頑張っても報われない、そんな国内世論だからか、ふと「頑張りの認められない世の中」という言葉にがんじがらめとなった1日だった。
「好きなことで生きていく」
これはYouTube配信者が多数登場するYouTubeの広告だった。小学生のなりたい職業に「ユーチューバー」が躍り出て、その後は国が働き方改革などを行うも、やはり月曜の重苦しさなどのツイートが目立つだけだ。
私も苦しさから、それこそ、何度も精神的に自死に追いやられた職場から、半ば逃げるように退職した人間だから、大きなことなど言える立場にない。
その後は、好きなこと、というより、頑張れそうなことに全力を傾注して過ごした。そんな生活がもう5年半だ。
振り返っても、好きなことは楽なことではない。と断言できる。
ただ、頑張れるとは思う。
お金にはならない、評価もされない、そんな中でも自分に声をかけ「もう一度!」と思える環境が、何より自分自身に必要だった。
自分でできることを目で見える形で確認することが、あの時から自分への栄養だったのかもしれない。それは本来、若いときに親や周りから受け取るべき栄養だったはずだ。
不惑の年を過ぎ、本来ならば成し得た果実の収穫にあたる時期に、自分は周りの輪から飛び立った。
何の当てもなく、日に日に精神が削がれ、周りから人が去る状況から、懸命にもがき、楽しさとなる糧を見つけようと頑張った。
答えは出ていない。
コロナ禍を経て、娯楽が本当に必要なものから除外された数年を経て、自分のできること、なすべきことを、もっと懸命にアピールする時期になろうと思う。
「承認欲求の塊」に見えるなら、そう笑うがいい。
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