズ番組動画などを見ながら過ごした。

海外なので当然のごとく英語だ。何を言っているか一言も聞き取れない。しかしながら、そのシンプルなルールと、クイズ(と巨額の賞金)を通じた解答者の息遣いは表情から読み取れる。

クイズをスポーツのように感じるからかもしれない。楽しさの軸とはまた別の、本当に勝負するからこその顔だ。スポーツなので、ドラマのような展開がないことも多く、それはそれでヒューマンドキュメンタリーのような、その人の表情で伝わるものを視聴者も感じ取るのかもしれない。

昨日「体験を与えるには」をしばらく考えた。

自分のできることなど、クイズに動画を流すこと程度だ。先に挙げたように、クイズを楽しくするも、競技制のように捉えるも全くの自由だ。自分はそこに楽しさを持ち込んだに過ぎず、それは真剣に知識を勝負する人間にとって邪魔なものかもしれない。

自分は「ボードゲームのクイズを「楽しんでもらう」方へと舵を切った。


新潟で、そして今夜の「暮しとボードゲーム」の配信で、おそらく難関な知識を求められるクイズイベントが開かれることかと思う。

自分は後で視聴する方へと流れたが、楽しみ方は固定できない。もう一度書くが、私は「楽しさを見つける」方へ、言うなれば、誰もが面倒でやりたくなかった領域へと、進もうかと思う。

その苦しみは、きっと誰かの気持ちに引っかかるものと信じる。


2022年5月26日木曜日

 頑張っても報われない、そんな国内世論だからか、ふと「頑張りの認められない世の中」という言葉にがんじがらめとなった1日だった。

「好きなことで生きていく」

これはYouTube配信者が多数登場するYouTubeの広告だった。小学生のなりたい職業に「ユーチューバー」が躍り出て、その後は国が働き方改革などを行うも、やはり月曜の重苦しさなどのツイートが目立つだけだ。

私も苦しさから、それこそ、何度も精神的に自死に追いやられた職場から、半ば逃げるように退職した人間だから、大きなことなど言える立場にない。

その後は、好きなこと、というより、頑張れそうなことに全力を傾注して過ごした。そんな生活がもう5年半だ。

振り返っても、好きなことは楽なことではない。と断言できる。

ただ、頑張れるとは思う。

お金にはならない、評価もされない、そんな中でも自分に声をかけ「もう一度!」と思える環境が、何より自分自身に必要だった。

自分でできることを目で見える形で確認することが、あの時から自分への栄養だったのかもしれない。それは本来、若いときに親や周りから受け取るべき栄養だったはずだ。


不惑の年を過ぎ、本来ならば成し得た果実の収穫にあたる時期に、自分は周りの輪から飛び立った。

何の当てもなく、日に日に精神が削がれ、周りから人が去る状況から、懸命にもがき、楽しさとなる糧を見つけようと頑張った。


答えは出ていない。

コロナ禍を経て、娯楽が本当に必要なものから除外された数年を経て、自分のできること、なすべきことを、もっと懸命にアピールする時期になろうと思う。

「承認欲求の塊」に見えるなら、そう笑うがいい。

2022年5月25日水曜日

精査

 4コマを描き、献血を済ませ、午前中の疲労からか午後はボーッと過ごした。

千葉ボドゲーン万博に何を目的とするべきかを昨日はずっと考えていた。

その翌週に控えた「新潟ボードゲーム祭り」が、ボードゲームを通じたお祭り的なイベントで、アトラクションも多く見せ物としても面白い、そんなイベントに見えるからなおさらだ。

もう「即売会」だけを売りにするイベントは去ってしまうのかもしれない。コロナ禍を過ごし、欲しいものを手に入れる選択肢に「通販」のカテゴリーが生まれたことは実はすごく大きかったのではないか。

対面で話しを繰り広げ、ものを買ってもらう、それとは対称的に、相手への気遣いなどをせずに欲しいものだけが手に入る通販の良さも際立ったのではないか。


運営側がそれに気がつくか、ゲームマーケットの日曜の盛り上がりも、その辺の「入場者が単に購入できるだけの即売会イベント」のままだと、これ以上の発展は見られないかもしれない。

それは後に控えた北海道ボドゲ博や広島たちまちゲームマルシェなどにも言えるだろうか。ユーザーが「遊んでみたいボードゲームが格安で手に入る」イベントならまだしも、個人制作の即売会に、早々足を踏み込んでもらえるとは思えない。

ならばどうする?

自分は名古屋で「無料でも楽しめるクイズ」などを展開した。

ボタンを押す楽しさ、ひとときの楽しみなど、一体となって盛り上げるイベントを、ずっとずっと考えていた。その一つの結論だ。

徐々に情勢が明るくなる中、そろそろ知識のアップデートも、情報の精査とその後の動きも、真剣に考える時期にあるのではないか。

いつまでも同じ体勢では応援の声も少ないのではないか。


今日の「一年前の自分の作品の比較4コマ」を眺めながら、そんなことを考える。

2022年5月24日火曜日

975話

 4コマのシーズン5が50話目となった。足掛け4年半で更新総数が975話、1000話が目前と迫る中、今もまだ「次で終わるかもしれない」の不安がつきまとっている。

2018年に描き始めた本当に初期の初期、4コマ更新第一話の感想は「大丈夫?」だった。

下手だ、ダメだ、やめろ、でもなく、心配の言葉だった。言葉の真意は考えたくもない。

そんな4コマも、挫けずほぼ毎日更新し、気がつけば4年半が経過した。

コマ割りからレイアウト、クリップスタジオの使い方まで、本当に一からの勉強だった。

周りが時折上げる4コマが何百RTを稼ぎ、「10分で書いた」という漫画に何百RTがつく、そんな姿を横目に、悔しさ悲しさも何度となく味わった。

ありきたりなアルアルは描かない、など変にこだわったこともあり、「これを描けば反応がもらえる」などのアドバイスを完全に無視し続け、気持ちの共感というより自分の技量を高める方向へ、もっと純粋な「作品としての姿」を目指して頑張った。

だから私の4コマは今も20前後のいいねをもらう程度だ。

自虐ネタとして話すにはもってこいだが、その裏では「そりゃそうでしょうね」「だって自分でもイラストやネタ周りの練習として更新しているから」に尽きる。商用だとか広報だとかの目的はほぼゼロだ。

だから自分では数をネタにするけれど、実はそこまで真剣に悩むことではない。

真剣に悩んではいないにせよ、反応がなければ周りの目に触れる機会も減ることが悩みの種だろうか。


この4年を通じ、地道な人間を笑う大人がいること、応援しています!の声が社交辞令の場合だってあること、などを学んだ上で、それでも応援してくれるごく少数の方と巡り会えたことが嬉しかった。

偉そうに書いたけれど、まだ25も残っている。先は長い。のんびりと目の前の1話を更新していけたらと思う。




2022年5月23日月曜日

言い聞かせ

 ボードゲームの話題としては国内製作者、かつ、ゲームマーケットで多くの参加者購入者を魅了したボードゲームscout!の「ドイツ年間ゲーム大賞ノミネート」に湧いている。

少し影に隠れてはいるけれど、Improvement of the POLISのロングリスト入りも見逃せない。何せゲームマーケット大賞エキスパート部門賞の2018年受賞作だからだ。

スカウト!の国内受賞はアークライトゲーム賞2020の佳作に留まっている。この年の最優秀賞は「ドキッと!アイス」、優秀賞は「そこまで絞るには眠れない夜もあっただろ」だった。

受賞の可否はどうあれ、裏を返せば、それだけ国内のボードゲーム人気が海外の鋭い目線に追いついてきたものだと勝手に考えている。

全体の知識も上がり、今年に至っては昨年、一昨年と異なり、通なボードゲーマーなら遊んだことのある作品が続々ノミネート入りを果たすなど、国内の盛り上がりがより一層高まるものとなっている。


私は、というと、今日も4コマが30いいねだったことを喜ぶくらいしかなく、今日もお品書きを作り、これからポスターを作る。

周りが素直に喜ぶ中、自分はそんな境遇とつい対比させてしまった。食べるものも食べられず、今月は苦しい期間だからを言い聞かせるしか自分を奮い立たせることができず、本当に悲しく辛くはなるけれど、これも未来の自分が蒔いた種であり、皆が私に望む姿であると言い聞かせ、また明日も頑張ろうと思う。

辛い最中でどれだけ手を動かせるか、それはこのコロナの2年間で学んできたはずだ。


2022年5月22日日曜日

献身

あまり表沙汰にすることではないので、備忘録としてこのブログに綴っておくことにする。

 2019年ゲームマーケット秋から、各種イベント出展を終えた日の夜は、必ず売上の一部を募金し報告するようにしている。

イベントの前は献血に向かう。

地方イベントなどの前日には全サークル紹介記事を書き、終わったら、イベントの感想などを綴っている。もちろん無償だ。


もうそれすら、誰からも賞賛されることはなくなった。

それどころか、「自己顕示欲の圧が強すぎる」などの言葉を浴びる始末だ。

悲しいと思いつつ、それがボランティア(献身、という意味での)の本来の姿なのかな、と思い、続けている。

吉本隆明さんの言葉だった。「いいことをしているときは、悪いことをしていると思いなさい」

本人は良かれと思った行為であっても、相手にしてみれば余計なお節介ではないかと思うことも多々あるからだ。

だから私は上記の行為を、セルフリツイートしたり、プロフィールに書いたりと言ったことは控えている。

「相手にとって良い行為」こそが、何よりも献身としてのあるべき姿だからである。見返りは求めない。ボランティアはいいこと、それで十分なのだ。


それでも通じない相手には、なるべく時間と距離を置くことにした。

この千葉と大阪で、私自身の創作活動も終わるかもしれない、そう考えると、どうしても体にムチを打ちながら頑張りたくもなる。

その胸の内は、なるべく相手に伝えることなく、目の前の作品に傾注しようと思う。

それが自ずと作品の品質に滲み出るものだと信じる。

下手な鉄砲

 数を出す、とにかく初回から外に出す、とは徒然草の一節だっただろうか。 技が上達する人はとにかく描いたら世に出すこと、上達しない人は完成してから出そうとしいつまでも出さない、といった文言だったはずだ。 以前、兼ねてから応援していた創作者から「完成形しか見たくない」との言葉を頂戴し...