たくさんフォロワーが欲しい、と、Twitterを使った初期にはそんな気持ちに苛まれるものだ。
でも、その集まったフォロワーで、何をしたい?
作品を多くの人の目に見てもらう、応援するツイートをさらに多くの人に見てもらえるよう応援する。なら理解もできる。
フォロワーが多い後ろ盾を、好き放題持論を並べ、同調意見を募ることに向けてはいないか?
幼い頃からテレビに向かってぶつぶつ喋る大人が苦手だった。いざ自分が大人になったときにその気持ちを理解できた。そしてそれを意識しなければ、自分も同じ過ちを繰り返しそうだったと気がついた。
テレビの前で意見に異を唱えたい時、思わず同調したくなる時、画面の前にあたかも「存在しない誰か」がいる世界に入ってしまう。
「存在しない」ので、こちらの声は届かない。けれど、相手の笑いや悲しみを一緒になって楽しむ「誰か」が存在する。
ぶつぶつ口に出るのも、その届かない誰かに自分の気持ちを伝えたくなる気持ちに似ているのではないか。
不思議と読書ではこれが起こりにくい。目の前の活字にありありと人を思い浮かべるためには、それ相応の想像力を必要とするからだろうか、詳細はよくわからない。
話を戻すと、せっかく多くのフォロワーができたのに、自分の勝手な愚痴を吐き、世間に対する気持ちを次々に綴る、ボードゲーム関連のそんなツイートを見かけるようになった。
おーい!君の制作はそこにはないぞー!
作品を楽しみにされるフォロワーのためにも、ちゃんと自分の「居場所」について考えようや。
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